全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

難聴理解・障害認識

 

 以前にも紹介した聾写真家の齋藤陽道(はるみち)さん(石神井聾学校卒・35歳)が、『暮らしの手帖』(20198月号)に写真&エッセーの連載を始めた。味わい深い文章なので紹介したい。

 それにしても「よっちぼっち」とはどういう意味なのだろう? 陽道さんは次のように書いている。

暮らしの手帖表紙.jpg

「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営んできた。そこにまた、ふたつのひとりぼっちがやってきた。よっつのぼっちが集まってなんていうのか知らないけれど、響き的に「よっちぼっち」という感じかなあ。」(67頁)

 

 陽道さんは今、四人家族で暮らしている。陽道さん、妻のまなみさん(33歳)、いつきちゃん(3歳?)、ほとりちゃん(0歳)。夫婦は聾者で二人の子どもは聴児だ(いわゆるCODA=聾両親のもとに生まれた聴者)。陽道さん自身は聴両親に育てられた聾児だから、ちょうど逆のパターン。


以前にこのブログで陽道さんの著書『声めぐり』(2018,晶文社)を紹介したが、彼は口話法教育の中で「ことば」の獲得に絶望し、深い孤独を抱えて生きていく。しかし聾学校高等部に入学し、そこで手話に出会い、教師に出会い、友と出会って、人と人とが真につながりあえる「ことば」を回復していく。その「ことば」は手話であった。そして、同じ聾学校の後輩のまなみさんと5年間の同棲生活を経て2011年の年末に結婚する。なぜ同棲生活に終止符を打ったのか?その直接的な理由は、3.11東日本大震災で聾者が置かれた状況を知り、「自分たちの身体にまつわる孤独の深さを痛感したこと」(67)である。

そして「覚悟を持って共に暮らすことを決めた」のだという。「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営」むことにしたわけである。


その後、32歳の時に最初の子を授かり、さらに3年後に二人目を授かった。二人ともきこえる子であった。つまり、二人の子どもにとっての本来の「自分のことば」は音声言語。彼が小・中学生の頃に絶望したことば(音声言語)を、いまわが子が「自分のことば」として育とうとしていることになる。同じ家族でありながら、親にとっての「自分のことば」は手話、子にとっての「自分のことば」は音声日本語。このままでは親子は通じ合えないから、どちらかの言語を使うしかない。


きこえる親の元に生まれたきこえない陽道さんは、書記日本語(書き言葉)はこの高い文章力からもわかるように確かに「自分のことば」の一つであろうが、音声日本語(話し言葉)は他者と通じ合えることばとはならず、その意味では「自分のことば」ではない。ここに聾両親のもとに生まれたCODAの複雑な事情がある。

暮らしの手帳.jpgのサムネール画像CODAの人たちのなかには、手話を第一言語としてまず育ち、その後音声日本語を並行して獲得する人(両親共聾者の場合が多い)と、最初から音声日本語を第一言語として育ち、手話を全くあるいはほとんど知らないという人たちがいる(口話がある程度できる難聴両親の場合など)。陽道んは聾だから、手話を使って育てているのではないかと想像するが、そうすると子どもたちの日本語獲得は別の聴者にゆだねることになる。

また、陽道さんは、聾でありながら音声言語を強いられて育った苦い経験から、逆の立場に立った今、聴児であるわが子に最初から手話を強いてよいのかという心の痛みをどこかで感じているのだろうか?だから「家族という言葉で安易に同一化することはお互いの違いについて考える機会を減らしてしまう」(67頁)と言っているように思う。「血縁」とか「家族」ということばだけでくくり切れない「身体にまつわる孤独の深さ」がそこに厳然としてある、ということなのだろう。


周りが聴者という親子・家族の中で、聾である自分が愛されて育ってきたのだということを理解しつつも、なおかつ簡単には超えられない「身体にまつわる孤独の深さ」をどこかで感じ続けながら生きてきて、そしていま、今度は自分が親という立場になり、わが子が聴者という関係性の中で、「家族」というひと言ではくくり切れないものを感じているのではなかろうか。だから、「お互いに、孤独を抱えて歩む『ひとりぼっち』であることをわきまえながら、そこを越えてかかわりあおうとする意志を持たなくてはならないと思っている。そうした『かかわりあい』にこそ、人間のすばらしき力が宿るのだろう。」(67頁)と言うのだろう。


―「よっちぼっち」。ひとつの家族の中で身を寄せ合って生きていながら、それぞれが血縁とか障害とか性別といった「身体にまつわる孤独の深さ」をもって同じ空間で生きているということ。その意味の深さと生き合うことの難しさを表現することばだと思った。



 先日、こんな話をきいた。

ある聾学校の乳幼児相談に来談している1歳の子が、大学病院の聴力検査で90dB以上と言われ、人工内耳を勧められた。聾学校乳幼児相談担当の先生のBOACORからの判断は70dB である。何度か確認したのち、大学病院に検査の結果を添付して手紙を書いた。そうしたら今度は大学病院の方で、その保護者は「70dB 台だから手話を使う必要はない。聾学校の相談に行く必要はない」と言われたという。まさか最初から70dB台とわかっていて人工内耳を勧めたわけではないと思うが、そうでないとしたら、検査結果に信ぴょう性がうすいということになり、それはそれで大学病院としての専門性が問われる。しかも、70dB 台だから手話は必要ないというのは、いったいどういう根拠なのだろうか?

 

人工内耳や軽中度難聴の子の聴力検査をやっていると、防音装置が施された静かな聴力検査室では、補聴器や人工内耳を装用して20dBくらいの小さな音に「聴こえる!」と反応することが少なくない。傍で見ている保護者は「うちの子、この音が聞こえるんだ!」と驚く。しかし、日常の生活環境下では聴力検査室ほどの静かな環境などほとんど存在しない。とくに幼稚園とか保育園といった幼児が自由に会話している教室内では、騒音を測定すると80dBを下がることは少ない。このような多方向から音声が飛び交う中での難聴児のききとりの難しさ、複数での会話や離れたところから音声が投げかけられた時のききとりの困難さなどはなかなかイメージできない。それは保護者だけでなく、病院の医師やSTも現場に足を運んでいなければ同じである。

聴力がよいと「こんなによくきこえているんだから...こんなにきれいに話せるんだから...普通の学校で大丈夫」と言う人たちが多いが、しかし実際には、重度難聴児だけでなく軽中度や人工内耳の子どもたちにとっても騒音下でのききとりは難しい。聴者は騒音下でも少し離れた所から自分の名前がきこえたりすると「えっ?自分のこと?」ときき耳をそばだてたりできるが(カクテルパーティー効果)、このような選択的な聴取は、感音性の難聴児には難しい。相手の話し方、距離、そして騒音の有無といった状況や場によってきこえが大きく左右されるということを知っていないと、そのための配慮や支援も得にくくなる。「ああ、あの難聴の子ですね。あの子は大丈夫です。それより発達障害の子のほうに支援が必要なんですよね。」普通学校に見学に行くと、先生方はこのように言われることも多い。

本人にしてみれば、補聴器や人工内耳を通してきこえているのだが、聴者の0dBの聞こえとは違う聞こえ方だということ、それはどこが違うのかというのが本人たちにもよくわからない。だから、自分はきこえている人間なのか、きこえにくい人間なのか、きこえない人間なのかがわからない。聴者の世界で育つことが多いのが軽中度難聴や人工内耳の子たち。そうすると、手話に触れることがない。同じ障害を持った仲間との出会いがないまま育ってしまうことが多い。難聴学級が固定学級でそこで集団が作れるところはまだよいが、小さい時からそういった場所がないと自分の居場所が見つけにくい。自分はどこで安心できるのか、多数の聴者の中では、沢山の不利益に出会い、「やっぱりきこえた方がいい」と思わさせるのが現実である。そうすると、自分で自分のことを「いいな」とはなかなか思えない。こういったことが軽中度難聴や人工内耳の子たちの問題としてあるということを知っておく必要がある。

