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難聴理解・障害認識

 昨秋、福岡県の久留米聴覚特別支援学校で九州地区の聾教育研究会が開かれました。当日の朝、西鉄久留米駅から学校の方に向かうバスの中は、通勤・通学の人たちに交じって研究会に向かう先生方もたくさん乗っていて、私もその一人でした。そのバスには通学時間帯と重なっていたこともあって、何人かのきこえない中学生が乗っていました。きこえない中学生だということは補聴器を見ればすぐにわかります。中学生の多くはスマホを見たり友達と手話で会話していましたが、なかに一人だけ文庫本に目を落としている男子生徒がいました。最近は大人も子どもも一億総スマホの時代ですから、日本中どこに行っても電車やバスの中では皆スマホです。正直、少し驚きました。バスが学校前の停留所に止まると、その生徒はバスの運転手さんに「ありがとうございました」ときちんと挨拶をして降りていき、今どき珍しく礼儀正しい生徒だなと思いました。

 そのあとでわかったのですが、その生徒は久留米市の弁論大会に出場し、優秀賞を受賞したということでした。その内容は、あいさつが人との関係を築くうえにどんなに大切なことか通学途上での自分の体験から気づいたという内容です。

 

 話が少し飛びますが、聴覚障害者を雇用する企業側から指摘されることの中に、「あい

企業側からみた問題点.jpgさつができない」とか「敬語が使えない」などの社会人としてもっていなければならない基本的な姿勢・態度が身についていないということがあります。きこえる・きこえないにかかわらずきちんとあいさつができるということは一社会人として大切なことですから、きこえないから仕方がない、では済まされないことですが、家庭でも学校でもこのような基本的な生活習慣・態度形成がしっかりとなされていなかったということになるでしょう。

 また、きこえない人がきこえる人と一緒に仕事をするときに必ず直面するのがコミュニケーションの問題です。多少「聞き取れたり」「話せたり」できても、雑談なら「聞き間違いだった」で済みますが、仕事上の聞き間違いは許されませんから、そのために心得ておくことがいくつかあります。

仕事に大切なこと.jpgそのひとつは自分の「きこえなさ・きこえにくさ」を隠さないで周りの人に伝えることです(障害の自己開示)。そのためには自分自身の障害をきちんと肯定できていることが必要です。これは意外と難しいです。周りが「きこえたほうがいい」という価値観の元で育つと特にです。

もう一つは情報保障を依頼することです。これも「自分はきこえているから必要ない」と思っていると相手にきちんと伝えることができませんし、ふだんからよい人間関係がつくられていないと頼みづらいものです。では、よい人間関係をつくるためには何が大切でしょうか? その第一歩はまずあいさつをすることではないでしょうか? あいさつは相手の人への敬意です。その大切さに彼は気づいたわけです。以下に、本人・ご家族の了解を得て作文の全文を紹介します。


     「あいさつ」は魔法の言葉    

      久留米聴覚特別支援学校中学部三年 石河 大地

 

みなさんは、あいさつは何のためにするのだと思いますか。僕は、お互いに気持ちが良いからするのだと思っていました。しかし、本当にそれだけでしょうか。僕は、駅員さんとの交流を通して、そのもう一つの理由を見つけることができました。

僕は、3歳の頃に耳に障がいがあることが判明し、久留米聴覚特別支援学校に入学しました。登校にあたっては、小学三年生までは親に車で送ってもらい、四年生から一人で電車通学するようになりました。初めは、電車内でのマナーなど、知らないことだらけで大変でしたが、毎日通ううちに、少しずつ慣れていきました。

そんなある日、母からこんなことを言われました。「きちんと駅員さんにあいさつしないといけないよ。」

しかし、その言葉は僕にはピンとこないものでした。なぜなら、当時の僕は、聞こえる人、つまり「聴者」の話は親に通訳してもらわなければ分からず、また、自分の発音も分かってもらえなかったため、コミュニケーションが成り立たないことが多かったので、面倒くさいな、恥ずかしいな、という思いから、親戚などの聴者に自分から話しかけることがなく、ましてや他人である駅員さんにあいさつなんて、全然する気がなかったからです。

ところがそれを母に伝えると、「声に出してあいさつするのが恥ずかしいのなら、せめて目を合わせて会釈するぐらいはしなさい。」と叱られました。それで、仕方なくやるようになったのです。しかし、なぜあいさつをしなければならないのかという理由についてまでは考えていませんでした。後々、母に尋ねてみると、「駅員さんは、みんなが安全に通勤・通学できるように見守ってくださっているのだから、あいさつはきちんとしてほしかった。」とのことでした。そして今僕は、母からの教えを守ってあいさつを続けてきて、本当に良かったと実感しています。

あいさつを始めたばかりの頃は、駅員さんとしぶしぶ目を合わせて会釈をし、さっと通り過ぎるような日々を送っていました。しかし、毎日顔を合わせて会釈をすることで、駅員さんの顔を覚えていくようになり、駅員さんに親近感をもつようになっていきました。五年生になる頃には恥ずかしさもなくなり、ただ会釈をするだけではなく、声に出してあいさつするようになっていきました。そんな積み重ねの中で、僕のことを知ってくださる駅員さんが増え、電車が遅れる時などには、口をゆっくり動かしたり紙に書いたりして理由を伝えてくださるようになっていきました。中学生になる頃には、部活や休日の過ごし方などについて話をするまでになっていきました。もちろん、口話での会話なので、おっしゃっていることが分からないこともよくありますが、あいさつだけの関係が、会話をするまでの関係に変化しました。

そしてそんなある日、一人の駅員さんが手話で「おはよう」と「こんばんは」のあいさつをしてくださったのです。僕は、本当に涙が出るほど嬉しかったです。また、あいさつをすることで、自分が聞こえないということをアピールできるんだなと感じました。

僕が社会で生きていくためには、手話や筆談、字幕などの目に見える情報保障が不可欠です。そしてそれには人の助けが必要です。だからこそ、僕が聞こえないということを、より多くの人々に知ってもらう必要があります。あいさつをする、しないかで僕の人生は大きく変わりました。だからあいさつは僕にとって、人とコミュニケーションをとるきっかけとなり、そこから会話が始められる魔法の言葉です。だからこそ、これから社会人になっても、あいさつをする習慣を続けていきたいと思っています。

みなさんも、周りの人に「あいさつ」という魔法の言葉を使って、人間関係を広げてみませんか。  


以上、読んでいてとてもうれしく、またすがすがしい気持ちになる文章です。彼は社会人になってもきっと周りから可愛がられ、きちんと仕事ができる人になっていくだろうと思います。その日がくることを楽しみにしています。(木島記)

こえるお母さんがきこえない子どもを産んだ時、多くのお母さん方は嘆き悲しまれたに違いありません。それは、そのお母さんがきこえることが「ふつう」のことであり、聴こえない子という「ふつうではない」子どもを産んだことへの悔い、落胆、悲しみの気持ちなのだろうと思います。

しかし、「ふつう」という価値観は人によってその規準とするところは異なります。その証拠にきこえないお母さん方の多くは、きこえない子を産んだ時、喜ぶ人が多いということからそう言えると思います。きこえない人にとっては、「きこえないこと」は「ふつう」のことなのです。おそらく、生まれついたときから「きこえない子・人」として長い年月を生きてきて、「きこえないこと」は特段「異常」なことでもマイナスとみなすことでもなく、「ふつう」のことと思えるようになったということなのでしょう。

