全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

生活言語と学習言語

 「就学以降の言語発達はどのように進んでいくのでしょうか?」

 

ある保護者の方から、上記のような質問がありましたのでお応えしたいと思います。

最近は、聴力の重い子どもも人工内耳によって、音声での日常会話が可能になるようになってきました。そして、日常のコミュニケーションで支障がなくなると、医療・療育関係者は、ことばの面で山を越えたと思い、「このまま普通学級に進めばいいですよ」と勧めることが多く、親御さんも「そうなのか、もう大丈夫なんだ」と思いがちです。

しかし、学童期における言語発達は、それまでに獲得してきた言語(「コミュニケーション言語・生活言語」)とは、質的に異なった高次の言語発達が必要になるので、普通学級に入ったものの、読み書きや学力の面で低迷してしまうといったことが少なくありません。では、学童期の言語発達は幼児期のそれに比べてどう違うのでしょうか?

 

〇生活言語と学習言語の違い

(本カテゴリー記事「生活言語から学習言語へ」参照)

幼児期までに獲得してきた日常会話に使用することばである「生活言語」は、さまざまな非言語的な文脈によって支えられて成り立つ言語です。例えば「おいしかったね」「うん、そうだね。また、行きたいね」「うん、そうしよう」といった会話は、目の前にいて、話題や状況を共有している人の間では何の問題もなく成り立つ会話です。こうした日常会話は、直接向き合って、生活の中での必要なことを伝え合う会話がほとんどで、言語情報が多少ぬけても、モノ、動作、視線、表情などの非言語情報が文脈を補い、主語がなかったり、助詞が抜けたり、語順が違っていたりしても相手に情報を伝えることができます。

 

しかし、話題や文脈を共有していない、その場にいない人には何も伝わりません。いつ、どこで、だれが、なにを、どのようにしたのか、その結果どうであったのかといったことを、ことばを使って補うことが不可欠です。日記・作文・手紙・レポートといった書記言語はその典型的な例ですが、自分の頭の中で読み手を想像しながら、どのように表せば相手に理解してもらえるのかといった思考を巡らし、ことばによって非言語情報を補う作業が必要になります。そのためには、正確で豊富な語彙知識、主述関係を表したり修飾・被修飾関係を伝えるための文法知識が欠かせません。

 

ところが、文で全ての情報を表現することも不可能です。全ての情報を言い表したのでは文の量が膨大になり冗長になるからです。そのために書かなくとも読者の想像にまかせられることは省略されます。これを読み手の側からみると、与えられた文字情報から情報を適切に読み取っていくための語彙知識や文法知識だけでなく、省略された情報を読み取っていく推論能力が必要ということになります。

例えば、「勢いよく飛んだ打球は、家の窓に当たった。怒ったおやじがボールを持って出 掃除スキーマ.jpgてきた。」という文を読んだとき、私たちの脳裏にはボールが窓に当たって割れたのではないか?そのためにおやじが怒って家から出てきたのではないか?といった場面が自然に浮かぶはずです。とくにそのように書かれているわけではありませんが、自分のもっている社会的な概念や常識、知識(上の例でいえば「野球」というひとまとまりの活動の知識)からそのように想像(推論)するわけです。こうした知識のことを「スキーマ」と言っていますが、このスキーマを使って、文の行間を読み取っているわけです。ですから、「野球」の知識を全く持たない人にはこのような想像ができません。こうした知識は、幼い頃からのいろいろな体験とその言語化によって培われます。上のファイルの3歳児の例は「大掃除」という活動の中で、さまざまな概念や知識を身につけている様子を育児記録からひろったものですが、このような生活経験を通して、子どもは「掃除」というスキーマを構築し、このような知識が将来の文の読解を支えるということになります。

 

教科書に書かれている文章は、テーマも子どもの生活経験から離れているものが多く、文字言語なので、非言語的な文脈情報に頼ることができず、その文を読み取るためには、上に述べたような正確な語彙知識と文法知識、文字で書かれている情報の奥にある情報を推論しながら読み取る力が必要になります。このような、文脈依存度が低く、言語形式度の高い言語のことを、「生活言語」に対して「学習言語」(書記言語はこの中に含まれる)と呼び、主に学童期以降に発達していく力です。とはいってもきこえない子どもは、きこえる子と情報摂取量が格段に違いますから、自然に任せておけばつくわけでなく、どこに課題があるのかを見極めながら、子どもに合った指導・支援が必要になります。以下、いくつかの項目に分けて、学習言語の発達とその指導・支援の課題について考えてみたいと思います。

 

〇学習言語の発達はどのように進むか?

