全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

軽・中度難聴、一側性難聴、人工内耳、補聴器

子ども達との遊びの中で、すべり台を滑る時に「ヨーイ ドン!」とか、お菓子が入った箱をあける時に「1,2の3!」等、合図のことばを使う場面がたくさんあるかと思います。手や指の動きと合わせてきこえてくる声、それに注目する子ども達の気持ちは、「何かが始まる・・・」そんなワクワクした期待感にあふれています。「合図の後に何かが出てくるぞ、合図の後に楽しい遊びが始まるよ、合図の後に出発だ。」というように、合図のことばは、子ども達にとって意味のあることばになっているといえます。子ども達とこうした合図を入れてのかかわりをしている時、感じませんか?「子どもがよく見ている!」って。

音が入るように補聴器が調整されていて、音が入る距離内(基本的に1m程度)にいれば、子どもたちによって音のきこえ方に様々な違いはありますが、おそらく耳からなんらかの音声が入ってきていると思います。聴力が重い子どもたちにとっては、「ヨーイ、ドン!」は「おー、お!」のように、「1,2の3!」は「● ● ●(不明瞭な音が三つ)」というように・・・実際には、このように曖昧な音であっても、子ども達は期待して聴くことを積み重ねることを通して、「おー、お!」や「● ● ●!」の音がとても意味のある大事な音としてとらえられるようになっていきます。


〇「聴能訓練」から「聴覚学習」へ 

 かつて、ろう教育では、「聴能訓練」ということばの下に、「聴く」訓練をする授業や指導場面が展開されていた時期がありました。例えば「あたま」と「くち」の絵カードを前にして、口を隠してどちらのことばを先生が言ったかを当てるという学習がその一つです。それは、聴力の厳しい子どもたちにとっては、とても聞き分けるのが難しい課題なわけですが、子ども達は3音節か、2音節かの違いにより、音がどの位の長さで聞こえてくるか、そんなことを手がかりにして聞き分けるということをしていました。そして、同じ2音節同士の単語での聞き分けになると、あてずっぽうで選ぶ子どもも出てきました。それは、本人にしてみれば、「わかんないよ!」という心の叫びであり、子どもによっては、「聴く」訓練の限界が当然ありました。しかし、このように繰り返し「聴く」訓練をしていけば「きき分けられるようになる」という考え方があり、訓練することで聴覚を活用する考え方が主流の時代がありました。そんな時代を経てまもなくアメリカから[聴能訓練はNO!]、これからは「聴覚学習」をという考え方が入ってきました。訓練で聴覚を活用させていく考え方には無理がある、子どもは「聴きたいから聴く」という子どもが自ら、能動的に「聴く」ことで学習を重ね、聴覚を活用できるようにしていこうという考え方に変わっていきました。そして、ある限られた時間で聴覚を活用する訓練をするよりは、生活全般の中で聴覚を活用することが大切であるということも見直されました。当時、この考え方に非常に納得がいき、共感したことをよく覚えています。高度難聴児にとって、か細い、不明瞭な音声を「聴きたい気持ち」がなければ、聴く気にはなれないだろう、そんな子ども達の気持ちがとてもわかるような気がしました。「聴きなさい!」と押しつけられて聴くというよりは、聴きたいと思って聴く学習をどのように家庭や学校で工夫していかれるだろうか、こうしたことを考えるのは楽しいことでもありました。0,1,2歳の小さい子ども達にとって、「聴く」ことを積み重ねるためには、とにかく楽しい遊びを通して、また、子どもに意味のある活動を通して「聴く」ことを育てるのがベストな方法です。さらに、子どもがその人の話を聴きたいと思うかも子どもの聴覚活用を育む上では欠かせない視点でしょう。初めに述べた合図ことばのように、期待して、しっかりと子どもが「見ている」時は「聴いている」時です。好きなプラレールでお母さんがい

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っしょに遊んでくれている時、大好きなお母さんがお話してくれる手話に合わせた声は、子どもにとってなんて言ってくれているのかなあと、手の動きと合わせて、聴きたいと思って聴くことばになることでしょう。「そろそろパパが帰ってくるよ。」そんなママのお話を聞きながら、大好きなパパの帰りを待っている時に鳴ったチャイムの音は、大好きなパパが帰ってきたという合図の音。子どもにとって意味のある音だからこそ、聴きたい気持ちで待ち、聴くことができるでしょう。このように、子どもの能動的な気持ちを生かして、聴覚を活用していく働きかけをたくさん、見つけてほしいと思います。

 

