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03-1生活言語と学習言語

〇聴覚障害教育の現状から

聴覚障害教育の中でしばしば「生活言語」とか「学習言語」ということばが使われ、生活言語から学習言語へのレベルアップが必要だが、なかなかそのレベルアップが難しいということがよく言われます。そこで、ここでは、そのレベルアップに何が必要か、どんなことに取り組めばよいのかについて考えてみたいと思います。

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ただ、生活言語、学習言語といってもその定義となると共通の見解があるわけではありません。そこで、「生活言語」とは日常コミュニケーションに使う言語、「学習言語」とは教科学習等に使う抽象語彙や論理的な思考に必要な言語と一応考えておきます。図を見ていただければわかりますが、約半世紀の間、聴覚障害児は、生活言語から学習言語へのレベルアップが容易ではなく、この図に示されているように、「読み」の力も小学校4年生レベルで止まっていると言われてきました。これがいわゆる『9歳の壁』といわれる、生活言語レベルから学習言語レベルへの移行が困難という現象です。

しかし、この現象が起こるのには当然その前の段階で課題が解決されていないという問題があり、その課題がなかなかクリアできないから、急に抽象的な学習が要求されるようになる小学校4年生あたりで躓きが生じるということになります。それを斎藤佐和は『5歳の(だらだら)坂』と表現しました。つまり生活言語から学習言語に移行するためには、幼児期の年長あたりでなんらかの力をつけなければならない、しかし、その力がなかなかつかないということを言っているわけです。ただ、齋藤がそれを言ったのは1980年代頃のことであり、その時代は聴覚口話法全盛の時代であったのも確かです。当時は幼児が手話を使うということは一般的には考えられていませんでした。つまり聴覚障害のある幼児には音声言語を使うということが前提であり、思考力云々の前にまず音声日本語自体がきちんと100%わかる状態で子どもに入力されず、子どもは幼い頃より、ジクソーパズルに例えれば常にどこかのピースが欠けた状態で会話しているということになります。ですからいつも何パーセントかは「推測」に頼らざるを得ない会話を幼児は強いられており、そのため、伝わらないことが頻繁に生じているということです。生活言語とはまずコミュニケーションのためのことばですから、互いに日常生活の中で伝えたいことが成立しないのでは話になりません。このような不完全な言語では、結果的に生活言語の習得にすら時間がかかり、学習言語までとても辿り着けないということが生じても不思議ではありません。

しかし、手話を使う時代になってこの状況は次第に変わってきました。日常生活の中で

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互いに伝えあいたいことが伝わらないということはなくなりました。また、新生児聴覚スクリーニング等により早期に聴覚障害が発見されるのに伴い、発達早期から手話という言語を使い、1歳頃には初語を獲得し、わかるコミュニケーションを積み重ねることで、口話法の時代には成り立たなかったような深いレベルの会話が出来る子どもがふつうに存在するようにもなりました。例えば、右のファイルに示した事例の子どもは、手話と日本語を獲得しその二つの言語の違いも理解し、メタ言語の意識が持てています。また下のファイルの事例の子どもは、「どうして(な

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ぜ)?」という原因・理由を問われて理解して応えています。この「どうして?」ということばは、口話法の時代では5歳の課題と言われていましたから、かつてはそれほどに言語も思考も発達が遅かったということです。もちろん、最近は補聴器も進歩し、人工内耳を装用する子どもも増えました。そのことで音声からの日本語入力は改善しました。しかしそれと比例するように乳幼児期からインテグレーションする子どもも増えました。結果的に生活言語レベルの会話ができるようになる子どもは増えた反面、学習言語の習得に欠かせない思考力のアップが停滞している子どもも増えたという印象があります。聴力の改善だけでは解決できない大人との丁寧な会話を必要とする思考力のアップには、なお困難な課題を抱えているのです。

ただ、その一方で手話という100%わかる言語を駆使して、大人との丁寧な会話を積み重ねて、象徴機能をレベルアップして、結果的に『9歳の壁』を越えていく子どももだんだんと出てくるようになりました。手話を発達の早期から使うことで聴児と同等の会話や思考が営まれるようになり、その生活言語獲得を前提にして、その上にどう学習言語につなげる思考力を身に付けるかということが問題の中心になったわけです。こうした子どもたちにとっては、生活言語から学習言語へのレベルアップのために具体的に必要なことは何かを課題にすることができます。では、それは何か、というとですが、私は、象徴機能のレベルアップこそ最も重要と考えています。では、象徴機能のレベルアップってどういうことでしょうか?

 

〇生活言語の特徴

生活言語とは一言で言うと「今、ここ」での会話です。「今、ここ」という場で具体的にきこえない子どもと話す場面を想像してみてください。そこではことばだけでなく、会話の内容に関わるいろいろな情報が存在します。例えば実物が目の前にあることは会話を容易にします。伝えるときには、ことばだけでなくその人の表情、仕草、目線なども大き

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な手掛かりとなっています。つまり、リアルな会話では言語以外の情報がふんだんにあるので、言葉の使い方が多少間違っても、また、わからないことは相手がきいてくれます。互いの共同作業によって単語だけでも伝えあうことができる、これが生活言語の特徴です。また、幼児期という年齢では、まだ自分のこと、自分の経験したことが会話の中心であり、自分の経験に基づいてことばも理解し使っています。これが生活言語です。


〇学習言語の特徴

これに対して学習言語とは、書く場面に即して言うと何かのテーマについてレポートを書く時を、読む場面に即して言うと教科書の文章を読むときのことを想像してみるとわかりやすいと思います。レポートを書く時は、書き手の自分と時間的・空間的に離れた読み手とのあいだで実物を共有することもできませんし、表情や動作、目線などで相手に伝えることもできません。教科書の文章を読むときも同じです。一方的に書かれているものを自分の語彙力・文法力・読解力を頼りに読むだけでその場で互いに内容を確認しあうということはできません。このように、学習言語として書記言語が使われるときには、だれにも通じる一般化されたことばを使える力が必要です。正しい語の使い方、文法的な正確性、また、さらにはリアルタイムに場面を共有しているわけではないので必要なことがことばで表現できる言語能力です。とはいっても全ての言語化はこれまた不可能ですから、省略しても読み手が読み取ってくれることは省略もします。そのためには、書き手の立場としての読む立場への想像力、読み手の立場であれば省略されたことを読み取れる推論能力も必要になります。

さらに、学習言語が駆使される教科学習の場面を考えてみましょう。例えば「算数」で「割合」ということを学習します。しかし、「割合」というものが実際に存在するわけではなく、頭の中で考えられた抽象的な概念です。また、物理学や化学の世界では、さまざまな現象を数式や化学式といった高度に象徴化された記号を使って表したりもします。このような抽象的な世界が理解できるためには、目に見えないものを想像したりイメージする力が不可欠です。この力が象徴能力(表象能力)です。この象徴能力によって、私たちは文にかかれていないことを想像して読み取ったり、他人の心を想像したり、実際に見ることのできない物理学的・化学的な現象を理解したりすることができます。これが学習言語の世界です。では、このような高度な象徴能力、イメージする力は、どのように私たちの中に培われ、使えるようになっていくのでしょうか? 


