2-1合理的な配慮・難聴児の支援
今回は、聾学校に在籍しながら、地域でのスポーツクラブに入り、元気に育っている子ども二人の事例を紹介します。
〇地域の野球チームに入ったA君
A君はろう学校小学部5年生の男の子。聴力は片耳60dB、片耳100dBの左右差のある中等度難聴です。A君は現在地域の野球チームに所属し、休日は8:00~17:00までハードな生活を過ごしているそうです。この野球チームは都道府県大会で準優勝したこともある強いチーム。その中のレギュラーには2名のろう学校在籍の子ども達が入っているとのことです。

A君はまだレギュラーをとることはできないようですが、誰よりも大きな声で応援しているという話でした。きこえる子ども達が大半の野球チームの中で、友達は指文字を覚えて歩み寄ってくれているようです。そんなA君は中等度の難聴で、発音の明瞭度も高く、家庭では音声言語中心のコミュニケーション、学校では手話と音声言語を併用し、重度難聴の友達とは手話でコミュニケーションをしています。A君の主たるコミュニケーション手段は音声言語ですが、手話も自分にとって大事な言語であること、同じ聴覚障害者同士で100%伝え合えるためには手話が必要であることを実感できる子どもに育っているようでした。
A君が幼稚部に入学した時、同学年の子どもがいなかったため、自由遊び以外は担任とA君とお母さんで過ごすという生活でした。幼稚部の先生方はこのままではいけないと考え、4歳児の時にA君を5歳児の集団に入れるようにしました。手話を特に使わなくても伝え合えていたお母さんとA君でしたから、手話を必死に覚えなくてはという切迫感がなかったわけですが、重度難聴の友達と過ごす時間がグーンと増えたことを機に、お母さんも子ども達と会話をするために手話を積極的に学び、Aちゃんも手話を使うことが増えていきました。
そして、ろう学校の小学部に進むことに迷いのなかったAちゃんは、集団を求めて小学部は他校を選び、入学しました。そして、土曜日には聾学校のクラブ(NPO法人主催)に来て、幼稚部時代に共に遊んだ重度難聴の友達との交流を続けていました。小低の頃、親友は幼稚部時代に共に遊んだ1学年上の重度難聴のB君だったそうで、家をよく行き来し、彼とは声を使わず手話だけでコミュニケーションをしていたそうです。音声言語を流暢に使うA君ですが、大好きなC君を始め、ろう学校の仲間と深く、豊かに語り合いたい気持ちが、彼の豊かな手話言語力も身に着けていったと考えられます。A君が、与えられた環境の中で音声言語も手話も身につけ、相手に応じて言語を使い分けることが自然とできるようになっている姿に、実にバランスのいい育ちをしているなあと感じました。手話も音声言語も。手話をすると音声言語が育たない、などと言われますが、決してそういうことはなく、ちゃんと両方育つんだと実感ししました。
(その後、A君はある大学の農学部に進学。なんと、応援団に入って大きな声をはりあげて応援練習に励んでいるそうです)
〇地域のバレーボールチームに入ったCさん
重度難聴のCさん、現在ろう学校中学部の1年生。小学部時代に地域のバレーボール部に所属していました。Cさんのチームは非常に、地域でも強いチームでした。お母さんは、

