聴覚障害児の書記日本語習得の現状と課題
―ある聾学校におけるJcoss等の5年間の検査結果より―
2011.3 木島照夫
はじめに
聴覚障害幼児・児童の言語発達について、客観的に測定できる標準化された検査は少ない。
ここでは、JcossおよびWISC知能検査を用いて数年間測定してきた結果から、ことばの力を伸ばすための対応について考えてみたい。
(*図表等は一部省略した)
Ⅰ.Jcoss(日本語理解テスト)における実態と課題
*Jcossの概要については、末尾資料参照
第1章 就学前幼児(3~5歳児)
1.語彙チェック及び本検査のまとめ
(1)幼児全体
①平成22年度における幼児26名についてJcoss語彙チェックの動詞・形容詞正答率と本検査通過項目数をlクロスしてみたところ、動詞・形容詞の語彙数と通過項目数とがよく相関していることがわかった。(γ=0.88)
②語彙チェックの動詞正答率100%の幼児は、いずれも通過5項目以上で、「語連鎖(2~3語文)」または7項目以上通過の「文法段階」に達していること。
また、動詞正答率100%に満たない正答率の幼児はいずれも「単語」レベルにとどまっていることから、語彙とりわけ動詞の語彙数の多少が文の文法的読みの力につながっていると思われた。
第2章 就学後児童
1.Jcossでみた、日本語文法指導の成果と課題
(1)小3~6年(中・高学年)
・19年度から23年度の4年間のデータを総合したところ、Jcoss平均通過率は19年度48%から23年度76%に上昇、聴児との通過率の差は、41ポイントから13ポイントにまで縮まっていることがわかった。
・項目ごとにはなお聴児との差がみられる項目がいくつかみられ、その特徴は以下の3点であった。
上記項目は、いずれも複数のもの(ことば)があって、それらの関係を表しているのが特徴である。
~対応~
★「位置詞」「比較表現」「受動文」の指導はデジタル教材の利用が効果的!
★構文の指導には品詞カードを用いるのが効果的!
(2)小1~2年(低学年)
低学年は、21年度までは、目立った成果はみられなかったが、この2年間で一気に聴児との差が縮まった。
ただ、25ポイント以上差がある項目は 12項目と半数以上に及ぶ。
・項目ごとにみると、高学年で差のある項目に加え、さらにいくつかの項目で聴児との差がみられる。
~対策~
★「格助詞」の指導は、「助詞記号」による指導が、児童にわかりやすく効果的!
★構文の指導は「品詞カード」の利用が効果的!
第3章 これまでの検査をまとめてわかったこと
1.幼児(H19年度~H22年度)の就学以降のJcossの伸び
平成19~22年度に実施した児童62名の結果から、下記の3つの群に分類した。
(1)年長時「単語レベル(通過0~3項目)」の子たち(L群)
知的にやや厳しい子も若干含まれるが殆どはWISC動作性IQでは大きな遅れのない子である。 幼稚部3年間で日本語はJcoss「単語」レベルの習得にとどまった子たちで、小学部以降にも伸びてはいくが、高学年段階でも聴児小低レベル(発達水準4)にとどまる子が多い。
語彙の獲得数が非常に少ないことが大きな要因と考えられる。 (2)年長時「単語連鎖(4~6項目)」の子たち(M群)
この子たちは、幼稚部前半で日常生活レベルの基本的な名詞・形容詞・動詞を習得し、後半で非可逆の2~3語文が理解できるレベルに達した子たちで、多くは中学年で聴児小低レベル(発達水準4)に到達している。
(3)年長時「文法レベル(7項目~)」の子たち(N群)
この子たちは、年少段階で単語連鎖レベルに達し、年中・長段階で基本的な助詞を身につけ、年長時には、文法(基礎)段階に到達している。
その後の伸びも比較的順調で、小3年でほぼ聴児の中・高学年と同等の発達水準6に到達している。全体の4割ほどがこのレベルの子たちである。