〇象徴能力・機能の発達

 象徴機能というのは平たく言えば実際のものをうそっこのもので置き換えることです。つまり実物や実体験の代理物といってもよいと思います。置き換えられたものが象徴(シンボル)です。実際のものを代理物で置き換えたものには何があるでしょうか。写真、絵、イメージ、ふり、ごっこ遊び、言葉(言語)、数字、数式などこれらは全て実物の代理物であり、象徴です。象徴機能がうまく働くようになると言語やイメージなどの象徴を使うことで,実物を離れ,頭の中でいろいろ思い描いたり,筋道を立てたり,分類したり,関係を操作できるようになります。つまり,思考が活発になり,概念化を進めること

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ができるようになります。

では、こうした、頭の中で、代理物を使ってあれこれ思考できる力はどのように発達するのでしょうか? 子どもの発達をさかのぼっていくと、きこえる子もきこえない子もだいたい0歳の後半あたりから自分の経験したことを記憶できるようになります。そして、写真を見て、自分の経験したことを思い出せるようになります。例えば新幹線に乗ったときの経験を新幹線の写真を見て思い出せる。あるいは、新幹線に乗ったことをイメージしながら積木を新幹線に見立てて遊ぶことができる。このとき、写真や積木は新幹線の代理物=象徴(シンボル)です。やがて手話や日本語という言語で「新幹線」を理解したり表現したりできるようになります。言語は象徴機能の最も高度な働きの一つです。

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では、きこえない子には、どちらの言語が獲得しやすいのでしょう? 手話からスタートするのがよいというのは、手話はシンボル性が高い語が多く(新幹線であれば新幹線の先頭部分の突き出た部分を象徴した表現)わかりやすいこと、また、手話の音韻(手の形、手の位置、手の方向性)は音声言語の音韻と違って100%音韻弁別が可能ということがあります。そのため手話はきこえる子とほぼ同じ発達のペースで言語として獲得できます。同じペースで発達するということは、きこえる子と変わらないペースで言語発達も認知・象徴機能の発達もするということです。右のファイルは、手話でスタートした子どもたちの事例から4歳頃までの発達を図にしたものですが、きこえる子どもと同じように発達していくのです。


〇象徴機能の発達と生活言語の段階でしっかり取り組みたいこと

生活言語の段階はまだ自分のことや身の回りのことでの理解が中心なので、物事を自分の経験と結び付けて考えます(「自己中心性」の世界)。そこから客観世界へどう飛び立つか、そこに象徴機能のレベルアップが必要なのです。この自分中心の世界から客観世界へ、生活言語の世界から学習言語の世界へ移行していくためには、自分のこと・自分の経験から離れて、頭の中で、その対象となっているものについて思考できる力つまり象徴機能を使いこなす力が必要です。では、象徴機能の発達を幼児期にみるにはどうすればよいでしょうか?


〇概念形成の力を育てる~モノとモノの関係概念を育てる

 象徴機能が育ってくると、頭の中にもののイメージを浮かべ、そのものを比べることができるようになります。例えば、事例にもあるように、1歳前後に手話で言語獲得し始めた子たちは、2歳頃には「大きい・小さい」「長い・短い」「きれい・きたない」といった対概念・比較概念を発達させていきます。そして、3歳頃には大きい〇の図形と小さい〇の図形という目の前にある抽象的な図形をみて大小の比較ができるようになります。そして、4歳頃には、ことば(手話)で、「イスと鉛筆、どっちが大きい?とか「冷蔵庫と家、どっちが小さい?」とか質問すると、頭の中に、そのモノのイメージを浮かべて、それらの大きさの比較ができるようになります。関係概念が育ち、その対象物を頭の中に浮かべて

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思考するという象徴機能が発達してくるのです。もちろん、ただ手話を使って生活していれば誰でも自然に比較概念が身につくというわけではありません。例えば右の事例C児のように、おやつを食べる場面で、ただ「おいしいね」で終わるのではなく、「これ、なが~いね」「これ、みじか~いね」と言葉かけをするといった意図的な働きかけが大切です。このような子どもと一緒に楽める活動の中で子どもは「くらべる」ことに気づき、「長い・短い」といった言葉と概念でそれがあらわせることに気づいていきます。ただ、普通にルーティーンな会話をしていれば自然に比較概念を発達させていくわけではないのです。「ききかじる」ことができて音声情報が自然に入ってくる聴こえる子との違いがここにあり、家庭における大人との会話の大切な役割がそこにあるとも言えます。

 

〇他者視点の力を育てる~目に見えない他者の心を想像する力を育てる

 象徴機能の発達でもう一つ大切なことは、他者視点ということです。文の読み書きにおいても、人間関係においても、物事を別の視点から考える力の発達は、とても大切なもので

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す。他者視点の獲得は、きこえる子では4歳頃と言われますが、それ以前のすでに1歳頃より子どもたちは「パパが新聞を読むときのふり」などの「ふりあそび」を盛んにします。また事例のように生ごみの袋をサンタクロースの袋に見立てたり、ティッシュの粉を雪に見立てて、「見立てあそび」をしたりします。さらに、3歳頃にはヒーローとかヒロインになったつもりで「なりきりあそび」を盛んにします。こうした見立てる力は、こうしたらもっと「~らしくみえるはず」という

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視点を育てます。この視点は他人からどう見えるか、自分はどう見られているかという視点と表裏一体ですから、他者視点の力を育てることに繋がります。このような「ごっこ」遊びや再現遊びをたくさんすることは、イメージや他者視点を育てる上でとても大事です。また、「パパやお姉ちゃんはどう思っているのかな?」といった他者の思いの想像や、家族皆で思っていることを出し合うことも大事です。そしてそのための皆が通じ合えるコミュニケーション手段は不可欠です。

 

〇学習言語への入口 

 6(就学前)になったら、自分自身の経験を離れて、一般的なことばの理解や表現ができる力が育ちつつあるかこうきいてみます。「りんごとみかんはどこが似ている?どこが同じ?」この質問に「ぼくはみかんきらい」「りんごは大きいみかんは小さい」など、自分のことを話したり、同じところではなく違うところを答えたりする子どももいます。何を聞かれているのか意味がわからないというきょとんした表情の子どももいます。モノを頭の中にイメージして、共通概念を取り出したり、上位概念のことばが言えたり、似ているところをことばで的確に説明したりする力の育ちをみてみるのです。それらのイメージを頭に描き、それらの二つのものの概念をことばで取り出し、それらの概念を比べて、「両方とも食べるもの、皮がある、果物」といった共通の概念をことばで考え出せる力が育っている子どもは、頭の中にイメージを描く力やそれを比べる、くくる、同じ点をことばで説明するといった象徴機能が育ち、思考力が育っていることがわかります。頭の中でいろいろとイメージやことばを思い浮かべ思考できる力、これが抽象的思考に繋がっていくのです。

また、「ハサミってどんなもの?」「スマホってどんなもの?」と身近にあるものについてきいてみます。「紙を切るときに使う」「遠くの人と電話したりメールしたりするもの」といった、モノを頭の中に浮かべながらも、ことばでそのものについて的確に説明する力が育っているかどうかをみてみます。実物を離れて頭の中で思考し、それをことばという象徴機能を使って、だれにもわかるように一般的に説明できる力は、学習言語そのものです。ことばをことばで説明したものの典型は国語辞典ですから、小学生になってことばの意味が分からない時、国語辞典を調べてそこにかかれている文の意味が理解できる力があれば、その子は学習言語を身につけていると言ってよいと思います。話がとびましたが、このようなイメージや言語、あるいは数字や記号といった象徴機能をうまく使いこなせる力が育っていることが、学校での教科学習を進めていくために不可欠です。ただ、日常生活での会話(生活言語)の中では、「りんごとみかんはどこが似ている?」とか「ハサミってどんなもの?」というやりとりはしないのが普通です。

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しかし、子どもの思考する力を伸ばすためには、このようなもう一歩つっこんだ会話も必要です。さらにことばを使ってさまざまな遊び(ことばあそび)もことばの力や考える力を育てます。かるた、すごろく、「あのつくことば」、反対ことば、しりとり、なぞなぞ、ビンゴ、こうしたことばを使ったあそびをたくさんすることで、頭の中でことばを動かせる力を育てるわけです。とくに「なぞなぞ」は、おススメです。モノを思い浮かべて思考する力、たとえる(比喩)力、ことばをことばで説明する力が育ちます。


