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見えないもの・こと・こころを想像できる力を育てたい

ホームページの「見て理解する世界」から「ことばとイメージで理解する世界へ」(4.16)などを読んだ、ある聾学校幼稚部の先生から次のようなメールをいただきました。以下に引用します。

 K式発達検査の中の重さ比べが苦手な子どもが多いなぁと感じています。「先生は重いからおんぶできない」という言い方はよくしていますが、見た目が同じ普通のサイコロの重さを比べて、重い方を先生に渡す、という課題につまずきが多いのは、視覚情報では解決できないからですよね。「大きいー小さい」「長いー短い」「明るいー暗い」と、見てわかる比較は得意だけど「重いー軽い」が相対的に評価できるようになるまでにはたくさん経験が必要なんだなあと思います。さつまいもの重さ比べとか、感覚だけでなく、ちゃんと測りで重さを調べて数字で確かめるとか必要なんだなあと感じています。

 

 確かに、難聴児は「見えていないこと」を想像・イメージすることが苦手な面があります。今日はこのことについて考えてみたいと思います。

以前にも書きましたが(HPTOP>乳幼児期・学童期>豊かなイメージを持った言葉の獲得を!4.7記事 参照)、複数のものを同時に考えられるようになるのはだいたい2歳ご

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ろからです。それまでの1歳の頃は「ひとつ」の世界が中心。あそびもリンゴやバナナの玩具をただ口に入れる真似をするだけでした。言語も1語文の世界です。しかし2歳くらいになると包丁でりんごを切って食べる真似をするなど、二つのモノを関係づけてあそべるようになってきます。「じゅんばん」ということもわかってきます。この頃、言語も「2語文」の世界に入っていきます。数量の概念も「2」がわかるようになります。「象みたいに大きい」といった比喩の表現も少しずつできるようにもなります。比喩も二つのもの比べるからこそ出来る表現なので、

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複数のものの関係性がわかるようになってきたことを示しています。2歳児のキーワードは「複数・関係性」だと言ってもよいと思います。 

関係性がわかるようになるこの頃に、比較の概念も発達してきます。もちろん早期から手話を使うことによる言語発達の結果なのですが、右の難聴児の保護者の記録は、その頃に「長いー短い」などの概念が獲得されていく過程がよくわかります。発達には個人差がありますが、「大きいー小さい」「長いー短い」「よいーわるい」などがわかるようになるのはだいたい2歳以降です(発達には個人差がありますが)。この頃に、実物

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を体験しながら「大きいね」「小さいね」などの言葉を使ったり、二つのものを見せながら「どっちにする?」などとくらべながら、比較の概念も育てていきます。この時、絶対的に大きいもの・小さいもの、例えばゾウとウサギでは実際に見て絶対的に大きさが違うのでわかりやすいですが(具体的対概念)、抽象的な図形である大小二つの〇を見せてどっちが大きいというのはやや難しい。それでも3歳頃にはこうした抽象的対概念もわかるようになってきます(「太田ステー

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ジ・Ⅲ―2」の○の大きさの比較)。ただ、「重いー軽い」は見た目ではわからず実際に持ってみなければわかりませんから、「重い―軽い」の概念がわかるようになるのは発達的にやや遅く一般的には3歳半から4歳頃です。いずれにせよ、比較の概念を育てることは、もの・ことの関係を考える力を育てるということです。そのためには実物に触れることはもちろんですが、頭の中にもの・ことの概念がいっぱい貯められるよう象徴あそびやごっこ遊びなどの中で豊かなイメージを築けることも大事です。この力は、「今、ここにないもの」「見えないもの」について頭の中に思い浮かべる力を育てるからです。この、頭の中にイメージを浮かべられる力は、文字や数字、記号といったシンボルを動かす力にもつながりますし、他人の立場で物事を考える「他者視点」を育てる力にもつながります。3歳頃に「なりきり遊び」などを沢山やった子どもは、まさにこの「他者視点」を学んでいることになります。他人の立場に立った振る舞いや考え方の練習をしているわけですね。このような他者視点の力が育ってくるのは4歳頃からで、幼児期に特徴的な「自己中心性」からだんだん抜け出ていく過程でもあるので「脱中心化」などとも呼ばれています。別の言い方をすると、もう一人の自分が自分のことを外側から見つめる力の育ち。これを「自己対象化」とも言います。

 自分を外側から見ることができるということは、自分を自分で言い聞かせることができるようになったということですから、我慢できる力=自制心の育ちにも繋がりますし、ものごとを「自分」だけの見方ではなく、「自分」から離れた別の見方があることに気づけるようになったということでもあるわけです。

 

「他者視点・脱中心化・自己対象化」~見えないものをイメージする力

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さて、難聴児は、「見えないもの・こと」について考えることが苦手と書きましたが、確かに、難聴児は、他者の心を想像する「心の理論」課題の発達が遅れる傾向にあることはよく知られています。右のグラフは、「心の理論~いわゆるアンとサリーの課題」で、自分の知っていることと区別して、他者が心の中で考えていることを想像できるかどうかを調べた数値です。黄色い棒グラフが、全国的な調査研究で行われた難聴児の結果です。他者の心の中を想像できる子どもが半数を超え

