01-1人工内耳
以下は、あるママさんからきいた話です。
「今日、病院の訓練に行き、ことばが伸びていないことを指摘されてしまいました。確かに3歳になって、単語がぽつぽつ出てきた程度。人工内耳を入れたのが2歳で遅かったのだろうか? 仕事をしていたからだろうか? 家では難聴児のための通信教育もやっているのに・・・。いろいろな言い訳ばかり出てきてしまい、涙が止まらなくなってしまいました。どうすればことばが伸びるのでしょうか?・・・」
最近、お子さんに人工内耳をして、保育園に入れ、仕事をしているママさんが増えてきました。そうしたママさんたちの悩みのひとつは、なかなかことばが伸びないことです。では、どうすればことばは伸びていくのでしょうか? 今日は、この問題について考えてみたいと思います。以下は、ある日の聾学校での活動から。
〇1歳児Aちゃんの例
1歳半になったAちゃん。手話で単語が出てきています。一昨日、1歳児グループの時にイチゴを食べ、今日は個別指導の日です。T「A君、昨日イチゴジュース作ったね。」と言うと、「イチゴ、イチゴ」と手話で応答するA君。イチゴのへた取りやミキサーに入れる再現遊びを楽しみました。出来上がったジュースを「カンパーイ。」「甘い!」と飲む真似が楽しくて、何度も何度も繰り返しました。A君のママの話では、一昨日はグループの帰りにスーパーに寄り、イチゴを買い、帰宅してからもう一回一緒に食べたそうです。A君は自分からへたを取っていたとのことで、ママは「それまでは私が葉っぱを取ってから与えていたのですが、グループで体験してからは自分で取ることを覚えたようです。」とママが嬉しそうに話してくれました。
体験することは、このようにモノ、コトに関するイメージを豊かにもてるようになるメリットがあります。実際に見る、触る体験をしたことで、それらのイメージをもつことができるようになり、体験したからこそ分かる事柄が増えるわけですね。イチゴも、食べやすくカットしてお皿に載せて出されたものばかり食べていると、洗ってから食べる事やへたを取って食べる事、三角の形をしていることなど知らないまま過ぎてしまうこともあるかもしれません。イチゴをスーパーや八百屋さんで買い、パックから出して、洗って、へたを取って食べるという過程を子供自身が体験することで、イチゴの概念も形成されます。イチゴ狩りに連れて行き、実際にもぐことで、イチゴがどんな風になっているかもわかるようになることでしょう。そして、イチゴジュースにしたらイチゴの形がなくなってしまうこと、ピンクのジュースになること、ジャムにしたらドロドロになることなど、イチゴが調理の仕方で変化することも体験しなければ分からないことでしょうね。こうした体験が、イチゴのイメージを豊かにします。
〇2歳児Bちゃんの例
一方、2歳児グループでは、6人の子供たちがイチゴとバナナのミックスジュースを作りました。その際にハプニング!ミキサーにイチゴとバナナを入れた後に牛乳を入れたところ、ポタポタ牛乳が漏れてきてしまったのです。「キャー大変!」と大騒ぎ。子供たちは牛乳が漏れる様子と、先生の隣にいたBちゃんのママが台布巾で垂れる牛乳を受け止める様子をしっかり見つめていました。原因はパッキンの裏表が逆だったこと。具材をボウルに移し、パッキンをひっくり返してやれやれ~。その日、Bちゃんは帰宅してから「ミキサー こぼした 失敗!」と表情豊かに手話でパパに伝えたそうです。Bちゃんにとって、ママが垂れる牛乳をすくう姿も印象的だったのでしょう。ママは2歳児グループでの話し合いの時、「帰宅してから今日の体験を基にどんな話をするか?」と先生に尋ねられ、ミックスジュースを作ったことより、Bちゃんが驚いて見ていた「牛乳が漏れた。」ことを取り上げたいと話しました。子供が印象に残ったことをよく見ていたのでした。嬉しい、楽しいことだけでなく、こうしたハプニングを含めて、驚いたこと、怖かったこと、悲しかったことなど、子供の心が動いた体験を捉えて、振り返り、親子のおしゃべりの題材にしていく関わりはとても大事です。
〇体験をことばでおさえる必要性
上の二つの例からわかるように、子供たちは日々遊びや生活の中で様々な体験をしています。そして、体験を通して豊かなイメージが形成されていきます。しかし、そこで終わったのでは言語獲得にはなかなかつながらないのです。きこえない子たちは、保育園や幼稚園でもこのようないろいろな体験をしています。しかし、そこで得たモノやコトの概念を記号化、つまり言語化する作業が足りないのです。それは身近な大人の役割になってきますが、たくさんの子どもをうけもつ担任の先生にそれを望むことは無理でしょう。「ミキサーでジュースを作ったよ。」「ピンクのジュースになったね。」「先生、失敗!牛乳が漏れたね。ポタポタ漏れた。パッキン反対だった。」体験しながら大人が語りかける言葉はたくさんありそうです。でも、人がたくさんいるところ、刺激がたくさんあるところでは、手話でも音声でも子供が注目して聴く、見ることは難しいことが多いものです。だから話しかけても無駄というわけではないのですが、やはりもう一度親子で体験する、動作化や再現遊びをする、絵や写真を見ながらお話する...といった言語で丁寧に確認する時間が必要になってくるのです。
〇再現して言語化することの大切さ
聾学校での体験以来、イチゴを見る目が違ってきた1歳児A君に、ママは数日後ビニール袋にイチゴを入れて、手で揉ませて、ジュースを作らせたそうです。ミキサーがなかったのでママが工夫し、考えたこの体験は、自分の手でつぶすという手指を使うとてもいい活動になりました。こんなジュースの作り方もあるという経験もできました。1歳代の子供にとっては、「体験を繰り返す」という関わりがとても大事です。「イチゴ」「葉っぱ」「とる」「甘い」「つぶす」「ジュース」「赤い」「美味しい」「甘い」...、ゆっくり親子だけで取り組んだイチゴ体験は、ママの音声への注目もしやすく、手話もきちんと見せられて、しっかりと言語に触れる時間になったことと思います。
2歳児のBちゃんは、個別で来た時に牛乳が漏れた絵を描いた体験カードを見せたところ、真剣な顔で「牛乳もれちゃったね。」「先生、失敗だったね。」「これはBちゃんのママ?これは先生?」と体験を振り返り、話してくれました。絵があるからこそ体験が鮮明に思い出され、話したい気持ちも生まれ、言葉で確認したり、会話したりすることができるわけです。
私たちが当たり前に知っていることは、実は経験したからこそ知っていることが多いものです。もちろん、体験しなくても書籍を読んだりテレビを見たり、人との会話を通して知り得た知識もありますが、自分で体験したことは頭の中にイメージも浮かびますし、自信をもって話もできます。そのことにまつわるイメージが豊かにもてているから、それを言語化して説明できるのです。子供達は言葉を十分にもっていないので、新しく言葉を覚えていくためには、体験を通してイメージを豊かに持たせ、それを大人が言語化して伝えるという地道な作業が必要になってくるわけです。体験の後で手話でも音声でも子供に伝わる言語で丁寧に伝え、確認する関わりこそが、子どものことばを伸ばすコツです。
ただ、音声言語だけでそれをやるためには、さらに努力が必要になります。なぜなら、たとえ人工内耳をしたとしても、子どもに入力される音声は、曖昧さが避けられないからです。極端にいうと、子どもには「いす」も「いぬ」も「イウ」としかききとれない。場面の中での非言語情報(実物、表情、仕草、文脈など)をたくさん使った会話の中で、こういう場面での「イウ」は「犬」であり、こういうときの「イウ」は「いす」だということがだんだんとわかってきて、文字を覚えてから「いぬ」と「いす」の明確な音韻の違いが認識できるのです。その点、手話は見てわかる言語なので「犬」と「椅子」は全く別の単語であることが確実にわかります。意味の違いを伝えることができます。ですから手話と音声を同時に併用する方が、音声言語の獲得もスムーズです。
以下の論稿は人工内耳をどうしようかと迷っている方へのとてもわかりやすく貴重なアドバイスです。『ようこそ聞こえない赤ちゃん』(福岡県立久留米聴覚特別支援学校2021発行)に掲載された論稿を発行者の許可を得て掲載いたします。なお、この原稿が掲載されている上記冊子の案内は、このホームページのトップページまたは「進路、研修・講演案内、その他」のカテゴリーをご覧ください。冊子を無料で配布しています。
『人工内耳のことが気になっている皆様へ』
中川 尚志
(九州大学医学部教授・同病院耳鼻咽喉科診療科長)
はじめに
お子さんが産まれて、幸せで一杯の時に「耳が聞こえにくいかもしれない。」と言われ、心配しながら連れて行った精密医療機関で「大きな音を出しても脳波で音への反応がでていません。」と伝えられ、かなりショックだったとお察しします。受けられた検査のこと、現時点で何がわかり、何をしていくことがお子さんにとって大切なのか、人工内耳のことを含めて、お話しします。興味がある部分から、お読みください。
1.聞こえの仕組みと難聴の種類
耳は耳たぶや耳の穴、奥にある鼓膜までを外耳、鼓膜の裏側の音を伝える小さな骨が並んでいる中耳、その奥の骨には音を聞こえの神経の信号に変換する内耳(蝸牛:かぎゅう)があります。内耳からは音の情報を脳に伝える聞こえの神経が脳につながっていて、脳が処理して音を聞き取っています。ここを中枢と呼びます。
音を伝える外耳および中耳に原因がある難聴を伝音難聴(でんおんなんちょう)と呼んでいます。伝音難聴は音の振動が伝わりにくいことによって生じますので、音の振動が伝わるように手術をすることで治療できる可能性があります。治療する時期は耳が成長する10歳前後まで待ちます。
内耳と中枢は神経で、音を感じる器官なので、これらに原因がある場合を感音難聴(かんおんなんちょう)と言います。感音難聴は内耳が原因の内耳性難聴と中枢が原因の中枢性難聴にわけられます。それぞれ難聴の特徴が異なります。内耳は音の振動を神経の信号に変換しますので、内耳が原因の難聴では音を神経の信号に変換できません。このため、音を大きくしても聞こえにくいのです。生まれつきの難聴の9割以上は内耳性難聴です。中枢が原因の難聴は音が神経の信号として十分に伝わらないか、伝わった信号が処理できないことが原因です。この結果、音の存在には気付くことができても、「キ」と「チ」の違いや何の音なのかなどの聞き分けが苦手、もしくはできなくなります。
2.新生児聴覚スクリーニングの意義
難聴を早期に発見し、療育を始める時期が早いほど、ことばの発育に有利であるということはかなり前から知られていました。このため、アメリカで新生児期に難聴の診断ができないかという取り組みが1988年にスタートしました。後述しますが、乳幼児の聴力検査は難しく、時間がかかることが新生児期の診断を妨げる課題でした。その課題を解決するために自動ABR(自動聴性脳幹反応)を検査する機器が開発されました。自動ABRは大人の健康診断と同じ大きさの音を聞かせ、音に関係する脳波の成分をみつけ、聴こえるお子さんたちの音に関係する脳波の形と同じかどうか比較します。波形が同じだと判断されるとパスとの判定がでますし、異なった波形と判断されるとリファー(要精査)と判定されます。赤ちゃんが入眠している2-4分で検査できることが特徴です。開発された自動ABRを用いて、アメリカの一部の州で新生児聴覚スクリーニングが実施されました。その結果をまとめてみると、難聴が6か月齢以前で診断されたお子さんはそれ以降に診断されたお子さんよりも言語発達が良いという結果がでました。この検討は日本でも行われ、新生児聴覚スクリーニングを受けると20倍の確率で生後6か月以内に療育が開始され、3倍の確率で良好にコミュニケーション能力につながっていることが示されました。しかし、新生児聴覚スクリーニングを受けただけでは良好なコミュニケーション能力につながっていませんでした。これは早期に発見しても、早期に療育につながらなければ、新生児聴覚スクリーニングの目的は活かされないからです。新生児聴覚スクリーニングを早期療育につなげることが最も大切です。また、良好なコミュニケーション能力の獲得に有利なのは音声言語だけでなく、手話言語を選択したときも同様であることが知られています。
ここまで読むと、難聴の早期発見が良好な言語発達につながることは頭で理解することはできたと思いますが、そう簡単に受け入れることはできないことが普通です。よく「障害受容」という言葉を使いますが、「障害受容」を求められることは、医療者・療育者からの過酷な要求となり、より苦悩を深めることになりかねません。すぐに障害を受け入れる必要はありません。聴覚障害に対する適切な認識をもつ「障害認識」に辿り着くことが最初の目標です。「障害認識」も聞きなれないことばだとは思います。「障害認識」とは、お子さんの障害は受け入れることができなくても、お子さんの将来に役にたつことをできることから始めていくことです。育っていくお子さんをみていると徐々に否定的な気持ちや悲しみと怒りが薄らいでいくようになっていきます。最終的にお子さんのためになっていきます。
3.難聴の程度はいつ、わかる?