 

さて、以下は、ある幼児の保護者からいただいたメールである。聾学校幼稚部に通う年長児だが4月からは普通小学校に通うという。人工内耳を装用していてきこえる人とは音声言語で、きこえない子同士では手話を使っている。

 

「今日は、Aの歯科検診にいきました。初対面の人と接するときは、まず初めに『ぼくは聞こえにくいから、目をみて話してください』など難聴であることを伝える練習を積んできました。今日『お医者さんに、きこえにくいこと、伝えようね。』というと、Aは『聞こえにくいじゃなくて聾者だから、と言ってもいい?』と聞いてきました。『だってぼくは、聾者でしょ。だから、聾者っていうよ』と。『もちろんいいよ』と応えました。Aは、自分の言葉でお医者さんに説明していました。その姿に成長を感じ胸がいっぱいになりました。

なぜ急に、聾者といったのかと考えてみました。数日前に斎藤陽道さんの写真集を見せたからかもしれません。『この人は、聾者なんだよ。小さいとき発音訓練に通ってたんだって』と私が言うと、『ぼくと一緒だ!ぼくも通ってる!とハッとした表情になりました。『そうだね。でも、この人はね、発声はできるようになったけど、今は補聴器はずして手話とか筆談でお話ししてるんだって。』と言うとさらに驚いていました。『いろんな人がいるんだよ。だから、Aももしかしたら人工内耳外して生きていくかもしれないし、発音うまくなったけど声出さないって将来思うかもしれない。それはそれでいいと思う。何が幸せかは人によって違うからね。Aが幸せって思う方を自分で決めたらいい』というと、わかったようなわからないような表情で聞いていました。その時に『耳が聞こえない人のこと、聾者っていうんだよ』と説明すると、『え、じゃあ僕も聾者だ』。『Aも聾者だね。誇りを持って聾者として生きていってる人がいるのよ』と話したことが、Aの心に残っていたんだと思います。Aが年少の頃、生まれたばかりの下の子がきこえる子だということを知り、家族の中で自分だけが聞こえないということに、悔しくてどうしようもないというふうに、体全体を使って泣きじゃくっていましたが、いまは、自分のことを受け入れたような感じがします。

 難聴学級があるとはいえ、小学校はきこえる子に囲まれてきっとまた悩むことがあると思います。小学校で聴者の世界に出て、思春期の多感な時期、今度は聞こえない仲間のいる学校に身をおくという選択もいいのかもしれません。まあ、まだまだ気が早い話しですが。・・・」

 

 これを読んで、米国に渡った大谷翔平選手ではないが「二刀流」ということばが浮かんだ。人工内耳も手話も使いこなす二刀流の子どもたち。これからはこんな子たちが出てくる時代なのかもしれないなと。 

桜の花の咲く季節になった。これから何度、私自身、桜の花を見る時期を迎えられるだろうか?と自分の歳を気にしつつ、このお子さんのこれからの成長をさらに見守っていきたいと思う。そして、門出のことばを贈りたい。 

「人生を楽しむために手話を!人生を闘うために日本語を!」

二つのかけがえのないことばを大切にして生きていってほしいと思う。

〇軽・中度難聴児は自分の"困り感"がわかりにくい

もうすぐ新年度が始まりますが、軽度・中等度難聴児の中には、難聴があることに気づかれず、就学前検診などではじめて難聴であることがわかる子どもたちがいます。そのような子たちは、発音が比較的明瞭で、普段の生活で特に困った様子がみられないことが多く、気づきにくいのです。そして、「障害はそれほど重くない」ということで、小学校はそのまま通常学級措置となり、周りに迷惑をかけるといった大きな問題がなければ、うまく適応していると思われてしまうことも多いようです。ですから、話しがききとれなかった時に、その子が教師に何度もきき返しをしたりすると(きき返す子のほうがむしろ少ないですが)、「一生懸命きいていないからだよ!集中していればわかるよ」などと言われてしまいます。

また、友達に「おはよう」と声をかけられたことに気づかずにいたりすると、「なんだよ無視して!」と誤解されてしまうことにもなりかねません。本人にとっても、困る時と困らない時の境目があいまいなので、これらの状況を説明することはなかなかむずかしいのです。普段は特別な配慮を必要としていないのに、突然困る・・・・。そのときに初めて「きこえないから・・・」と言っても「今まできこえていたのに?都合がいいね」などと周囲は思ってしまうわけです。

 

 さらに「自分は学校生活でまったく困っていない。何も不自由していない」と言う軽度・中等度難聴児もいます。自分がどれだけきこえているか・きこえていないかがわからないからです(他人のきこえがわからないので当然ですが)。そして、「自分が難聴であることをあえて言いたくない。言わなければ友達も気をつかわないから関係がスムーズでいられる」と言う子どもも少なくありません。

 しかし、実はさまざまな場面で自分がきこえていないことに気づいていて寂しさを味わっていることも多いのです。先生も親も「わからないときはわからないと言いなさい」と言いますが、難聴児の「わかったふり」には、相手との会話を妨げたくない。何度もきき返したら相手が気分を害してしまうのでは?という不安が根底にあるのです(これはきこえに関わらず少なからず誰にもあるのではないでしょうか)。仲良しの友達との二人きりの会話はまだよいのですが、数人の会話や初対面に近い人との会話になると、後で困るかもしれないとどこか思っていても、全部きけばわかるかもしれないなどと、その時にきき返すことをせず、結局、最後まできいてわからなかったとしても、話を元に戻すことができず「わかったふり」をしてしまうこともよくあります。

 

〇軽中度難聴児をどう支援するか?       

  では、どうすればうまく適応できるのでしょうか? まず難聴児本人が、ありのままの自分でいられるような支援が必要です。そのためには、例えば、朝の会や学級活動の時間に、難聴児本人から「私のきこえ」「難聴学級紹介」「補聴器について」「手話と指文字」など 難聴理解かるた3.JPGのテーマでクラスの友達に話をする機会を設けるなど、きこえにくい自分をオープンにしていく経験を積み重ねさせることです。とは言っても小学校低学年の時は、担任の先生はもちろん、親御さんや難聴学級の先生の協力を得ることが大切です。そうした時に、『難聴理解かるた』(写真・本会出版物)などの教材があると、きいている子どもたちにとってもイメージしやすく便利です。

(*『難聴理解かるた』絵札の表には難聴児がどのようなときに困るのが端的に絵で表現されており、裏は指文字が載っている。読み札 の裏には、その解説が書かれている。1,900円。また、冊子『難聴児はどんなことで困るのか?』には、難聴児の困り感、本人自身の体験の解説、支援の方法などについて書かれている。700円。かるたとこの冊子をセットで購入すると2,200円と約2割引き)

 

 「難聴理解授業」で使用する『難聴理解かるた』の使い方は、下記に紹介している実践(福島朗博氏・難聴者・現松江ろう学校長)を参考にするとよいでしょう。

 http://nanchosien.com/nanchourikai/post_14.html

 

難聴児はどんな表紙.jpgのサムネール画像このような経験を積み重ねる中で、「自分の聴こえなさは隠す必要はない。聴こえない自分は聴こえない自分でいいのだ」と思える気持ちを育てたいものです。

さらに、難聴児を取り巻く環境への働きかけも積極的にやっていきたいものです。子どもが通う学校の先生方には、難聴児が学校生活を送る上でのさまざまな問題について説明し、具体的な支援方法や情報保障などについてもお願いすることが大切です。