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さて、補聴器をつけて間もない時期の子どもたちにとって、耳から入ってくる音はどの様にきこえていると思いますか?救急車の音は、救急車の音として果たして聴いているのでしょうか。実は、私たちは耳で「聴いている」ようで、実は「脳で聴いて」います。ですから、頭の中にイメージがないと「何の音(声)が聞こえた」という理解にはつながっていかないのです。つまり、救急車を見たことのない子どもにとって、サイレン音から救急車をイメージできないのは、きこえる子どもも同じこと。私たちが、見たこともない動物の鳴き声を聞いた時、きいたことのない声であれば、イメージが持てず、「今の声は何だったんだろう?!と怪訝な気持ちで、わからないまま終わることでしょう。このように、補聴器をつけて間もない時期の子ども達は、どんなに意味のある音が聞こえてきても、聞こえてきた音すべてが雑音(意味のない音)としてしかとらえようがない状況にあることを、理解してほしいと思います。つまり、聴覚を活用するということは、一つ一つ音や声に意味があることを知り、そのイメージがその子に応じて豊かに描かれたり、音声言語や環境音を理解する際の手掛かりになったりするような使い方ができるようになることといえるでしょう。そして、学習を積み重ねなければ、聴覚を活用することは難しい。救急車であれば、パトライトを赤く照らして、サイレン音を発する救急車を実際に近くで見て、聴いて、お母さんに「ピーポーピーポー、救急車だね。ピカピカ赤く光ってるね。」などと話してもらって初めて、「ピーポーピーポー=救急車の音」として子どもに取り込まれていくわけです。このように、チャイムの音も、犬の鳴き声も、好きな音の出るおもちゃも・・・すべて、1回どころか、何度も何度も音源を見て確認して、お母さん始め身近な大人が共感しながら、いっしょにかかわってもらうことを通して、ようやく「きこえた」という反応が始まります。そして、それからまた時間を経て、サイレン音を聞いて救急車サインをするというように、「何の音であるか」「なんと言ったか」がわかるようになるわけです。か細く、不明瞭な音声情報であるだけに、学習はかなり頻度高く積み重ねられないと聴覚を活用することは難しいものです。

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「手話が入ると視覚優位になるため、聴覚を活用できなくなるのではないか?」という医療関係の方がいますが、しかし、考えてみて下さい。子ども達が自分から傾聴している時には、必ず「見ている」はずです。視覚と聴覚は決して排除し合う関係ではなく、「見て聴く」ことで学習の効率がよくなる「二重符号化」という効果があり、そのような心配はいらないと思っています。しかし、子どもにきこえるような音声言語が手話と併せて提示されているかどうかは、話し手として確認が必要でしょう。また、補聴器の調整は合っているかどうかも確認する必要はあると思います。そして、聴力が非常に厳しい子どもにとっては、「聴くこと」の限界もよく理解しながら、無理に音を聞かせようとしない見極めも大事です。太鼓のように、確実にきこえるであろう音を振動と共に楽しむといった、それぞれの「聴く」楽しさを育んであげるといいでしょう。一人一人の子どもにとって意味のある、聴きたいと思う音声情報の与え方をしているかどうか、ぜひ振り返ってみてほしいと思います。子どもの生活や遊びの中に、聴覚を活用するヒントがたくさんあることを意識しながら、丁寧に、継続的に関わっていくことが、聴覚が使える子を育てることをぜひ知っておいてください。(S+K記)

 

手話のもつよさの一つは、発達に遅れがあっても身につけられることです(*1)。発達に遅れがあってそこに難聴が加わると音声言語を身につけることは難しくなります。それは入ってくる音自体が曖昧で補聴器や人工内耳をしたとしても、音自体の曖昧さは変わらないからです。例えば、きこえる2歳児であれば「イヌだよ」と「イスだよ」は音として明確に区別できますが、難聴があると、極端に言えば「イウ」としてしかききとれないので、「イウ(=犬)だよ」「イウ(=椅子)だよ」は区別がつかず、前者が「イヌ」であり、後者が「イス」であることは、その場面での文脈とか実物とかさまざまな非言語情報から推測して同じ「イウ」でもどうも違う"意味"があるらしいと気づく程度で、明確に"言語"としてはまだ入力されません。言語はその最小単位である音韻が100%区別できないと習得できません(*ことばがなぜ通じるのかを研究したスイスのソシュールという言語学者は「言語が成立する究極条件は、言語記号の最小単位の独立性を保障する記号相互間の差異の知覚を必要とする」。つまり音韻の弁別ができないと言語は獲得できないことを明らかにしました)。そのために言語の獲得が遅れるわけです。

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この点、手話は見えていて、100%の手話の「音韻」("音"韻というのも変なのですが、言語は、単語から構成されており、単語はさらに音素=音韻から成り立っています。手話にもこのような構造があることがアメリカのストーキーによって証明されています)が区別できれば習得が可能です。また、手話はもともとそのモノやコトの形態的特徴を象徴していることが多いので(例えば「食べる」「飲む」などはほとんどその動作に近い)、わかりやすく、知的に障害があったとしても、音声言語よりはるかに獲得しやすい特徴があります。

 さて、ここで紹介するのは、サイトメガロウィルスによる難聴と発達障害のある子どもの例です。とても家族に愛されて育ち、そして早期から手話をつかったおかげで、定型発達のお子さんのペースよりは遅かったのですが、ちゃんと手話でコミュニケーションがとれるようになりました。以下、ママさんの手記より引用します。

 

〇さまざまな病気や障害が重なったわが子

わが子は、出生前から様々な器官に疾患の可能性を指摘されていました。産まれた瞬間、自発呼吸が出来ている事にまずは安堵したのを覚えています。それから2週間、NICUに入院しながら検査をして、難聴と発達遅延が主な症状として診断されました。生涯に渡って医療的ケアも必要になる可能性を示唆された上での難聴発覚。ショックはあまり感じず、「大きな声で話せば聞こえるのか。まぁ補聴器を使えば大丈夫でしょう!」くらいにのんびり構えていました。それは全くの無知による楽観視でした。

 