脳波で聞こえにくさの程度を知る検査(ABR:聴性脳幹反応,ASSR:聴性定常反応)には限界があります。脳波とは頭全体の神経の活動を記録したものです。聞こえに関係する脳波はその中に含まれる非常に小さな信号です。このため、しっかりと寝ている眠りの深さ、電極の装着状態、汗のかき具合など様々な条件に影響を受けます。実際の聞こえにくさは聴性行動反応検査で確かめます。聴性行動反応検査とは音刺激に対するお子さんの反応の様子を観察して、聞こえている音の大きさを判断する検査です。当たり前のことですが、生まれて間もないお子さんは大きな音にしか反応しません。音へ反応することを練習することで、成長していくにしたがって、小さな音でも反応できるようになっていきます。早いお子さんでは、生まれて10か月ぐらいでどれぐらい小さな音まで聞こえるのかを観察できるようになります。お子さんの性格やいつからこの検査を始めたかにもよりますが、お子さんの音への関心が育ってくると実際の聞こえにくさの程度がわかってきます。 最初、かなり大きな音でも反応がないと言われたお子さんが中等度の音の大きさで反応が得られるようになることもあれば、音への反応があるようにみえたお子さんが大きな音でないと反応しない場合もあり、脳波の検査や最初の予測と異なることもあり得ます。しかし、脳波による聴力検査はその後のお子さんへの対応を考えるうえで大切です。最初に医師や言語聴覚士から伝えられた数値は、大体これぐらいかもしれないという程度にとらえ、数値に拘られすぎないようにしてください。
ちょっと、難しい話になりますが、"難聴"との診断はいつできるのかということに明確な答えはありません。この本に聞こえにくいお子さんの子育ての仕方が様々取り上げられていますが、この育て方は聞こえるお子さんにとっても非常に有用で、より良い親子関係を築くことに役に立ちます。難聴と確定する前でも子育てに取り入れていくことは良いことです。補聴器を装用するか迷う場合、早い段階でお子さんが補聴器を装用できる状態であれば、補聴器の装用をお勧めします。もし難聴がなかったとわかったときでも補聴器を外せば良いだけで、お子さんの耳に影響を与えることはありません。難聴と確定していなくても、お子さんの聞こえに少し配慮した、子育てをしてください。
例外的な場合として、オーディトリーニューロパチィ(AN)とよばれる難聴があります。内耳機能は良好にも関わらず、蝸牛神経が上手く働かないという難聴であるため、ANは音への反応がよいにも関わらず、精細な音の情報が伝わらないという状態になります。この場合、聴性行動反応検査は正常でも聴性脳幹反応(ABR)が反応しないという特殊な検査結果になります。内耳機能を調べる歪音耳音響放射(DPOAE)でも正常の反応が得られます。お子さんとのやり取りには、触覚や視覚を用いたコミュニケーションなど聴覚以外の方法を積極的に取り入れないといけません。
4.難聴の原因はどこまで調べることができる?
難聴の原因は、伝音難聴と感音難聴(内耳性難聴、中枢性難聴)があります(聞こえの仕組みと難聴の種類参照)。一部、外耳道閉鎖などの例外もありますが、それ以外の原因で難聴の区別がつくのは大人の聴力検査である純音聴力検査ができるようになる6-7歳からになります。
まず画像検査や遺伝子検査を受ける場合の心構えについて述べます。子どもさんが難聴だと言われた直後では「治療法はないか、何故、このようになってしまったのか。」と焦りがあるので、検査の目的は悪いもの探しになります。例えば、画像の検査で何も所見がない方が多いのですが、何もないと言われたときに「どうして、画像で詳しく調べても何もみつからないのか。」と失望の方が強くなります。このような気持ちは今後の子育てにおいて、悪い影響はあっても、良いことはありません。この本にも書かれていますが、まずは生まれたばかりのお子さんの子育てをしてください。時間がたつとお子さんがすくすくと育っていきます。その状態で画像検査をうけて、何も所見がなかったときは、原因はわからなかったけれど、何もなくて良かったという気持ちになります。この気持ちは子育てに悪い影響をまったく及ぼしません。遺伝子検査も同じです。しっかりと子育てに取り組むことができる時期になってから検査を受けることをお勧めします。
画像検査では内耳の形や、聞こえの神経の太さ、脳そのものに何らかの特徴がないかなどを調べます。CT(コンピューター断層写真)、MRI(磁気共鳴画像検査)はそれぞれで得られる情報が異なります。生まれつきの難聴の方の10数パーセントに画像に所見がみられると言われています。この場合、難聴の進行の有無や療育方法の選択、人工内耳の候補になるかどうかなど、多くはないですが、大切な情報が得られます。急ぐ必要はまったくないです。画像検査は一回受けておくと良いです。
遺伝子検査では、難聴にかかわる遺伝子がないかを調べることができます。生まれつき聞こえにくいお子さんの50-60%には遺伝子が関わっていると言われています。すでに100種類以上の難聴に関わる遺伝子が報告されています。一人分調べるだけで、一台の最新鋭の遺伝子解析装置が長時間フル稼働しないといけません。このため、日本人の難聴の原因となることが多いところだけを調べます。現在の検査では生まれつき聞こえにくいお子さんの30-40%で難聴の原因遺伝子がみつかります。みつからなくても遺伝子の変化が関わっていることは否定できません。このように発展途上の検査です。原因遺伝子がみつかっても聞こえにくさを治す方法はまだないですが、その難聴にどのような特徴があるか、今後どういうことに気を付けないといけないかを知ることができます。ただ遺伝子情報は非常にデリケートですし、結果だけ言われても、それがどういうことを意味するのか、わからないと思います。結果をきちんと理解するために遺伝相談(遺伝カウンセリング)をしてもらえる施設で遺伝子検査を受けられてください。
難聴が進行するかどうかは、画像や遺伝子の検査でわかることもありますが、わかるのはごく一部で、ほとんどの場合わかりません。全体からみると難聴が進行するのは一部で、進行しない方が多いです。聴力検査の結果を年単位でみていって、確認することになります。
5.人工内耳とは?
人工内耳は手術で埋め込む体内器と補聴器のように装用する体外器との二つの機器からできています。体内器には細長い数十個の電極のついたコードがあり、電極部分は蝸牛の内部に挿入します。体外器のマイクで音を聞き、内耳の神経がわかるように音を電気信号に変換、側頭部の送信アンテナから体内器の受信アンテナに信号を送ります。体外器の送信アンテナと体内器の受信アンテナは皮膚をはさんで磁石でくっついています。体内器で音の情報が各電極に割り当てられ、内耳に埋め込んだ電極で聞こえの神経を電気刺激し、音の情報を伝えます。信号は聞こえの神経を通じて脳に届けられ、音として認知されます。
人工内耳は内耳の肩代わりをする機器です。生まれつききこえにくいお子さんの場合、難聴の原因は90%以上が内耳にあります。画像検査で聴神経の描出が良好で、内耳の低形成などがなければ、それなりの人工内耳装用効果が見込めます。しかし、音の処理をする脳での認知機能が低下している場合は限界があります。
日本耳鼻咽喉科学会でこどもの人工内耳の適応基準が定められています。聴力は両側とも90㏈以上、手帳で3級相当のお子さんが対象になります。成人は両耳70㏈以上でことばの聞き取りのテストの成績が半分以下の時に適応になります。子どもではことばの聞き取りのテストができませんので、90㏈以上と考えておいてください。適応年齢は1歳以上です。聞こえにくさの程度はある一定の年齢にならないとわかりません。1歳前後で難聴が発見されたからと言って、すぐに聞こえにくさの程度が確定するわけではありませんので、少なくとも半年おいて考え始めるべきです。唯一の例外は髄膜炎による難聴です。髄膜炎が内耳に及んだ時、特にこどもさんでは内耳の空間が瘢痕化し、骨で埋まってしまうことがあります。この時は1歳前であっても人工内耳の手術をすることがあります。
6.人工内耳を考えるにあたり、知っておいて欲しいこと
人工内耳にはメリットとデメリットがあります。最も大切なことは過大評価しないこと、また逆に過小評価しないことです。自分なりに正確に理解して、そのうえで十分に悩んで、人工内耳をするか、しないか、選択して頂きたいと願っています。
人工内耳のメリットは音を聞くこと、聞き分けることが補聴器より優れていることです。人工内耳はプログラムで小さな音まで聞くことができるようになります。人工内耳の装用閾値は30dB前後が平均になります。補聴器は重度難聴の場合、40dBぐらいを目標とします。小さな音まできくことができると基本的な単語を聞いて学べます。人工内耳の手術の時期を42か月(3歳半)前と後で比べると、(3歳半)前の時期に手術を受けた方が音の聞き分けが良いです。話す言葉も人工内耳装用児の方が4倍の確率で聞き取りやすい発音となります。しかしながら、抽象的な単語の知識や文章を作る力、考えることばの力へは影響を与えません。またグループでの比較ですので、個人差が大きいです。このため、人工内耳装用児を配慮なく聞こえるおこさんと全く同じに育てていると小学校低学年で普通(っぽく)話しができるようになりますが、十分な言語力が身についているわけではありません。やはり聞こえにくさに配慮した教育が幼稚園・保育園・小学校で必要です。
私の外来ではデメリットを以下のように説明しています。養育者としては、こどもさんに手術という侵襲を負わせることに抵抗をもちます。人工内耳は所詮、機械です。機械には故障がつきものです。故障すると体内器の入れ替えに手術が必要となります。ただ最近の機種は故障しにくくなってきています。人工内耳は人工臓器でありません。内耳の機能を肩代わりする補装具です。また人工内耳装用では軽度難聴児と同じぐらいに聞こえることが目標で、聴児と同等にはなれません。早い時期に手術を受けた先天性難聴の人工内耳装用者が成人になったときに話しをしていましたが、難聴がないと思われることに最も苦労したそうです。また手術の選択にお子さんの自律性を尊重できないという解決できない倫理的な問題があります。しかし、手術年齢と効果には関係があるため、お子さんが自分で選択できるまで待っていては、良好な音声言語の獲得という期待する効果は得られません。最大の課題は人工内耳の選択を聞こえる親が行うことです。「難聴を治療してあげたい。難聴で苦労させたくない。」という願いで選ぶので、どうしても選択に偏りが生じます。この一因として、普通に暮らしていらっしゃる成人のろうの方が身近におられないことが理由に挙げられます。手話言語を含め、ろうの方や聞こえにくいお子さんが聴者と同じように社会で制限なく暮らせるようになれば、音声言語の選択と手話言語の選択が同等になるのではないかと考えています。人工内耳は医療機器であるために、現時点では、補聴器のように福祉制度の恩恵を十分に受けることができません。故障の場合も医療保険で対応することになり、一定の経済的負担が生じます。この点に関しては、経済的な面が人工内耳の選択に影響を与えないように、現在、政府の方で負担を減らす方向で立案が進んでいます。