 そう考えると、「きこえないこと」は「ふつうじゃない」から少しでも「ふつう」に近づくように、「きこえる」ようにしようという判断が唯一正しいとは限らないということになります。例えば人工内耳をしようかどうかさんざん悩み迷った挙句、このままでいいと思って育てた子が大きくなって、「ぼくは産まれたときからのこのぼくが好き」と思う子に育つ、ということは実際には多いのです。きこえない自分はいやだと思っている聴覚障害者・聾者は、成長の過程で一度はそう思う時はあっても、最終的に二十歳の成人式を迎える頃には自己肯定感をもった立派な聴覚障害青年に育ちます。ですから「きこえない」ままに育ってもそれはそれで間違った選択とは言えないと思うのです。なにがなんでも新スクで早期発見して1歳までに人工内耳をやって・・という耳鼻科のお医者さんには、もうちょっときこえないままに成人した人たちがどう育っているのかをみてほしいなと思います。

 

前置きが長くなりましたが、以下の作文は、普通小学校難聴学級に通う6年生の難聴児の作文です。区の作文のコンクールで優秀賞をもらったそうです。彼は、自分が「普通」

補聴器.jpgのサムネール画像とは違う「聴覚障害をもった子ども」として生きてきました。その過程で友達ともいろいろなことがあったかもしれません。しかし前向きに、自分の障害について自分の中で一生懸命考えてきました。そして、人はみな一人一人違っていいんだということ、「普通」という概念はそれぞれ人によって違い、一人一人みな違うからこそ、それぞれにとっての「普通」をお互いに認め尊重することが大事なんだという考えに辿り着きます。このような障害認識に一人で思考し辿り着いたわけです。そして、彼は、最後にこう言い切ります。

「僕には僕の、普通があります。そして、あなたには、あなたの普通がある。一人一人を大切にするとは、互いを尊重し合うとは、その普通を認め合うことだと思います。誰もが互いを認め合える世の中を、これから僕達が築いていかなければならないのです。」

う~ん、すごいです。本当に感動しました。この少年のことばを、耳鼻科の先生方はじめ色々な方々にもぜひ知ってもらいたいと思い、以下に、作文を原文のまま引用します。なお、この作文が、大人の手が一切入っていないことは読んでみればすぐにわかります。子どもらしい表現がそのまま残されているからです。しかし、こうした表現を含めてこれがこの少年そのものであり、それをそのまままるごと尊重してコンクールに応募したということが、この作文のもう一つの大切な意味なのだと思います。

 

「普通とは何か」

 松本直汰郎

普通とは、何なのでしょう。

異常が無いこと。

良くも悪くもないこと。

平凡であること。

普通とは、とても難しい言葉だと思います。

なぜ、僕がこんなに深く考える必要があるのか。それは僕が「耳が聞こえにくい」障害者であり、自分を普通でないと考えていたからです。僕は、自分が他人と違うということを幼いころから薄々分かっていました。しかしながら、最近は、補聴器をつける自分がどこか気に入らないのです。それはきっと、見た目の問題だと思います。補聴器の性能はとても優秀で、性能自体には何の文句もありません。しかし、その形はというと、耳の形に合わせてくるんとカーブした、何とも言えない形です。初めて補聴器を見た人が「なんだろう?」と首をかしげたり、耳の形をちらちらと見たりするのも納得できます。僕は、補聴器をつけることについて、この頃から不安を感じるようになりました。しかし、「見た目が悪い」という程度の理由で外してしまうわけにはいきません。補聴器は、僕にとって必要不可欠なものだからです。僕は、自分が「普通ではない」ことを実感するとともに、そんな自分を情けなく思うようになりました。

 そんな時、ふと頭に浮かんだのは、

「みんなちがってみんないい。」

金子みすゞさんの詩の言葉です。「私と小鳥と鈴と」の詩は、それぞれの個性を認め合うすばらしさがうたわれています。これです。その時の僕は、この詩の言葉がスッと心に入ってくるように感じました。自分を他人と比較してしまう自分にも、大きな原因があると気付いたのです。「人と人は、それぞれに良さがあって、欠点も必ずある。それぞれの個性を大切にするべきだ。」こんな簡単な、こんな当たり前のことさえも、僕は忘れていたのです。

 金子みすゞさんの言葉で、僕は大切なことを思い出し、その考えを改めることができました。そして、僕がこだわっていた「普通」のおそろしさについて考えるようになりました。

 「あの人は普通じゃない」

 「普通ならもっとできるはず」

 「きみって普通だね」

この三つの言葉を、あなたならどう受け止めますか。もちろん、人によって感じ方は異なると思いますが、これらの言葉をうれしいと受け止める人はいないでしょう。これらの言葉は全て、人を傷つける可能性があると僕は思うのです。言葉というものはおそろしいものです。人を優しく包み込むこともあれば、絶望させ、恐怖のどん底に突き落とすこともあります。

大げさかもしれませんが、さりげなく言ったその一言で、相手は計り知れないダメージを受けるかもしれないのです。

 こんな事例を耳ににしたこともあります。

「あの子は普通じゃなかったから、興味本位でちょっといじめてみた。」いじめはどれも悪ですが、人の個性を踏みにじるようないじめ、人格を否定するようないじめは、絶対にしてはいけません。こんないじめが早くなくなることを願うばかりです。

 普通という言葉を辞書で引くと、「ほかと比べて、特に変わっていないこと」と記してあります。しかし、今の僕が「普通」について解釈するとしたら、こうでしょう。

「普通とは、人によって基準が異なるため、どれが正当であると言い切ることはできない。人によって普通が異なるということは、すなわち個性があるこということ。」

 僕がこだわっていた普通について、一つの結論が出たような気がします。僕は自分と、僕にとっての普通を大切に、これからも胸をはって生きていきたいです。

 補聴器は、眼鏡やコートと同じなのです。寒い時にコートを着るように、聞こえにくいから補聴器を使う。見えにくい時に眼鏡をかけるように、聞き取りにくいから、補聴器をつける。補聴器をつけることは、決しておかしいことではないのだと、やっと分かりました。

 僕には僕の、普通があります。そして、あなたには、あなたの普通がある。一人一人を大切にするとは、互いを尊重し合うとは、その普通を認め合うことだと思います。誰もが互いを認め合える世の中を、これから僕達が築いていかなければならないのです。

 先日、聾学校、難聴学級、通常学級に通う子どもの保護者と教員、支援者が一堂に集まって話し合う年1回のイベントがK市で開かれました。そこでのパネルディスカッションで出されたのは、地域の学校に通っている子どもたちが必ずしも情報保障が十分とは言えない教育環境の下におかれている現状です。

例えば、地域の普通小学校に通っている子どもの保護者からは、「教室の席に配慮してほしい」とあらかじめ要望していたのに出席番号順で一番後ろの席になったとか、「指示などはできるだけ板書してほしい」と要望しても「30数人のクラスの児童をみているので無理」と断られたとか、「難聴理解授業をやらせてほしい」と要望してもなかなか受け入れてもらえなかったなどさまざまな問題点が出されていました。