〇私の中での変化

生後5ヶ月になる頃、病院のSTさんより、最寄りのろう学校の見学を勧められました。当時の私の心境を書きます。

「少し聴こえにくい程度で、補聴器も付けるし生活に支障はないだろう。選択肢としてろう学校も視野に入るが、来年度は姉と一緒の保育園に通うだろうし、ゆくゆくは普通級に進学することになるだろう。手話は必要なのだろうか?知識として知っておくのはいいかもしれない。いまどきは口話を習得して、手話はあまり覚えないと聞いたことがあるような・・・。」

それまで、首が座るのも遅く、寝返りもしないわが子の発達ばかりに目を向け、難聴についての情報収集はほとんどしていませんでした。あまりに貧弱な知識、イメージのまま、生後5か月になったわが子を連れて、ろう学校を訪れたのです。

そこで私が受けた衝撃は、まさしくカルチャーショックでした。ろう教育の歴史と、ろう学校の取り組みについて知ると、話を聞きながら涙がこみ上げてきました。悲観からの涙ではなく、あまりに知らないことが多すぎたことにです。なぜ知ろうとしなかったのか。思い込みで思考をストップさせていた自分への憤りを感じました。それと同時に、授業の様子、生徒や校内の雰囲気を伺い知れて、学校に対する安心と信頼感を持てたことは、私の中で大きかったです。

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そこから私が取り組んだことは、軽度・中等度難聴サポートブック『新版・きこえにくいお子さんのために...』を購読し、難聴児本人や親を取り巻く現実を知ることでした(この本は、私のように「難聴」を知らない親にとって、必読の内容でした。日常でどんな事が起こり得るのか。難聴者本人や親御さんの実体験から、綺麗事で済まされない現実が見えてきました。「中途半端に聞こえるより、全く聞こえない方がいい。」難聴者の方が、自分の母親に伝えた言葉です。「難聴」ならではの苦労や葛藤がそこにありました。難聴診断された親御さんの手元に、すぐに渡るよう、関連機関などで広く紹介して欲しいです)。上記書籍は下記URLをご覧ください。

http://nanchosien.com/publish/cat56/

そして、どんなに軽い難聴でも手話は必要と知り、指文字を皮切りに、手話を学び始めました。NHKの手話番組を視聴したり、DVD付きの手話入門書籍を購入したり、手話サークルに参加しました。

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手話やろう・難聴関連の書籍も読みました。「淋しいのはアンタだけじゃない」という漫画は、感音性難聴について視覚的にわかりやすく、難聴への理解が深まりました。夫や祖父母に伝える際も、私の口から説明するよりも、漫画や文献は有効でした。

ろう学校で、ろう者や難聴者、その親御さん、当事者の方の声を聞く機会を度々頂けたことは、大変有難く、難聴児の母親としての在り方を育ませてもらいました。親が絶対的な理解者となり、家庭を安心できる場所にする。聞こえるの子の子育てと本質は変わりませんが、より強く認識させられました。また、「148時間あっても足りないくらい、難聴児の親にはすることがある。」という言葉をネットで目にしたことで、難聴児がことばを獲得するには、いかに家庭での取り組みが大切か改めて痛感し、夫とも相談し、育休を一年延長しました。

 

○子どもとのコミュニケーションで大事にしてきたこと

わが子は60~70㏈の感音性難聴です。呼びかけにも反応するし、音への反応がしっかりありました。「聞こえる」ことと、「理解できる」ことは違うと私自身に何度も言い聞かせが必要でした。多分聞こえているだろうという思い込みに頼らす、本人が理解できているかどうかを常に心に留めるようにしています。

注目してもらえるよう表情を大袈裟に作ったり、動作を大きくしたり。声を出すときは担当の先生を頭に思い浮かべて、声音やテンションを真似しました。そのうち手話やサインを使って話し掛けると、顔だけでなく、手の動きも見てくれるようになりました。

わが子が何を考え、何に興味を示しているか観察するようにもしています。失敗談としては玉ねぎの皮むきに挑戦したこと。玉ねぎを触らせて、剥いたらどうなるか、切った断面はどうなっているかを見せようとしました。わが子はヒラヒラした玉ねぎの皮で遊び始め、他の工程には一切興味を示さず、私のしたことは空振りに終わりました。後日、りんごで再挑戦。半分に切った断面を舐めると、甘く美味しいと気がついたようです。一緒に擦り下ろして食べると、もっと欲しいと顔を輝かせました。この美味しいものが、あの赤い丸いのと一緒と強くイメージに刻まれたようです。最初から最後まで、りんごに夢中でした。 わが子の興味のあるものを一緒に楽しむ大切さを知った出来事でした。

 わが子が手話を覚えるようになると、つい色々な言葉を教えたくなり、「湯船に入りたい」というサインが出るまで、湯船に入れないというやりとりをしたことがありました。先生に話すと「昔の口話教育を手話でやっているようなもの。」「教えるという意識は捨てた方がよい。」と指摘頂き反省しました。ある時、療育の先生が「『上手』の手話は、どうやるの?」と質問して下さったのですが、私より先にわが子が「上手」の手話をやって見せていました。教えた覚えがなくても、日常のコミュニケーションの中から、わが子はしっかり吸収していました。「ことばはコミュニケーションの中で育つ」とは、まさしくその通りだと思いました。