〇手話で育った子どもたちの学習言語の習得とその後の進路

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100%見てわかる言語を使って会話し、その会話を深めて思考する力、象徴能力を育てることで、きこえない子も学習言語の世界に行くことができます。そして、日本語力をつけて教科書を読む力をつけ、情報が欠けることのない手話も使った授業の中で学力をつけていきます。その結果として、高等教育機関に進学する子どもたちも増えていきます。

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右にその結果を示しておきます。


〇まとめ

 まず、手話でスタートし、確実に通じ合える言語である手話を駆使して、会話の中身を深めることです。そして、音声・指文字・文字・手話を使って日本語を習得します。さらに、幼児期のあそび・生活全体の中で、ごっこ遊び、粘土、積木、お絵かき、絵本の読み聞かせや再現あそび、ことばあそびなどを通して象徴機能のレベルアップを図り、学習言語の世界に入るために必要な頭の中でイメージ、言語、数字、記号等を操作する力をつけること。また、ことばをことばで説明できることばの力をつけること、これが幼児期に大事なことだと思います。こうした力は、やはり大人とのやりとりの中でつく力です。最近は共働き家庭が増え、お母さん方も働く方が増えました。そのことは日本の社会にとっても必要かつ大事なことであるのは確かです。ただ、きこえない子どもには、上に述べたようなやりとりの時間の確保もやはり必要です。そのことをぜひ知っていただき、大変なこととは思いますが、生活の工夫や配慮をしていただけたらと思います。

今、日本の子どもの読解力が落ちていて、OECDが行っている学習到達度調査(PISA)では、どんどん順位が下がり、前々回2012年調査の4位から→2015年8位→そして2018年には15位(約80か国中)まで下がってこれまでの最低を記録しました。

今はSNSの時代。文を読んだり書いたりすることが減っているとは思いませんが、1冊のまとまった本を、時間をかけて読みこなすという経験は少なくなってきていると思います。そこで、今回は、きこえない子の読解力をどうやって高めるかということについて考えてみたいと思います。


〇文が読めても内容がつかめない子どもたち

一概に文が読めても内容がつかめないといっても原因はさまざまです。その原因を大きく分けると、以下の4つに分けられると思います。

①語彙の不足 

②論理的思考力の不足 

③認知機能の弱さ

④一般的知識の不足 

そして③の中には、さらに、(ア)音韻意識の弱さ (イ)記憶力(ワーキングメモリー)の弱さ (ウ)視覚認知の弱さ ()聴覚認知の弱さ があげられると思います。

 

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上記①と②に関しては、幼児期からの積み重ねになるので、さまざまな言語活動の中で取り組むことが必要です。これらに関してはこれまでにも時々触れてきましたが、①語彙の不足と②論理的思考の不足と関連して大事なことのひとつは、上位―下位概念のカテゴリーをしっかりと頭の中に作ることでしょう。私たちは何か初めて見たものに対して「あれ、なんだろう?」と思い、「食べ物? 木の実っぽい? 果物かな?」という類推・予想をします(これは「帰納的推論」といって論理的思考の大切な方法です)。頭の中にもっている「食べ物、木の実、果物・・」といった語彙のファイルを高速で調べ、その知識を使って推測しているわけです。このようなシステムと一定の語彙知識があるからさらに新しい語彙を習得していくわけです。まず、この力がしっかりと作動するために、「ことば絵じてん」を作ったり、「ことばのネットワークづくり」のテキストを使ったりするわけです。

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 「ことば絵じてん」を自分で作るのは大変という方には、ぜひ、たのしい手作り教材がありますので紹介します。これはInstagramのy.riechin さん作成によるもので、今日はいちばん人気の教材「気持ち」で小学生二人と遊んでみました。まず問題を出す子が一枚どれにするか決めてそれに関係する経験を言います。例えば「100点とって・・」と言ったとします。それに続く気持ちがどれなのか当てるわけです。場の人が「はい」と挙手して「『うれしい』でしょ?」と言いますが、「ブーッ」。別の子が「『きもちいい』かな?」と言うと「正解!」。問題を出した子が「100点とったとき、とっても気持ちよかった」と。幼児にはもっと違った遊び方が考えられます。その気持ちに関連する文を別にカードにしておいてマッチングするなどもできるでしょう。またこれも論理的思考に関係しますが、二つの絵たとえば「誕生日プレゼントをもらっている絵」とか「ママに褒められている絵」などを用意して、「原因」と「結果」の関係を学ぶことができます。例えば「ママにほめられている絵」と「うれしい表情の絵」を並べて、「ママに褒められた」「だから」「うれしい」と文が作れますし、逆向きに「うれしい」「どうしてかというと(なぜなら)」「ママに褒められたから」という結果から原因を考えることができます。これも論理的思考の大切な思考方法です。

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そのほか、論理的な思考力を高めるための日常会話の方法を右に整理しておきます。

 

さらに①語彙不足と②論理的思考力に関係するのは、③認知機能の(イ)記憶力の弱さも関係します。文を読んでも、書いてある順番に内容をまとめて言えないなど、書いてあることが整理できないとか、書かれていたことを忘れてしまう子どもたちがいます。この子たちは、一度に長い文章をまとめることは苦手なので、もっと短い3~4語文や、幼児期にやるとしたら年中から年長頃に、絵日記などの短い文の中で文をまとめる練習をします。まとめる観点としては、一つは「はじめに、つぎに、それから、おわりに」といった時間系列でまとめる練習、いわゆる疑問詞(5W1H)でまとめる練習です。「だれ、いつ、どこ、なに、どうして」などの観点ですね。


③の認知機能の中でとくに大事なのは「音韻意識」です。きこえる子は音をきいて文字

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100%変換できますが、きこえない・きこえにくい子は音自体が正しくききとれていないことが多いので、きちんと文字・指文字で音韻を身につけていくことが大事です。例えば「がっこう」が「かこう」であったり、「マジック」が「まじ」であったりします。とくに「でんしゃ」が「てんしや」「キャンプ」が「きやぷ」など拗音の誤りは多いです。これに関する手作り教材を先に紹介したy.riechinさんが、濁音・半濁音・拗音などの「裏五十音表」を作っておられます。以前に

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このHPで「一文字かるたあそび」(右図)を紹介しましたが、「裏五十音表」を使ったかるたあそびも音韻を身に付けるうえで効果的です。「一文字かるた」については下記を参照

http://nanchosien.com/papers/04-4/post_169.html

④の一般的知識の不足。これは小さい時から、いろいろな経験を積むこと、家族の会話が見えること、言語を使って会話し言語で考えさせること、です。ここは100%みてわかる言語である手話がその力を発揮するところです。子ども自身にきちんと認識できないあいまいな言語では確実な知識とはならず、思考力も育ちません。

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あと、読解力とは直接深い関係はありませんが、年齢を越えてみんなで楽しめるのが「妖怪すごろく」です(順番、順序数、すすむ、さがる、もどる、プラス・マイナスなどの概念に関連する)。途中、天狗に「あおがれてスタートに戻る」などもあってガックリすることもありますが、ゴールにピタリと止まらないと上がれないルールにすると、あとから来ても勝てるチャンスがあるのでとても盛り上がります。おススメのゲームです。ぜひ、Instagramから.riechinで検索してみてください。興味ある教材が沢山みつかると思います。

 下の絵じてんは、「体調」シリーズの一部。人気教材のひとつ。

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ある方から質問をいただきました。

 「きこえない子も日本語は自然に会話する中で身につくものだと思います。なぜ、わざわざ文法を取り出して、子どもに指導をしなければならないのでしょうか?」 

 

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とても大事な質問なので今日はこの問題について考えてみたいと思います。

まず、これまで(そして今も)日本の聾教育がとってきた「自然法」(きこえる子が日常会話の中で自然に日本語を獲得していくのと同じように、きこえない子も日常会話の中で"自然に"日本語を身に付けることをめざす方法)が果たしてどこまで有効であったのかということから考えてみたいと思います。 

 