手話が主なコミュニケーション手段であるCさんが、きこえる子どもばかりの中で果たしてやっていかれるのだろうかと心配でしたが、Cさんの「バレーボールがやりたい!」という強い希望を叶えてあげたいと思ったそうです。入部当初は、コミュニケーション上のトラブルや部員のいじめ等にもあったそうですが、お母さんには伏せていたCさん。バレーボールが大好きだったCさんは「やめたい」とは言わなかったそうです。しかし、ある時様子がおかしいと心配したお母さんが問いただした所、Cさんが仲間にいじめられていたことがわかったそうです。お母さんが監督に相談したところ、子ども達に色々話をしてくれたのでしょう、子ども達のいじめはなくなり、徐々に子ども達が手話や指文字を覚えて歩み寄り、仲間意識が深まり、Cさんにとって楽しい場になっていったようです。彼女のバレーボールが大好きであるという気持ちが、いじめやコミュニケーションの困難さを乗り越え、彼女の高い技術や熱心に練習に打ち込む姿が、周囲の子ども達の関わりを変える原動力になっていったのでしょう。
(その後、Cさんは聾学校高等部から体育大学に進学。大好きなバレーを続けています)
小学部になると、A君やCさんと同様に、ろう学校に在籍しながら地域の野球チームに参加したり、水泳や絵画、ダンス等の習い事に通ったりする子ども達がたくさんいます。学齢期に入ると、手話をメインにコミュニケーションを図る子どもにとって幼児期までは難しかった聴児とのコミュニケーションが、筆談や口話を身に着けることで、自分から伝えたいことを伝えることができるようになり、聴児に対して筆談を求めながらコミュニケーションがとれるようになっていきます。そして、聴児がもっとスムーズに、彼らと語り合いたい~そう思った時に、聴児が手話や指文字を覚えて歩み寄ってくる、そんな姿が見られるようになってきます。必ずしも学校(幼児)教育の場の中だけで聴児と関わる場を与えていこうという発想ではなく、このように地域、生活の中で聴児との交流の機会を作ることは、聴者文化を知る上で、また、聴児とのかかわり方を体験しながら覚えていく上で大切になってくることでしょう。
一方で、地域の小学校で聴児に囲まれて日々過ごす難聴児には、敢えて難聴・ろうといった子ども達と関わる場を保障していくことが望ましい育ちにつながると思います。例えば、東京なら大塚土曜クラブ、しゅわえもんといったろう、難聴の子ども達が集い、ロールモデルとなる学生や成人のろう者、難聴者に出会える場所に週末通うことができます。また、乳相、幼稚部時代に出会ったろう・難聴の手話を使う子ども達と家族ぐるみで関われるような環境を用意してあげることも大事ですし、ずっと年1回、キャンプに行くという人たちもいます。難聴だから難聴者とだけではなく、ろうの子ども達との交流も大切にしていってほしいと思います。
さて、ここでもう一人の方の事例を紹介します。その方は中途失聴の方です。上の二人とは逆に、つらい思いをしてきた方です。
〇悲しいプライドに支えられていた私
今はろう学校で教員をしている、中学生で失聴したDさん。その方のメッセージの中に次のようなことがありました。
「手話は後で...」「口話、読み書きができればいい」と考える人は多い。しかし、自分はまさにそんな存在だったが、苦しかった。私を支えてきたのは学歴や成績だった。その見方しかできなかった。悲しいプライドだった。手話の環境がない子ども達は「手話がなくてもわかる!」というプライドを持っていると思う。手話が必要になった時、これまで見下してきた人たちと同じことをしなければならないという問題が起こる。私は中途失聴なので、手話と出会っていなかったから、そのプライドはなかった。手話でわかると嬉しいので、スムーズに入ることができた。しかし、口話ができた人は手話が入っていきにくい。私はきこえる人でもなく、ろう者でもない存在であった。手話を覚えてろう者の仲間に入れた。しかし、その仲間に入る時には葛藤もあった。私が聞こえる人と話す時、声を使うかどうかなどに悩んだ。自分が聞こえる人にだけ求めるのは違うかなと思い、今はきこえる人には手話と声を使っている。歩み寄りが大事だと思う。
自己認識は手話だけで育つものではない。ろうという自尊の心だけでなく、きこえる人たちのことを知ることも大切だと思う。その両方がないと、障害認識にはならない。そのためには交流が必要。その時に筆談が必要になってくる。これは、自立した生活にもつな