真似っこが上手になると、初めて見せた手話もその場で真似をするようになりました。「表出があるからと言って理解しているわけではない。注意してね。」と先生にアドバイスを頂きました。ある日、「ゼリーを食べる?」と聞くと、嬉しそうに頷くわが子。「どっちのゼリーにする?」と二種類のゼリーを見せて、選ばせようとしました。しかし、またもや嬉しそうにコクリと頷くだけ。日頃、絵本や洋服を選ばせるときに「どっち?」と手話で聞くと、真似して指を動かしていたのですが、その意味までは理解していなかったと気が付きました。表出に一喜一憂するのでなく、重要なのは意味を理解することだと、改めて思いました。

 

〇子どもとの生活習慣で大事にしてきたこと

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わが子は運動面と認知面の成長が月齢と比べるとゆっくりです。一人座りしたのもハイハイをしたのも一歳を過ぎてからでした。運動面の発達を促すため、療育施設にも通い、理学療法士さんのリハビリ指導を受けてきました。「ことばの発達には身体の発達、成長が土台となる。」先生方から教わったその言葉通りに、一人座りが出来るようになった頃、指差しが始まりました。そんなある日、いつも通り「おはよう」と手話で話しかけると、両手の人差し指をまげて「おはよう」を返してくれた日の喜びは忘れられません。

挨拶の手話は皆に喜ばれ、同じように挨拶を返してもらえるので、子ども自身が療育先や町中でも積極的に使うようになりました。手話を通してコミュニケーションの「喜び」「楽しさ」を知ったわが子。しだいに自分の思いを手話で教えてくれる場面が増えてきました。

中々寝返りしなかった頃など、手話で話しかけても、返してくれる日はいつか来るのだろうかと、内心不安に思っていた時期もありました。発達がゆっくりでも、身体とこころの成長を焦らず見守ろうと思います。

ろう学校や療育のグループ活動で習った手遊びや歌は、家で一緒に繰り返し遊んでいます。振り付けを覚えると、楽しく活動に参加出来るようになりました。自分から手遊びの動きをしながら、一緒にやろうと誘ってくるようにもなりました。そんな時は、家事の最中でも手を止めて、一緒に手遊びを楽しみました。

わが子の生活に欠かせない存在は二歳上の姉です。姉からも多くの影響を受けています。姉を真似て、滑り台を頭から滑り降りたり、押し入れに這い上がる活発な面も見られるようになりました。おままごとでは赤ちゃん役だったのが、今では自分がお母さん役となりお人形にご飯を食べさせたり、オムツを替えたりする様子が見られるようになりました。

 

〇わたしが努力してきたこと

もっと出来ることがあるはずなのに、思うように出来ない自分自身への焦りとジレンマばかりで、胸を張って「努力した」と言えることがないのが正直な感想です。先輩ママや、お友達のママ達の頑張りに影響を受けて、自分も頑張ろうと奮い立たせてきました。そういう意味では、ろう学校や療育施設に通い続けたことが、努力したと言えるかもしれません。

育休を2年取りましたが、生活の事情で今年の4月に復帰しました。当面はろう学校と、運動のリハビリ施設に週2~3回通いながら、仕事と両立していく予定です。午前中に保育園に行き、昼寝の時間を確保出来ないまま、午後にリハビリを受ける日もあります。ことばの育ちのために、親子で過ごす時間が減ることに懸念がありますが、現状はこの方法で精一杯です。次女の体調・精神的負担や、発達の状況を見ながら、この先のことを考えていきたいと思います。

 

*1)知的障害を伴う9名(1~3歳児)の初期言語発達についての調査結果をまとめた。

9名中、初語(有意味語)が出ている幼児は5名でいずれも1歳代で手話の初語が出現していた。知的障害が中程度であり、上肢に障害を伴わなわなければ、家庭の中での手話環境が保障されることで、手話を早期に獲得できる可能性は高いと考えられる

②手話初語がまだ出現していない4名についてみると、そのうち3名は脳性まひ等による発信の困難さがあるが2名は理解中心に手話を獲得できる可能性はある。例えば、E児は手話理解語彙はあり、表出は問いに対してYes-Noを眉間を動かすことで発信している。このような、Yes-No疑問文の眉上げをその子どもなりの表出方法として工夫することも大切であろう。また、1名は重度の知的障害のほかに盲難聴があり、まだ概念自体の獲得に難しさを抱えているが、こうした子どもの理解・表現方法の習得の工夫も重要である。

初語を獲得している子は、どの子も前後して指さしによる親との三項関係・社会的相互関係の成立を経て言語獲得に至っている。このことからも発達早期における共感的な母子関係の成立が前提としてあり、その上に伝達手段として手話が機能していると考えられる。(木島照夫,乳相保護者聞き取り調査・重複障害児,2017より)

 

 

30dB~70dB程度のいわゆる軽度・中等度(軽・中度)の難聴児・者に手話は必要なのでしょうか? 耳鼻科医やSTの人たちはこう言います。「軽・中度難聴なら補聴器で十分音声言語が身につきます。手話や指文字は必要ありません」     確かに、聴者と区別がつかないくらい明瞭に話せる子もいます。音声言語獲得という視点からだけ考えればそう言えるかもしれません。では、軽・中度難聴児・者本人は、手話についてどのように感じたり考えているのでしょうか? まず、『手話で育つ豊かな世界』を読んでそれに共感された軽・中度難聴のお子さんをお持ちのお母さんが寄せて下さったご自分の体験と感想から紹介します。

 