1.要素法(構成法)から自然法へ 

 きこえる子は自然に音声日本語を聞き取り、話し、そして日々のやりとりの中で日本語の音韻・語彙・文法を身につけます。そしてさらに、言葉には本来の言葉の意味を越えて、別の意味があるといったこと(例・慣用句・諺・冗談・場の空気を読む等々)までも身につけ、日本語を高度に「運用」できるようになります。とりわけ、助詞とか、何十種類もの変化をする動詞の活用といった文法は、日常会話の中で、特別に誰かに教えられるわけでもなくまさに"自然に"身につけ、無意識のうちに日本語を使いこなせるようになります。もし「この時は『で』を使うのかな、いや『に』だったかな?」などといちいち用法を意識しないといけないようでは、とても毎日の生活やコミュニケーション(以下コミ)をスムーズに営めないでしょう。

 このように私たち聴者が日本語を日常のコミの中で身につけていくのであれば、同じようにきこえない子も日本語の語彙や文法を日常のコミの中で身につけられるのではないかという発想で、補聴器の進歩→聴覚学習の進化と共に始まったのが聴覚口話での「自然法」といわれる方法です。この方法はそれまでの口話法教育の主流であった「要素法(日本語を語彙・文法・発音・聴能・読話といった要素に分解しその要素を学ぶことで日本語の言語体系を習得させるというボトムアップの方法)」が効果を上げてこなかったことの反省に立ち、普通の生活の中でのやりとり・コミを通してトップダウンで、日本語を聞き取り、日本語を話すことを身につけさせようという、実践的でまさに自然な方法であったと言えます。

しかし、家庭での両親の話だけでなく、居酒屋での飲み会でも誰かの噂話を「聞き耳を立て」て「聞きかじる」ことのできる聴者のきこえとは根本的な違いがあることを、あまりに軽視しすぎていたのではないかと思います。自然というのは私たち聴者にとっては自然であっても、どんなに補聴器や人工内耳をしても結局は曖昧にしか音が入って来ないきこえない・きこえにくい子どもたちのきこえは、常に何十パーセントかは推測に頼らざるを得ない曖昧なコミ方法で、それはとても子どもにとって「自然」とは言えない方法であったと思います。そのために、「話しているのに書かせてみるとわかっていない」といった

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問題が日常的に起こってくるわけです。

こうした聴覚口話による自然法は、どこまでいってもきこえない・きこえにくい子どもたちには100%わかるというコミにはなりえず、その結果として、日常会話程度のコミは聴者と口話でできても、読み書きの力は未だに『9歳の壁』を越えられないという現実を何十年にもわたって私たちは突きつけられてきたわけです。右のグラフは、澤隆史(2016)による聾児のリーディングテストの結果を示したものです。およそ10年ごとの聾学校児童の読書年齢が諸文献から拾っていますが、澤は「この40年間の聾学校児童の書記日本語能力はほとんど変わっていない」と指摘しています。


2.自然法は、特定の子どもにしか成立しない

 この問題は、実はすでに20年前に当時の「聴覚口話法=自然法」の総本家、筑波大附属聾学校の馬場顕教頭によってその限界が指摘されていました。馬場は「聴覚口話法の一番の大きな弱点は、すべての聾児がこの方法で成功した訳ではないと言うことである」(「聴覚口話法」,『聴覚障害』,2001vol.5617頁)と述べ、続けて成功するための条件として、「①子どもの聴力損失が軽いこと、②子どもの能力が優れていること、③親の教育力、④親の経済力、⑤教師の資質」を挙げています。この条件が満たせる家庭と子どもが、当時も今もいったいどれだけいるのでしょう? ①の条件はその後人工内耳の普及によって110dBを越える子どもでもクリアできるようになりましたが、②から⑤までの条件を満たせる家庭の子どもはそう多くはいないでしょう。結局、聴覚口話による自然法とは、知的にも経済的にも恵まれた家庭の子どもに限定された方法だったということになります(それを補完するキュード法や(音声対応)指文字法が全国の聾学校で考案されてきましたが、それとて結果として『9歳の壁』が越えられるようになったという話は未だききません)。

 

2.人工内耳の登場で「自然法」は再び表舞台へ

では、人工内耳が登場して、聴力の問題がクリアされた現在、重度難聴児たちも軽中度難聴児たちと同じように日本語の獲得ができるようになったのでしょうか? 確かに、軽中度難聴児・CI児含めて平均的には、生活言語レベルでの音声言語が身につくようになったと言ってよいだろうと思います。「きこえてぺらぺらしゃべれる子」は確かに増えました。といって、ではしゃべっている子はどの子も読み書きの力をもっているのかと言えばそうではありません。「きこえ」が改善され、日々の会話の積み重ねの中で日常会話レベルの日本語は獲得できるようになった。ここまでは「聴覚活用」と「自然法」で出来るようになったと言ってあながち間違いではないだろうと思います(但し、人工内耳を両耳に装用しても、②~④の問題によって「生活言語」レベルの音声日本語が獲得できない子どもも現実にはいます)。しかしそこまでは到達できたといっても、さらに、問題はそのあとにあります。「生活言語」レベルの音声日本語の獲得が、必ずしも「学習言語」レベルの書記日本語の獲得につながらないという問題です。それはなぜでしょうか?

 

3.生活言語から学習言語への問題は残っている

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ここで生活言語と学習言語という日本語獲得における最も重要な問題について考えてみたいと思います。まず「生活言語」ですが、これは日常会話(対面コミ)で使用されるコミのための言語(いわゆる話し言葉)で、多くは「今、ここ」という場で直接向き合って伝え合うために、文法的な誤りが多少あってもモノ、動作、視線、表情などの非言語情報で文脈を補うために十分通じ合うことができます。とくに日本語は単語だけで会話が成り立ち、主語や助詞が省略される「開放文法の言語」であるために(英語は省略のできない閉鎖文法)、生活言語は比較的容易に身につ

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くが、しかし単語だけで通じ合えるがためにそのことが逆に書記言語へのステップアップを難しくしている面を否定できません。ところがそこは非常に見えにくい。ペラペラしゃべっているがゆえに私たち聴者はごまかされてしまうのです。

一方で、話題や文脈を共有していない第三者に何かを伝えるときに使用される書記言語(日記・作文・レポート・教科書の文章など)は、正確な語彙・文法的知識(主述、修飾・被修飾関係、助詞、動詞、接続詞等)が不可欠で、相手に伝えるためにはどのように表せばよいかといったことまで含めて、全てことばによって非言語情報を補う作業が必要になります。これが「学習言語」としての書記言語の特徴です。また、私たちは「今、ここ」にないことを文字や数字、記号等を使って表し操作すること(象徴機能)で抽象的な思考を進めていきます。これが「学習言語」です。こうした言語の本質的な違いを理解していないと「話せれば書けるはず」→「自然なコミ(=自然法)で話し言葉を身につければ書きことばも身につくはず」というとんでもない誤解が生じることになります。


2.再び、要素法(構成法)の見直しへ

 自然法だけで確かな日本語は身に付かないことを私たちはしっかりと知っておく必要があります。早い話が子どもたちは毎日、教科書を通して日本語の文を読み、何百回となく文の中で同じ助詞を見ているはずです。声にも出して読んでもいるはずです。それなのになぜ、助詞が使えないのか?ということです。過去の私もそうでしたが聾学校の教師は国語や自立活動の授業をいったい何時間やってきたのでしょうか? 1年生だけでも週10時間として年間350時間。それを小学部から中学部、高等部と12年間積み重ねてきています。これほど膨大な時間を使ってなぜ助詞が身につかない子どもがいるのでしょうか? 助詞や動詞の活用がわからなければ決して教科書を自分では読むことはできません。教科書が自分で読めなければ学力をつけるなど夢の話です。ではどうやってここをクリアさせればよいでしょうか? その指導を私たちはどこまで真剣に考えてきたでしょうか? 私がそう気づいたのは10数年前でした。