がってくる。しかし、筆談は簡単にはいかない。条件、つまり自分には筆談が必要なんだという自覚が必要。私はきこえるふりをしていた時には筆談してほしいと言えなかった。切符を買う時には、質問されないように全部用件を最初に言っていたが、想定外に「喫煙車か禁煙車か」と問われ、分からずしどろもどろしていた所、後ろには長い列ができてしまった。後ろの人が身振りで教えてくれたが、たまらなく嫌で、逃げるように切符を受け取り帰って大泣きしたことがある。人と違う方法をとることが恥ずかしいと思っていた。教員になった時にも同じで筆談をすることができなかった。先生方に「あなたが聞こえない子ども達の見本になっていかなくてはいけない」と言われた。今は子ども達に筆談の様子を見せるようにしている。
Dさんは中途失聴者で、とてもきれいに発音されます。しかし、よくきこえない。彼女は、自分自身の経験から、①手話も小さい頃から使えるようにしておくといい。②難聴者であっても、手話ができることでろう者とのかかわりも広がる。③ろうの文化だけではなく、きこえる人の文化を知ることが大事である。④確実なコミュニケーションに筆談は必要、音声言語だけで伝え合えるという誤解を持たせないようにすることが大事である。...このようなメッセージを送ってくれました。私たち大人は、ろう学校で学ぶ子ども達には、聴児との交流の機会も作ること、通常学級で学ぶ子ども達には、幼い頃から家庭で手話が使われることはもちろんのこと、手話で同障の仲間と語り合えるような環境作りを通して、聴文化だけではなくろう文化にも触れること、きれいに話せても、筆談で確実にやりとりすることの大切さを伝えていきたいものです。
子ども達が聴覚障害者としての自覚、アイデンティティーを確立できるようになるためには、聴者の中でその違いを認識すること、ろう・難聴者といった同障の仲間の中で確実に伝え合える経験を積むこと、どちらも大事です。そのためには、個々の子どもに応じて、バランスのいい環境を整えることを心がけていきたいものです。(文責S)
しかし、きこえない・きこえにくい子が共通の言語・コミュニケーション手段である音声言語を駆使して、きこえる子と対等に関わっていくことは、まわりの配慮なしにやれるかというと、それはとても大変なことであるのも事実です。
私たち人間は、ことばを介して人と関わり、互いの関係を深め、そこに自分の存在意義を実感します。人との関係性が断ち切られ、孤立した環境の中では、生きていけない存在だといってもよいと思います。他者とのコミュニケーションが阻害される聴覚障害は、人間にとって最も本質的な問題に起因する生きづらさと言ってもよいかもしれません。
例えば、周りが全て音声言語という通常学級において、きこえない子が、どうすれば周りにあふれている情報を摂取し、周りとコミュニケーションが可能かを考えてみます。
まず、授業において他児の発言を含めてその内容がリアルタイムにわかるためには、FMシステム等の補聴援助機器の援けだけではなく、視覚的な方法・支援が担当の教師によって講じられる必要があります。仮に聴力50~60デシベル(補聴器

また、授業以外の場面ではどうでしょうか? 休憩時間の3~4人の友達の会話の中に、その子は入って、丁々発止のやりとりはできるでしょうか? 教室に流れてくる校内放送の内容はその子は聞き取れるでしょうか? 体育館や校庭での朝礼の校長先生の話は、その子は聞き取れるでしょうか? もし分からなかったとき、友達や先生は教えてくれるでしょうか? 突然、後ろから名前を呼ばれて気づかなかったとき、「無視された」と友達とトラブルになることはないのでしょうか? 一見、きこえて話せる難聴児であっても、学校という集団の場では、多くの困難さ

しかし、もしきこえない子なのだということをクラスで受けとめられ、必要な情報が、先生や周囲の誰かから自然に伝えられる配慮がなされれば、その子の「情報・コミュニケーションの障害」は、著しく軽減されるでしょう。
この感覚こそが人が生きていくうえでの、最も基本的に重要な感覚なのだと思

最近、地域の普通幼稚園・保育園(以下、普通校)や小学校に通う子どもいわゆるインテグレーション(以下、インテ)が増加する傾向にあります。聾学校がよいか普通校がよいか学校自体の長所・短所がありますし、家庭の条件やその子どもの特性もあるので一般的にどちらがよいとは言えません。ケースバイケースで、その時々で考えていくしかあり

