全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

難聴理解・障害認識

乳幼児相談を修了して幼稚園・保育園を経て小学校難聴学級に通っている子のお母さん達が集まり、小学校での子どもの様子を情報交換する中で、小学校から帰宅した後の友達との約束の話が出ました。あるお母さんから、子ども同士が口約束で「何時に、どこで」待ち合わせをするかという約束をしてくるのだけれど、どう聞き間違えたのか、すれ違い、遊べないまま終わってしまったことが何回かある...というエピソードが複数のお母さんたちから出されました。まだ1年生の話でしたから、そういうことがあるなあと思いながら、是非、音声言語だけでのやりとりで約束するのは気をつけさせた方がいいというアドバイスをしました。


子ども達にとって約束は大切なことです。大切なことは必ず紙に書いて、文字で確認し合うよう子どもに勧める事をお母さん達に話しました。「きこえるからわかるよ。」「きこえているから大丈夫」。難聴児の中には、そのように自信を持って言う子どもたちがいます。確かに、正確に聞けることができる時もあるでしょう。しかし、時刻の約束に出てくる数字の聞き取り...「2時(にじ)」なのか「1時(いちじ)」なのか~といった紛らわしい口形や音を聞き間違える可能性は十分あります。こうした数字の聞き取りに限らず『音声言語を聞き誤ったり、聞き落としたりする事はあるのだから気をつけよう』と日々子どもに言い聞かせて行かなければなりません。

難聴児として育てるということは、こうした「聴く」ことだけに頼ることの危険を周囲の大人が敢えて知らせ、自覚させていかなければならないということです。そのためには、大事なことは書いてもらおう、自分で書いてこれでいいか確認してもらう姿勢を育てていくことが大切ではないでしょうか。聴覚障害児の教育で「読み書きの力を身につける事が大事」と言われるゆえんは、書きことばが、こうした確実なコミュニケーションにおいて大切な手段だからともいえます。書いて伝える、読んで確認する、そんな習慣を肝心なところでは必ずしていかれるよう、子育てで生かしてほしいと思います。

ある子ども達は、電話ができるから電話で約束しているという話もありました。それはそれで、うまくいく時もあったようですが、できれば成人した時に社会の中で「電話ができます」ということをアピールするよりは、大事なことを聞きもらすかもしれないので、「電話ではなく必ずファックスかメールで連絡をお願いします。」といった書きことばでのコミュニケーションを求める事ができる人に育てて行くことが大切だと思います。その意味で、幼児期から家庭にファックスをおくのも大切な環境作りです。最近はメールでのやりとりも多いでしょうが、低学年のうちは文字や文を自分で書く練習もかねて友達の約束はファックスでやりとりするという習慣作りをしていくといいのではないでしょうか。そして必ず、相手の親御さんにも理解を求めて、ファックスが届いたかどうかを、相手のお子さんからも必ず返事を頂けるとありがたいといった内容で関係作りをしていかれるといいですね。文字を使えば、確実なコミュニケーションをとることができるということを小さい時から経験させて行きましょう。こうした意味からも、お母さん達には、子ども達に読み書きの力をしっかり身につけさせていく事の大切さを改めて実感していただきたいと思います。企業に就労する聴覚障害者も、社内ではメールでのやりとりで仕事を遂行していくことが増えていて、ますます読み書き能力が求められています。正しく書き表せる、複雑な長文も読解できる、そんな力を育てていくことはたやすいことではありません。また、聴力が良ければ読解力、巧みな文章表記力が身につけられるとは限りません。親子の豊かな会話や体験を元にして、手話や音声言語で豊かにコミュニケーションができ、そのコミュニケーション力を元にたくさん読む、たくさん書くという大人のかかわりがあって読み書きの力は育っていきます。幼児期からしっかりと心に刻んでおきたいことです。(文責S

 Aさんは中学生になってから失聴した女性です。それまでは聴者であり、小学校時代の校歌も覚えている。しかし、中学校に入学してから徐々にきこえなくなり、中学の校歌は全くわからないと。彼女にとっては、大きな変化の時期が校歌の記憶の有無に象徴されているようでした。

しかしAさんは、中学生から20代後半までの10数年、自分自身を認めることができず、人と関わることをいつも避けていたそうです。それは、自分からは明瞭な音声言語で伝えたいことはわかってもらえるけれども、相手の話はわからない・・・という一方通行のコミュニケーションで、互いに双方向のコミュニケーションにならない苦しみだったようです。

こうしたコミュニケーションの問題は、中学・高校という通常学級の中で、また、当時情報保障の体制が十分に整っていない大学生活の中で、そして、聴覚障害があることを周囲に伝えずに、保育士として働いた就労の場で体験し、苦しんだそうです。

彼女が苦しんだ理由の一つは、自分が「きこえない、きこえにくい」という事実を伝えずに隠してきたことで、周囲の理解を得られず、結果的に自分を苦しい状況に追い込んでいたということがあります。

しかし、周囲に聴覚障害者であることを伝えた場合であっても、話せるからきこえるだろうという大きな誤解が、本人たちの前に立ちはだかり、本人達を苦しめる例は、Aさん以外のたくさんの難聴者や人工内耳装用者にもあります。コミュニケーションが双方向によるものと考えた時に、そして、1対1とは限らない、複数でのコミュニケーションの場が日々繰り返されることや、決して静かな所とは限らず騒音下で会話が行われることを考えた時に、音声言語だけでは100パーセント通じ合えないということが周囲に理解されなければ、本人が苦労するのは十分に想像のつくところです。

「難聴があるんだから、きこえない時があっても仕方ないよ。」こうしたことばを平気で語る人がいたら、それがどれほどの暴言であるかを知る必要があるでしょう。もしこれまできこえていた自分が、ある時失聴し、曖昧なきこえ方や理解が繰り返される状況下におかれたらどのように感じるでしょうか。「きこえなくなったのだから仕方がない」とあきらめるのでしょうか? おそらく大きなストレスを感じAさんのように心理的に深く落ち込むのではないでしょうか?