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 きこえない子はやはり「目の子」です。見て考えることで理解が進む子どもたちです。また、手話という見てわかる言語を使って育ってきた子どもたちです。そうした観点からも「目で見てわかる日本語」をめざすことが大切ではないか? そう考えて教材を考え、実際に授業の中で実践し、その結果を確かめてきました。右のグラフは、ある聾学校で文法指導を始めた時の小2児童6名がその後、Jcossがどう伸びていったかを示したものです。文法指導開始期の小2の時、聾学校の平均的なJcoss通過項目数と変わりませんでした(聾学校小2平均7.8項目、B校小2年6名平均7.2項目)。しかし週1時間の文法指導を4年間継続した結果、Jcossの通過項目数は徐々

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に伸び、最終的には聴児平均にまで追いつきました(右の図は当時、開発した「助詞手話記号」と「動詞活用の指導」)。文法力がついた結果としてこの子たちは教科書を自分で読んでわかるようになった。そしてその結果として学力が伸び、最終的にこの6名は全員大学に入学しました。もちろん、文法指導だけでそうなったのではありません。馬場の言う「教師の資質」すなわち指導力のある先生方に担任していただいたことも大きかったのかもしれません。しかし、それを考慮に入れたとしても、やはり教科書が読める力をつけるために文法指導は、必要だったと思います。

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 その後、この子どもたちの一人が大学に入った年、たまたまその大学で講師をしていた私はその学生にきいてみました。「小学部の頃、文法の指導をしていたこと覚えてる?」子どもの返答は意外なものでした。「ああ、文法やってたなあってことは覚えていますが、どんなことをやったのか内容は忘れました。」それを聞いてこういうことなのかなと考えました。例えば助詞の用法について学習しているときは、「こういう時はこの助詞を使うんだ」と意識しながら使っている。しかしいったん身についてしまえばもういちいち考えないで自動的に使えるようになる。だから学んだこと自体は忘れてしまっている。それはそれでかまわないわけです。

 

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日記指導の中で子どもが助詞を間違えた時、私たちは赤ペンで訂正し書き直させます。習うより慣れろ。繰り返せば自然に学ぶはずと思ってきた。これが自然法の原理です。しかしこれが通用するのは80%以上助詞が理解できている子どもです。「が」も「を」もわかっていない子には通用しません。意味がわかっていないのですから何度も同じ間違いを繰り返します。苦手感ばかりが増していき勉強嫌いになります。こうした子どもには、助詞がどのようなときにどう使われるかという原理を"わかるように"教える必要があるのです。これが自然獲得した言語=手話を使って可

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視化した助詞の指導法です。まさに要素法です。そのあとに例文作りとドリルという習熟のための繰り返しの学習が必要です。そこまではどうしても必要な過程なのです。

 

のような要素法的な指導の継続によって文法力は確実に向上します。その結果を示したのが右のグラフです。J.cossの項目ごとの平均通過率は、4年ごとにみてみると確かに年を経るごとに向上しています。また、文法力の

読書力検査の伸び.pptx.jpgのサムネール画像

向上は読みの力の向上につながります。その結果を示したのがその下のグラフです。乳幼児相談からスタートした子たちは幼稚部を経て小学部に入り、さらに中・高の聾学校へと進みます。そして大学生や社会人となっていきます。しっかりとした日本語力を身につけた結果として、基礎的な文法の用法はもう空気を吸うように自然なことになっていて、学習したことすら覚えていない、それでいいのだと思います。そのためには一度、「要素法」による指導が必要な子どもたちがいるの

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です。そしてそれをしないで「自然法」だけにこだわっているといつまでも日本語力がつかないままになる危険性が高いのです。そのことをぜひ知っていただきたいと思います。

 今、日本には外国からたくさんの人たちが働きに来ています。その人たちの子どものうち小学校と中学校に通う子どもの数は、住民登録されている数で12万人なんだそうです。聴覚障害の子どものざっと10倍です。しかし、そのうちの約2万人が未就学だそうです(2019年秋・文科省調べ)。

 これだけの子どもたちがいて、では、日本の小・中学校でちゃんと学年に対応して勉強できているのかといえば、話はそう簡単ではないようです。

 日本語の話しことば(日常会話・生活言語)だけを考えれば、日本語を使う環境さえあればそれなりに身についていきますが、これまでにも生活言語と学習言語について書いてきたように、学校で学ぶための言語(=思考のための言語・書き言葉・学習言語)は、簡単にはいかないようです。これは、聴覚障害の子の場合とよく似ています。日常会話は多様な非言語情報によって支えられているので、極端にいえば単語だけであっても会話が通じますが、書き言葉となると、非言語情報もすべてきちんとした言語情報によって補わなければならないので、語彙力や文法力や思考力がないと相手に通じる文章は書けませんし、学習言語が習得されていないと勉強はわかりません。


日本語の習得.jpg きこえる日本人の家庭のきこえる子どもたちは、家庭で日本語を使って生活して語彙を獲得し、幼稚園や保育園、小学校で教育を受けていますから、生活言語から学習言語への橋渡しもふつうはそれほど大きな困難さはありません(最近そうでもないことがわかってきました。「AI対教科書が読めない子どもたち」新井紀子参照)しかし、きこえない子もそうですが、外国人家庭の子どもたちもどうもこの生活言語から学習言語への移行が難しいようなのです。

 言語の問題を考えるとき、言語学では「音韻」「語彙」「統語」「語用」の4つの側面から考えますが、音韻や語彙の問題は幼児期にその土台をつくっておかないと学齢期になると困難さが増してきます。ですから、語彙の量の問題と同時に語の概念やカテゴリーの問題、音韻形成・音韻意識の問題などを幼児期に意識的に取り組むよう「ことば絵じてんづくり」や「ことばあそび」などを私は推奨してきました(本HP>TOPHP>論文・資料・教材>ことばのネットワークづくり等参照)。おそらく外国人家庭の子たちは、親が日本語を使えるとはいってもこのようなところまでの配慮・指導は難しいのだろうと思います。そのあたりの問題について外国人の子どもたちの学習支援をしている方が以下のように教えてくださいました。



「私たちは、外国から来て日本の学校で勉強している小学生、中学生、高校生の日本語と教科学習のサポートをしているボランティア団体を運営しています。 

 15年間この活動を続けてきて今、思っていることですが、小学生までを母国で過ごし、中学生で来日した生徒は、高校入試が大きな壁ですがなんとか乗り越えていきます。最初は、日本生まれの子どもたちの方が学習が順調に進むのかと思っていましたが、結果は、中学生で来日した生徒に比べて苦戦している生徒が多く、なぜなのか最初はわかりませんでしたが、母語の習得が大きな要因であることがわかってきました。

の研究会(難聴児支援教材研究会)のホームページを拝見して、ことばの概念、ネットワークの形成は、日々の生活、家族の中で育まれること、それは、音が聞こえない子どもたちのことばの育ちと母語を獲得する前に日本語を学んでいる子どもたちのことばの育ちととても近いと思いました。この研究会が公開してくださっている、ことばの獲得についての考え方を、私たちも勉強して、作成された教材を使わせていただきたいと思います。

 

つまり、きこえる外国人の子のうち生活言語から学習言語への移行を母語で行い、いわゆる「9歳の壁」(抽象的思考の壁)を越えてから中学生で日本に来た子たちは、高校受験もなんとか乗り越えられる。日本語と母国語という言語の違いはあっても、教科学習の内容そのものを理解でき思考力があるからです。

ところが、幼児期から日本に来た子たちは、そう簡単にはいかないようなのです。おそらくその子たちは家庭の中では母国語を使ったり、母国語と日本語が入り混じっていたりするでしょうし、就労している家庭も多いでしょうからルーチンな会話で日々終わっていくことが多いのではないかと思います。日常生活は片言でも用は足せますから。

