ことばはどのように獲得されるか?
「1歳4ヶ月の聞こえる弟をみていて、言葉を覚えていくカテゴリーの話を思い出しました。弟の表出手話は、あんぱんまん、さかな、まんま、ばいばい、おいしいぐらい。今はもう日本語の方が多いです。
テレビに魚が映っていて、それをみた弟が「わんわん!」といい、壁に貼ってある季節ポスターのところ(写真右)に走っていき、夏の「あじ」の魚の絵を指差しました。M
「これは、わんわんじゃなくて、さかな」と、手話もみせると、「わんわん」といいながら、魚の手話をしました。今、生き物はすべて「わんわん」です。口にいれるものは、お茶も歯磨き粉もすべて「まんま」です。大好きな「パン」だけは、覚えています。かなり大きな括りのカテゴリーを作っている状態で、ここからカテゴリー分けしていくんだなぁと感じています。
聞こえない子の場合、相当努力して親が指文字使って日本語を教え、ことば絵辞典でカテゴリー分けして、必死に作っていくこの作業が、聞こえる子は、こんなに小さい1歳の時から自然に入ってくるんだなぁ、と驚きます。聞こえない子は、やはり『自然法』では間に合わない、『構成法』が必要だと思います。自然に情報が入らない分を、ルールとして理解し、頭で考えて反復し、一つずつ積みかさねていくんだなぁと、しみじみ感じました。」
さて、上記のメールのお子さんをの様子をもう一度整理してみましょう。
1歳の子ども(Rちゃん)が初めて見た犬。ママは「ワンワンね」と言ったとします。しかし、その
時、その子はどこに注目したかというと、実は可能性は無限に考えられます。「茶色い色のこと?足が4本あること? 駆けていくこと? しっぽがヒョコヒョコ動いていること? 舌をハアハア出していること?あるいは、人間とは別の生き物(ここでは哺乳類よりもう一つ大きなカテゴリーである脊椎動物)のこと?」 この1歳4か月のRちゃんは、「ワンワン」とは「生き物」(ここでは脊椎動物あたりまで広げて)をさす概念だと考えたようです。「ワンワン」が何を意味するかについて、沢山の仮説の中から、「生き物」を選んで、「仮説」を立てたわけです。「『ワンワン』とは『生き物』のことにちがいない」と。
そしてある時、テレビに映っている魚を見て、この「仮説」を適用しました。「あっ、ワンワン(=生き物)だ!」。Rちゃんはすぐに壁に貼ってある絵の魚の絵を思い出し駆けて行って、魚の絵を指差し、「ワンワン」と言いました。ママは「これは魚ね」と言いつつ、/ サカナ / の手話をしましたが、Rちゃんは、「ワンワン」と言いつつ、/ サカナ/ の手話をしたのでした。Rちゃんにとっては、生き物(正確には脊椎動物)は「ワンワン」なので、魚も当然その「ワンワン」に含まれる生き物です。ですから、「ワンワン」と言いつつ魚を指差したわけです。ただ、私たちの世界では、「ワンワン」は、生き物の下位のカテゴリーである「イヌ」という種類の生き物にしか適用しません。この「イヌ」「ネコ」「ウサギ」「牛」
「馬」といった分け方を基礎カテゴリー(基礎語彙)と私たちは呼んでいて、世界を切り分ける基礎的・基本的なカテゴリーになっています。そして、通常、モノの概念について子どもが仮説を立てるときに用いるのが、このレベルのカテゴリーです。しかし、Rちゃんは、さらに広めにカテゴリーを考えたわけです。これを「過大般化」と言っています。ただ、興味深いのは「魚」は手話ではちゃんと/ サカナ/として、基礎カテゴリーの語として獲得されているのでは?ということです(/サカナ/の手話が「魚」だけに使われているのであればそう言えます)。ということは、音声言語での「サカナ」と、手話での/サカナ/とは、別々の言語として獲得され、その概念がまだ一致していないということなのかもしれません。しかし、いずれ、音声言語の「過大般化」は自然に修正されていきます。何度もいろいろなモノに接し、ママやパパに「これは〇〇だね」と言われる経験を積む中で、です。そして、「サカナ」が文字通り魚を意味する基礎語になった時、手話の/サカナ/と音声言語の「サカナ」とが、両方とも基礎カテゴリーの語として一致するのではないかとも考えられます。 つまり、魚が、日本語でも手話でも同じ概念を持つ語として理解され、手話と日本語の翻訳が可能になるのではないでしょうか。(*聴覚活用しているきこえない子では、2歳前後から手話と日本語が一致してくる子が多いですが、聴力の厳しい子は3歳前後の指文字獲得の時期頃になる子が多いです)
〇きこえない子は初めて出会うモノをどう意味づけるのか?