では、最初からきこえなければ大丈夫なのでしょうか? 確実に100%わかるという体験をしたことがなければ、わからないという状態に気づくことができないので本人もこんなものと思って過ごしますが、その中でたくさんのことをあきらめ、曖昧でもわかったふりをしてうなずくなどその場を乗り切る処世術等が育まれていきます。でもそれは本人たちが望んでそうしているわけではありません。そうせざるを得ない状況の中に置かれてきたわけですから。ですからきこえない人たちが、周囲にきこえないことをきちんとアピールし、理解を求めていける力を育てていくことも聴覚障害教育には求められていると言えますし、私たちは常にきこえない人たちの存在を当たり前のこととして受け止め、コミュニケーションや情報が100%共有されているかに注意をはらう必要があるでしょう。

 軽・中度難聴児や人工内耳を装用して口話を流暢に身につけた子どもたちは「話せるから大丈夫」という周囲の期待もあってインテグレーションする傾向がありますが、そのような彼らも音声言語の環境に常に自分を合わせていくことに疲れ、その大変さを語ることがしばしばあります。そして、100パーセントわかる手話に出会った時に、手話にもっと早く出会っていれば、もっとお互いに分かり合えたし、いろんなことが理解できたはず・・・と悔やみます。また、話せるけれども、常に曖昧さの伴う環境下で人格形成がなされることで、きこえる自分、聴者に少しでも近づくことを自分の理想像とし、きこえないままの素の自分を認めることができず、自己肯定感が持てないことも少なくありません。 

こうした成人した人たちの現実から、私達は改めて不足していた支援や教育に気付かされると共に、これからの親子に何をどう支援したらいいのかを考えさせられます。Aさんは、26歳になって生まれて初めてろうの人たちと出会い、手話に出会い、きこえていた時期のあの"わかる感覚"が取り戻したと言います。はじめは手話を見ていても、よくはわからなかったけれど、きこえない人たちが、わかり合い、楽しそうにコミュニケーションしている様子を見て、手話を学べば自分もそのうちかつてのように、わかる喜びを取り戻せるのではないかだろうかと希望が持てたといいます。そしてその後Aさんは手話も身につけ、聾学校の教師となり、20年後の今は聾学校の乳幼児教育相談で活躍する素敵な先生になっています。「自分を取り戻せた」ということばはわからないことで不安なままおかれる自信のない自分からの解放だったわけです。

 

きこえる人間はきこえて当たり前、きこえてわかることが当たり前の日々を送っています。同様にきこえない・きこえにくい子ども達にはきこえない・きこえにくい人に合わせたコミュニケーションを保障していけばよいわけです。私たちが耳から聴いてわかるのと同じように、彼らが100%わかる手段は見てわかるということですから、口話だけでなく手話や指文字・文字を使うということでしょう。

Aさんは家族の中で、きこえる家族同士がペラペラと話している姿を見るのはつらく、孤独を感じたと語っていましたが、きこえない・きこえにくい人が、「わかる」という当たり前のことが、あらゆる場所や状況下で保障されるよう私たちきこえる側も努力しなければなりません。今回、新型コロナのことをきっかけに、緊急放送には手話通訳がつくようになりましたし、電話リレーサービスが全会一致で法制化され整えられるようになりました。大学でも授業にパソコンテイクや手話通訳などの情報保障も行われるようになってきています。世の中はきこえる人にとって当たり前のことが、きこえない・きこえにくい人にとっても当たり前になるように徐々に変化しつつあります。その場に合わせて・あるいは相手によって情報保障手段が選択できるように聴覚、読話、発音、手話・指文字、文字など幅広いコミュニケーション手段を身につけることも求められます。軽度難聴だから、人工内耳装用だから手話・指文字は要らない、のではなく、だれとも分かり合える幅広いコミュニケーション手段を身に付けることが本人の世界を広げることになるのではないでしょうか。それが難聴者としてのより質の高い生き方(quality of life)につながるのではないかと思います。

〇100%情報が保障される会話とは?

デフファミリー(両親が聾者である家族)では、家族全員が手話で会話をしています。子ども達は手話で会話をする両親に育てられているので、当然、手話を母語として育っています。先日、あるデフファミリーのお母さんがこうおっしゃいました。「この前、お父さんととても大事な、子ども達には聞かれたくない話をしていたんです。ところが、それを子どもは見ていたんですね。学校の話だったのですが、子どもはその話をいつのまにか知っていて、私に話してくるのでびっくりしてしまいました。きっと私達の会話を見ていたんですね。」と。

聴者の家庭でも同じように、両親の話、親と兄弟の話、それがひそひそと、こっそり話されるほど、子どもは何の話だろうと興味津々、盗み聞きしてしまうことはよくあることです。聞こえにくい子ども達にも手話という言語があれば、こうした「盗み見」ができ、情報を収集することができることを示しています。(ここで言いたいことは盗み見の是非や盗み見をされないために手話を使わない方がよいということではなく、情報が常に100%入ることの大切さです)。

 

〇WISCⅣ「言語理解」の結果から

話は少し飛びますが、先日、ある聾学校小学部5年生15名を対象にWISC(ウィスク)という検査をやりました。この検査はその子どもたちが5年前の年長さんの時にも一度やっています。その時の検査結果と比較してみて、改めて気づいたことがあります。それは、15名の「言語理解」平均合成得点(IQ)は、年長さんの時と比べて1%水準の有意差で大きく伸び平均IQ100に達しているのにも関わらず、「言語理解」を構成する5つの下位検査、①類似、②単語、③理解、④語の推理、⑤知識のうち、①~④がそれぞれ伸びている(②単語と③理解は有意差のある伸び)のに、唯一、⑤の知識だけが前回の平均より下がっていたことです。評価点にしてマイナス1.6IQにして10くらい下がったことになるでしょうか。これには正直、驚きました。他の4つの下位検査がいずれも伸びているのですからよけいにそうです。

「知識」という下位検査は、例えば「日本で一番高い山はどこですか?」といった誰もが知っているけれど、だれも教えたことのないような常識的な一般知識がどの程度身についているのかをみる検査です。そうした一般常識的知識が、きこえない子たちは、同年齢の子が普通にもっている知識量より少ないということになります。テレビの字幕、スマホ、タブレット、様々な電光表示、最近の情報機器の発達は著しいものがありますが、それでもきこえる子ときこえない子では、持っている情報量・知識に差が出るのです。私たちのもっている「常識」と言われている知識には、ふだん話題にすらならないこともたくさんあります。それはきこえていればいつかどこかで聞きかじっていたり、いつの間にかなんとなく知っていたということも多い知識です。そしてそれを知らないと、常識がないとか言われてしまうことも少なくありません例えば小学生なら「日本で一番高い山は?」とかは誰でも知っている知識ですし、中高生なら「日本で一番人口の多い都道府県は?」とか「日本の総理大臣は?」などもそうでしょう。 きこえない人が「常識がない」とか「空気が読めない」とか言われることがあるのは、こうした普通きこえる人なら誰でも知っているけれどとくに誰かが教えたというわけではない知識が身についていないことがあるからです。

このような結果をみると「情報は自分から取りに行くもの」だということばが改めて思い出されます。小学校5年生ならその大事な意味をそろそろ自覚させていく必要があるのだなとも思いました。また、同時に、家庭の親御さんたちも何気ない情報こそ落ちまくるという意識をもっていただくことがとても大事だと改めて思いました。

そういう意味では、まずは家庭内での情報保障環境の見直しをし、デフファミリーに学ぶ必要があると思います。デフファミリーでは家族の会話が「手話」という共通言語で保障されているので、気をつけて見さえすれば、どんな所にいても目から情報が100パーセント入ってきます。


 どんなことに気をつけるか?