子どもに、いちいち「ママはこう思ったけど、どうしてあなたはそう思ったの?」とか「じゃあこの次はどうなると思う?」と考えさえる会話を意識的にすることも少ないでしょうし、「自転車ってチャリンコとかチャリとかいうし、うちにあるのはママチャリよ。電動じゃないけど。あと、二輪車なんていう言い方もあるね。」と語彙を拡充したり、「リンゴ、バナナは果物。じゃあニンジンは?」などと仲間あてクイズをして遊んだりなどまずないだろうと思います。とすると、やはりこれはきこえない子の問題と共通する問題が起きてくるのだろうと思います。


10万人以上の子どもたちが日本で暮らし、2万人に近い子どもたちが未就学となると、これは非常に深刻な問題です。日本語が喋れても考える力がないと学校での勉強はついていけません。たのしくなければ行きたくない・・とここまで書いて、あれっ、きこえない子も、しゃべれるけれど勉強難しい、そういう子が増えているかもな、と気づきました。そのことについてはまた改めて書こうと思います。

 「就学以降の言語発達はどのように進んでいくのでしょうか?」

 

ある保護者の方から、上記のような質問がありましたのでお応えしたいと思います。

最近は、聴力の重い子どもも人工内耳によって、音声での日常会話が可能になるようになってきました。そして、日常のコミュニケーションで支障がなくなると、医療・療育関係者は、ことばの面で山を越えたと思い、「このまま普通学級に進めばいいですよ」と勧めることが多く、親御さんも「そうなのか、もう大丈夫なんだ」と思いがちです。

しかし、学童期における言語発達は、それまでに獲得してきた言語(「コミュニケーション言語・生活言語」)とは、質的に異なった高次の言語発達が必要になるので、普通学級に入ったものの、読み書きや学力の面で低迷してしまうといったことが少なくありません。では、学童期の言語発達は幼児期のそれに比べてどう違うのでしょうか?

 

〇生活言語と学習言語の違い

(本カテゴリー記事「生活言語から学習言語へ」参照)

幼児期までに獲得してきた日常会話に使用することばである「生活言語」は、さまざまな非言語的な文脈によって支えられて成り立つ言語です。例えば「おいしかったね」「うん、そうだね。また、行きたいね」「うん、そうしよう」といった会話は、目の前にいて、話題や状況を共有している人の間では何の問題もなく成り立つ会話です。こうした日常会話は、直接向き合って、生活の中での必要なことを伝え合う会話がほとんどで、言語情報が多少ぬけても、モノ、動作、視線、表情などの非言語情報が文脈を補い、主語がなかったり、助詞が抜けたり、語順が違っていたりしても相手に情報を伝えることができます。

 

しかし、話題や文脈を共有していない、その場にいない人には何も伝わりません。いつ、どこで、だれが、なにを、どのようにしたのか、その結果どうであったのかといったことを、ことばを使って補うことが不可欠です。日記・作文・手紙・レポートといった書記言語はその典型的な例ですが、自分の頭の中で読み手を想像しながら、どのように表せば相手に理解してもらえるのかといった思考を巡らし、ことばによって非言語情報を補う作業が必要になります。そのためには、正確で豊富な語彙知識、主述関係を表したり修飾・被修飾関係を伝えるための文法知識が欠かせません。

 

ところが、文で全ての情報を表現することも不可能です。全ての情報を言い表したのでは文の量が膨大になり冗長になるからです。そのために書かなくとも読者の想像にまかせられることは省略されます。これを読み手の側からみると、与えられた文字情報から情報を適切に読み取っていくための語彙知識や文法知識だけでなく、省略された情報を読み取っていく推論能力が必要ということになります。

例えば、「勢いよく飛んだ打球は、家の窓に当たった。怒ったおやじがボールを持って出 掃除スキーマ.jpgてきた。」という文を読んだとき、私たちの脳裏にはボールが窓に当たって割れたのではないか?そのためにおやじが怒って家から出てきたのではないか?といった場面が自然に浮かぶはずです。とくにそのように書かれているわけではありませんが、自分のもっている社会的な概念や常識、知識(上の例でいえば「野球」というひとまとまりの活動の知識)からそのように想像(推論)するわけです。こうした知識のことを「スキーマ」と言っていますが、このスキーマを使って、文の行間を読み取っているわけです。ですから、「野球」の知識を全く持たない人にはこのような想像ができません。こうした知識は、幼い頃からのいろいろな体験とその言語化によって培われます。上のファイルの3歳児の例は「大掃除」という活動の中で、さまざまな概念や知識を身につけている様子を育児記録からひろったものですが、このような生活経験を通して、子どもは「掃除」というスキーマを構築し、このような知識が将来の文の読解を支えるということになります。

 

教科書に書かれている文章は、テーマも子どもの生活経験から離れているものが多く、文字言語なので、非言語的な文脈情報に頼ることができず、その文を読み取るためには、上に述べたような正確な語彙知識と文法知識、文字で書かれている情報の奥にある情報を推論しながら読み取る力が必要になります。このような、文脈依存度が低く、言語形式度の高い言語のことを、「生活言語」に対して「学習言語」(書記言語はこの中に含まれる)と呼び、主に学童期以降に発達していく力です。とはいってもきこえない子どもは、きこえる子と情報摂取量が格段に違いますから、自然に任せておけばつくわけでなく、どこに課題があるのかを見極めながら、子どもに合った指導・支援が必要になります。以下、いくつかの項目に分けて、学習言語の発達とその指導・支援の課題について考えてみたいと思います。

 

〇学習言語の発達はどのように進むか?

(1)学童期における語彙獲得の課題

きこえない子の学童期の言語発達のつまずきの要因の一つは、語彙数の少なさと抽象語彙の獲得の困難さにあらわれてきます。語彙数の少なさは「きこえ」の限界からくる日本語入力の少なさから生じており、きこえる子であればふつう誰でも知っていることばを知らないといったことが、きこえない子にはしばしばみられます(例えば、年長児でも「ちりとり」「はたき」「ばけつ」「ぞうきん」といったことばを意外と知りません。日常生活の中でどこかで見ていて、きこえる子であればなんとはなしにきいて知っていることばですが、きこえない子は、この「聞きかじる」ことができず、それがきこえる子との語彙量の差を生み出します)。

また、日常生活の中で困ることのない程度にことばを知っていたとしても、「玉ねぎとにんじんの似ているところはどこですか?」という質問に対して、「きのう、にんじんがスープに入ってた。がんばってたべたよ」といった、自分の経験と絡めて応える段階(生活言語レベルの反応)から、メタ言語意識が発達し、自分の経験から離れて、それぞれのモノの意味・概念を取り出して(対象化して)比較し、「どちらも食べ物だよ」とか「どちらも野菜」といった上位概念のことばで応えられるようになるのは、きこえる子でも年中から年長の頃からですが、きこえない子の中には、こうした、それぞれのモノの意味・概念を比べて類似点を抽出するなどの概念操作が難しいとか、上位概念のことばを知らないなどのことから、質問に応えられないことも多いです。一つ一つのモノの名前は知っていても「果物」とか「野菜」とか上位概念がわからないとことばがカテゴリーごとに整理されないために、記憶負担が増し、概念カテゴリー(「心的辞書」)が積みあがらず、結果的に抽象語彙の獲得ができていないということになってしまいます(本HP「ことばのネットワークづくり」参照)。

 

そこで、ことばを学習の手段として使うためには、ことばを自分の経験と結びつけて理解するレベル(生活言語レベル)から、一般化・抽象化した辞書的な意味(協約化された意味)で理解・使用できるレベル(学習言語レベル)に引き上げていかねばなりません。幼児期に使用することばの多くは直接見ることのできる具象性の高いモノの名前が多いですが、小学校に入ると教科書の中には抽象性の高い語がどんどん出てきます。

 