(4)3つのグループ(L・M・N群)のJcossの伸びの比較
上記3つのグループの通過項目数の平均を比べてみると、下図・表のようになる。
これをみると、幼児期からの通過項目数の差は小学部に入っても縮まっていない。
例えばN群では小1終了時に12.7項目通過だが、これと同程度に達するのは、M群では小3終了時、L群では5年終了時であり、それぞれの群間にはほぼ2年ずつの開きが生じている。
つまりL群の子がN群の子の幼稚部修了時のレベルに達するには小学部入学後4年間かかっていることになる。
Ⅱ.WISCⅢ知能検査による検討
1.4年間の年長児(30名)のWISC結果から
(1)全体的な状況
① 30名のうち25名(84%)はPIQ90以上である。
PIQ85以上で見ると95%は動作性ノーマルである。
つまり、WISCが実施できる聴覚障害幼児のほとんどは、「目の前にある具体的なもの(課題)を視覚的・動作的に解決できる力」を聴児と同じようにもっていると言える。
別の言い方をすれば、目前におかれた操作課題の「具体的論理構造」を自分で発見し、解決する能力があるということである。
しかし、これは「モノ」に対しては言えても、「言語(日本語)」についてはそうではないところが課題である。
② PIQ85以上29名のうちVIQ90以上は14名(48%)で、残りの15名(52%)はVIQ90未満である。
動作性ノーマルな幼児のうち半分は、言語性に課題をもっている子たちで、この子たちは自分がもっている言語やかずの概念的知識で、与えられた言語的課題を解決することが困難であり、その要因の解明と手立てを見出すことが、我々の最重要の課題ということになる。
③Jcoss単語レベル(L群)は8名、単語連鎖レベル(M群)は4名であるが、これらL・M群14名中12名(85%)はVIQ90以下。
つまり、L群とM群のほとんどの子は、語彙力や文法力が不足しているだけでなく、WISC言語性IQすなわち「頭の中にあるかずやことば(とくに日本語)の操作能力」に課題をもち、また、作動記憶容量など語彙習得の前提として必要な基礎的な力にも課題をかかえている子たちと考えられる。
(2)3つの群の動作性・言語性IQの比較
L・M・N3群のIQ平均値の差をみると図のようになる。
動作性IQにおいては、聴児とも、また、聾児の3つの群間にも統計上の有意な差はない。
しかし言語性IQにおいては、N群とL群・M群すなわち文法レベルの子と単語・単語連鎖レベルの子の間に有意差がみられる(P<0.01)。
そこで、言語性IQにおいて差の生じるN群とL・M群とでは、どのような検査項目で差が出るのか、WISC下位検査の評価点で比べてみた。
(3)L・M群とN群との評価点の比較
① 動作下位検査評価点の比較
動作性においては、どの下位検査項目においてもL・M群(単語・単語連鎖レベル)とN群(文法レベル)の評価点に差はみられなかった(P>0.05)。
両群を合わせた動作性の全体的な特徴として、日常の事物の観察力を求められる「絵画完成」が評価点11.1でやや高く、次に抽象的図形の再構成を求められる「積木模様」が10.6と高かった。
一方で、物事の時間的な順序、因果関係や本質の理解が求められる「絵画配列」で評価点9.0とやや低かった。
②言語性下位検査評価点の比較
a.文法群(N群)について
N群の言語性評価点は左表のように9.8でほぼ聴児平均値である。
下位検査を個別にみると、最も高いのは数唱で12.4。
短期記憶(作動記憶容量)が高いのが特徴。
音韻や文字の記憶がよくできることを示唆している。
次に高いのは知識で11.9。
まわりのものやできごとに関心を持ち、よく知識を吸収していることが伺われる。
反面、やや低いのが理解で8.3。
この項目は、日常的な出来事への対応の仕方や道理、ルールなど様々な経験の中での問題解決能力が問われる。