人工内耳で得られるものと、人工内耳だけでは解決しないことを周囲が理解して、装用児を支援していく環境作りが必須です。
最近は両耳に人工内耳を選択するお子さんが増えてきています。片方に人工内耳、もう一方に補聴器装用のお子さんもおられます。両耳装用が言語の発達に良いという報告はまだありません。ただ騒音下での会話や方向感が有利になることが知られています。片耳に人工内耳を装用すると、対側の補聴器の装用閾値が低くなり、小さな音まで聞き取れるようになる場合があります。必ずしも全員ではありませんが、現在の両耳人工内耳のメリットである騒音下での会話や方向感は得られます。逆に人工内耳と補聴器を装用しているお子さんは、小学校低学年で補聴器を装用しなくなるお子さんもでてきます。本人にとっては人工内耳の方の聞こえが良く、補聴器が反対側の人工内耳を邪魔している場合です。この場合は反対側にも人工内耳を埋め込むことを提案することがあります。その頃にはお子さん自身が判断できるようになっていますので、医療によるリスクはありますが、最初の時よりも判断しやすいと思います。
7.人工内耳を選択するかどうか、迷った時は
私が常に願っているのは、適切な時期に十分に悩んで、その時なりにしっかりと結論をだして欲しいということです。早く決めないと人工内耳の効果が落ちていくのでしょうか?よく聞かれます。何歳までに、と数字に追われて、焦って決めるよりも、少し遅くなっても良いので、じっくりと考えることが大切です。ただ前述した通り、埋め込みをする時期により、その前後のグループで比較するとその後の聞き取りや発音に差がでることはあります。しかし、人工内耳の効果は個人差の方が大きいので、しっかりと納得として選ぶことを重視してください。
8.人工内耳を装用した後に大切なこと
難聴の原因や状況によって異なりますが、人工内耳を埋め込む子どもたちの目標のひとつは音声言語の獲得です。
人工内耳によって音を聞く、聞き分ける、単語を耳から憶える、発音がわかりやすくなるなどのメリットが得られます。しかし、それだけで言語は身につきません。普通(っぽく)話しができているのをみて、大丈夫と安心してはいけません。抽象的な単語、文章を作る力、頭の中で論理的に考えることは改めて学ばないと身につきません。どこまで理解できているかをきちんと分析し、状態を把握して適切な介入をすることが大切です。人工内耳を装用したお子さんでも聞こえにくいことに配慮したことばの発達を促す教育がないと、ことばを使って概念的なことを考えることばの力は獲得できません。人工内耳を装用していても「てにをは」などの助詞は意識しないと聞き取れません。助詞が十分に聞き取れないと「イヌをネコが追いかける」と「イヌがネコを追いかける」の区別がつきません。最初は聞こえない部分を指文字などで補い、助詞の使い方を確実に身につけないと、文章を理解する、作る力は育ちません。例えると意識しないとわからないことは存在すらわからないので、ないことと同じです。意識したうえで繰り返し聞いていると意識しなくても聞き取れるようになることを皆さんも経験されたことがあるのではないでしょうか。人工内耳を装用したお子さんたちも聞こえにくいことに配慮した学習をとおしてことばで考える力を身につけていきます。人工内耳を埋め込んだから、何がなんでも耳と音声だけで育てる、と固執せずに、ことばを学ぶことを第一に考えてください。人工内耳を装用したお子さんでも手話言語を併用してことばの力を伸ばすという選択肢もありです。必要な時は手話にも積極的に取り組んでください。
ここから少し難しい話しをします。人工内耳を装用したお子さんは聴児とともにいると苦労することがあるということを知っておいてください。人工内耳を装用しても、「セルフアドボカシー」を育てることが必要です。「セルフアドボカシー」とは自分に必要なサポートを自分でまわりの人に説明して、理解をえる行為です。人工内耳を装用していても聞きとれないことがある子どもたちは聞こえなかったことや聞こえにくいことを相手に伝えると話しが途切れてしまうので、どうしても遠慮がちになります。こういうときに周りに聞こえなかったことを上手にもう一回、友達からひきだす言葉や、相槌の打ちかたを身につけていると会話がスムーズにいきます。この技術は小学校にはいった後に、通級指導教室や聴覚特別支援学校へ通うことで学びます。その技術を身につけていても自分の努力だけでは乗り越えられないことは残ります。この時に必要なのが周囲のサポートです。これは甘えでなく、聞こえにくいことがあるというハンディを埋め合わせる装用児たちの権利です。ことばの力を身につけるとともに、子どもさんの将来を見据えた取り組みが人工内耳装用児でも必要です。
保育園や幼稚園は難聴のことを良く理解していて、対応してくれるところもありますが、ほとんどのところでは難しいです。対応がない状態だと、保育園や幼稚園で過ごす時間は周りから成育に有用な刺激が少なくなり、無駄な時間を過ごすことになります。また、小学校に入るときに学校の選択について相談されることがあります。この場合はお子さんが30名ぐらいのクラスに1人でいて、小学校から始まる授業についていけるかどうかを想像してみてください。デジタル式無線補聴支援機器などを駆使し、十分についていけるお子さんもおられますし、やはりお客様になってしまう場合もあります。教育環境や教科学習などの面から学校の先生に相談してください。少なくとも福岡県の聴覚特別支援学校は通常小に移籍することを無理に止めることはありません。療育者の希望、子どもさんの状態、勉強の成績などから総合的に現状に合わせて、判断することをお勧めします。
人工内耳を装用しても聞こえにくいことがありますし、人工内耳をはずすと装用児も重度難聴で、周囲の音が聞こえません。このため、子どもたちが一人で悩みを抱えて、周囲の期待に応えようと、聞こえないことの悩みを打ち明けないことがあります。このため、同じ人工内耳を装用したお子さんや聞こえにくい子どもたち(同障者と呼びます)とのつながりをきらさないでおいてください。子どもさんが小さい時は必要ないと言うかもしれませんが、思春期など自分を見つめなおす時期に、そのつながりが本人の心の安定につながる場合がしばしばあります。
さいごに
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。専門的なことばや内容でわかりにくかったかもしれません。わからないときは近くにおられる療育・教育の先生に聞かれてください。福岡県で子どもの人工内耳の手術が始まったのは、2000年でもう20年以上たちます。その間に医者はもちろんのこと、先生達も色々な経験を積んできておられます。悩みを自分で抱え込まずに気軽に相談されてください。また聞こえにくさをもって成人になられた方の体験談を聞くのも子どもさんの将来を考える時に役に立ちます。私のつたない文章が皆さまのお役にたてれば幸いです。
最後に一言。大いに悩まれてください。正解はありません。しかし、悩まれたことが必ず子どもさんの将来に良い影響を及ぼします。応援しています。
「人工内耳と手話をどう考えるか?」
田中 美郷(耳鼻科医・帝京大学名誉教授・田中美郷教育研究所長)
「今世紀に入り、わが国でも新生児聴覚スクリーニング(NHS)が普及して難聴が乳児期の早期に診断されるようになり、一方重度難聴児に対する人工内耳(CI)の効果が脚光を浴びるようになるに及んで、最近は乳児期に、しかも両耳にCIを装着させる傾向が目立ってきました。私はこの動向には批判的です。その理由として、
①私は聴覚障害児の早期教育支援をホームトレーニング(HT)方式で続けて50年あまりとなりますが、これまでの経過と成果を分析・考察してみて、聴覚障害児教育の目標は言語教育と人間形成であって、そのために乳児期に敢えてCIを装着させねばならないとする納得できる根拠が見つからない。
②CI早期装着論者の論理はいささか近視眼的で、子どもの先々の人生にとって教育上何が重要かが理解できていないように思える。耳鼻科医によってはCI装着は2歳では遅いという人もいますが、聴能やことばの発達にとって脳の可塑性の高い乳児期から聴覚活用を進めることの意義は、すでに補聴器(HA)による指導において言われてきたことで、特に新しい論点ではありません。2歳では遅いという納得できる根拠は見当たりません。人間形成の視点から格言にある「三つ子の魂百まで」とは無関係でしょう。
③子どもの人工内耳に関しては日本耳鼻咽喉科学会は90dB以下の難聴は適応にしていませんが、これは妥当と思います。問題は、乳児期に潜在的な聴力を精密に知ることは、発達の問題があって一般に困難です。ちなみに私の外来へは、NHS後、聴性脳幹反応聴力検査(ABR)で反応が認められなかったためにCIを勧められた例が時折訪れてきますが、HTに参加してもらって療育支援を続けていると、やがて難聴は90dBないしそれ以下であることが判明してくる例は稀ならずあります。
④CI装着年齢云々には療育法も関係します。耳鼻科医や彼らと行動を共にする言語聴覚士のCIの論文を読むと多くは語音聴力や構音ないし発音面の効果に目が向けられていて最も重視されるべき言語(language)に深く言及したものが乏しい。言語には生活言語(言語で日常会話ができる能力)と学習言語(言語で高度に抽象的内容を理解し、伝達する能力)という区分がありますが、耳鼻科医やその一派の注目しているのは生活言語面であって学習言語には理解が及んでいません。聴覚障害児教育で重視してきたのはこの学習言語で、私もHTでは後者に重きを置いて言語指導を進めてきました。ここで問題となるのは手話の扱いです。この問題に関し最近注目すべき局面が見えてきました。
米国ボストン大学の教育、認知心理学のホール教授は最近の論文(Hall,ML et al. : Deaf children need language, not(just)speech, first
Language 39:367-395,2019)で豪州や米国では子どもにCIを装着させるにあたり、重い難聴を有する子どもに聴覚口話の発達を促すには手話は有害とする説を厳しく批判し、ろう及び難聴児には少なくとも一つの言語(音声言語であれ手話言語であれ)を能力が許す限り習得させる必要がある。そのために自然言語としての手話は有利という証拠が多々あるにもかかわらずCIを勧める人は手話に排他的であると言っています。この事情はわが国も例外ではありません。ホールの論駁は非常に重要な点を突いていますが、このような議論はわが国でも高まって欲しいものです。