また、通常学級の巡回訪問を実施しているSTの方からは、難聴の子どもたちは騒音状態の中に置かれていることが多く、グループ学習では子どもの発言はききとれず配慮もないこと、せっかく「ロジャー(FM波を利用した補聴援助機器)」を使っていてもグループ学習などでは有効に活用されていないこと、ききとれなかったりわからなかったりしても難聴児本人から「わからない」と言いにくい雰囲気があることなどが出されました。さらに、「ロールモデル」としての成人難聴・聾者に出会うチャンスがないことや多様な難聴児集団の必要性なども話されました。

 

〇「参加」するために「合理的な配慮」は必要

配慮を求めることは「特別」なことか?.pptx.jpg右の絵は、「平等」と「公平」(日本語訳が適切かどうかわかりませんが)とをわかりやすく示した絵です。例えば、教室でロジャーを使うことや必要事項を板書すること、あるいは英語のヒアリングで字幕スーパーを使うことなどを、「逆差別になる」とか「あなただけ皆と違う特別なことはできません」と断るのが左の「平等」の絵です。同じ場面(絵では皆と同じように野球観戦と楽しむ)に参加するために、必要な配慮(合理的配慮)をするのが右の「公平」の絵です。他のきこえる子と同じように授業に参加するために適切な範囲での配慮をしたのが右の絵ということになります。

 このような、障害ある人に対して、配慮すれば差がなくなり、同じ場面に参加できるようになる、ということを実現するために制定されたのが「障害者差別解消法」(2016年施行)です。この法律のキーポイントは「合理的な配慮」ということで、ちょっと努力すれば実現できることをやろうということです。ですから、学校は(とりわけ公立学校は義務として)障害ある子どもからの何らかの配慮の求めに対して、以下のことが求められています。

①障害ある子どもの状況に応じて、

②他の児童と同様に教育を受けるために、

③過度な負担にならない範囲で、

④障壁になることの解消に向けた配慮を行うこと

合理的配慮に欠ける例.pptx.jpg 

こうした配慮をこの法律では「合理的な配慮」といっており、初めに述べたような「指示事項を板書する」とか「教室の席を前の方にする」とか「授業で先生が補聴援助機器を首から掛ける」といったことは、少しだけ配慮すればできることですから「合理的配慮」の範囲にあると言えます(右表はろうあ連盟がまとめた『合理的配慮に欠ける事例』)。

 

〇「障害理解授業」の必要性~私自身の経験から

さて、難聴という障害は、周りから理解されにくい障害です。また、本人自身も自分が何をどこまでわかっているのかが自覚しにくい障害です(自分でこれなら100%わかるというコミュニケーション手段すなわち手話・指文字・文字などの視覚的手段がない限り、補聴器をしても人工内耳をしても音声だけで100%のコミュニケーションにはならない。聴者からみて80%位の理解であっても本人にはそれが常に100%だから自己理解が難しい)。

情報疎外が語彙獲得を阻む.jpgこのような「わからない」状態がずっと続いていくと、子どもはだんだんと「わかろう」とか「知りたい」とか「尋ねよう」いった気持ちが失せていきます。ただ、わからないままに教室で座っているだけになっても、この子たちは立ち歩くこともないので「手がかからず」、わからなくても周りをみて遅れながらも同じ行動をとれるので、担任も「とくに問題がない」と思い、放置されることが多いです。右図は家庭の中で情報から疎外された難聴児の姿ですが、これを学校の教室に置き換えても同じです。

〇『難聴理解かるた』を使って

難聴児は自分を理解している?.jpgこのような子どもと会って「何か困っていることない?」ときいても、たいていは「別に・・」「特にない・・」「大丈夫・・」と答えます。何がわかって何がわからないかもよくわからず、自分が実際に困ることがあってもどうすればこの状況が解決できるのかもわからないのです。

しかし、このような子どもに、難聴学級・通級指導など個別の場面で、『難聴理解かるた』を使って「こういうことある?」と尋ねたり、かるたの絵を一つひとつ見ながら「よくある」「時々ある」「あまりない」「全く

こんな経験ある?.jpgない」などに分けて分類させると、「ぼくの場合は・・」と、少しずつ自分のおかれた状況や困り感に目を向けるようになります。そして、こんな時にはどうすればいいと思うか、自分の困り感をどうすれば解決できるかを一緒に考えていきます。さらに「難聴理解かるた」にはないけれど自分にはこういうことがあって困ったなどのことがあれば、そこから解決の方法を考えたり、クラスのみんなにもわかってもらおうと自分自身の「難聴理解かるた」をつくったりします。

このような難聴児自身の自己理解を進めながら母学級での難聴理解授業につなげていきます。ただ、高学年児童ならこのような取り組どうすればいいと思う?.jpgみができますが、低学年の児童ではまだそこまでは難しいので、低学年の場合は、担任と保護者の協力を得て母学級での難聴理解授業に取り組みます。

保護者に話してもらう中身は時間にもよりますが、わが子が生まれたときの思いやどのように育ててきたか、子どものよさとか将来の夢など、また、どんなときに困るのか、そういうときにどう手伝ってもらえるとたすかるかなどでしょうか。こういった内容を紙芝居などにするのが低学年の子にはわかりやすくベストです。また、子どもたちからの素朴な疑問・質問にも答えてもらうとよいと思います。

例えば、よくある質問は・・

難聴理解授業の進め方.pptx.jpgのサムネール画像①耳にかけているのは何?

②補聴器していればはっきりきこえているんでしょ?(めがねみたいに) また、どこからでもきこえるんでしょ?(後ろからでも、数メートル離れていても)

③話せるのだからきこえているんでしょ?(話せない人は手話を使っているから)

④どうしてうまく話せないの?(発音が悪いの?)

⑤大きな声で区切って話せばきこえるんでしょ?(た・ろ・う・く・ん、と)

⑥みんなと同じにやれているから困っていないよね?

⑦どうして、別の学級や学校(通級)に行っているの? など

 

どんな配慮が必要?①.pptx.jpg

 右の二つのファイルにある4つの場面。このままでは難聴児は聞き取れません。では、どのような配慮が必要でしょうか? ここで必要とする配慮は、ほんのちょっとした手間をその子にかけるかかけないかの範囲ですし、その子がわかることはみんなにとっても役立つことが多いです。その利点も知っておきたいですね。(木島)

 

どんな配慮が必要?②.pptx.jpgさて、本会では、ここでも引用した『難聴理解かるた』(1,900円)と『難聴児はどんなことで困るのか?」(700円)という冊子を出版しています。この冊子は難聴児の困り感を本人、保護者、専門家の立場からわかりやすく解説した冊子です。ぜひ、参考にしていただければと思います。

HP>出版案内③「難聴理解かるた」参照

nanchosien.com/publish/cat57/



先日、ある聾学校高等部の授業を見せていただく機会がありました。自立活動の授業でテーマは「自分史」。自分のこれまでの生い立ちを振り返り、「自分」について考える授業です。徒は高等部普通科3年生(高度難聴・男子)と同2年生(人工内耳装用・女子)の二人。二人とも大学進学をめざしています。その日の授業は、「自分はどうやって言葉を身につけてきたのか」を考えるというもの。

