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難聴理解・障害認識

難聴児自己紹介用ポスター.jpg『みみプラネット』という難聴の子どもたちを支援する団体より、自己紹介用ポスターが作成できる教材が無料で配布されています。このポスターは、いくつかのパーツから作られているので、部分部分を自分用にカスタマイズして作成することができます。

通常学級に通う子どもたちにとって、先生方や周囲の子どもたちに、難聴のことを理解してもらうことはとても大事なことです。このポスターをベースにして、オリジナル・バージョンで作ってみてはどうでしょうか。

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この手記の著者は、中学生の頃より聴力低下が進行し、やがて高度難聴に。しかしその現実を受け入れることができず、聴者のふりをしながら苦しい青年期を過ごします。しかし、やがて手話と聾者と出会い、「きこえない自分」の現実を受けいれられるようになっていきます。そして教員となって聾学校に赴任。小学部で子どもたちを指導する中で書記日本語指導の大切さに思い至り、日本語文法指導を実践します。一定の成果をあげつつ、しかし、障害認識と書記日本語の基礎は、乳幼児期からの保護者支援が大切だと実感し、現在は乳幼児教育相談を担当し、保護者の子育ての相談、発達早期における手話支援、日本語獲得の支援などを行っています。以下、失聴した頃から今に至るまでの自分の歩みをたどった手記から一部割愛して紹介します。

 

〇自分を肯定できなかったインテグレーション時代の私

「私は、聴者として生まれたが中学生の頃から少しずつ聴力が低下し、今では高度難聴の中途失聴者である。音声により日本語を獲得した後に少しずつ失聴したので、声を出して話すことに特に支障はないが、その場に合った音量を調整するのが難しい。そのため、手話を身に付けてからは、声を出さずに手話で話すことが一番楽で便利であるが、相手により声のオン・オフは使い分けている。聞こえない子をもつ保護者は、聞こえなくても少しでも話せるように、と願う。教員も話せた方が便利だからと発音指導を行い、当然のようにインテグレーションを勧める。しかし、自分だけが聞こえないインテグレーションの生活とはどのようなものか、もっと深く理解する必要がある。

 話せても聞こえない私は、中学生から高校生の頃にかけては軽度から中等度だったため、聞こえていないことを自らも明確には認識できず、オープンにもできず、聴者として振る舞ってきた。聴覚口話で会話をする時は、文脈や話題を知っていることが有利となる。相手が言った言葉を類推する時、脳内の辞書にある単語にヒットする確率がぐんと高くなるからである。必然的に自分が話題を振ったり、会話の主導権を握ろうとしたりして自分が話し続けたりするようになる。「あまり人の話を聞かない人」、「天然ボケ」のキャラを装い、聞こえていないことが露見することを何よりも恐れていた。日々の授業では指名されることが一番の恐怖であった。特に漢文や英文の読みが分からない時、教師の言う通りに復唱できないので全て予習で読み方を完璧に確認しておいた。また順番に音読していく場合、前から何番目だから何段落目を読む、という予測に神経を集中させ、自分が読む部分を必死に探す。誰が音読しているのか分からないため、先生や周囲の視線の先を常に辿る。周りが「なぜ読まないの?」とばかりに私を見たら順番である。また、この先生は席順に読ませる、この先生は日付と同じ出席番号から指名する、など教師の特徴を頭に叩き込んで対応していた。もちろん例外もあるから勝率5割である。特に音読の途中に「そこは大事だからもう1回読んで。」などという番狂わせがあると全てが水の泡、また一から私の順番と読む箇所を探ることになる。授業中はこのようなことに神経をすり減らしているのである。歌唱は口パク、リコーダー演奏はいかにも吹いている真似。会話の中ではとりあえず「はい。」と頷けば切り抜けられる可能性が高いが、相手が怪訝な顔をしたら失敗、他の返事の可能性を探る。みんなが笑っている時は意味が分からなくても合わせて笑う。しかしこれが生きていくための術、毎日のことになると、虚しい、辛いという気持ちすら感じることもなくなり、本当に楽しくて笑っているのか、合わせているだけなのか分からなくなってくる。つまり、本当の自分の気持ちや考え、自分が何をどう考え、感じるのか、自分自身の輪郭が曖昧になっていくのである。これらはインテグレーション体験者の共通体験である。みんな同じことをしていたことに改めて驚かされる。そんな聞こえない私が何とかプライドを保つための手段は、勉強して成績を維持することであった。私にとって学ぶということは、テキストを読んで暗記しテストに備えることであった。幼少期からの夢であった教員になるために、大学では教員免許を取得したが、教育実習を境に限界を感じ、卒業後は他の仕事に就いた。自分に何かできるとは思えないし、社会の片隅で人に迷惑をかけないようにひっそりと生きていこうと考えていた。自己肯定感などかけらもなかった。できるだけ話しかけられないように、人と関わることのない仕事、例えばひとりで黙々と作業する掃除の仕事がしたいと思い、実際に病院の清掃の仕事に応募し、病院からは、「大卒なのに、せめて事務職で応募しないか」と言われ、そそくさと立ち去ったこともある。

 その後も聴者のふりをして生きていく日々が数年続く。就職先での会議は常に恐怖で、仕事を辞めても数年は会議室のような人が集まる場所を通る時は足がすくんだ。みんなの視線が私に集まる時、何か失敗している、ちぐはぐなことを答えている自分がいる。そしてそれはフラッシュバックという形で長い間私を苦しませた。あの頃、私にこんな思いをさせる全ての聴者は敵であった。聴者は何でもでき、聴者には何ひとつ敵わない。聴者を装い聴者を目指す限り難聴者はずっと劣った存在なのである。こうして自己否定と他者否定の人格が出来上がっていく。常に分からない環境にいると、否定的な自己像が形成され、自己実現はおろか、何か自分にできることがあるとは全く思えなくなる。話せても、軽度から中等度難聴でも、これがインテグレーションの現実である。

 インテグレーション体験を否定することは今までの自分を否定することになると、インテグレーションの現実や苦しい思いをオープンにしてくれる人は多くない。しかし心理的なメカニズムからしても人間の土台を作る時期に、常に分からない環境に晒され続けると、このようなことが起こっていくのである。私自身も、こうやってオープンにできるようになるのに何年もかかった。また、話せても聞こえないということは、話せるだけに聴者のふりをしたり、相手からも聞こえていると誤解されやすくなったりし、障がい認識が大変難しくなる。人工内耳を装用しておしゃべりは上手になっても、100%聞こえるわけではないことに変わりはない。

 話せても聞こえない私は、手話と聞こえない仲間に出会い、少しずつ聞こえない自分に自信をもつことができるようになった。また学校現場で活躍している多くの聞こえない先生に出会って、改めて教員になるという夢にチャレンジし実現させることができた。障がい認識がなければ、自己実現して心の健康を保ちながら幸せに生きていくことは難しい。私自身の体験や多くの事例から、障がい認識の大切さを痛感している。

 

〇聾学校教員になって気づいた書記日本語の大切さ

 小学部に新規採用された当時、私の赴任した聾学校では補助的な手段としてではあれ、手話を用いた指導が行われていた。しかし、手話で意思疎通できても児童の書記日本語力は大変厳しいものであった。初任で担任した6年生も、「おいしいだから」「食べるなので」といった文中での誤用が多く、一度身に付いた誤用の修正は大変困難であった。

 前述したように、私は何よりも聞こえない子供たちには障がい認識が大切だと考えていたが、あまりにも厳しい書記日本語力の実態に愕然とし、障がい認識を深める取組と並行して、日本語の読み書きの指導に早急に着手すべきであると考えた。私は日本語を身に付けた後に失聴したので、日本語の意義深さと面白さを知っているし、筆談などでその恩恵を十分に受けているからこそ、聴覚に障がいがある上に日本語の読み書きができないということから生じる不利益の大きさに我慢ならなかった。ただ聞こえない人として生まれただけでこのような社会的不利益を被ることがあってはならない。それは教育で解決できることであり、それができないのであれば、ろう学校は聴覚障がい教育の専門機関としての看板を下ろさなければならない。このようにして私の書記日本語の指導の試行錯誤が始まった。

