全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

乳幼児期・学童期

このブログでも難聴児の「心の理論」(*1)獲得の大切さと難しさについて何度か触れてきましたが、具体的にどうすればよいのか、まずは、自らが自転車競技の選手でもあり、映画監督でもあり、ろう学校で子どもたちに絵本の読み聞かせをしてくれる先生でもある聾者早瀬憲太郎さんの子どもの頃の話を紹介したいと思います。以下、ある時の憲太郎さんの講演から。

(*1)「心の理論」:他者の心の中を想像し理解できる力のこと。この力が弱いと人の気持ちが推測できないために相手とうまく関われなかったり社会的な場面でうまく振舞えないなどの問題が生じる。難聴児はここに苦手感があると言われている(2012)。しかしデフファミリーにおいてはそうではないという海外の研究結果もあり、東山薫(2021)は、「親と子が同じ手話という言語を用いている場合は、コミュニケーションも円滑で、言語の意味や構文、他者の心への注意に関する働きかけも円滑に行われ、子どもがそれを知識として取り入れやすいため、心の理論の発達に関しても定型発達児の場合と同じであると考えられる・・」と述べている。

 

〇子どもの頃のエピソード

 早瀬憲太郎さんは幼い頃、聴者のご両親と妹さん、ろう者の母方祖父母と同居していま

した。1階には憲太郎さんの家族、2階には祖父母が住んでいたそうです。憲太郎さん

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は、当時在籍していた奈良ろう学校で、キュードスピーチ(*2)による教育を受けていたため、家庭でも、基本的にお母さんはキュード、お父さんは口話、妹さんは時々キュードも使いながら憲太郎さんとコミュニケーションをとっていたそうです。そして、憲太郎さんが2階に上がると、そこには日本手話で会話をする聾の祖父母がいて、憲太郎さんは祖父母の会話に触れながら、日本手話も獲得してきたそうです。

(*2)キュードスピーチ:5つの母音を口形で表し、子音を手の形で表し、この二つの組み合わせで日本語の音韻を視覚的にわかるように示すコミュニケーション方法。学校によってサインは必ずしも同じではなく、指文字が全国共通であるのとは異なる。口話を補完するものとして京都聾学校で開発されたのが最初で、奈良ろう学校は京都聾学校をモデルにしたと言われている。現在は奈良ろうではキュードは使っておらず乳幼児期より手話を使用している。

 

憲太郎さんのお母さんは、ご両親がろう者の元に生まれた聴者(Children of Deaf Adults:Coda コーダ)です。お母さんは、ご両親と日本手話で会話しながら育ってきているので、手話が堪能です。そして、お母さんはきこえない人の立場をよく理解しているので、憲太郎さんが幼い頃から「見える会話」を心がけていたそうです。例えば電話をしている時に、憲太郎さんが見ているな、電話の内容を気にしているなと思ったら、必ず手話をつけて話してくれていたそうです。いたずらっ子だった憲太郎さんが学校で悪いことをし、学校の先生から電話が来るのではないかと電話を気にしていると、案の定、先生からの電話。心配して見ていると、お母さんはすかさず手話をつけて、会話の内容をわかるようにしてくれたそうです。それを見て、「やっぱりあの話だ、やばい!」と思って小さくなっていた~そんな楽しいエピソードを話してくれたことがありました。お母さんは、きこえる子であれば、電話の話を聞こうと思えば聞くことができる...このように、知らず知らずのうちに音声で膨大な情報が入ってくる聴者の環境と同様な環境を手話で作ろうと努力されていたことがわかります。きこえない人の立場をよくわかっているお母さんだからこそ、こうした配慮ができたのでしょう。

それから、憲太郎さんは次のようなエピソードを語ってくれました。幼い頃、花が枯れ

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ているのを見て、お母さんは「お花が寂しそう。」、お花が元気に咲いていると「お花が嬉しそう。」そんなふうに話していたというのです。そんなお母さんの話を憲太郎さんは見て(聞いて)いたそうです。普通は「お花が枯れちゃった。」「お花がきれい!」...そんなふうに話すと思いますが、憲太郎さんのお母さんの語りかけは違っていました。お母さんのセンス、感性が、自然とそのような語りかけにあらわれているのだと思いました。憲太郎さんは、こうしたお母さんの語りかけを紹介しながら、「枯れた」「きれいだね」以外にもこうした表現があること、こうした語りかけの工夫が、子どもの豊かな言語環境になり、子どもの言語センスや、言語力にもつながっていくことを話してくれました。

 

〇「きもち」を言語化し、互いに伝え合うことの大切さ

きこえない・きこえにくい子ども達にとって、安心して会話に参加できたり、情報を豊かにとったりするためには、音声言語だけのコミュニケーションでなく、手話を使ったコミュニケーションが大切です。発達の早い時期から視覚的に確実にお互いに伝えあえる言語だからです。

手話からスタートして手話で語りかける習慣がついてきたら、今度はこうした語りかけの内容を吟味していきたいものです。もちろん、聴覚活用ができ、音声言語中心になってきている子どもにとっても、その語りかけの内容次第で、子どもに与えられる言語環境は広がりを見せます。例えば、憲太郎さんのお母さんが「寂しそう」「嬉しそう」とお花の様子に合わせて使っていた気持ちを表すことばは、「寂しい」「嬉しい」といった気持ちを表すことばの概念がきちんと理解されていることが大切です。そうでないと、気持ちを表すことばを花に使ったとしても、花の状態に合わせて理解することができないと思います。ですから、普段から子ども自身が「嬉しい」「楽しい」「おもしろい」「寂しい」「悲しい」「がっかり」「しょんぼり」「悔しい」「こわい」・・・と感じているであろう場面で、大人が子どもの気持ちを代弁して、身振り・表情などと共にことばを添えてあげることがまず必要です。子どもがおもちゃを友達に取られて泣いていたら、「悲しいね。」「とられて悔しいね。」と、プレゼントを貰ったら「嬉しいね。」、追いかけっこをして笑っている子どもに「楽しいね。」、おどけている友達を見て「おもしろいね。」というように、似たようなことばでも、その場、その状況、その気持ちに合わせてニュアンスの違いをつかめるように、まずは大人が子どもの気持ちを代弁して、ピタッと合ったことばをあてはめて伝えていきたいものです。

そして、もう一つ大切にしていきたいのは、大人が自分自身の思いや行動をことばにして伝えることです。例えば、絵本を子どもに読み聞かせ終わったときなどは体験を共有しているのでお母さん自身が感じていることも伝えやすいですが、直接、子どもが体験していないこと、例えば、お母さんが自分でテレビを見ていて面白いと思った。でも、そばにいる子どもにはわからないと思ったとき、自分だけ笑っているだけではなく、テレビの面白かった内容を伝えながら「○○が ~したのがおもしろかった」などと伝えるのも大事です。もちろん、子どもにその面白さを解説しても本当の面白さは伝わらないでしょう。でも、「お母さんは、そういうことを面白がるんだ」ということは伝わります。そこがまず大切なことです。あるいは、宝くじを買ったけどハズれた時なら、「宝くじに当たるか楽しみにしていたんだけれどもハズれちゃった。悔しいなあ。がっかりだわ。また、冬に買おう!今度こそ当たるといいなあ。」というように、子どもには関係ないと思わずに、どんなことでもことばにして伝えることが大事です。大人の感じたこと、気持ちをその背景と合わせて伝えることで、言語環境は一気に豊かになります。さらにまた、お母さんが具合いの悪い時にも、「ママ今日は頭が痛くてつらいの。学校に行きたいんだけれども、動けないんだよね。○○ちゃんは、学校に行きたかったね。でも、ママは病気だから、今日は残念だけれども学校はお休みするね。ごめんね」と、どうして行かれなくなったのか、きちんと説明する習慣が豊かな言語環境を作ります。「今、洗濯物を干しているよ。洗濯が終わったら、お掃除をするよ。お掃除が終わったらお茶碗を洗うよ。全部お仕事が終わったら、一緒に遊ぼうね。ママね、今日はとっても忙しいの」と、『忙しい』ということばの概念をつかませるために、どういうことが忙しいことなのか説明が必要です。こうした日々の具体的な場面の中でリアルタイムに語りかけることで、子どもに「忙しい」とはどういうことなのかという概念が伝わると思います。あるいは、「パパ、今日飲み会だって。会社の人たちとお酒飲んでくるらしいよ。だから早く帰れないんだって。夕ご飯は一緒に食べられないから、ママと二人で食べようね。パパ、酔っ払って帰ってくるかなあ? 赤いお顔で、お酒臭いかもしれないね。」と語ることで、仕事に行ったという情報だけが入っている子どもにとって、お父さんが寄り道をして帰ってくることや、お酒を飲

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むってどういうことか...といったことの意味が伝えられていきます。このように、お母さんが感じている事だけではなく、お母さんが今している事、予定、し終わったこと、家族のことなど含めて何でも話題にして伝えるようにしていくことが大事です。それが子どもの物事の概念・意味を広げ、他者のこと、他者の心への関心がもてるようになっていくことにつながっていきます。

子どもが見ているモノやこと、感じているであろう気持ちの言語化の大切さから始まり、さらにグレードアップした語りかけは、お母さん自身、さらにお父さんをはじめ周りの人たちの思いや行動について語ることです。このことは、おしゃべり好きな人には意識すればできるようになるのですが、元々無口な方には、その習慣化は慣れていないので難しいものです。しかし、子ども達に育てていきたいもの・コトの概念は、発達早期においては手話でどれだけ豊かに会話ができているか、情報や概念が豊かに入っていくかがベースになり、それを元に次は、文字や指文字、音声などを使って日本語につなげていくことです。子どもが身につける日本語が豊かになるためには、ここで述べてきたような身近な大人の語りかけがとても大きいことを再度確認しながら、日々の生活の中でさらに日本語の習得にもつなげていただきたいと思います。「子どもが見て、聴いていたかな、伝わったかな。」を確認しながら、丁寧に伝えてほしいと思います。 (S&K記) 

先日行われた第17回全国聾学校作文コンクールで銀賞を受賞した難聴高校生の作文を紹介したいと思います。

 

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  この高校生・伊藤匠人(たくと)君は、都立ろう学校で乳幼児相談から小学部まで12年間通い、中学部から筑波大学附属聴覚特別支援学校に入学。現在高校2年生です。2年前の中学3年生のときに、全国早期支援研究協議会から出版された『手話で育つ豊かな世界』(右参照900円)に手記を掲載したことがきっかけで、それまでの自分がどのように育ってきたのか、改めて見つめ直す機会となりました。それから2年の月日が経ち、今回書いたのが以下の作文です。彼は自分の育ちを見つめ直すことから、さらに自分が受けてきた教育そのものについて考えることへと思考を深め、高2の今、大学に進学し当事者研究の道へ進みたいと考えているようです。

以下、作文を紹介します。

 

           障害の肯定      

 筑波大学附属聴覚特別支援学校高等部2年 伊藤 匠人

  聴こえない子どもの90%は私のように聞こえる親から生まれてくると言われている。私が中学三年生の時、聴覚障害者の立場からの聴覚障害に関する寄稿を、ある協議会から依頼された(注・前述『手話で育つ豊かな世界』)。それまでは、自分の聴覚障害を「生まれながらの聴こえにくさ」として漠然と受け入れてきていたが、この寄稿を機に自分の障害と真正面から向き合う経験をした。

 聴覚障害を持つ当事者として、生まれてから今に至るまでの自分を描こうと思い、母の育児日記を読んだ。そこには、聴こえないことが分かってからすぐに通い始めた乳幼児相談での三年間が記されていた。乳幼児期のことは覚えていないが、何か懐かしい感じがした。しかし、そこには「どう育てればよいのかわからない」という母の不安な気持ちが記されており、私は複雑な気持ちになった。なぜなら、私を子に持った両親が悩み、不安でいっぱいになり、周囲のサポートを必要としていたのに対し、私は今日まで不安とは無縁の楽しい毎日を過ごしてきていたからだ。