b.単語・単語連鎖群(L・M群)について
L・M群の平均評価点は、動作性でN群との差がないのに比べ、言語性では平均評価点5.9で、N群とは評価点で約4点もの差がある(手話での回答を認めている「理解」を除く他の5項目でP<0.01の有意差あり)。
項目別にみると以下のような特徴がみられる。
ア
・類似
下位検査の中で最も低く評価点4.3。
N群との差も4.5項目と最も差が大きい。
この項目は、二つのものの共通した性質、特徴、概念を取り出し、かつそれを日本語で表現できる力(例Q「ねことねずみはどこが似ているか?」A「ひげがある」「(両方とも)動物」など)が問われる。
二つのものを比較判断し、共通性を抽出できる概念的な思考が含まれ、一つ一つのものの名前がわかる段階(「ねこ」「ねずみ」)から、それらのものの性質や特徴を抽出して言葉(日本語)で応えたり(「ひげ(がある)」)、より抽象性の高いことば(「動物」「生き物」といった上位概念)を日本語で身につけていることが必要。
このような概念化・構造化ができることは、言語(日本語)の構造を理解する上で極めて重要であり、ばらばらに存在している言葉(単語)をある構造の中でとらえ、記憶にとどめやすくできると考えられる。
また、ものとものとの関係性、ことばとことばの関係性を把握できる力につながる。
この項目の低さは、L・M群が単語を記憶し増やしていけない特徴ともつながっていると考えられ、「言語によって」モノや人や出来事などの「関係性」を理解する上での障害にもつながっているように思われる。
・単語
次に低い項目で評価点5.4。
この問題はことばでことばを説明したり定義づけたりする問題である(Q「ぼうしってどんなもの?」。
A「外に行くときかぶるもの」)。
そのもの(単語)を日本語で知っているだけでなく、ことばを操作して、ことばでことばを説明できる操作力・表現力はまだ十分でないと思われる。
・理解
評価点6.0
生活・遊びの中での多様な経験の有無、そこから培われる問題解決能力の不足である。
経験したことの言語化(コミュニケーション)そのものが不足していることがうかがわれる。
・算数
評価点6.1
「数のイメージ」「数の操作」の不足(例:4つのおはじきを見せ、そのうちの3つを掌中に隠し、1つを見せて隠れたほうのおはじきの数を尋ねても答えることができない)や「数の活動の言語化」(例「1つと2つで合わせていくつ?」など)の不足などがある。
・数唱
評価点6.6
この項目もN群との大きな差(マイナス5.8)がみられる。
短期記憶だけでなく長期記憶も含めた作動記憶容量(ワーキングメモリー)の少なさを示しており、日本語語彙がなかなか身につかない大きな要因となっていると考えられる。
・知識
評価点7.6
知識の少なさはコミュニケーションや言語活動の不足が考えられる。
近所の出来事、テレビのニュースなど様々な話題や経験を通して、関心を拡げ、さまざまな知識を増やしていく必要がある。
(4)WISCにみられる言語的思考力の弱さをどのように克服するか?
WISCの結果からわかることをまとめると、L・M群においては、以下のような言語面での特徴的な弱点がみられるれ、それへの対応が必要と考えられる。
①「おぼえる」力を育てる
「記号」8.6、「数唱」6.6の評価点の低さは、短期記憶の弱さ(作動記憶容量〈*ワーキングメモリー〉の少なさ)であると思われる。
短期記憶の弱さは、音韻の記憶を必要とする日本語の単語が覚えられないということにつながっている。
これがJcossで「単語レベル」「単語連レベル」にとどまっている大きな要因の一つであると考えられる。
したがって、記憶容量を増強する活動が重視される必要がある。
~対応例~
a.会話の中で日本語の音韻を綴る指文字を多用し、繰り返す(視覚的に短期記憶の強化を図る)。