家庭の会話はききとれない.jpgでは、聞こえない子どもが聞こえる家族の中に一人いる場合は、どのようなことが起こっているのでしょう。そのことをまず自覚する必要があるでしょう。聞こえない子どもが、3メートルも離れた所にいる時、お母さんとお父さんが話している会話はまず耳からは入らないでしょう。また、テレビを見ながら、ゲームをしながら聞いている「・・ながら聞き」も聞こえる子は自然にやってのけているわけですが、聞こえない子にとってそれは難しいことです。また、家族が同じ部屋の中のあちこちにいて、音声言語がとびかう会話の中で、今お母さんがしゃべった、それに対してお兄ちゃんが応えた、次にお父さんがなんか言っているなどという、声を聞き分け、どんな会話が繰り広げられているかを知ることは、聞こえない子にとっては難しいことです。こうしたことが、家族の中で理解されず、配慮されないままに育った時に「お茶の間の孤独」ということが言われるようになるわけです。聞こえる立場の人が、聞こえない子どものこうした立場を気づいたり、理解したりすることは簡単なようで実はなかなか難しいことです。とくに昨今は人工内耳が普及し、2,3人の会話の中で音声言語で会話が成立するようになると、ますます情報が落ちていることが見えにくくなります。ですから、お子さんが幼ない時に、ご両親にしっかりとこの意味を理解してもらうことが大切だと思います。それが真の意味での家族の幸せ、聞こない子どもにとっては家族の中に居場所があり、自分が愛され尊重されていること、そして周りへの信頼感や積極的にかかわっていく意欲、自分自身を肯定する気持ちを育てることにつながるでしょうし、子ども自身の豊かな知識・情報の獲得を保障することにもつながるのではないかと思います。

まずは私たちもデフファミリーと同じように、きこえる家族の中でも手話をつけながら皆で会話する習慣、手話で色々な話ができるよう力をつけることが大切です。デフファミリーのようにはならなくても、少しずつ、長期計画で家族皆で育ちあえばいいと思います。見えにくい心の育ち、心のあり方にかかわる問題であるだけに、聞こえる立場の者からはなかなか気づいてあげられないかもしれませんが、きこえない子たちが大好きな家族の中でさびしさやあきらめを感じないよう、また豊かな知識が身につくよう、聴こえない乳幼児を持つ親御さんたちには今から少しずつ準備していっていただきたく思います。

 昨秋、福岡県の久留米聴覚特別支援学校で九州地区の聾教育研究会が開かれました。当日の朝、西鉄久留米駅から学校の方に向かうバスの中は、通勤・通学の人たちに交じって研究会に向かう先生方もたくさん乗っていて、私もその一人でした。そのバスには通学時間帯と重なっていたこともあって、何人かのきこえない中学生が乗っていました。きこえない中学生だということは補聴器を見ればすぐにわかります。中学生の多くはスマホを見たり友達と手話で会話していましたが、なかに一人だけ文庫本に目を落としている男子生徒がいました。最近は大人も子どもも一億総スマホの時代ですから、日本中どこに行っても電車やバスの中では皆スマホです。正直、少し驚きました。バスが学校前の停留所に止まると、その生徒はバスの運転手さんに「ありがとうございました」ときちんと挨拶をして降りていき、今どき珍しく礼儀正しい生徒だなと思いました。

 そのあとでわかったのですが、その生徒は久留米市の弁論大会に出場し、優秀賞を受賞したということでした。その内容は、あいさつが人との関係を築くうえにどんなに大切なことか通学途上での自分の体験から気づいたという内容です。

 

 話が少し飛びますが、聴覚障害者を雇用する企業側から指摘されることの中に、「あい

企業側からみた問題点.jpgさつができない」とか「敬語が使えない」などの社会人としてもっていなければならない基本的な姿勢・態度が身についていないということがあります。きこえる・きこえないにかかわらずきちんとあいさつができるということは一社会人として大切なことですから、きこえないから仕方がない、では済まされないことですが、家庭でも学校でもこのような基本的な生活習慣・態度形成がしっかりとなされていなかったということになるでしょう。

 また、きこえない人がきこえる人と一緒に仕事をするときに必ず直面するのがコミュニケーションの問題です。多少「聞き取れたり」「話せたり」できても、雑談なら「聞き間違いだった」で済みますが、仕事上の聞き間違いは許されませんから、そのために心得ておくことがいくつかあります。

仕事に大切なこと.jpgそのひとつは自分の「きこえなさ・きこえにくさ」を隠さないで周りの人に伝えることです(障害の自己開示)。そのためには自分自身の障害をきちんと肯定できていることが必要です。これは意外と難しいです。周りが「きこえたほうがいい」という価値観の元で育つと特にです。

もう一つは情報保障を依頼することです。これも「自分はきこえているから必要ない」と思っていると相手にきちんと伝えることができませんし、ふだんからよい人間関係がつくられていないと頼みづらいものです。では、よい人間関係をつくるためには何が大切でしょうか? その第一歩はまずあいさつをすることではないでしょうか? あいさつは相手の人への敬意です。その大切さに彼は気づいたわけです。以下に、本人・ご家族の了解を得て作文の全文を紹介します。


     「あいさつ」は魔法の言葉    

      久留米聴覚特別支援学校中学部三年 石河 大地

 

みなさんは、あいさつは何のためにするのだと思いますか。僕は、お互いに気持ちが良いからするのだと思っていました。しかし、本当にそれだけでしょうか。僕は、駅員さんとの交流を通して、そのもう一つの理由を見つけることができました。

僕は、3歳の頃に耳に障がいがあることが判明し、久留米聴覚特別支援学校に入学しました。登校にあたっては、小学三年生までは親に車で送ってもらい、四年生から一人で電車通学するようになりました。初めは、電車内でのマナーなど、知らないことだらけで大変でしたが、毎日通ううちに、少しずつ慣れていきました。

そんなある日、母からこんなことを言われました。「きちんと駅員さんにあいさつしないといけないよ。」

しかし、その言葉は僕にはピンとこないものでした。なぜなら、当時の僕は、聞こえる人、つまり「聴者」の話は親に通訳してもらわなければ分からず、また、自分の発音も分かってもらえなかったため、コミュニケーションが成り立たないことが多かったので、面倒くさいな、恥ずかしいな、という思いから、親戚などの聴者に自分から話しかけることがなく、ましてや他人である駅員さんにあいさつなんて、全然する気がなかったからです。