 母に当時のことを聞いたところ、

「乳幼児相談での三年間というのは、先生方や成人の聴覚障害者との出会いだけでなく、同じ障害を持つ子供の親として仲間と出会い、一緒に子供たちの成長を見守った有意義な時間だった。そして成人の聴覚障害者の方々との関わりの中で、親である自分自身の聴覚障害に対する価値観が変わり、我が子の障害を否定することなく育てていく土台ができた三年間だった。」

と語った。

 母の話を聞いて、私自身が自分の障害を肯定的に捉え、成長することができているのはこの乳幼児相談の時から今日まで、自分の障害を近しい人たちが否定しないでいてくれた

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ことが大きく関係しているのだろう、と思った。現に私は自分の障害を悪いものなどと思っていない。それどころか、自分の障害を健常者として生まれ、生きていたら出会うことすらなかっただろう世界の扉を開いてくれたものであり、自分の個性でもあるという風に肯定的に受け止められている。

 また、日記一つをとってみても、母が私のためにいろいろな配慮をしてくれていたことがすぐにわかる。例えば、手描きの絵を多く描いている上に、文中の助詞に色を付けてくれている。しかもこれを毎日やってくれていたのだ。母のこの配慮のおかげで、それなりに日本語力を身に着けられ、「聴覚障害者じゃなければなあ」なんて思うこともなく過ごせているのかもしれない。他にも私の知らないところで配慮のお願いをしてくれていた。このように母をはじめ、周りの人に支えられてきていたことを強く実感した。同時に、自分の障害を自分の周囲の人たちの支えと関連付けて見直すきっかけになった。

 高等部一年生の冬、筑波大学主催の共生シンポジウムというものに参加した。これは筑波大学の附属十一校が共生社会を目指して交流するというものであり、我々附属聾学校は「聴覚障害について」「コロナ禍での工夫など」の二つを軸として発表をした。聴覚以外の視覚、肢体、知的などの障害についてのリアルを知れたり、健常者の障害に対する捉え方を知れたりと、とても有意義な時間だった。

そして、発表までの過程で、どんなことを発表しようか附属聾の参加メンバーで話していた時に「一口に聴覚障害といっても、一人一人、聴こえにくさの程度は違うし、求めている配慮も違うから、それを伝えるのもいいんじゃない」という声が上がり、私ははっとした。今までの自分は、聴覚障害はみんな同じようなものでさしたる違いはないと思っていたが、そうではなかったのだ。確かに一人一人聴こえ方にも発声にも違いがある。そんなことも発信していかなければわかってもらえないだろう。ここでも自分の、自分たちの障害について見つめ直させられた。

 私は将来、聴覚障害の当事者として様々なことを発信できる研究者になりたい。当事者の視点を生かし、健聴者と聴覚障害者の間をより強固に結ぶ架け橋になれたらいいと思う。それから、乳幼児相談という場所は子供にとって人と関わる能力の発達を支援する場所であること、そして親にとっては、あるがままの我が子を大切に想い、障害を受け入れるために必要な場所であるということも広めていきたい。

 そうすることで障害に対して肯定的に生きていける人を一人でも増やせたらいいなと思う。そして障害を肯定的に捉えられるようになるには、当事者と周りの人、どちらかの意識でも欠けていたら難しい。当事者と周りの人の力が合わさって、やっと肯定的に受け入れられるようになるのだと思う。そのために力を尽くしたい。

 

 以上が作文の全文です。彼は自分自身を振り返る中で、自己肯定感をもって育つことの

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大切さを実感し、そのルーツを探っていく中で、最初の支援の場であったろう学校乳幼児相談に辿り着き、「私自身が自分の障害を肯定的に捉え、成長することができているのはこの乳幼児相談の時から今日まで、自分の障害を近しい人たちが否定しないでいてくれたことが大きく関係しているのだろう、と思った」と述べています。そして、「乳幼児相談とは、子どもにとって人と関わる能力の発達を支援する場所であること、そして親にとっては、あるがままのわが子を大切に思い、障害を受け入れるために必要な場所」と、明快に語っています。

 これ以上私がつけ加えることはありません。子どものあるがままを受けとめ、手話も日本語も大切に育てることをめざしてきたろう学校乳幼児相談のこれまでの実践と歴史を振り返りながら、私なりに感慨深いものを感じつつ、ろう学校の乳幼児相談や教育の方向性はこれでよかったんだなあと改めて思った作文でした。そして、わが国の当事者研究の分野はまだまだこれから。ぜひ、そうした分野も切り開いていってほしいと思います。(木島記)

ある聾学校の乳幼児相談では、さまざまな生き物を飼っています。ちょうど今は、おたまじゃくしとかたつむりが子どもたちに大人気で、おたまじゃくしにパンをあげたり、かたつむりにキャベツをあげたり、子ども達はえさやりに夢中です。そして、カタツムリのウンチを探したり、土を湿らすために水をかけたり、お世話することも楽しいようです。

4月から育てたおたまじゃくしは、4匹がカエルになり、そのうち1匹は放す前に死んでしまいましたが、残り3匹は元気に自然界へと巣立っていきました。大きなカエルに育って戻っておいで~という感じです。死んでしまったカエルは、子ども達といっしょに埋める時間もなかったので、やむなく大人がお墓を作りましたが、死んだカエルの写真が貼られたお墓を見ながら、なんとなく子ども達は理解してくれたようです。

乳幼児教育相談は、毎日通ってくる生活の場所ではないので、こうしたおたまじゃくしからカエルに成長していく過程を見届けてもらえないのが少し残念です。「おたまじゃくしは、カエルになる」とことばで説明するのは簡単ですが、子ども達にとって、体が変化していく過程を見ながら、おたまじゃくしがカエルになることを見ることが何よりの経験です。そして、一つひとつの驚きを親子で共有することが大事で、それが「カエル」や「生き物」についての生きた概念を獲得することにつながります。だからこそ、「家庭で生き物を飼いましょう!」と言っているのですが、ママたちの「結構です!!」にあきらめるしかなく、ちょっと残念です(都会のマンションでは仕方ないかも・・)。

 

〇「今、ここで」の子どもの興味・目線に立って関わることがスタート!

 これまで、乳幼児相談や幼稚部のお母さん方に話してきたことの一つに「子どもの興味と目線に添ってかかわりましょう。」ということがありました。今回のおたまじゃくしやカタツムリ体験では、まさにそこに子どもが飛びつけば、いっしょに見て、会話して、関わるお母さん達の姿が見られました。こうした子どもが自らかかわろうとする場面を親子で共有することがスタートです。それは、興味のあることを誰かと共感したい、一緒に楽しみたいという思いを子どもたちが持っているからです。ですから、そばにいれば、子どもが「ねえ、ママ、見て!パン食べたよ!」と、身振り手振りでママに伝えたいと思って目を向けた時に、ママがそばにいて、「ほんとだね!すごいね!」と共感してあげることが何より大切になるわけです。その時、子どもが感じた事をことばにして応答してあげる・・「そうだね。おたまじゃくしがパンを食べているね。アムアム、おいしいって、食べているよ。おなかすいていたのかなあ?」等々、今、見ていることについて、子どもはこんなことを伝えたかったんじゃないかなあと思って応答してあげる、その子どもの興味に添ってかけられたことばが、子どもにはとても意味あるものとしてインプットされる。こうしたことから、子どもの興味関心に添う、目線に添う対応を繰り返していくと、子どもはいつも受けとめられる安心感とともに情緒が安定し、ママは、子どもにとって大好きな存在、コミュニケーションの大切な相手として認めてもらえるようになります。コミュニケーションの相手として認められれば、子どもからのママへの発信は増え、やり取りが親子で盛んにおこなわれるようになるのは当然ですね。やりとりの中でママが上手に豊かにことばを使ってお話してあげれば、子どもの獲得することばとものごとの概念が豊かになる。こうした意味から、子どもの気持ちに寄り添う対応は何よりも重視される必要があります。

 

〇「あのとき、あそこで・・」

 さて、この「今、ここ」での体験の共有から次のステップ、「過去の経験をもとに会話する」ことです。手話からスタートした子どもたちは、2歳位になると自分の体験の記憶がイメージとして浮かぶようになります。

 

・体験カードをつくる

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例えば、今回の生き物の例ですと、まず、ママは、子どもが学校でカタツムリを喜んで見ていたなあと、その体験をしっかり覚えていることが大事です。その体験を、絵に描いたり、写真を撮って貼ったりしながら、体験カードを作成し、その体験を視覚的に確認し、一緒に思い出して会話することが、体験を言語化する一つの方法です(これがやがて絵日記やことば絵じてんに発展していくわけですね)

 

・再現あそびをする

また、ママがかたつむりになって、子どもからキャベツをもらう遊びを繰り返すといったカタツムリごっこをする(再現遊び)というように、親子で遊びながら体験の言語化をする方法もあります。これも体験を発展させる有効な方法です。

 

・体験をさらにことばで膨らませる

そして、さらに、大事なのは、体験を発展させる対応を通してやりとりをふくらませる対応。例えば、「そうだ、カタツムリに餌を持っていこうよ。冷蔵庫に、キャベツはあるかなあ。・・・ないね。他に何を食べるんだろう。ニンジンは食べるかな。パンは食べるかなあ。」と学校に行く前日に、こうしたやりとりをすることが一つです。

年中・年長児であれば、「カタツムリは何を食べるのか調べてみよう」「おうちの本には載ってないねえ。図書館に行って、図鑑を見て調べよう。」というように、「本で調べるとわかる」こうしたことをママは子どもに伝えていかれるといいのではないでしょうか。そして、調べる面白さを通して、本への興味を培うこともできるでしょう。図書館を知らない子どもであれば、こうした機会に図書館に行ってみることで、「本がいっぱいある所!」「図書館の本は買えないけれども、借りることができる。でも、また返さなければならない。」「この面白い本を何日まで借りられるのか、何日おうちにおいていいのか、何月何日に返さなければならないのか」、図書館を利用しながら、「貸す」「借りる」「返す」、日にちや数等、大きめの月カレンダーなどを見ながら学べることがたくさんありますね。すぐに答えを教えるのではなく、子どもが自ら発見する方向に導いてあげるという意味で、「調べる」ことを楽しんではどうでしょう。

 

また、「学校のカエルは死んじゃったね。先生がお墓を作ってくれたねえ。明日学校に行く時に、お花をお供えしようか。カエルさんに、お花どうぞしようか。そして、ナムナムお参りしようね。なんて、お参りしようかな。カエルさん、元気に生まれてきてねって、お話しようかなあ」等、死んだカエル体験もお墓を1回見て終わりではなく、興味を持ったことであれば、つなげていくことが、体験を発展させる対応も大事です。

先日、2歳児のMちゃんが、おたまじゃくしを見ながら、突然「カエルは死んじゃったね。」と悲しそうにお墓の方を指さしました。そして、お墓に行きたいと。再度お墓を見て、「カエル、死んじゃったね。」とMちゃん。悲しそうな顔をして手を合わせていました。埋める所は見せてあげられなかったのですが、お墓を見せて説明をしたことをよく覚えていたのだなあと感心させられました。今回のお墓経験を機に、おうちで身近な方のお墓参りをした経験を思い出すなどして、話題を広げていかれるといいですね。カエルの死を経験した子ども達は、今度どんなに小さな生き物が亡くなった時にも、死んじゃったからお墓を作ってあげよう、埋めてあげようというように、子どもから発想できるようになっていくのではないでしょうか。こうした体験、会話を通して、『お墓』が亡くなった人(生き物)が眠る所、と子どもは理解をしていくことでしょう。死んだら土に帰る、天国に行くのかなあ等、年齢に応じて色々な話ができるようにもなっていくのではないでしょうか。生き物は、上手に飼えなくて、死なせてしまうことがあっても、それも子どもが育つ上で貴重な経験。体験を親子で共有し、言語化する、そして、体験したことを通して、さらに発展的なかかわり、会話を重視することを心がけていきましょう。


