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心揺さぶられる授業~聾学校高等部自立活動の授業をみて

先日、ある聾学校高等部の授業を見せていただく機会がありました。自立活動の授業でテーマは「自分史」。自分のこれまでの生い立ちを振り返り、「自分」について考える授業です。徒は高等部普通科3年生(高度難聴・男子)と同2年生(人工内耳装用・女子)の二人。二人とも大学進学をめざしています。その日の授業は、「自分はどうやって言葉を身につけてきたのか」を考えるというもの。

 事前に授業者の先生から保護者に連絡し、保護者は我が子の障害がわかったときのショック、どのようにきこえない子を育ててよいのか戸惑いと不安、聾学校を紹介されて教育相談に通い少しずつ立ち直り始めたこと、子どもに言葉(音声日本語)を教えようと毎日が必死だったことなどを手記にしたため、担当の先生に渡してあります。

 その保護者の手記を、その日の授業で初めて本人たちに渡して授業は始まりました。二人の生徒は渡された手記を真剣なまなざしで読んでいましたが、そのうち二人とも目が少し赤くなってくるのがわかりました。自分を育ててくれた親の思いに熱いものが込み上げてきたのでしょう。

そして、顔を上げた3年生の男子はことばを選びながら「胸をえぐられる思いがした」と語りました。二年生の女子のほうは、まだ自分の思いをどう表現してよいのか言葉が見つからないようでしたが、いろいろと感じているものがあったのがわかりました。

今回の授業は、まずは親の手記を読んでの自分の感じたことを話すことで、それ以上に本人たちの内面に深くは立ち入りませんでしたが、これからそれぞれに自分が感じたこと思ったことを言語化し、互いに共有し深めていくことで、自分自身について、また、自分がどのようにことばというものを習得していったのかを考えていくのだろうと思います。

最後に見学者として感想を求められ、私は一度きいてみたかった質問を単刀直入に彼らにしてみました。「君は、もし、きこえないことが治る薬があったら、その薬を飲みますか?」。かれらの答えはこうでした。

高2女子「私は飲まないと思う。」

高3男子「ぼくも飲まないと思う。」

そこで私は女子生徒に再度、質問しました。「君は小学校・中学校と普通の学校に通った。でも、そこで本当に分かり合える友達はいなかった。ときにいろいろな誤解を受け、トラブルになった経験もしてきた。それで聾学校にかわってきたんだよね。でも、もし君がきこえる人であったのなら、そんなつらい経験をしなくてすんだのではないの?」

 女子生徒は、いろいろと思い出すこともあったのか少し目を赤くしながら「・・・でも、やっぱり飲まないと思う。・・・」と応えました。

 一方、男子生徒のほうは次のように応えました。

「中学生の頃、聴者になれたらいいなと思ったことがあった。でも、今はそうは思わない。もし、薬を飲んだら、これまでの自分が自分でなくなってしまう気がする。僕は僕でいたいと思うから・・」

 ずしりと重い言葉でした。私の中にも熱い思いがこみ上げてきました。きこえない子どもたちは、きこえる人が圧倒的な数を占めるこの社会の中で、いつも「きこえないことの不便さ・不利さ」を感じて生きています。ですから、人生のどこかで、かなわないとは知りながら、一度は「きこえる人になれたら・・」という思いを抱きます。


このことばを聞いて、私は、20年前の聾学校小学部高学年での自立活動の授業でのやりとりを思い出しました。1998年9月。まだ暑さの残る日でした。

・・・私は授業者として子どもたちに問いかけました。「君たちは今、自分がきこえないということをどう思ってる?」 

子どもたちの応えはこうでした。

A男(難聴)「ぼくは少し聴こえる。難聴だ」

B子(聾)「私は聾。難聴の人がうらやましい」 

私「どうして、難聴者がうらやましいの?」

B子(聾)「電話ができるし、テレビもわかる。」

私「でも、今は携帯でメールもできるし、テレビも字幕がつくよね。」

A男(難聴)「それに、テレビは(家族に)通訳してもらえばいいよ。」

B子(聾)「字幕の番組は少ない。親は時々通訳してくれるけど難しい場面は無理。それに・・・A男は先生と口だけで話せる。楽しそう。」

 このことばをきいて私はハッとしました。「きこえる方がいいのだ」という思いを抱かせてしまっている私自身を恥ずかしく思いました。B子が横から見ている時に、A男と口だけでペラペラとしゃべって、楽しそうに笑いあったこと。B子が見ていることに気づいていなかったのでした。なぜ、B子がいるのに、B子が横から見てもわかるように私は手話を併用しなかったのか。これではきこえないことが不利にならない社会を築くなんてできない。きこえない子が「きこえたほうがいい」と思ってしまう状況を自ら作り出しているのでした。


こうした私自身の体験を思い出しながら、高等部の授業の最後にこう言いました。

「〇〇君は聴者になりたいと思うときがあったんだね。でも、今は自分がきこえない自分でいることをうけとめている。それはほんとにすごいなって思う。でも、そうだったなら君はきこえない自分の言葉である手話をもっと自信をもって使うといいと思うよ。」

 私が気になっていたのは、彼の使う手話が音声言語の周りの人たち(見学者2名を含めて)に合わせてどことなく遠慮がちであったことと、人工内耳の女子が口だけでしゃべってしまうことに対して、「わからないから手話を使って」とか「手話通訳をしてほしい」と聴者の先生に言わなかった(言えなかった?)ことです。しかし、その女子が口だけで発表しているとき、私が横から通訳している手話をちらちらとみていましたから女子が発表する内容を彼は知りたかったはずです。

「きこえる人ときこえない人がいるとき、お互いに理解しあおうと思ったら、お互い100%わかりあえるコミュニケーション手段がないと話題は共有できないよね。だから口話だけでなく手話も同時に必要。その意味をこれからも考えていきましょう。それから〇〇さん(女子)もぜひ手話を覚えてください。きこえない人同士が分かり合うためには絶対に手話は必要ですね。〇〇君はわかるときはわかる、わからないときはわからないと言えるといいですね。でも難しいよね。話の腰を折るんじゃないかと気を遣うだろうし。そういうときは、ここまでは自分はこう理解した、でもここから先はわからなかった、と具体的に伝えるといいよね。相手もああ、そこまではわかってくれたんだとわかるし、話しもしやすい。そういう相手への配慮や工夫も大事ですね。」

 高三の男子は某国立大学で特別支援教育を学びたいと、今年、推薦入試を受けるのだそうです。「ぜひ合格してほしい。いい知らせを待っています。がんばってね!」とエールを送りつつこの聾学校をあとにしました。田舎町の小さな聾学校。先生一人と生徒二人だけの授業。でも熱くて心揺さぶられる授業した。