〇『手話で育つ豊かな世界』を読んで

「私の息子は小耳症による伝音性難聴で、ろう学校の幼稚部に通っています。検査では、補聴器をつけると普通の会話が聞き取れる程度の聴力があるとされていたので、そのうち自然に言葉を覚えていくだろうと思っていましたが、ろう学校の幼稚部に入り、周りの子どもたちと比べて息子の言葉(音声も手話も)の発達が遅く、悩み始めました。

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当時の先生からは「ある程度聴こえているから音声中心に、手話は補助的に使って、最終的には音声でのコミュニケーションがとれるようになることを目指しましょう」と言われましたが、息子には口蓋裂や気管切開などの発声器官の構造的な問題があり、語りかけても本人からフィードバックされる言葉は不明瞭で、どの程度音が入っているのかよく分からないフラストレーションがありました。また親の私が手話が未熟で自信が無いうえに、手話と同時に音声もつけて語りかけなければならないということがストレスになって、息子に手話で語りかける内容は量も質も貧しいものになっていました。さらに、周りのアドバイスもバラバラで、手話のない環境の方が、かえって息子の言語が伸びるのではないか?などと悩んだりもしました。
 

ところが学年が変わり、担任の先生が難聴の当事者の方になりました。子ども時代を手話のない環境で苦労されてきた方で、息子には手話も音声も、使えるものはフルに利用して「コミュニケーションの楽しさ」「あいまいでなく全て分かる楽しさ」を主眼においた教育をしてくださいました。その中で丁寧な手話や指文字の指導がありました。
 息子は先生や友達との交流を通じて、手話の表現が少しずつ増えていきました。手話が増えてくると、それに付随して積極的に音声も出すようになりました。その様子をみているうちに、今の息子にとって一番使いやすく、コミュニケーションが楽しめる言語、それが「手話」なんだということがようやく分かってきました。そのようなタイミングでこの本に出会いました。

これまでもろう・難聴児にとっての手話の必要性については時々聞くことがありましたが、ネットをはじめ様々な情報や価値観があふれ、混乱している中で、私の中では一情報として埋もれてしまっていました。手話の価値にようやく気づき始めた私にとって、当事者や専門家の様々な視点をまとめたこの本はとても説得力があり、今後の育児の指針となりました
 

確かに今の社会では聴こえる人と聴こえない・聴こえにくい人たちとのコミュニケーションには障壁があると思いますが、この本にはそのような障壁を、少しずつでも解消されていく未来にもつながるとても貴重な内容が詰まっていると感じています。私のように悩めるろう児、難聴児の親はもちろん、幅広い分野の人たちに読み継がれていくことを祈っております。」

 

〇本人たちの体験から

 軽・中度難聴児たちは音声言語での会話ができるために、「聴こえているから大丈夫」と判断されがちです。ましてきれいに発音できたりすると聴者同様に「きこえている!」と誤解されることもあります。しかし静かな所で11で会話をする時は音声言語でのやりとりができていても、騒音があったり距離が離れていたり話し手がぼそぼそしていたりすると、途端にわからなくなることが多いのです。そのギャップが大きいために、周囲の人もきこえているのか聴こえていないのか理解しづらいのが軽・中度難聴児の特徴です。

 

では本人たちはどう自分のことをとらえているのでしょう? まず最初に中学から成人するまで軽中度難聴だったHさん(中・高生の頃40dB)の体験談から。


・きこえるふりをしていた私

「・・口話で会話をする時は、文脈や話題を知っていることが大事でした。相手が言った言葉を類推する時、脳内の辞書にある単語にヒットする確率がぐんと高くなるからです。必然的に自分が話題を振ったり、会話の主導権を握ろうとしたりして自分が話し続けたりするようになります。「あまり人の話を聞かない人」、「天然ボケ」のキャラを装い、聞こえていないことが露見することを何よりも恐れていました。

 日々の授業では指名されることが一番の恐怖。特に漢文や英文の読みが分からない時、教師の言う通りに復唱できないので全て予習で読み方を完璧に確認しておきました。また順番に音読していく場合、前から何番目だから何段落目を読む、という予測に神経を集中させ、自分が読む部分を必死に探す。誰が音読しているのか分からないため、先生や周囲の視線の先を常に辿ります。周りが「なぜ読まないの?」とばかりに私を見たら私の順番です。・・・歌唱は口パク、リコーダー演奏はいかにも吹いている真似。会話の中ではとりあえず「はい。」と頷けば切り抜けられる可能性が高いですが、相手が怪訝な顔をしたら失敗、他の返事の可能性を探ります。みんなが笑っている時は意味が分からなくても合わせて笑う。しかしこれが生きていくための術です。でも毎日のことになると、虚しい、辛いという気持ちすら感じることもなくなり、本当に楽しくて笑っているのか、合わせているだけなのか分からなくなってきます。つまり、本当の自分の気持ちや考え、自分が何をどう考え、感じるのか、自分自身の輪郭が曖昧になっていくのです。

・・その後も聴者のふりをして生きていく日々が数年続きました。就職先での会議は常に恐怖で、仕事を辞めても数年は会議室のような人が集まる場所を通る時は足がすくみました。みんなの視線が私に集まる時、何か失敗している、ちぐはぐなことを答えている自分がいる。そしてそれはフラッシュバックという形で長い間私を苦しませました。