子どもの成長に合わせて、体験カードのようなものも活用しながら、会話を豊かにして行くことを心がけてほしいと思います。生きたことば~実感、イメージを持ったことばの獲得は、まさにこうした一連の活動を親子で共有しながら何を語り合えるのか、その会話の豊かさにかかっています。

ただ、たくさん出かけて色々な事を経験させて終わり~ではもったいない。お金をかけなくても、日々のささいな経験を通して、親子で会話することはいくらでもできます。体験したことを親子で、どうそれを消化するか、それが豊かな言葉とものごとの概念を広げていくのだと思います。                       

ホームページの「見て理解する世界」から「ことばとイメージで理解する世界へ」(4.16)などを読んだ、ある聾学校幼稚部の先生から次のようなメールをいただきました。以下に引用します。

 K式発達検査の中の重さ比べが苦手な子どもが多いなぁと感じています。「先生は重いからおんぶできない」という言い方はよくしていますが、見た目が同じ普通のサイコロの重さを比べて、重い方を先生に渡す、という課題につまずきが多いのは、視覚情報では解決できないからですよね。「大きいー小さい」「長いー短い」「明るいー暗い」と、見てわかる比較は得意だけど「重いー軽い」が相対的に評価できるようになるまでにはたくさん経験が必要なんだなあと思います。さつまいもの重さ比べとか、感覚だけでなく、ちゃんと測りで重さを調べて数字で確かめるとか必要なんだなあと感じています。

 

 確かに、難聴児は「見えていないこと」を想像・イメージすることが苦手な面があります。今日はこのことについて考えてみたいと思います。

以前にも書きましたが(HPTOP>乳幼児期・学童期>豊かなイメージを持った言葉の獲得を!4.7記事 参照)、複数のものを同時に考えられるようになるのはだいたい2歳ご

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ろからです。それまでの1歳の頃は「ひとつ」の世界が中心。あそびもリンゴやバナナの玩具をただ口に入れる真似をするだけでした。言語も1語文の世界です。しかし2歳くらいになると包丁でりんごを切って食べる真似をするなど、二つのモノを関係づけてあそべるようになってきます。「じゅんばん」ということもわかってきます。この頃、言語も「2語文」の世界に入っていきます。数量の概念も「2」がわかるようになります。「象みたいに大きい」といった比喩の表現も少しずつできるようにもなります。比喩も二つのもの比べるからこそ出来る表現なので、

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複数のものの関係性がわかるようになってきたことを示しています。2歳児のキーワードは「複数・関係性」だと言ってもよいと思います。 

関係性がわかるようになるこの頃に、比較の概念も発達してきます。もちろん早期から手話を使うことによる言語発達の結果なのですが、右の難聴児の保護者の記録は、その頃に「長いー短い」などの概念が獲得されていく過程がよくわかります。発達には個人差がありますが、「大きいー小さい」「長いー短い」「よいーわるい」などがわかるようになるのはだいたい2歳以降です(発達には個人差がありますが)。この頃に、実物

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を体験しながら「大きいね」「小さいね」などの言葉を使ったり、二つのものを見せながら「どっちにする?」などとくらべながら、比較の概念も育てていきます。この時、絶対的に大きいもの・小さいもの、例えばゾウとウサギでは実際に見て絶対的に大きさが違うのでわかりやすいですが(具体的対概念)、抽象的な図形である大小二つの〇を見せてどっちが大きいというのはやや難しい。それでも3歳頃にはこうした抽象的対概念もわかるようになってきます(「太田ステー

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ジ・Ⅲ―2」の○の大きさの比較)。ただ、「重いー軽い」は見た目ではわからず実際に持ってみなければわかりませんから、「重い―軽い」の概念がわかるようになるのは発達的にやや遅く一般的には3歳半から4歳頃です。いずれにせよ、比較の概念を育てることは、もの・ことの関係を考える力を育てるということです。そのためには実物に触れることはもちろんですが、頭の中にもの・ことの概念がいっぱい貯められるよう象徴あそびやごっこ遊びなどの中で豊かなイメージを築けることも大事です。この力は、「今、ここにないもの」「見えないもの」について頭の中に思い浮かべる力を育てるからです。この、頭の中にイメージを浮かべられる力は、文字や数字、記号といったシンボルを動かす力にもつながりますし、他人の立場で物事を考える「他者視点」を育てる力にもつながります。3歳頃に「なりきり遊び」などを沢山やった子どもは、まさにこの「他者視点」を学んでいることになります。他人の立場に立った振る舞いや考え方の練習をしているわけですね。このような他者視点の力が育ってくるのは4歳頃からで、幼児期に特徴的な「自己中心性」からだんだん抜け出ていく過程でもあるので「脱中心化」などとも呼ばれています。別の言い方をすると、もう一人の自分が自分のことを外側から見つめる力の育ち。これを「自己対象化」とも言います。

 自分を外側から見ることができるということは、自分を自分で言い聞かせることができるようになったということですから、我慢できる力=自制心の育ちにも繋がりますし、ものごとを「自分」だけの見方ではなく、「自分」から離れた別の見方があることに気づけるようになったということでもあるわけです。

 

「他者視点・脱中心化・自己対象化」~見えないものをイメージする力

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さて、難聴児は、「見えないもの・こと」について考えることが苦手と書きましたが、確かに、難聴児は、他者の心を想像する「心の理論」課題の発達が遅れる傾向にあることはよく知られています。右のグラフは、「心の理論~いわゆるアンとサリーの課題」で、自分の知っていることと区別して、他者が心の中で考えていることを想像できるかどうかを調べた数値です。黄色い棒グラフが、全国的な調査研究で行われた難聴児の結果です。他者の心の中を想像できる子どもが半数を超え

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るのは小学校3年と遅いことがわかります。また、赤い棒グラフは聴児の結果で、聴児が半数を超えるのは年長ですから、聴児と難聴児では3年間の差があることもわかります。この図の下の青い棒グラフは、私がやった、3つの聾学校に通う子どもの結果ですがやはり聴児よりは低い結果でした。見えない他者の心の中を想像することは、やはり難聴児にはなかなか難しいようです。他者の心を想像できないということがそのままずっと続いていくと、将来、人間関係の持ち方にも影響する可能性があります。先日、ある会社の人事担当の方から難聴者についての次のような内容のメールをいただきました。

 

「オブラートに包んだ言葉がなく、表現がストレートで言葉がきつく感じることがあります。言葉の温度感がない分、愛想がなく冷たい感じがすることも多いです。また、敬語や装飾語がないため、仕事をしていく上で相手に失礼にならないように、健常者が受け取る感覚をお伝えする時もあります。」


 状況にあった語彙の使い方や豊かさとか敬語といった日本語の文章力の問題もあると思いますが、「こう書いたらメールの相手はどう受けとめるのだろう?」といったメールを読む相手の心・気持ちへの想像力の弱さ、つまり見えないもの(=相手の心のうち)を想像する力の弱さもあるのかもしれません。そういえば難聴中学・高校生たちのメールでのトラブルは非常に多いです。書記言語は全ての情報を正しく言語化しないと相手に伝わらないのにその表現がつたないこと、それに加えて自分の言いたいことだけを言って、「こういうふうに言うと相手はどう思うのだろうか?」という思考がなかなかできないことから、誤解を生じトラブルになる。SNSはある意味便利ですが、必要なことを打ち合わせる程度にとどめておかないと、人間関係にまで影響するリスクが常にあるということです(これは私たち聴者にもよくあることですね。人間関係に関わる内容のメールでのやりとりはNG。そういう話は対面で直接やりとりすることですね。表情、身振り、仕草、語調など含めた非言語情報をアルタイムに使って伝えることができるのはやはり直接対話です)

 話を元に戻して、先日、「見えないものの大きさを比べる課題の躓きが多い」ということをこのHPにも書きましたが、今回、聾学校幼稚部の先生からメールをいただき、「見えないものを想像するする」力を育てることは、幼少の頃より私たち大人が、意識的・意図的に育てていく必要があるのだなと改めて強く感じました。そのことがいろいろなもの・ことの関係性の理解や人の心への想像力を育てることにつながるということ。

・・とここまで書いて、「じゃあ、きこえないもの・ことを想像する」って、難聴児にはもっと難しいことだなと思い、難聴幼児たちが語ったことばを思い出しました。

「先生、タクシーの運転手さんは、どのタクシーの運転手さんもみんなぼくの家を知っているんだよ」(母親が運転手に行先を告げていることをこの子は聞き取れていなかった。難聴児は「ききかじる」ことが難しいという現実)、

「先生、近所の友達は、公園で遊んでいてもみんな同じ時にパッと帰っていくんだよ。不思議なんだ~」(5時に流す役所の「夕焼け小焼け」のミュージックサイレンの音が聞き取れていなかった。きこえる子たちは5時の「夕焼け小焼け」が聞こえたら家に帰るという約束を皆知っていた)ということば。

 

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見えないものが想像できず、きこえないものが想像できなかったら、みんな誰でも知っているはずという暗黙の前提で成り立っている社会の中で、難聴児・者の振る舞いや発言が「相手への配慮や思いやりが足りない」とか「自己中心的だ」とか「常識がない」とか「こちらを無視している」とか、いろいろな問題が起こって、結局本人の人格や性格の問題、言語力や思考力のなさの問題にされてしまうのではないかと思います。「見えないことを想像する力」を育てることと同時に、「きこえないこと」(これはどこまでいっても本人には

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わからないことなので)についてもできるだけ言語化することて知識化を図ったり、さらには家庭の中では皆で手話を使って、見える会話をすることや、情報を共有するために難聴児本人に「ねえねえ、あのね」と、注意を喚起してから話すなどの情報の保障が大事なんだと改めて思いました。右の図は、難聴児が置かれた家庭や教室の中での現実ですが、他者の心が想像できないのは、音声情報中心の環境では、周りの人が何を話し、何を考えているのかもわからない。結果的に「自分にはわからなくても仕方がない」となったり、「自分はわか

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らないのがふつう。必要なことは言ってくれるから」というふうになり、やがては「相手がどう思っているのかも考えることもしなくなる」のかもしれません。関係性の理解の障害は、こうして起きてくるのではないかと考えると、幼いころから、もの・こと・ひととの関係性を考える機会をたくさん難聴児がもてるように配慮・支援していきたいものだと思います。

 

聾学校の乳幼児相談に来る子どもたち。興味関心は様々です。生き物が大好きな子はザリガニやカブトムシの幼虫や成虫を見たくて、飼育ケースに飛んでいきます。一方で全く関心がない、嫌い、怖い!と近寄らない子もいます。教室では決まって、ボール転がしのおもちゃをひたすら繰り返す子もいますし、プラレールが何より大好きな男の子もいます。ジャングルジムやすべり台の固定遊具が大好きで、体を動かしていればご機嫌な子もいます。体を動かすことが苦手な子の親御さんは、もっと体を動かして遊べばいいのに~と思うようですし、みんなが青虫を見ている時に、誘ってもわが子だけ遊具に向かっていると、うちの子も青虫を見ればいいのに~と思いたくなるようです。その気持ちはよくわかりますが、乳幼児期の子どもは「自分のこと、自分の世界」が当たり前。大人の思うようにはならないものです。

 しかし、年齢によって遊び方は変わってきます。1歳半~2歳頃までは数分毎、時には数十秒で遊びが変わります。今ボールコロコロの遊具で遊んでいたと思ったら、今度はミニカー、と思ったらすべり台~というように。「うちの子はどうしてこんなに落ち着きがないの? 集中力がなくて、大丈夫かしら・・」と心配する親御さんたちはたくさんいます。

でも、2歳が近づく頃から少しずつ一つの遊びに没頭する姿が見え始めます。遊び込むことができるようになってくるようです。一つの遊びが長く続くようになったなあ~そんな風に親御さんも少しずつ実感できるようになっていきます。年齢や発達の時期の特性に合わせて、また、個々の興味関心に合わせて遊びに付き合うことが、この時期とても大切なのです。

 