ません。ただ、私個人としては、聾学校が通学できる範囲にあり、毎日通える条件が満たせるのであれば、聾学校の方が子どもにとって安心できる環境(100%見てわかる手話のある環境なので勉強もよくわかるし、友達とも心置きなくおしゃべりできる、冗談の言い合える環境)だと思うので、まず聾学校をおススメします。例えば右の図のような、先生の言うことはわかるけれど次々と発言する子どもの話した内容はさっぱりわからない、ということは手話のある聾学校ではあり得ないからです。最初の導入と最後の結論だけわかり、そのプロセスがスカスカということは、100%見える環境の中では起こりません。でも、見えなくてもそれでも勉強なんとかなっているよ、というのは教科書や参考書があるからです。授業中の友達の発言がわからなくても教科書さえあれば勉強の中身はわかる。それでなんとかなっているわけです。
〇「聾学校ってレベル低いよね・・」
「聾学校に行くと言語力がつかない。勉強が遅れる。手話しか使えなくなる」とおっしゃる医師やSTの方がおられます。しかしそれは事実誤認です。『手話で育つ豊かな世界』(出版物紹介欄参照)をぜひお読みください。この本に登場する手話を使う某公立聾学校(国私立ではありません)の大学進学率は2016~2020の5年間平均で58%です。聴児の全国平均56%(2019)よりも高いです。毎年行われる全国学力テストの結果も乳相・幼稚部・小学部とあがった子どもたちは、例年、算数も国語も全国平均点より高いです。
また、「きこえないと音楽とか楽しめないでしょ」とおっしゃる医師やSTの方もおられます。これまた事実誤認です。この聾学校小学部児童の人工内耳装用児は全体の15%。高度・重度難聴で補聴器の児童が60%以上を占めますが、でも子どもたちは音楽が好きです。そして、この聾学校は4年連続で「日本学校合奏コンクール」で都道府県代表となり銀賞をとっています(特別支援学校の中では全国大会に出場しているのはこの聾学校だけです。ただしさすがに金賞受賞はまだ未経験ですが・・)。これが「100%見てわかる勉強、100%見てわかるコミュニケーション」がもたらす豊かな可能性の結果です。自己肯定感と手話。聴力はあまり関係ありません。
〇聾学校に通えない場合の支援は・・
さて、それでも聾学校に通える条件がない子どもたちもいます。その場合は、地域の小学校に行くことになります。このような子どもたちを支援する場として難聴学級がありますが、聾学校からも地域の小学校や園に行き、担任の先生や通級する難聴学級の先生方と懇談する機会をもったりすることが必要です。きこえない、きこえにくいということを配慮してもらえるよう、子どもが在籍する機関の担任を支援することです。この「配慮すること」をやっていただくために、その前にしなければならない大事なことがあります。それは、「聴覚障害を理解してもらうこと」です。しかし、実際には、きこえない、きこえにくいということはどのようなことか、一般の方々に理解してもらうことは、なかなか大変なことです。盲や身体障害の方は目で見てわかる障害ですが、聴覚障害は見た目ではわからないので、特別に何か配慮が必要というようにはまず思えないでしょう。特に、軽・中度難聴や人工内耳装用児であればペラペラしゃべっているので、一般の方々には、きこえない、きこえにくい子どもだということがわからなかったり、忘れられてしまったりすることがあり、併せて必要な配慮も忘れられることが多々起きてくるわけです。
そこで、きこえない子たちは、このようなきこえの状況に置かれているということ、このような誤解を受け困ることもある、というように、しっかり理解してもらわないと「だったらどうすればいいか」という解決策、打開策を考える段階には進みません。ですから、『きこえない、きこえにくい』という障害をきちんと理解してもらうことに時間をかけなければならないのです。
〇難聴理解と難聴児への配慮
まず、一般の方々がどのような誤解をしているのか考えてみましょう。まず、「補聴器をつけていれば自分たちと同じようにきこえている」と思っている方は多いものです。眼鏡をかければよく見えるようになる感覚で、補聴器も同じと捉えるわけです。しかし、感音性難聴の場合、耳から入ってくる音声は、歪んでいたり、ぼやけていたりすしますし、騒音下ではまさに騒音に負けて、必要な音声がよくきこえない、全くきこえないという状況におかれていることが理解されないわけです。ですから、難聴児(者)が下を向いていようがうるさい所であろうがおかまいなしに、つい音声で話しかけて通じた、伝えたと思ってしまう人たちがたくさんいるわけです。そして、「補聴器をつけていれば、どこからでも音が入ると思っている」と思われている。つまり、基本的に、補聴器が1m以内の所から音が入るように調整されているものであることを知らなければ、離れた所からでもつい呼びかけられてしまう、そんな状況におかれるわけです。
また、「みんなと同じように行動できているから、何も困ることはない。」と思われている。たとえば、みんながクレヨンを取りに行ったから、自分もクレヨンを持ってくる、こうした行動は、難聴児にとって言語指示がわからなくても、周りを見て状況判断すればできる行動です。それを見て担任の先生は、何の問題もないと判断してしまうわけです。しかし、実際それでいいのかというと、そんなはずはありません。いつ、何が、どこで、どのように始まるのかといった言語による理解がされないままに、見よう見まねでそのことが始まるのは、本人の立場にしてみればとても不安なことです。本人にわかるような言語指示で、確実に伝える配慮をしてもらわなければなりません。
さらに、「1対1の場面で、音声言語でしっかりコミュニケーションができるので、誰とでも、どんな場面でも音声言語で通じあえる」と思われることもよくあります。子どもにしっかり関わってきたお母さんもこのような誤解をすることがあります。しかし、実際には、難聴児にとって、話し手の声や口形に注意が向けられて初めて音声言語がわかるのであって、3人以上の会話で、音声言語がとびかう時に、その声を追い切れず、誰が何を話しているのかわからなくなるという音声でのコミュニケーションの限界が理解されないことはけっこう多いものです。ですから、グループでの話し合いの配慮も理解してもらう必要があります。
このように、難聴児(者)のきこえ方、補聴器や人工内耳の効果と限界、集団コミュニケーションの限界をきちんと理解してもらって初めて、以下のような配慮を要望できます。
「大きめの声で、ゆっくり話してほしい」
「目が合って、話し手に注意が向けられてから話しかけてほしい」
「後ろから、横から呼ばずに、必ず肩を優しく叩いて、振り向いたのを確認してから話しかけてほしい」
「騒音を減らすために、椅子にテニスボールをつけてほしい」
「3人以上の会話になると、誰が今話しているのかがわからないので、合図してから話してほしい」
「ことばでわかって行動しているか、状況判断で行動しているかをきちんと見てほしい」
「教室を歩きながら話さないでください」
「できれば手話や指文字を使ってほしい」・・・といったお願いの意味が実感され、配慮しなければなあという意識につながるわけです。それでも、クラスの環境は様々であり、20人とか30人の中の一人のためのお願いですから、ベストな支援が保障されるとは限らず、後は、祈るばかりというのがインテグレーションの現状でもあるわけです。しかし、少しでもより良い方向に環境を整えることが私たち大人の役割なのだろうと思います。
☆参考になる図書(出版物案内へ)
『難聴理解かるた』 (本会発行・1,900円)
『難聴児はどんなことで困るのか?』(本会発行・A5版700円)