b.様々な方法・手段、知識と関連づける(構造化)→指文字・文字・音声・手話との多角的結合を
図る。(例「手話だったらこうだね。じゃ、指文字では?」「声を出して言ってみよう」。
メモを書いて、見せる。だんだん自分でも書けるようにしていく。
c.トランプやことばのカードで「神経衰弱」をしたり、「フラッシュカード」をしたり、
「スリーヒントゲーム」や「なぞなぞ」をしたりする(視覚的・言語的短期記憶の強化)
d.覚えることが楽しい、という実感がもてるようにする。→褒める。
クイズやゲームのように楽しんでやることが大事。
覚えられるようになれば苦手意識がなくなる。
*ワーキングメモリー;決まった定義はない。
一般的には「短期記憶」のことを指す事が多い。
聴覚障害児のこの問題を考えるとき、記憶の問題もあるが、一時に何かをするときに同時的に並行して行える作業容量という見方をしたほうがよいかもしれない。
例えば、聴者は講師の話を聞きながら、聞いた話をまとめて(つまり短期記憶して)筆記すると同時に講師の話もきくことができる。
これは聴覚のワーキングメモリーが活用できるからで、聴覚の使えない聾者は視覚のワーキングメモリーを使うしかない。
視覚は、確実性は高いが見ようと意識しないものは見えない。
子どもの中には適切な注意の配分ができず、「ちゃんと見なさい」といつも注意される子がいるが、こういう子の中にワーキングメモリーの容量が小さい子がいる。
「見る容量」自体が小さいため、他への注意が振り向けられない。
また、短期記憶も「もの」や「図」の同時的短期記憶と音韻系列をもつ日本語の短期記憶とは異なる。
日本語の短期記憶を伸ばすには、文字ではなく指文字の使用が最も効果的である。
②「かぞえる」(「くらべる」「はかる」)力を育てる
「算数」6.1の評価点の低さは、短期・長期記憶の弱さや数量認識の面での弱さと考えられる。
かずは、人間の生活にはなくてはならないが、抽象概念であり、記号として取り出して言語化しなければなかなか身につかない。
Jcossでの「位置詞」「比較文」の弱さとも関連していると思われる。
~対応例~
a.生活や遊びの中で、数や量を意識させる→(例「3つずつ分けてね」
「1つ食べたらいくつ残るかな?」「あと2つちょうだい」
「6時になったらご飯にしよう」「10数えたらあがるよ」
「どれが一番大きい?」など)
b.数や量、空間・位置などに関するあそびやゲームをする
(「トランプ」「ペントミノ」「パズル」「地図」)
c.50音表を縦・横に読む。月カレンダーを貼る(マトリックス)。
d.年カレンダーを貼る。時計の文字盤を色分けしたり分を書き込む(時間)。
e.せいくらべ、大きさくらべ(系列化、順序づけ)
③「(ことばで)かんがえる」力を育てる
L・M群幼児においては、「絵画配列」8.6、「類似」4.3、「理解」6.0、「算数」6.1の評価点の低さから、ことばで考え、推論したり問題解決したりする力に弱さがあると考えられる。
~対応例~
a.ことばを使って順序立てて考えさせる→(例「最初に~、次に~、そして最後に~」)
b.因果関係や理由を考えさせる→(例「~だから~になった。」「~になったわけは~」)
c.予想したり、仮定して考えさせる→(例「~だから、~になるだろう」「もし~だったら?」
「例えば~」
d.問題解決の方法を考えさせる→(例「うまくいかなかったのはなぜだと思う?」「どうやったら
できるかな?」)。
e.共通点や相違点を考えさせる→(例「牛と馬とはどこが同じ?」「じゃ、牛と人間は?」)
f.その他、絵本を読み聞かせたり、昔話をしたり、4コママンガを作ったり、なぞなぞをしたり、
友達と意見を言い合ったり、子どもに「考えさせる」手立てが必要。
Ⅲ.「9歳の壁(峠)」問題
1.「9歳の壁」を越えるために、必要な力とは?
