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読み書きの日本語は自然には身につかない~要素法と自然法

ある方から質問をいただきました。

 「きこえない子も日本語は自然に会話する中で身につくものだと思います。なぜ、わざわざ文法を取り出して、子どもに指導をしなければならないのでしょうか?」 

 

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とても大事な質問なので今日はこの問題について考えてみたいと思います。

まず、これまで(そして今も)日本の聾教育がとってきた「自然法」(きこえる子が日常会話の中で自然に日本語を獲得していくのと同じように、きこえない子も日常会話の中で"自然に"日本語を身に付けることをめざす方法)が果たしてどこまで有効であったのかということから考えてみたいと思います。 

 

1.要素法(構成法)から自然法へ 

 きこえる子は自然に音声日本語を聞き取り、話し、そして日々のやりとりの中で日本語の音韻・語彙・文法を身につけます。そしてさらに、言葉には本来の言葉の意味を越えて、別の意味があるといったこと(例・慣用句・諺・冗談・場の空気を読む等々)までも身につけ、日本語を高度に「運用」できるようになります。とりわけ、助詞とか、何十種類もの変化をする動詞の活用といった文法は、日常会話の中で、特別に誰かに教えられるわけでもなくまさに"自然に"身につけ、無意識のうちに日本語を使いこなせるようになります。もし「この時は『で』を使うのかな、いや『に』だったかな?」などといちいち用法を意識しないといけないようでは、とても毎日の生活やコミュニケーション(以下コミ)をスムーズに営めないでしょう。

 このように私たち聴者が日本語を日常のコミの中で身につけていくのであれば、同じようにきこえない子も日本語の語彙や文法を日常のコミの中で身につけられるのではないかという発想で、補聴器の進歩→聴覚学習の進化と共に始まったのが聴覚口話での「自然法」といわれる方法です。この方法はそれまでの口話法教育の主流であった「要素法(日本語を語彙・文法・発音・聴能・読話といった要素に分解しその要素を学ぶことで日本語の言語体系を習得させるというボトムアップの方法)」が効果を上げてこなかったことの反省に立ち、普通の生活の中でのやりとり・コミを通してトップダウンで、日本語を聞き取り、日本語を話すことを身につけさせようという、実践的でまさに自然な方法であったと言えます。

しかし、家庭での両親の話だけでなく、居酒屋での飲み会でも誰かの噂話を「聞き耳を立て」て「聞きかじる」ことのできる聴者のきこえとは根本的な違いがあることを、あまりに軽視しすぎていたのではないかと思います。自然というのは私たち聴者にとっては自然であっても、どんなに補聴器や人工内耳をしても結局は曖昧にしか音が入って来ないきこえない・きこえにくい子どもたちのきこえは、常に何十パーセントかは推測に頼らざるを得ない曖昧なコミ方法で、それはとても子どもにとって「自然」とは言えない方法であったと思います。そのために、「話しているのに書かせてみるとわかっていない」といった

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問題が日常的に起こってくるわけです。

こうした聴覚口話による自然法は、どこまでいってもきこえない・きこえにくい子どもたちには100%わかるというコミにはなりえず、その結果として、日常会話程度のコミは聴者と口話でできても、読み書きの力は未だに『9歳の壁』を越えられないという現実を何十年にもわたって私たちは突きつけられてきたわけです。右のグラフは、澤隆史(2016)による聾児のリーディングテストの結果を示したものです。およそ10年ごとの聾学校児童の読書年齢が諸文献から拾っていますが、澤は「この40年間の聾学校児童の書記日本語能力はほとんど変わっていない」と指摘しています。