例えば、国語小1下(光村図書)の『じどう車くらべ』では、「しごと、つくり、やくわり」といった抽象的な語が出てきますし、クレーン車の説明のところでは、「じょうぶなうで」とか「しっかりした足」などの比喩的な表現も使われています。このような比喩的表現は、幼児期において「重い物を持ち上げる丈夫なで長い腕を持っています。重い物を落とさないように、しっかりした4本の足で支えています。ビルの高いところに工事の荷物などを運びます。」といった「なぞなぞ」を通してつけた力が土台になっています。

このような、語を別のことばで説明したり、本来のことばの意味を越えた意味(比喩)でも使えるようになっていく力は、やがて小学校高学年頃の慣用句や諺、詩や俳句の理解や、冗談、洒落などを解する力にもつながっていきます。そしてさらには、「すみません、時計持ってます?」(今、何時ですか?)といった言外の意味が含まれた表現の理解や「場の空気が読める」力にもつながっていきます。

 

このように、語彙の発達は、(ア)自分との関連でことばの意味を理解している段階(生活言語の段階)⇒(イ)自分の経験を離れて一般的・客観的にことばの意味を理解できる段階(学習言語への移行過程)⇒(ウ)ことばの本来の意味とは異なる意味をそこに見出せる段階(本格的な学習言語習得の段階)へと発達していきますが、このようなことばの意味理解の高次化は、国語をはじめ各教科を学ぶためには必要不可欠なものであり、学童期においては、多様なことばの意味や使い方を身につけていく必要があります。

そのためには、教科書に出てきた語や何かの折に出会った語(子どもにとっての理解の難しい語)は、できるだけそのときに取り出し、 難解語句の指導法.jpg意味だけでなく、絵や例文と共に「ことば辞典」や「用例(例文)辞典」を作るのが効果的です。右図は、国語小1上(光村図書)の「くちばし」の単元の難解語句の指導法の例ですが、子どもが初見で読んでわからなかったことばを取り出し、それらの語の指導法と「ことばノート」に書き込む方法を示したものです。小1のはじめでもあるので11語で作っていますが、慣れてきたらだんだんと短くまとめていくようにします。また、例文は必ず作り、覚えるようにします。できれば、このような難解語句は単元に入る前に事前に調べて、日常生活の中で使うようにするとベストです。例えば事前にナイフで鉛筆を削る場面を見せるなかで、「先、するどい、とがる」といったことばを使用しておきます。そうすることで教科書の単元に入ってもスムーズに学習することができます。

 

2.学童期における文法の課題

(1)動詞 

動詞の活用は複雑.jpgきこえない子の文法の課題としてまず最初に課題となるのは、動詞の語彙の少なさでしょう。文には必ず最後に述部(述語)があり、この述部が文の土台になる語です。この土台の上にあらゆる構造物(主語・目的語など)が建っているのが文であり(『きこえない子の日本語チャレンジ』,本会発行図書参照)、その土台にくるのは圧倒的に動詞が多いです(形容詞や名詞の場合もありますが)。ですから、もっている動詞の数が少ないと文で伝えたいことが十分に表現できません。また、動詞を多様に変化(活用)させることで私たちは、自分の伝えたいことを豊かに表現することができます。ですから動詞の活用がわからないと文を読んで的確にその意味をとらえることができませんし、自分の表現したいことも書き表すことができません(『絵でわかる動詞の学習』,本会発行図書参照)。

 

(2)助詞

助詞の指導.jpg 次に課題となるのが助詞です。とくに「が、を、に、で、と、の」といった一文字の助詞(格助詞)は、それだけを取りだして学習することが困難で、常に文の中でしか扱えません。しかし、それぞれの助詞の使い方(意味・用法)は決まっているので、「で」なら「で」の意味・用法である4つの用法(①場所、②手段・方法、③原因・理由、④期限)に沿って学習していくことができます(『日本語チャレンジ』参照)。

 また、接続助詞の「て、で」やその他の助詞、接続詞(「だから、しかし、そのうえ」など)なども学習する必要があります。

 

(3)関係節(複文)

 文の中にはどこがどうつながっているのかよくわからない文というのがあります。例えば、「難しい聴覚障害児の教育」ということばを見たとき、これだけでは「難しい聴覚障害児」なのか「難しい教育」なのかどちらにかかっているのか判断ができず、その前後の文脈の中でどちらの意味かをくみ取るしかありません。また、次のような、修飾・被修飾関係が入り組んでいてわかりにくい文もないわけではありません。

 

「私は、ベビーカーを押しているお母さんが走っている男の子を追いかけるのを見ました。」

 

  複雑な構造を持つ文.jpg何度か読み返してその係り受けを判断することになりますが、日本語には英語のような関係代名詞がないので、名詞を説明している語句(修飾語句)がどこからどこまでなのかよくわかりません。このような複雑な文の読み取りを指導する方法は果たしてあるのでしょうか? これまでのきこえない子の指導方法の中には私が知る限りではありませんでしたが、図のような「品詞カード」を使って、順序立てて指導すれば、文の構造を教えることができます(「聞こえない子のための日本語チャレンジ」参照)。これほどに複雑な文はともかく、きこえない子は、しばしばもっと単純な文の中で躓くことも多いです。

例えば、小1国語上(光村図書)の教科書の単元に「きつつき」というのがありますが、この中に「きつつきは、くちばしで、木にあなをあけます。そして、木のなかにいるむしをたべます」という文があり、子どもたちは、しばしば「木のなかにいる」で一度文を切って読んでしまうことがあります。こうした読み取り方・理解の仕方について自然にまかせておくのではなく、そのときに、文法指導を通して学ばないと、途中で文を切って解釈してしまうくせが抜けないことがあります。これでは読解の力はいつまでもつきません。

 

(4)その他

 その他、身につけておく必要がある文法項目として、指示語や接続詞などの習得、受動文・授受文・使役文などの特徴的な構文の指導などもあります。とくに、後者の構文は、動詞の活用や助詞の運用など文法的なことだけでなく、誰についての言い方なのかといった視点の変換も必要になります。例えば、「花子が太郎を追いかけた」という能動文は、花子について言っている(主格は花子)文ですが、その行為を受ける太郎について言う場合は、「太郎が花子に追いかけられた」という受動文を使います。

まず動作を受ける側にたった言い方の学習.jpgこのとき、動詞、助詞が変わるだけでなく、主格は太郎であり、太郎の立場に立った言い方です。この視点の変換も同時に行われる必要があり、日本語の文法に習熟していない幼児や低学年の子どもでは、聴児でもその難しさがあります。右図は拙著『絵でわかる動詞の学習』の1頁です。まず、受動文が誰について言っている文なのか理解させる学習から入るとスムーズに受動文を学ぶことができます。

 それ以外の文法事項もまだまだありますが、市販されている、国語の教科書に準拠した文法の問題集などを使うのもよいでしょう。また、高学年あたりから「慣用句」(「甘く見る」「あたまを冷やすなど)や「ことわざ」(「取らぬ狸の皮算用」など)を増やしたり、俳句や短歌に挑戦したりするのもよいでしょう。また、作文などにおいても単に「楽しかった」でなく、「思わず飛び上がる」「はじけるような笑顔」「わくわくする」「キラキラ輝く」「ふわふわした」など擬態語・擬音語なども使いながら読んでいる人がイメージできるような豊かな表現を身につけていくとよいでしょう。

 

以上書いてきたような文法の運用力を身につけることは、教科書の文を自分で読んで理解する力、自分の表現したいことが適切に文に表せる力の向上につながります。しかし、これまでの聴覚障害教育の中では、小学生になると、語彙力や文法力が不十分なままであっても、無理を承知で「学年対応」ということで基本を教えないままに教科書を使ってきたように思います。そのために学年進行とともに積み残しが増え続けるという悪循環を繰り返してきたように思います。このような悪循環の連鎖を断ち切り、教科書が理解できる力を身につけるために、語彙・文法指導はとりわけ大切なことだと思います。

 