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るのは小学校3年と遅いことがわかります。また、赤い棒グラフは聴児の結果で、聴児が半数を超えるのは年長ですから、聴児と難聴児では3年間の差があることもわかります。この図の下の青い棒グラフは、私がやった、3つの聾学校に通う子どもの結果ですがやはり聴児よりは低い結果でした。見えない他者の心の中を想像することは、やはり難聴児にはなかなか難しいようです。他者の心を想像できないということがそのままずっと続いていくと、将来、人間関係の持ち方にも影響する可能性があります。先日、ある会社の人事担当の方から難聴者についての次のような内容のメールをいただきました。

 

「オブラートに包んだ言葉がなく、表現がストレートで言葉がきつく感じることがあります。言葉の温度感がない分、愛想がなく冷たい感じがすることも多いです。また、敬語や装飾語がないため、仕事をしていく上で相手に失礼にならないように、健常者が受け取る感覚をお伝えする時もあります。」


 状況にあった語彙の使い方や豊かさとか敬語といった日本語の文章力の問題もあると思いますが、「こう書いたらメールの相手はどう受けとめるのだろう?」といったメールを読む相手の心・気持ちへの想像力の弱さ、つまり見えないもの(=相手の心のうち)を想像する力の弱さもあるのかもしれません。そういえば難聴中学・高校生たちのメールでのトラブルは非常に多いです。書記言語は全ての情報を正しく言語化しないと相手に伝わらないのにその表現がつたないこと、それに加えて自分の言いたいことだけを言って、「こういうふうに言うと相手はどう思うのだろうか?」という思考がなかなかできないことから、誤解を生じトラブルになる。SNSはある意味便利ですが、必要なことを打ち合わせる程度にとどめておかないと、人間関係にまで影響するリスクが常にあるということです(これは私たち聴者にもよくあることですね。人間関係に関わる内容のメールでのやりとりはNG。そういう話は対面で直接やりとりすることですね。表情、身振り、仕草、語調など含めた非言語情報をアルタイムに使って伝えることができるのはやはり直接対話です)

 話を元に戻して、先日、「見えないものの大きさを比べる課題の躓きが多い」ということをこのHPにも書きましたが、今回、聾学校幼稚部の先生からメールをいただき、「見えないものを想像するする」力を育てることは、幼少の頃より私たち大人が、意識的・意図的に育てていく必要があるのだなと改めて強く感じました。そのことがいろいろなもの・ことの関係性の理解や人の心への想像力を育てることにつながるということ。

・・とここまで書いて、「じゃあ、きこえないもの・ことを想像する」って、難聴児にはもっと難しいことだなと思い、難聴幼児たちが語ったことばを思い出しました。

「先生、タクシーの運転手さんは、どのタクシーの運転手さんもみんなぼくの家を知っているんだよ」(母親が運転手に行先を告げていることをこの子は聞き取れていなかった。難聴児は「ききかじる」ことが難しいという現実)、

「先生、近所の友達は、公園で遊んでいてもみんな同じ時にパッと帰っていくんだよ。不思議なんだ~」(5時に流す役所の「夕焼け小焼け」のミュージックサイレンの音が聞き取れていなかった。きこえる子たちは5時の「夕焼け小焼け」が聞こえたら家に帰るという約束を皆知っていた)ということば。

 

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見えないものが想像できず、きこえないものが想像できなかったら、みんな誰でも知っているはずという暗黙の前提で成り立っている社会の中で、難聴児・者の振る舞いや発言が「相手への配慮や思いやりが足りない」とか「自己中心的だ」とか「常識がない」とか「こちらを無視している」とか、いろいろな問題が起こって、結局本人の人格や性格の問題、言語力や思考力のなさの問題にされてしまうのではないかと思います。「見えないことを想像する力」を育てることと同時に、「きこえないこと」(これはどこまでいっても本人には

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わからないことなので)についてもできるだけ言語化することて知識化を図ったり、さらには家庭の中では皆で手話を使って、見える会話をすることや、情報を共有するために難聴児本人に「ねえねえ、あのね」と、注意を喚起してから話すなどの情報の保障が大事なんだと改めて思いました。右の図は、難聴児が置かれた家庭や教室の中での現実ですが、他者の心が想像できないのは、音声情報中心の環境では、周りの人が何を話し、何を考えているのかもわからない。結果的に「自分にはわからなくても仕方がない」となったり、「自分はわか

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らないのがふつう。必要なことは言ってくれるから」というふうになり、やがては「相手がどう思っているのかも考えることもしなくなる」のかもしれません。関係性の理解の障害は、こうして起きてくるのではないかと考えると、幼いころから、もの・こと・ひととの関係性を考える機会をたくさん難聴児がもてるように配慮・支援していきたいものだと思います。

 

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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