さて、では、きこえない子は、どうやって初めて出会うモノを意味づけているのでしょうか?それを調べるために、下のような実験を行ってみました。但し、手話での実験は難しく、指文字(日本語)を用いての実験ですから、対象は日本語の獲得が始まっている3歳児から5歳児までの聾学校幼稚部在籍児39名についての、「初めて出会うモノの日本語を見た(聞いた)とき 、
聞こえない子は、その語をどのように推論しているか?」という実験です。
実験の手順
①まず、ファイルにある標準刺激(a)の刺激を子どもに見せ、「これはケメだよ」と言います。そのあと、いったん(a)を引っ込めます。
②次に(a)から(e)の5つのモノを同時に出し、「ケメを渡してちょうだい」と言います。子どもがどれを「ケメ」とみなして渡してくれるだろうか、ということをみるのです。この実験の写真の刺激(b)は、標準刺激と形、サイズ、色が同じですが、リボンが違います。そっくりですが標準刺激とは別の個体だとわかります。標準刺激(a)を犬に例えて「トイプードル」とすれば、刺激(b)も「トイプードル」ですが、「トイプードルの雌」といったところです。「トイプードル」は「犬」のうちの、ある特定の種類なので(b)は「犬」のうちの下位レベルの刺激ということになります。
次に刺激(c)は標準刺激(a)とは全く同じではないですが、全体として形が似ています。しかし色や模様、大きさはやや異なります。犬に例えれば(a)(b)「プードル」と(c)「チワワ」の関係といったところでしょうか。これは基礎レベルの刺激と言います。通常「犬」と言えば(a)(b)(c)を含めたカテゴリーが「犬」です。
刺激(d)は、形、色などすべて異なりますが、生き物っぽいという点では同じカテゴリーです。ただ、大きさも形も違うのでこれは上位レベルの刺激になります。犬に例えれば、これは犬ではなくライオンとかネコといったところでしょうか。ここまで含めた概念は私たちは「(哺乳)動物」といった上位レベルのカテゴリーとして理解しています。最後に刺激(e)は何も関係のない無関係刺激です。子どもが「ケメをちょうだい」と言われてこれを差し出したら、言われていることの意味が理解できないで適当にとったことになりますから、これは「一貫しない反応」とみなします。
さて、子どもたちは、どのよう選択したでしょうか? もし、5つの刺激からどれをいくつか選ぶとすると、その選択の仕方は2の5乗=32通り考えられます。そのうち一貫していると考えられる選択の仕方は、表ファイルで示した4通りだけです。残り28通りはランダムに選んだことになるので一貫性のない選択とみなします。また、無関係刺激を選べばそれも一貫性のない刺激とみなします。では、聾幼児は、どのように選んだのでしょうか?