今は、『障害者差別解消法』(2016)が施行されており、学校に対しても、①障害ある子どもに対して、②障害の状況に応じて、③他の子どもと同様に教育を受けるために、④障壁になることの解消に向けた配慮を、⑤過度な負担にならない範囲で行うことが、学校に求められています。信頼のおける難聴学級の先生や聾学校の先生、各学校に配置されている特別支援教育コーディネーターの先生などにも相談しながら進めるとよいでしょう。専門的な立場から適切なアドバイスが受けられると思います。また、地域の難聴児の親の会などにも声をかけてみるのも一つの方法です。子育ての先輩からいろいろなアドバイスを受けることができると思います。

  

☆全国難聴児を持つ親の会  http://zennancho.com/

 難聴児を持つ親たちが集まって作った会の全国組織。各地域に分かれて活動しています。

 

☆全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会 http://www.zennangen.com/

 全国の難聴言語障害学級の先生方の組織です。

 『声めぐり』の紹介をしたら、早速、こんなブログやサイトにも『声めぐり』のことが紹介されていますよ、こういう情報もありますよ、といったメールをいただきました。以下に紹介しますので、ご覧ください。

 

①下記のブログは、北九州の臨床心理士兼手話通訳をしておられる方のものです。

https://menomado.hatenadiary.com/entry/2018/11/19/100533

 

②下記のニュースサイトのインタビュー記事は、難聴のインタビュアーの方が書かれたものです。

 https://withnews.jp/article/f0190130001qq000000000000000W09810801qq000018686A?ref=rensaiunder

 

③来年の322日になりますが(念のため来年・2020年です)、久留米市にあるNPO法人「かいじゅうの森」では、齋藤陽道さんを招いて講演会を開催、その後数日間写真展を開くそうです。HPは下記ですが、まだ紹介は出ていません。

 http://www.geocities.jp/kotobanomori_kurume/

 

 

 『声めぐり』の著者齋藤陽道(はるみち)さんは、2歳で聴覚障害が発見され、以来、地域の難聴児通園施設に通い、厳しい発音指導を受けて育った。しかし、ことば(=「声」)というものが、本来、人とつながり、互いに理解し伝え合うためにあるという本質的な意味を見いだすことができないままに育っていった。彼は本の中でこう述べている。

 

「『口の形が違う。舌の位置が違う。息の吹き方が違う。息を吐く力が違う。喉の震えが違う。何? その声。全然、違うよ。舌をもっと曲げて。口の中を見て。もっと息を短く吐いて。ああ、違う。もうちょっと長く吐くの。・・・』」(15頁)

 聞き取れない自分の音声を「他者の耳にゆだねるということ、そして、他者の耳によって自分の声の良し悪しを決定され続けるということ。それは結果として、自分で考えて、判断する力を殺してしまうことにつながっていた」(16頁)。 

こうして彼は、自分が他者に向かって声を出せば出すほど、「自分が分裂し他者との断絶が深まり、・・・『声』は人との関わりを断つもの」(20頁)と思うようになっていく。

「この社会は、音声を聞くこと、話すことからすべてが始まる。上手く音声を扱えるかどうかで将来が決まるものだと思っていた。・・・ぼくの人生は失敗していた。それはもう変えようがないことなんだと絶望していた。」(20頁)。

 自分の人生に絶望すれば人生は苦痛でしかない。小学校高学年から彼は毎日ゲームにふけるようになった。こうして退屈な数年が過ぎていく。中学生となり高校を選ぶ頃になって、彼は自分の中にある孤独を見つめなおす。その時、「初めて『生きたい』」(21頁)と思ったという。高校として選んだ先はろう学校高等部。しかし、積極的に生き直すために選んだわけではない。ろう学校は「声をまともに出すことができない人が使う」(21頁)手話の学校である。そこに行くのは「屈辱的」でしかなかった。しかし彼は敢えてろう学校を選んだ。その選択の経緯は詳しく述べられていないが、伏線はあった。 声めぐり.jpg

 

 中学の頃、年1回だけろう学校の生徒たちが陽道さんの通う中学校に交流に訪れた。その生徒たちを引率していた一人の女性教師がいた。その教師の名前は天沼陽子先生。天沼先生は、訪れる年1回の交流の日の朝、中学校の校門に立ち「おはよう!」と優しく、しかし力づよい眼差しで陽道に『声』をかけていたのだった。たった年1回の出会い。進路を考えるにあたって彼の意識の中にはなかったかもしれないが、彼女のまなざしは心の奥深くで彼自身を支え、無意識のうちにろう学校へと導かれていったのかもしれない。

 

 石神井ろう学校に入学した彼は、手話と出会い、手話ということば(=『声』)を通して語る仲間と出会い、天沼先生と出会い、天沼先生が受け持つ国語の授業を通して文学と出会い、そして、たまたま手にした当時流行っていた「写ルンです」というインスタントカメラを通して写真と出会う。こうした数多くの出会いを通して、彼は自分の中に秘められていた感受性、文学性、芸術性を開花させていく。・・・紹介はここまでにしておきたい。あとはぜひこの本を直接、手にとって読んでみてほしい。

 

 私にとってもこの本は衝撃的な本だった。彼は決して口話教育を否定しているわけではないが、感受性が強く、自分をごまかすことのできない性格の彼にとっては、とても耐えられない教育方法だったのであろう。彼の場合はたまたま、人と出会い手話と出会った。そして救われた。

 今、齋藤陽道さんは聾者の写真家として活躍している。写真展も時々開かれているようである。2019330日までは東京都人権プラザ(都営三田線芝公園下車)で写真展が開催されている。ぜひ、本を買ってあげてほしいし、写真展にも足を運んでほしい。文字通り「感動!」をくれる本であり写真展である。 障害を理解することから.jpg

 

 また、天沼陽子先生の齋藤陽道さんの指導実践は『障がいをもつ子どもを理解することから』(森博俊など編著、群青社、2592円)の中の「聴覚障害の子どもと向き合う教師の記録」に書かれている。この本と合わせて読むと、より理解が深まる。冒頭部分だけ紹介しておこう。

 

「ろう学校に入ってから手話に出会い、言葉と自分の感情が一致する感覚をつかんで自分を見つめ直し、それを文章にして語りながら考えを深め、5年間のろう学校生活の中で成長していった一人のきこえない青年、ハルミチ(35歳)がいる。彼はきこえる人として生きるために補聴器をつけ、発音の訓練を受けた後、小、中学校の9年間を通常学級にインテグレートして過ごした。しかし、音声日本語だけでは遂に人とつながることができなかった。・・・」(136頁)

 先日、私が行っている大学での講義に、聾学校でスクールカウンセラーをしている方に来ていただき話をしていただきました。その方は井料美輝子さんといい、聾学校でカウンセリングを担当している臨床心理士さんです。九州大学で精神分析を学ばれた後、手話通訳士や日本語教育の資格もお取りになり、きこえない子どもたちの相談にはこれ以上の方はいないと思うくらいうってつけの方です。

講義は、きこえない子どもたちが成長していく過程でどのような心の悩みをもち、まわりの人たちとの出会いと関わりの中で心理的に成長を遂げていくのかということを中心的なテーマにして、将来、教師としてきこえない子に出会うかもしれない皆さんに、ぜひ伝えておきたいことという内容です。

講義はその場でのちょっとした実験(「60%のきこえの実験」)なども織り込んで行われ、実感を伴って学生たちも理解でき、思わず話に引き込まれてしまう講義でした。学生たちには終了後に感想を書いて提出してもらいましたが、5分ほどの感想を書く時間に、皆、びっしりと感想を書き、話の内容がよく理解でき、感じることの多かった講義だったのだということがよくわかりました。ここでは、その講義内容のレジュメを紹介します。以下のPDFからご覧ください。

 

教師になる皆さんへ.pdf

 