 

〇日本語文法指導へ

 改善すべきは、日本語を理解していることを前提として設定されている「国語」の指導であり、日本語は「日本語」として指導することが必要なのではないかと考えた。一度身に付いた日本語文法の誤りはなかなか修正できない。自己流に書いては意味も分からないまま修正されたり、バツをもらったりして、読み書きに苦手意識をもってしまう前に、まず基礎的な日本語文法を指導する必要があると考えた。

 そこで、採用2年目に小1の担任を希望し、日本語文法指導に取り組み始めた。補聴器を介して音が入っても単語や文章として理解するのは難しく、曖昧な状態である。そこで、聞こえていないことを前提とした、徹底した視覚からの入力による指導と、可能な範囲内での聴覚の活用が有効なのではないかと考えた。当時、広島聾学校で実践の試みがなされていた外国人のための日本語指導法の活用という考え方を知り、日本語学校講師の講演会に参加したり、外国人のための日本語教授法やテキストを参考にしたりして担当児童の指導に応用していった。日本語文法は、例外もあるが基本的にはルールに則り運用されている。聴者は自然に聞いて日本語文法を身に付けるため、日本語の文法ルールを意識することがない。しかし学ぶにつれ、整然とルールで運用され、説明できる日本語文法に魅了され、聞こえない子供にぴったりの方法だと感じた。小1から小3までの3年間の徹底した日本語指導でどの子も日本語力が大きく伸び、日本語文法指導の必要性と有効性を感じた。成果が出る指導法は他の先生にも知って欲しい。そして担任が変わっても継続して日本語文法を指導していくシステムが必要だと考えた。そこで研修部として学校教育研究(3年間の研究)のテーマに日本語文法指導を取り上げ、平成19年度から学校全体で指導を開始した。本校では、それ以降も常に書記日本語の指導を研究テーマに取り上げている。学校研究のテーマを見れば、その学校が何に重点を置いているかが一目で分かる。曖昧に「話す」ことでも「聞く」ことでもなく、確実に社会的自立のための武器となる「書記日本語」の指導を大切にしてきた。平成29年度からはいくつかの聾学校で実践されてきた江副文法(江副式教授法)を取り入れ、日本語文法指導のさらなる工夫改善を行った。日本語の読み書きの力が身に付けば筆談によって聴者と対等に関わり合え、読書によって聴者の考えを知ることもできる。日本語の読み書きの力は、聴者と確実に関わるためのツールであり、障がい認識にも深く関係があると考えている。」

 

 この手記の引用は以上です。この筆者はその後、乳幼児相談の大切さを認識し、聾学校の乳幼児相談担当になります。そして、この手記に、さらに乳幼児相談での取り組みを加筆した論稿が『ろう・難聴教育研究会会報49』(2020.12発行)に「聴覚障害教育のこれから~乳幼児教育相談の重要性と今後の課題」というタイトルで掲載されていますので、関心ある方はぜひそちらをご覧ください。

30dB~70dB程度のいわゆる軽度・中等度(軽・中度)の難聴児・者に手話は必要なのでしょうか? 耳鼻科医やSTの人たちはこう言います。「軽・中度難聴なら補聴器で十分音声言語が身につきます。手話や指文字は必要ありません」     確かに、聴者と区別がつかないくらい明瞭に話せる子もいます。音声言語獲得という視点からだけ考えればそう言えるかもしれません。では、軽・中度難聴児・者本人は、手話についてどのように感じたり考えているのでしょうか? まず、『手話で育つ豊かな世界』を読んでそれに共感された軽・中度難聴のお子さんをお持ちのお母さんが寄せて下さったご自分の体験と感想から紹介します。

 

〇『手話で育つ豊かな世界』を読んで

「私の息子は小耳症による伝音性難聴で、ろう学校の幼稚部に通っています。検査では、補聴器をつけると普通の会話が聞き取れる程度の聴力があるとされていたので、そのうち自然に言葉を覚えていくだろうと思っていましたが、ろう学校の幼稚部に入り、周りの子どもたちと比べて息子の言葉(音声も手話も)の発達が遅く、悩み始めました。

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当時の先生からは「ある程度聴こえているから音声中心に、手話は補助的に使って、最終的には音声でのコミュニケーションがとれるようになることを目指しましょう」と言われましたが、息子には口蓋裂や気管切開などの発声器官の構造的な問題があり、語りかけても本人からフィードバックされる言葉は不明瞭で、どの程度音が入っているのかよく分からないフラストレーションがありました。また親の私が手話が未熟で自信が無いうえに、手話と同時に音声もつけて語りかけなければならないということがストレスになって、息子に手話で語りかける内容は量も質も貧しいものになっていました。さらに、周りのアドバイスもバラバラで、手話のない環境の方が、かえって息子の言語が伸びるのではないか?などと悩んだりもしました。
 

ところが学年が変わり、担任の先生が難聴の当事者の方になりました。子ども時代を手話のない環境で苦労されてきた方で、息子には手話も音声も、使えるものはフルに利用して「コミュニケーションの楽しさ」「あいまいでなく全て分かる楽しさ」を主眼においた教育をしてくださいました。その中で丁寧な手話や指文字の指導がありました。
 息子は先生や友達との交流を通じて、手話の表現が少しずつ増えていきました。手話が増えてくると、それに付随して積極的に音声も出すようになりました。その様子をみているうちに、今の息子にとって一番使いやすく、コミュニケーションが楽しめる言語、それが「手話」なんだということがようやく分かってきました。そのようなタイミングでこの本に出会いました。

これまでもろう・難聴児にとっての手話の必要性については時々聞くことがありましたが、ネットをはじめ様々な情報や価値観があふれ、混乱している中で、私の中では一情報として埋もれてしまっていました。手話の価値にようやく気づき始めた私にとって、当事者や専門家の様々な視点をまとめたこの本はとても説得力があり、今後の育児の指針となりました
 

確かに今の社会では聴こえる人と聴こえない・聴こえにくい人たちとのコミュニケーションには障壁があると思いますが、この本にはそのような障壁を、少しずつでも解消されていく未来にもつながるとても貴重な内容が詰まっていると感じています。私のように悩めるろう児、難聴児の親はもちろん、幅広い分野の人たちに読み継がれていくことを祈っております。」

 

〇本人たちの体験から

 軽・中度難聴児たちは音声言語での会話ができるために、「聴こえているから大丈夫」と判断されがちです。ましてきれいに発音できたりすると聴者同様に「きこえている!」と誤解されることもあります。しかし静かな所で11で会話をする時は音声言語でのやりとりができていても、騒音があったり距離が離れていたり話し手がぼそぼそしていたりすると、途端にわからなくなることが多いのです。そのギャップが大きいために、周囲の人もきこえているのか聴こえていないのか理解しづらいのが軽・中度難聴児の特徴です。

 

では本人たちはどう自分のことをとらえているのでしょう? まず最初に中学から成人するまで軽中度難聴だったHさん(中・高生の頃40dB)の体験談から。


・きこえるふりをしていた私

「・・口話で会話をする時は、文脈や話題を知っていることが大事でした。相手が言った言葉を類推する時、脳内の辞書にある単語にヒットする確率がぐんと高くなるからです。必然的に自分が話題を振ったり、会話の主導権を握ろうとしたりして自分が話し続けたりするようになります。「あまり人の話を聞かない人」、「天然ボケ」のキャラを装い、聞こえていないことが露見することを何よりも恐れていました。