(1)学童期における語彙獲得の課題

きこえない子の学童期の言語発達のつまずきの要因の一つは、語彙数の少なさと抽象語彙の獲得の困難さにあらわれてきます。語彙数の少なさは「きこえ」の限界からくる日本語入力の少なさから生じており、きこえる子であればふつう誰でも知っていることばを知らないといったことが、きこえない子にはしばしばみられます(例えば、年長児でも「ちりとり」「はたき」「ばけつ」「ぞうきん」といったことばを意外と知りません。日常生活の中でどこかで見ていて、きこえる子であればなんとはなしにきいて知っていることばですが、きこえない子は、この「聞きかじる」ことができず、それがきこえる子との語彙量の差を生み出します)。

また、日常生活の中で困ることのない程度にことばを知っていたとしても、「玉ねぎとにんじんの似ているところはどこですか?」という質問に対して、「きのう、にんじんがスープに入ってた。がんばってたべたよ」といった、自分の経験と絡めて応える段階(生活言語レベルの反応)から、メタ言語意識が発達し、自分の経験から離れて、それぞれのモノの意味・概念を取り出して(対象化して)比較し、「どちらも食べ物だよ」とか「どちらも野菜」といった上位概念のことばで応えられるようになるのは、きこえる子でも年中から年長の頃からですが、きこえない子の中には、こうした、それぞれのモノの意味・概念を比べて類似点を抽出するなどの概念操作が難しいとか、上位概念のことばを知らないなどのことから、質問に応えられないことも多いです。一つ一つのモノの名前は知っていても「果物」とか「野菜」とか上位概念がわからないとことばがカテゴリーごとに整理されないために、記憶負担が増し、概念カテゴリー(「心的辞書」)が積みあがらず、結果的に抽象語彙の獲得ができていないということになってしまいます(本HP「ことばのネットワークづくり」参照)。

 

そこで、ことばを学習の手段として使うためには、ことばを自分の経験と結びつけて理解するレベル(生活言語レベル)から、一般化・抽象化した辞書的な意味(協約化された意味)で理解・使用できるレベル(学習言語レベル)に引き上げていかねばなりません。幼児期に使用することばの多くは直接見ることのできる具象性の高いモノの名前が多いですが、小学校に入ると教科書の中には抽象性の高い語がどんどん出てきます。

 

例えば、国語小1下(光村図書)の『じどう車くらべ』では、「しごと、つくり、やくわり」といった抽象的な語が出てきますし、クレーン車の説明のところでは、「じょうぶなうで」とか「しっかりした足」などの比喩的な表現も使われています。このような比喩的表現は、幼児期において「重い物を持ち上げる丈夫なで長い腕を持っています。重い物を落とさないように、しっかりした4本の足で支えています。ビルの高いところに工事の荷物などを運びます。」といった「なぞなぞ」を通してつけた力が土台になっています。

このような、語を別のことばで説明したり、本来のことばの意味を越えた意味(比喩)でも使えるようになっていく力は、やがて小学校高学年頃の慣用句や諺、詩や俳句の理解や、冗談、洒落などを解する力にもつながっていきます。そしてさらには、「すみません、時計持ってます?」(今、何時ですか?)といった言外の意味が含まれた表現の理解や「場の空気が読める」力にもつながっていきます。

 

このように、語彙の発達は、(ア)自分との関連でことばの意味を理解している段階(生活言語の段階)⇒(イ)自分の経験を離れて一般的・客観的にことばの意味を理解できる段階(学習言語への移行過程)⇒(ウ)ことばの本来の意味とは異なる意味をそこに見出せる段階(本格的な学習言語習得の段階)へと発達していきますが、このようなことばの意味理解の高次化は、国語をはじめ各教科を学ぶためには必要不可欠なものであり、学童期においては、多様なことばの意味や使い方を身につけていく必要があります。

そのためには、教科書に出てきた語や何かの折に出会った語(子どもにとっての理解の難しい語)は、できるだけそのときに取り出し、 難解語句の指導法.jpg意味だけでなく、絵や例文と共に「ことば辞典」や「用例(例文)辞典」を作るのが効果的です。右図は、国語小1上(光村図書)の「くちばし」の単元の難解語句の指導法の例ですが、子どもが初見で読んでわからなかったことばを取り出し、それらの語の指導法と「ことばノート」に書き込む方法を示したものです。小1のはじめでもあるので11語で作っていますが、慣れてきたらだんだんと短くまとめていくようにします。また、例文は必ず作り、覚えるようにします。できれば、このような難解語句は単元に入る前に事前に調べて、日常生活の中で使うようにするとベストです。例えば事前にナイフで鉛筆を削る場面を見せるなかで、「先、するどい、とがる」といったことばを使用しておきます。そうすることで教科書の単元に入ってもスムーズに学習することができます。