古くはピアジェによって、小学生の頃は「具体的操作期」(7~12歳)から「形式的操作期」(12歳以降)へ移行する時期とされている。
ピアジェによる「具体的操作期」とは、具体的な外界の物質を利用することで、操作的な精神活動をする時期で、外部の事物の助けを借りずに「頭の中で行なう論理的(数理的)かつ抽象的な思考」はまだ十分に行うことができないとされている。
また、「形式的操作期」とは、自由に概念・知識・イメージを頭の中で操作して創造的活動を行うことが可能になることであり、現実的な事柄の正しさを仮説演繹的に検証することが可能になることであると考えられる。
「9歳の壁」は、必ずしもピアジェの説と一致するわけではないが、聾教育の中では「具体から抽象へ移行していく時期」とされ、「認識的には、計画性と見通しをもった行動が可能になり、AとBとの類似点や共通点が考えられるようになる。教科面では話し言葉から書きことばに移行する、かけ算やわり算を使う思考が可能になる。・・」(脇中2009)と考えられている。
また、聾教育においては「9歳の壁」に先だって、「生活言語」から「学習言語」への移行の準備期として「5歳の坂」があることを斎藤佐和(1986)が指摘しており、その時期の言語活動の大切さを指摘している(後述)。
以下、小学部児童に行った「9歳の壁」問題の3つの問題の成否とJcoss、WISC等の検査結果から、「9歳の壁」を越えるために必要と思われることを述べる。
(1)語彙力・文法力を育てる~日本語で
とくに、動詞の活用、助詞・助動詞、接続詞を理解し、重文・複文も文法通りに読みとれる力。
具体的なもののイメージに左右されず、文をことばの説明だけで正しく読みとる力が必要である。
Jcossにおいて、単文であっても「比較文」「位置詞」「受動文」は聴覚障害児にとっては、読みとりの難しい文だということである(ⅡJcoss第2章小学部参照)。
「~より(は)~は(より)大きい」「~は~の中にある」という空間関係や比較判断が必要な文では、助詞が理解できていても抽象図形であるとそれだけで困難さが増す(例「ぞうはアリより大きい」は具体物をイメージして理解できるが、「AはBより大きい」は、助詞だけを手がかりに理解しなければならない。「鉛筆は筆箱の中にある」と「AはBの中にある」も同様である。具体物や文脈の助けがなくても、文を理解できる語彙力・文法力が抽象的な語や文を理解できるために必要である。
(2)論理的に思考できる力を育てる~手話も日本語も
助詞等の文法知識があっても、論理的な思考ができなければ解けない問題もある。問3はその例である。抽象的でイメージしにくい「町」という概念を、文法的に正しく読みとって比較判断し、さらに4つの概念間の系列化・順序づけができる論理的な思考力が必要になる。ことばをことばで説明できる言語力と同時に、こうした分析・総合、因果関係といった論理的・抽象的な思考ができる力が必要である。その力の基礎は幼児期の遊びの中で育つ。また、そこには必ずことばでのやりとりがある。異なる意見への対応は思考力を育てる。親も丁寧なコミュニケーションや日本語の言い回し(精密コード)が必要である。
(3)いわゆる「5歳の坂」について~「9歳の壁」を越える前提となる力とは?
斎藤佐和(1986)は以下のように述べている。
「・・・下記に列挙したような言語活動(注;下表左欄)を豊富にかつ円滑に展開させることが、教科指導の前提条件になるのではなかろうか。・・・『9歳の峠』に比喩を借りて言えば、9歳の峠は知識体型の受容、蓄積、活用、発展という本格的登山の過程における第一の峠であるが、この言語活動は、まだそこまでいかないウォーミングアップ中の5歳のだらだら坂のようなものである。」
ここでは、幼児期前半における生活言語の獲得期の言語活動と後半期の生活言語レベルアップの時期の言語活動について斎藤を参考に左欄に記述し、必要と思われる大人の配慮事項について右欄にまとめた。
「5歳の坂」に関連するのは、表の「生活言語のレベルアップの時期」の活動である。聾学校幼稚部では、このような活動を日常的に行っているが、家庭においても右欄のような配慮を心掛ける必要がある。ただ、誤解のないように付け加えるなら、「だらだら坂」は5歳になってからいきなり始まるわけではない。2歳を過ぎると「だらだら坂」にさしかかり始める。きこえない子は、2,3,4,5歳と長く続く「坂」を登っていかなければならない。
