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短い日記しか書けなかった子どもをどう書けるように指導したか?~ある難聴学級での実践・その2

〇はじめに

以前、「短い日記しか書けなかった子どもをどう長く書けるように指導したか?」というタイトルで、難聴学級での実践を紹介しました。(202212.4投稿記事、下記URL参照)

http://nanchosien.com/nyuyou/03-2/post_258.html


 「昨日、野球をしました。楽しかったです。」(20字)といったワン・パターンの日記しか書いてこなかった高学年児童を、難聴学級初めてという担任が指導した結果、130字の作文を書いてくるようになった、という実践です。字数から考えると、小1か小2くらいの児童が作文を書く時の時数ですから、新しい担任の前はどう指導されていたのだろうと疑問に思われるかもしれませんが、そうした現実を踏まえてそこからスタートして最善を尽くすのが教育ですし、教育に遅いということは決してないので、その子どもの今のレベルをきちんと見定めて、そこから前向きに指導を始めればよい、ということになります。その指導の経過を再度、以下にまとめておきます。


〇第1段階の指導

まず、新担任が着目したのが、語彙の少なさ。語彙は一つ一つ別々に覚えるよりも、①その語の類義語や対義語、上位概念・下位概念を一緒に調べて覚える、②漢字に着目し、漢字の意味から拡げて考える、③必ずその語を使った(できれば楽しい・面白い)例文を作るのが効率的・効果的です。また、ことばとことばの関係性を考えるワークである『ことばのネットワークづくり』(本会発行・令和4・5年度文科省特別支援教育一般図書指定)等を使って指導を始めました。ことばとことばの関係を考えるということは、結局、「同じもの・違うもの」をさまざまな側面からまとめ直す、整理し直すという思考があるので、実は私たちが日々行っている「同じものをまとめ整理して記憶・保存する」という思考方法の訓練になるというメリットがあります。そこは目に見えにくい部分なのですが、あとでその効果がじわじわと出てきます。

 

〇第2段階の指導

「いつ、だれが、どこで、なにを、どうする」という疑問詞(5W1H)を使って文を詳しくする。この指導によって、他人に伝えるときに必要な要素を組み込んだ、基本となる文が書けるようになりました。

 

〇第3段階の指導

 その後、担任は、「いつ、だれ、どこ、なに」という疑問詞に対応する部分(名詞)を、さらに詳しくするために、私たちが文法指導で取り組む「名詞修飾」という方法で、長い文が書けるように指導しました。この方法によって、文はさらに長くなり、例えば、「日曜日の夜」は「星のきれいな日曜日の夜」といった名詞修飾節が作れるようになりました。

 

〇第4段階の指導

その後、4つの段落で文を構成する指導をし、児童は、修学旅行に行った時の作文を、字数こそ130語と少ないですが、起承転結の4段落構成の文を書けるようになりました。ここまで約1年という時間が流れています。ただ、まだ課題は残ります。ここまでの指導で、客観的な事実を詳しく書けるようにはなりました。ここまでが前回アップした記事に書いた内容です。

しかし、作文に表現したい自分の思いはまだ描けてはいません。他者との関わりの中での実際の会話、それに対する自分の感情などを振り返り、それを文の中で表現することなどです。

 


〇第5段階の指導(現在)~その結果は?

ここからが今回報告する内容になります。自分自身の心の中を振り返って、それをどのように表現する指導がなされたのでしょうか? その指導の結果を、児童が書いた作文でみてみましょう。

児童は、『走れメロス』を読んで、登場人物の心情や行動とそれに対する自分の思いを、実際に自分が経験した野球の試合の時の思い・感情と重ね合わせながら「読書感想文」(?)を完成させました。その作文は、先生が構成の技術も指導されたのでしょう、いきなり冒頭で自分の感情を表現し、読者を誘い込むような少し高度な手法が使われています。また、全体の構成も4つの段落構成になっており、まとまりのよい文構成になっています。

ただ、語の使い方などまだまだ課題はありますが、1年前にはたった20語の文しか書かなかった児童としてはとても大きな進歩ですし、順番に丁寧に指導すればここまで来るんだ!と、やはり感動せずにはおれません。初めて難聴児を担任されて苦労されたことと思いますが、本当にご苦労様でした、と言いたいです。教育に遅いということはない、と心から実感しました。

因みに、この読書感想文は、この児童が居住する市の読書感想文コンクールで優秀賞をいただいたということです。本当におめでとうございます! 以下、作文を紹介します。


         

  「ぼくは、元気がでる方をえらびたい」  

 「こいつ、いやだな」

ディオニス王の民を信じようとしないセリフや態度にぼくはこう思いました。

うたがうのが正しいと教えたのは、民なのか。ぼくにはさっぱり意味が分かりませんでした。

 でも、あれた川に飛び込んだり、山ぞくにおそわれかかったりしながら食事もとらずに走り続けるメロスに対して、自分も少しずつ弱気になっていくのを感じました。

「間に合う六十パーセント、間に合わない四十パーセントくらいなのかな。」

百パーセント人間に会うことが信じられなくなっている気持ちに気付きました。

 

「そういえばこの気持ちに似たことを一か月くらい前に味わっていたかも。」

 あれはN市ブロック夏季野球大会の初戦。ぼくが所属しているTファイトチームは、三対一で負けたまま、最終回をむかえました。

このまま負けてしまうか、チャンスが来るかという心ぞうがバクバクする場面。最終回に僕に打順はまわってこないので、ぼくはひたすら仲間を信じ応えんすることしかできません。負けたときにがっかりするから、どうせダメだよと思うと、一気に体の力が抜けていきます。もしかしたら何かが起こるかもと思ってチャンスを信じたら、体中からパワーが出てくるかんじがしました。

 ぼくは、まだむりかもしれないと思う心も少し持ったまま、パワーが出る方に目を向けて力いっぱい応えんしました。その結果、なんと最終回で四点を取り、逆転勝ちをすることができたのです。

 自分にも最初から百パーセント仲間を信じられない心があることがわかりました。

親友のセリヌンティウスが一度うたがってしまったと打ち明けたましたが、その気持ちはよくわかります。本当は王も人間を信じたい人だったのに、何かつらいことがあっていつからか、うたがう心が勝ってしまったのだと思います。

 ぼくも初めから百パーセント仲間を信じることはまだできません。野球で逆転勝ちしたときも、最終回まではムリだろうが四十パーセントありました。

 でも、勝つかもしれない六十パーセントを信じると決めたらドキドキして元気もわいてきて、結果信じられないことが起こりました。力が抜けるより、そっちの方がずっとずっと楽しいです。僕は元気になる六十パーセントの方を信じていきたいです。

 

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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