〇障害モデルの変遷

なお、感想の中で何人かの学生が書いていた内容から、障害のモデルのことについて取り上げてみたいと思います。

感想1 「井料先生は、障害のとらえ方として『医学モデル』から『文化・社会モデル』への変遷ということを話されたが、どちらも必要ではないか?」

――それについて少し解説を加えます。かつて聴覚障害のとらえ方には「医学モデル(個人モデルともいいます)」での障害のとらえ方しかありませんでした。「医学モデル」での聴覚障害のとらえ方は次のようなとらえ方です。 プレゼンテーション2.jpg

「きこえないという障害とは、君が負っているもの。私たちきこえる人は正常=健聴者。だから治療や教育の対象は君だ。きこえないという障害はないほうがいいよね。手話は、あれは言葉じゃない。だから、君ががんばって音声言語を身につけるしかない。がんばって話し言葉や読み書きを身につけることだ。私たちはそのお手伝いをするのが役割。」

これが「医学モデル」でとらえた聴覚障害教育の考え方=聴覚口話法でした。20世紀はこのような考え方が主流でした。1990年に開校した聴覚障害者のための大学である筑波技術大学(当時は短大)ですら授業に情報保障がなく授業は口話でした。そんな時代だったのです。また、最近訴訟問題が起きている旧優生保護法に基づく障害者への強制的不妊手術なども障害は悪⇒出産自体できないようにする、という考え方から必然的に起こってきたことです。今の時代から考えると信じられないような人権侵害が、法律に守られてふつうに行なわれていたわけです。

では、こうした考え方・価値観の中で、子どもたち本人はどう育ったでしょう? もちろん親の愛情を一身に受け、一生懸命、母に指導されて育った子どもたちはいました。その子たちは確かに高い日本語力を身につけました。しかし、思春期から青年期にかけてのある時期に彼らは「いったい自分は何者なのか?聴者に近づく努力をどんなにしても聴者にはなれない。といって手話を母語として獲得している聾者でもない。自分は誰なのだ?」こんな問いに苦しみました。その時、彼らの多くは聾者と出会い、手話と出会って、「自分はきこえなくてもいいのだ」という自分のIdentityを確立していきました。しかし心理的挫折の中で立ち直る機会に恵まれず、家の中に閉じこもったり病院に収容されたり、時には自死した若者がいることも耳にしたことがあります(精神的に不安定になり病院で処方された睡眠薬を飲んで、という人は少なくとも私が耳にした限りでは一人や二人ではありませんでした)。

 

やがて21世紀になり、手話が社会的に認知されることと並行して「社会モデル」という考え方が出てきました。障害は個人が所有しているものではなく、社会によって作り出されたものであるという考え方です。このとらえ方はとても新鮮でした。聴覚障害はコミュニケーションの障害(以下コミ)と考えると、手話を使う聾者の間ではコミの障害は起きないわけで、障害が起きるのは聴者とのコミの時です。ということは多数を占める聴者の側が手話を使えればコミ障害は起きない。あるいは、手話通訳という情報保障があれば障害は起きない。ということは、障害は社会によってつくられたという面も確かにあります。

この「社会モデル」の考え方は、手話の導入と相まって聾教育にも大きな影響を与えました。学校の中で手話を使うことは当然のこととなり(学校によっては依然、聴覚口話法を採用している学校もありますが)、情報保障も進みました。

では、「社会モデル」の考え方で全てが解決できるかというとそういうわけでもありません。例えば読み書きの力はやはりその子どもが努力して身につけるという側面が強いですし、きこえないという身体的な意味での機能障害(impairment)があると、和太鼓など打楽器は別としてやはり音楽を楽しめないというのは変わらないでしょう(振動や色で楽しむという試みがありますが、メロディーを楽しむのは感音性難聴がある以上かなり難しいでしょう)。ですからその人にある障害という面がなくなるわけではありません。そのようなわけで最近は「統合モデル」という考え方がとられるようになり、ICF(国際生活機能分類2001)では、障害を「生活機能」上の問題として障害の有無に関係なく「生きることの全体像」として総合的にとらえるようになっています。 ICF_gainenzu.png

これまでのICIDH(国際障害分類、1980)が、障害を「身体機能の障害(impairment)」があるから「能力の障害(disability)」が起こり、それが「社会的不利(handicap)」を引き超す(例:感音性聴覚障害があるから⇒言語獲得・コミが困難⇒その結果就労差別が起こる)と一方向的な流れでとらえていました。

 

これに対して、ICFの中心概念である「生活機能」は、「(生物レベルでの)心身機能」(例えば感音性か伝音性か、聴力差など)、(ICF概念図はインターネットより借用)

「(個人レベルの)活動」(会話、買物、移動、スポーツなど全ての生活行為で、できるできない、しているしていないは個人によって異なる)、そして「(社会レベルでの)参加」(就労、家事や育児、演劇・映画・音楽等文化活動への参加)など全体的・構造的にとらえています。また、そのとらえ方は、ICIDHがマイナスだけを問題にし、身体機能の障害というマイナスがあるから能力障害というマイナスが起こる、能力障害というマイナスがあるから社会的不利が起こるというようにマイナスの連鎖として障害をとらえたいたのに対し、ICFは根本的に異なり、プラスを前提にして、そこに問題が生じた状態をみます。例えば、「きこえない」という心身機能は、マイナス面もあるが、きこえない人は「目の人」といわれるように、見る力は聴者よりも優れている、という面もあります。また、「活動」においては、確かに音声言語習得が困難という点もあるが、手話という遠くからでも通じる言語をもっているというプラスもあるでしょう(水中や、線路を隔てたプラットホームの人とも話せる)。「参加」では、電話はとれないが、多少の騒音の中でも気にしないで仕事に集中できる面もあるかもしれません。

このように同じレベルの中でのプラスマイナスをみていくわけです。こういう見方をすることで、例えばきこえていた人が中途で失聴した(心身機能の低下)場合でも、人工内耳を装用して「活動」レベルで音声言語で会話できるようになった。また、前向きに考えて、音声言語だけでなく手話サークルに入って手話も同時に習得した。そして人工内耳という補装具や、会議での手話通訳による情報保障もついたことによって、仕事に復帰できるようになった(参加向上)という流れをつくることができます。

心身機能の低下が起こってそれが治らなくとも、人工内耳装用という補装具、手話通訳という「環境因子」を活用することによって、その人の「生活機能」は向上させることができたわけです。また、前向きに考えて、というのは「きこえなくなった」ことに打ちひしがれていないで手話サークルに出かけたという「個人因子」(=障害の受容)も関わっているわけです。このように、ICFでは、障害というものを総合的にみて、どこを改善するとどうその人の生活がよくなるのかを分析的に考える視点を与えてくれます。そういう意味で、「医学モデル」も「社会モデル」も含めた「統合モデル」となのだと思います。

 きこえない子たちの読み書きの力や学力がなぜ低いままにとどまってしまうのか? その最も大きな要因は、きこえる子と同じだけの情報が保障されないからだ、と私は思っています。
 都内のある聾学校に行ったとき、壁に『ひよこだより』というおたよりが掲示されていて、そこに情報が欠けることから起こってくる問題点がよく整理されて書かれていました。今回は、そのおたよりから引用したいと思います。(以下、「ひよこだより」H29.NO5から引用)