 事前に授業者の先生から保護者に連絡し、保護者は我が子の障害がわかったときのショック、どのようにきこえない子を育ててよいのか戸惑いと不安、聾学校を紹介されて教育相談に通い少しずつ立ち直り始めたこと、子どもに言葉(音声日本語)を教えようと毎日が必死だったことなどを手記にしたため、担当の先生に渡してあります。

 その保護者の手記を、その日の授業で初めて本人たちに渡して授業は始まりました。二人の生徒は渡された手記を真剣なまなざしで読んでいましたが、そのうち二人とも目が少し赤くなってくるのがわかりました。自分を育ててくれた親の思いに熱いものが込み上げてきたのでしょう。

そして、顔を上げた3年生の男子はことばを選びながら「胸をえぐられる思いがした」と語りました。二年生の女子のほうは、まだ自分の思いをどう表現してよいのか言葉が見つからないようでしたが、いろいろと感じているものがあったのがわかりました。

今回の授業は、まずは親の手記を読んでの自分の感じたことを話すことで、それ以上に本人たちの内面に深くは立ち入りませんでしたが、これからそれぞれに自分が感じたこと思ったことを言語化し、互いに共有し深めていくことで、自分自身について、また、自分がどのようにことばというものを習得していったのかを考えていくのだろうと思います。

最後に見学者として感想を求められ、私は一度きいてみたかった質問を単刀直入に彼らにしてみました。「君は、もし、きこえないことが治る薬があったら、その薬を飲みますか?」。かれらの答えはこうでした。

高2女子「私は飲まないと思う。」

高3男子「ぼくも飲まないと思う。」

そこで私は女子生徒に再度、質問しました。「君は小学校・中学校と普通の学校に通った。でも、そこで本当に分かり合える友達はいなかった。ときにいろいろな誤解を受け、トラブルになった経験もしてきた。それで聾学校にかわってきたんだよね。でも、もし君がきこえる人であったのなら、そんなつらい経験をしなくてすんだのではないの?」

 女子生徒は、いろいろと思い出すこともあったのか少し目を赤くしながら「・・・でも、やっぱり飲まないと思う。・・・」と応えました。

 一方、男子生徒のほうは次のように応えました。

「中学生の頃、聴者になれたらいいなと思ったことがあった。でも、今はそうは思わない。もし、薬を飲んだら、これまでの自分が自分でなくなってしまう気がする。僕は僕でいたいと思うから・・」

 ずしりと重い言葉でした。私の中にも熱い思いがこみ上げてきました。きこえない子どもたちは、きこえる人が圧倒的な数を占めるこの社会の中で、いつも「きこえないことの不便さ・不利さ」を感じて生きています。ですから、人生のどこかで、かなわないとは知りながら、一度は「きこえる人になれたら・・」という思いを抱きます。


このことばを聞いて、私は、20年前の聾学校小学部高学年での自立活動の授業でのやりとりを思い出しました。1998年9月。まだ暑さの残る日でした。

・・・私は授業者として子どもたちに問いかけました。「君たちは今、自分がきこえないということをどう思ってる?」 

子どもたちの応えはこうでした。

A男(難聴)「ぼくは少し聴こえる。難聴だ」

B子(聾)「私は聾。難聴の人がうらやましい」 

私「どうして、難聴者がうらやましいの?」

B子(聾)「電話ができるし、テレビもわかる。」

私「でも、今は携帯でメールもできるし、テレビも字幕がつくよね。」

A男(難聴)「それに、テレビは(家族に)通訳してもらえばいいよ。」

B子(聾)「字幕の番組は少ない。親は時々通訳してくれるけど難しい場面は無理。それに・・・A男は先生と口だけで話せる。楽しそう。」

 このことばをきいて私はハッとしました。「きこえる方がいいのだ」という思いを抱かせてしまっている私自身を恥ずかしく思いました。B子が横から見ている時に、A男と口だけでペラペラとしゃべって、楽しそうに笑いあったこと。B子が見ていることに気づいていなかったのでした。なぜ、B子がいるのに、B子が横から見てもわかるように私は手話を併用しなかったのか。これではきこえないことが不利にならない社会を築くなんてできない。きこえない子が「きこえたほうがいい」と思ってしまう状況を自ら作り出しているのでした。


こうした私自身の体験を思い出しながら、高等部の授業の最後にこう言いました。

「〇〇君は聴者になりたいと思うときがあったんだね。でも、今は自分がきこえない自分でいることをうけとめている。それはほんとにすごいなって思う。でも、そうだったなら君はきこえない自分の言葉である手話をもっと自信をもって使うといいと思うよ。」

 私が気になっていたのは、彼の使う手話が音声言語の周りの人たち(見学者2名を含めて)に合わせてどことなく遠慮がちであったことと、人工内耳の女子が口だけでしゃべってしまうことに対して、「わからないから手話を使って」とか「手話通訳をしてほしい」と聴者の先生に言わなかった(言えなかった?)ことです。しかし、その女子が口だけで発表しているとき、私が横から通訳している手話をちらちらとみていましたから女子が発表する内容を彼は知りたかったはずです。

「きこえる人ときこえない人がいるとき、お互いに理解しあおうと思ったら、お互い100%わかりあえるコミュニケーション手段がないと話題は共有できないよね。だから口話だけでなく手話も同時に必要。その意味をこれからも考えていきましょう。それから〇〇さん(女子)もぜひ手話を覚えてください。きこえない人同士が分かり合うためには絶対に手話は必要ですね。〇〇君はわかるときはわかる、わからないときはわからないと言えるといいですね。でも難しいよね。話の腰を折るんじゃないかと気を遣うだろうし。そういうときは、ここまでは自分はこう理解した、でもここから先はわからなかった、と具体的に伝えるといいよね。相手もああ、そこまではわかってくれたんだとわかるし、話しもしやすい。そういう相手への配慮や工夫も大事ですね。」

 高三の男子は某国立大学で特別支援教育を学びたいと、今年、推薦入試を受けるのだそうです。「ぜひ合格してほしい。いい知らせを待っています。がんばってね!」とエールを送りつつこの聾学校をあとにしました。田舎町の小さな聾学校。先生一人と生徒二人だけの授業。でも熱くて心揺さぶられる授業した。

 

 以前にも紹介した聾写真家の齋藤陽道(はるみち)さん(石神井聾学校卒・35歳)が、『暮らしの手帖』(20198月号)に写真&エッセーの連載を始めた。味わい深い文章なので紹介したい。

 それにしても「よっちぼっち」とはどういう意味なのだろう? 陽道さんは次のように書いている。

暮らしの手帖表紙.jpg

「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営んできた。そこにまた、ふたつのひとりぼっちがやってきた。よっつのぼっちが集まってなんていうのか知らないけれど、響き的に「よっちぼっち」という感じかなあ。」(67頁)

 

 陽道さんは今、四人家族で暮らしている。陽道さん、妻のまなみさん(33歳)、いつきちゃん(3歳?)、ほとりちゃん(0歳)。夫婦は聾者で二人の子どもは聴児だ(いわゆるCODA=聾両親のもとに生まれた聴者)。陽道さん自身は聴両親に育てられた聾児だから、ちょうど逆のパターン。