 日々の授業では指名されることが一番の恐怖。特に漢文や英文の読みが分からない時、教師の言う通りに復唱できないので全て予習で読み方を完璧に確認しておきました。また順番に音読していく場合、前から何番目だから何段落目を読む、という予測に神経を集中させ、自分が読む部分を必死に探す。誰が音読しているのか分からないため、先生や周囲の視線の先を常に辿ります。周りが「なぜ読まないの?」とばかりに私を見たら私の順番です。・・・歌唱は口パク、リコーダー演奏はいかにも吹いている真似。会話の中ではとりあえず「はい。」と頷けば切り抜けられる可能性が高いですが、相手が怪訝な顔をしたら失敗、他の返事の可能性を探ります。みんなが笑っている時は意味が分からなくても合わせて笑う。しかしこれが生きていくための術です。でも毎日のことになると、虚しい、辛いという気持ちすら感じることもなくなり、本当に楽しくて笑っているのか、合わせているだけなのか分からなくなってきます。つまり、本当の自分の気持ちや考え、自分が何をどう考え、感じるのか、自分自身の輪郭が曖昧になっていくのです。

・・その後も聴者のふりをして生きていく日々が数年続きました。就職先での会議は常に恐怖で、仕事を辞めても数年は会議室のような人が集まる場所を通る時は足がすくみました。みんなの視線が私に集まる時、何か失敗している、ちぐはぐなことを答えている自分がいる。そしてそれはフラッシュバックという形で長い間私を苦しませました。

 あの頃、私にこんな思いをさせる全ての聴者は敵でもありました。聴者は何でもでき、聴者には何ひとつ敵わない。聴者を装い聴者を目指す限り難聴者はずっと劣った存在なのです。こうして自己否定と他者否定の人格が出来上がっていきました。常に分からない環境にいると、否定的な自己像が形成され、自己実現はおろか、何か自分にできることがあるとは全く思えなくなるのです。これが軽・中度難聴の私のインテグレーションの現実でした。インテグレーション体験を否定することは今までの自分を否定することになると、インテグレーションの現実や苦しい思いをオープンにしてくれる人は多くない。しかし、常に分からない環境に晒され続けると、このようなことが起こっていくのです。私自身も、こうやってオープンにできるようになるのに何年もかかりました。・・話せても聞こえない私は、手話と聞こえない仲間に出会い、少しずつ聞こえない自分に自信をもつことができるようになりました。また社会で活躍している多くの聞こえない人たちに出会って、改めて自分の夢にチャレンジすることができるようになっていきました。」


・自分を責めるようになっていった私

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 同じようなインテグレーション体験をSさん(小学生の頃60dB,現在聾学校中学部)は『手話で育つ豊かな世界』の中でこう語っています。Sさんは幼児期を聾学校で過ごし、地域の小学校に3年間通いました。その時の体験を振り返っています。

 

「・・低学年のうちはよかったのですが、だんだんとわからないことや通じ合えないことが多くなり、自分がきこえていたら、こういうことはなかっただろうなと思うようになり、自分を責めるようになっていきました。・・・そして「もう無理だ」と思い、4年生で聾学校に帰りました。その結果「ろう学校の世界はまるで違いました!みんなで手話を使って楽しくコミュニケーションがとれてすぐ友達ができました。わかることがこんなに楽しいとは思いませんでした」と語っています(『手話で育つ豊かな世界』52頁)。

 

 

 先生も理解があったし友達も励ましてくれていました。でも「わからない、通じ合えない」という経験の積み重ねは、「自分がだめなんだ」という自己否定と自信の喪失につながっていきました。しかし、Sさんは聾学校で手話を使い友達となんでも通じ合える経験があったので、再び自分を発揮できる環境に帰りつくことができました。しかし、このような「安住の地」すら持たない子どもは、さらに翻弄され続けることになります。そしてボロボロになった心を引きずって聾学校に辿り着きます(辿り着けない子どももいる)。その時の彼らの様子を『手話で育つ・・』の中で聾学校高等部教員の牛嶋文先生は次のように書いています。

 

・100%わかる言語・環境の大切さ

「・・『100%分かる言語』を使えない環境に置かれて、心が深く傷つき、人間らしい心の柔軟性を取り戻すのに何年もかかった、という例もありました。そのような生徒は周りの人間を信用することができなくなっており、友達を作ろうとせず、自分の固い殻の中に閉じこもって、攻撃的であったり、反応が乏しかったりしました。それでも、ろう学校という手話の環境の中で、『100%分かる言葉』の中で生活するうちに、人との会話の面白さに気づいたり、自分にかけてもらっている言葉をきちんと咀嚼できるようになったりする日々を積み重ねるうちに、少しずつ、表情がゆるみ、笑顔もみられ、それまで全く関わろうとしなかった活動にも積極性を見せるようになったりしていきました。 

 このような経験から、私は、人間が自分の周りの言語が『100%分かるわけではない』という環境に置かれる、ということは、ものすごく大きな影響を受けることにつながるのだと気づきました。そして、特に、高校生という多感で、自己と他者というものの存在について思考し、悩みながら自己という存在を確立していく年齢の人たちを『100%分かる言語』の環境においてあげないと、人間としてきちんと育っていくことに困難が生じる可能性があると思います。・・」(『手話で育つ豊かな世界』,89頁)

 これ以上もう何も付け加えることはないでしょう。軽中度難聴の子どもになぜ手話が必要か、十分に理解していただけたのではないでしょうか?  


最後にもう一人だけ紹介しておきます。『手話で育つ豊かな世界』に書いている中等度難聴の大学生Tさん(60dB)です。Tさんは3歳までは保育園に通い、4歳からは聾学校幼稚部と保育園を併用していましたが、我が子の表情が聾学校と保育園とではまるで違うことに気づいたお母さんは、聾学校幼稚部一本に絞りました(同上書,70頁事例)。 以来、Tさんは高等部卒業まで一貫して聾学校で育ちました。現在、大学生であるTさんはある時、こう語ってくれました。

 

「聴者と過ごす経験はとても大事だと思う。しかし100%わかる会話ができるコミュケーション方法が必要だと思う。聞こえる人の半分くらいしか聞き取れない自分は、聴者の中で積極的になれず、空気を読んで過ごすことも多かった。それが自分にはストレスだった。しかし、手話をろう学校で学べたことで、手話で自分を表現できるという貴重な経験ができた。ろう学校で生活し、手話を学べたことは僕の財産だ」 

 

Tさんは、聾学校で手話と日本語をバイリンガルに身につけ、今はコミュニケーション手段をその時々に応じて切り替えながら生活しています。大学ではパソコンテークや手話通訳を利用し、サークルでは音声や筆談で聴者の仲間と交わり、時々、同障の仲間と会ってストレスのない手話での会話を楽しんでいます。「軽中度に手話は必要ない」のではなく、確実に、手話は軽中度難聴者の生活の質(quality of life)の向上に役立っていると思います。


はじめに引用した読者の方、Hさん、Sさん、Tさんの手記からわかることは、私たちが生きていくときに本当に大切なことは、100%わかることば(手話)と環境(家族・友達・仲間)をもつということだと思います。きこえる人にとって、なんでも通じ合えることばと環境は産まれた時から空気を吸うのと同じくらい当たり前で自然なことですからほとんど意識することはありませんが、軽中度難聴の人たちにとっては、ということは人工内耳を装用する人たちにとっても、音声言語だけでそれを実現することは非常に難しいということでしょう。そこに手話という方法が加われば可能になる。そこから得られるメリットは計り知れません。『手話で育つ豊かな世界』(900円)には、人工内耳を含むたくさんの軽中度難聴の本人や保護者が手記を掲載しています。ぜひ読んでいただけたらと思います。

◎申し込みは、送り先と冊数を書いて、FAX03-6421-9735  またはmailto:soukisien@yahoo.co.jp へ。郵便振替用紙を同封してお送りします。

乳幼児相談を修了して幼稚園・保育園を経て小学校難聴学級に通っている子のお母さん達が集まり、小学校での子どもの様子を情報交換する中で、小学校から帰宅した後の友達との約束の話が出ました。あるお母さんから、子ども同士が口約束で「何時に、どこで」待ち合わせをするかという約束をしてくるのだけれど、どう聞き間違えたのか、すれ違い、遊べないまま終わってしまったことが何回かある...というエピソードが複数のお母さんたちから出されました。まだ1年生の話でしたから、そういうことがあるなあと思いながら、是非、音声言語だけでのやりとりで約束するのは気をつけさせた方がいいというアドバイスをしました。