難聴児に関わる方に、難聴児の困り感がどのようなものかを知っていただき、どのような配慮が必要なのかを考えていただくためにかるたにしてみました。また、担任の先生にも難聴児のことを知っていただくために冊子にもしました。これらの教材・書籍を使って普通学級で「難聴理解授業」をすることもできます。

『指文字表』
指文字もクラスの友達に覚えてもらうと便利です。筆談は道具がないと難しいですが、指文字はからだ、いや指さえ動けば簡単なことが伝えられます。

ある中学校の先生から以下のように質問をいただきました。今後、緊急事態宣言が解除され徐々に学校が始まると思いますが、当面はマスク着用が必須となると、難聴児にとっては学校が始まる喜びだけでは終わりません。相手の口が見えないとコミュニケ―ションに困りますから。とても大事な問題なので質問を引用させていただき、その対応を考えてみたいと思います。
「私は中学校の教員です。今年度から1年生で難聴の生徒が入学してきます。その生徒は両耳中等度の感音性難聴で補聴器をつけています。聞き取るときは補聴器と読話で理解しているようです。複数で話をする時は誰が話しているのか口の動きで確認しているらしいのですが、現在全員がマスクをしているので、誰が話をしているのかわからないそうです。また、本人はわかりたいと思っているが早いテンポになればどんどんついていけなくなってしまうのが悔しいそうです。
公立学校でできる支援にはどのようなものがあるか教えていただきたいです。今は透明のフェイスシールドを準備しています。しかし、周りの生徒全員につけさせることもできない状態です。どのようにすればよいのか教えていただければ嬉しいです」
新型コロナの影響は、難聴児・者のコミュニケーションに大きな影響をもたらします。中等度難聴といえども聴覚だけで複数の人と会話することは困難です。ではどうすればよいのでしょうか?
〇1対1や少人数での会話は・・
生徒が常にマスクをしている状態では、難聴生徒は1対1の会話場面でも相手の口を読むことができません(マスクをしていなくても2~3メートル離れたら読話は難しい)。この場合は、簡単なことなら単語の空書や身振り、指文字(覚えてもらうと便利)、きちんと伝えなければならないことは文字での筆談、スマホの音声翻訳アプリなどの方法での対応が必要でしょう。
それから、この生徒はかなり聴覚や読話が使えているようで、集団での雑談にもある程度ついていけているようです。しかし、最初は自分のことを気にしてくれていても話が盛り上がってくれば、忘れられてしまいます。そうすると話題からこぼれてしまう。それが本人には悔しい。では、悔しい思いをした本人はどうしているのでしょう? 私たちは簡単に「わからなかったら、わからないと言いなさい」と言いますが、話が盛り上がっているときに「もう一回言って」というのは場の空気が読める子にはとても難しいことです。難聴児・者は常にこの問題に悩まされます。他愛もない雑談であれば聞き流せば済むのかもしれませんが、他愛もない雑談だからこそ交じっていたいという本人の気持ちも理解できます。音声だけの会話にはこの問題はどこまでもつきまといます。それに本人がどう対応するかはこれから考えていかなければならない問題でしょう。
〇教室での授業は・・
教室での授業の場面は、距離や角度、広さ、騒音の有無、多人数といった問題でさらに