ところで、手話を禁じた伝統的聴覚口話法はわが国でも人工内耳推進派によって支持されています。この方法は聴能訓練を乳児期から徹底し、これをベースに聴覚活用により言語発達を促すことを意図してきました。それ故に❝健聴化教育❞とも言われ、理念的に聴覚障害児であることを否定しているとも言われてきました。私は神経心理学的観点からこの方法をボトムアップ法と呼んできました。これに対し私は、現在はホームトレーニング(HT)においては親子のコミュニケーションの円滑化と情緒の安定を図って手話も導入し、視覚的に言語発達を促しています。この方法によると難聴が比較的軽い90dB以下の子どもは手話も使いながら聴覚口話が発達してきます。一方難聴が非常に重い子どもは手話中心に言語を習得していきますが、私は子どものこの選択を尊重し更なる教育を進めていきます。後者のような子どもには、CIを選択する保護者が多いのですが、CI装着後の経過をみていると、聴覚活用ができるようになると手話で習得した言語は必然的に聴覚口話へと移行していきます。私はこのようにして手話で覚えた言語の意味レベルからのトップダウン処理機構を活用して聴覚口話に導く方式を案出し、これをトップダウン方式と呼んでいます。一方保護者によっては手話でブレずに教育を進めて立派に子どもを育てている人もいます。この私の方式ですと聴覚口話と手話を対立させる必要はなく、むしろ手話や指文字を使うことによってコミュニケーションや言語教育は進め易くなり、社会的にはバリアフリーないし共生社会の実現に役立つことになるはずです。斯くして私は伝統的口話法ないし口話VS手話の対立を止揚(Aufheben)し得たと考えています。」
*『手話で育つ豊かな世界』寄稿論文より
*田中美郷(よしさと)先生は日本の小児難聴医の草分け的存在で耳鼻科の先生方の中でご存じない方はいらっしゃらないと言ってよいでしょう。田中先生はCOR(条件詮索反応聴力検査)の開発で世界的に有名な信州大学鈴木篤郎教室で学ばれ、その後、難聴乳幼児の支援のための「ホームトレーニング」(HT)を開発され、帝京大学に移られて本格的に小児難聴・早期療育の実践的研究を進めてこられました。90年代初頭は聴覚口話法の立場でしたが、退官後に設立された田中美郷教育研究所での実践研究の中で、手話の有効性・必要性に気づかれ、90年代後半には手話も取り入れた支援・指導をされるようになり、今日に至っています。(木島記)
はじめに
手話を用いると音声言語の習得が妨げられるとよく言われますが、発達早期から手話を用いることで母子コミュニケーションが早期から成立し、情緒的に安定した親子関係の形成、親の障害認識、手話による子どもの言語発達・概念形成が促される利点があることは、手話を早期から用いる聾学校などではよく知られています。また、聴覚活用も並行して行うことで人工内耳装用時期が多少遅くとも、音声言語の習得は十分に可能であることもよく知られています。
こうした事例は、先日出版された『手話で育つ豊かな世界』(全国早期支援研究協議会発行,2020,900円)に執筆している人工内耳装用児本人や保護者の手記からもわかりますが、今回は、音声併用の手話(口話併用手話)を用いて育ち、手話を習得した後に、4歳で人工内耳を装用した事例について掲載します。
【事例報告】
1.P児(5歳8ヶ月),普通幼稚園・年長組在籍
(1)難聴発見・診断 0:0 新生児聴覚スクリーニング 0:3 感音性難聴の診断
(2)聴力レベル 右100dB 左95dB
(3)相談・補聴器装用開始 0:5 某公立ろう学校乳幼児教育相談
(4)人工内耳手術 4:1(右のみ)
(5)補聴レベル 右35dB (人工内耳) 左45dB(補聴器)
2.0~2歳児までの支援と成長の過程
P児の母親は、難聴発見と同時にNHK「みんなの手話」の番組を録画しながら手話を学び、早期から高度難聴児である本児に手話と音声で語りかけてきた。併せて、個別の相談や保護者対象のさまざまな学習会などに積極的に参加する中で、聴覚障害や聴覚障害をもつ子どものことを理解し、聴覚障害のある本児を肯定的に受けとめ、望ましい親子関係を確立してきた。また、1歳から2歳代にかけては、日々の生活の中での様々な体験を通して手話と同時に基礎的な日本語の力を育み、語彙の拡充、知識や思考の広がり、やりとりする力を豊かにしていった。こうした母親の関わりを通して、3歳までの時期に親子での手話や音声言語を使った伝え合う関係が確立した。
3.2歳児~現在までの支援と指導
3歳の就園時期を迎え、保護者は、P児を聴児の中で育てたいと地域の幼稚園に入園させた。同時に、P児は本校教育相談に月1~2回継続して通ってくることになり、担当も筆者となった。本校の3歳以降の教育相談は、幼稚園、保育園または発達障害児の通園施設に籍を置く幼児が、きこえやことば、コミュニケーションに関することについて、専門的な支援を受けるために通ってくる相談部門である。毎日の生活の中で、保育を通して聴覚障害児の教育を行うろう学校幼稚部と違い、月に1~2回程度の支援を通して、望ましい難聴児の成長発達を促していくためには、2歳児までの教育と同様に、家庭での教育力に依るところが大きくなる。言語やコミュニケーションの問題だけではなく、保護者の障害認識、本人の障害認識も育てていかなくてはならない。限られた時間の中で、下記のような保護者支援を行ってきた。
(1)P児の指導・保護者支援の目的
①親子間で成立しているコミュニケーション関係と手話言語力を土台として、豊かな日本語の力を育てる。
②保護者同士の話し合い(グループ)や保護者教室を通して適切な障害認識を育てる。
(2)P児の指導・保護者支援の内容
①日本語の獲得
a.年少の頃
・手話言語の指文字変換(親の積極的使用) ・音声言語獲得(口声模倣の習慣化)
・生活の中での会話の題材について ・体験活動を通して扱いたい言語について
・絵日記を用いた体験の言語化 ・会話のふくらませ方 ・文字読みに向けて
・カレンダーワークの進め方 ・基本的な上位概念の獲得 ・数唱
・質問詞「どうして」「どんな」「いつ」 ・語彙の拡充 ・10以上の数の理解
b.年中の頃
・動詞・形容詞・副詞等の語彙拡充 ・動詞の活用 ・助詞の使用
・「○」のつくことば・しりとり ・反対語の理解・表出 ・上位概念の拡充
・5~10の合成・分解
②障害認識(全期を通して)
・難聴児同士のコミュニケーション
・インテグレーションの場での子どもの様子についての情報交換と問題の把握
・インテグレーションの場での専門家支援と在籍園児の保護者への理解啓発について
・軽・中度難聴者本人のきこえについての理解
・成人した難聴者本人の体験から学ぶ
4.P児の成長の過程(育児記録より抜粋)
会話は、母は口話併用手話(日本語対応手話)による。P児は3歳代は主として手話中心で指文字や音声が補助だったが、4歳以降とくに人工内耳装用後は手話をつけたスピーチ(口話併用手話)が主になった。
(1) 年少頃の会話 *は母による注
20××年4月 3:8 親子の会話①
「これ、何だ?」と訊いてきた。手話で「/これ/ /何/?」と訊くのではなく、口話だけで「ママー、こ
れ何だ?」と。幼稚園で覚えたのか私からなのかわからないが、初めてP児が言うのを聞いた。どうやらふみきりらしい。ふみきりについて、P児に尋ねてみる。
M「どうして踏切ってあるの?」 P「電車が通る時渡らないため。渡ると、電車とぶつかってけがをするから、けがをしないようにふみきりがある。」と説明できた。
*この頃、「どうして」の質問詞に答えられるようになってきた。
手話で概念・思考・認知を育ててきた子どもたちは、3歳~4歳頃には「どうして?」という疑問詞に対して理由を説明したり、自分でも問うことができるようになる。聴児と同じレベルでLanguageという思考のための言語を獲得していることがわかる。これが手話を早期に用いる利点の一つである。
同8月 4:0 親子の会話② 夫の帰宅後、芸能人の覚せい剤について話していると...
P「悪い薬を吸って、警察に捕まった。」 M「息子さんいるんだよね。」 P「10歳。ママとパパがいなくて寂しいと思う。警察の人に『悪い薬はダメ、いけません!』って言われているね。」
*過去の絵日記の中から、知っている名前、せみ、さかな、まぐろ等を見つけて読む。
*本を読む時に、文字を一文字ずつ指文字で表しながら読めるようになってきた。
同9月 4:1 人工内耳手術
*質問詞「どうして」「どんな」を自分から使うようになった。
*指文字の使用が盛んになってきた。
同11月 4:4
*手話を併用したり、しなかったりといろいろであるが、3語文以上の音声言語での発話習慣ができてきた。
*50音は指文字と合わせてスラスラと読めるようになった。
20××年2月 4:7 親子の会話③ ★Pの発話のほとんどに音声言語が併用され始める。
母「もうすぐ春だねえ。春になるとどうなるの?」
P「暖かくなるし~ちょうちょがくるし~さくらが 咲くよ」
母「Pはどうなるの?」 P「年中だよ。さくら組かな~さくら組なら2階だけど、うめ組なら1階だね。2階だとお着替えして1階に下りてぱんだ組のお友達や先生を見に来て、おはようと言うよ。ぱんだ組さんのお世話をするよ。うめ組なら階段がないからぱんだ組まですぐだね。どっちがいいかな~」
*絵日記を見ながら体験を話す時に、多語文での発話に助詞の誤りが少なくなった。
*絵日記の文字をスラスラ読み、それを手話で表現することを促すと、的確に表現できるようになった。
*「猿」「去る」が同じで意味が違うということに気づき始めている。同音異義語への興味が育ってきている。
*アンパンマンPCで全問正解すると、「P君おめでとう。頑張ったね!」とアンパンマンが言うのを聞いて「ママー!なんでP君のこと知ってるの?」と聞いてきた。
日本語への関心が育ち、音韻の意識が育ってきている。手話でスタートした子たちはこのようなメタ言語の意識も比較的早く育ち、頭の中に音韻やさまざまな記号、イメージなどを浮かべて頭の中で操作する力の育ちも早い。
(2)年中組の時期の会話
20××年4月 4:9 (術後8カ月)
*話したいことがたくさんあり、早口の発話傾向になりがちで、身近な人でなければ、理解することが難しい発音の状態である。
*しりとりができるようになってきた。
*「だって~だもん」「なんて~だ!」「もしかしたら~かもしれない」「~なんだって」「う~んとね」「~とかさ」「~しちゃうよ」の使用がみられた。
*「おトイレと音入れと同じだね。うわーびっくり!また同じことばを見つけた~」
同 6月 4:11 (術後10か月)
*「たぶんね~」「~じゃないかと思う」「~なの?」の使用がみられた。
*絵日記を見ながらの会話では、時々誤りはあるものの、助詞をほぼ的確に使いながら文での発話がよくできるようになった。
同9月 5:1 親子の会話④(術後1年0か月)
M「絵日記を見ようよ~」 P「やだー!」
M「せっかくいつも書いているんだから見てほしいなあ...」
P「いつもじゃないでしょー。たまにでしょー。嘘言わないで」
*「今は餃子は熱いから、おにぎりを食べ始めるよ。ママは餃子ができたら『おまたせしました』と言ってね。そしたら、Pが『まってました!』と言うから」
*「~しちゃったね~」「~しなくっちゃ」「~だぞー」「おっとっと」「~していたかった」
「ほらほら~」の使用がみられた。
*「内緒話をするよ。」無声音で「あす 聾学校へ 行くよ」と言った。
術後1年のこの頃、聴児が用いる音声での日常会話に用いる言い回しがだんだんと身についてきていることがわかる。
同10月 5:3 親子の会話⑤
M「遠足はどうだった?」
P「そーゆーのは、昨日聞いてよ~今日聞かれても忘れてるよ。待ってて、思い出すから...