〇「図鑑型」と「物語型」~子どもの興味関心

さて、少し前になりますが、発達心理学者の元お茶の水女子大学教授内田伸子先生の講演があり、とても興味深いお話を伺うことができました。以下、紹介してみたいと思います。

 まず、生後10か月の赤ちゃんとお母さん100組に集まってもらい、プレイルームで遊ん

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でもらったそうです。その遊んでいる最中に、いきなり犬型ロボット「アイボ」が入ってくるという設定です。そのロボットが入ってきた時に、100人の赤ちゃんたちの反応が二つに分かれたそうです。100名の内62名の子ども達はお母さんの顔を見上げたそうです。そして、38名の子どもはじっとアイボを見続けたそうです。これはどういうことかというと、お母さんを見た赤ちゃん達は、「ねえママ、あれは何?」「ママ、見て!」というように、お母さんに何かを尋ねる、お母さんはどう思っているの?...そのような思いに基づいた反応だといえます。しかし、お母さんを見ずにアイボを見続けた赤ちゃん達は、その見たこともないアイボというモノ、物体にくぎ付けだったということです。

面白いのは、この同じ100名の赤ちゃんを対象に、今度は1歳半になった時に同じ設定でアイボを登場させたところ、全く同じ62名がお母さんを見て、全く同じ38名がアイボを見続けたという結果だったそうです。お母さんを見た赤ちゃん達は、「社会的参照」といって、新奇な場面や事物に接した時にどう反応して良いか迷い、お母さんの表情を手がかりにして、行動を決定する子供達です。お母さんが「あら、ワンワンのロボットね。かわいいね。行ってみよう。」と明るい表情で赤ちゃんに応答すれば、赤ちゃんは安心してアイボに近寄るでしょうし、お母さんが「なにあれ?!」と驚きや怪訝な表情を示せば、赤ちゃんはそのアイボを警戒することになるというように、お母さんの表情や応答、つまり人を頼りに物事を捉えるのが、この赤ちゃん達のタイプ(62名)といえるようです。一方で、アイボを見続けた赤ちゃん達は、お母さんの反応に影響されず、自身が興味津々見つめてしまう、つまりモノへの興味が深いというタイプ(38名)といえるようで、人、モノに対する興味の差が、実験の結果に表れたというお話をしてくださいました。

実は、62名のうちの80%は女子、38名のうちの80%は男子だったそうです。つまり、人間関係に敏感なのはやはり女子の方が多く、モノの動きや因果的成り立ちに敏感なのは男子が多い、という傾向があると内田先生はおっしゃっていました。内田先生は、女子に多い、人間関係に敏感な子供達はままごとや物語が好きな「物語型男子に多い、プレレールやカプラの積み木、砂場でダムに水を流して遊ぶことが好きな子供達は「図鑑型という風に分類できるとのことでした。特に、人に敏感な子供達は、言葉の面でも「おい

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しいね」「こんにちは」等のあいさつの言葉を早く獲得する一方で、モノの変化や動きに関心のある子供達は「電車」「ブブブー車」といったモノの名前の獲得が早いと話されていました。

この話をきいて納得がいったのは、難聴児の手話言語獲得にも男子と女子では違いがあり、男子はモノの名前を多く獲得するタイプの子が比較的多く、女子にはあいさつことばやうごきを伴うことばを多く獲得するタイプの子が多いということです。右の事例は、ある聾学校の女子(A児)と男子(E児)の手話

の表出を保護者が記録したものですが、確か

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に、男の子と女の子では興味の持ち方や獲得する言葉が違うなあと感じさせられます。

因みに、事例の女の子のほうは友達とおしゃべりしたり一緒にあそぶことが大好きで、きこえない仲間たちとのダンシングチームで活躍しているのに対して、男の子のほうは「魚が大好き」という子に育ち、将来"第二のさかなクン"をめざしています。その下の事例の紹介は、その後のE児の育ちから。



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話を元に戻すと、内田先生のお話から、子どもは、ある程度元々もって生まれた個々の特性があり、それが影響して言葉の発達も異なったり、好む遊びが違ったりすることがあるように思います。同じ親御さんから生まれる子どもであっても、兄弟一人一人違うように、個々の個性を捉えて、良い形で伸ばして

あげられるといいのだろうと思いました。一般に男子が「ことばが遅い」と言われるゆ

えんも、「図鑑型」に男子が多いということから考えると、人との関係の中でことばをやり取りして楽しむより、モノに向かって

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その成り立ちやしくみ、動きなどを楽しむことで、一人遊びが多くなることも関係するのだろうなと思います。

こうした生まれつきもったタイプ、特性を知ることで、子どもの得意なものが探しやすくなるメリットがあるかもしれません。プラレールにくぎ付けの子は、つなげ方で変わるレールの形や電車が走るスピード、電車を連結した時と単独で走らせた時の違い、間隔をあけて走らせる面白さ等を楽しんでいるのでしょう。トンネルをくぐる時に一瞬電車が見

えなくなる様子や坂を上がるときの様子、分岐点での車輪の動き、駅に停めようと操作するなど、電車の動きや変化が楽しくて仕方がないのだと思います。こうしたタイプの子には、そばにいてあげて「線路のつなぎ方を変えてみようか? どんな形がいいかな?」「坂ではなかなか前に進まないね」と会話したり、「長いまっすぐのレールをとって」「曲がった短いレールをとって」「二つに分かれる線路はどれかな?」など、丁寧な語りかけを工夫した会話を心がけるといいと思います。子ども一人ではできないことを手伝うことで、人と一緒に遊ぶ楽しさもたくさん知らせていかれるといいですね。

 

〇子どもの語彙力を育てるのはどっち?

 内田先生は、こうした子どもの元々持っている特性についてだけでなく、親御さんの関わり方が子供の語彙力、読み書きの力に影響するというお話もしてくださいました。それは、「共有型しつけ」と「強制型しつけ」で異なるというものでした(「しつけ」というのは関わり方の意味)。「共有型しつけ」というのは、その言葉の通り、子どもに共感的

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に関わり、子どもと楽しい時間を過ごしたり、子どもが喜びそうなことを考えたりして、一緒に体験しながら学んでいくタイプの関わり方を言います。子どもに考える余地を与える援助的な関わりをしたり、子どもの思いを敏感に読み取り、子どもの気持ちに合わせた対応をしたりと、「ほめる、励ます、広げる(3H)」の言葉かけが多いものになります。こうした共有型のしつけの元では、子どもは主体的に探索したり、自律的に考えたりして行動するようになるとのことでした。つまり、遊びに熱中し、楽しそうに遊ぶ、そんな子どもの姿に表れるようです。

一方、強制型のしつけは、決まりを作り、うるさく言ってしまったり、何度も事細かに言い聞かせたり、指示をしたりするなど、子どもの気持ちに寄り添うより、大人の考えを重視するタイプの関わり方です。これでは、子どもに考える余地を与えず、指示的で、過度

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に子どものすること、子供の思いに介入しすぎるものになるので、子どもを援助するような関わりとは言えず、「ほめる、励ます、広げる(3H)」の言葉かけにも欠けてしまいがち。こうしたタイプのしつけで育てられた子どもは、主体的に探索せず、親の指示を待ち、顔色をうかがい、いつも緊張している子になりがち、ということでした。安定した情緒豊かな子どもに育てたいと思ったら、子どもの気持ちに寄り添って子どもを励まし、褒めるような子育てが大事だということでしょう。

そしてさらに、こうした子たちが年長や小1になったときの語彙力を調べたら、「共有型」で育った子どもたちのほうが「強制型」で育った子どもたちよりもことばの力が育っていたということでした。言葉を育てるためには親子で共にあそび、話し、絵本を読んで、家族みんなで楽しく暮らすということが大事ということが、こうした研究結果からもわかります。互いに「わかる」「伝わる」「楽しい」コミュニケーションを心掛けていきたいものです。
 最後の資料の「子育て10か条」は、研究のまとめに掲載されている子どもとの関わり方の10か条。味わい深いことばです。ぜひご覧ください。

前回、「太田ステージ・比較概念」と「質問応答関係検査・類概念」の聾学校幼稚部年少・年中児(30名)の回答結果から、言語(手話及び日本語)および概念形成の時期である、幼児期前半期(定型発達4歳頃までの時期)に多くの難聴児に課題がみられること。

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とくに、概念が芽生えてきた段階である、太田ステージ・Stage-2において、「目の前にないもののイメージ化・概念化」と質問応答関係検査・類概念において、「上位―下位概念の習得」に課題がある幼児が多いことについて述べました。以下の2つです。

 

①「目の前にあるもの(二つの〇の大きさ)の比較」はできる(全体の90%)が、「目の前にないものの大小比較」が十分にできない子どもが60%近く存在する。(太田ステージ・Ⅲ―2)

②個別のものの名前は知っているが、それらを集めた類概念(上位・下位概念、語彙カテゴリー)が十分に獲得されていない(全体の75%が不十分)。

 これらの結果についてもう少し掘り下げて考察し、どのように対応・支援していくかについて考えてみたいと思います。


*①太田ステージ・比較概念の結果から

 まず、物の大小について判断できるということは、二つのモノを関係づけることができるということであり、90%の子どもは概念操作の基礎が出来ていることがわかります。「同じ・違う」「大きい・小さい」「長い・短い」といったことば(概念)を理解し、それらのことばを使ってもの同士の比較判断ができるということです。しかし、見えるものの比較はできても、6割の子どもは、まだ「目の前にないものの大小比較」は難しい。これは頭の中に、比較対象のもののイメージ(表象)は一応浮かぶけれど、その浮かんだもののイメージが不確かであったり概念的な豊かさに欠ける、ということではないかと考えられます。

幼児(とくに年少・年中児)は自分の経験に基づいてものごとを判断します。例えば「椅子と鉛筆、どっちが大きい?」と訊かれた時に浮かぶイメージは、家で食事をするときに座る自分の椅子であったり学校の教室で自分が座る椅子などでしょう。しかし、その時に椅子の大きさまで意識して椅子の概念を頭の中にイメージできているかというと、そこがまだ不足しているのでは、ということだろうと思います。もし、生活場面で、椅子について「パパの椅子は大きい。ぼくの椅子は小さい」など具体的なやりとりをした経験があれば大きさのイメージは獲得されているでしょうが、毎日の会話の中では「さあ、ごはんだよ。椅子に座って~」といった会話ではないでしょうか。大きさをとりわけ意識したり、椅子のさまざまなかたち例えば背もたれのある椅子とない椅子の違いといった違いを意識することはないでしょう。私たち大人だって毎日経験しているものごとやもののイメージや概念をそれほどしっかり作っているわけではなく、例えば、1万円札、5千円札、千円札に印刷されている人物は、それぞれだれか記憶している人は少ないでしょう。書かれている人物がだれであろうとお金の用途には関係ないことですから。

私たち大人がものの大きさまで含めてイメージできるのは、それらのものを何十年にわたって数限りなくいろいろな場面で使い、椅子や鉛筆について熟知し、大きさまで含めてちゃんとイメージできるからです。経験や知識や情報量は、子どもとくに聴こえない子の

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それとは格段に違うのです。

もし、子どもが、あるものについてどれほどの概念をもっているかを知りたければ、「連想ゲーム・サテライト型」(右図・左)をしてみるのもよいでしょう。「椅子」をテーマにして思いついたことを出し合うゲームです。そのゲームの中で子どもが手話や日本語でいくつ思いつくか? また、病院に行った時の絵、柿を取ろうとしている絵、出かけるときの絵などをみて、それらの出来事につ

この場面説明してみよう1.pptx.jpg

いてどれだけのことが語れるでしょう? 子どもが自分で思いついて語れたことばが子どもが持っているそのもの・ことについての概念です。ですから、もし、子どもがターゲットになっているものについて十分語ることができないのであれば、それは概念がまだまだ不足しているということですから、再度、さまざまなもの・ことについてのイメージとことばを豊かにする活動(生活・遊び・会話)に取り組むことが必要です。

子どもは、日々の生活の中でいろいろな体験をしています。起床、着替え、洗面、トイレ、入浴、食事、おやつ、洗濯、掃除、ごみ捨て、買物、自転車、車、スーパー、レジ、お金、銀行、床屋、病院、駅、空港、レストラン、コンビニ、学校、園、遠足、散歩、公園、郵便局、動物園・・・。数限りない場面で、それは、だれが、何をするところなのか、そこに何があるのか、そこはどうやっていくのか、そこにいる人は何を話しているのか、そこにいる人はどう思っているのか・・それぞれの場面で、お子さんはどれだけのことがイメージできるでしょうか? 

