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「二刀流」の時代?~手話も日本語も

 先日、こんな話をきいた。

ある聾学校の乳幼児相談に来談している1歳の子が、大学病院の聴力検査で90dB以上と言われ、人工内耳を勧められた。聾学校乳幼児相談担当の先生のBOACORからの判断は70dB である。何度か確認したのち、大学病院に検査の結果を添付して手紙を書いた。そうしたら今度は大学病院の方で、その保護者は「70dB 台だから手話を使う必要はない。聾学校の相談に行く必要はない」と言われたという。まさか最初から70dB台とわかっていて人工内耳を勧めたわけではないと思うが、そうでないとしたら、検査結果に信ぴょう性がうすいということになり、それはそれで大学病院としての専門性が問われる。しかも、70dB 台だから手話は必要ないというのは、いったいどういう根拠なのだろうか?

 

人工内耳や軽中度難聴の子の聴力検査をやっていると、防音装置が施された静かな聴力検査室では、補聴器や人工内耳を装用して20dBくらいの小さな音に「聴こえる!」と反応することが少なくない。傍で見ている保護者は「うちの子、この音が聞こえるんだ!」と驚く。しかし、日常の生活環境下では聴力検査室ほどの静かな環境などほとんど存在しない。とくに幼稚園とか保育園といった幼児が自由に会話している教室内では、騒音を測定すると80dBを下がることは少ない。このような多方向から音声が飛び交う中での難聴児のききとりの難しさ、複数での会話や離れたところから音声が投げかけられた時のききとりの困難さなどはなかなかイメージできない。それは保護者だけでなく、病院の医師やSTも現場に足を運んでいなければ同じである。

聴力がよいと「こんなによくきこえているんだから...こんなにきれいに話せるんだから...普通の学校で大丈夫」と言う人たちが多いが、しかし実際には、重度難聴児だけでなく軽中度や人工内耳の子どもたちにとっても騒音下でのききとりは難しい。聴者は騒音下でも少し離れた所から自分の名前がきこえたりすると「えっ?自分のこと?」ときき耳をそばだてたりできるが(カクテルパーティー効果)、このような選択的な聴取は、感音性の難聴児には難しい。相手の話し方、距離、そして騒音の有無といった状況や場によってきこえが大きく左右されるということを知っていないと、そのための配慮や支援も得にくくなる。「ああ、あの難聴の子ですね。あの子は大丈夫です。それより発達障害の子のほうに支援が必要なんですよね。」普通学校に見学に行くと、先生方はこのように言われることも多い。

本人にしてみれば、補聴器や人工内耳を通してきこえているのだが、聴者の0dBの聞こえとは違う聞こえ方だということ、それはどこが違うのかというのが本人たちにもよくわからない。だから、自分はきこえている人間なのか、きこえにくい人間なのか、きこえない人間なのかがわからない。聴者の世界で育つことが多いのが軽中度難聴や人工内耳の子たち。そうすると、手話に触れることがない。同じ障害を持った仲間との出会いがないまま育ってしまうことが多い。難聴学級が固定学級でそこで集団が作れるところはまだよいが、小さい時からそういった場所がないと自分の居場所が見つけにくい。自分はどこで安心できるのか、多数の聴者の中では、沢山の不利益に出会い、「やっぱりきこえた方がいい」と思わさせるのが現実である。そうすると、自分で自分のことを「いいな」とはなかなか思えない。こういったことが軽中度難聴や人工内耳の子たちの問題としてあるということを知っておく必要がある。

 

さて、以下は、ある幼児の保護者からいただいたメールである。聾学校幼稚部に通う年長児だが4月からは普通小学校に通うという。人工内耳を装用していてきこえる人とは音声言語で、きこえない子同士では手話を使っている。

 

「今日は、Aの歯科検診にいきました。初対面の人と接するときは、まず初めに『ぼくは聞こえにくいから、目をみて話してください』など難聴であることを伝える練習を積んできました。今日『お医者さんに、きこえにくいこと、伝えようね。』というと、Aは『聞こえにくいじゃなくて聾者だから、と言ってもいい?』と聞いてきました。『だってぼくは、聾者でしょ。だから、聾者っていうよ』と。『もちろんいいよ』と応えました。Aは、自分の言葉でお医者さんに説明していました。その姿に成長を感じ胸がいっぱいになりました。

なぜ急に、聾者といったのかと考えてみました。数日前に斎藤陽道さんの写真集を見せたからかもしれません。『この人は、聾者なんだよ。小さいとき発音訓練に通ってたんだって』と私が言うと、『ぼくと一緒だ!ぼくも通ってる!とハッとした表情になりました。『そうだね。でも、この人はね、発声はできるようになったけど、今は補聴器はずして手話とか筆談でお話ししてるんだって。』と言うとさらに驚いていました。『いろんな人がいるんだよ。だから、Aももしかしたら人工内耳外して生きていくかもしれないし、発音うまくなったけど声出さないって将来思うかもしれない。それはそれでいいと思う。何が幸せかは人によって違うからね。Aが幸せって思う方を自分で決めたらいい』というと、わかったようなわからないような表情で聞いていました。その時に『耳が聞こえない人のこと、聾者っていうんだよ』と説明すると、『え、じゃあ僕も聾者だ』。『Aも聾者だね。誇りを持って聾者として生きていってる人がいるのよ』と話したことが、Aの心に残っていたんだと思います。Aが年少の頃、生まれたばかりの下の子がきこえる子だということを知り、家族の中で自分だけが聞こえないということに、悔しくてどうしようもないというふうに、体全体を使って泣きじゃくっていましたが、いまは、自分のことを受け入れたような感じがします。

 難聴学級があるとはいえ、小学校はきこえる子に囲まれてきっとまた悩むことがあると思います。小学校で聴者の世界に出て、思春期の多感な時期、今度は聞こえない仲間のいる学校に身をおくという選択もいいのかもしれません。まあ、まだまだ気が早い話しですが。・・・」

 

 これを読んで、米国に渡った大谷翔平選手ではないが「二刀流」ということばが浮かんだ。人工内耳も手話も使いこなす二刀流の子どもたち。これからはこんな子たちが出てくる時代なのかもしれないなと。 

桜の花の咲く季節になった。これから何度、私自身、桜の花を見る時期を迎えられるだろうか?と自分の歳を気にしつつ、このお子さんのこれからの成長をさらに見守っていきたいと思う。そして、門出のことばを贈りたい。 

「人生を楽しむために手話を!人生を闘うために日本語を!」

二つのかけがえのないことばを大切にして生きていってほしいと思う。