①先生が生徒全体に質問する→②生徒が挙手する→③先生が特定の生徒を指名する→④指名された生徒が自分の考えたことを話す、という授業パターンでの流れを考えてみます。難聴生徒は、通常、①は、先生の声と口形を読み取れる位置に座っていると考えると、それなりに理解できるでしょう(フェイスシールド着用です)。②③も見ていればわかります。しかし、④での指名された生徒の話す内容は、マスクをしていますし、さらに距離や方向の問題もありますし補聴器だけでその発言を理解することは困難でしょう。その場合はどうすればよいでしょう?
⑤先生が再度、その生徒の応えた内容を要約して難聴生徒に伝える(口話通訳)ことがまず必要でしょうか。これは面倒で時間がかかると思われるかもしれませんが、30~40人の中には必ずゆっくり気味の生徒もいますから、彼らの理解にも役立つと思います。できれば、簡単にでもよいので理解の手掛かりになる板書をしてもらえると難聴生徒はたすかります。また、先生に「ロジャー」などのFM補聴システムを使ってもらうのも援かります。多少の騒音でも先生の声がクリアにききとれます。

〇その他の場面での配慮
Q1.教室で難聴児が座る位置は?
通常は、明るい光を背にできる窓際か中央あたりの1~2列目あたりが、先生にも近く、全体を見渡せる位置なので好まれます。生徒の好みもあるので本人にきくのがよいと思います。

Q2.先生の話にどんな配慮が?
黒板の方を向いて話されると先生の口形は見えません。板書しながら話すことは避けてほしいです。難聴生徒に顔を向けて口形を見せてください。また、その生徒がノートをとっているときに話すのもNGです。顔を上げてちゃんと先生の方を向いているときに話して下さい。

教室を歩きながら話されると先生の口形も見えないし、距離も遠くなり、ほとんどに何もききとれません。話すときは、面倒でもその子の近くで顔を向けて話して下さい。
Q4.教室の後ろの児童の発言は?

Q5.グループでの話し合いは?
発言者は挙手し、難聴生徒が発言者を確認してから、口形を見せて話させてください。(マスクとれない場合は別に補助の先生が必要になると思います)。また、複数の生徒が同時に話すとわからなくなりま


突然の校内放送はききとれません。スピーカーには口形もありませんし、機械音は人の声と音質が違います。また休憩時間などは周りの騒音もあります。近くにいる人が、文字なども使って「通訳」することが必要です。
Q7. 校長先生の講話、どういう配慮が?

〇そのほかの場面では・・
学校では難聴生徒の苦手な場面がほかにもたくさんあります。このような場面でどう配

最後に大事なことは、難聴生徒が本当に理解できたかを確認してください。もし本当にわかったかどうか不確実だと思ったら、その難聴生徒に理解したことを再度復唱させて下さい。
〇障害ある子どもたちのために力を貸して下さい
「いろいろありすぎて面倒。忙しくてやっていられない」という先生もいらっしゃいます。それも理解できます。今の教育現場とくに中学校がどれほど多忙であるかもわかります。ですから一度に全てではなく、できることから一つだけでもかまいません。
この生徒のために何かできることはないか。そう考えていただける気持ちは、必ずその生徒だけでなくほかの生徒たちにも伝わるはず、と思います。中学時代は長い人生の中でほんの一瞬かもしれませんが、先生の熱意と誠実さを体験した生徒たちの心の中には、これからの人生を支えていく上で大切な、一人一人を大事にする心が育まれていくと思います。
【参考図書・教材】
「難聴児はどんなことで困るのか?」 700円
「難聴理解かるた」1,900円
「新版・きこえにくいお子さんのために」1,000円
先日、聾学校、難聴学級、通常学級に通う子どもの保護者と教員、支援者が一堂に集まって話し合う年1回のイベントがK市で開かれました。そこでのパネルディスカッションで出されたのは、地域の学校に通っている子どもたちが必ずしも情報保障が十分とは言えない教育環境の下におかれている現状です。
例えば、地域の普通小学校に通っている子どもの保護者からは、「教室の席に配慮してほしい」とあらかじめ要望していたのに出席番号順で一番後ろの席になったとか、「指示などはできるだけ板書してほしい」と要望しても「30数人のクラスの児童をみているので無理」と断られたとか、「難聴理解授業をやらせてほしい」と要望してもなかなか受け入れてもらえなかったなどさまざまな問題点が出されていました。
また、通常学級の巡回訪問を実施しているSTの方からは、難聴の子どもたちは騒音状態の中に置かれていることが多く、グループ学習では子どもの発言はききとれず配慮もないこと、せっかく「ロジャー(FM波を利用した補聴援助機器)」を使っていてもグループ学習などでは有効に活用されていないこと、ききとれなかったりわからなかったりしても難聴児本人から「わからない」と言いにくい雰囲気があることなどが出されました。さらに、「ロールモデル」としての成人難聴・聾者に出会うチャンスがないことや多様な難聴児集団の必要性なども話されました。
〇「参加」するために「合理的な配慮」は必要