例えば病院。そこはどういう時に行くのか、どうやって行くのか、なにを持っていくのか、そこでは何をするのか、どんな人がいて、自分はどうすればいいのか、大人はどんなことを話しているのかなど、子どもがわかるように話すことが必要です。そうした経験とやりとりの積み重ねの中で、「病院」についての概念やイメージが育っていくからです。

また、病院を思い出しながら家で病院ごっこをするのもよいでしょう。聴診器はトイレットペーパーの芯を使ったり、注射器はノック式のボールペンなどで代用すればよいでしょう。薬は、もらってきた薬の袋や器をとっておいてそれを使ってもよいでしょう。

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右のファイルは、111か月の難聴児とも君(『子どもとママと担当者と35か月の軌跡』より)が、学校から行った動物園遠足のあと、家で動物園ごっこ(再現あそび)をしている様子です。実際に見たことを母子で再現することで、動物園、猿、白熊などのイメージを膨らませ、それらの動物の概念をことば(手話)と共に身につけ、それをさらに夜に、自分の頭の中で楽しかった記憶としてよみがえらせ、情景を思い出しながら、そのイメージをひとり言として言語で語ることを通して再現している様子がわかります。

この頃、とも君はどんな象徴遊びをしていたのでしょうか? 2歳前後の3か月の保護者記録から、以下のようなごっこ遊びを日々楽しんでいたことがわかります。実際に経験したことの再現ですね。

111か月・・「郵便配達ごっこ」「動物園遠足ごっこ」「芋ほりごっこ」「自動販売機ごっこ」2歳0か月・・「柿の木とりごっこ」「お巡りさんごっこ」

21か月・・「洗濯」「ごみ捨て」「サンタクロースごっこ」「ウルトラマンごっこ」「ライオンごっこ」「大掃除」

22か月・・「動物ごっこ」「大きなかぶごっこ」「バスごっこ」「スーパーごっこ」

 

お風呂あそび.pptx.jpg

 右のファイルは、2歳後半頃の子どもの遊びの事例ですが、子どもはこのようなあそびの中で、ごっこ遊びの主人公になったり別の役を演じたりしながらもの・人・動物などのイメージを膨らませ、概念を豊かに身につけていくことがわかります。発達で大事なことは何歳で何ができるという年齢ではなく発達の順序で、発達は基本的に順番に進んでいきますから、あることができないのはその前の段階のことがまだクリアできていないことが多いです。まだ「目の前にないものの大きさの比較」に課題があるのなら、いろいろなもの・ことについての概念が形成されるような活動ややりとり(会話)、また、比較の概念を育てるやりとりやあそびに取り組んでいきましょう。


〇数量概念を育てる

あそびの中で数量概念をみる方法.pptx.jpgここでもうひとつ、数量概念を育てることについて述べておきます。難聴児のことばについては誰でも関心が向きますが、意外と視野から落ちるのが数量概念です。一般的に言えば2歳で「2」がわかり、3歳で「3」がわかり、4歳以上で「4や5」がわかるようになりますが、大事なのは、数字が順番に言える「順序数」より、「いくつ」という集合数の概念が育つことです。「3つのうちから1つとったら残るのはいくつ?」などといった、かずの合成や分解ができることです。では、数量の概念も育てたい.pptx.jpg

どうやって子どもの数量概念を調べるか? 楽しくあそびながらやる方法を右のファイルに描いてみました。3歳ならどの子も楽しめます。工夫しながらぜひやってみて下さい。

また、数量の概念を育てるいちばんいい場面は、やはりおやつの時。その子のもっている数量概念から次の課題(「3」までわかっているなら「4」まで)を見通しながらいろいろな声掛けを工夫します。

 

②質問応答関係検査「類概念」の結果から

 これは、ものとものとの関係の概念の理解に弱さがあるということ。まず一つ目に必要

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なことは、比較概念のことばを使って生活の中で使えるようにしていくことです。「大きい・小さい」「たくさん・少し」「きれい・汚い」「はやい・おそい」「長い・短い」・・たくさんありますね。「どっちが大きいかな?」「どれがいちばん長いかな?」など言葉かけをしていきましょう。また、『反対ことばカード』などを使ってかるた遊びをするのもよいでしょう。手話と日本語が結びついているかをみるのも大事です。「大きい!」と手話したら相手は「小さい!」と

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反対の手話をするなどのルールを決めて「反対語あそび」をするのも楽しいです。

 また、比較の概念がわかるようになることと関連して、出来事の場面の流れが理解できそれについて説明できることも大事です。右のような絵カードを使って、その出来事の流れについて説明する練習をしてみるのもよいでしょう。

二つ目は、仲間集めで語の概念カテゴリーを頭の中につくっていくことです。同じもの

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の仲間がわかるということは、概念形成の基礎としてとても大事なことです。ものの名前がわかるようになったということは、犬、ねこ、りんご、バナナ、バス、電車といった基礎的な概念はわかるようになっているということですが、これらの中にもいろんな種類があります。例えば「犬」にもトイプードル、チワワ、秋田犬、ゴールデンレトリバーなどの下位分類があり、さらに大きな仲間としてまとめたときの名前(「犬」と「猫」なら「ペット」「動物」「けもの」

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など)がありますが、難聴児はこれを知らないということが多いです(耳で「ききかじる」知識はない)。ですので、絵カードを使ったり「オリジナルことば絵じてん」を作って、「台所で使うもの」「お風呂で使うもの」など集めたりします。また、「赤いもの」「丸いもの」などのテーマを決めて順番に言い合うなどのゲームをしたりするのもよいでしょう。また、年中・年長さんなら右のようなワークを使って整理するのも効果的です(このワークの効果は実証済みで令和4年度の文科省特別支援教育一般図書(=教科書として使用可)にも採用されています)。

 

3歳のハードルをクリアして、6歳のハードルに向かって歩みましょう

 このような取り組みを通して、目の前にそのものがなくても、頭の中にそのもののいろ

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いろなイメージや概念が浮かべられるようあそびや生活の充実を図っていくことがまず大事です。「りんご」ひとつとっても、「りんご」の概念は、図のような「りんご」にまつわる様々な活動の中で培われます。そして、もの・ことについての概念・イメージの豊かさが、次の質的転換点である、「頭の中に、ことば(日本語)やかず、もののイメージを浮かべ、それらを比較したり、関係づけたり、操作したりなど、シンボルを使ってさらに思考を深めることを可能にします。そ

生活言語から学習言語へ.pptx.jpg

れが「6歳のハードル」(=「5歳の坂」)を越える力です。

また、次のハードルは、今よりもっと「日本語」の語彙の豊かさ(量もですが、それ以上に語の質=概念・イメージの豊かさ)が求められます。なぜなら、就学後に使う教科書は、書記日本語(読み書きのことば)で書かれているからです。また、「自分中心の見方・世界」から「客観的な見方・世界」へのレベルアップも求められます。ここもまた難聴児の苦手なところですが、これらについては別の機会に書きたいと思います。

 

〇はじめに~シンボル機能ってなに?

「シンボル」とは、現実にないものや目に見えないものを他のものに置き換えて表現する働きのことで、置き換えられたものを「シンボル(sumbol)」とよんでいます。私たちは、ものごとを考えるときに、この「シンボル」symbol:象徴)を使っています

例えば、「消費税が10%だとすると、100円のノートの消費税はいくらになる?」と尋ねられた時、頭の中には100×0.1円という数式が浮かぶと思います。消費税は目に見えないものですが、私たちは数字計算式を使って考え、「このノートの消費税は10円です」と応えることができます。ここで使わている数字とか計算式が「シンボル」であり、このようなシンボルを使って私たちはものごとを考えたり、複雑な計算をしたり、人と伝え合ったりしているわけです。このような、実物の代わりであるシンボルを使った思考の働きをシンボル機能(象徴機能)と言い、シンボルを使った活動を象徴行動と言っています。抽象的な世界が理解できるためには、目に見えないものを想像したりイメージする、このシンボルを使いこなす力が必要です。

コンピュータとかAIといった高度な技術を駆使する現代社会では、使われる記号(象徴)やその機能も複雑かつ高度化し、こうした記号(象徴)を使いこなす高い能力が求められる時代になっています。そうした意味では、抽象的・論理的思考の習得すなわち「学習言語」の習得が必須で、そこに困難さを抱える難聴児にとっては、ますます厳しい世の中になっていくのかもしれません。しかしそうであればなおさらのこと、難聴児が、より高い象徴機能を駆使できる力をもてるよう私たちは、難聴児の支援・教育を充実させていかなければならないと思います。

そこで今回は、乳幼児期から、発達段階に合わせてどう象徴機能の獲得やレベルアップを支援していくのか、そのためにどんなことに配慮したり、どんな活動を準備していけばよいのかといったことについて考えてみたいと思います。

 

〇シンボル(象徴)にはどんなものがある? 

まず、私たちが使うシンボルにはどんなものがあるのでしょうか?  まず最初に思いつくのは、自分の頭の中に描くさまざまなイメージでしょう。イメージは映像的なイメージがいちばん想像しやすいですが、イメージは映像だけではありません。例えば「さっき

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踏切で見た電車」を思い出す時、頭の中に思い描くイメージには、その電車や踏切の視覚映像はもちろんですが、「ゴーッ」という電車の音や「カンカンカン」という踏切の信号の音なども含まれるかもしれません。思い出す対象によっては視覚・映像、聴覚・音声だけでなく、触覚や嗅覚のイメージなどもあるかもしれません。経験したことをイメージとして思い出す時、私たちはその時の様々な感覚も一緒に思い出すはずです。しかし、イメージは実物ではなく、実物の代わりに使っているものですからシンボル(象徴)ということができます。また、添付ファイルの幼児は、踏切の写真を見て実物を思い出すことができています。写真も実物の代わりですからシンボルの一つです。

次に考えられるのは、頭の中にあるイメージを動作や行動として表現するときの真似、

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模倣、ふり、ジェスチャーといったものです。さっき見た電車を「積木」を使って「ガタンガタン、ゴーッ」といった再現をするとき、「積木」は電車に見立てたシンボルと言えます。また、イメージしているものを描画、積木、砂といった素材を使って表すこともできますから、絵、積木、砂は実物に代わるシンボルと言えます。

このようなシンボルは言語獲得前の赤ちゃんにもみられます。赤ちゃんの頭の中にある

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イメージは他人には見えませんが、好きな電車の写真を見て喜んだりしますから、赤ちゃんの頭の中には映像のイメージが浮かんでいることがわかります。また、親しい大人の真似や振りをしたりもしますから、1歳前後の赤ちゃんはシンボルを持ち始めていることがわかります。右の図は、言語獲得期前後のシンボルをみる観点です。このような子どもの様子が見られるのであれば言語獲得(初語)まではもう少しと言えるでしょう。

 

〇言語はシンボルのうち?