以前にこのブログで陽道さんの著書『声めぐり』(2018,晶文社)を紹介したが、彼は口話法教育の中で「ことば」の獲得に絶望し、深い孤独を抱えて生きていく。しかし聾学校高等部に入学し、そこで手話に出会い、教師に出会い、友と出会って、人と人とが真につながりあえる「ことば」を回復していく。その「ことば」は手話であった。そして、同じ聾学校の後輩のまなみさんと5年間の同棲生活を経て2011年の年末に結婚する。なぜ同棲生活に終止符を打ったのか?その直接的な理由は、3.11東日本大震災で聾者が置かれた状況を知り、「自分たちの身体にまつわる孤独の深さを痛感したこと」(67)である。

そして「覚悟を持って共に暮らすことを決めた」のだという。「ひとりぼっちとひとりぼっちが一緒になって、ふたりぼっちで生活を営」むことにしたわけである。


その後、32歳の時に最初の子を授かり、さらに3年後に二人目を授かった。二人ともきこえる子であった。つまり、二人の子どもにとっての本来の「自分のことば」は音声言語。彼が小・中学生の頃に絶望したことば(音声言語)を、いまわが子が「自分のことば」として育とうとしていることになる。同じ家族でありながら、親にとっての「自分のことば」は手話、子にとっての「自分のことば」は音声日本語。このままでは親子は通じ合えないから、どちらかの言語を使うしかない。


きこえる親の元に生まれたきこえない陽道さんは、書記日本語(書き言葉)はこの高い文章力からもわかるように確かに「自分のことば」の一つであろうが、音声日本語(話し言葉)は他者と通じ合えることばとはならず、その意味では「自分のことば」ではない。ここに聾両親のもとに生まれたCODAの複雑な事情がある。

暮らしの手帳.jpgのサムネール画像CODAの人たちのなかには、手話を第一言語としてまず育ち、その後音声日本語を並行して獲得する人(両親共聾者の場合が多い)と、最初から音声日本語を第一言語として育ち、手話を全くあるいはほとんど知らないという人たちがいる(口話がある程度できる難聴両親の場合など)。陽道んは聾だから、手話を使って育てているのではないかと想像するが、そうすると子どもたちの日本語獲得は別の聴者にゆだねることになる。

また、陽道さんは、聾でありながら音声言語を強いられて育った苦い経験から、逆の立場に立った今、聴児であるわが子に最初から手話を強いてよいのかという心の痛みをどこかで感じているのだろうか?だから「家族という言葉で安易に同一化することはお互いの違いについて考える機会を減らしてしまう」(67頁)と言っているように思う。「血縁」とか「家族」ということばだけでくくり切れない「身体にまつわる孤独の深さ」がそこに厳然としてある、ということなのだろう。


周りが聴者という親子・家族の中で、聾である自分が愛されて育ってきたのだということを理解しつつも、なおかつ簡単には超えられない「身体にまつわる孤独の深さ」をどこかで感じ続けながら生きてきて、そしていま、今度は自分が親という立場になり、わが子が聴者という関係性の中で、「家族」というひと言ではくくり切れないものを感じているのではなかろうか。だから、「お互いに、孤独を抱えて歩む『ひとりぼっち』であることをわきまえながら、そこを越えてかかわりあおうとする意志を持たなくてはならないと思っている。そうした『かかわりあい』にこそ、人間のすばらしき力が宿るのだろう。」(67頁)と言うのだろう。


―「よっちぼっち」。ひとつの家族の中で身を寄せ合って生きていながら、それぞれが血縁とか障害とか性別といった「身体にまつわる孤独の深さ」をもって同じ空間で生きているということ。その意味の深さと生き合うことの難しさを表現することばだと思った。



 先日、こんな話をきいた。

ある聾学校の乳幼児相談に来談している1歳の子が、大学病院の聴力検査で90dB以上と言われ、人工内耳を勧められた。聾学校乳幼児相談担当の先生のBOACORからの判断は70dB である。何度か確認したのち、大学病院に検査の結果を添付して手紙を書いた。そうしたら今度は大学病院の方で、その保護者は「70dB 台だから手話を使う必要はない。聾学校の相談に行く必要はない」と言われたという。まさか最初から70dB台とわかっていて人工内耳を勧めたわけではないと思うが、そうでないとしたら、検査結果に信ぴょう性がうすいということになり、それはそれで大学病院としての専門性が問われる。しかも、70dB 台だから手話は必要ないというのは、いったいどういう根拠なのだろうか?

 

人工内耳や軽中度難聴の子の聴力検査をやっていると、防音装置が施された静かな聴力検査室では、補聴器や人工内耳を装用して20dBくらいの小さな音に「聴こえる!」と反応することが少なくない。傍で見ている保護者は「うちの子、この音が聞こえるんだ!」と驚く。しかし、日常の生活環境下では聴力検査室ほどの静かな環境などほとんど存在しない。とくに幼稚園とか保育園といった幼児が自由に会話している教室内では、騒音を測定すると80dBを下がることは少ない。このような多方向から音声が飛び交う中での難聴児のききとりの難しさ、複数での会話や離れたところから音声が投げかけられた時のききとりの困難さなどはなかなかイメージできない。それは保護者だけでなく、病院の医師やSTも現場に足を運んでいなければ同じである。

聴力がよいと「こんなによくきこえているんだから...こんなにきれいに話せるんだから...普通の学校で大丈夫」と言う人たちが多いが、しかし実際には、重度難聴児だけでなく軽中度や人工内耳の子どもたちにとっても騒音下でのききとりは難しい。聴者は騒音下でも少し離れた所から自分の名前がきこえたりすると「えっ?自分のこと?」ときき耳をそばだてたりできるが(カクテルパーティー効果)、このような選択的な聴取は、感音性の難聴児には難しい。相手の話し方、距離、そして騒音の有無といった状況や場によってきこえが大きく左右されるということを知っていないと、そのための配慮や支援も得にくくなる。「ああ、あの難聴の子ですね。あの子は大丈夫です。それより発達障害の子のほうに支援が必要なんですよね。」普通学校に見学に行くと、先生方はこのように言われることも多い。

本人にしてみれば、補聴器や人工内耳を通してきこえているのだが、聴者の0dBの聞こえとは違う聞こえ方だということ、それはどこが違うのかというのが本人たちにもよくわからない。だから、自分はきこえている人間なのか、きこえにくい人間なのか、きこえない人間なのかがわからない。聴者の世界で育つことが多いのが軽中度難聴や人工内耳の子たち。そうすると、手話に触れることがない。同じ障害を持った仲間との出会いがないまま育ってしまうことが多い。難聴学級が固定学級でそこで集団が作れるところはまだよいが、小さい時からそういった場所がないと自分の居場所が見つけにくい。自分はどこで安心できるのか、多数の聴者の中では、沢山の不利益に出会い、「やっぱりきこえた方がいい」と思わさせるのが現実である。そうすると、自分で自分のことを「いいな」とはなかなか思えない。こういったことが軽中度難聴や人工内耳の子たちの問題としてあるということを知っておく必要がある。

 

さて、以下は、ある幼児の保護者からいただいたメールである。聾学校幼稚部に通う年長児だが4月からは普通小学校に通うという。人工内耳を装用していてきこえる人とは音声言語で、きこえない子同士では手話を使っている。

 