このような、障害ある人に対して、配慮すれば差がなくなり、同じ場面に参加できるようになる、ということを実現するために制定されたのが「障害者差別解消法」(2016年施行)です。この法律のキーポイントは「合理的な配慮」ということで、ちょっと努力すれば実現できることをやろうということです。ですから、学校は(とりわけ公立学校は義務として)障害ある子どもからの何らかの配慮の求めに対して、以下のことが求められています。
①障害ある子どもの状況に応じて、
②他の児童と同様に教育を受けるために、
③過度な負担にならない範囲で、
④障壁になることの解消に向けた配慮を行うこと

こうした配慮をこの法律では「合理的な配慮」といっており、初めに述べたような「指示事項を板書する」とか「教室の席を前の方にする」とか「授業で先生が補聴援助機器を首から掛ける」といったことは、少しだけ配慮すればできることですから「合理的配慮」の範囲にあると言えます(右表はろうあ連盟がまとめた『合理的配慮に欠ける事例』)。
〇「障害理解授業」の必要性~私自身の経験から
さて、難聴という障害は、周りから理解されにくい障害です。また、本人自身も自分が何をどこまでわかっているのかが自覚しにくい障害です(自分でこれなら100%わかるというコミュニケーション手段すなわち手話・指文字・文字などの視覚的手段がない限り、補聴器をしても人工内耳をしても音声だけで100%のコミュニケーションにはならない。聴者からみて80%位の理解であっても本人にはそれが常に100%だから自己理解が難しい)。

〇『難聴理解かるた』を使って

しかし、このような子どもに、難聴学級・通級指導など個別の場面で、『難聴理解かるた』を使って「こういうことある?」と尋ねたり、かるたの絵を一つひとつ見ながら「よくある」「時々ある」「あまりない」「全く


保護者に話してもらう中身は時間にもよりますが、わが子が生まれたときの思いやどのように育ててきたか、子どものよさとか将来の夢など、また、どんなときに困るのか、そういうときにどう手伝ってもらえるとたすかるかなどでしょうか。こういった内容を紙芝居などにするのが低学年の子にはわかりやすくベストです。また、子どもたちからの素朴な疑問・質問にも答えてもらうとよいと思います。
例えば、よくある質問は・・

②補聴器していればはっきりきこえているんでしょ?(めがねみたいに) また、どこからでもきこえるんでしょ?(後ろからでも、数メートル離れていても)
③話せるのだからきこえているんでしょ?(話せない人は手話を使っているから)
④どうしてうまく話せないの?(発音が悪いの?)
⑤大きな声で区切って話せばきこえるんでしょ?(た・ろ・う・く・ん、と)
⑥みんなと同じにやれているから困っていないよね?
⑦どうして、別の学級や学校(通級)に行っているの? など

右の二つのファイルにある4つの場面。このままでは難聴児は聞き取れません。では、どのような配慮が必要でしょうか? ここで必要とする配慮は、ほんのちょっとした手間をその子にかけるかかけないかの範囲ですし、その子がわかることはみんなにとっても役立つことが多いです。その利点も知っておきたいですね。(木島)