 

2.学童期における文法の課題

(1)動詞 

動詞の活用は複雑.jpgきこえない子の文法の課題としてまず最初に課題となるのは、動詞の語彙の少なさでしょう。文には必ず最後に述部(述語)があり、この述部が文の土台になる語です。この土台の上にあらゆる構造物(主語・目的語など)が建っているのが文であり(『きこえない子の日本語チャレンジ』,本会発行図書参照)、その土台にくるのは圧倒的に動詞が多いです(形容詞や名詞の場合もありますが)。ですから、もっている動詞の数が少ないと文で伝えたいことが十分に表現できません。また、動詞を多様に変化(活用)させることで私たちは、自分の伝えたいことを豊かに表現することができます。ですから動詞の活用がわからないと文を読んで的確にその意味をとらえることができませんし、自分の表現したいことも書き表すことができません(『絵でわかる動詞の学習』,本会発行図書参照)。

 

(2)助詞

助詞の指導.jpg 次に課題となるのが助詞です。とくに「が、を、に、で、と、の」といった一文字の助詞(格助詞)は、それだけを取りだして学習することが困難で、常に文の中でしか扱えません。しかし、それぞれの助詞の使い方(意味・用法)は決まっているので、「で」なら「で」の意味・用法である4つの用法(①場所、②手段・方法、③原因・理由、④期限)に沿って学習していくことができます(『日本語チャレンジ』参照)。

 また、接続助詞の「て、で」やその他の助詞、接続詞(「だから、しかし、そのうえ」など)なども学習する必要があります。

 

(3)関係節(複文)

 文の中にはどこがどうつながっているのかよくわからない文というのがあります。例えば、「難しい聴覚障害児の教育」ということばを見たとき、これだけでは「難しい聴覚障害児」なのか「難しい教育」なのかどちらにかかっているのか判断ができず、その前後の文脈の中でどちらの意味かをくみ取るしかありません。また、次のような、修飾・被修飾関係が入り組んでいてわかりにくい文もないわけではありません。

 

「私は、ベビーカーを押しているお母さんが走っている男の子を追いかけるのを見ました。」

 

  複雑な構造を持つ文.jpg何度か読み返してその係り受けを判断することになりますが、日本語には英語のような関係代名詞がないので、名詞を説明している語句(修飾語句)がどこからどこまでなのかよくわかりません。このような複雑な文の読み取りを指導する方法は果たしてあるのでしょうか? これまでのきこえない子の指導方法の中には私が知る限りではありませんでしたが、図のような「品詞カード」を使って、順序立てて指導すれば、文の構造を教えることができます(「聞こえない子のための日本語チャレンジ」参照)。これほどに複雑な文はともかく、きこえない子は、しばしばもっと単純な文の中で躓くことも多いです。

例えば、小1国語上(光村図書)の教科書の単元に「きつつき」というのがありますが、この中に「きつつきは、くちばしで、木にあなをあけます。そして、木のなかにいるむしをたべます」という文があり、子どもたちは、しばしば「木のなかにいる」で一度文を切って読んでしまうことがあります。こうした読み取り方・理解の仕方について自然にまかせておくのではなく、そのときに、文法指導を通して学ばないと、途中で文を切って解釈してしまうくせが抜けないことがあります。これでは読解の力はいつまでもつきません。

 

(4)その他

 その他、身につけておく必要がある文法項目として、指示語や接続詞などの習得、受動文・授受文・使役文などの特徴的な構文の指導などもあります。とくに、後者の構文は、動詞の活用や助詞の運用など文法的なことだけでなく、誰についての言い方なのかといった視点の変換も必要になります。例えば、「花子が太郎を追いかけた」という能動文は、花子について言っている(主格は花子)文ですが、その行為を受ける太郎について言う場合は、「太郎が花子に追いかけられた」という受動文を使います。

まず動作を受ける側にたった言い方の学習.jpgこのとき、動詞、助詞が変わるだけでなく、主格は太郎であり、太郎の立場に立った言い方です。この視点の変換も同時に行われる必要があり、日本語の文法に習熟していない幼児や低学年の子どもでは、聴児でもその難しさがあります。右図は拙著『絵でわかる動詞の学習』の1頁です。まず、受動文が誰について言っている文なのか理解させる学習から入るとスムーズに受動文を学ぶことができます。