 では、手話や日本語といった言語はシンボルでしょうか? 言語は数字や計算式と同じように、実物や実際の出来事が目の前になくても、実物を実物に代わる記号であらわしたものですから、もちろんシンボルです。例えば、バナナの大好きな赤ちゃんは、言語獲得前でもバナナの写真をみて喜ぶようになりますが、まだ「バナナ」という日本語や手話の語とは結びついていません。しかし好きなバナナを食べる経験を積み重ね、同時に「バナナ」という語を使っていくうちに、だんだんと「バナナ」という言語と実物のバナナとが結びついてきます。こうして「バナナ」という意味が獲得されると、ママが「バナナ 食べる?」と言うと、「バナナ」の語をきいてバナナのイメージ(映像とか食べた時の甘さとかやわらかい食感とか)が赤ちゃんの頭の中に浮かび、喜ぶようになります。

「バナナ」という語は、その言語を身に着けている人には誰でも通じることばですから、真似や振り、ジェスチャーといった動作的なシンボルや描画・積木・粘土といったその人の頭の中にある個人的なイメージの強いシンボルよりも、公共性・一般性をもつ高度なシンボル機能です。ですから、そのことばを使って人とやりとりする中で、さらに経験を深め、ものやことばのもつ意味や概念、イメージを豊かに拡げていくことができます。

 こうして私たちは、言語というシンボルを使って、他の人とやりとりし、だんだんと筋道立てて思考をしたり、複雑な計算をしたりできるようになっていきます。このような点で、言語はシンボルの中でも特別な意味をもっているシンボルだということができますが、イメージなどの視覚的なシンボルや動作的なシンボル、ものを実物に見立てるなどのシンボル機能が不要になるのではなくて、このような多様なシンボルを言語というシンボルと同時に使いながら、よりいっそうのシンボル機能の拡がりや充実がはかられていくことが大切です。その意味で、幼児期にいろいろな経験をすること、とくに実物(本物)に触れること、イメージを拡げるままごとやヒーローごっこといったごっこ遊び・象徴あそびをすること、積木、ブロック、砂、粘土、段ボール、クレヨンなどの素材や道具を使ってイメージを表現したりなにかに見立てて遊ぶこと、絵本を読んだあとに再現あそびやなりきり遊びをすることなど、このようなあそびの中で育つ豊かなシンボル機能の充実が、そのまま将来のシンボルの豊かさにつながっていることになります。

 

〇豊かなイメージをもったことばの獲得とは?

例えば、「のりもの」ということば(=もの)を聞いた時、そのことばからどれだけイメージが拡がるかは子どもによってまちまちです。「のりもの」ということばを知らない子(難聴児には少なくありません)には、なんのことか全くイメージが浮かばないことばでしょうが、「のりもの」が大好きな子にとっては、のりものごっこをした経験や乗物の絵本、実物を見たり乗ったりした経験から、「のりもの」を構成しているトラックやバス、タクシー、救急車やパトカー、消防車、いろいろな飛行機や船の類、バイクや自転車に至るまで沢山ののりもの(下位概念)がイメージできるでしょうし、それらのものの名

だけでなく大きさや働きなどについても話すことができるでしょう。このようなことば

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や概念の豊かさは、そのまま教科書の文章の理解に繋がります。小学校1年生の国語の教科書には、どの教科書にも「乗り物」とか「動物」や「植物」などに関する単元があります(右のファイルは、『じどう車くらべ』、光村図書、小1上の例)。このような単元の内容を理解するためには、日本語を読んで理解できる力はもちろんですが、テーマに関わる知識や概念も必要です。そうした知識や概念は、幼児期の体験や遊びの中で、また、どれだけ言語を使ってそのテーマ(乗物)に関して内容を深めてきたかに関わってくるわけです。


〇シンボルはどのように発達するか?~乳幼児期 

 これについては以前にも書きましたが、再度まとめておきたいと思います。

*0歳の頃

生後3~4か月の赤ちゃんはまだイメージをもつことができません。目の前にあるモノが全てです。ですから赤ちゃんが持っているモノを別のモノに取り換えても赤ちゃんは気づきません。記憶=イメージがまだ持てないからです。しかし生後半年を過ぎるとだんだんと頭の中にイメージ(シンボル)をもち、そのイメージを記憶することができるようになります。そのため、知らない人と親しい人の区別もできるようになり、人見知りなども出てきます。犬の写真(=シンボル)をみて「イヌ」だとわかるようになります。


*1歳頃

また、1歳を過ぎると頭の中の記憶イメージを動かして、玩具のご飯を食べるふりをしたり、パパが新聞を読むふり(延滞模倣)をしたりします。イメージを伴ったあそびの始まりです。


*2歳頃

二つのものの理解.pptx.jpg

 やがて2歳頃になると人形を使った象徴遊びなどがさかんに行われるようになります。「つもりあそび」「見立て遊び」です。1歳頃は、ただ、リンゴのおもちゃを口に入れるふりをするだけの「ふり遊び」も、二つのもの例えば「包丁」と「りんご」の二つのものを関係づけて、りんごを切る真似をするようになります。ものとものとの関係がわかるようになってくるわけです。関係性の理解の始まりです。この頃、日々の生活の中でのこれが終わったら次はこれ、といった順序性も少しずつわかるようになります。また、関係性の理解と関連して、これとこれは同じものの

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間ということがわかるようになります。仲間になるものがわかるということは、同じものの集まりである「ものには名前がある」ことがわかるようになったということです。例えば、「犬」にはいろいろな犬種があり、「りんご」にもいろいろな品種があるけれど、まとめて「犬」「りんご」ということがわかるようになったということです。これが語の概念カテゴリーの基礎にある「基礎語」です。「犬」「りんご」「スプーン」「電車」「いす」「靴」といった、子どもが最初

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に覚えるものの名前のほとんどはこの「基礎語」です。しかし、ものの名前はそれだけではありません。もう少し大きな括りにつく名前=上位概念というものがあります。「動物」「果物」「食器」「乗り物」「家具」「履物」といったものの名前はもう少し大きな括りにつけられたものの名前です。この上位概念が難聴児は苦手です。自然にどこかで「聞きかじっている」といった聴児にできることができないからです。これは補聴器・人工内耳いずれの子もそうです。ですから、ど

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こかで意識的に教える必要があるのです。

*この問題については、語のカテゴリーの項を参照してください。

 また、ものごとの関係性の理解という点と関連して、2歳頃から比較の概念が発達していきます。例えば「大きいー小さい」「長いー短い」「よいーわるい」等々の対立概念。2歳、3歳は自我が芽生え、自己主張の強くなる時期でもあるので、二つのものを提示して「どっちがいい?」と本人に選ばせることも大事です。


*3歳頃

目の前にないものでも、イメージや概念を使って代用することができるようになります。例えば自分の経験からイメージして「ごっこ遊び」がはじまります。でも、まだ自分の経験の範囲でしかイメージがもてないので、友達とのイメージの共有は難しいです。この、友達とのイメージの共有は4歳から5歳にかけて出来るようになっていき、役割あそびへと発展していきますが、同じコミュニケーション手段を共有し、相当、子ども同士で遊びこんでいないと難聴児にとってはなかなか難しい課題であることは確かです。そのため、親や保育者など周りの大人が子どもの気持ちにそいながら、仲間に入り、助言や環境を整えることで、子ども同士の関わりやことばのやりとりを広げていくことが必要です。

 

〇比較概念や概念カテゴリーは、どう育っている?

 

太田ステージ.pptx.jpg

さて、2~3歳代での認知・言語発達の課題として、比較概念と概念カテゴリーの形成について述べてきましたが、これらのことが、難聴児にどう育っているかを「太田ステージ・比較概念」と「質問応答関係検査・類概念」を使って、二つの聾学校の幼稚部年少・年中児30名(3歳半~4歳半)について調べてみました。その問題と結果が右の図です。

 結果の水色の棒グラフは「太田ステージ」のⅢ―2前半「〇の大きさの比較」の結果、

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赤の棒グラフは同じくⅢ―2後半「目の前にないものも比較」の結果です。その結果をみると、問題の前半「○の大きさ」(水色某グラフ)の比較は、年少・年中児30名のうち約9割の子どもたちがクリアできています。まだ不通過の1割の子どもたちは発達障害のある子たちなので、定型発達の難聴幼児は比較すること自体は出来ていることがわかります。

 Ⅲ-2後半の「目の前にないものの比較」(赤色棒グラフ)はどうでしょう? この問題が不通過の年少・年中児は6割近く(17名)に

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のぼりました。そして、これら17名のうち10名はJcossでもまだ日本語での通過項目がありませんでした。

 緑色の棒グラフは、「概念カテゴリー」が聴児定型発達の子どもと比べて、同年齢聴児と同程度に出来ている子の割合ですが、これはさらに少なく4分の1程度でした。4分の3の子どもは、まだ上位・下位概念カテゴリーに曖昧さがあるということになりますが、これらの子たちはJcossでは通過項目数が0~6項目の子どもたちでした。また、当然ですが、比較概念に課題のある子は類概念にも課題がみられました。比較概念が十分に育って類概念も育つということになるのではと思います。以下、今回の調査結果から考えられることを以下にまとめてみます。


①太田ステージ「比較概念」の課題から

目の前のものの大きさの比較はできるが、目の前にないものの大きさの比較(頭の中に

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イメージを浮かべて)が難しい子たち・・・日本語習得時期(発達早期手話使用の子たちはほぼ3歳以降、幼稚部入学以降の子たち)の前の段階でのシンボル形成の時期(2~4歳)に課題があるのではないでしょうか? 例えば、ふり・見立て・ごっこといった象徴あそびや砂・粘土・積木・水あそびといった素材を使ったあそび、絵本を見たあとの再現あそびやなりきりあそび、日々の生活の中でのひとつひとつの経験(買物、料理、食事、着替え、洗濯、入浴、掃除等々)が、イメージ豊かに膨らませる体験活動・言語活動としてあったかどうかをまず点検してみる必要があるように思われます。もしそうしたシンボルや概念を膨らませる活動が豊かに行われていれば、「イスと鉛筆、どっちが大きい?」と尋ねられた時に、比較するそれらのものの大きさを含めて、それらのものの概念やイメージは頭の中に浮かぶのではないでしょうか? 

 

②質問応答関係検査「類概念(カテゴリー)」の課題から

 一つ一つのことば(もの・こと)に豊かな概念がもてるよう、そのことばのイメージを

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拡げることから、さらにそれらをまとめて整理すること、もの同士を比べて概念間の異同を考えたり、異なったレベルで「同じところ」をくくりなおして別のカテゴリーを作ったりなど、ことばのカテゴリーを豊かにする活動をすることでしょう。ここができている子たちはどの子もJcossで7項目以上通過していることから、カテゴリーを括ることが語彙の増加につながっていることが考えられます。実際に「ことば絵じてん」や「ことばのネットワークづくり」(ワーク)に取り組むことが語彙の増加につながったという報告が少なくありません。

 

〇3つのハードル(3・6・9歳)を越えて着実に前に進みましょう!