行きのバスは○君と△君、ぱんだ組は後ろ、ふじ組は前に座って~帰りのバスは□と◇といっしょだった。ぱんだ組は前だった。お弁当は、○○ちゃんが、『いっしょにたべよ』と言ってきて、次に△△ちゃんと□□ちゃんが来たよ。おいもはね、Pは少しだったけど、××先生から分けてもらったんだ...」
*基本的な形容詞、名詞の反対ことばは理解、表出できるようになった。
*小児科の医師の甲高い声真似をする「はい~痛くないからね。すぐ終わるからね~」
*「男の子は『~だぜ』とか、『~だぞ』って言うとカッコいいし、女の子は『~よね』と言うとかわいいよね~」と言った。
6 考察
(1)P児の手話言語獲得と日本語獲得
0歳児の早期から保護者が本校の支援を受け、きこえないわが子にしっかりと歩み寄り、手話を使い、コミュニケーションを図ることで、P児の概念形成・手話言語力は年齢相応に獲得されてきた。手話での語彙数が十分に獲得され、親子の伝え合いが豊かにできることは、P児の知識の拡がりや思考力が促されただけではなく、その後の日本語への渡りもスムーズであった。家庭での指文字使用はそう早くはなかったが、年少組になった時期以降、日本語を育てる観点から母親が指文字を生活の中で多用し、絵日記やメモ帳(コミュニケーションカード)を通して文字をたくさん見せて来たことで、P児の指文字習得・文字習得が順調に進み、音声と指文字を併用しながら文を流暢に読む力や助詞の習得へとつながった。また、絵本や絵日記の文を読んで手話に変換・表現できることから、文の内容の読解ができていることがわかる。
(2)手話言語獲得と人工内耳の活用(術後1年半・現在)
P児が人工内耳手術をしたのは4歳1か月の時であったが、それまでに補聴器を活用し、音声言語獲得を始めていたことからも、術前に十分に聴覚が活用され、人工内耳装用後の音声言語獲得もさらに順調に進んだといえる。また、概念形成が十分にできている手話言語を豊富に持ち、年齢相応の親子の会話がベースにあったことで、手話から音声言語への渡りがスムーズで、年齢相応の音声言語の語彙も習得できたと言える。
P児は親子の間では手話を音声言語に併用して会話をしているが、母親は、理解語や生活の中で繰り返される文については、音声言語だけで聞かせる単感覚アプローチも、適宜織り交ぜながら生活しており、手話から音声言語への渡りを丁寧に行ってきている。こうした関わりを通して、装用後、半年経った時点で聴覚だけで聞き取れる文も出てきた。術後1年半の現在では、音声言語だけでのことばかけをしっかりと聞き取り、応答も的確にできる様子も見られるようになってきており、手話を併用しつつ、聴覚も十分に活用していることがわかる。
また、P児の発音は、術後半年時点ではまだ発音の不明瞭さが見られ、慣れた相手でないとP児の音声言語だけの発話を理解するのは難しい状況が見られたが、術後1年半近く経った今は、発音の明瞭度が向上し、身近な人に限らず音声言語だけでも伝わる相手は広がってきている。家族は、P児の発話が理解できない時には、手話や指文字を使うことを促し、伝え合いを成立させている。音声言語での発話の流暢さが増すにつれて、P児にとっては、聴者との会話では、音声言語だけでのスピーチが楽でありそれが自然になりつつあるが、発音の明瞭度が上がるまでは、家族にとっては手話や指文字を併用することがコミュニケーションの成立のためには必須である。音声言語を話し、相手に伝わったと思っているP児に、「手話でもう一回」「指文字も使って」「文字で書くと?」などの働きかけをしていくことで、相手に伝えるためには、どのような話し方や工夫をすればよいのかをP児が自覚していくこともできると思われる。
(3)人工内耳と障害認識
母親は、きこえない子どもにとって手話が大切な言語であり、わが子とコミュニケーションをとるためには、手話が必要であることを認識している。人工内耳手術を選択してからも、人工内耳を装用したことで聞きとりが改善し、音声言語獲得がしやすくなったことは理解していながらも、それでも聴者とは違うことも同時によく理解している。騒音下での聞き取りの難しさや、人工内耳を外した時のきこえない状態など、人工内耳装用児のQOL(生活の質)や本人自身の障害認識の確立のために手話が不可欠であると感じている。こうした認識は、0歳児期から聾学校の教育相談に通い、手話を学び、さまざまな成人聴覚障害者と接する中で培ったものである。
こうした母親に育てられ、P児はろう学校でのグループ指導に来ると、手話と音声言語を併用して話す姿が見られる。また、聴覚障害の弟とは、音声言語を使わずに手話だけで会話している姿が見られることもある。聴者に対して、聴覚障害者に対してと、コミュニケーション手段をその場に応じて使い分けられる姿は、P児が適切な障害認識を育みつつある一面でもあり、また、手話・日本語バイリンガルとして育っている姿を示していると言えるのではないだろうか。
以上の事例から、まず発達早期より手話を用いることで認知・概念・思考等の力を聴児なみに獲得できること、また、その後の日本語の獲得(人工内耳装用による音声言語獲得、書記言語の獲得)も、順調に進むことが保護者の手記からわかります。これから人工内耳を考えておられる保護者の方々の参考になれば幸いです。
これは、『人工内耳事例報告集』(全国早期支援研究協議会発行)に掲載された人工内耳装用をめぐる保護者支援の事例です。事例が掲載された冊子はすでに絶版となっていますが、復刻の希望が多いため、いくつかの事例を選んで、本ホームページに掲載したいと思います。
はじめに~本校(聾学校乳幼児相談)で行っている人工内耳の情報提供とスタンス
本校では、受付け後の相談初期の段階において、きこえない子どもを育てるにあたっての基本的な事柄についての情報提供をいくつかの内容について個別に行っている。

右のファイルは、そのスタンスについて、初期の保護者への情報提供用に作成した資料の一部から抜粋したものである。
なお、この資料については、次期の段階で本格的な選択に揺れる時期にも再度提供して、保護者に思い起こしと視点の焦点化を図っている.2.保護者支援に時間をかけた相談ケース
(1)B児のプロフィール(4歳)
①難聴発見・診断 0:0 新生児聴覚スクリーニング両耳リファー
0:10 ABR両耳90dBスケールアウト 両耳重度難聴の診断
②聴力レベル 右90B 左90dB
③教育相談開始 0:11
④補聴器開始年齢 1:0
(2)通院歴と教育相談
難聴の診断をしたP病院について、保護者は医師の対応への不満があり、その後の定期受診を拒んだ。そのため、担当より本校と連携のあるQ病院耳鼻科を紹介した。なお、P病院では診断に併せてCTスキャンより内耳奇形があるとされていた。
次にQ病院では、2歳頃の受診で音声言語の理解語テストの結果から、音声言語でのコミュニケーションを求めるのであれば人工内耳が適応と勧められた。そこで保護者の要望を受けて、担当(筆者)からは人工内耳について再度の情報提供を行った。両親は悩んだが、そのときは補聴器と手話とで継続して育てたいと話された。その後、4歳前にQ病院を受診したときに再度人工内耳を勧められた。B児は補聴器による聴覚活用が伸び、手話等によるコミュニケーションのやりとりが活発になってきたが、音声言語だけでは厳しいと言われたことにショックを受け、両親は再び悩んだ。さらに医師から「内耳奇形があるようなので、手術の実績のあるR病院を紹介するから説明を聞くように」と言われた。担当からは「内耳奇形があってやれるかどうかがはっきりわからない状態で悩むのであれば、とりあえず紹介されたR病院へ行って、まず人工内耳の手術が行えるかきちんと可能性を確認してから悩んではどうか」と伝えた。
そうして4歳0ヶ月にR病院を受診し、医師の丁寧な説明のもとで内耳の画像診断が行われ、結果、手術が可能であることがわかった。
(3)聴覚やコミュニケーションについての支援
①0~1 歳児までの支援
<聴覚・補聴支援>
聴力検査の結果に対して、保護者は「家庭では反応がある」と懐疑的で、補聴器の試聴について慎重に時間をかけて行った。補聴器を嫌がって外すことはなく、その後は補聴器をつけると発声が促される等、順調に聴覚活用が見られて保護者も納得した。
<親子遊びやコミュニケーションの支援>
(親子遊び、手遊び、リズム、絵本等、劇遊び、調理活動、懇談)
身振りや手話を積極的に取り入れて示していったところ、1歳4ヶ月頃から伝わり合いの実感が親子でお互いにもてるようになり、コミュニケーションの力が伸びてきた。当初は、保護者はサインの導入に懐疑的であったが、好きな動物等を自分でサインを作り出す子どもの話や、伝わり合っている先輩親子のかかわりの様子を見せて気持ちが変わり、通じ合える喜びを口にするようになった。
②2歳児までの支援
<聴覚・補聴支援>
3歳3ヶ月に純音聴力検査が可能になり、それをもとに左右別々に補聴器の再調整を行った。結果、家庭ではテレビの音量を上下して聞こえを試す等して聴覚活用が進み、音声の自発語が増えてきた。
<親子遊びやコミュニケーションの支援>
(親子遊び、手遊び、リズム、絵本、劇遊び、調理活動、絵日記指導、懇談など)
意思の伝わり合いの実感が親子でお互いにもてており、相手の話を受けとめる構えができてきて、口声模倣により、手話だけでなく音声言語によるコミュニケーションが伸びてきた。また指文字や文字の読み取りも少しずつ出てきた。
③3歳児の支援
<親子遊びやコミュニケーションの支援>
(保育園での歌発表、絵日記発表、なぞなぞ、調理活動、懇談など)
指文字による表現とひらがなの読みとりがほぼできるようになってきた。生活場面でよく使われる言葉は口声模倣や繰り返しで限定的ながら音声言語も抑揚をとらえて自発的に出ている。母親も「親子手話じてん」を使いながら手話や指文字で懸命に伝えようとし、B児も受けとめの姿勢で理解に努め、互いにやりとりを楽しみつつ深めている。
(4)障害の受けとめにおける保護者支援
相談が始まった当初は、病院の対応への不満や、担当の行う聴力検査の結果への疑問等をぶつけることが続き、きこえないことの事実がなかなか受け入れられない時期が半年近く続いた。そのうち、補聴器による聴覚活用や親子での通じ合いがB児の成長に伴って実感されていくことで、徐々に障害の受けとめが進んできた。そして、保護者の方が「もっと伝え合いたい」「どのようにしたら伝わるか」と意欲をもつようになり、手話を自分で勉強しながら自信をつけてきた。2歳の終わり頃、B児に口声模倣が出始めたときには、これまでの親子の関係づくりがしっかりなされてきた成果と褒めて励まし、保護者は喜び自信を得たようであった。
B児の保護者の居住地は聾学校から遠くまた共稼ぎであったが、両親とも熱心で0歳児のときから個別指導には両親そろって来校することが多かった。しかし、その一方でグループ指導や保護者学習会に参加することはほとんどなかった。そこで、障害の理解を推し進めるために、保護者学習会で年1回行っている「難聴擬似体験」について2回目を設定して強く働きかけたところ、両親と保育園の担当保育士が来校した。母親は擬似体験に取り組むにあたって「(担当に)これまで何度か勧められて、その度に、B児はきこえない中でこんな気持ちだろうと想像はしていたけど、実際に体験してB児の気持ちを知ることが自分には怖かった」と率直な感想を漏らしていた。実際に擬似体験を行ったことで、音声だけのときの無力感や孤立感、身振りや手話等も使って伝わり合える喜びや有能感等、きこえないことの心理面について理解を深めた様子であった。