子ども達にとって約束は大切なことです。大切なことは必ず紙に書いて、文字で確認し合うよう子どもに勧める事をお母さん達に話しました。「きこえるからわかるよ。」「きこえているから大丈夫」。難聴児の中には、そのように自信を持って言う子どもたちがいます。確かに、正確に聞けることができる時もあるでしょう。しかし、時刻の約束に出てくる数字の聞き取り...「2時(にじ)」なのか「1時(いちじ)」なのか~といった紛らわしい口形や音を聞き間違える可能性は十分あります。こうした数字の聞き取りに限らず『音声言語を聞き誤ったり、聞き落としたりする事はあるのだから気をつけよう』と日々子どもに言い聞かせて行かなければなりません。

難聴児として育てるということは、こうした「聴く」ことだけに頼ることの危険を周囲の大人が敢えて知らせ、自覚させていかなければならないということです。そのためには、大事なことは書いてもらおう、自分で書いてこれでいいか確認してもらう姿勢を育てていくことが大切ではないでしょうか。聴覚障害児の教育で「読み書きの力を身につける事が大事」と言われるゆえんは、書きことばが、こうした確実なコミュニケーションにおいて大切な手段だからともいえます。書いて伝える、読んで確認する、そんな習慣を肝心なところでは必ずしていかれるよう、子育てで生かしてほしいと思います。

ある子ども達は、電話ができるから電話で約束しているという話もありました。それはそれで、うまくいく時もあったようですが、できれば成人した時に社会の中で「電話ができます」ということをアピールするよりは、大事なことを聞きもらすかもしれないので、「電話ではなく必ずファックスかメールで連絡をお願いします。」といった書きことばでのコミュニケーションを求める事ができる人に育てて行くことが大切だと思います。その意味で、幼児期から家庭にファックスをおくのも大切な環境作りです。最近はメールでのやりとりも多いでしょうが、低学年のうちは文字や文を自分で書く練習もかねて友達の約束はファックスでやりとりするという習慣作りをしていくといいのではないでしょうか。そして必ず、相手の親御さんにも理解を求めて、ファックスが届いたかどうかを、相手のお子さんからも必ず返事を頂けるとありがたいといった内容で関係作りをしていかれるといいですね。文字を使えば、確実なコミュニケーションをとることができるということを小さい時から経験させて行きましょう。こうした意味からも、お母さん達には、子ども達に読み書きの力をしっかり身につけさせていく事の大切さを改めて実感していただきたいと思います。企業に就労する聴覚障害者も、社内ではメールでのやりとりで仕事を遂行していくことが増えていて、ますます読み書き能力が求められています。正しく書き表せる、複雑な長文も読解できる、そんな力を育てていくことはたやすいことではありません。また、聴力が良ければ読解力、巧みな文章表記力が身につけられるとは限りません。親子の豊かな会話や体験を元にして、手話や音声言語で豊かにコミュニケーションができ、そのコミュニケーション力を元にたくさん読む、たくさん書くという大人のかかわりがあって読み書きの力は育っていきます。幼児期からしっかりと心に刻んでおきたいことです。(文責S

 Aさんは中学生になってから失聴した女性です。それまでは聴者であり、小学校時代の校歌も覚えている。しかし、中学校に入学してから徐々にきこえなくなり、中学の校歌は全くわからないと。彼女にとっては、大きな変化の時期が校歌の記憶の有無に象徴されているようでした。

しかしAさんは、中学生から20代後半までの10数年、自分自身を認めることができず、人と関わることをいつも避けていたそうです。それは、自分からは明瞭な音声言語で伝えたいことはわかってもらえるけれども、相手の話はわからない・・・という一方通行のコミュニケーションで、互いに双方向のコミュニケーションにならない苦しみだったようです。

こうしたコミュニケーションの問題は、中学・高校という通常学級の中で、また、当時情報保障の体制が十分に整っていない大学生活の中で、そして、聴覚障害があることを周囲に伝えずに、保育士として働いた就労の場で体験し、苦しんだそうです。

彼女が苦しんだ理由の一つは、自分が「きこえない、きこえにくい」という事実を伝えずに隠してきたことで、周囲の理解を得られず、結果的に自分を苦しい状況に追い込んでいたということがあります。

しかし、周囲に聴覚障害者であることを伝えた場合であっても、話せるからきこえるだろうという大きな誤解が、本人たちの前に立ちはだかり、本人達を苦しめる例は、Aさん以外のたくさんの難聴者や人工内耳装用者にもあります。コミュニケーションが双方向によるものと考えた時に、そして、1対1とは限らない、複数でのコミュニケーションの場が日々繰り返されることや、決して静かな所とは限らず騒音下で会話が行われることを考えた時に、音声言語だけでは100パーセント通じ合えないということが周囲に理解されなければ、本人が苦労するのは十分に想像のつくところです。

「難聴があるんだから、きこえない時があっても仕方ないよ。」こうしたことばを平気で語る人がいたら、それがどれほどの暴言であるかを知る必要があるでしょう。もしこれまできこえていた自分が、ある時失聴し、曖昧なきこえ方や理解が繰り返される状況下におかれたらどのように感じるでしょうか。「きこえなくなったのだから仕方がない」とあきらめるのでしょうか? おそらく大きなストレスを感じAさんのように心理的に深く落ち込むのではないでしょうか?

では、最初からきこえなければ大丈夫なのでしょうか? 確実に100%わかるという体験をしたことがなければ、わからないという状態に気づくことができないので本人もこんなものと思って過ごしますが、その中でたくさんのことをあきらめ、曖昧でもわかったふりをしてうなずくなどその場を乗り切る処世術等が育まれていきます。でもそれは本人たちが望んでそうしているわけではありません。そうせざるを得ない状況の中に置かれてきたわけですから。ですからきこえない人たちが、周囲にきこえないことをきちんとアピールし、理解を求めていける力を育てていくことも聴覚障害教育には求められていると言えますし、私たちは常にきこえない人たちの存在を当たり前のこととして受け止め、コミュニケーションや情報が100%共有されているかに注意をはらう必要があるでしょう。

 軽・中度難聴児や人工内耳を装用して口話を流暢に身につけた子どもたちは「話せるから大丈夫」という周囲の期待もあってインテグレーションする傾向がありますが、そのような彼らも音声言語の環境に常に自分を合わせていくことに疲れ、その大変さを語ることがしばしばあります。そして、100パーセントわかる手話に出会った時に、手話にもっと早く出会っていれば、もっとお互いに分かり合えたし、いろんなことが理解できたはず・・・と悔やみます。また、話せるけれども、常に曖昧さの伴う環境下で人格形成がなされることで、きこえる自分、聴者に少しでも近づくことを自分の理想像とし、きこえないままの素の自分を認めることができず、自己肯定感が持てないことも少なくありません。 

こうした成人した人たちの現実から、私達は改めて不足していた支援や教育に気付かされると共に、これからの親子に何をどう支援したらいいのかを考えさせられます。Aさんは、26歳になって生まれて初めてろうの人たちと出会い、手話に出会い、きこえていた時期のあの"わかる感覚"が取り戻したと言います。はじめは手話を見ていても、よくはわからなかったけれど、きこえない人たちが、わかり合い、楽しそうにコミュニケーションしている様子を見て、手話を学べば自分もそのうちかつてのように、わかる喜びを取り戻せるのではないかだろうかと希望が持てたといいます。そしてその後Aさんは手話も身につけ、聾学校の教師となり、20年後の今は聾学校の乳幼児教育相談で活躍する素敵な先生になっています。「自分を取り戻せた」ということばはわからないことで不安なままおかれる自信のない自分からの解放だったわけです。

 

きこえる人間はきこえて当たり前、きこえてわかることが当たり前の日々を送っています。同様にきこえない・きこえにくい子ども達にはきこえない・きこえにくい人に合わせたコミュニケーションを保障していけばよいわけです。私たちが耳から聴いてわかるのと同じように、彼らが100%わかる手段は見てわかるということですから、口話だけでなく手話や指文字・文字を使うということでしょう。

Aさんは家族の中で、きこえる家族同士がペラペラと話している姿を見るのはつらく、孤独を感じたと語っていましたが、きこえない・きこえにくい人が、「わかる」という当たり前のことが、あらゆる場所や状況下で保障されるよう私たちきこえる側も努力しなければなりません。今回、新型コロナのことをきっかけに、緊急放送には手話通訳がつくようになりましたし、電話リレーサービスが全会一致で法制化され整えられるようになりました。大学でも授業にパソコンテイクや手話通訳などの情報保障も行われるようになってきています。世の中はきこえる人にとって当たり前のことが、きこえない・きこえにくい人にとっても当たり前になるように徐々に変化しつつあります。その場に合わせて・あるいは相手によって情報保障手段が選択できるように聴覚、読話、発音、手話・指文字、文字など幅広いコミュニケーション手段を身につけることも求められます。軽度難聴だから、人工内耳装用だから手話・指文字は要らない、のではなく、だれとも分かり合える幅広いコミュニケーション手段を身に付けることが本人の世界を広げることになるのではないでしょうか。それが難聴者としてのより質の高い生き方(quality of life)につながるのではないかと思います。

〇100%情報が保障される会話とは?