ところがそれを母に伝えると、「声に出してあいさつするのが恥ずかしいのなら、せめて目を合わせて会釈するぐらいはしなさい。」と叱られました。それで、仕方なくやるようになったのです。しかし、なぜあいさつをしなければならないのかという理由についてまでは考えていませんでした。後々、母に尋ねてみると、「駅員さんは、みんなが安全に通勤・通学できるように見守ってくださっているのだから、あいさつはきちんとしてほしかった。」とのことでした。そして今僕は、母からの教えを守ってあいさつを続けてきて、本当に良かったと実感しています。

あいさつを始めたばかりの頃は、駅員さんとしぶしぶ目を合わせて会釈をし、さっと通り過ぎるような日々を送っていました。しかし、毎日顔を合わせて会釈をすることで、駅員さんの顔を覚えていくようになり、駅員さんに親近感をもつようになっていきました。五年生になる頃には恥ずかしさもなくなり、ただ会釈をするだけではなく、声に出してあいさつするようになっていきました。そんな積み重ねの中で、僕のことを知ってくださる駅員さんが増え、電車が遅れる時などには、口をゆっくり動かしたり紙に書いたりして理由を伝えてくださるようになっていきました。中学生になる頃には、部活や休日の過ごし方などについて話をするまでになっていきました。もちろん、口話での会話なので、おっしゃっていることが分からないこともよくありますが、あいさつだけの関係が、会話をするまでの関係に変化しました。

そしてそんなある日、一人の駅員さんが手話で「おはよう」と「こんばんは」のあいさつをしてくださったのです。僕は、本当に涙が出るほど嬉しかったです。また、あいさつをすることで、自分が聞こえないということをアピールできるんだなと感じました。

僕が社会で生きていくためには、手話や筆談、字幕などの目に見える情報保障が不可欠です。そしてそれには人の助けが必要です。だからこそ、僕が聞こえないということを、より多くの人々に知ってもらう必要があります。あいさつをする、しないかで僕の人生は大きく変わりました。だからあいさつは僕にとって、人とコミュニケーションをとるきっかけとなり、そこから会話が始められる魔法の言葉です。だからこそ、これから社会人になっても、あいさつをする習慣を続けていきたいと思っています。

みなさんも、周りの人に「あいさつ」という魔法の言葉を使って、人間関係を広げてみませんか。  


以上、読んでいてとてもうれしく、またすがすがしい気持ちになる文章です。彼は社会人になってもきっと周りから可愛がられ、きちんと仕事ができる人になっていくだろうと思います。その日がくることを楽しみにしています。(木島記)

こえるお母さんがきこえない子どもを産んだ時、多くのお母さん方は嘆き悲しまれたに違いありません。それは、そのお母さんがきこえることが「ふつう」のことであり、聴こえない子という「ふつうではない」子どもを産んだことへの悔い、落胆、悲しみの気持ちなのだろうと思います。

しかし、「ふつう」という価値観は人によってその規準とするところは異なります。その証拠にきこえないお母さん方の多くは、きこえない子を産んだ時、喜ぶ人が多いということからそう言えると思います。きこえない人にとっては、「きこえないこと」は「ふつう」のことなのです。おそらく、生まれついたときから「きこえない子・人」として長い年月を生きてきて、「きこえないこと」は特段「異常」なことでもマイナスとみなすことでもなく、「ふつう」のことと思えるようになったということなのでしょう。

 そう考えると、「きこえないこと」は「ふつうじゃない」から少しでも「ふつう」に近づくように、「きこえる」ようにしようという判断が唯一正しいとは限らないということになります。例えば人工内耳をしようかどうかさんざん悩み迷った挙句、このままでいいと思って育てた子が大きくなって、「ぼくは産まれたときからのこのぼくが好き」と思う子に育つ、ということは実際には多いのです。きこえない自分はいやだと思っている聴覚障害者・聾者は、成長の過程で一度はそう思う時はあっても、最終的に二十歳の成人式を迎える頃には自己肯定感をもった立派な聴覚障害青年に育ちます。ですから「きこえない」ままに育ってもそれはそれで間違った選択とは言えないと思うのです。なにがなんでも新スクで早期発見して1歳までに人工内耳をやって・・という耳鼻科のお医者さんには、もうちょっときこえないままに成人した人たちがどう育っているのかをみてほしいなと思います。

 

前置きが長くなりましたが、以下の作文は、普通小学校難聴学級に通う6年生の難聴児の作文です。区の作文のコンクールで優秀賞をもらったそうです。彼は、自分が「普通」

補聴器.jpgのサムネール画像とは違う「聴覚障害をもった子ども」として生きてきました。その過程で友達ともいろいろなことがあったかもしれません。しかし前向きに、自分の障害について自分の中で一生懸命考えてきました。そして、人はみな一人一人違っていいんだということ、「普通」という概念はそれぞれ人によって違い、一人一人みな違うからこそ、それぞれにとっての「普通」をお互いに認め尊重することが大事なんだという考えに辿り着きます。このような障害認識に一人で思考し辿り着いたわけです。そして、彼は、最後にこう言い切ります。

「僕には僕の、普通があります。そして、あなたには、あなたの普通がある。一人一人を大切にするとは、互いを尊重し合うとは、その普通を認め合うことだと思います。誰もが互いを認め合える世の中を、これから僕達が築いていかなければならないのです。」

う~ん、すごいです。本当に感動しました。この少年のことばを、耳鼻科の先生方はじめ色々な方々にもぜひ知ってもらいたいと思い、以下に、作文を原文のまま引用します。なお、この作文が、大人の手が一切入っていないことは読んでみればすぐにわかります。子どもらしい表現がそのまま残されているからです。しかし、こうした表現を含めてこれがこの少年そのものであり、それをそのまままるごと尊重してコンクールに応募したということが、この作文のもう一つの大切な意味なのだと思います。

 

「普通とは何か」

 松本直汰郎

普通とは、何なのでしょう。

異常が無いこと。

良くも悪くもないこと。

平凡であること。

普通とは、とても難しい言葉だと思います。

なぜ、僕がこんなに深く考える必要があるのか。それは僕が「耳が聞こえにくい」障害者であり、自分を普通でないと考えていたからです。僕は、自分が他人と違うということを幼いころから薄々分かっていました。しかしながら、最近は、補聴器をつける自分がどこか気に入らないのです。それはきっと、見た目の問題だと思います。補聴器の性能はとても優秀で、性能自体には何の文句もありません。しかし、その形はというと、耳の形に合わせてくるんとカーブした、何とも言えない形です。初めて補聴器を見た人が「なんだろう?」と首をかしげたり、耳の形をちらちらと見たりするのも納得できます。僕は、補聴器をつけることについて、この頃から不安を感じるようになりました。しかし、「見た目が悪い」という程度の理由で外してしまうわけにはいきません。補聴器は、僕にとって必要不可欠なものだからです。僕は、自分が「普通ではない」ことを実感するとともに、そんな自分を情けなく思うようになりました。