3歳児のときは、「障害の理解」をテーマにした保護者学習会に参加を促し、両親で参加した。担当より、障害児をもつ親の受容過程や本人の障がい認識の形成等についてレクチャーを行い、その後で参加した保護者に座談会形式で感想や思いを語ってもらった。B児の父親は30分ほどかけて思いを一気に語った。「長い間、『きこえているだろう』という思いの中で生活していた。CTの結果から否認のしようがない事実を見せられた。それでもなお音に反応するのが10回に1回あれば、『きこえている』と自分たちで納得していた。きこえない部分があることを認めたくない、納得したくない自分がいた。障害の受容は、受容と否認の揺れの中で、少しずつ認められるようになるものだと思う。最初は受けとめられたと思っても、次の瞬間には否認へ大きく戻る。初めは戻る幅が大きいが、月日が経つにしたがって、少しずつ戻る幅が減ってくる。その繰り返しであると思う。補聴器を隠そうとしている自分と、わかってほしい自分がいる。この思いをまずは自分自身で昇華しないと、周りに伝えることはできないだろう・・・」。初めて「障害」に向き合えた瞬間と思われるくらいの自己開示の様子がうかがえた。これが契機になったのか、その日以来、来校する父親の表情やまなざしに柔らかさが感じられるようになってきた。
(5)人工内耳の選択をめぐる相談
ここではS病院の受診から両親が人工内耳を決心された経過をエピソードで綴る。
○母親との懇談 ~「手話か口話か」と「手話も口話も」~
母親からS病院での初診の報告を受けた。「父親は補聴器で聞こえている、間に合っているのではという思いがあったが、S病院での初診で医師に、ここまで育ててきたことのねぎらいの言葉をかけてもらって、父親は気持ちが傾いた様子。医師からは、次回の画像診断で手術が可能とわかった時点で、実際にどうするのかはっきりさせておいて来るようにと言われたこと、「手話か口話か」どちらで生きるかを選択するように。手話を選ぶなら、親も手話をしっかり勉強しないといけない。人工内耳を早くからつけていくと、きこえる子どものように馴染みない言葉も何気なく聴覚記憶として残り、いずれ学習言語として入ってきたときに理解に繋がりやすいが、手話ではそれが起こらないこと、手話は名詞を並べるだけの中途半端な形になると言われた。自分としては、最近B児が音楽に関心が出てきて、歌が流れると聞いて歌っている。その姿を見ると切なくなり、人工内耳にしてしっかり聞かせてやりたい」と言われた。
担当からは、人工内耳を装用しても「きこえる人」と同じようになるわけではないこと、「手話か口話か」とどちらかを排除する論理ではなく、「手話も口話も」のどちらも大事という観点でとらえていくことが大事と伝えた。
○父親との懇談 ~軽度・中等度難聴のもつ苦しみを知る~
4年目にして初めて父子だけで個別指導に来校したことに担当は驚き、障がいやきこえないことを父親なりに受けとめられるようになったことからくる、好ましい変化ととらえた。父親を褒めてねぎらうと、はにかむような笑顔を見せた。手術が可能である画像診断を受けて、人工内耳の希望の有無を1ヶ月後に返事することになったと聞く。
担当からは、術後のリハビリが重要で、通う頻度が術後の直後ほど多く、遠方であっても続けてやっていける気持ちがあるかということ、同じ3歳児グループにいる中等度難聴の幼児が幼稚園で苦戦している事例を具体的に挙げて、そうした軽度・中等度難聴の大変さ、自己形成の困難さは人工内耳にも通じること、それをわきまえた覚悟と理解が必要であると伝えた。
後日、父親からは、術後の苦労や中等度難聴の苦労が待っていることを帰ってから母親に伝えたところ、人工内耳を入れる方向で固まっていたこともあり、ショックを受けて生半可に結論を出せないと気づいたようだと語っていた。
○保護者同士の懇談の設定 ~手術後の生活のイメージや見通しをもつ~
術後のリハビリについての見通しをもたせるため、同じくS病院で手術を受けて定期的にリハビリに通っている幼稚部幼児の母親にお願いし、次回の個別指導のときに話を聞く機会を設定した。実際に、保護者同士の懇談を行ったことで、B児の両親はとくに仕事を続けながらリハビリに通うことについて具体的なイメージや見通しがもてた様子であった。
○難聴学級見学後の懇談 ~きこえない子どもとして育てる~
幼稚部の就学指導の一環として設定した、人工内耳の児童が通う小学校の見学に両親も希望して参加した。難聴学級での個別学習や交流学級での集団学習の授業の様子を参観し、後日に懇談を行った。
母親はその席で「祖父母や周りの人が、人工内耳によって耳が治るようになると思っていて、その誤解を解くのが大変だ」と漏らした。
担当からは、人工内耳の児童が交流学級の集団の場で行っていた、FMシステムと難聴学級担任によるノートテイクの情報保障を例にとって、交流学級の担任の配慮や、交流学級の集団環境のよさが整っていたからこそ活かされたことを説明した。そして、前述の母親の言葉を借りて「人工内耳によってきこえる人になるのではなく、人工内耳であってもきこえない人として認めて育てる」ことを両親がわきまえて、周りに理解・啓発をめざして発信していかれればよいと励ました。
3.考察
この事例については、親子関係が築かれ、やりとりも手話や指文字、音声言語を使って双方向に成立していること、わが子は自分たちで育てる想いのもとで、両親が人工内耳の選択をめぐって互いに意見を交わしていること、「きこえない子どもを育てるための、親の『覚悟と開き直り』と『これまでの価値観を変えること』」(南村洋子「きこえない子どもをもつ親へ伝えたいこと」)がキーワードになっていると思う。
人工内耳についての情報提供は、デメリットや術後のリハビリの見通しはもちろんであるが、人工内耳にしてもきこえる子どもになるわけではないこと、「きこえない子ども」として育てることを粘り強く伝えていくことで、人工内耳への期待とともに、それなりの『覚悟と開き直り』をもってもらえたのではないかと思う。そのことで、人工内耳をつけたわが子が、仮にきこえる子ども集団の中で困難や危機状態に陥ったときに、すみやかに柔軟に対応できる親になってほしいと思う。軽度・中等度難聴の場合の保護者のきこえの受けとめは、障がい受容と合わせて中途半端になりやすい難しさがあるが、重度難聴の場合には、きこえの厳しさを実感するうちから保護者が『覚悟と開き直り』をもち、人工内耳の選択においてもその意識を継続して持ち続けることが必要である。
また、B児の保護者は障がいの受けとめに苦しみ、時間をかけてきたが、やがてB児自身の成長と、親子のコミュニケーションの通じ合いの実感から喜びに変わり、徐々に前向きになってきた。その機が熟したタイミングをとらえ、『これまでの価値観を変える』ごとく、保護者学習会等の機会を設定し、働きかけ、保護者の自己変革が結果として促されたことは有意義であった。保護者の心情に寄り添い、時間をかけて保護者の変革を信じていく支援が求められる。障がいの受容の問題は螺旋階段を上るがごとく繰り返されることから、人工内耳の術後も引き続けて支援を行っていくことが大切になろう。
4まとめ
人工内耳の選択に揺れる保護者から、行き詰まった先に、あるいは決定した後で、担当自身はどう思っているか意見を求められることがある。担当からは、人工内耳の選択について口をはさむことはない。ただ、親子がこれまで築いてきた関係が、人工内耳をした後にも安定してよい形で繋げられるよう保護者とともに考えていくことである。そのためにも、保護者には、子どもと自身の成長や親子関係の変容を見つめ直し、これまでの価値観についてもとらえ直すことのできるような時間を十分にもてていることが望ましい。そうした時間の中で、親子での豊かな共有体験や共感関係が築かれていけることを願っている。
先日、右のような冊子が出版されましたが、この中に出てくるきこえない・きこえにくい本人(社会人・大学生7名、中・高校生9名)と保護者28名合計44名の手記からいろいろなことがわかります。今回は「人工内耳装用は2歳では遅い」とか「3歳以降ではことばは獲得できない」といった耳鼻科医の発言について考えてみます。

〇「3歳以降の人工内耳装用ではことばは獲得できない」?
これは保護者がある大学病院の耳鼻科医師から実際に言われたことです。医師にとって「ことば」とは音声言語(=音声日本語)のことであり、それはどれだけ「きこえているか」とどれだけ「話せているか」ということによって評価されます。その意味で殆どの耳鼻科医のいう「ことば」とはhearing とspeechで、日本語の書記言語(読み書き)とか手話言語といった言語学で考える言語=languageは含まれていません。音声を使ってどれだけ日常会話が可能かという点が医師にとっては評価に値する大事なことなのです。では、この点に限定して、3歳以降の人工内耳装用では、音声による会話は困難になるのでしょうか?
『手話で育つ豊かな世界』の中には、2名の人工内耳装用本人(いずれも高校生)と5名の人工内耳装用児親(高校生親2名、中学生親2名、小学生親1名)が手記を書いていますが、この子どもたちは全員3歳を過ぎてからの人工内耳装用です。
では、この子たちは音声言語が使えていないのかというと決してそうではありません。この子たちは全員、まず手話からスタートして手話言語を獲得し、その後、日本語を指文字や文字を使って獲得しはじめ、さらに音声からの日本語入力や音声でのコミュニケーションができるようになるために、3歳を過ぎた時点で人工内耳を装用しています。因みに当時は2歳以降なら人工内耳手術をしてもよいという日本耳鼻咽喉科学会(日耳鼻)の適応基準がありました。

詳細は本文を読んでいただければと思いますが、ここでは人工内耳を装用している高校生親子と中学生の保護者の手記から関連する部分を引用してみます(右添付ファイル)。
ファイルに引用したこれら4名の手記からもわかるように、人工内耳装用が3歳を過ぎてもちゃんと皆、音声日本語は習得できていますから、補聴器を装用し聴覚を活用していれば3歳を過ぎてからの人工内耳装用では遅いということはないといってよいでしょう。
つまり、耳鼻科医の発言は、個人的に自分は

う思うという「意見」であって、エビデンスがあるわけではないということになります(この点については小児難聴専門医の田中美郷先生の論稿をぜひ読んでいただきたいです同上書104頁)。
現在、日耳鼻では人工内耳手術は1歳以降、体重8kg以上という基準を設けていますが、この時期を前倒ししてなるべく早くできるようにしたいという考えが一部の耳鼻科医にあります。「早くできればそれにこした

ことはない」と皆さんは思われるかもしれませんが、発達上の問題があって1歳前にABR等の他覚的検査だけで乳児の聴力を確定することは一般的に困難です。ABRで反応なしとか100dB以上と言われていてもplay audiometry検査が徐々に可能になってくる頃には90dB以下ということは少なくないからです(同じことを田中美郷先生も書いておられます。同上書104頁)。
ですから子どもの聴力がほぼ確定できるようになる2歳以降での人工内耳装用でよいわけで、それで遅いという理由はないのです。
〇この子たちは3歳まではどうしていたのか?