●心理的な問題
 きこえる家族が当たり前に得てきた情報を、きこえない本人だけが知らないまま育ち、後に自分だけが知らなかったことを悔いる、その悔しく、悲しい思いは、聴者家庭で育つ多くの成人聴覚障害者が振り返って語ることです。幼い頃に家族が何を話しているのか尋ねると、いつも「結果をまとめて簡単に伝えてくれるだけだった。」「誰が何を話しているのか、全てが知りたかった。」「話のプロセスが知りたかった。」と、結果や要約した情報提供しか与えてくれない家族の対応に、納得がいかなかった思いを話される方々は少なくありません。幼い頃は、わからなくても気にならない、こんなものと思っていても、徐々に年齢が進めば自分だけがわからない孤独感や疎外感を感じるようになります。ひとたび地域の幼稚園や学校、一般社会に出て行けば、聴者がほとんどでの世界で、飛び交う音声言語環境の中できこえない人は情報が入らず、不甲斐ない思いを抱えることが多々あります。だからこそ、一番身近な家族の中ではこうした孤独や疎外感を味わわせないよう、本人が安心し、分かる喜びを味わえる環境を整えることを考えていただきたいと思います。

●知識が入らない問題
 地域の小学校で学ぶ子供たちは、座席は前から2番目、または1番前といった前方で、先生の話がよく聞こえる場所にと配慮してもらっている子供たちが多いです。しかし、先生の話はよく聞こえるようになっても、今度は後ろや横の離れた席に座っている友達の発言が全く聞こえないということが起こります。先生が「夏休みに生き物を飼った人!」と発問した時に、「ハイハイ」と手を挙げながらも、子供は「俺,、カブト虫とクワガタ飼った。」「俺は、セミ。すぐ死んじゃったけど。」すると別の子供が「セミなんて飼えないよ。木の汁吸うから無理だって聞いたよ。」「でもうちの従弟は砂糖水含ませた布を割りばしに縛ったら飼えたって言ってたもん!」...次々、発言が飛び交います。先生の発問に対して、友達がどんな体験をしたのか、その発言の中にたくさんの知識が盛り込まれています。こうした何気ない会話から得られる情報がごっそり抜けることが知識の差につながるわけです。

●コミュニケーション力や思考力の問題
 相手の発言がしっかりわかることは知識が得られるだけでなく、相手の発言にある情報を元に自分はどう思うか、どう考えるかが可能になるわけです。つまり、情報が入らなければ、感じる、考えるというスタート地点にすら立てないことになります。相手の話がわからなければそれについて感じたり、考えたりしないまま過ごすことになり、結果自分だけの世界で楽しむことを見つけ、自分の心の安定を図ろうとする防衛反応が働くことになるのです。それは、聴者の学校でずっと過ごしてきた聴覚障害者がよく話してくれる「空想の世界をもつこと」や「読書の虫になること」なのだろうと思います。文字は確実に目から入ってくるので、情報は得られることになるでしょうが、対人関係の中で情報を得る体験が不足することになります。

●対人関係の問題
 両親の会話で「姪のCちゃんが今度小学校に入学するからお祝いを包まなきゃね。」、入院している友達のお見舞いに出かけるお姉ちゃんに「お花を持っていくなら、鉢植えの花はダメよ。切り花にしないとね。鉢植えの花は根が付く(寝付く)と言われていて、病気が長引くと言われているのよ。」とママが話している、そんなお祝い事やお見舞いの配慮等、人との関係の中での常識も、何気ない日常の会話から自然と身に付けていくことが多いものです。その何気ない会話が入らないことで、常識を知らないまま育つことは、相手に不快な思いをさせたり、関係を悪くしたりというように、より良い対人関係が築けないことにもつながりかねません。
親御さんに、子供が何かを尋ねてきた時に、「あなたには関係のないことだ。」とは言わないでほしい、本人が知りたいと思って尋ねてきた時には、きちんと説明をすることが大事だと、いつも聾の人がお話ししてくれます。全ての情報を与えて、その中で必要か、必要でないかを考えるのは本人だと言います。親御さんが必要と思う情報だけを与えていると、本人は与えられる情報が全てだと思い、自分から意欲的に情報を取ろうとする意欲が育たないと彼は言います。確かに、乏しい情報で満足してしまえば、上記に挙げたような情報が入らない問題につながることでしょう。大切なのは自分から情報をとりたいと思う意欲で、その意欲を育てるためには、「情報が入ることでわかる」経験を積めるような環境を作ることだと思います。全部わかるような、豊かな情報が入る環境に置いてあげることで、わからない時には知りたい、わからないままでは納得がいかないという気持ちが育つはずです。わかることを知らないで、わからないことはわからないわけです。いかに日常生活の中で「情報が入ることでわかる」環境を作り上げていくかが、子育ての大事なカギになると思います。きこえない人が会話に参加し、リアルタイムに情報を豊かに得るためには、聴者が手話を使って、目で見てわかる会話を保障することが大事なのは言うまでもないことです。聴者にとっては努力のいることではありますが、大切なわが子が情報が豊かに入ることでわかる喜びを味わえるようにするために、子供が小さい時期からしっかりと考え、対策を立てていく必要がありますね。これは、軽・中度難聴、人工内耳装用児であっても必要なことです。(以上、菅原仙子『ひよこだより』H29.NO5より抜粋掲載)

 社会に出たろうの人たちは、ときどき「常識を知らない」とか「空気が読めない」とか批判されることがあります。私たちの社会には、あえて言語化はしないけれど誰でも知っていること(知識・常識)があります。
 例えば、私の経験したことですが、聾学校の小学部の子がこう言いました。「先生、ぼくね、幼稚部のときに、時々お母さんと一緒にタクシーで家に帰ることがあった。その時、とっても不思議だと思っていたことがあったんだよ。それはね、どんなタクシーに乗ってもね、どのタクシーの運転手さんもぼくの家をちゃんと知っていて家まで届けたくれたことだよ。」また別のある子がこう言いました。「ぼくも不思議なことがあった。外で近所の子たちと遊んでいてね、いつも、ある時になるとね、いっせいにみんな家に帰っていくんだよ。どうしてみんな突然帰っていくのかぼくはわからなくて、いつもポカーンとみんなを見送っていた。大きくなってわかったんだけど、5時に役所のサイレンが鳴っていたんだって。知らなかったよ。誰も教えてくれなかったし・・。」

 長い時間の中での情報の不足が積み重なった結果として、読解力とか学力に必要な幅広い知識や常識、思考力の不足につながっていくこと、そうした結果を防ぐ意味でも、最早期からの言語の獲得すなわち手話をみんなで使うコミュニケーションの大切さがおわかりいただけるのではと思います。

このパワーポイント資料は、2014年夏高松市で行われた聴覚障害児支援夏季研修会での

福島朗博氏(現島根県立松江ろう学校長)の講演資料です。

gijitaiken.pdf

-就労の場を通して考える-

木島照夫

はじめに

難聴児とくに身体障害者手帳をもたない軽・中度の人たちが、就労の場でどのようなことを求められるのかについて話したいと思います。
とはいっても、軽・中度難聴者の就労に関しては、殆ど資料らしい資料がないのが実情です。
今、日本には身体障害者手帳をもつ聴覚障害者は34万人と言われています。
しかし、おそらく手帳をもたない軽中度難聴者も同じくらい存在する、つまり30万人以上はいるのではないかと推測されます。
しかし、どのくらいの聴力の人がどれくらいいて、その人達がどこで働き、どのように生活し、何に困っているのかなど、公的なデータとしては全く存在していません。
軽中度難聴者は、法的には「聴者」に位置づけられながら、現実には難聴という障害があるわけで、こうした法と現実とのはざまで沢山の人たちが困っているわけです。
発音がおかしいと言っては笑われ、きいていなかったと言われては「都合のよい耳」だと言われ、空気が読めないと言われては仲間はずれにされる。
こうした日常の人間関係に苦しみながら、一方で障害者手当も補聴器も交付されないわけです(これは運動の努力が実って各自治体レベルで徐々に実現している)。
ここではそうした現実の一端を、就労という場を通して考えてみます。

 1.聴覚障害者の暮らし向き sya001.png

まず、十分とは言えませんがデータの存在する、身障手帳をもつ聴覚障害者の生活の現状からみてみます。
このデータの中には、法的には「高度難聴」に分類されていても、70dB、80dBといった音声言語の話せる実質的な難聴者や人工内耳装用者も含まれています。
さて、平均的な月収いくらでしょうか?
ご覧になってわかるように、月収9万以下つまり年収100万円以下の人が4割。
月収18万以下、年収で200万以下の人が3割で、これらを合わせると7割になります。
sya002.png月収30万以下を含めても、実に9割の聴覚障害者は、健常者の暮らし向きと比べてずいぶん厳しいという現実がわかります。
もちろんこの収入には障害手当のようなものも含まれています。
そして、全体を平均してみると聴覚障害者の年収は、およそ聴者の半分の年間200万円程度と考えてよいと思います。
そして、この収入で、聴覚障害者は、結婚して家庭を持ち、子どもを産み、育てていかなければならないわけです。
この現実を私たちは、まずしっかりと踏まえた上でどうするかを考えなければならないと思います。

 2.なぜ、聴覚障害者は収入が少ないのか?