 そんな時、ふと頭に浮かんだのは、

「みんなちがってみんないい。」

金子みすゞさんの詩の言葉です。「私と小鳥と鈴と」の詩は、それぞれの個性を認め合うすばらしさがうたわれています。これです。その時の僕は、この詩の言葉がスッと心に入ってくるように感じました。自分を他人と比較してしまう自分にも、大きな原因があると気付いたのです。「人と人は、それぞれに良さがあって、欠点も必ずある。それぞれの個性を大切にするべきだ。」こんな簡単な、こんな当たり前のことさえも、僕は忘れていたのです。

 金子みすゞさんの言葉で、僕は大切なことを思い出し、その考えを改めることができました。そして、僕がこだわっていた「普通」のおそろしさについて考えるようになりました。

 「あの人は普通じゃない」

 「普通ならもっとできるはず」

 「きみって普通だね」

この三つの言葉を、あなたならどう受け止めますか。もちろん、人によって感じ方は異なると思いますが、これらの言葉をうれしいと受け止める人はいないでしょう。これらの言葉は全て、人を傷つける可能性があると僕は思うのです。言葉というものはおそろしいものです。人を優しく包み込むこともあれば、絶望させ、恐怖のどん底に突き落とすこともあります。

大げさかもしれませんが、さりげなく言ったその一言で、相手は計り知れないダメージを受けるかもしれないのです。

 こんな事例を耳ににしたこともあります。

「あの子は普通じゃなかったから、興味本位でちょっといじめてみた。」いじめはどれも悪ですが、人の個性を踏みにじるようないじめ、人格を否定するようないじめは、絶対にしてはいけません。こんないじめが早くなくなることを願うばかりです。

 普通という言葉を辞書で引くと、「ほかと比べて、特に変わっていないこと」と記してあります。しかし、今の僕が「普通」について解釈するとしたら、こうでしょう。

「普通とは、人によって基準が異なるため、どれが正当であると言い切ることはできない。人によって普通が異なるということは、すなわち個性があるこということ。」

 僕がこだわっていた普通について、一つの結論が出たような気がします。僕は自分と、僕にとっての普通を大切に、これからも胸をはって生きていきたいです。

 補聴器は、眼鏡やコートと同じなのです。寒い時にコートを着るように、聞こえにくいから補聴器を使う。見えにくい時に眼鏡をかけるように、聞き取りにくいから、補聴器をつける。補聴器をつけることは、決しておかしいことではないのだと、やっと分かりました。

 僕には僕の、普通があります。そして、あなたには、あなたの普通がある。一人一人を大切にするとは、互いを尊重し合うとは、その普通を認め合うことだと思います。誰もが互いを認め合える世の中を、これから僕達が築いていかなければならないのです。

先日、ある聾学校高等部の授業を見せていただく機会がありました。自立活動の授業でテーマは「自分史」。自分のこれまでの生い立ちを振り返り、「自分」について考える授業です。徒は高等部普通科3年生(高度難聴・男子)と同2年生(人工内耳装用・女子)の二人。二人とも大学進学をめざしています。その日の授業は、「自分はどうやって言葉を身につけてきたのか」を考えるというもの。

 事前に授業者の先生から保護者に連絡し、保護者は我が子の障害がわかったときのショック、どのようにきこえない子を育ててよいのか戸惑いと不安、聾学校を紹介されて教育相談に通い少しずつ立ち直り始めたこと、子どもに言葉(音声日本語)を教えようと毎日が必死だったことなどを手記にしたため、担当の先生に渡してあります。

 その保護者の手記を、その日の授業で初めて本人たちに渡して授業は始まりました。二人の生徒は渡された手記を真剣なまなざしで読んでいましたが、そのうち二人とも目が少し赤くなってくるのがわかりました。自分を育ててくれた親の思いに熱いものが込み上げてきたのでしょう。

そして、顔を上げた3年生の男子はことばを選びながら「胸をえぐられる思いがした」と語りました。二年生の女子のほうは、まだ自分の思いをどう表現してよいのか言葉が見つからないようでしたが、いろいろと感じているものがあったのがわかりました。

今回の授業は、まずは親の手記を読んでの自分の感じたことを話すことで、それ以上に本人たちの内面に深くは立ち入りませんでしたが、これからそれぞれに自分が感じたこと思ったことを言語化し、互いに共有し深めていくことで、自分自身について、また、自分がどのようにことばというものを習得していったのかを考えていくのだろうと思います。

最後に見学者として感想を求められ、私は一度きいてみたかった質問を単刀直入に彼らにしてみました。「君は、もし、きこえないことが治る薬があったら、その薬を飲みますか?」。かれらの答えはこうでした。

高2女子「私は飲まないと思う。」

高3男子「ぼくも飲まないと思う。」

そこで私は女子生徒に再度、質問しました。「君は小学校・中学校と普通の学校に通った。でも、そこで本当に分かり合える友達はいなかった。ときにいろいろな誤解を受け、トラブルになった経験もしてきた。それで聾学校にかわってきたんだよね。でも、もし君がきこえる人であったのなら、そんなつらい経験をしなくてすんだのではないの?」

 女子生徒は、いろいろと思い出すこともあったのか少し目を赤くしながら「・・・でも、やっぱり飲まないと思う。・・・」と応えました。

 一方、男子生徒のほうは次のように応えました。

「中学生の頃、聴者になれたらいいなと思ったことがあった。でも、今はそうは思わない。もし、薬を飲んだら、これまでの自分が自分でなくなってしまう気がする。僕は僕でいたいと思うから・・」

 ずしりと重い言葉でした。私の中にも熱い思いがこみ上げてきました。きこえない子どもたちは、きこえる人が圧倒的な数を占めるこの社会の中で、いつも「きこえないことの不便さ・不利さ」を感じて生きています。ですから、人生のどこかで、かなわないとは知りながら、一度は「きこえる人になれたら・・」という思いを抱きます。