ではそれまでの子どもたちの言語獲得はどう考えればよいでしょうか? 上記の5人の子どもたちは人工内耳装用前の3歳まではどのようにコミュニケーションし言語を獲得してきたのでしょうか?

全員に共通しているのは、0歳や1歳の時に聴覚障害が発見され、補聴器を装用し、さらに聾学校の乳幼児相談に訪れた時から手話でスタートしたということです。
発達の早期から手話を用いることには、二つの大きなメリットがあります。一つは子どもの自己肯定感や非認知能力が育まれるということ、もう一つは年齢並みの言語・認知能力が発達するとということです。そのことについて、人工内耳装用児の保護者は以下のように書いています(『手話で育つ豊かな世界』より)。
①手話は自己肯定感を育む
「・・・大塚で手話に出会い、本気で抱きしめてくれる先生に出会い、補聴器をつけた仲間といっぱい遊び、娘が変わっていったということ。私も変わることができました。ずっと心に溢れていた戸惑いや娘への申し訳なさは少しずつ軽くなり、娘と過ごす時間が幸せでたまらないものになっていきました。娘自身も、日々の暮らしの中にたくさんの喜びを見つけられるようになっていきました。大塚に通う毎日の道は、本当に楽しかった! ある雨の日にカタツムリを見つけ、両手を使っておしゃべりがしたくて、二人とも傘を置いて濡れながら夢中で話した思い出は、一生の宝です。・・・人一倍人の痛みに敏感で、辛そうな姿を見ると誰のことも放っておけず、時にはそのことで自分が辛い思いをすることがあっても厭わないほど、しなやかな気持ちの子に育ってくれた。・・・」(MH,CI装用,中3年の保護者)
この手記から、手話との出会いを通して、保護者自身が自己肯定感を取り戻し、子どもと共に過ごす幸せを実感できるようになっていったことがわかります。このことは子どもに「自分は愛されている」「自分は自分でよい」という自己肯定感を育みます。自己肯定感を育んだ子どもは、自分が出会うことにも積極的に向かえるようになります。MHさんは小学校高学年の頃、「きこえないこと」に悩んだ時期がありましたが、見事自分で乗り越えていきます。それには保護者も驚いたといいます。
自己肯定感をもった子どもは、目標に向かって頑張る力、集中して物事に取り組める力、失敗しても立ち直れる力、自分の感情や行動をコントロールできる力、他人への思いやりや適切な配慮ができる力、他人と協調できる社会性、物事に創造的に取り組んでいく力~これを「非認知能力」と言っていますが、こうした能力を育んでいくことができますし、こうした力は自己肯定感あって伸びていくものです。なぜなら、自己肯定感をもっているということはあらゆることにポジティブに向かえるということだからです。その結果としてこのような力も育つのです。そして、このような「心の土台」が乳幼児期に手話を使う生活の中で育まれたということがわかります。
*自己肯定感については、本HP>TOP頁>新スク検査>「自己肯定感をもった子に育てたい」を参照
②手話は認知能力を促進する
「娘は生後7か月くらいからホームサイン(動かせる手・指で表現できるよう自作した手話のようなもの)を使い始めました。この頃から段々と意思の疎通が図れるようになり、心理的にも安定して、意味なく泣くことがあまり無かったように感じます。・・・聞こえる子供たちが耳で聞いて自然と言語獲得するように、『ろう児・難聴児は手話の世界に入り、目で見て言語獲得する。⇒手話の世界に入れてあげれば、自然と言語獲得に最適な時期に必要な言語を獲得できる。』と実感しました。」(KA,CI装用,中2の保護者)
「ろうの先生方は耳がきこえないだけで、とても魅力的な先生たちでした。先生たちの言葉はいつも私の心に突き刺さるものがありました。そんな先生たちと話しているうちに、きこえや音声といった表面的なことにとらわれている私がとても恥ずかしくなりました。そんなことよりも、もっと深いところに目を向けるべきだと思うようになりました。」 (「手話で育つ豊かな世界」75頁)
これらの手記から、手話によって自然な言語(language)が獲得されること、そして言語が獲得されることによって物事の概念や認知の力が育まれること、さらには自己肯定感をもった成人聾者との出会いを通して、保護者の意識も、表面的な「きく、話す」ということから「もっと深いところ」すなわち子どもとの話の中身(思考の深さ)や豊かな感性を育てることに目が向けられていくということがわかります。

そしてこのような積み重ねによって、結果として子どもたちの日本語力や思考力、学力も伸びていきます。というと、「聾学校から大学に行った子どもなど殆どいない」などと根拠なく否定する方いますので、認知能力の一側面としての「読み」の力の伸びを示した結果を図示しておきます。また以下のところを参照してください。参考までに記しておきますが、下記論稿の某公立ろう学校卒業生の大学・短大進学率は最近5年間(2016~2020)の平均で約56%(39名中22名)です。
TOPページ>論文・資料・教材>「9歳の壁(峠)」を越え始めたきこえない子どもたち(2018)
〇人工内耳の限界を補うためにも手話は必要
人工内耳は万能の機械ではありません。メリットもあれば限界やデメリットもあります。メリットは聴者とコミュニケーションする上で役立つことです。しかしいつでも100%聞き取れるわけではありません。メリットに関してTY君(高3)は以下のように書いています(本書23頁)
「・・(人工内耳装用前は)完全に無音の世界でした。(人工内耳を装用して)世界に色がついたような不思議な感覚は今でも心に残っています。・・・今では様々な音声をききながら手話を日常生活で当たり前に使っています。」
TY君は聴力がとても厳しかったので、3歳で人工内耳を装用して音が入ってくる不思議な感覚を上記のように表現したのでした。そして今は口話と手話を身につけ、相手に応じて使い分けたり併用したりしてコミュニケーションしています。
TRさん(高2)は、人工内耳の効用と限界について以下のように書いています。
「・・・(聴者と会話ができるので)人工内耳は便利なものだと思っています。その反面、健聴者と会話ができてしまうと、その会話の相手は私が耳が不自由だということをすぐに忘れ、どんどん話しかけてきます。話がすすむにつれ、自分は耳が聞こえないというアピールがしにくくなることもあります。よく母が言う「中途半端なきこえ」を、私が社会に出た時にうまく伝えられるか、忘れられたら何度でも伝えるメンタルの強さが自分にあるのか、とても不安を感じます。 」(同上書27頁)
一般の人は、人工内耳を装用してある程度きこえて話せれば「この人はきこえている」と誤解します。「わからなかったからもう一回言って」と言うのも2、3回はよいとして何度も言うのは気が引けるものです。ついついわかったふりをしたり、笑ってごまかすことも多くなります。TRさんが言う「中途半端なきこえ」をもつ人工内耳装用者や難聴者の悩みです。100%わかるためには、筆談、要約筆記、音声・文字変換アプリの利用のほかに手話ができれば手話通訳を利用することができます。手話はリアルタイムにスピーディーに確実に多くの情報を伝えるという点でとても大きな力を発揮します。それぞれの場や状況に応じて効果的にコミュニケーションするためにも手話も使える力を小さい時からつけておくことが望まれます。
さらに最近のコロナ禍におけるマスクの着用、常時換気の電車での会話、災害時の電池切れ、機器の故障など補聴器や人工内耳での音声言語の会話にとってマイナスのことも多くあります。このような状況においても手話でのコミュニケーションは身一つあれば可能です。どのような場面でも対応できるようコミュニケーション手段の選択肢は多い方がよいのではないでしょう。
さて、話が少しそれてしまいましたが、人工内耳の装用は早いほうがよいという考えを否定する必要はありませんが、まずは補聴器を装用して補聴効果を十分に確かめながら、聴力がほぼ確定できる2歳~3歳頃までに判断すればよいということでしょう。「早く早く」と煽るのは禁物です。1歳前に判断するのは聴覚の発達の問題があり困難です。まずは両親でじっくりと相談する時間的ゆとりが必要です。そうでないと親は不安になり、十分に考える余裕もなく手術することになってしまいます。その結果、人工内耳を必要とする聴力より軽いのにやるということが起こります。片耳装用が普通であった数年前には、人工内耳をしないほうの片耳は60dBとか70dBだったという例がしばしばみられました(今は両耳装用が普通になっているのでそれももうわからなくなっています)。人工内耳は一生ものですからランニングコストを考えると相当費用がかかります。シングル家庭や生活保護世帯で、人工内耳を結局維持できなくなった家庭も実際に何例か知っています。そこまで国や自治体が面倒を見てくれるわけではありません。こうした現実を高2のHRさんはしっかりと見つめ、以下のように書いています。
「・・人工内耳をして今何を思うかときかれれば、『人工内耳はお金がかかるから、会社に入ってちゃんとお給料もらわなくちゃいけないな...』ということくらい。機械の買い替えもなかなかの値段です。将来ちゃんとした給料をもらえるよう、勉強して手に職をつけようと思っています。」(同上書27頁)
これもまた、将来、本人が背負わなければならない一つの現実であるということを、人工内耳を考えるにあたってしっかりと考えておく必要があると思います。
◎『手話で育つ豊かな世界』の申し込みは、送り先と冊数を書いて、FAX03-6421-9735 またはmailto:soukisien@yahoo.co.jp へ。郵便振替用紙を同封してお送りします。
先日、ある方からメールでこういう質問を受けました。「自分の子どもは生後8カ月で、聴力は100デシベルの高度難聴と言われています。病院では人工内耳を勧められています。医師は人工内耳をすれば聴力の改善ができ、普通の子と同じように聞いて話せるようになる。そうなれは普通小学校にも行けると言っています。先日の朝日新聞(*)にも医師が言ったのとほぼ同じようなことが書いてありました。これについてどう思いますか?」というものです。私は以下のように返事を書きました。
〇人工内耳のリスク&ベネフィット
人工内耳にはメリットもあればリスクもあります。メリットは言うまでもなく装用したときの聴力閾値の改善です。わかりやすく言えば100dBの子が70dBの子と同じくらいのきこえのレベルになる。大方の子は日常会話が音声でできるところまで行きますが、すべての子がそうなれるかどうかは結局やってみないとわからないところがあります。100%の確率で予測ができないのです。音としては入っていても(ここまではどの子も行きます)、言語は脳で処理するわけですから知的障害が重い場合は難しいですし、聴覚過敏の広汎性発達障害の子で音が聞こえると不安になってパニックを起こし、結局使えなかったという子もいます。また、1歳0か月では裸耳聴力の確定は難しく、人工内耳をしなかったもう片方の耳が60dBとか70dBだったという子もいます。これは意外と多いです。片耳がこの聴力であれば、補聴器を使って音声言語で会話するところまでは重い知的障害がなければだいたいどの子も行きます。しかし、今は両耳同時にやることも多いのでもともとの聴力がどの程度だったかはわかりません。人工内耳は元に戻せませんから。医師からは人工内耳でよくきこえるようになるのだからそれでよいではないかと言われるかもしれませんが、裸耳聴力90dB以下なら補聴器で音声言語の獲得は十分可能ですし、補聴器