標準刺激だけを「ケメ」とみなした子は、「ケメ」を固有名詞(犬に例えるなら「ショコラちゃん」など)とみなしたことになります。しかし、その割合は少なく、全体の5%(39名中2名)だけでした。因みに別の実験から聴児は10%です。きこえない子は「ケメ」を固有名詞とみなすより、ある種のカテゴリーの生き物につけられた名称と考えたようです(7割の子たちは、ですが)。
次に標準刺激(a)と下位レベル刺激(b)を選択した子、犬に例えれば「プードル」と同じレベルの犬の犬種のひとつとして理解した子も少なく5%(39名中名)でした。聴児の実験では20%ですから、聾幼児はやや少なめです。きこえない子は「過少般化」は少ないのかもしれません。
では、(a)から(c)までの選択である基礎レベル刺激はどうでしょうか? これは40%(39名中16名)でした。聴児は55%で聴児の場合はほぼ半分です。きこえない子は「ケメ」を「イヌ」と同様の基礎レベル刺激として解釈した子が4割。聴児より聾幼児はやや少なめでした。しかし、きこえない子だけでみれば、「ケメ」を基礎レベルの概念(基礎語彙)と考えた子の割合は相対的に多かったことになります。
(a)から(d)までの刺激の選択である上位レベル刺激はどうでしょうか? これは25%の幼児(39名中10名)がそうでした。聴児の場合は10%ですから、聾幼児はカテゴリーを大きめに、すなわち過大般化気味に選ぶ傾向があるのかもしれません。
また、この検査で課題の意味がわからない、もしくは、カテゴリーの範囲が決められず「ほかにある?」ときかれるとどんどん差し出してしまう子、どれもとれない子など、とくに3~4歳の子たちにみられました。その割合は25%(39名中10名)。これも聴児(5%)に比べて多い傾向がみられました。
以上のことから、聾幼児の70%の子は、初めて見るモノの名前を同類のモノにも使えると考えていますが(聴児85%)、同類とみなすカテゴリーの範囲が、聴児に比べて広めであることが見出されました。この項の最初の1歳4か月の聴児Rちゃんが「ワンワン」を「生き物」全体に広げていたのと同じような傾向が聾幼児にもこの実験ではみられました。ただ、別の聾幼児で実験すればまた別の結果が出るかもしれませんので、ここではまだ確定的なことは言えません。
また、きこえない子の中には、3、4歳になっても、新しいモノを指して新しい語が言われた時、その新しい語「ケメ」がどのような側面を指しているのか、即座に決められない子もいるということも示唆されました。例えば、初めて見たモノに「ケメとはモノの名前であり、似たモノ同士のカテゴリーの名前」という仮説ではなく、例えば「ケメ」とは「ふわふわした感触」とか「白っぽいモノ」を指していると考える子もいるのかもしれません。
いずれにせよ、多くの子ら(70%)は、新しいモノは「カテゴリー名」とみなしたということは言えるでしょう。特に、大きさや色が多少違っても形が似ているモノのカテゴリーの名前、すなわち基礎レベルのカテゴリー名とみなす割合(40%)が最も多かったということも確かです。つまり、「あれはイヌだよ」と言われた時に、私たちが一般的に「犬」とみなしている動物と同じに理解する子が割合多かったということです。
しかし、ある聾学校の年中の子が、「犬」という日本語を「猫」にも使っていたという話もきいたことがありますので、聾幼児の中にはモノの名前を大きめのカテゴリーで使う子がいるのかもしれません。
以上の実験から言えることは、子どもは、新しいモノに出会ってその意味をある程度うまく推論できているのは、語の意味について「語とは同じようなモノの名前」とみなしているからだということでしょう。また、過大般化している子たちで、きこえる子は耳からの情報量が多いのでそのうちカテゴリーが世の中の一般的なカテゴリーに一致してくるのは時間問題といっていいでしょうが、きこえない子たちの中には、情報が少ないために修正される機会があまりない、ということも無きにしも非ずかもしれません。
さらに、25%(4人に1人)の子はまだ的確にモノの名前を推論できなかったわけで、この子たちが、語の名前をどのように推論しているのかについては、もっと詳しくみていく必要がありますし、語獲得のための適切な支援の方法を考える必要があるのかもしれません。
いずれにせよ、きこえない子には、発達の早期から「ことば絵じてん」づくりなどの活動を通して、多様な観点で仲間づくりをしたり、モノとモノの共通点・類似点や相違点を比較したりなど、視覚教材を有効に活用して、頭の中で語を整理し、体系的な語彙辞典を積極的に作っていくことが必要なのだろうと思います。そしてこれも「構成法」のひとつと言えるでしょう。