2.自然法は、特定の子どもにしか成立しない

 この問題は、実はすでに20年前に当時の「聴覚口話法=自然法」の総本家、筑波大附属聾学校の馬場顕教頭によってその限界が指摘されていました。馬場は「聴覚口話法の一番の大きな弱点は、すべての聾児がこの方法で成功した訳ではないと言うことである」(「聴覚口話法」,『聴覚障害』,2001vol.5617頁)と述べ、続けて成功するための条件として、「①子どもの聴力損失が軽いこと、②子どもの能力が優れていること、③親の教育力、④親の経済力、⑤教師の資質」を挙げています。この条件が満たせる家庭と子どもが、当時も今もいったいどれだけいるのでしょう? ①の条件はその後人工内耳の普及によって110dBを越える子どもでもクリアできるようになりましたが、②から⑤までの条件を満たせる家庭の子どもはそう多くはいないでしょう。結局、聴覚口話による自然法とは、知的にも経済的にも恵まれた家庭の子どもに限定された方法だったということになります(それを補完するキュード法や(音声対応)指文字法が全国の聾学校で考案されてきましたが、それとて結果として『9歳の壁』が越えられるようになったという話は未だききません)。

 

2.人工内耳の登場で「自然法」は再び表舞台へ

では、人工内耳が登場して、聴力の問題がクリアされた現在、重度難聴児たちも軽中度難聴児たちと同じように日本語の獲得ができるようになったのでしょうか? 確かに、軽中度難聴児・CI児含めて平均的には、生活言語レベルでの音声言語が身につくようになったと言ってよいだろうと思います。「きこえてぺらぺらしゃべれる子」は確かに増えました。といって、ではしゃべっている子はどの子も読み書きの力をもっているのかと言えばそうではありません。「きこえ」が改善され、日々の会話の積み重ねの中で日常会話レベルの日本語は獲得できるようになった。ここまでは「聴覚活用」と「自然法」で出来るようになったと言ってあながち間違いではないだろうと思います(但し、人工内耳を両耳に装用しても、②~④の問題によって「生活言語」レベルの音声日本語が獲得できない子どもも現実にはいます)。しかしそこまでは到達できたといっても、さらに、問題はそのあとにあります。「生活言語」レベルの音声日本語の獲得が、必ずしも「学習言語」レベルの書記日本語の獲得につながらないという問題です。それはなぜでしょうか?

 

3.生活言語から学習言語への問題は残っている

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ここで生活言語と学習言語という日本語獲得における最も重要な問題について考えてみたいと思います。まず「生活言語」ですが、これは日常会話(対面コミ)で使用されるコミのための言語(いわゆる話し言葉)で、多くは「今、ここ」という場で直接向き合って伝え合うために、文法的な誤りが多少あってもモノ、動作、視線、表情などの非言語情報で文脈を補うために十分通じ合うことができます。とくに日本語は単語だけで会話が成り立ち、主語や助詞が省略される「開放文法の言語」であるために(英語は省略のできない閉鎖文法)、生活言語は比較的容易に身につ

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くが、しかし単語だけで通じ合えるがためにそのことが逆に書記言語へのステップアップを難しくしている面を否定できません。ところがそこは非常に見えにくい。ペラペラしゃべっているがゆえに私たち聴者はごまかされてしまうのです。

一方で、話題や文脈を共有していない第三者に何かを伝えるときに使用される書記言語(日記・作文・レポート・教科書の文章など)は、正確な語彙・文法的知識(主述、修飾・被修飾関係、助詞、動詞、接続詞等)が不可欠で、相手に伝えるためにはどのように表せばよいかといったことまで含めて、全てことばによって非言語情報を補う作業が必要になります。これが「学習言語」としての書記言語の特徴です。また、私たちは「今、ここ」にないことを文字や数字、記号等を使って表し操作すること(象徴機能)で抽象的な思考を進めていきます。これが「学習言語」です。こうした言語の本質的な違いを理解していないと「話せれば書けるはず」→「自然なコミ(=自然法)で話し言葉を身につければ書きことばも身につくはず」というとんでもない誤解が生じることになります。


2.再び、要素法(構成法)の見直しへ

 自然法だけで確かな日本語は身に付かないことを私たちはしっかりと知っておく必要があります。早い話が子どもたちは毎日、教科書を通して日本語の文を読み、何百回となく文の中で同じ助詞を見ているはずです。声にも出して読んでもいるはずです。それなのになぜ、助詞が使えないのか?ということです。過去の私もそうでしたが聾学校の教師は国語や自立活動の授業をいったい何時間やってきたのでしょうか? 1年生だけでも週10時間として年間350時間。それを小学部から中学部、高等部と12年間積み重ねてきています。これほど膨大な時間を使ってなぜ助詞が身につかない子どもがいるのでしょうか? 助詞や動詞の活用がわからなければ決して教科書を自分では読むことはできません。教科書が自分で読めなければ学力をつけるなど夢の話です。ではどうやってここをクリアさせればよいでしょうか? その指導を私たちはどこまで真剣に考えてきたでしょうか? 私がそう気づいたのは10数年前でした。