 それ以外の文法事項もまだまだありますが、市販されている、国語の教科書に準拠した文法の問題集などを使うのもよいでしょう。また、高学年あたりから「慣用句」(「甘く見る」「あたまを冷やすなど)や「ことわざ」(「取らぬ狸の皮算用」など)を増やしたり、俳句や短歌に挑戦したりするのもよいでしょう。また、作文などにおいても単に「楽しかった」でなく、「思わず飛び上がる」「はじけるような笑顔」「わくわくする」「キラキラ輝く」「ふわふわした」など擬態語・擬音語なども使いながら読んでいる人がイメージできるような豊かな表現を身につけていくとよいでしょう。

 

以上書いてきたような文法の運用力を身につけることは、教科書の文を自分で読んで理解する力、自分の表現したいことが適切に文に表せる力の向上につながります。しかし、これまでの聴覚障害教育の中では、小学生になると、語彙力や文法力が不十分なままであっても、無理を承知で「学年対応」ということで基本を教えないままに教科書を使ってきたように思います。そのために学年進行とともに積み残しが増え続けるという悪循環を繰り返してきたように思います。このような悪循環の連鎖を断ち切り、教科書が理解できる力を身につけるために、語彙・文法指導はとりわけ大切なことだと思います。

 

3.学童期における語用(談話)の課題

 談話(ディスコース)とは、複数の文でまとまった意味を伝えることすなわち文章での表現のことを言います。生活言語段階での談話は、目の前にいる人との具体的な情報を交換しあう場なので、その場の状況や表情など言葉以外の文脈情報があり、必ずしも正確な語彙や文法でなくとも意味情報を伝えることができました。また、話をきいている相手が質問してくれたりなど共同作業という面があります。

 

しかし、過去に経験したことやひとつながりの話をクラスの皆の前で語るといった場面は、自分であらかじめ話の展開などについて考えておく必要があります。このような実際に起こったことを時間的順序に沿って語ることを「ナラティブ」と言いますが、それには、①要旨・導入部、②設定・方向づけ(誰が、いつ、どこで、何をなど)③出来事(内容)、④評価(話し手の感想など)、⑤解決・結果(クライマックス・結論)、⑥結語・終結部(しめくくり)などの構成要素から成っています。こうした順序を「スクリプト」と言っていますが最初から全ての要素を子どもが身につけているわけではなく、絵本の読み聞かせやお話をきく経験、自分がお話を作るなどの経験の中で、だんだんと豊かになっていきます。聾学校幼稚部でも、こうした経験だけでなく、子どもの経験したことを親と一緒に絵日記に表し、その経験を、絵日記を手掛かりにしながら、翌日、担任の先生に語るといった活動を行いますが、こうした活動がナラティブの発達を支えていると言えます。

 このような談話の発達には、日常生活の中での経験を物語る活動が豊かに行なわれることが大切であり、手話を早期から獲得し、親子で互いにことば(手話でも日本語でも)で伝え合う生活は、このような談話の発達に効果的に働いていると考えられます。またさらに、絵本の読み聞かせでは3歳を過ぎる頃から、すじのある絵本・物語をきく(見る)ことに子どもは興味を持ち始めますが、絵本を通して物語になじむことが談話の発達に影響を及ぼすと考えられます。子どもは絵本を読みきかせる経験を通して話の流れをイメージしたり、自分で表出する力を培っているわけです。そして、こうした幼児期のナラティブの発達の土台の上に、学童期における、文章を読んで理解する力や文章を自分で書く力が発達していくので、絵本の読み聞かせは幼児期のみならず学童期においても大切ですし、読み聞かせを終わった後の再現あそびは、ナラティブの発達や役割の理解(これは他者の視点を理解する上でも大切)といった点からも大切です。

 

まとめ

生活言語から学手言語へ~様々な課題.jpg以上、学童期におけるきこえない子の言語発達の課題を語彙、文法、談話の3つの側面に分けて述べました。それらを含めて再度、きこえない子の躓きやすい課題を表にして整理したものが右図です。

これらの力をそれぞれしっかりつけていくことが、読み書きのための土台の形成につながります。そして学童期における読み書きを通して、学童期の言語発達の最重要課題である学習言語の発達の高次化を達成していきます。しかし、きこえない子は「日常会話が音 声だけでできる」といったことだけで、自然にこうした力がついていくわけではありません。特別支援教育という専門的な支援を受けながら着実に学習言語を身につけ、思考力・学力を伸ばしていくことが、学校卒業後の社会生活・長い人生を支えていく力につながっていくと思います。

 