デフファミリー(両親が聾者である家族)では、家族全員が手話で会話をしています。子ども達は手話で会話をする両親に育てられているので、当然、手話を母語として育っています。先日、あるデフファミリーのお母さんがこうおっしゃいました。「この前、お父さんととても大事な、子ども達には聞かれたくない話をしていたんです。ところが、それを子どもは見ていたんですね。学校の話だったのですが、子どもはその話をいつのまにか知っていて、私に話してくるのでびっくりしてしまいました。きっと私達の会話を見ていたんですね。」と。

聴者の家庭でも同じように、両親の話、親と兄弟の話、それがひそひそと、こっそり話されるほど、子どもは何の話だろうと興味津々、盗み聞きしてしまうことはよくあることです。聞こえにくい子ども達にも手話という言語があれば、こうした「盗み見」ができ、情報を収集することができることを示しています。(ここで言いたいことは盗み見の是非や盗み見をされないために手話を使わない方がよいということではなく、情報が常に100%入ることの大切さです)。

 

〇WISCⅣ「言語理解」の結果から

話は少し飛びますが、先日、ある聾学校小学部5年生15名を対象にWISC(ウィスク)という検査をやりました。この検査はその子どもたちが5年前の年長さんの時にも一度やっています。その時の検査結果と比較してみて、改めて気づいたことがあります。それは、15名の「言語理解」平均合成得点(IQ)は、年長さんの時と比べて1%水準の有意差で大きく伸び平均IQ100に達しているのにも関わらず、「言語理解」を構成する5つの下位検査、①類似、②単語、③理解、④語の推理、⑤知識のうち、①~④がそれぞれ伸びている(②単語と③理解は有意差のある伸び)のに、唯一、⑤の知識だけが前回の平均より下がっていたことです。評価点にしてマイナス1.6IQにして10くらい下がったことになるでしょうか。これには正直、驚きました。他の4つの下位検査がいずれも伸びているのですからよけいにそうです。

「知識」という下位検査は、例えば「日本で一番高い山はどこですか?」といった誰もが知っているけれど、だれも教えたことのないような常識的な一般知識がどの程度身についているのかをみる検査です。そうした一般常識的知識が、きこえない子たちは、同年齢の子が普通にもっている知識量より少ないということになります。テレビの字幕、スマホ、タブレット、様々な電光表示、最近の情報機器の発達は著しいものがありますが、それでもきこえる子ときこえない子では、持っている情報量・知識に差が出るのです。私たちのもっている「常識」と言われている知識には、ふだん話題にすらならないこともたくさんあります。それはきこえていればいつかどこかで聞きかじっていたり、いつの間にかなんとなく知っていたということも多い知識です。そしてそれを知らないと、常識がないとか言われてしまうことも少なくありません例えば小学生なら「日本で一番高い山は?」とかは誰でも知っている知識ですし、中高生なら「日本で一番人口の多い都道府県は?」とか「日本の総理大臣は?」などもそうでしょう。 きこえない人が「常識がない」とか「空気が読めない」とか言われることがあるのは、こうした普通きこえる人なら誰でも知っているけれどとくに誰かが教えたというわけではない知識が身についていないことがあるからです。

このような結果をみると「情報は自分から取りに行くもの」だということばが改めて思い出されます。小学校5年生ならその大事な意味をそろそろ自覚させていく必要があるのだなとも思いました。また、同時に、家庭の親御さんたちも何気ない情報こそ落ちまくるという意識をもっていただくことがとても大事だと改めて思いました。

そういう意味では、まずは家庭内での情報保障環境の見直しをし、デフファミリーに学ぶ必要があると思います。デフファミリーでは家族の会話が「手話」という共通言語で保障されているので、気をつけて見さえすれば、どんな所にいても目から情報が100パーセント入ってきます。


 どんなことに気をつけるか?

家庭の会話はききとれない.jpgでは、聞こえない子どもが聞こえる家族の中に一人いる場合は、どのようなことが起こっているのでしょう。そのことをまず自覚する必要があるでしょう。聞こえない子どもが、3メートルも離れた所にいる時、お母さんとお父さんが話している会話はまず耳からは入らないでしょう。また、テレビを見ながら、ゲームをしながら聞いている「・・ながら聞き」も聞こえる子は自然にやってのけているわけですが、聞こえない子にとってそれは難しいことです。また、家族が同じ部屋の中のあちこちにいて、音声言語がとびかう会話の中で、今お母さんがしゃべった、それに対してお兄ちゃんが応えた、次にお父さんがなんか言っているなどという、声を聞き分け、どんな会話が繰り広げられているかを知ることは、聞こえない子にとっては難しいことです。こうしたことが、家族の中で理解されず、配慮されないままに育った時に「お茶の間の孤独」ということが言われるようになるわけです。聞こえる立場の人が、聞こえない子どものこうした立場を気づいたり、理解したりすることは簡単なようで実はなかなか難しいことです。とくに昨今は人工内耳が普及し、2,3人の会話の中で音声言語で会話が成立するようになると、ますます情報が落ちていることが見えにくくなります。ですから、お子さんが幼ない時に、ご両親にしっかりとこの意味を理解してもらうことが大切だと思います。それが真の意味での家族の幸せ、聞こない子どもにとっては家族の中に居場所があり、自分が愛され尊重されていること、そして周りへの信頼感や積極的にかかわっていく意欲、自分自身を肯定する気持ちを育てることにつながるでしょうし、子ども自身の豊かな知識・情報の獲得を保障することにもつながるのではないかと思います。

まずは私たちもデフファミリーと同じように、きこえる家族の中でも手話をつけながら皆で会話する習慣、手話で色々な話ができるよう力をつけることが大切です。デフファミリーのようにはならなくても、少しずつ、長期計画で家族皆で育ちあえばいいと思います。見えにくい心の育ち、心のあり方にかかわる問題であるだけに、聞こえる立場の者からはなかなか気づいてあげられないかもしれませんが、きこえない子たちが大好きな家族の中でさびしさやあきらめを感じないよう、また豊かな知識が身につくよう、聴こえない乳幼児を持つ親御さんたちには今から少しずつ準備していっていただきたく思います。

 昨秋、福岡県の久留米聴覚特別支援学校で九州地区の聾教育研究会が開かれました。当日の朝、西鉄久留米駅から学校の方に向かうバスの中は、通勤・通学の人たちに交じって研究会に向かう先生方もたくさん乗っていて、私もその一人でした。そのバスには通学時間帯と重なっていたこともあって、何人かのきこえない中学生が乗っていました。きこえない中学生だということは補聴器を見ればすぐにわかります。中学生の多くはスマホを見たり友達と手話で会話していましたが、なかに一人だけ文庫本に目を落としている男子生徒がいました。最近は大人も子どもも一億総スマホの時代ですから、日本中どこに行っても電車やバスの中では皆スマホです。正直、少し驚きました。バスが学校前の停留所に止まると、その生徒はバスの運転手さんに「ありがとうございました」ときちんと挨拶をして降りていき、今どき珍しく礼儀正しい生徒だなと思いました。