 あの頃、私にこんな思いをさせる全ての聴者は敵でもありました。聴者は何でもでき、聴者には何ひとつ敵わない。聴者を装い聴者を目指す限り難聴者はずっと劣った存在なのです。こうして自己否定と他者否定の人格が出来上がっていきました。常に分からない環境にいると、否定的な自己像が形成され、自己実現はおろか、何か自分にできることがあるとは全く思えなくなるのです。これが軽・中度難聴の私のインテグレーションの現実でした。インテグレーション体験を否定することは今までの自分を否定することになると、インテグレーションの現実や苦しい思いをオープンにしてくれる人は多くない。しかし、常に分からない環境に晒され続けると、このようなことが起こっていくのです。私自身も、こうやってオープンにできるようになるのに何年もかかりました。・・話せても聞こえない私は、手話と聞こえない仲間に出会い、少しずつ聞こえない自分に自信をもつことができるようになりました。また社会で活躍している多くの聞こえない人たちに出会って、改めて自分の夢にチャレンジすることができるようになっていきました。」


・自分を責めるようになっていった私

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 同じようなインテグレーション体験をSさん(小学生の頃60dB,現在聾学校中学部)は『手話で育つ豊かな世界』の中でこう語っています。Sさんは幼児期を聾学校で過ごし、地域の小学校に3年間通いました。その時の体験を振り返っています。

 

「・・低学年のうちはよかったのですが、だんだんとわからないことや通じ合えないことが多くなり、自分がきこえていたら、こういうことはなかっただろうなと思うようになり、自分を責めるようになっていきました。・・・そして「もう無理だ」と思い、4年生で聾学校に帰りました。その結果「ろう学校の世界はまるで違いました!みんなで手話を使って楽しくコミュニケーションがとれてすぐ友達ができました。わかることがこんなに楽しいとは思いませんでした」と語っています(『手話で育つ豊かな世界』52頁)。

 

 

 先生も理解があったし友達も励ましてくれていました。でも「わからない、通じ合えない」という経験の積み重ねは、「自分がだめなんだ」という自己否定と自信の喪失につながっていきました。しかし、Sさんは聾学校で手話を使い友達となんでも通じ合える経験があったので、再び自分を発揮できる環境に帰りつくことができました。しかし、このような「安住の地」すら持たない子どもは、さらに翻弄され続けることになります。そしてボロボロになった心を引きずって聾学校に辿り着きます(辿り着けない子どももいる)。その時の彼らの様子を『手話で育つ・・』の中で聾学校高等部教員の牛嶋文先生は次のように書いています。

 

・100%わかる言語・環境の大切さ

「・・『100%分かる言語』を使えない環境に置かれて、心が深く傷つき、人間らしい心の柔軟性を取り戻すのに何年もかかった、という例もありました。そのような生徒は周りの人間を信用することができなくなっており、友達を作ろうとせず、自分の固い殻の中に閉じこもって、攻撃的であったり、反応が乏しかったりしました。それでも、ろう学校という手話の環境の中で、『100%分かる言葉』の中で生活するうちに、人との会話の面白さに気づいたり、自分にかけてもらっている言葉をきちんと咀嚼できるようになったりする日々を積み重ねるうちに、少しずつ、表情がゆるみ、笑顔もみられ、それまで全く関わろうとしなかった活動にも積極性を見せるようになったりしていきました。 

 このような経験から、私は、人間が自分の周りの言語が『100%分かるわけではない』という環境に置かれる、ということは、ものすごく大きな影響を受けることにつながるのだと気づきました。そして、特に、高校生という多感で、自己と他者というものの存在について思考し、悩みながら自己という存在を確立していく年齢の人たちを『100%分かる言語』の環境においてあげないと、人間としてきちんと育っていくことに困難が生じる可能性があると思います。・・」(『手話で育つ豊かな世界』,89頁)

 これ以上もう何も付け加えることはないでしょう。軽中度難聴の子どもになぜ手話が必要か、十分に理解していただけたのではないでしょうか?  


最後にもう一人だけ紹介しておきます。『手話で育つ豊かな世界』に書いている中等度難聴の大学生Tさん(60dB)です。Tさんは3歳までは保育園に通い、4歳からは聾学校幼稚部と保育園を併用していましたが、我が子の表情が聾学校と保育園とではまるで違うことに気づいたお母さんは、聾学校幼稚部一本に絞りました(同上書,70頁事例)。 以来、Tさんは高等部卒業まで一貫して聾学校で育ちました。現在、大学生であるTさんはある時、こう語ってくれました。

 

「聴者と過ごす経験はとても大事だと思う。しかし100%わかる会話ができるコミュケーション方法が必要だと思う。聞こえる人の半分くらいしか聞き取れない自分は、聴者の中で積極的になれず、空気を読んで過ごすことも多かった。それが自分にはストレスだった。しかし、手話をろう学校で学べたことで、手話で自分を表現できるという貴重な経験ができた。ろう学校で生活し、手話を学べたことは僕の財産だ」 

 

Tさんは、聾学校で手話と日本語をバイリンガルに身につけ、今はコミュニケーション手段をその時々に応じて切り替えながら生活しています。大学ではパソコンテークや手話通訳を利用し、サークルでは音声や筆談で聴者の仲間と交わり、時々、同障の仲間と会ってストレスのない手話での会話を楽しんでいます。「軽中度に手話は必要ない」のではなく、確実に、手話は軽中度難聴者の生活の質(quality of life)の向上に役立っていると思います。