(4)一つの課題~「9歳の壁」と内面の育ち
「9歳の壁」については、もう一つ、自己中心性から抜け出て、自分自身を内省したり、他人の思いを想像したり出来る内面的な成長としての「9歳の壁」の問題もある。
聴覚障害児と関わってきて思うことのひとつに、ものとものとの関係性をとらえることの弱さと同時に、人と人の関係を考える上での弱さである。
例えば、チームで仕事をしていても5時になったからとさっさと帰っていく聴覚障害者のことが問題にされたりするが、社会生活を営んでいく上で、人間関係とコミュニケーションの問題は避けて通れない。
コミュニケーション手段の問題、人と関わる意欲や気持の問題、自己中心性を抜けきれないパーソナリティ、礼儀や常識を含めた人との接し方・・・自分自身の感情や行動を客観的にみつめられ力、これも「9歳の壁」と関わる問題ではないかと思われる。
Ⅳ.まとめ
Jcoss、WISC,「9歳の壁」問題の3つのテストの分析から、とりあえずわかってきたことをまとめておきたい。
①Jcossにおける児童全体の平均通過項目数は、小高・小低とも19年度より継続的に向上している。
とくに、小低における「単語レベル」「単語連鎖レベル」「文法レベル・可逆文」などの最初の7問題は90%の通過率になるまで向上した。
これはこうした課題を考慮した幼稚部段階からの意識的な取り組みに拠るところが大きい。
②Jcossにおいて、幼稚部修了時に「文法段階」(7項目以上通過)に達していれば、その後の読みの力は比較的順調に進む。
その意味で、このレベルが幼稚部修了時の日本語習得の一つの到達目標ラインと考える。
③しかし、「単語レベル」「単語連鎖レベル」にとどまる幼児も多い。
これらの幼児の多くは語彙不足ではあるが、WISC動作性検査はノーマルで、言語性にのみ課題をもっている幼児である。
したがって、「ものの認知・操作」ではなく、「言語の認知・操作」に課題がある点を重視し、そこに問題解決の糸口をさぐる必要がある。
④WISC言語性とは、ひと言で言えば「身につけたことば(とくに日本語)を操れる力」である。
具体的にはa.「ことばとことばの関係をとらえ、操作できる(同義語・反意語・上-下位概念・言葉遊び)」b.「ことばをことばで説明できる」c.「日常生活の中での問題解決能力」d.「数の操作・イメージ゙・言語化」e.「短期・長期記憶」(ワーキングメモリー)f.「一般的知識・情報」などである。
これらの課題から具体目標を設定し、幼児期にふさわしい言語活動やあそび、日常会話の中で伸ばしていくことが必要である。
⑤このような活動や関わり方は、学校だけでなく家庭でも意識的に取り組むことが必要である。
その意味で家庭の教育力(家庭内の人間関係・コミュニケーション、生活リズム・躾、丁寧な会話、あそび・絵本等)が関わるので、保護者への支援も同時に必要になる。
⑥「単語レベル」「単語連鎖レベル」の子は、日本語の単語そのものが覚えられないという作動記憶容量の少なさという問題があり、まずその課題を解決することが重要になる。
この課題が解決できないが故に「ことばが覚えられず」、語彙不足によって文法段階になかなか到達できない大きな要因と考えられるからである。
⑦「9歳の壁」問題が全問正解した児童や学年対応問題で正解している児童のほとんどは、幼稚部修了時にJcoss「文法レベル」、WISC動作性・言語性共ノーマルであり、その後の助詞テストやNRT国語・算数学力検査で比較的よい成績をとっている。
この点からも、「9歳の壁」を乗り越え、「学習言語」を習得していくための前提条件として、①や③に述べたことを、幼児期に取り組んでいくことが重要と考える。
⑧幼児期に順調に伸びていても小学校高学年あたりの本格的な学習言語習得・学力形成の時期になってくると、その伸びがだんだんと鈍ってくる児童がみられる。
しかし学校や家庭で全てのことを意図的に指導することは事実上不可能である。
あらゆることに関心を持ち、自分で追求し情報を求めていく力を幼児期から育てておくことも成人後の問題と照らし合わせてみても非常に重要である(自分で「見て」「読んで」「調べて」学び取っていく自己学習能力・情報収集力)。