方が故障や買い替えなど生涯のランニングコストの面では有利ですから、わざわざ経済的なリスクを背負う必要はないと思います。ですから裸耳聴力がだいたい確定できる2歳代まで待てばよいわけです(経済的条件も考慮して)。朝日新聞には「オーストラリアでは生後6か月で人工内耳を埋め込めば5歳時の言語発達が聞こえる子と同じレベルだった」と書いてあったようですが、どのような検査で何を確かめたのかわかりませんが、たとえ人工内耳をしたとしても聴力0dBの子の聴覚からの情報入力とはやはり格段の差があるので(「ききかじる」とか「小耳にはさむ」といったことはきこえない子は難しい)、人工内耳を装用しただけでは言語発達は同じにはなりません。〇人工内耳にも文字・指文字は不可欠
時々、医師や言語聴覚士から「人工内耳をしてふつうに幼稚園や保育園に行けば大丈夫」と言われてその通りにしているお子さんがいますが、耳だけでは決して日本語の音韻は獲得できません。防音装置の施された聴力検査室で語音が90%以上聴取できる人工内耳の子は少なくありませんが、この世には防音装置が施された空間などどこにも存在しませんから、生活の場できこえる子のように100%音韻を弁別することは不可能です。ソシュールという言語学者は「言語が成立する究極条件は、言語記号の最小単位の独立性を保障する記号相互間の差異の知覚を必要とする」(「一般言語学講義」1910)と言っていますが、要するに「ムシ(虫)」なのか「ウシ(牛)」なのかどちらなのか明確に音声で区別できなければ言語は獲得できないということです。ですから音韻の弁別が100%できないきこえない子は、音声だけでは決して正しい日本語を獲得することはできません。以下のメールはある保護者からいただいたメールです。
「・・A子(片耳CI装用)は、月1回、病院の言語訓練に通っています。そこで、保育園に通っている両耳人工内耳の男の子と一緒に指導を受ける時間があります。その子は、手話も指文字も知らず育っており、聞き間違いが多く、言葉を曖昧に覚えているという印象があります。助詞の間違いも多いです。自信のない曖昧な感じで、分からない時には笑ってごまかしてしまいます。新しいことばもA子は指文字で『ジョッキ』とか『ひっかく』と覚えますが、その子は音声を必死に聞き取り、『ジョキ』『ひかく』と覚えたりしてしまいます・・」
きこえない子は、音声での促音(つまる音)、長音、拗音(小さいヤユヨが入る音)の区別が難しいので、新しく出会ったことばを正確に覚えることができません。では、どうするのかといったら、文字や指文字など視覚記号を使うわけです。視覚記号は100%音韻の区別ができますから。時々、病院の医師や言語聴覚士に「視覚手段は必要ないから」と言われてそれをそのまま信じ、文字まで一緒に捨ててしまう(生活の中でほとんど使わない)方に出会いますが、その結果、日常会話程度のおしゃべりはできるけれど、会話の内容が浅く(例えば年長になっても自己経験の会話の範囲から抜け出せずこの場にないことや想像での話ができないとか)、日本語の読み書きの力の土台が育っていないお子さんに出会うことがあります。日常会話レベルのやりとりを生活言語と言い、書きことばや思考のための日本語を学習言語と言って区別していますが、人工内耳をしただけではこの後者の言語は獲得はできません。きこえる子は、音声言語でのやりとりや情報入力も十分なので生活言語もしっかりと獲得しており、その土台の上に学習言語が獲得できますが、きこえない子は生活言語自体が豊かに獲得できていないために、たとえ音声言語でおしゃべりできたとしても学習言語の土台にはならないのです。こうした現象をダブルリミテッドとかセミリンガルと言いますが(手話と日本語両方に限界がある場合も用いる)、このようにならないためには、ただ早く人工内耳をして保育園・幼稚園に行けばOKではなく、乳幼児期の経験や親子家族でのコミュニケーションを豊かに積んでいく必要があります。そのためには、音声言語だけにこだわることなく、手話も指文字も文字も使えるものはなんでも使っていくことです。「5歳で聴児と同じ言語力」はそうした子育てや教育の結果として獲得できることで、単に発見が早ければよい、人工内耳が早ければよい、保育園・幼稚園に行けばよい、ということではありません(どんなことに注意していくかについては改めて書きたいと思いますが、基本的に聴力は関係ありません。ただ、聴覚が使えればその分会話はラクです)。
また、ここでは、きこえない子の自己認識・障害認識のことには触れていませんが、そうした問題も含めて多様な問題をかかえているのが聴覚障害といわれる障害です。
どうぞ急ぐ必要はありませんので、家族でじっくりとご相談なさってください。医師にも人工内耳のメリットだけでなく問題点についても話してもらってください。医師はなるべく早くというかもしれませんが、早ければ効果があるとは限りません。私は3歳過ぎまでは待ってよいと思います。そこまでは手話で十分コミュニケーションも認知も概念も年齢並みに育ちますから(そこから先は日本語も必要になります)。
また、補聴器の装用効果もはっきりしてきます。発達障害がある場合も3歳代まで待って判断するほうがよいと思います。3歳過ぎると発達障害の程度や症状もだんだんわかってきます。人工内耳をして果たして将来自分で人工内耳が管理できるのか、そこも大事です。装用した子の親御さんから、装用しなかった子の親御さんから、装用した本人から、装用しなかった本人から、たくさん体験談をきいていろいろな視点から考え判断されるとよいのではないかと思います。
(*)朝日新聞2019年8月17日の記事で以下の部分。「・・・オーストラリアの研究では、音を電気信号に変えて脳に伝える「人工内耳」を埋め込む手術を生後6カ月の時にした場合は、5歳時の言語発達が聞こえる子と同じレベルだった。国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の通常学級に通えるという報告がある。・・・」
最近の人工内耳装用に関して、疑問に思うことがいくつかあったので今日はそのことについて書いてみます。ただ、私は人工内耳が良いとか悪いとかいうことについて言いたいのではありません。人工内耳はあくまで本来的には本人が、幼児についてはその幼児の保護者が熟考して決めるべきことだと思うからです。人工内耳をして耳から音声日本語が聴取できるようになれば、確かに音声面からの日本語獲得の助けとなり、音声言語による日常的な会話(ヒアリング&スピーチ)ができるようになるのは確かです。といって耳から音声が聞き取れなければランゲージとしての日本語獲得ができないということはありません。専門家を含む多くの人たちが「しゃべれるようにならなければ日本語が獲得できない」と素朴に信じ、そのためには「手話は使ってはならない」と思い込んでいますがそれは事実とは異なります。実際に130dB スケールアウトで高い読み書き能力を身につける子どもはこれまでにも何人か私はみてきました。例えば『人工内耳事例報告集2』(全国早期支援研究協議会発行,2012)に掲載されている「なぜ、人工内耳を選択しなかったのか?~母として医師として思うこと」のお子さん(このお子さん文字中心で日本語を身につけた)とか、2代目筆談ホステスだった女性(この人は指文字中心で日本語を獲得した)などは、日本語の音韻を文字や指文字で獲得した人たちです(因みに、初代筆談ホステスは斉藤里恵さんですが、斉藤さんは口話法で音声言語中心に日本語獲得した人です)。ともかく音声でなければ日本語音韻を獲得できないということはありません。
○リスク・アンド・ベネフィットの説明は十分か?
さて、私が最近危惧していることの一つは、人工内耳手術をするにあたって、医師から勧

しかし、インフォームドコンセントの原則(説明と同意)のもとでは、「リスク・アンド・ベネフィット(利益)」について十分に説明することが求められます。保護者も説明が十分でなければセカンドオピニオンを求めることもできますが、その後の教育のことまで含めた小児難聴のことがわかる医師は数が少ないこともあって、そこまで保護者も求めることをしないのが現状です。もし仮に今、人工内耳について悩んでいてセカンドオピニオンを求めるのであれば、私なら迷うことなく、東京・神尾記念病院耳鼻科の田中美郷先生を薦めます。ご高齢ですが日本の小児難聴の草分け的存在でもあり、深い見識をお持ちの先生です。
また、手術そのもののリスクというより、その後の費用負担に関わる生活上のリスクには、勧める側も勧められる側も一般的に無頓着なことが多いです。最近も、生活保護家庭に両耳装用を勧めるといった大学病院がありましたが、実際、私が過去に経験した生活保護世帯の2例は、結局、電池が買えないなどの様々な経済的理由でいずれも装用を中止してしまいました。生活保護家庭の子どもも人工内耳を2台装用する権利はあると言えばもちろんそうですが、高額医療費支給制度のおかげで手術にお金はかからなくても一生維持する機器ということを考えるとランニングコストはそれなりにかかります。2台装用しても効果は2倍になりませんがリスクは2倍になると考えるべきで、慎重に判断すべきです。
また、経済的リスクという点では、将来、本人がどれほどの収入が得られるかも考えておいたほうがよいでしょう。実際、コクレア社のSprintの部品製造が中止になった時、買い替えるだけの余裕がなく、故障して使用中止に追い込まれる人もいました。新製品が登場すれば旧型の製造が中止されることはあり得ることですが、Sprintが登場した時の触れ込みは
一生使える」でしたから、果たしてどうなのかという疑問は残ります。その後、その人はお金を貯めて100万円で買い替えたと聞きました。
○手術時期の早期化(低年齢化)と低聴力化


次に、低聴力化ですが、現在「適応基準」では「90dB以上」となっていますが、平均聴力70dB台で人工内耳を勧められるケースが多くなっています。その理由の一つに「欧米では70dBが適応基準になっている」ということがあります。ではなぜ欧米では70dB なのかと

再度言いますが、私は人工内耳に反対しているのではありません。ただ、手術をすればもとには戻りません。うまくいって、きこえる子とほとんど違わないくらい発音が明瞭になった子もいますし、手話の覚えられない祖父母と会話できるようになったという子もいます。その一方で、手術自体がうまくいかなかった子もいます。シリコン・アレルギー反応が起きてインプラントが外部に突出し結局取り出した子もいれば、電流が流れると顔面マヒが生じ、使用を中止した子どももいます。しかし、補聴器に戻ることはできません。そういうときにどういう教育方法をとるのかも含めて人工内耳装用は、十分に考えて決断する必要があるのではないかと思います。医師からは「早くやったほうが効果があがる」と言われるかもしれません。そういう研究論文が多いのは確かです。音声だけでずっと行くのならそれも言えるでしょう。でも、早期から手話を使って言語と認知の発達を伸ばし(これについてはぜひ『子どもとママと担当者と3年5か月の軌跡』(出版案内TOPページ参照)をご覧ください)、3歳代で人工内耳という選択も十分に可能ですし、手話による言語発達・認知発達がしっかりとできていれば、それから人工内耳をしても決して遅くはないと思いますし、人工内耳を選択しなくとも言語としての日本語獲得は十分に可能なのだということは知っておいてよいと思います。
「小児人工内耳適応基準」(日本耳鼻咽喉科学会HP)
http://www.jibika.or.jp/members/iinkaikara/artificial_inner_ear.html
この冊子は、2010年に全国早期支援研究協議会より発行されました。サブタイトルが「装用した子・してない子、全国保護者270人の回答から」となっているように、

そこで、上記研究会の了解を得て、「自由記述欄にみる保護者の思い」と「アンケート結果を読んで」についてPDFで掲載することにしました。保護者及び関係者の皆さまへの情報提供資料として活用していただけたらと思います。