はじめに引用した読者の方、Hさん、Sさん、Tさんの手記からわかることは、私たちが生きていくときに本当に大切なことは、100%わかることば(手話)と環境(家族・友達・仲間)をもつということだと思います。きこえる人にとって、なんでも通じ合えることばと環境は産まれた時から空気を吸うのと同じくらい当たり前で自然なことですからほとんど意識することはありませんが、軽中度難聴の人たちにとっては、ということは人工内耳を装用する人たちにとっても、音声言語だけでそれを実現することは非常に難しいということでしょう。そこに手話という方法が加われば可能になる。そこから得られるメリットは計り知れません。『手話で育つ豊かな世界』(900円)には、人工内耳を含むたくさんの軽中度難聴の本人や保護者が手記を掲載しています。ぜひ読んでいただけたらと思います。

◎申し込みは、送り先と冊数を書いて、FAX03-6421-9735  またはmailto:soukisien@yahoo.co.jp へ。郵便振替用紙を同封してお送りします。

「聴覚」障害児にとっての「聴覚」という感覚は、いわゆる五感の中で最も苦手な感覚であることは誰でもわかることです。その苦手な感覚を伸ばそうというのが聴覚学習であるわけですが、苦手さのある感覚を自分で自覚して「苦手さを克服してがんばろう!」などとは幼児はまだ考えることはできません。ですから周りの大人(家庭の親御さん)は注意深く配慮をしながら、子どもの中に「聴きたい気持ち」を育てていくことが最も大事なことです。

高度難聴児にとって、補聴器をつけて(人工内耳を装用して)最初に入ってくる「音」は曖昧で意味の分からない単なる雑音にすぎません。「聴きなさい!」と押しつけられても聴く気にはとてもなれない。「あれっ? この音なんだろう?」という気持ちが動かなければ、そのうちだんだんと聴く気持ちが失せ、しまいには音を拒否する、ということにもなりかねません。ですから、子どもが自ら「聴きたい!」と心を動かせるためにどのように家庭や学校で工夫していかれるだろうかを考えることがまず第一に大切なことでしょう。 

では、幼児にとって「聴く」楽しさとはどんなことでしょうか? それは、とにかく楽しい遊びを通して、また、子どもにとって意味のあることを通して「聴く」ことを育てることです。また、子どもがその人(家庭ではまずママ、そしてパパや兄弟など)の言っていることを聴きたいと思うかも大事です。子どもが期待してしっかりと「見ている」時は実は「聴いている」時でもあるのです。例えば、好きなままごとにお母さんがいっしょに遊んでくれている時、大好きなお母さんがお話してくれる手話に合わせた声は、子どもにとって、手の動きと合わせて耳に入ってくる音声は、聴きたいと思って聴くことばになると思います。「そろそろパパが帰ってくるよ。」そんなママのお話を見・ききながら、大好きなパパの帰りを待っている時に鳴ったチャイムの音は、大好きなパパが帰ってきたという合図の音であり、子どもにとって意味のある音だからこそ、聴きたい気持ちで待ち、聴くこともできる音なのだと思います。このように、子どもの能動的な気持ちを育て、聴覚を活用していく働きかけをたくさん見つけてほしいと思います。

 

さて、補聴器をつけて間もない時期の子どもたちにとって、耳から入ってくる音はどの様にきこえていると思いますか?救急車の音は、救急車の音として果たして聴いているのでしょうか。実は、私たちは耳で「聴いている」ようで、実は「脳で聴いて」います。そのため、頭の中にイメージがないと「何の音(声)が聞こえた」という理解にはつながっていかないものです。つまり、救急車を見たことのない子どもにとって、サイレン音から救急車をイメージできないのは、きこえる子どもも同じです。

補聴器をつけて(人工内耳をして)間もない時期の子ども達は、どんなに意味のある音が聞こえてきても、聞こえてきた音すべてが雑音(意味のない音)としてしかとらえようがない状況にあることを理解してほしいと思います。つまり、聴覚を活用するということは、一つ一つ音や声に意味があることを知り、そのイメージがその子に応じて豊かに描かれたり、音声言語や環境音を理解する際の手掛かりになったりするような使い方ができるようになることです。そして、学習を積み重ねなければ、聴覚を活用することは難しい。先ほどの救急車の例で言えば、パトライトを赤く照らして、サイレン音を発する救急車を実際に近くで見て、聴いて、お母さんに「ピーポーピーポー、救急車ね。ピカピカ赤く光ってるね。」などというようにお話ししてもらって初めて、「ピーポーピーポー=救急車の音」として子どもに取り込まれていくわけです。このように、チャイムの音も、犬の鳴き声も、好きな音の出るおもちゃも・・・すべて、1回どころか、何度も何度も音源を見て確認して、お母さん始め身近な大人が共感しながら、いっしょにかかわってもらうことを通して、ようやく「きこえた」という反応が始まります。そして、それからまた時間を経て、サイレン音を聞いて救急車サインをするというように、「何の音であるか」「なんと言ったか」がわかるようになるわけです。か細く、不明瞭な音・音声情報であるだけに、学習はかなり頻度高く積み重ねられないと聴覚を活用することは難しいものなのです。