「今日は、Aの歯科検診にいきました。初対面の人と接するときは、まず初めに『ぼくは聞こえにくいから、目をみて話してください』など難聴であることを伝える練習を積んできました。今日『お医者さんに、きこえにくいこと、伝えようね。』というと、Aは『聞こえにくいじゃなくて聾者だから、と言ってもいい?』と聞いてきました。『だってぼくは、聾者でしょ。だから、聾者っていうよ』と。『もちろんいいよ』と応えました。Aは、自分の言葉でお医者さんに説明していました。その姿に成長を感じ胸がいっぱいになりました。

なぜ急に、聾者といったのかと考えてみました。数日前に斎藤陽道さんの写真集を見せたからかもしれません。『この人は、聾者なんだよ。小さいとき発音訓練に通ってたんだって』と私が言うと、『ぼくと一緒だ!ぼくも通ってる!とハッとした表情になりました。『そうだね。でも、この人はね、発声はできるようになったけど、今は補聴器はずして手話とか筆談でお話ししてるんだって。』と言うとさらに驚いていました。『いろんな人がいるんだよ。だから、Aももしかしたら人工内耳外して生きていくかもしれないし、発音うまくなったけど声出さないって将来思うかもしれない。それはそれでいいと思う。何が幸せかは人によって違うからね。Aが幸せって思う方を自分で決めたらいい』というと、わかったようなわからないような表情で聞いていました。その時に『耳が聞こえない人のこと、聾者っていうんだよ』と説明すると、『え、じゃあ僕も聾者だ』。『Aも聾者だね。誇りを持って聾者として生きていってる人がいるのよ』と話したことが、Aの心に残っていたんだと思います。Aが年少の頃、生まれたばかりの下の子がきこえる子だということを知り、家族の中で自分だけが聞こえないということに、悔しくてどうしようもないというふうに、体全体を使って泣きじゃくっていましたが、いまは、自分のことを受け入れたような感じがします。

 難聴学級があるとはいえ、小学校はきこえる子に囲まれてきっとまた悩むことがあると思います。小学校で聴者の世界に出て、思春期の多感な時期、今度は聞こえない仲間のいる学校に身をおくという選択もいいのかもしれません。まあ、まだまだ気が早い話しですが。・・・」

 

 これを読んで、米国に渡った大谷翔平選手ではないが「二刀流」ということばが浮かんだ。人工内耳も手話も使いこなす二刀流の子どもたち。これからはこんな子たちが出てくる時代なのかもしれないなと。 

桜の花の咲く季節になった。これから何度、私自身、桜の花を見る時期を迎えられるだろうか?と自分の歳を気にしつつ、このお子さんのこれからの成長をさらに見守っていきたいと思う。そして、門出のことばを贈りたい。 

「人生を楽しむために手話を!人生を闘うために日本語を!」

二つのかけがえのないことばを大切にして生きていってほしいと思う。

〇軽・中度難聴児は自分の"困り感"がわかりにくい

もうすぐ新年度が始まりますが、軽度・中等度難聴児の中には、難聴があることに気づかれず、就学前検診などではじめて難聴であることがわかる子どもたちがいます。そのような子たちは、発音が比較的明瞭で、普段の生活で特に困った様子がみられないことが多く、気づきにくいのです。そして、「障害はそれほど重くない」ということで、小学校はそのまま通常学級措置となり、周りに迷惑をかけるといった大きな問題がなければ、うまく適応していると思われてしまうことも多いようです。ですから、話しがききとれなかった時に、その子が教師に何度もきき返しをしたりすると(きき返す子のほうがむしろ少ないですが)、「一生懸命きいていないからだよ!集中していればわかるよ」などと言われてしまいます。

また、友達に「おはよう」と声をかけられたことに気づかずにいたりすると、「なんだよ無視して!」と誤解されてしまうことにもなりかねません。本人にとっても、困る時と困らない時の境目があいまいなので、これらの状況を説明することはなかなかむずかしいのです。普段は特別な配慮を必要としていないのに、突然困る・・・・。そのときに初めて「きこえないから・・・」と言っても「今まできこえていたのに?都合がいいね」などと周囲は思ってしまうわけです。

 

 さらに「自分は学校生活でまったく困っていない。何も不自由していない」と言う軽度・中等度難聴児もいます。自分がどれだけきこえているか・きこえていないかがわからないからです(他人のきこえがわからないので当然ですが)。そして、「自分が難聴であることをあえて言いたくない。言わなければ友達も気をつかわないから関係がスムーズでいられる」と言う子どもも少なくありません。

 しかし、実はさまざまな場面で自分がきこえていないことに気づいていて寂しさを味わっていることも多いのです。先生も親も「わからないときはわからないと言いなさい」と言いますが、難聴児の「わかったふり」には、相手との会話を妨げたくない。何度もきき返したら相手が気分を害してしまうのでは?という不安が根底にあるのです(これはきこえに関わらず少なからず誰にもあるのではないでしょうか)。仲良しの友達との二人きりの会話はまだよいのですが、数人の会話や初対面に近い人との会話になると、後で困るかもしれないとどこか思っていても、全部きけばわかるかもしれないなどと、その時にきき返すことをせず、結局、最後まできいてわからなかったとしても、話を元に戻すことができず「わかったふり」をしてしまうこともよくあります。

 

〇軽中度難聴児をどう支援するか?       

  では、どうすればうまく適応できるのでしょうか? まず難聴児本人が、ありのままの自分でいられるような支援が必要です。そのためには、例えば、朝の会や学級活動の時間に、難聴児本人から「私のきこえ」「難聴学級紹介」「補聴器について」「手話と指文字」など 難聴理解かるた3.JPGのテーマでクラスの友達に話をする機会を設けるなど、きこえにくい自分をオープンにしていく経験を積み重ねさせることです。とは言っても小学校低学年の時は、担任の先生はもちろん、親御さんや難聴学級の先生の協力を得ることが大切です。そうした時に、『難聴理解かるた』(写真・本会出版物)などの教材があると、きいている子どもたちにとってもイメージしやすく便利です。

(*『難聴理解かるた』絵札の表には難聴児がどのようなときに困るのが端的に絵で表現されており、裏は指文字が載っている。読み札 の裏には、その解説が書かれている。1,900円。また、冊子『難聴児はどんなことで困るのか?』には、難聴児の困り感、本人自身の体験の解説、支援の方法などについて書かれている。700円。かるたとこの冊子をセットで購入すると2,200円と約2割引き)

 

 「難聴理解授業」で使用する『難聴理解かるた』の使い方は、下記に紹介している実践(福島朗博氏・難聴者・現松江ろう学校長)を参考にするとよいでしょう。

 http://nanchosien.com/nanchourikai/post_14.html

 

難聴児はどんな表紙.jpgのサムネール画像このような経験を積み重ねる中で、「自分の聴こえなさは隠す必要はない。聴こえない自分は聴こえない自分でいいのだ」と思える気持ちを育てたいものです。

さらに、難聴児を取り巻く環境への働きかけも積極的にやっていきたいものです。子どもが通う学校の先生方には、難聴児が学校生活を送る上でのさまざまな問題について説明し、具体的な支援方法や情報保障などについてもお願いすることが大切です。