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 きこえない子はやはり「目の子」です。見て考えることで理解が進む子どもたちです。また、手話という見てわかる言語を使って育ってきた子どもたちです。そうした観点からも「目で見てわかる日本語」をめざすことが大切ではないか? そう考えて教材を考え、実際に授業の中で実践し、その結果を確かめてきました。右のグラフは、ある聾学校で文法指導を始めた時の小2児童6名がその後、Jcossがどう伸びていったかを示したものです。文法指導開始期の小2の時、聾学校の平均的なJcoss通過項目数と変わりませんでした(聾学校小2平均7.8項目、B校小2年6名平均7.2項目)。しかし週1時間の文法指導を4年間継続した結果、Jcossの通過項目数は徐々

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に伸び、最終的には聴児平均にまで追いつきました(右の図は当時、開発した「助詞手話記号」と「動詞活用の指導」)。文法力がついた結果としてこの子たちは教科書を自分で読んでわかるようになった。そしてその結果として学力が伸び、最終的にこの6名は全員大学に入学しました。もちろん、文法指導だけでそうなったのではありません。馬場の言う「教師の資質」すなわち指導力のある先生方に担任していただいたことも大きかったのかもしれません。しかし、それを考慮に入れたとしても、やはり教科書が読める力をつけるために文法指導は、必要だったと思います。

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 その後、この子どもたちの一人が大学に入った年、たまたまその大学で講師をしていた私はその学生にきいてみました。「小学部の頃、文法の指導をしていたこと覚えてる?」子どもの返答は意外なものでした。「ああ、文法やってたなあってことは覚えていますが、どんなことをやったのか内容は忘れました。」それを聞いてこういうことなのかなと考えました。例えば助詞の用法について学習しているときは、「こういう時はこの助詞を使うんだ」と意識しながら使っている。しかしいったん身についてしまえばもういちいち考えないで自動的に使えるようになる。だから学んだこと自体は忘れてしまっている。それはそれでかまわないわけです。

 

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日記指導の中で子どもが助詞を間違えた時、私たちは赤ペンで訂正し書き直させます。習うより慣れろ。繰り返せば自然に学ぶはずと思ってきた。これが自然法の原理です。しかしこれが通用するのは80%以上助詞が理解できている子どもです。「が」も「を」もわかっていない子には通用しません。意味がわかっていないのですから何度も同じ間違いを繰り返します。苦手感ばかりが増していき勉強嫌いになります。こうした子どもには、助詞がどのようなときにどう使われるかという原理を"わかるように"教える必要があるのです。これが自然獲得した言語=手話を使って可

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視化した助詞の指導法です。まさに要素法です。そのあとに例文作りとドリルという習熟のための繰り返しの学習が必要です。そこまではどうしても必要な過程なのです。

 

のような要素法的な指導の継続によって文法力は確実に向上します。その結果を示したのが右のグラフです。J.cossの項目ごとの平均通過率は、4年ごとにみてみると確かに年を経るごとに向上しています。また、文法力の

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向上は読みの力の向上につながります。その結果を示したのがその下のグラフです。乳幼児相談からスタートした子たちは幼稚部を経て小学部に入り、さらに中・高の聾学校へと進みます。そして大学生や社会人となっていきます。しっかりとした日本語力を身につけた結果として、基礎的な文法の用法はもう空気を吸うように自然なことになっていて、学習したことすら覚えていない、それでいいのだと思います。そのためには一度、「要素法」による指導が必要な子どもたちがいるの

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です。そしてそれをしないで「自然法」だけにこだわっているといつまでも日本語力がつかないままになる危険性が高いのです。そのことをぜひ知っていただきたいと思います。

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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