ではなぜ、聴覚障害者は月収が少ないのでしょうか?
理由はいくつかあります。まず、非正規雇用が多いこと。
今は、一般の人も非正規雇用が多いですが、働いている聴覚障害者の半分以上は非正規雇用です。次に、仕事をしていない人が多い。つまり失業している人が多い。
実際にハローワークに行っても、仕事が見つかる人は3人に1人、あとの2人は仕事がないのが実情です。
それから、転職の多さ、昇進や昇級が少ないという現実もあります。
なぜ、聴覚障害者は転職が多いのでしょうか?
確かに雇用統計の上でも、聴覚障害者の2人に1人が転職を経験し、転職回数も一人平均2回以上です。
つまり、聴覚障害者は、なぜ職場に定着できないのかという大きな問題を抱えているということです。
このことについて考えてみたいと思います。

 3.聴覚障害者はなぜ仕事に行き詰るのか?

聴覚障害者はなぜ職場で行き詰まるのでしょうか? sya003.png
厚労省の調査からわかることは3つです。
①仕事内容への不満
②労働条件への不満
③職場の人間関係やコミュニケーションへの不満
このうち3番目の不満が一番多いです。
こうした問題をきっかけにして、退職し、転職が繰りかえされるのです。
景気がよいころはまだよかったのですが、今はやめてもできる仕事が限られます。
製造業は海外に移転し、確実に雇用は減っています。
ただ、企業の中には、障害者雇用に積極的な企業があるのも事実です。
例えばヤマト運輸は知的障害者をたくさん雇用していますし、スタバやユニクロは販売関係でも聴覚障害者を積極的に使っています。
ユニクロは全国900近い店の9割の店に身体障害者が雇用されており、その3割は聴覚障害者ということです。
これまで営業の分野では聴覚障害者は無理、と言われてきましたが、工夫をすればやれる可能性はあるわけです。
こういった先進的な企業もある中で、しかし全体的には障害者の雇用にはあまり積極的ではありません。できれば雇いたくない。
こうした雰囲気のある会社に聴覚障害者は入っていかざるを得ないわけです。
ですから、本人たちもしっかりとした意識を持っていないと働き続けるということが難しくなる、結果的に退職・転職・失業に結びつくわけです。
しかし、これまで、聴覚障害者自身の問題点が企業側からいろいろと言われてきました。
読み書きができないので雑用しかまかせられない。無断欠勤や遅刻を平気でする。
周りは忙しいのにさっさと早退する。空気が読めない。上司や先輩にため口を使う。
ミスをしても謝らない。与えられた仕事はするけれど自分から率先してやろうとしない。
よくわかっていないのに勝手に仕事を進めてしまう。
・・・こうしたことがきっかけとなって職場の中の人間関係が壊れ、孤立し、やめていく原因となるというわけです。確かにこういったことはあるだろうと思います。
そしてそれは、その人がどう育てられてきたか、どういう教育を受けてきたかに深く関わっています。
ですからこうした結果を招かないようにしっかりと子どもを育てなければなりません。
こういう問題は、聴力がよい悪いという問題とは関係がありません。

(1) 仕事内容への不満

以前に岩山誠氏(2008)が調べられたことを例に、もう少し具体的にみてみましょう。 sya004.png
まず、仕事内容への不満です。
パワポの①の例ですが、これは就労して年数がたっているのに、いつまでたっても雑用しか与えられないという不満です。
きこえる人はどんどんキャリアアップしていくのにいつまでも雑用ばかり。
誰でもこれではいやになるでしょう。
企業にしてみれば、能力がないのだから仕方がない、と片づけられることも多いのです。
しかし、本当にそれだけかというと、そうとも言えない。
たとえば②のように、研修を受けてスキルアップしたいと思ってもそのための情報保障がなされていないことも少なくない。
これではいくら自分の力を発揮してばりばり仕事をやりたいと思っている人も、それを可能にする条件が満たされていないということになります。
これでは本人の意欲も低下します。
ですから、本人だけの問題にしてすますということはとうていできないわけです。

 (2) 労働条件への不満

2つ目は労働条件への不満です。 sya005.png
定型的な仕事しかできなければ給料は上がりません。
コミュニケーションが難しければリーダー的な仕事への昇格も難しい。
しかし、会社は「手話通訳を導入すると企業秘密が外に漏れる恐れがある」などの理由で、なかなか情報保障の手だてをしてくれない実態があります。
手話通訳は守秘義務がありますからそういうことはないのですが、なかなかそこに理解を示してはくれません。
これでは、誰にも平等に昇級・昇進の道が開かれているとはいえないのではないでしょうか。
聾学校や小学校の校長先生にきこえない人はいるでしょうか?
大企業の社長さんにきこえない人はいるでしょうか?
能力の問題ではなく、その人の持っている能力を発揮するための社会の側の条件が、あまりにも整っていないのが現実ではないでしょうか?
聴覚障害者の側が自分の力のなさを棚に上げて勝手に不満を言っているわけでは決してないのです。

 (3)職場の人間関係・コミュニケーションへの不満

3つ目はもっと根本的で重要な問題です。 sya006.png
すべての問題の根源はここにあるとも言えます。
「障害者は面倒くさい」と思っている人はどこにもいるものです。
こうした人も含めて学校や社会や職場は成り立っています。
ですから、こういう人たちにも変わってもらう、ということも本人たちは職場の中で同時にやらなければならないわけです。
しかも、人間関係を壊さないで。人間関係を壊してしまったら、結局は、自分が周りから孤立してやめていくことになる可能性が高い。
昔から聾者がよく使う手話の一つに「仕方がない」というのがあります。
どんなに差別的で理不尽な対応をされても、聾者は「仕方がない」と諦めざるを得なかった抑圧の歴史がそこにあります。
しかし、時代は少しずつ変わってきていりのも事実です。
障害に対する見方も、「障害をもっているのは本人。その本人の障害を治す」という医学的・病理学的な見方から、障害は互いの間に生ずるバリアで、それは互いの努力・歩み寄りによってなくすことができるという社会学的視点からの見方が重視されるようになってきています。
私たちは、そういう社会的・関係的な視点から障害をとらえ、それにアプローチしていける、そんな子どもたちを育て、社会を変えていく努力をしたいものです。

 4.軽・中度難聴と就労の問題

軽・中度難聴者82名を対象に、彼らがどんな悩みをもっているのか調べた調査があります。
黄色が軽中度難聴者で灰色が高度難聴者です。
それを見てみると、双方に多いのは「コミュニケーションの悩み」です。
その次に多いのが、軽・中度難聴では、「障害認識」です。
では、障害認識とはいったいなんでしょうか? この調査の続きを見てみます。 sya007.png