 そのあとでわかったのですが、その生徒は久留米市の弁論大会に出場し、優秀賞を受賞したということでした。その内容は、あいさつが人との関係を築くうえにどんなに大切なことか通学途上での自分の体験から気づいたという内容です。

 

 話が少し飛びますが、聴覚障害者を雇用する企業側から指摘されることの中に、「あい

企業側からみた問題点.jpgさつができない」とか「敬語が使えない」などの社会人としてもっていなければならない基本的な姿勢・態度が身についていないということがあります。きこえる・きこえないにかかわらずきちんとあいさつができるということは一社会人として大切なことですから、きこえないから仕方がない、では済まされないことですが、家庭でも学校でもこのような基本的な生活習慣・態度形成がしっかりとなされていなかったということになるでしょう。

 また、きこえない人がきこえる人と一緒に仕事をするときに必ず直面するのがコミュニケーションの問題です。多少「聞き取れたり」「話せたり」できても、雑談なら「聞き間違いだった」で済みますが、仕事上の聞き間違いは許されませんから、そのために心得ておくことがいくつかあります。

仕事に大切なこと.jpgそのひとつは自分の「きこえなさ・きこえにくさ」を隠さないで周りの人に伝えることです(障害の自己開示)。そのためには自分自身の障害をきちんと肯定できていることが必要です。これは意外と難しいです。周りが「きこえたほうがいい」という価値観の元で育つと特にです。

もう一つは情報保障を依頼することです。これも「自分はきこえているから必要ない」と思っていると相手にきちんと伝えることができませんし、ふだんからよい人間関係がつくられていないと頼みづらいものです。では、よい人間関係をつくるためには何が大切でしょうか? その第一歩はまずあいさつをすることではないでしょうか? あいさつは相手の人への敬意です。その大切さに彼は気づいたわけです。以下に、本人・ご家族の了解を得て作文の全文を紹介します。


     「あいさつ」は魔法の言葉    

      久留米聴覚特別支援学校中学部三年 石河 大地

 

みなさんは、あいさつは何のためにするのだと思いますか。僕は、お互いに気持ちが良いからするのだと思っていました。しかし、本当にそれだけでしょうか。僕は、駅員さんとの交流を通して、そのもう一つの理由を見つけることができました。

僕は、3歳の頃に耳に障がいがあることが判明し、久留米聴覚特別支援学校に入学しました。登校にあたっては、小学三年生までは親に車で送ってもらい、四年生から一人で電車通学するようになりました。初めは、電車内でのマナーなど、知らないことだらけで大変でしたが、毎日通ううちに、少しずつ慣れていきました。

そんなある日、母からこんなことを言われました。「きちんと駅員さんにあいさつしないといけないよ。」

しかし、その言葉は僕にはピンとこないものでした。なぜなら、当時の僕は、聞こえる人、つまり「聴者」の話は親に通訳してもらわなければ分からず、また、自分の発音も分かってもらえなかったため、コミュニケーションが成り立たないことが多かったので、面倒くさいな、恥ずかしいな、という思いから、親戚などの聴者に自分から話しかけることがなく、ましてや他人である駅員さんにあいさつなんて、全然する気がなかったからです。

ところがそれを母に伝えると、「声に出してあいさつするのが恥ずかしいのなら、せめて目を合わせて会釈するぐらいはしなさい。」と叱られました。それで、仕方なくやるようになったのです。しかし、なぜあいさつをしなければならないのかという理由についてまでは考えていませんでした。後々、母に尋ねてみると、「駅員さんは、みんなが安全に通勤・通学できるように見守ってくださっているのだから、あいさつはきちんとしてほしかった。」とのことでした。そして今僕は、母からの教えを守ってあいさつを続けてきて、本当に良かったと実感しています。

あいさつを始めたばかりの頃は、駅員さんとしぶしぶ目を合わせて会釈をし、さっと通り過ぎるような日々を送っていました。しかし、毎日顔を合わせて会釈をすることで、駅員さんの顔を覚えていくようになり、駅員さんに親近感をもつようになっていきました。五年生になる頃には恥ずかしさもなくなり、ただ会釈をするだけではなく、声に出してあいさつするようになっていきました。そんな積み重ねの中で、僕のことを知ってくださる駅員さんが増え、電車が遅れる時などには、口をゆっくり動かしたり紙に書いたりして理由を伝えてくださるようになっていきました。中学生になる頃には、部活や休日の過ごし方などについて話をするまでになっていきました。もちろん、口話での会話なので、おっしゃっていることが分からないこともよくありますが、あいさつだけの関係が、会話をするまでの関係に変化しました。

そしてそんなある日、一人の駅員さんが手話で「おはよう」と「こんばんは」のあいさつをしてくださったのです。僕は、本当に涙が出るほど嬉しかったです。また、あいさつをすることで、自分が聞こえないということをアピールできるんだなと感じました。

僕が社会で生きていくためには、手話や筆談、字幕などの目に見える情報保障が不可欠です。そしてそれには人の助けが必要です。だからこそ、僕が聞こえないということを、より多くの人々に知ってもらう必要があります。あいさつをする、しないかで僕の人生は大きく変わりました。だからあいさつは僕にとって、人とコミュニケーションをとるきっかけとなり、そこから会話が始められる魔法の言葉です。だからこそ、これから社会人になっても、あいさつをする習慣を続けていきたいと思っています。

みなさんも、周りの人に「あいさつ」という魔法の言葉を使って、人間関係を広げてみませんか。  


以上、読んでいてとてもうれしく、またすがすがしい気持ちになる文章です。彼は社会人になってもきっと周りから可愛がられ、きちんと仕事ができる人になっていくだろうと思います。その日がくることを楽しみにしています。(木島記)

こえるお母さんがきこえない子どもを産んだ時、多くのお母さん方は嘆き悲しまれたに違いありません。それは、そのお母さんがきこえることが「ふつう」のことであり、聴こえない子という「ふつうではない」子どもを産んだことへの悔い、落胆、悲しみの気持ちなのだろうと思います。

しかし、「ふつう」という価値観は人によってその規準とするところは異なります。その証拠にきこえないお母さん方の多くは、きこえない子を産んだ時、喜ぶ人が多いということからそう言えると思います。きこえない人にとっては、「きこえないこと」は「ふつう」のことなのです。おそらく、生まれついたときから「きこえない子・人」として長い年月を生きてきて、「きこえないこと」は特段「異常」なことでもマイナスとみなすことでもなく、「ふつう」のことと思えるようになったということなのでしょう。

 そう考えると、「きこえないこと」は「ふつうじゃない」から少しでも「ふつう」に近づくように、「きこえる」ようにしようという判断が唯一正しいとは限らないということになります。例えば人工内耳をしようかどうかさんざん悩み迷った挙句、このままでいいと思って育てた子が大きくなって、「ぼくは産まれたときからのこのぼくが好き」と思う子に育つ、ということは実際には多いのです。きこえない自分はいやだと思っている聴覚障害者・聾者は、成長の過程で一度はそう思う時はあっても、最終的に二十歳の成人式を迎える頃には自己肯定感をもった立派な聴覚障害青年に育ちます。ですから「きこえない」ままに育ってもそれはそれで間違った選択とは言えないと思うのです。なにがなんでも新スクで早期発見して1歳までに人工内耳をやって・・という耳鼻科のお医者さんには、もうちょっときこえないままに成人した人たちがどう育っているのかをみてほしいなと思います。

 

前置きが長くなりましたが、以下の作文は、普通小学校難聴学級に通う6年生の難聴児の作文です。区の作文のコンクールで優秀賞をもらったそうです。彼は、自分が「普通」

補聴器.jpgのサムネール画像とは違う「聴覚障害をもった子ども」として生きてきました。その過程で友達ともいろいろなことがあったかもしれません。しかし前向きに、自分の障害について自分の中で一生懸命考えてきました。そして、人はみな一人一人違っていいんだということ、「普通」という概念はそれぞれ人によって違い、一人一人みな違うからこそ、それぞれにとっての「普通」をお互いに認め尊重することが大事なんだという考えに辿り着きます。このような障害認識に一人で思考し辿り着いたわけです。そして、彼は、最後にこう言い切ります。