今は、『障害者差別解消法』(2016)が施行されており、学校に対しても、①障害ある子どもに対して、②障害の状況に応じて、③他の子どもと同様に教育を受けるために、④障壁になることの解消に向けた配慮を、⑤過度な負担にならない範囲で行うことが、学校に求められています。信頼のおける難聴学級の先生や聾学校の先生、各学校に配置されている特別支援教育コーディネーターの先生などにも相談しながら進めるとよいでしょう。専門的な立場から適切なアドバイスが受けられると思います。また、地域の難聴児の親の会などにも声をかけてみるのも一つの方法です。子育ての先輩からいろいろなアドバイスを受けることができると思います。

  

☆全国難聴児を持つ親の会  http://zennancho.com/

 難聴児を持つ親たちが集まって作った会の全国組織。各地域に分かれて活動しています。

 

☆全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会 http://www.zennangen.com/

 全国の難聴言語障害学級の先生方の組織です。

 『声めぐり』の紹介をしたら、早速、こんなブログやサイトにも『声めぐり』のことが紹介されていますよ、こういう情報もありますよ、といったメールをいただきました。以下に紹介しますので、ご覧ください。

 

①下記のブログは、北九州の臨床心理士兼手話通訳をしておられる方のものです。

https://menomado.hatenadiary.com/entry/2018/11/19/100533

 

②下記のニュースサイトのインタビュー記事は、難聴のインタビュアーの方が書かれたものです。

 https://withnews.jp/article/f0190130001qq000000000000000W09810801qq000018686A?ref=rensaiunder

 

③来年の322日になりますが(念のため来年・2020年です)、久留米市にあるNPO法人「かいじゅうの森」では、齋藤陽道さんを招いて講演会を開催、その後数日間写真展を開くそうです。HPは下記ですが、まだ紹介は出ていません。

 http://www.geocities.jp/kotobanomori_kurume/

 

 

 『声めぐり』の著者齋藤陽道(はるみち)さんは、2歳で聴覚障害が発見され、以来、地域の難聴児通園施設に通い、厳しい発音指導を受けて育った。しかし、ことば(=「声」)というものが、本来、人とつながり、互いに理解し伝え合うためにあるという本質的な意味を見いだすことができないままに育っていった。彼は本の中でこう述べている。

 

「『口の形が違う。舌の位置が違う。息の吹き方が違う。息を吐く力が違う。喉の震えが違う。何? その声。全然、違うよ。舌をもっと曲げて。口の中を見て。もっと息を短く吐いて。ああ、違う。もうちょっと長く吐くの。・・・』」(15頁)

 聞き取れない自分の音声を「他者の耳にゆだねるということ、そして、他者の耳によって自分の声の良し悪しを決定され続けるということ。それは結果として、自分で考えて、判断する力を殺してしまうことにつながっていた」(16頁)。 

こうして彼は、自分が他者に向かって声を出せば出すほど、「自分が分裂し他者との断絶が深まり、・・・『声』は人との関わりを断つもの」(20頁)と思うようになっていく。

「この社会は、音声を聞くこと、話すことからすべてが始まる。上手く音声を扱えるかどうかで将来が決まるものだと思っていた。・・・ぼくの人生は失敗していた。それはもう変えようがないことなんだと絶望していた。」(20頁)。

 自分の人生に絶望すれば人生は苦痛でしかない。小学校高学年から彼は毎日ゲームにふけるようになった。こうして退屈な数年が過ぎていく。中学生となり高校を選ぶ頃になって、彼は自分の中にある孤独を見つめなおす。その時、「初めて『生きたい』」(21頁)と思ったという。高校として選んだ先はろう学校高等部。しかし、積極的に生き直すために選んだわけではない。ろう学校は「声をまともに出すことができない人が使う」(21頁)手話の学校である。そこに行くのは「屈辱的」でしかなかった。しかし彼は敢えてろう学校を選んだ。その選択の経緯は詳しく述べられていないが、伏線はあった。 声めぐり.jpg

 

 中学の頃、年1回だけろう学校の生徒たちが陽道さんの通う中学校に交流に訪れた。その生徒たちを引率していた一人の女性教師がいた。その教師の名前は天沼陽子先生。天沼先生は、訪れる年1回の交流の日の朝、中学校の校門に立ち「おはよう!」と優しく、しかし力づよい眼差しで陽道に『声』をかけていたのだった。たった年1回の出会い。進路を考えるにあたって彼の意識の中にはなかったかもしれないが、彼女のまなざしは心の奥深くで彼自身を支え、無意識のうちにろう学校へと導かれていったのかもしれない。

 

 石神井ろう学校に入学した彼は、手話と出会い、手話ということば(=『声』)を通して語る仲間と出会い、天沼先生と出会い、天沼先生が受け持つ国語の授業を通して文学と出会い、そして、たまたま手にした当時流行っていた「写ルンです」というインスタントカメラを通して写真と出会う。こうした数多くの出会いを通して、彼は自分の中に秘められていた感受性、文学性、芸術性を開花させていく。・・・紹介はここまでにしておきたい。あとはぜひこの本を直接、手にとって読んでみてほしい。

 

 私にとってもこの本は衝撃的な本だった。彼は決して口話教育を否定しているわけではないが、感受性が強く、自分をごまかすことのできない性格の彼にとっては、とても耐えられない教育方法だったのであろう。彼の場合はたまたま、人と出会い手話と出会った。そして救われた。

 今、齋藤陽道さんは聾者の写真家として活躍している。写真展も時々開かれているようである。2019330日までは東京都人権プラザ(都営三田線芝公園下車)で写真展が開催されている。ぜひ、本を買ってあげてほしいし、写真展にも足を運んでほしい。文字通り「感動!」をくれる本であり写真展である。 障害を理解することから.jpg

 

 また、天沼陽子先生の齋藤陽道さんの指導実践は『障がいをもつ子どもを理解することから』(森博俊など編著、群青社、2592円)の中の「聴覚障害の子どもと向き合う教師の記録」に書かれている。この本と合わせて読むと、より理解が深まる。冒頭部分だけ紹介しておこう。

 

「ろう学校に入ってから手話に出会い、言葉と自分の感情が一致する感覚をつかんで自分を見つめ直し、それを文章にして語りながら考えを深め、5年間のろう学校生活の中で成長していった一人のきこえない青年、ハルミチ(35歳)がいる。彼はきこえる人として生きるために補聴器をつけ、発音の訓練を受けた後、小、中学校の9年間を通常学級にインテグレートして過ごした。しかし、音声日本語だけでは遂に人とつながることができなかった。・・・」(136頁)

 先日、私が行っている大学での講義に、聾学校でスクールカウンセラーをしている方に来ていただき話をしていただきました。その方は井料美輝子さんといい、聾学校でカウンセリングを担当している臨床心理士さんです。九州大学で精神分析を学ばれた後、手話通訳士や日本語教育の資格もお取りになり、きこえない子どもたちの相談にはこれ以上の方はいないと思うくらいうってつけの方です。

講義は、きこえない子どもたちが成長していく過程でどのような心の悩みをもち、まわりの人たちとの出会いと関わりの中で心理的に成長を遂げていくのかということを中心的なテーマにして、将来、教師としてきこえない子に出会うかもしれない皆さんに、ぜひ伝えておきたいことという内容です。