おわりに~今後に向けて
長い歴史を持つ聴覚障害教育が未だに解決できていない課題は、知的に障害がないにも関わらず言語的な思考力と書記日本語の力が十分につかない子どもたちに、いかに社会に出るまでにそうした力をつけて卒業させるかということである。
その最初の山は、乳児期・幼児期にあり、そこで培われた力の上に、小学校での学力が培われる。
今回明らかになってきたことは、最初の山(幼児期)での躓きは、その後においてはなかなか取り戻すことができないという現実である。
その躓きの実態をさらに明らかにし、全ての子が深く考える力と読み書きの力をつけられるように、最大の努力を私たちは求められているのである。
参考文献
岸本裕史,「見える学力、見えない学力」,大月書店,1981
滝沢武久,「子どもの思考力」,岩波書店,1984
岡本夏木,「ことばと発達」,岩波書店,1985
斎藤佐和,「聴覚障害児童の言語活動」,聾教育研究会,1986
脇中起余子,「聴覚障害教育これまでとこれから」,北大路書房,2009
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(参考) 保護者説明資料 「就学までにこんなことを」
*上表・疑問詞(「いつ」「どこ」「だれ」「なに」「なぜ」など)は、苦手な聴覚障害児が多い。
「だれ」はわかるが、「いつ?」に対して「○月○日」とワンパターンに答える子がいるが、「さっき」「こんど」なども「いつ」である。
同様に「どこ?」もわかりにくい。
時間的概念・空間概念とことばを結びつけて整理する必要がある。
幼稚部段階から品詞カードを用いたりことばを色枠で囲むなどの分類表示などの工夫も必要であろう。
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(参考) 保護者説明資料
J.coss日本語理解テストについて
1.Jcossでわかること
このテストは、絵をみて、その絵に合う日本語の単語や文を選ぶ検査で、日本語の語彙や文が正しく理解できているかどうかを調べることができます。
また、日本語ではわからない場合でも、手話でなら、どのくらい理解できるかもみることができます。
2.検査の構成について
(1)語彙チェック
これは検査の中の一例ですが、左の「食べ物」「男の人」・・・という単語を、自分で読める子には読ませて、読めない子には指文字と音声で提示して、それに合う絵を指さしさせます。
日本語の名詞27語、動詞8語、形容詞7語合計40語の理解度を調べます。
一般的に、名詞は目に見えるものが多いので子どもは早くに覚えます。
また、色の名前なども小さいころから親しんでいるので身につきやすいですが、動詞は動作や行動を表すことばなので、手話では毎日使っていても、日本語としては身に付きにくいものです。
しかし、動詞は、文を読んだり書いたりするときには最も重要な品詞で、語尾が複雑に変化(活用)するので、意識的に日本語として習得することが大切です。
(2)本検査
これは、20の文法項目について調べる検査ですが、幼稚部では検査前半の10項目(下図)についてだけ行います。
1項目中に問題は4問ありますが、4問すべてできたとき、その項目は「通過」とみなします。
例えば、下のような文を読んで(一緒に読んで)、合う絵を指させます。
この問題文中の「牛」「女の人」だけわかっても、「牛」と「女の人」の絵は3つありますから正解はわかりません。
さらに動詞の「押している」がわかっても、「牛」「女の人」「押している」に関連する絵は2つありますからどちらが正解はわかりません。
この問題では、「~は~を」という2つの助詞がわかって、はじめて、右下の絵が正解であることがわかります。
この検査では、日本語の文法をどの程度理解できているかを調べることができます。
通常、日本語の発達は、単語の習得(一語文・単語レベル・右図ピンクの3項目)→単語の並びでイメージを描き、文を理解する段階(二~三語文・語連鎖レベル・右図黄色3項目)→助詞や動詞の活用など文法を理解してそれを手掛かりに文を理解する段階(文法レベル・右図緑色4項目)に進んでいきます。
獲得した手話を日本語にも結び付けること、文を読んで手話で表現できること、日本語の語彙を増やすことなどに積極的に取り組んでいきましょう。