3.学童期における語用(談話)の課題

 談話(ディスコース)とは、複数の文でまとまった意味を伝えることすなわち文章での表現のことを言います。生活言語段階での談話は、目の前にいる人との具体的な情報を交換しあう場なので、その場の状況や表情など言葉以外の文脈情報があり、必ずしも正確な語彙や文法でなくとも意味情報を伝えることができました。また、話をきいている相手が質問してくれたりなど共同作業という面があります。

 

しかし、過去に経験したことやひとつながりの話をクラスの皆の前で語るといった場面は、自分であらかじめ話の展開などについて考えておく必要があります。このような実際に起こったことを時間的順序に沿って語ることを「ナラティブ」と言いますが、それには、①要旨・導入部、②設定・方向づけ(誰が、いつ、どこで、何をなど)③出来事(内容)、④評価(話し手の感想など)、⑤解決・結果(クライマックス・結論)、⑥結語・終結部(しめくくり)などの構成要素から成っています。こうした順序を「スクリプト」と言っていますが最初から全ての要素を子どもが身につけているわけではなく、絵本の読み聞かせやお話をきく経験、自分がお話を作るなどの経験の中で、だんだんと豊かになっていきます。聾学校幼稚部でも、こうした経験だけでなく、子どもの経験したことを親と一緒に絵日記に表し、その経験を、絵日記を手掛かりにしながら、翌日、担任の先生に語るといった活動を行いますが、こうした活動がナラティブの発達を支えていると言えます。

 このような談話の発達には、日常生活の中での経験を物語る活動が豊かに行なわれることが大切であり、手話を早期から獲得し、親子で互いにことば(手話でも日本語でも)で伝え合う生活は、このような談話の発達に効果的に働いていると考えられます。またさらに、絵本の読み聞かせでは3歳を過ぎる頃から、すじのある絵本・物語をきく(見る)ことに子どもは興味を持ち始めますが、絵本を通して物語になじむことが談話の発達に影響を及ぼすと考えられます。子どもは絵本を読みきかせる経験を通して話の流れをイメージしたり、自分で表出する力を培っているわけです。そして、こうした幼児期のナラティブの発達の土台の上に、学童期における、文章を読んで理解する力や文章を自分で書く力が発達していくので、絵本の読み聞かせは幼児期のみならず学童期においても大切ですし、読み聞かせを終わった後の再現あそびは、ナラティブの発達や役割の理解(これは他者の視点を理解する上でも大切)といった点からも大切です。

 

まとめ

生活言語から学手言語へ~様々な課題.jpg以上、学童期におけるきこえない子の言語発達の課題を語彙、文法、談話の3つの側面に分けて述べました。それらを含めて再度、きこえない子の躓きやすい課題を表にして整理したものが右図です。

これらの力をそれぞれしっかりつけていくことが、読み書きのための土台の形成につながります。そして学童期における読み書きを通して、学童期の言語発達の最重要課題である学習言語の発達の高次化を達成していきます。しかし、きこえない子は「日常会話が音 声だけでできる」といったことだけで、自然にこうした力がついていくわけではありません。特別支援教育という専門的な支援を受けながら着実に学習言語を身につけ、思考力・学力を伸ばしていくことが、学校卒業後の社会生活・長い人生を支えていく力につながっていくと思います。

 

生活言語と学習言語

生活言語から学習言語へ.jpg言語には二つの役割があるといわれています。一つはコミュニケーションのための言語で、赤ちゃんが最初に獲得する言語はもちろんコミュニケーションのための言語です。「生活言語」とか「一次的ことば」という言い方もします。日本語でも英語でも手話でも言語の違いは関係ありません。4歳頃までの言語は「生活言語」が中心です。この頃の子どもに

「りんごってなあに?」と尋ねても、「昨日、りんご食べたよ」とか「ぼく、りんごきらい」とか自分の体験(エピソード)に即して応えることが多いです。

 

もう一つは、思考や学習のために使う言語です。これを「学習言語」とか「二次的ことば」と言います。書記言語もこの種類の言語に含まれます。5~6歳の子に「りんごってなあに?」と尋ねると、「果物だよ」とか「ごはんのあとに食べるデザート」といった自分の体験を離れて、社会的に共通な枠組みをもつ意味の中で、定義的に応えることができるようになってきます。子どもの側に、自分を離れて客観的・抽象的に意味をとらえる認知発達がその背景にあるわけです。

 

メタ言語意識

はたらくじどう車(教育出版).JPGこのように、言語を、自分の生活や経験から切り離し、言語を客観的・抽象的にとらえ、言語そのものを遊びや分析の対象としてとらえられるようになることを「メタ言語意識」の発達と言います。

小学校以降の教科学習の中で出てくることばは、例えば「はたらく」「やくわり」「つくり」といった、直接目で見ることのできない抽象性の高い語が使われていて(「はたらくじどう車」国語小1上・教育出版)、このような抽象性の高い語を理解するためには、語を自分の経験から離れて対象化し、分析的にとらえる力が必要になってきます(「メタ」=対象化・客観的)の意味です。

こうしたメタ言語意識が育ってくるのがだいたい5~6歳頃で、ことばを対象化して面白さを見出して楽しむのが「ことばあそび」です。例えば、次のような質問クイズ。

 

「そらの上になにがある?」⇒普通に応えると「雲、太陽、宇宙・・」など。コミュニケーションのためのことばのレベルではそうなりますが、意味ではなく語(音階)の構造に メタ言語意識.jpgのサムネール画像着目すると「シド」。

「せかいの真ん中にいる昆虫は?」⇒(意味を考えると)「?」ですが、「せかい」という語の構造に着目すると「か(蚊)」。

 

このようなメタ言語意識を育てる活動を、言語の構成要素である「音韻論」「意味論」「統語論」「語用論」の各領域に即して取り出してみた のが右表です。また同時に、これらの項目は、きこえない子どもの言語発達上の課題となる項目でもあるので、こうした観点から子どもの言語発達の実態を把握し、その課題をクリアしていくことが、生活言語から メタ言語意識を高める活動.jpgのサムネール画像学習言語へレベルアップしていくことに繋がります。

 

例えば、きこえない子が、日本語を身につける上で最初に課題となるのが、「音韻論」の「音韻意識」の問題です。

日本語は、一つ一つの音韻(音節)が繋がって単語が作られ、単語が繋がって文が作られていますが、この仕組みを知ることが必要です。手話・指文字を使っているきこえない子の場合、この音韻に気づくのは比較的早く3歳頃から始まりますが、ワーキングメモリー(短期記憶・作業記憶)が弱い子は、3音節のことばがなかなか覚えられない、といったことがあります。こうした子どもたちは、すぐには長い音節からなることばは覚えられないので、二音節ないし三音節のことばを言ってその通りに言う「オウム返しゲーム」とか、「い、う、え、お、か、き・・」など一文字でも意味のあるモノを使った「一文字かるた」とか、お風呂に指文字表を貼って風呂から上がるときに唱えるなどから始め、「あいうえおかるた」「あのつくことば集め」「しりとり」などに発展させていくことで、日本語の音韻を獲得するようにします。

 

次に「意味論」の「概念カテゴリー」の問題があります。語(単語)の概念の豊かさ、上位概念・下位概念など多重構造をもった心的辞書の構築といった語彙獲得の問題は、このHPでも「ことば絵じてんづくり」や「ことばのネットワークづくり」のところで何度か取り上げています。文が読めるかどうかの大きな要因のひとつが、語彙力(量的・質的豊かさ)の有無です。まず、その語のもつ意味を的確に獲得すること、そして、さらにはことばの字義通りの意味を越えて、「目から鱗」「腹が茶を沸かす」といった比喩・慣用句的表現や「時計持ってます?」(今、何時ですか?)など記号的意味に縛られずに使えるようにしていくことが高学年頃からの課題になってきます。

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

〒145‐0063
東京都大田区南千束2-10-14-505 木島方
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