このことばを聞いて、私は、20年前の聾学校小学部高学年での自立活動の授業でのやりとりを思い出しました。1998年9月。まだ暑さの残る日でした。

・・・私は授業者として子どもたちに問いかけました。「君たちは今、自分がきこえないということをどう思ってる?」 

子どもたちの応えはこうでした。

A男(難聴)「ぼくは少し聴こえる。難聴だ」

B子(聾)「私は聾。難聴の人がうらやましい」 

私「どうして、難聴者がうらやましいの?」

B子(聾)「電話ができるし、テレビもわかる。」

私「でも、今は携帯でメールもできるし、テレビも字幕がつくよね。」

A男(難聴)「それに、テレビは(家族に)通訳してもらえばいいよ。」

B子(聾)「字幕の番組は少ない。親は時々通訳してくれるけど難しい場面は無理。それに・・・A男は先生と口だけで話せる。楽しそう。」

 このことばをきいて私はハッとしました。「きこえる方がいいのだ」という思いを抱かせてしまっている私自身を恥ずかしく思いました。B子が横から見ている時に、A男と口だけでペラペラとしゃべって、楽しそうに笑いあったこと。B子が見ていることに気づいていなかったのでした。なぜ、B子がいるのに、B子が横から見てもわかるように私は手話を併用しなかったのか。これではきこえないことが不利にならない社会を築くなんてできない。きこえない子が「きこえたほうがいい」と思ってしまう状況を自ら作り出しているのでした。


こうした私自身の体験を思い出しながら、高等部の授業の最後にこう言いました。

「〇〇君は聴者になりたいと思うときがあったんだね。でも、今は自分がきこえない自分でいることをうけとめている。それはほんとにすごいなって思う。でも、そうだったなら君はきこえない自分の言葉である手話をもっと自信をもって使うといいと思うよ。」

 私が気になっていたのは、彼の使う手話が音声言語の周りの人たち(見学者2名を含めて)に合わせてどことなく遠慮がちであったことと、人工内耳の女子が口だけでしゃべってしまうことに対して、「わからないから手話を使って」とか「手話通訳をしてほしい」と聴者の先生に言わなかった(言えなかった?)ことです。しかし、その女子が口だけで発表しているとき、私が横から通訳している手話をちらちらとみていましたから女子が発表する内容を彼は知りたかったはずです。

「きこえる人ときこえない人がいるとき、お互いに理解しあおうと思ったら、お互い100%わかりあえるコミュニケーション手段がないと話題は共有できないよね。だから口話だけでなく手話も同時に必要。その意味をこれからも考えていきましょう。それから〇〇さん(女子)もぜひ手話を覚えてください。きこえない人同士が分かり合うためには絶対に手話は必要ですね。〇〇君はわかるときはわかる、わからないときはわからないと言えるといいですね。でも難しいよね。話の腰を折るんじゃないかと気を遣うだろうし。そういうときは、ここまでは自分はこう理解した、でもここから先はわからなかった、と具体的に伝えるといいよね。相手もああ、そこまではわかってくれたんだとわかるし、話しもしやすい。そういう相手への配慮や工夫も大事ですね。」

 高三の男子は某国立大学で特別支援教育を学びたいと、今年、推薦入試を受けるのだそうです。「ぜひ合格してほしい。いい知らせを待っています。がんばってね!」とエールを送りつつこの聾学校をあとにしました。田舎町の小さな聾学校。先生一人と生徒二人だけの授業。でも熱くて心揺さぶられる授業した。

 

 以前にも紹介した聾写真家の齋藤陽道(はるみち)さん(石神井聾学校卒・35歳)が、『暮らしの手帖』(20198月号)に写真&エッセーの連載を始めた。味わい深い文章なので紹介したい。

 それにしても「よっちぼっち」とはどういう意味なのだろう? 陽道さんは次のように書いている。

暮らしの手帖表紙.jpg

「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営んできた。そこにまた、ふたつのひとりぼっちがやってきた。よっつのぼっちが集まってなんていうのか知らないけれど、響き的に「よっちぼっち」という感じかなあ。」(67頁)

 

 陽道さんは今、四人家族で暮らしている。陽道さん、妻のまなみさん(33歳)、いつきちゃん(3歳?)、ほとりちゃん(0歳)。夫婦は聾者で二人の子どもは聴児だ(いわゆるCODA=聾両親のもとに生まれた聴者)。陽道さん自身は聴両親に育てられた聾児だから、ちょうど逆のパターン。


以前にこのブログで陽道さんの著書『声めぐり』(2018,晶文社)を紹介したが、彼は口話法教育の中で「ことば」の獲得に絶望し、深い孤独を抱えて生きていく。しかし聾学校高等部に入学し、そこで手話に出会い、教師に出会い、友と出会って、人と人とが真につながりあえる「ことば」を回復していく。その「ことば」は手話であった。そして、同じ聾学校の後輩のまなみさんと5年間の同棲生活を経て2011年の年末に結婚する。なぜ同棲生活に終止符を打ったのか?その直接的な理由は、3.11東日本大震災で聾者が置かれた状況を知り、「自分たちの身体にまつわる孤独の深さを痛感したこと」(67)である。

そして「覚悟を持って共に暮らすことを決めた」のだという。「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営」むことにしたわけである。


その後、32歳の時に最初の子を授かり、さらに3年後に二人目を授かった。二人ともきこえる子であった。つまり、二人の子どもにとっての本来の「自分のことば」は音声言語。彼が小・中学生の頃に絶望したことば(音声言語)を、いまわが子が「自分のことば」として育とうとしていることになる。同じ家族でありながら、親にとっての「自分のことば」は手話、子にとっての「自分のことば」は音声日本語。このままでは親子は通じ合えないから、どちらかの言語を使うしかない。


きこえる親の元に生まれたきこえない陽道さんは、書記日本語(書き言葉)はこの高い文章力からもわかるように確かに「自分のことば」の一つであろうが、音声日本語(話し言葉)は他者と通じ合えることばとはならず、その意味では「自分のことば」ではない。ここに聾両親のもとに生まれたCODAの複雑な事情がある。

暮らしの手帳.jpgのサムネール画像CODAの人たちのなかには、手話を第一言語としてまず育ち、その後音声日本語を並行して獲得する人(両親共聾者の場合が多い)と、最初から音声日本語を第一言語として育ち、手話を全くあるいはほとんど知らないという人たちがいる(口話がある程度できる難聴両親の場合など)。陽道んは聾だから、手話を使って育てているのではないかと想像するが、そうすると子どもたちの日本語獲得は別の聴者にゆだねることになる。

また、陽道さんは、聾でありながら音声言語を強いられて育った苦い経験から、逆の立場に立った今、聴児であるわが子に最初から手話を強いてよいのかという心の痛みをどこかで感じているのだろうか?だから「家族という言葉で安易に同一化することはお互いの違いについて考える機会を減らしてしまう」(67頁)と言っているように思う。「血縁」とか「家族」ということばだけでくくり切れない「身体にまつわる孤独の深さ」がそこに厳然としてある、ということなのだろう。