生活言語と学習言語

生活言語から学習言語へ.jpg言語には二つの役割があるといわれています。一つはコミュニケーションのための言語で、赤ちゃんが最初に獲得する言語はもちろんコミュニケーションのための言語です。「生活言語」とか「一次的ことば」という言い方もします。日本語でも英語でも手話でも言語の違いは関係ありません。4歳頃までの言語は「生活言語」が中心です。この頃の子どもに

「りんごってなあに?」と尋ねても、「昨日、りんご食べたよ」とか「ぼく、りんごきらい」とか自分の体験(エピソード)に即して応えることが多いです。

 

もう一つは、思考や学習のために使う言語です。これを「学習言語」とか「二次的ことば」と言います。書記言語もこの種類の言語に含まれます。5~6歳の子に「りんごってなあに?」と尋ねると、「果物だよ」とか「ごはんのあとに食べるデザート」といった自分の体験を離れて、社会的に共通な枠組みをもつ意味の中で、定義的に応えることができるようになってきます。子どもの側に、自分を離れて客観的・抽象的に意味をとらえる認知発達がその背景にあるわけです。

 

メタ言語意識

はたらくじどう車(教育出版).JPGこのように、言語を、自分の生活や経験から切り離し、言語を客観的・抽象的にとらえ、言語そのものを遊びや分析の対象としてとらえられるようになることを「メタ言語意識」の発達と言います。

小学校以降の教科学習の中で出てくることばは、例えば「はたらく」「やくわり」「つくり」といった、直接目で見ることのできない抽象性の高い語が使われていて(「はたらくじどう車」国語小1上・教育出版)、このような抽象性の高い語を理解するためには、語を自分の経験から離れて対象化し、分析的にとらえる力が必要になってきます(「メタ」=対象化・客観的)の意味です。

こうしたメタ言語意識が育ってくるのがだいたい5~6歳頃で、ことばを対象化して面白さを見出して楽しむのが「ことばあそび」です。例えば、次のような質問クイズ。

 

「そらの上になにがある?」⇒普通に応えると「雲、太陽、宇宙・・」など。コミュニケーションのためのことばのレベルではそうなりますが、意味ではなく語(音階)の構造に メタ言語意識.jpgのサムネール画像着目すると「シド」。

「せかいの真ん中にいる昆虫は?」⇒(意味を考えると)「?」ですが、「せかい」という語の構造に着目すると「か(蚊)」。

 

このようなメタ言語意識を育てる活動を、言語の構成要素である「音韻論」「意味論」「統語論」「語用論」の各領域に即して取り出してみた のが右表です。また同時に、これらの項目は、きこえない子どもの言語発達上の課題となる項目でもあるので、こうした観点から子どもの言語発達の実態を把握し、その課題をクリアしていくことが、生活言語から メタ言語意識を高める活動.jpgのサムネール画像学習言語へレベルアップしていくことに繋がります。

 

例えば、きこえない子が、日本語を身につける上で最初に課題となるのが、「音韻論」の「音韻意識」の問題です。

日本語は、一つ一つの音韻(音節)が繋がって単語が作られ、単語が繋がって文が作られていますが、この仕組みを知ることが必要です。手話・指文字を使っているきこえない子の場合、この音韻に気づくのは比較的早く3歳頃から始まりますが、ワーキングメモリー(短期記憶・作業記憶)が弱い子は、3音節のことばがなかなか覚えられない、といったことがあります。こうした子どもたちは、すぐには長い音節からなることばは覚えられないので、二音節ないし三音節のことばを言ってその通りに言う「オウム返しゲーム」とか、「い、う、え、お、か、き・・」など一文字でも意味のあるモノを使った「一文字かるた」とか、お風呂に指文字表を貼って風呂から上がるときに唱えるなどから始め、「あいうえおかるた」「あのつくことば集め」「しりとり」などに発展させていくことで、日本語の音韻を獲得するようにします。

 

次に「意味論」の「概念カテゴリー」の問題があります。語(単語)の概念の豊かさ、上位概念・下位概念など多重構造をもった心的辞書の構築といった語彙獲得の問題は、このHPでも「ことば絵じてんづくり」や「ことばのネットワークづくり」のところで何度か取り上げています。文が読めるかどうかの大きな要因のひとつが、語彙力(量的・質的豊かさ)の有無です。まず、その語のもつ意味を的確に獲得すること、そして、さらにはことばの字義通りの意味を越えて、「目から鱗」「腹が茶を沸かす」といった比喩・慣用句的表現や「時計持ってます?」(今、何時ですか?)など記号的意味に縛られずに使えるようにしていくことが高学年頃からの課題になってきます。