PP①は、社会に出てからも「悩み」が続くという人は、高度難聴者より軽中度難聴者のほうが多いという結果です。
「生きにくさ」は軽中度難聴者のほうが高度難聴者よりも大きいわけです。
ふつうの人は逆だと思うでしょう。思うから「人工内耳をして少しでも聞こえるように」と、なるわけです(人工内耳をすることが悪いと言っているのではありません。世の中の問題はそれで解決できないことが多いということです)。
ここが聴覚障害者問題の難しさです。
しかし、難聴問題を考えるうえで、十分に考えるに値する問題だと思います。 sya008.png
ヒントは③④にあります。
卒業後も悩みが続いている人の中で、手話を使っている人のほうが使っていない人より「悩み」が少ないというのです。なぜなのでしょうか?
私はこう考えます。
手話を使うということは、本人にとっては「自分は手話を使う(必要とする)きこえない人間だ」ということを認めることです。
つまり、きこえないことを一つの事実として認めるということです。
「自分には手話は必要ない」と思っている人は、自分がきこえない人間であるという事実を本当のところでは認めたくないという気持ちがどこかにあるわけです。
ですから、周りの会社の人たちにも「自分は耳がきこえません」と自己開示をしたくない。
「私は、手話は要りませんから」と言います。
そうすれば、ある程度会話ができていて、発音も明瞭であれば、周りの人たちは「この人は聞こえているし、話ができる人だ」と思います。
つまり、周りの人たちは難聴への配慮は必要ないのだと思います。
聴者にとってはそのほうがラクです。
しかし、現実には、聞こえていないことは沢山あるし、コミュニケーションの行き違いも生じます。
そうやって受ける自分の不利に対して、本人は「周りは理解がない」と思ってしまいます。
軽中度難聴者のうち手話不使用群はこの項目に「ハイ」が100%で、手話使用群は0%です。
「手話を使う」ということは、周りの人からすると「この人は手話を使う聞こえない人だ」と認識するということです。
ですから自然にそのための配慮が生まれやすくなります。
手話を使うか使わないということは、自分の生きづらさを軽減し、周りの人の障害認識を変え、職場の人間関係を望ましい関係へと変えていくきっかけになるのです。

 5.ある中等度難聴者の事例から

ある難聴者の事例から考えてみたいと思います。 sya009.png
ここに出ているのは短大を出て正規採用で就職したものの、様々な理由をつけられて1年後に解雇された事例です。
この事例でまず考えてみたいのは、クビになったとき、本人も難聴のためだと思わなかったというところです。
つまり、自分が難聴であるということから、どういう問題が生ずるかということを自分で自覚できていなかったということになります。
もちろん、聴覚障害者を雇ったことのない会社もそのような視点はありません。
それで、この人は、聞こえないことを理由にしてではなく、まるで本人に能力がなく、人格が問題であるかのように言われてクビになってしまった。
本人は難聴のためだとは認識していませんから、深く傷つき、自信を失ってやめざるをえなかった。
そしてそれ以来、家に引きこもるようになったわけです。
実はこうしてひきこもり、精神疾患に陥り、社会から落ちこぼれていく人は、難聴者の中には非常に多いのが実情です。
さらに、今は雇用情勢が悪化しているので、解雇されることも多く、精神疾患に陥る人たちが増加傾向にあるのです。
さて、この事例のような問題がまさに「障害認識」の問題です。
一つはその人の障害認識の問題で、難聴という障害を、恥ずかしいことと思わないで、ひとつの事実として認めるということ、また、どういうときに自分がきこえていないか、コミュニケーションの行き違いが生ずるのかといった障害の事実を自覚して、それを相手にきちんと説明できるという経験もなく、認識ももたなかったということです。
これが自己開示(カミングアウト)の問題です。
二つ目は、企業の側の障害認識の問題ですが、その自己開示を受けて、企業の側がどうその障害(バリア)を理解・認識し、起こってくる困難さ(バリア)に対して適切に対応できるかという、両方の問題があるわけです。
いずれにしても、まず、本人がどう自分の難聴を認識するかということから始まります。
そのためには、適切な障害認識をもてる人に育てるという教育の問題が大事になるわけです。
その教育をするのが聾学校の大きな役割なのです。

 6.面接場面で

面接場面を例に、具体的に考えてみましょう。 sya010.png
会社には、障害者に理解のある会社とそうでない会社があります。
採用されたいがために障害をごまかして首尾よく入ったとしても、理解のない会社では、そのあとで困ったことが出てきます。
「電話ができると言ったでしょ」「特に配慮は要らなかったはず」などと。
ですから、障害があることはきちんと伝えるほうがよいのです。
「採用で不利になるのでは?」と思うでしょう。
確かに、一般採用ならそれを理由に採用しない会社のほうが多いでしょう。
でも、正直に自己開示できることは次のステップへの大事な一歩なのです。
「1対1の時は、少しゆっくりと大きめの声で話していただければだいたいわかります。でも、疲労がたまっている時や周りに騒音があるとき、別のことに集中しているときは、聞きとれないときもあります。ですから、話しかけるときは肩をたたいてください。自分も大事なことは必ずメモをとり、復唱するようにしています。できれば仕事の指示はメールやメモをいただけるととてもありがたいです・・・。」
というように相手にわかるように説明できることが大事なのです。
それでも聞こえないことを理由に落とされたときは、諦めるしかありません。
ごまかして入って病気になるくらいなら。

7.まとめ

大事なことは、まずなんといっても、自分のきこえなさを認め、人に伝えることができ、人とよい人間関係をつくれる力を育てることです。 sya011.png
そして、周りに積極的に働きかけていく力が大事です。
待っていても何も変わりません。
時々、通常学級に入って授業もわからず、友達とも遊べず、孤立してただ一人座っている子を見かけます。これでは学力も社会性も身につきません。
人と関わり、人間関係が育つ環境が準備される必要があると思います。
そして、日本語の力。これは職種によって求められる力は異なります。
いいかえれば読み書きの力によって職種が決まってきます。
その意味で、日本語の読み書きは必要です。
そしてこれからはますますITの時代になっていきます。
情報を活用してさまざまな資源を活用し、たくましく生きていく力をつけていってほしいと思います。

(2011.12)              

はじめに001.png

聴覚障害という障害について説明してくださいと言われると、何からどのように説明すればよいか困ってしまいます。
まず、見た目では、聞える人と区別がつかないし、行動・動作に問題があるわけでもない。
肢体障害や視覚障害は、その障害が目に見えるし、その不便さもある程度体感することができる。しかし、聴覚障害は目に見えない。
たとえ耳を塞いでみても自分の声はきこえる。
たいした障害ではないと思う人が多い。
そこで次のような質問をしてみます。
「もし・・・」(図参照)

これはある大学でずっと昔にある先生がやった質問調査です。そうすると図の①から⑥の順番になった。「聾」というのは軽い障害と思われがちだということがこれからもわかります。

 1.実際にあったこんな誤解002.png

ですからこんなことが起こります。
ある難聴の子が幼稚園の砂場で友達と二人で何やら話しながら遊んでいました。
そこにだれか別の男の子が加わってきました。
さらにもう一人加わりました。みんなおしゃべりしながら楽しそうに遊んでいる。と思いきや、難聴の子はスーッと砂場を離れ、滑り台に行ってしまいました。
先生も特に気にした様子はありません。
遊びが変わることはどの子でもよくあることです。私はあとでその子にきいてみました。
「砂場楽しかったんでしょう?でも○○ちゃんは滑り台に行って一人で遊んでいたね。どうして?」
「僕は○○ちゃんと二人で遊んでいるとお話がわかるのだけれど、3人とか4人になると、誰が何を言っているのかわからなくなるんだよ。だから、他のお友達が入ると、僕がぬけちゃうんだ。」 
外から見ているだけではなかなかわからない姿ですね。