周りが聴者という親子・家族の中で、聾である自分が愛されて育ってきたのだということを理解しつつも、なおかつ簡単には超えられない「身体にまつわる孤独の深さ」をどこかで感じ続けながら生きてきて、そしていま、今度は自分が親という立場になり、わが子が聴者という関係性の中で、「家族」というひと言ではくくり切れないものを感じているのではなかろうか。だから、「お互いに、孤独を抱えて歩む『ひとりぼっち』であることをわきまえながら、そこを越えてかかわりあおうとする意志を持たなくてはならないと思っている。そうした『かかわりあい』にこそ、人間のすばらしき力が宿るのだろう。」(67頁)と言うのだろう。


―「よっちぼっち」。ひとつの家族の中で身を寄せ合って生きていながら、それぞれが血縁とか障害とか性別といった「身体にまつわる孤独の深さ」をもって同じ空間で生きているということ。その意味の深さと生き合うことの難しさを表現することばだと思った。



 先日、こんな話をきいた。

ある聾学校の乳幼児相談に来談している1歳の子が、大学病院の聴力検査で90dB以上と言われ、人工内耳を勧められた。聾学校乳幼児相談担当の先生のBOACORからの判断は70dB である。何度か確認したのち、大学病院に検査の結果を添付して手紙を書いた。そうしたら今度は大学病院の方で、その保護者は「70dB 台だから手話を使う必要はない。聾学校の相談に行く必要はない」と言われたという。まさか最初から70dB台とわかっていて人工内耳を勧めたわけではないと思うが、そうでないとしたら、検査結果に信ぴょう性がうすいということになり、それはそれで大学病院としての専門性が問われる。しかも、70dB 台だから手話は必要ないというのは、いったいどういう根拠なのだろうか?

 

人工内耳や軽中度難聴の子の聴力検査をやっていると、防音装置が施された静かな聴力検査室では、補聴器や人工内耳を装用して20dBくらいの小さな音に「聴こえる!」と反応することが少なくない。傍で見ている保護者は「うちの子、この音が聞こえるんだ!」と驚く。しかし、日常の生活環境下では聴力検査室ほどの静かな環境などほとんど存在しない。とくに幼稚園とか保育園といった幼児が自由に会話している教室内では、騒音を測定すると80dBを下がることは少ない。このような多方向から音声が飛び交う中での難聴児のききとりの難しさ、複数での会話や離れたところから音声が投げかけられた時のききとりの困難さなどはなかなかイメージできない。それは保護者だけでなく、病院の医師やSTも現場に足を運んでいなければ同じである。

聴力がよいと「こんなによくきこえているんだから...こんなにきれいに話せるんだから...普通の学校で大丈夫」と言う人たちが多いが、しかし実際には、重度難聴児だけでなく軽中度や人工内耳の子どもたちにとっても騒音下でのききとりは難しい。聴者は騒音下でも少し離れた所から自分の名前がきこえたりすると「えっ?自分のこと?」ときき耳をそばだてたりできるが(カクテルパーティー効果)、このような選択的な聴取は、感音性の難聴児には難しい。相手の話し方、距離、そして騒音の有無といった状況や場によってきこえが大きく左右されるということを知っていないと、そのための配慮や支援も得にくくなる。「ああ、あの難聴の子ですね。あの子は大丈夫です。それより発達障害の子のほうに支援が必要なんですよね。」普通学校に見学に行くと、先生方はこのように言われることも多い。

本人にしてみれば、補聴器や人工内耳を通してきこえているのだが、聴者の0dBの聞こえとは違う聞こえ方だということ、それはどこが違うのかというのが本人たちにもよくわからない。だから、自分はきこえている人間なのか、きこえにくい人間なのか、きこえない人間なのかがわからない。聴者の世界で育つことが多いのが軽中度難聴や人工内耳の子たち。そうすると、手話に触れることがない。同じ障害を持った仲間との出会いがないまま育ってしまうことが多い。難聴学級が固定学級でそこで集団が作れるところはまだよいが、小さい時からそういった場所がないと自分の居場所が見つけにくい。自分はどこで安心できるのか、多数の聴者の中では、沢山の不利益に出会い、「やっぱりきこえた方がいい」と思わさせるのが現実である。そうすると、自分で自分のことを「いいな」とはなかなか思えない。こういったことが軽中度難聴や人工内耳の子たちの問題としてあるということを知っておく必要がある。

 

さて、以下は、ある幼児の保護者からいただいたメールである。聾学校幼稚部に通う年長児だが4月からは普通小学校に通うという。人工内耳を装用していてきこえる人とは音声言語で、きこえない子同士では手話を使っている。

 

「今日は、Aの歯科検診にいきました。初対面の人と接するときは、まず初めに『ぼくは聞こえにくいから、目をみて話してください』など難聴であることを伝える練習を積んできました。今日『お医者さんに、きこえにくいこと、伝えようね。』というと、Aは『聞こえにくいじゃなくて聾者だから、と言ってもいい?』と聞いてきました。『だってぼくは、聾者でしょ。だから、聾者っていうよ』と。『もちろんいいよ』と応えました。Aは、自分の言葉でお医者さんに説明していました。その姿に成長を感じ胸がいっぱいになりました。

なぜ急に、聾者といったのかと考えてみました。数日前に斎藤陽道さんの写真集を見せたからかもしれません。『この人は、聾者なんだよ。小さいとき発音訓練に通ってたんだって』と私が言うと、『ぼくと一緒だ!ぼくも通ってる!とハッとした表情になりました。『そうだね。でも、この人はね、発声はできるようになったけど、今は補聴器はずして手話とか筆談でお話ししてるんだって。』と言うとさらに驚いていました。『いろんな人がいるんだよ。だから、Aももしかしたら人工内耳外して生きていくかもしれないし、発音うまくなったけど声出さないって将来思うかもしれない。それはそれでいいと思う。何が幸せかは人によって違うからね。Aが幸せって思う方を自分で決めたらいい』というと、わかったようなわからないような表情で聞いていました。その時に『耳が聞こえない人のこと、聾者っていうんだよ』と説明すると、『え、じゃあ僕も聾者だ』。『Aも聾者だね。誇りを持って聾者として生きていってる人がいるのよ』と話したことが、Aの心に残っていたんだと思います。Aが年少の頃、生まれたばかりの下の子がきこえる子だということを知り、家族の中で自分だけが聞こえないということに、悔しくてどうしようもないというふうに、体全体を使って泣きじゃくっていましたが、いまは、自分のことを受け入れたような感じがします。