 生活言語から学習言語へ。これまで「9歳の壁」とか「5歳の坂」などと言われ、この年齢

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あたりに認知・言語発達の質的な転換期があると言われてきました。これについてはこのHPの「生活言語と学習言語」のところで折に触れて書いてきました。今回、「太田ステージ」と「質問応答検査」を使ってさぐってきたのは、そのもう少し前の3歳あたりのところでの課題です。

 概念形成が始まるこのあたりに、ものごとの概念を身につけていくときにそのことに関わることばのやりとりやイメージを膨らませる活動が十分になされてきたかどうか、このあたりをぜひ点検し、比較概念とか語のカテゴリーをしっかりと身につけているかぜひ見直していただけたらと思います。ここでのハードルをまずしっかりと越えていきましょう。そうすれば次のハードルである、頭の中にことば(日本語)を思い浮かべて、そのことばを操作したり、そのことばを使って別のことばを説明したりなどの課題(6歳頃のハードル)がずっと越えやすくなります。

 難聴児の語彙力の検査をしていると、難聴児は動詞語彙の獲得数が少ないことに気づきます。動詞は、事物名詞のように「ほら、これが〇〇だよ」と実物を見たりさわったりすることができないし、一つの動詞がいろいろと活用してかたちが変わるので、獲得が難しいのです。では、日々の生活の中で、動詞はどのように身につけていけばよいのでしょうか? 23か月のA児の例から考えてみます。

 

〇「~に着いた」(A児、2歳3か月、手話での会話)

子ども(A男)と一緒に出かけて、行き先に到着すると、手話で「○○に着いた」と伝えます。すると、必ず真似をして「着いた」(手話)を連呼しますが、最近は私よりも先に「着いた」と手話をしながら私の顔を見て、確認してくるので「そうだね。着いたね。」と繰り返すのが日課になりました。今は、電車に乗ると、駅に停まるたびに「着いた。」と手話で表すので、「まだだよ」と伝えるとわかっているかのように、ニコニコと笑い、冗談までするようになりました。〇〇駅に着くまでの電車内でのやりとりです。(A23か月時の育児記録より)

 

 この育児記録は、「駅に着いた」、「学校に着いた」、「おうちに着いた」...つまり、到着した時に必ず「着いた」をお母さんが子どもに繰り返し語りかけて来たことで、A君が、自分から「着いた」と伝えられるようになってきている姿が描かれています。つまり、子どもは最初から「着いた」が言えるわけではありませんが、身近な大人が繰り返し、「今、ここ」での行動に合わせて、語りかけていけば、自分で「着いた」の意味概念をとらえ、使えるようになっていきます。

子どもたちのことばを育てる時に、大人がたくさんのことばをかけるという量だけを意識するのではなく、子どもの気持ちにピタッと合ったことばをかけるということがとても大事です。この基本に加えてもう一つ大事なことは、上の例のように、子どもが行動したことをきちんと大人が言語化(ことば=手話や日本語)して繰り返すことです。繰り返すという意味から言えば、語りかける『量』ももちろん大事なのですが、子どもの文の表出につなげていくためには、その時の行動や動作を表すことばがとても大事です。

 

〇行動の言語化 

 さて、子どもが行動する(した)ことを言語化するには、どのような場面があるでしょうか。子どもの1日をイメージして、朝起きた時からを振り返ってみましょう。

朝、子どもが起きたら「起きたね」がありますね。「おはよう!」という語りかけももちろん大事です。しかし「起きた!」と伝えること(=動作語・動詞)も習慣にしていきたいものです。着替えの時には「着替えるよ」→「パジャマ 脱ぐよ」「シャツを 着るよ」、食事の時に「アムアム ごはんを 食べるよ」「ミルク ゴックンゴックン 飲むよ」「歯を 磨くよ。」・・。このほかにも、「おむつを 替えるよ。」「おもちゃで 遊ぶよ。」「公園に 行くよ。」「くつを はくよ。」「ぼうしを かぶるよ。」「ベビーカーに 乗るよ。」「キャベツを 買うよ。」「お金を 払うよ。」「家に 帰るよ。」「もう寝るよ」「お風呂に入るよ」「テレビを見るよ」「おふとんを敷くよ」「おふとんをかけるよ」「おはしを並べるよ」...等、たくさんありますね。

ここに挙げたのは、乳幼児の生活で繰り返されるほんの一部の行動を言語化したことばにすぎませんが、こうしたことばを身近な大人が丁寧に繰り返しているかどうかを見直し

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てみたいものです。毎日繰り返される行動なので、その行動に合わせて毎回ことばかけも同じように繰り返せば、子どもたちが自発的に使えるようなことばにつながっていきます。是非、お母さんお父さんなど身近な家族・大人は、毎日同じように語りかける習慣を身につけてほしいと思います。右のファイルの例は、2歳1か月のとも君とママとが「手洗い洗濯」をしたときの場面ですが、こうした生活の一場面でも使える動詞が沢山あることがわかります。

 ただ、大人がこうした行動を言語化した語りかけているのに、子どもはちっとも手話を見ない、音声を聴いている様子が見られないということもあるかと思います。その場合は、きちんと見たり聴いたりしてくれない原因を探りながら対処していかなければなりませんが、きこえない子どもたちのことばを育てる時の大人の習慣として、大人は空振りでもこうした行動を言語化した語りかけを続ける心構えを持っていてほしいと思います。

 

 行動の言語化=動作のことば(動詞)

 今、行動の言語化ということについて述べましたが、このようなことばは、行動する、行為する、動作する、要求するなどの意味をあらわすことばですから、品詞で言えば『動詞』であることがわかります。実はこの『動詞』の獲得が、難聴幼児がつまずきやすい言語課題の一つにあげられているのです。名詞はたくさん知っているけれども、動詞は少ない...難聴児は、こうした傾向がしばしば見られます。どうして動詞の獲得は難しいのでしょう。例えば『バナナ』という名詞は、バナナという実体につけられた名称であり、匂いや色、形、感触、味といったイメージと合わせて理解されます。同様に、くつも、ズボンも、コップも、名詞は基本的に五感を使って捉えられる実体のあるものです。ですから、子どもが最初に獲得していくことばは名詞がほとんどです。

 

しかし、『動詞』については、実体がありません。名詞のように「これだよ」と見ることができません。「行く」はその行動をし終わって、「行く」って、こういうことか、「分ける」も、分ける行動をしてみて初めて、分けるとはこういうことかというように、行動して、その行為がことばで表現されて初めてことばとして理解されるのです。「行く」って何だっけ?と思っても、形として何も残っていませんから、かなり頻度高く「行く」行為と「行く」という手話や音声で表されることばを何度も結び付けながら覚えていかないと、ことばとして理解することが難しくなるわけです。「おもしろい」といった形容詞や「そろそろ」といった副詞を理解する時にも同様で、「今、ここ」の場で、その状況や様子に合わせて大人が語りかけ、それを何度も見たり聞いたり体験していかないと、獲得が難しいのです。

 

ちょっとややこしい話になりましたが、『動詞』を意識するということは、子どもに文で語りかけましょうという風に思っていただけるとわかりやすいかもしれません。出かける時に、「帽子、帽子」で済ませていたら、それは文での話しかけにはなっていません。「帽子、帽子をかぶるよ。」といった文で話しかけることが大事です。

手話で表すと「帽子」と「帽子をかぶる」は同じ手話表現になりますが、手話に併せて「帽子を かぶるよ」と、音声を合わせて使うことで、「かぶる」という口の動きと口形、さらに耳からの音声情報とも一緒に入力されることで、だんだんと手話から理解される意味情報と音声情報とが結びついてきます。そして、文字や指文字が理解できる時期が来たら、「かぶる」を指文字で表したり、「かぶる」と文字で書いたりする対応をしていくと、視覚的にきちんと捉えて、正しい日本語(文字言語)として理解されるようになります。

その時期を迎える前の準備として、親御さんは、文で話すことを心がけ、習慣化しておけば、曖昧でも、動詞がたくさん子どもに提示される環境が作られていくでしょう。

 上記にあげたような動詞に限らず、「ぶらさがる」「飼う」「くずす」「さそう」「くばる」...動詞はたくさんあります。例えば、料理の時のことばは「作る」だけではありません。「炒める」「煮る」「焼く」「ふかす」「蒸す」「揚げる」等沢山あります。公園でも「~する」だけではありません。ブランコは「乗る、すわる、揺らす、押す」等々、滑り台は「のぼる、しゃがむ、すわる、すべる」等々、それぞれの行為に合わせてことばを使っていきたいものです。このような行為・動作に合わせて動詞を使い分けていくことで、子どもの語彙環境は格段に豊かになります。

 

〇動詞は活用する

さらに、この動詞の獲得の難しいところは、動詞が活用するところにあります。食事の前に「ごはんを 食べよう。(食べるよ)」、食べているときは「食べているね」、食べ終わったら「食べたね」、なかなか食べてくれない時に「食べないの?」「食べてね」「食べなさい」、...こんなふうに動詞は活用していきますね。きこえない子ども達にとって、このように動詞が次々と状況によって活用変化していくことを理解し、それを読解し、さらには状況に合わせて書き表せるようになるということは、大変なことです。聴力のよい子どもの中には、日常生活の中ではほぼ相手に伝わるように話せていたとしても、文字で正しく表せるかどうか、書かれた文の意味を読解できているかどうかは不確実なことが多いものです。

日本語を正しく読んだり書いたりできるようになることを目指すためには、話せるようになるだけでは解決しないこともふまえて、まずは、幼児期に家庭や学校で、丁寧に日本語の基本を育てていきたいものです。そんなちょっと先のこともふまえて、幼児期には、親御さんが、子どもがする(した)行動を丁寧に言語化していくようにしましょう。「自転車に乗るよ。」「自転車に乗ったね。さあ出発!」というように、語りかけの基本をマスターしていきましょう。くどい位に繰り返し語りかけていくことが、引いては子どもの書記日本語の力につながると信じて、地道に、日々の細やかな語りかけをしていきたいものです。  


 〇関連記事

本ホームページ・TOP>日本語文法指導>動詞・形容詞の指導>幼児期の動詞語彙の増やし方・その1~その2


 子どもたちは大好きな大人のことはよく見て、その人の声にも注目するものです。大人は、話を聞いてほしい、手話もきちんと見てほしいと思ったら、コミュニケーションの上手な相手になることが必要です。子どもたちがなかなか自分を見てくれない~という理由の一つに、楽しい遊び相手になっていないということがあるかもしれません。もちろん、それだけではなく発達の問題で、なかなか注意を人に向けられないという課題を抱えている子どもたちもいますから、全てが大人の問題というわけではありません。しかし、発達に課題を抱えている子どもたちでも、また、聴覚に障害あるなしに関わらず、基本的なアプローチの仕方は同じと思います。大人は、いかに楽しい、魅力的な遊び相手になれるかを考えていくことが、よりよいコミュニケーションの成立につながります。そのためには、大人は子どもの興味関心に沿って付き合い、遊ぶことに尽きるわけですが、具体的に遊びの中で関わるコツについての方法として、「インリアルアプローチ」という方法があります。今回はこの方法を紹介します。

 これは、1970年代にアメリカで開発されたことばの発達に課題のある子どもの支援のために考えられた方法で、自由な遊びや会話の場面で、子ども自らが遊びを始め、コミュニケーションできるようにするために、大人がどう関わればいいかを方法としてまとめたものです。


●大人の基本姿勢 SOUL(ソウル)  

ilence(静かに見守ること)  bservation(観察) nderstanding (深く理解すること) istening (耳を傾ける)

 この頭文字をとって「SOUL」と言いますが、静かに見守りながらしっかりと子どもを観察し、状態や要求を理解し、言っていること、言いたいと思っていることを聞いてあげることです。

 

●大人の語りかけ

1.ミラーリング

 例えば、赤ちゃんが「バンザーイ」の動作をしたら、対面しているママも「バンザーイ」をするというものです。1歳を過ぎた子どもたちが好きなのは積み木倒し。積み木を倒した時に大人が倒れるのを見て、子どもは最初笑っているだけですが、今度は自分から倒れて、大人が自分と同じように倒れるかなと、期待いっぱいに見るようになります。こうした子どもの動作を真似ることで、子どもは自分と同じことをしている大人を見ながら、自分が何かすると大人が同じように動いてくれる事に気づき、自分が仕掛け人になれていることに気づきます。それが嬉しいので、相手が自分と同じことをするかを確かめながら、視線を向けてくるようになるわけです。

 

2 モニタリング

 子どもが「マンマンマン」と発声したら、親御さんも「マンマンマン」、子どもが「失敗!」と手話したら、親御さんも「失敗!」と手話するというように、発声や手話といった言葉をそのまま真似て返すことをモニタリングといいます。これは、自分の発声や表した手話が相手にどう伝わったかを子どもが自分で見たり、聞いたりして確かめることができるため、また同じように声を出してみようかな、手話してみようかなという意欲につながります。

 

3 パラレル・トーク

 子どもがぬいぐるみのくまさんにミルクを飲ませている時に、「くまさんにミルクあげているのね。」と子どものしている行動を言葉で伝えたり、泣いている時に「パパ、会社に行っちゃった。寂しいね。」というように気持ちを言葉にして返したりすることです。こうした子どもの行動や気持ちに沿った語りかけをしてもらうと、子どもは、ママは自分をわかってくれているという理解、安心感につながり、信頼につながります。