 2.きこえにくい人(「難聴者」)の悩みとは?003.png

社会に出てからの軽中度難聴者は日本語や学力から起こってくる問題よりも、人間関係やコミュニケーションから起こってくる問題が大きいようです。
ですから、精神的に悩み苦しみをもつ人の割合が高い。
そして、そこには自分のきこえなさ・難聴というものを自分でどのようにみているかという障害に対する価値観、障害認識が絡んでいることが多いです。
そして、その障害認識を生んだ家庭の価値観や教育や医療の問題がその背景にあるわけです。
一方、高度・重度難聴いわゆる聾児・聾者の問題は、日本語・学力という問題が一つあります。
日本語の読み書きの問題は、どのような仕事につくのかという職業選択の問題や経済的な問題に関わります。
学力というのはよく「9歳の壁」といわれますが、これは考える力に関わっています。
要するに論理的に考える力がなかなか身に付かない。
だから問題に直面してもその問題を考えて解決していく力がない人も少なくない。それだけじゃない。
かつての聾教育つまり口話法というのは、「きこえる人を目標に努力を強いる教育」でしたから、きこえる人への劣等感をはぐくみ、自分から積極的に何かをやっていく意欲や能動性を育てなかった。
受け身を強い、きこえる人の指示に従って動く人間であるよう教育していたわけです。
以前にOさんという聾の人がおもしろい経験談を語っていました。Oさんは聾学校出身。
ある時、きこえる兄弟が通っている中学校の運動会に行った。
そこで父兄・地域が参加する綱引きにかり出された。さて、Oさんはそこで面食らってしまった。
きこえる人たちは「よーいどん!」の合図で、一斉に「よいしょ、よいしょ、よいしょ」と互いに引きあう。
当たり前なのだが、聾学校の綱引きとは全く違った。
聾学校では、旗をもった一人の先生の旗振りに合わせて、「そーれ」と赤組が引いたら、白組は引きずられないように踏ん張って待つ。
次は白組が「そーれ」と引く。赤組みは待って踏みこたえる。
そして次は赤・・というように、一人の先生の旗振りに合わせて交互に引くのだ。
ここに聾教育のあり方がよく現れている。
綱引きですら、「きこえる人の指示に従って」引くわけである。

 3.「難聴」を体験してみる

話が横に行ってしまったので元に戻して、ここから少し体験を通して、難聴によって生じるもっとも本質的な問題について考えてみましょう。
まず、最初に音をきいてもらいます。音にひずみがある感音性難聴のきこえの状態です。
なんと言っているかちょっと聴き取ってメモしてみてください。
最初は軽度難聴の人のきこえのシュミレーション。
二つ目は、重度難聴の人のきこえのシュミレーションです。
音の大きさとひずみの状態、さらに周囲の騒音の状態を変えて同じことを3回しゃべります。
―(体験)―
さあどうでしたか? ききとれたでしょうか? むずかしいですよね。
これはあくまでシュミレーションですから、実際には、一人一人ちがうでしょう。
でも、感音性難聴ではこのような音のひずみがあるといわれていますから、いくら補聴器をして音の大きさを大きくしても、正確に聞き分けることは難しいわけですね。
「補聴器はめがねみたいなもの」と思っている人もいますが、全く違います。
かけても音がはっきりするわけではありません。
004.png
つぎに難聴者のコミュニケーションを体験してみましょう。
グループに分かれて、話し合いをしてみます。
やり方は(4)の図のような方法です。
 ―(体験)―
さあどうでしたでしょうか? 
今、体験したことを少し話し合ってみましょう。
―(グループで話し合い)-
今、体験していただいた通り、きこえないことから周りの人とのコミュニケーションが難しくなり、結局、人と関わろうとする意欲・気力が失せ、疎外感を味わい、無気力・無関心となっていくことがおわかりいただけたと思います。

 4.聴覚障害のバリアとは?005.png

さて、障害には次の4つがあると言われます。
聴覚障害に関してもさまざまな現実的な障壁があります。

①物理的バリア~電光掲示板
②制度的障壁~車の免許、医師免許、薬剤師免許など
③文化・情報面でのバリア~通訳、ノートテーク、テレビ・映画の字幕
④心理的バリア~人間の心の問題とつながっている。

これらの障壁のうち、聴覚障害が引き起こす最も本質的で深刻な障害は④ではないかと思います。
昨今、いじめから自殺する子どもたちが社会的な問題になっていますが、自殺するほどの絶望感は、多くの場合、人間関係がその根っこにあることが多いです。 006.png
それほどに私たちは人間関係の中で生きていて、そこから疎外されることに耐えられないと感じる。
とくに、その集団が自分にとって身近で関わりの深い人間関係があればあるほど、その集団から受ける疎外感は当然つよいものになる。
では、人にとって最も自分にとって大切な集団とは? もちろん、家族ですね。
家庭の中での孤独。これが一番つらい。周りの家族は楽しそうに会話しながら食事をしている。
自分だけわからない。黙々とご飯を食べて二階の自分の部屋に行く。
自分だっておしゃべりに加わりたい。「何?」ときいても「あなたには関係ない話だから大丈夫」。
家族がみて笑っているテレビ番組。「何?何がおかしいの?」ときく。「今いいところだから後でね」。
土曜日の夜、家族でファミレスに行く予定だった。ところが近所でお通夜があり中止になった。
予定変更が本人に伝えられていない。本人は楽しみに待っていた。
「あ、ごめんね。言ってなかった?お父さんがお通夜に行くことになって中止よ。」
いつも聞こえる家族だけで予定が決まり、その結果が伝えられるだけ。
家族の中で自分は存在しているのだろうか?

前にいたろう学校で手話を使い始めた90年代。子どもたちは学校で手話を習得していきました。
手話を使うと子ども同士通じ合えるようになり、友だち意識も強まります。
ある時、デフファミリーの子が転校してきました。007.png
その子と友達になった子がデフファミリーの家に泊まりがけで遊びに行った。
帰ってきて、その子は母親に言いました。「ぼくはA君のうちの子になりたい。
A君のうちはみんな話が通じる。ぼくの家は通じない。」それをきいた母親は愕然としました。
その子は80dB台の聴力で音声言語でよく会話できる子です。
お母さんもよく通じていると思っていました。ですから非常にショックだっただったわけです。
それから10数年たって、多くのろう学校で手話を使うようになりました。
かつては口話法の学校だったOろう学校も手話を使うようになり、今では医療機関から「手話ばかり使っている。ことば(音声言語)をしゃべれなくなる」などと悪口を言われます。
「手話ばかり使っている」というのは事実とは違いますが、手話をまず大事にするということはとても大事なことだと思います。

 5.インテグレーションについて

次は、普通の学校での障害理解の問題についてです。 008.png
今、人工内耳をする子が非常に増えて、同時に人工内耳をしてインテグレーションしていく子どもも増えています。
それは病院で「聾学校にいると話せなくなる」とか「9歳の壁が越えられなくなる」とか言われて、信用してインテする子が増えていることが大きな要因の一つです。
医師の中には「人工内耳を勧めない聾学校は犯罪的だ」とまで言った人もいます。
人工内耳もインテも一つの選択ですから、それを聾学校がどうこういうべき立場ではないと思いますが、ときとしてインテのツケは後々に非常に大きな借金となって本人が支払わされることがあります。
そのリスクを考慮しつつ、親はインテを考える必要があるわけです。
私はあとになるとなかなか取り返しがつかない例をこれまでに沢山みてきましたが、そのような話をしても、親はやはり「わが子は別」と思うのですね。
では、インテした子にはどんな支援が必要でしょうか?
最後に、その支援の方法について話して終わりにしたいと思います。
(以下の内容は、『難聴児はどんなことで困るのか?』および『難聴理解かるた』をみてください。)

009.PNG

(2013.2 木島照夫)