「僕には僕の、普通があります。そして、あなたには、あなたの普通がある。一人一人を大切にするとは、互いを尊重し合うとは、その普通を認め合うことだと思います。誰もが互いを認め合える世の中を、これから僕達が築いていかなければならないのです。」

う~ん、すごいです。本当に感動しました。この少年のことばを、耳鼻科の先生方はじめ色々な方々にもぜひ知ってもらいたいと思い、以下に、作文を原文のまま引用します。なお、この作文が、大人の手が一切入っていないことは読んでみればすぐにわかります。子どもらしい表現がそのまま残されているからです。しかし、こうした表現を含めてこれがこの少年そのものであり、それをそのまままるごと尊重してコンクールに応募したということが、この作文のもう一つの大切な意味なのだと思います。

 

「普通とは何か」

 松本直汰郎

普通とは、何なのでしょう。

異常が無いこと。

良くも悪くもないこと。

平凡であること。

普通とは、とても難しい言葉だと思います。

なぜ、僕がこんなに深く考える必要があるのか。それは僕が「耳が聞こえにくい」障害者であり、自分を普通でないと考えていたからです。僕は、自分が他人と違うということを幼いころから薄々分かっていました。しかしながら、最近は、補聴器をつける自分がどこか気に入らないのです。それはきっと、見た目の問題だと思います。補聴器の性能はとても優秀で、性能自体には何の文句もありません。しかし、その形はというと、耳の形に合わせてくるんとカーブした、何とも言えない形です。初めて補聴器を見た人が「なんだろう?」と首をかしげたり、耳の形をちらちらと見たりするのも納得できます。僕は、補聴器をつけることについて、この頃から不安を感じるようになりました。しかし、「見た目が悪い」という程度の理由で外してしまうわけにはいきません。補聴器は、僕にとって必要不可欠なものだからです。僕は、自分が「普通ではない」ことを実感するとともに、そんな自分を情けなく思うようになりました。

 そんな時、ふと頭に浮かんだのは、

「みんなちがってみんないい。」

金子みすゞさんの詩の言葉です。「私と小鳥と鈴と」の詩は、それぞれの個性を認め合うすばらしさがうたわれています。これです。その時の僕は、この詩の言葉がスッと心に入ってくるように感じました。自分を他人と比較してしまう自分にも、大きな原因があると気付いたのです。「人と人は、それぞれに良さがあって、欠点も必ずある。それぞれの個性を大切にするべきだ。」こんな簡単な、こんな当たり前のことさえも、僕は忘れていたのです。

 金子みすゞさんの言葉で、僕は大切なことを思い出し、その考えを改めることができました。そして、僕がこだわっていた「普通」のおそろしさについて考えるようになりました。

 「あの人は普通じゃない」

 「普通ならもっとできるはず」

 「きみって普通だね」

この三つの言葉を、あなたならどう受け止めますか。もちろん、人によって感じ方は異なると思いますが、これらの言葉をうれしいと受け止める人はいないでしょう。これらの言葉は全て、人を傷つける可能性があると僕は思うのです。言葉というものはおそろしいものです。人を優しく包み込むこともあれば、絶望させ、恐怖のどん底に突き落とすこともあります。

大げさかもしれませんが、さりげなく言ったその一言で、相手は計り知れないダメージを受けるかもしれないのです。

 こんな事例を耳ににしたこともあります。

「あの子は普通じゃなかったから、興味本位でちょっといじめてみた。」いじめはどれも悪ですが、人の個性を踏みにじるようないじめ、人格を否定するようないじめは、絶対にしてはいけません。こんないじめが早くなくなることを願うばかりです。

 普通という言葉を辞書で引くと、「ほかと比べて、特に変わっていないこと」と記してあります。しかし、今の僕が「普通」について解釈するとしたら、こうでしょう。

「普通とは、人によって基準が異なるため、どれが正当であると言い切ることはできない。人によって普通が異なるということは、すなわち個性があるこということ。」

 僕がこだわっていた普通について、一つの結論が出たような気がします。僕は自分と、僕にとっての普通を大切に、これからも胸をはって生きていきたいです。

 補聴器は、眼鏡やコートと同じなのです。寒い時にコートを着るように、聞こえにくいから補聴器を使う。見えにくい時に眼鏡をかけるように、聞き取りにくいから、補聴器をつける。補聴器をつけることは、決しておかしいことではないのだと、やっと分かりました。

 僕には僕の、普通があります。そして、あなたには、あなたの普通がある。一人一人を大切にするとは、互いを尊重し合うとは、その普通を認め合うことだと思います。誰もが互いを認め合える世の中を、これから僕達が築いていかなければならないのです。

先日、ある聾学校高等部の授業を見せていただく機会がありました。自立活動の授業でテーマは「自分史」。自分のこれまでの生い立ちを振り返り、「自分」について考える授業です。徒は高等部普通科3年生(高度難聴・男子)と同2年生(人工内耳装用・女子)の二人。二人とも大学進学をめざしています。その日の授業は、「自分はどうやって言葉を身につけてきたのか」を考えるというもの。

 事前に授業者の先生から保護者に連絡し、保護者は我が子の障害がわかったときのショック、どのようにきこえない子を育ててよいのか戸惑いと不安、聾学校を紹介されて教育相談に通い少しずつ立ち直り始めたこと、子どもに言葉(音声日本語)を教えようと毎日が必死だったことなどを手記にしたため、担当の先生に渡してあります。

 その保護者の手記を、その日の授業で初めて本人たちに渡して授業は始まりました。二人の生徒は渡された手記を真剣なまなざしで読んでいましたが、そのうち二人とも目が少し赤くなってくるのがわかりました。自分を育ててくれた親の思いに熱いものが込み上げてきたのでしょう。

そして、顔を上げた3年生の男子はことばを選びながら「胸をえぐられる思いがした」と語りました。二年生の女子のほうは、まだ自分の思いをどう表現してよいのか言葉が見つからないようでしたが、いろいろと感じているものがあったのがわかりました。

今回の授業は、まずは親の手記を読んでの自分の感じたことを話すことで、それ以上に本人たちの内面に深くは立ち入りませんでしたが、これからそれぞれに自分が感じたこと思ったことを言語化し、互いに共有し深めていくことで、自分自身について、また、自分がどのようにことばというものを習得していったのかを考えていくのだろうと思います。

最後に見学者として感想を求められ、私は一度きいてみたかった質問を単刀直入に彼らにしてみました。「君は、もし、きこえないことが治る薬があったら、その薬を飲みますか?」。かれらの答えはこうでした。

高2女子「私は飲まないと思う。」

高3男子「ぼくも飲まないと思う。」

そこで私は女子生徒に再度、質問しました。「君は小学校・中学校と普通の学校に通った。でも、そこで本当に分かり合える友達はいなかった。ときにいろいろな誤解を受け、トラブルになった経験もしてきた。それで聾学校にかわってきたんだよね。でも、もし君がきこえる人であったのなら、そんなつらい経験をしなくてすんだのではないの?」

 女子生徒は、いろいろと思い出すこともあったのか少し目を赤くしながら「・・・でも、やっぱり飲まないと思う。・・・」と応えました。

 一方、男子生徒のほうは次のように応えました。

「中学生の頃、聴者になれたらいいなと思ったことがあった。でも、今はそうは思わない。もし、薬を飲んだら、これまでの自分が自分でなくなってしまう気がする。僕は僕でいたいと思うから・・」

 ずしりと重い言葉でした。私の中にも熱い思いがこみ上げてきました。きこえない子どもたちは、きこえる人が圧倒的な数を占めるこの社会の中で、いつも「きこえないことの不便さ・不利さ」を感じて生きています。ですから、人生のどこかで、かなわないとは知りながら、一度は「きこえる人になれたら・・」という思いを抱きます。