 難聴学級があるとはいえ、小学校はきこえる子に囲まれてきっとまた悩むことがあると思います。小学校で聴者の世界に出て、思春期の多感な時期、今度は聞こえない仲間のいる学校に身をおくという選択もいいのかもしれません。まあ、まだまだ気が早い話しですが。・・・」

 

 これを読んで、米国に渡った大谷翔平選手ではないが「二刀流」ということばが浮かんだ。人工内耳も手話も使いこなす二刀流の子どもたち。これからはこんな子たちが出てくる時代なのかもしれないなと。 

桜の花の咲く季節になった。これから何度、私自身、桜の花を見る時期を迎えられるだろうか?と自分の歳を気にしつつ、このお子さんのこれからの成長をさらに見守っていきたいと思う。そして、門出のことばを贈りたい。 

「人生を楽しむために手話を!人生を闘うために日本語を!」

二つのかけがえのないことばを大切にして生きていってほしいと思う。

 『声めぐり』の紹介をしたら、早速、こんなブログやサイトにも『声めぐり』のことが紹介されていますよ、こういう情報もありますよ、といったメールをいただきました。以下に紹介しますので、ご覧ください。

 

①下記のブログは、北九州の臨床心理士兼手話通訳をしておられる方のものです。

https://menomado.hatenadiary.com/entry/2018/11/19/100533

 

②下記のニュースサイトのインタビュー記事は、難聴のインタビュアーの方が書かれたものです。

 https://withnews.jp/article/f0190130001qq000000000000000W09810801qq000018686A?ref=rensaiunder

 

③来年の322日になりますが(念のため来年・2020年です)、久留米市にあるNPO法人「かいじゅうの森」では、齋藤陽道さんを招いて講演会を開催、その後数日間写真展を開くそうです。HPは下記ですが、まだ紹介は出ていません。

 http://www.geocities.jp/kotobanomori_kurume/

 

 

 『声めぐり』の著者齋藤陽道(はるみち)さんは、2歳で聴覚障害が発見され、以来、地域の難聴児通園施設に通い、厳しい発音指導を受けて育った。しかし、ことば(=「声」)というものが、本来、人とつながり、互いに理解し伝え合うためにあるという本質的な意味を見いだすことができないままに育っていった。彼は本の中でこう述べている。

 

「『口の形が違う。舌の位置が違う。息の吹き方が違う。息を吐く力が違う。喉の震えが違う。何? その声。全然、違うよ。舌をもっと曲げて。口の中を見て。もっと息を短く吐いて。ああ、違う。もうちょっと長く吐くの。・・・』」(15頁)

 聞き取れない自分の音声を「他者の耳にゆだねるということ、そして、他者の耳によって自分の声の良し悪しを決定され続けるということ。それは結果として、自分で考えて、判断する力を殺してしまうことにつながっていた」(16頁)。 

こうして彼は、自分が他者に向かって声を出せば出すほど、「自分が分裂し他者との断絶が深まり、・・・『声』は人との関わりを断つもの」(20頁)と思うようになっていく。

「この社会は、音声を聞くこと、話すことからすべてが始まる。上手く音声を扱えるかどうかで将来が決まるものだと思っていた。・・・ぼくの人生は失敗していた。それはもう変えようがないことなんだと絶望していた。」(20頁)。

 自分の人生に絶望すれば人生は苦痛でしかない。小学校高学年から彼は毎日ゲームにふけるようになった。こうして退屈な数年が過ぎていく。中学生となり高校を選ぶ頃になって、彼は自分の中にある孤独を見つめなおす。その時、「初めて『生きたい』」(21頁)と思ったという。高校として選んだ先はろう学校高等部。しかし、積極的に生き直すために選んだわけではない。ろう学校は「声をまともに出すことができない人が使う」(21頁)手話の学校である。そこに行くのは「屈辱的」でしかなかった。しかし彼は敢えてろう学校を選んだ。その選択の経緯は詳しく述べられていないが、伏線はあった。 声めぐり.jpg

 

 中学の頃、年1回だけろう学校の生徒たちが陽道さんの通う中学校に交流に訪れた。その生徒たちを引率していた一人の女性教師がいた。その教師の名前は天沼陽子先生。天沼先生は、訪れる年1回の交流の日の朝、中学校の校門に立ち「おはよう!」と優しく、しかし力づよい眼差しで陽道に『声』をかけていたのだった。たった年1回の出会い。進路を考えるにあたって彼の意識の中にはなかったかもしれないが、彼女のまなざしは心の奥深くで彼自身を支え、無意識のうちにろう学校へと導かれていったのかもしれない。

 

 石神井ろう学校に入学した彼は、手話と出会い、手話ということば(=『声』)を通して語る仲間と出会い、天沼先生と出会い、天沼先生が受け持つ国語の授業を通して文学と出会い、そして、たまたま手にした当時流行っていた「写ルンです」というインスタントカメラを通して写真と出会う。こうした数多くの出会いを通して、彼は自分の中に秘められていた感受性、文学性、芸術性を開花させていく。・・・紹介はここまでにしておきたい。あとはぜひこの本を直接、手にとって読んでみてほしい。

 

 私にとってもこの本は衝撃的な本だった。彼は決して口話教育を否定しているわけではないが、感受性が強く、自分をごまかすことのできない性格の彼にとっては、とても耐えられない教育方法だったのであろう。彼の場合はたまたま、人と出会い手話と出会った。そして救われた。

 今、齋藤陽道さんは聾者の写真家として活躍している。写真展も時々開かれているようである。2019330日までは東京都人権プラザ(都営三田線芝公園下車)で写真展が開催されている。ぜひ、本を買ってあげてほしいし、写真展にも足を運んでほしい。文字通り「感動!」をくれる本であり写真展である。 障害を理解することから.jpg

 

 また、天沼陽子先生の齋藤陽道さんの指導実践は『障がいをもつ子どもを理解することから』(森博俊など編著、群青社、2592円)の中の「聴覚障害の子どもと向き合う教師の記録」に書かれている。この本と合わせて読むと、より理解が深まる。冒頭部分だけ紹介しておこう。

 

「ろう学校に入ってから手話に出会い、言葉と自分の感情が一致する感覚をつかんで自分を見つめ直し、それを文章にして語りながら考えを深め、5年間のろう学校生活の中で成長していった一人のきこえない青年、ハルミチ(35歳)がいる。彼はきこえる人として生きるために補聴器をつけ、発音の訓練を受けた後、小、中学校の9年間を通常学級にインテグレートして過ごした。しかし、音声日本語だけでは遂に人とつながることができなかった。・・・」(136頁)

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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