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情報を保障することの大切さ

 きこえない子たちの読み書きの力や学力がなぜ低いままにとどまってしまうのか? その最も大きな要因は、きこえる子と同じだけの情報が保障されないからだ、と私は思っています。
 都内のある聾学校に行ったとき、壁に『ひよこだより』というおたよりが掲示されていて、そこに情報が欠けることから起こってくる問題点がよく整理されて書かれていました。今回は、そのおたよりから引用したいと思います。(以下、「ひよこだより」H29.NO5から引用)

●心理的な問題
 きこえる家族が当たり前に得てきた情報を、きこえない本人だけが知らないまま育ち、後に自分だけが知らなかったことを悔いる、その悔しく、悲しい思いは、聴者家庭で育つ多くの成人聴覚障害者が振り返って語ることです。幼い頃に家族が何を話しているのか尋ねると、いつも「結果をまとめて簡単に伝えてくれるだけだった。」「誰が何を話しているのか、全てが知りたかった。」「話のプロセスが知りたかった。」と、結果や要約した情報提供しか与えてくれない家族の対応に、納得がいかなかった思いを話される方々は少なくありません。幼い頃は、わからなくても気にならない、こんなものと思っていても、徐々に年齢が進めば自分だけがわからない孤独感や疎外感を感じるようになります。ひとたび地域の幼稚園や学校、一般社会に出て行けば、聴者がほとんどでの世界で、飛び交う音声言語環境の中できこえない人は情報が入らず、不甲斐ない思いを抱えることが多々あります。だからこそ、一番身近な家族の中ではこうした孤独や疎外感を味わわせないよう、本人が安心し、分かる喜びを味わえる環境を整えることを考えていただきたいと思います。

●知識が入らない問題
 地域の小学校で学ぶ子供たちは、座席は前から2番目、または1番前といった前方で、先生の話がよく聞こえる場所にと配慮してもらっている子供たちが多いです。しかし、先生の話はよく聞こえるようになっても、今度は後ろや横の離れた席に座っている友達の発言が全く聞こえないということが起こります。先生が「夏休みに生き物を飼った人!」と発問した時に、「ハイハイ」と手を挙げながらも、子供は「俺,、カブト虫とクワガタ飼った。」「俺は、セミ。すぐ死んじゃったけど。」すると別の子供が「セミなんて飼えないよ。木の汁吸うから無理だって聞いたよ。」「でもうちの従弟は砂糖水含ませた布を割りばしに縛ったら飼えたって言ってたもん!」...次々、発言が飛び交います。先生の発問に対して、友達がどんな体験をしたのか、その発言の中にたくさんの知識が盛り込まれています。こうした何気ない会話から得られる情報がごっそり抜けることが知識の差につながるわけです。

●コミュニケーション力や思考力の問題
 相手の発言がしっかりわかることは知識が得られるだけでなく、相手の発言にある情報を元に自分はどう思うか、どう考えるかが可能になるわけです。つまり、情報が入らなければ、感じる、考えるというスタート地点にすら立てないことになります。相手の話がわからなければそれについて感じたり、考えたりしないまま過ごすことになり、結果自分だけの世界で楽しむことを見つけ、自分の心の安定を図ろうとする防衛反応が働くことになるのです。それは、聴者の学校でずっと過ごしてきた聴覚障害者がよく話してくれる「空想の世界をもつこと」や「読書の虫になること」なのだろうと思います。文字は確実に目から入ってくるので、情報は得られることになるでしょうが、対人関係の中で情報を得る体験が不足することになります。

●対人関係の問題
 両親の会話で「姪のCちゃんが今度小学校に入学するからお祝いを包まなきゃね。」、入院している友達のお見舞いに出かけるお姉ちゃんに「お花を持っていくなら、鉢植えの花はダメよ。切り花にしないとね。鉢植えの花は根が付く(寝付く)と言われていて、病気が長引くと言われているのよ。」とママが話している、そんなお祝い事やお見舞いの配慮等、人との関係の中での常識も、何気ない日常の会話から自然と身に付けていくことが多いものです。その何気ない会話が入らないことで、常識を知らないまま育つことは、相手に不快な思いをさせたり、関係を悪くしたりというように、より良い対人関係が築けないことにもつながりかねません。
親御さんに、子供が何かを尋ねてきた時に、「あなたには関係のないことだ。」とは言わないでほしい、本人が知りたいと思って尋ねてきた時には、きちんと説明をすることが大事だと、いつも聾の人がお話ししてくれます。全ての情報を与えて、その中で必要か、必要でないかを考えるのは本人だと言います。親御さんが必要と思う情報だけを与えていると、本人は与えられる情報が全てだと思い、自分から意欲的に情報を取ろうとする意欲が育たないと彼は言います。確かに、乏しい情報で満足してしまえば、上記に挙げたような情報が入らない問題につながることでしょう。大切なのは自分から情報をとりたいと思う意欲で、その意欲を育てるためには、「情報が入ることでわかる」経験を積めるような環境を作ることだと思います。全部わかるような、豊かな情報が入る環境に置いてあげることで、わからない時には知りたい、わからないままでは納得がいかないという気持ちが育つはずです。わかることを知らないで、わからないことはわからないわけです。いかに日常生活の中で「情報が入ることでわかる」環境を作り上げていくかが、子育ての大事なカギになると思います。きこえない人が会話に参加し、リアルタイムに情報を豊かに得るためには、聴者が手話を使って、目で見てわかる会話を保障することが大事なのは言うまでもないことです。聴者にとっては努力のいることではありますが、大切なわが子が情報が豊かに入ることでわかる喜びを味わえるようにするために、子供が小さい時期からしっかりと考え、対策を立てていく必要がありますね。これは、軽・中度難聴、人工内耳装用児であっても必要なことです。(以上、菅原仙子『ひよこだより』H29.NO5より抜粋掲載)

 社会に出たろうの人たちは、ときどき「常識を知らない」とか「空気が読めない」とか批判されることがあります。私たちの社会には、あえて言語化はしないけれど誰でも知っていること(知識・常識)があります。
 例えば、私の経験したことですが、聾学校の小学部の子がこう言いました。「先生、ぼくね、幼稚部のときに、時々お母さんと一緒にタクシーで家に帰ることがあった。その時、とっても不思議だと思っていたことがあったんだよ。それはね、どんなタクシーに乗ってもね、どのタクシーの運転手さんもぼくの家をちゃんと知っていて家まで届けたくれたことだよ。」また別のある子がこう言いました。「ぼくも不思議なことがあった。外で近所の子たちと遊んでいてね、いつも、ある時になるとね、いっせいにみんな家に帰っていくんだよ。どうしてみんな突然帰っていくのかぼくはわからなくて、いつもポカーンとみんなを見送っていた。大きくなってわかったんだけど、5時に役所のサイレンが鳴っていたんだって。知らなかったよ。誰も教えてくれなかったし・・。」

 長い時間の中での情報の不足が積み重なった結果として、読解力とか学力に必要な幅広い知識や常識、思考力の不足につながっていくこと、そうした結果を防ぐ意味でも、最早期からの言語の獲得すなわち手話をみんなで使うコミュニケーションの大切さがおわかりいただけるのではと思います。