このことばを聞いて、私は、20年前の聾学校小学部高学年での自立活動の授業でのやりとりを思い出しました。1998年9月。まだ暑さの残る日でした。

・・・私は授業者として子どもたちに問いかけました。「君たちは今、自分がきこえないということをどう思ってる?」 

子どもたちの応えはこうでした。

A男(難聴)「ぼくは少し聴こえる。難聴だ」

B子(聾)「私は聾。難聴の人がうらやましい」 

私「どうして、難聴者がうらやましいの?」

B子(聾)「電話ができるし、テレビもわかる。」

私「でも、今は携帯でメールもできるし、テレビも字幕がつくよね。」

A男(難聴)「それに、テレビは(家族に)通訳してもらえばいいよ。」

B子(聾)「字幕の番組は少ない。親は時々通訳してくれるけど難しい場面は無理。それに・・・A男は先生と口だけで話せる。楽しそう。」

 このことばをきいて私はハッとしました。「きこえる方がいいのだ」という思いを抱かせてしまっている私自身を恥ずかしく思いました。B子が横から見ている時に、A男と口だけでペラペラとしゃべって、楽しそうに笑いあったこと。B子が見ていることに気づいていなかったのでした。なぜ、B子がいるのに、B子が横から見てもわかるように私は手話を併用しなかったのか。これではきこえないことが不利にならない社会を築くなんてできない。きこえない子が「きこえたほうがいい」と思ってしまう状況を自ら作り出しているのでした。


こうした私自身の体験を思い出しながら、高等部の授業の最後にこう言いました。

「〇〇君は聴者になりたいと思うときがあったんだね。でも、今は自分がきこえない自分でいることをうけとめている。それはほんとにすごいなって思う。でも、そうだったなら君はきこえない自分の言葉である手話をもっと自信をもって使うといいと思うよ。」

 私が気になっていたのは、彼の使う手話が音声言語の周りの人たち(見学者2名を含めて)に合わせてどことなく遠慮がちであったことと、人工内耳の女子が口だけでしゃべってしまうことに対して、「わからないから手話を使って」とか「手話通訳をしてほしい」と聴者の先生に言わなかった(言えなかった?)ことです。しかし、その女子が口だけで発表しているとき、私が横から通訳している手話をちらちらとみていましたから女子が発表する内容を彼は知りたかったはずです。

「きこえる人ときこえない人がいるとき、お互いに理解しあおうと思ったら、お互い100%わかりあえるコミュニケーション手段がないと話題は共有できないよね。だから口話だけでなく手話も同時に必要。その意味をこれからも考えていきましょう。それから〇〇さん(女子)もぜひ手話を覚えてください。きこえない人同士が分かり合うためには絶対に手話は必要ですね。〇〇君はわかるときはわかる、わからないときはわからないと言えるといいですね。でも難しいよね。話の腰を折るんじゃないかと気を遣うだろうし。そういうときは、ここまでは自分はこう理解した、でもここから先はわからなかった、と具体的に伝えるといいよね。相手もああ、そこまではわかってくれたんだとわかるし、話しもしやすい。そういう相手への配慮や工夫も大事ですね。」

 高三の男子は某国立大学で特別支援教育を学びたいと、今年、推薦入試を受けるのだそうです。「ぜひ合格してほしい。いい知らせを待っています。がんばってね!」とエールを送りつつこの聾学校をあとにしました。田舎町の小さな聾学校。先生一人と生徒二人だけの授業。でも熱くて心揺さぶられる授業した。

 

 以前にも紹介した聾写真家の齋藤陽道(はるみち)さん(石神井聾学校卒・35歳)が、『暮らしの手帖』(20198月号)に写真&エッセーの連載を始めた。味わい深い文章なので紹介したい。

 それにしても「よっちぼっち」とはどういう意味なのだろう? 陽道さんは次のように書いている。

暮らしの手帖表紙.jpg

「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営んできた。そこにまた、ふたつのひとりぼっちがやってきた。よっつのぼっちが集まってなんていうのか知らないけれど、響き的に「よっちぼっち」という感じかなあ。」(67頁)

 

 陽道さんは今、四人家族で暮らしている。陽道さん、妻のまなみさん(33歳)、いつきちゃん(3歳?)、ほとりちゃん(0歳)。夫婦は聾者で二人の子どもは聴児だ(いわゆるCODA=聾両親のもとに生まれた聴者)。陽道さん自身は聴両親に育てられた聾児だから、ちょうど逆のパターン。


以前にこのブログで陽道さんの著書『声めぐり』(2018,晶文社)を紹介したが、彼は口話法教育の中で「ことば」の獲得に絶望し、深い孤独を抱えて生きていく。しかし聾学校高等部に入学し、そこで手話に出会い、教師に出会い、友と出会って、人と人とが真につながりあえる「ことば」を回復していく。その「ことば」は手話であった。そして、同じ聾学校の後輩のまなみさんと5年間の同棲生活を経て2011年の年末に結婚する。なぜ同棲生活に終止符を打ったのか?その直接的な理由は、3.11東日本大震災で聾者が置かれた状況を知り、「自分たちの身体にまつわる孤独の深さを痛感したこと」(67)である。

そして「覚悟を持って共に暮らすことを決めた」のだという。「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営」むことにしたわけである。


その後、32歳の時に最初の子を授かり、さらに3年後に二人目を授かった。二人ともきこえる子であった。つまり、二人の子どもにとっての本来の「自分のことば」は音声言語。彼が小・中学生の頃に絶望したことば(音声言語)を、いまわが子が「自分のことば」として育とうとしていることになる。同じ家族でありながら、親にとっての「自分のことば」は手話、子にとっての「自分のことば」は音声日本語。このままでは親子は通じ合えないから、どちらかの言語を使うしかない。


きこえる親の元に生まれたきこえない陽道さんは、書記日本語(書き言葉)はこの高い文章力からもわかるように確かに「自分のことば」の一つであろうが、音声日本語(話し言葉)は他者と通じ合えることばとはならず、その意味では「自分のことば」ではない。ここに聾両親のもとに生まれたCODAの複雑な事情がある。

暮らしの手帳.jpgのサムネール画像CODAの人たちのなかには、手話を第一言語としてまず育ち、その後音声日本語を並行して獲得する人(両親共聾者の場合が多い)と、最初から音声日本語を第一言語として育ち、手話を全くあるいはほとんど知らないという人たちがいる(口話がある程度できる難聴両親の場合など)。陽道んは聾だから、手話を使って育てているのではないかと想像するが、そうすると子どもたちの日本語獲得は別の聴者にゆだねることになる。

また、陽道さんは、聾でありながら音声言語を強いられて育った苦い経験から、逆の立場に立った今、聴児であるわが子に最初から手話を強いてよいのかという心の痛みをどこかで感じているのだろうか?だから「家族という言葉で安易に同一化することはお互いの違いについて考える機会を減らしてしまう」(67頁)と言っているように思う。「血縁」とか「家族」ということばだけでくくり切れない「身体にまつわる孤独の深さ」がそこに厳然としてある、ということなのだろう。


周りが聴者という親子・家族の中で、聾である自分が愛されて育ってきたのだということを理解しつつも、なおかつ簡単には超えられない「身体にまつわる孤独の深さ」をどこかで感じ続けながら生きてきて、そしていま、今度は自分が親という立場になり、わが子が聴者という関係性の中で、「家族」というひと言ではくくり切れないものを感じているのではなかろうか。だから、「お互いに、孤独を抱えて歩む『ひとりぼっち』であることをわきまえながら、そこを越えてかかわりあおうとする意志を持たなくてはならないと思っている。そうした『かかわりあい』にこそ、人間のすばらしき力が宿るのだろう。」(67頁)と言うのだろう。


―「よっちぼっち」。ひとつの家族の中で身を寄せ合って生きていながら、それぞれが血縁とか障害とか性別といった「身体にまつわる孤独の深さ」をもって同じ空間で生きているということ。その意味の深さと生き合うことの難しさを表現することばだと思った。



┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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