4 セルフトーク

「ママ、手話の勉強に行ってくるからね。」「ママ頭が痛くて、元気ないの。」「ママは

〇〇ちゃんがお片づけしてくれて、嬉しいな。」というように、ママの行動や気持ちを言葉にして伝えることをいいます。大人の行動や気持ちの言語化は、子どもに安心感を与えると共に、語彙の理解を広げるチャンスにもなります。

 

5 リフレクティング

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 子どもがネコを見て「ワンワン」と手話や音声で伝えてきた時に、「違うでしょう。あれはネコ、ニャーオ、ニャーオ ネコよ。」と否定するのではなく、「ニャーオ、ニャーオ ネコね。かわいいね。」と正しい言葉を返すだけで良いのです。また、「パンダ」を「あんあ」と発音した時にも「違うでしょう。」「はっきり 言ってごらん。ぱ・ん・だ」と言い直させるような関わりは、子どもに話す意欲を失わせてしまいます。あくまでも「パンダ、パンダね。」というように正しい音を聞かせることにとどめることが大事です。ただ、難聴の子どもの場合は、正しい音を聞き続ければ、いずれ正しい発音ができるようになるとは限りません。きこえる子どもでも、発音器官が成熟するのは56歳頃と言われています。難聴の子どもの場合は、正しい音韻が耳から入ってこないという聞こえの限界があるため、鏡を見て視覚的な手がかりを得ながら、舌や唇、顎等の筋肉の使い方(筋感覚)のコツを学び正しい発音に導く発音指導を受ける適当な時期があります。基本的には、34歳までの幼い時期は難聴児が正しい発音で話すこと以上に、たくさん話したい気持ちを育てる事を大事にしたいので、発音を厳しく指摘するのは気を付けていきたいものです。

 

6 エキスパンション

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 これはろう教育で昔から言っていた「拡充模倣」のことです。子どもの言った言葉を広げて返すものです。例えば「牛乳」と声やサインで伝えてきたら、「牛乳 ほしい。」「牛乳 ちょうだい。」というように、大人は単語だけでは足りていない表現を広げて返し、子どもにこんな風に表現するといいよというモデルを示していくことです。「白い パパ ブーブ」と表現してきたら、「パパのブーブは白いね。」というように文法的にも正しく表現して返すことも含みます。

 

7 モデリング

 子どもが「鳥」とサインしてきた時に、「カラスだよ。黒い鳥だね。」というように、新しい言葉のモデルを伝えることです。「バーン」と伝えてきたら「ぶつかったね。」という応答もいいですね。子どもに新しい情報を伝えていくことです。

ここに挙げたカタカナや英語は全く覚える必要はありません。大事なのは、こうした関わり方のコツを理解し、お子さんとの関わりに生かすことです。親御さんたちには、お子さんの楽しい遊び相手になりながら、こうした語りかけや応答の仕方のコツを生かして、家庭でのコミュニケーションを楽しんでいただければいいわけです。親御さんが楽しいと思うコミュニケーションは、お子さんにとっても楽しいものになっています。そのとき、子どもたちは心の面でもことばの面でも成長していくと思います。

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 右の研究は、内田伸子先生(元お茶の水女子大)らの研究結果で、楽しい家庭ほどことばの力も伸びるという結果を表しています。このような楽しい家庭で育った子どもは当然、自己肯定感も高くなりますから、いつも物事に積極的、前向きで、その分、出来る事も多くなるでしょうし、またよい人間関係を築いていくことができるので、他者の手助けも得やすくなるといえるでしょう。

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聴覚障害確定診断前後って、「きこえない子にどう声掛けたらいいいの?、どう関わったらいいの?(だってきこえていないでしょ?)」ってわかりませんよね。そこで、今回は「子ども(赤ちゃん)への声かけ」についてあるママさんの体験を語ってもらいました。

 以下、お子さんは、今、1歳6か月。里帰り出産。新スクは受診せず。6,7か月健診で「きこえの検査」があり、耳鼻科医に紹介され、精密検査の結果難聴と診断されました。現在は80dBと言われています。8か月からろう学校乳幼児相談に通っています。

 

Q.病院で確定診断の時、どのように言われましたか?

 「耳の構造には異常はないが、何らかの原因で難聴と判断されます、まずは補聴器をつけて言葉を入れていきましょう。そして原因も調べていったほうがいいかもしれません」と言われました。 そのとき思ったことは「やっぱり聞こえていないのか」とは思いましたが、ここまで気が付かないほど元気で成長してくれていたし、それはそれだ!とそこまで落胆することもなく、とりあえずはっきりして良かったと思いました。

また、結果を聞くとき、難聴そのものについての知識が不足していました。例えば感音性難聴や伝音性難聴といったものがそれぞれどう聞こえるのかなどわかっていませんでした。感音性難聴は言葉や音が小さく聞こえるだけでなく、聞こえにひずみがあるということなどの具体的な説明もしていただけていればよかったかなと思います。そうすることで補聴器をつければ言葉や音が入ると勘違いすることもなく、また、周囲の人にも正しく説明し理解してもらうことが可能になると思います。

Q.病院で人工内耳をすすめられましたか、その時どう思いましたか?

なかなか補聴器が常用できていないことを病院で伝えた際、「1歳過ぎたし、人工内耳の選択を考えるのもありかも?」と言われました。 「少し考えてみてお話を聞いてみようと思った際にはご説明お願いします」と返答しました。その時は説明だけでも聞いたほうがいいのかな?と思ったりもしたが、人工内耳をしたからといって完全にきこえるようになるわけではないこと、いろいろ制限もでてくること、なにより手術が必要になるのが怖かったので説明をお願いすることはありませんでした。 現在、口話と手話を使っていますが、娘も手話を使って意思表示してくれたりと、1歳半でのコミュニケーションは取れているのかなと思っているので、人工内耳をしようとは今は思っていません。娘が将来人工内耳を希望した時に検討するのでいいのではないかと思っています。

 

Q.補聴器開始時期と常用できるようになった時期はいつ頃?

補聴器装用開始は8か月。開始してしばらくはろう学校でのグループ活動を行っている1~2時間、家では30分つけることが出来たら良いほうでした。常用できるようになったのは1歳3か月頃から。補聴器への慣れや調整がうまくいったからなのか、いきなり長時間つけられるようになり、今では一日中でもつけることが出来るようになりました。それまでは無理強いして補聴器をつけること自体を拒否するのが怖かったので、少しずつでいいやという気持ちで娘のペースに合わせていました。

 

Q.療育機関として、どうしてろう学校を選択しましたか? 

ほかの機関の存在を最近まで知りませんでした。事前に相談させていただいていたこともあり、確定診断を受けたということを相談させていただき、その流れでろう学校に通い始めました。初めてろう学校を訪ね見学させていただいた際、一人一人の子供にとても丁寧に向きあわれているということが素敵だなと感じました。

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ろう学校のでは、個別相談では、娘との関わり方を見ていただきアドバイスをいただいたり、娘が興味を持っているものを一緒になって遊んだりしています。

0歳児のグループでは、体操(スキンシップ)、難聴疑似体験、手話の勉強会、ビデオをみて関わり方の学習会(家庭でのやり取りをビデオにとっておき、みんなで見て気づきや改善点等を話し合う)、聾の方やろう難聴の子を育てた親御さんの講演会等も貴重です。また、ほかのお母さん方とご一緒させていただき、いろいろ気づきをいただいたり、やる気をもらったりとモチベーションを毎回アップさせて頂き、どうしたら子どもとより良い接し方ができるのか考える機会をたくさんいただいている場です。娘もとてもいきいきと楽しく過ごしています。


Q5.お子さんとのかかわりでいちばん大切にしてきたことはなんですか?

一番気をつけていたことは「目線を合わせる」ということです。聞こえにくい子を育てるうえで大切なこととして教えていただいた目線を合わせること、簡単そうで非常に難しかったです。目線を合わせるということに意識してみると、長男(聴児)を育てるうえでどれだけ声に頼っていて、目線を合わせずにすましていることが多かったのか実感しました。最初の内はそんなに長い時間目線も合わなかったので、こちらが伝えたいこともなかなか伝えられず、必死に娘(難聴)の目線に入るよう努力しました。また、途中で目線が外れたとき、次に合うまで「待つ」ということも心がけています。といっても、待つことは本当は得意ではありません。なので「待とう!」と意識するようにしています。

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また、娘が考えたり思っていること、興味を持っていることが何なのかを常に考えるようにしました。そのためには、娘の行動や目線の先をよく観察することにしました。例えば、目線の先にハトがいたら、「ぽっぽだね」と手話と共に言うようにしています。また、娘を観察していると娘なりの手話を発見することができるようになりました。その際には、「そうだね!〇〇だね!」と同意や共感を手話と共にするように心がけています。

(高度難聴児の場合、手話の喃語が8~10か月頃に出現することが多いです。それを手指(しゅし)喃語と言いますが、聞こえる子は音声の喃語が出ますが、とくに高度難聴児は声のかわりに手が喃語の代わりをし、それが意味を持つようなると手話の初語になります)


Q6.子どもとの生活習慣で大事にしてきたはなんですか?

生活習慣で大切にしていることはこれからする行動を伝えるということです。例えば、私がお手洗いに行くときには「ママ、お手洗いに行ってくるね」と手話と共に伝えてから行くようにしました。1歳前、「お手洗い」の手話もまだ理解できていなかったときは、私が立ち上がると不安になってすぐに泣き始めていましたが、「お手洗い」の手話を理解し始めると、私が立ち上がり泣こうとしても、「お手洗いに行くから待っててね」と伝える

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と、納得したようについてきたり、先回りするようになりました。

外出する際も、これから行く場所を写真カードを使ってきちんと事前に伝え、娘にとって瞬間移動になることがないようにということも心がけています。

(写真カードは、物事の記憶ができるようになる生後7,8か月頃から使えるようになります。ですから、よく行く「スーパー」とか「ろう学校」の写真を見ると、いつも行っているところだ、と安心でき、これからやることを予想することができるようになります)

 

Q7.これまでで、ママが努力してきたことはどんなことですか?

娘と密に付き合うためには時間が必要でした。どちらかというと、一日にたくさんの予定を入れ、どうすればこなせるか考えながら生活していました。しかし、一つ一つのことを丁寧にしようとするとどうしても時間が足りず、丁寧に付き合うことができなかったり、今日はできなかったことがたくさんあったな、と後悔したりしていました。そこで、とりあえず予定は詰め込みすぎないようにし、気持ち的にも時間的にも余裕をもち、娘と向き合うようにしました。


Q8.きこえないお子さんが生まれてママの中で変化したことはありますか? 

私はもともと出不精なのですが、娘は外へ出ることが大好きです。よく靴を私にもってきて外へ出ようと誘ってきます。また、お風呂あがりのお着替えは気が乗らないのかとても時間がかかりますが、外へ行くための着替えはとても協力的で早いです。以前はコロナのこともあってなかなか外へ出たいとは思わなかったのですが、娘をみていると、家の周りを散歩するだけでも!と出かけるようになりました。娘と一緒に散歩すると今まで気が

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付かなかったことに気づかされます。たとえば、娘は駐車場の回転灯が気に入っているのですが、こんなところに!というところにある回転灯を発見し、ぴかぴかという手話で私にその存在を教えてくれます。また、鳥や飛行機など、普段ひとりだと見つけられないようなものを教えてくれるので、今ではお散歩の時間を一緒に楽しめています。

今年はコロナでマスク生活が常となり、お散歩するにも公園で遊ぶにもマスクが必要で本当にもどかしい日々が続きました。また、色々な人と以前のように気軽に会うことができなくなった中、ひよこ組で先生方やお母さんたちと共にする時間は本当に楽しく、いつも刺激をいただいています。

 

 以上、難聴発見の頃のお子さんとの関わり方やろう学校での支援などについても話していただきました。0~1歳頃の難聴のお子さんをお持ちの保護者の方の参考になったら幸いです。

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

〒145‐0063
東京都大田区南千束2-10-14-505 木島方
TEL / FAX:03-6421-9735

mail:nanchosien@yahoo.co.jp