本HP>出版案内③「難聴理解かるた」参照
nanchosien.com/publish/cat57/
〇軽・中度難聴児は自分の"困り感"がわかりにくい
もうすぐ新年度が始まりますが、軽度・中等度難聴児の中には、難聴があることに気づかれず、就学前検診などではじめて難聴であることがわかる子どもたちがいます。そのような子たちは、発音が比較的明瞭で、普段の生活で特に困った様子がみられないことが多く、気づきにくいのです。そして、「障害はそれほど重くない」ということで、小学校はそのまま通常学級措置となり、周りに迷惑をかけるといった大きな問題がなければ、うまく適応していると思われてしまうことも多いようです。ですから、話しがききとれなかった時に、その子が教師に何度もきき返しをしたりすると(きき返す子のほうがむしろ少ないですが)、「一生懸命きいていないからだよ!集中していればわかるよ」などと言われてしまいます。
また、友達に「おはよう」と声をかけられたことに気づかずにいたりすると、「なんだよ無視して!」と誤解されてしまうことにもなりかねません。本人にとっても、困る時と困らない時の境目があいまいなので、これらの状況を説明することはなかなかむずかしいのです。普段は特別な配慮を必要としていないのに、突然困る・・・・。そのときに初めて「きこえないから・・・」と言っても「今まできこえていたのに?都合がいいね」などと周囲は思ってしまうわけです。
さらに「自分は学校生活でまったく困っていない。何も不自由していない」と言う軽度・中等度難聴児もいます。自分がどれだけきこえているか・きこえていないかがわからないからです(他人のきこえがわからないので当然ですが)。そして、「自分が難聴であることをあえて言いたくない。言わなければ友達も気をつかわないから関係がスムーズでいられる」と言う子どもも少なくありません。
しかし、実はさまざまな場面で自分がきこえていないことに気づいていて寂しさを味わっていることも多いのです。先生も親も「わからないときはわからないと言いなさい」と言いますが、難聴児の「わかったふり」には、相手との会話を妨げたくない。何度もきき返したら相手が気分を害してしまうのでは?という不安が根底にあるのです(これはきこえに関わらず少なからず誰にもあるのではないでしょうか)。仲良しの友達との二人きりの会話はまだよいのですが、数人の会話や初対面に近い人との会話になると、後で困るかもしれないとどこか思っていても、全部きけばわかるかもしれないなどと、その時にきき返すことをせず、結局、最後まできいてわからなかったとしても、話を元に戻すことができず「わかったふり」をしてしまうこともよくあります。
〇軽中度難聴児をどう支援するか?
では、どうすればうまく適応できるのでしょうか? まず難聴児本人が、ありのままの自分でいられるような支援が必要です。そのためには、例えば、朝の会や学級活動の時間に、難聴児本人から「私のきこえ」「難聴学級紹介」「補聴器について」「手話と指文字」など

(*『難聴理解かるた』絵札の表には難聴児がどのようなときに困るのが端的に絵で表現されており、裏は指文字が載っている。読み札
の裏には、その解説が書かれている。1,900円。また、冊子『難聴児はどんなことで困るのか?』には、難聴児の困り感、本人自身の体験の解説、支援の方法などについて書かれている。700円。かるたとこの冊子をセットで購入すると2,200円と約2割引き)
「難聴理解授業」で使用する『難聴理解かるた』の使い方は、下記に紹介している実践(福島朗博氏・難聴者・現松江ろう学校長)を参考にするとよいでしょう。

さらに、難聴児を取り巻く環境への働きかけも積極的にやっていきたいものです。子どもが通う学校の先生方には、難聴児が学校生活を送る上でのさまざまな問題について説明し、具体的な支援方法や情報保障などについてもお願いすることが大切です。
今は、『障害者差別解消法』(2016)が施行されており、学校に対しても、①障害ある子どもに対して、②障害の状況に応じて、③他の子どもと同様に教育を受けるために、④障壁になることの解消に向けた配慮を、⑤過度な負担にならない範囲で行うことが、学校に求められています。信頼のおける難聴学級の先生や聾学校の先生、各学校に配置されている特別支援教育コーディネーターの先生などにも相談しながら進めるとよいでしょう。専門的な立場から適切なアドバイスが受けられると思います。また、地域の難聴児の親の会などにも声をかけてみるのも一つの方法です。子育ての先輩からいろいろなアドバイスを受けることができると思います。
☆全国難聴児を持つ親の会 http://zennancho.com/
難聴児を持つ親たちが集まって作った会の全国組織。各地域に分かれて活動しています。
☆全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会 http://www.zennangen.com/
全国の難聴言語障害学級の先生方の組織です。