講義はその場でのちょっとした実験(「60%のきこえの実験」)なども織り込んで行われ、実感を伴って学生たちも理解でき、思わず話に引き込まれてしまう講義でした。学生たちには終了後に感想を書いて提出してもらいましたが、5分ほどの感想を書く時間に、皆、びっしりと感想を書き、話の内容がよく理解でき、感じることの多かった講義だったのだということがよくわかりました。ここでは、その講義内容のレジュメを紹介します。以下のPDFからご覧ください。

 

教師になる皆さんへ.pdf

 

〇障害モデルの変遷

なお、感想の中で何人かの学生が書いていた内容から、障害のモデルのことについて取り上げてみたいと思います。

感想1 「井料先生は、障害のとらえ方として『医学モデル』から『文化・社会モデル』への変遷ということを話されたが、どちらも必要ではないか?」

――それについて少し解説を加えます。かつて聴覚障害のとらえ方には「医学モデル(個人モデルともいいます)」での障害のとらえ方しかありませんでした。「医学モデル」での聴覚障害のとらえ方は次のようなとらえ方です。 プレゼンテーション2.jpg

「きこえないという障害とは、君が負っているもの。私たちきこえる人は正常=健聴者。だから治療や教育の対象は君だ。きこえないという障害はないほうがいいよね。手話は、あれは言葉じゃない。だから、君ががんばって音声言語を身につけるしかない。がんばって話し言葉や読み書きを身につけることだ。私たちはそのお手伝いをするのが役割。」

これが「医学モデル」でとらえた聴覚障害教育の考え方=聴覚口話法でした。20世紀はこのような考え方が主流でした。1990年に開校した聴覚障害者のための大学である筑波技術大学(当時は短大)ですら授業に情報保障がなく授業は口話でした。そんな時代だったのです。また、最近訴訟問題が起きている旧優生保護法に基づく障害者への強制的不妊手術なども障害は悪⇒出産自体できないようにする、という考え方から必然的に起こってきたことです。今の時代から考えると信じられないような人権侵害が、法律に守られてふつうに行なわれていたわけです。

では、こうした考え方・価値観の中で、子どもたち本人はどう育ったでしょう? もちろん親の愛情を一身に受け、一生懸命、母に指導されて育った子どもたちはいました。その子たちは確かに高い日本語力を身につけました。しかし、思春期から青年期にかけてのある時期に彼らは「いったい自分は何者なのか?聴者に近づく努力をどんなにしても聴者にはなれない。といって手話を母語として獲得している聾者でもない。自分は誰なのだ?」こんな問いに苦しみました。その時、彼らの多くは聾者と出会い、手話と出会って、「自分はきこえなくてもいいのだ」という自分のIdentityを確立していきました。しかし心理的挫折の中で立ち直る機会に恵まれず、家の中に閉じこもったり病院に収容されたり、時には自死した若者がいることも耳にしたことがあります(精神的に不安定になり病院で処方された睡眠薬を飲んで、という人は少なくとも私が耳にした限りでは一人や二人ではありませんでした)。

 

やがて21世紀になり、手話が社会的に認知されることと並行して「社会モデル」という考え方が出てきました。障害は個人が所有しているものではなく、社会によって作り出されたものであるという考え方です。このとらえ方はとても新鮮でした。聴覚障害はコミュニケーションの障害(以下コミ)と考えると、手話を使う聾者の間ではコミの障害は起きないわけで、障害が起きるのは聴者とのコミの時です。ということは多数を占める聴者の側が手話を使えればコミ障害は起きない。あるいは、手話通訳という情報保障があれば障害は起きない。ということは、障害は社会によってつくられたという面も確かにあります。

この「社会モデル」の考え方は、手話の導入と相まって聾教育にも大きな影響を与えました。学校の中で手話を使うことは当然のこととなり(学校によっては依然、聴覚口話法を採用している学校もありますが)、情報保障も進みました。

では、「社会モデル」の考え方で全てが解決できるかというとそういうわけでもありません。例えば読み書きの力はやはりその子どもが努力して身につけるという側面が強いですし、きこえないという身体的な意味での機能障害(impairment)があると、和太鼓など打楽器は別としてやはり音楽を楽しめないというのは変わらないでしょう(振動や色で楽しむという試みがありますが、メロディーを楽しむのは感音性難聴がある以上かなり難しいでしょう)。ですからその人にある障害という面がなくなるわけではありません。そのようなわけで最近は「統合モデル」という考え方がとられるようになり、ICF(国際生活機能分類2001)では、障害を「生活機能」上の問題として障害の有無に関係なく「生きることの全体像」として総合的にとらえるようになっています。 ICF_gainenzu.png

これまでのICIDH(国際障害分類、1980)が、障害を「身体機能の障害(impairment)」があるから「能力の障害(disability)」が起こり、それが「社会的不利(handicap)」を引き超す(例:感音性聴覚障害があるから⇒言語獲得・コミが困難⇒その結果就労差別が起こる)と一方向的な流れでとらえていました。

 

これに対して、ICFの中心概念である「生活機能」は、「(生物レベルでの)心身機能」(例えば感音性か伝音性か、聴力差など)、(ICF概念図はインターネットより借用)

「(個人レベルの)活動」(会話、買物、移動、スポーツなど全ての生活行為で、できるできない、しているしていないは個人によって異なる)、そして「(社会レベルでの)参加」(就労、家事や育児、演劇・映画・音楽等文化活動への参加)など全体的・構造的にとらえています。また、そのとらえ方は、ICIDHがマイナスだけを問題にし、身体機能の障害というマイナスがあるから能力障害というマイナスが起こる、能力障害というマイナスがあるから社会的不利が起こるというようにマイナスの連鎖として障害をとらえたいたのに対し、ICFは根本的に異なり、プラスを前提にして、そこに問題が生じた状態をみます。例えば、「きこえない」という心身機能は、マイナス面もあるが、きこえない人は「目の人」といわれるように、見る力は聴者よりも優れている、という面もあります。また、「活動」においては、確かに音声言語習得が困難という点もあるが、手話という遠くからでも通じる言語をもっているというプラスもあるでしょう(水中や、線路を隔てたプラットホームの人とも話せる)。「参加」では、電話はとれないが、多少の騒音の中でも気にしないで仕事に集中できる面もあるかもしれません。

このように同じレベルの中でのプラスマイナスをみていくわけです。こういう見方をすることで、例えばきこえていた人が中途で失聴した(心身機能の低下)場合でも、人工内耳を装用して「活動」レベルで音声言語で会話できるようになった。また、前向きに考えて、音声言語だけでなく手話サークルに入って手話も同時に習得した。そして人工内耳という補装具や、会議での手話通訳による情報保障もついたことによって、仕事に復帰できるようになった(参加向上)という流れをつくることができます。

心身機能の低下が起こってそれが治らなくとも、人工内耳装用という補装具、手話通訳という「環境因子」を活用することによって、その人の「生活機能」は向上させることができたわけです。また、前向きに考えて、というのは「きこえなくなった」ことに打ちひしがれていないで手話サークルに出かけたという「個人因子」(=障害の受容)も関わっているわけです。このように、ICFでは、障害というものを総合的にみて、どこを改善するとどうその人の生活がよくなるのかを分析的に考える視点を与えてくれます。そういう意味で、「医学モデル」も「社会モデル」も含めた「統合モデル」となのだと思います。

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

〒145‐0063
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TEL / FAX:03-6421-9735

mail:nanchosien@yahoo.co.jp