 手話が入ったことで、視覚優位になるため、聴覚を活用できなくなるのではないか?」という質問もよく受けますが、考えてみて下さい。子ども達が傾聴している時には、必ず同時に「見ている」はずです。「見て聴く」ことで情報が増え、より学習の効果が上がることは「記憶の二重符号化」として認知心理学の分野ではよく知られています。また、補聴器のゲイン(利得)や人工内耳の電流の強度が、子どもに合っているかどうかも確認する必要はあると思います。そして、聴力が非常に厳しい子どもにとっては、「聴くこと」の限界もよく理解しながら、無理に音を聞かせようとしない見極めも大事です。太鼓のように、確実にきこえるであろう音を振動と共に楽しむといった、それぞれの「聴く」楽しさを育んであげることも大切です。一人一人の子どもにとって意味のある、聴きたいと思う音声情報の与え方をしているかどうか、ぜひ大人の側で振り返ってみてほしいと思います。子どもの生活や遊びの中に、聴覚を活用するヒントがたくさんあることを意識しながら、丁寧に、継続的に関わってほしいと思います。

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右のファイルの事例R2歳5か月)は、「きこえた」という子ども気づきに対して、ママは、「きこえたね」と共感してから、一つ一つ「何の音か」ということをRちゃんに丁寧に伝えています。入ってくる曖昧な音情報を、一つ一つ「何の音なのか」と音源を見せ、「・・・・」ときこえてくる音は○○の音、と子どもがイメージを持てるように積み重ねたことで、聴覚が活用され始めました。救急車の音→救急車→病気、こうしたイメージが持てるようになったのも、「聴く」ことと合わせて、手話でその音にまつわる意味を伝えてきたママの関わりによるものです。

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事例S2歳6か月)は、コーヒーメーカーの音は毎朝繰り返し体験する音。これまでにもママは「気付かせ、きかせる」対応をしてきています。自分から気づいたSちゃんへの、音源確認の働きかけ、これこそ自分から聴きたい気持ちを活かす聴覚活用への働きかけです。

 

事例T1歳7か月)は、Sちゃんが電車が大好きなのでいつも踏み切りへのお散歩も欠かしません。好きなことにじっくりと付き合う姿勢は、聴覚活用も育んでいます。

 

 Aさんは中学生になってから失聴した女性です。それまでは聴者であり、小学校時代の校歌も覚えている。しかし、中学校に入学してから徐々にきこえなくなり、中学の校歌は全くわからないと。彼女にとっては、大きな変化の時期が校歌の記憶の有無に象徴されているようでした。

しかしAさんは、中学生から20代後半までの10数年、自分自身を認めることができず、人と関わることをいつも避けていたそうです。それは、自分からは明瞭な音声言語で伝えたいことはわかってもらえるけれども、相手の話はわからない・・・という一方通行のコミュニケーションで、互いに双方向のコミュニケーションにならない苦しみだったようです。

こうしたコミュニケーションの問題は、中学・高校という通常学級の中で、また、当時情報保障の体制が十分に整っていない大学生活の中で、そして、聴覚障害があることを周囲に伝えずに、保育士として働いた就労の場で体験し、苦しんだそうです。

彼女が苦しんだ理由の一つは、自分が「きこえない、きこえにくい」という事実を伝えずに隠してきたことで、周囲の理解を得られず、結果的に自分を苦しい状況に追い込んでいたということがあります。

しかし、周囲に聴覚障害者であることを伝えた場合であっても、話せるからきこえるだろうという大きな誤解が、本人たちの前に立ちはだかり、本人達を苦しめる例は、Aさん以外のたくさんの難聴者や人工内耳装用者にもあります。コミュニケーションが双方向によるものと考えた時に、そして、1対1とは限らない、複数でのコミュニケーションの場が日々繰り返されることや、決して静かな所とは限らず騒音下で会話が行われることを考えた時に、音声言語だけでは100パーセント通じ合えないということが周囲に理解されなければ、本人が苦労するのは十分に想像のつくところです。

「難聴があるんだから、きこえない時があっても仕方ないよ。」こうしたことばを平気で語る人がいたら、それがどれほどの暴言であるかを知る必要があるでしょう。もしこれまできこえていた自分が、ある時失聴し、曖昧なきこえ方や理解が繰り返される状況下におかれたらどのように感じるでしょうか。「きこえなくなったのだから仕方がない」とあきらめるのでしょうか? おそらく大きなストレスを感じAさんのように心理的に深く落ち込むのではないでしょうか?

では、最初からきこえなければ大丈夫なのでしょうか? 確実に100%わかるという体験をしたことがなければ、わからないという状態に気づくことができないので本人もこんなものと思って過ごしますが、その中でたくさんのことをあきらめ、曖昧でもわかったふりをしてうなずくなどその場を乗り切る処世術等が育まれていきます。でもそれは本人たちが望んでそうしているわけではありません。そうせざるを得ない状況の中に置かれてきたわけですから。ですからきこえない人たちが、周囲にきこえないことをきちんとアピールし、理解を求めていける力を育てていくことも聴覚障害教育には求められていると言えますし、私たちは常にきこえない人たちの存在を当たり前のこととして受け止め、コミュニケーションや情報が100%共有されているかに注意をはらう必要があるでしょう。

 軽・中度難聴児や人工内耳を装用して口話を流暢に身につけた子どもたちは「話せるから大丈夫」という周囲の期待もあってインテグレーションする傾向がありますが、そのような彼らも音声言語の環境に常に自分を合わせていくことに疲れ、その大変さを語ることがしばしばあります。そして、100パーセントわかる手話に出会った時に、手話にもっと早く出会っていれば、もっとお互いに分かり合えたし、いろんなことが理解できたはず・・・と悔やみます。また、話せるけれども、常に曖昧さの伴う環境下で人格形成がなされることで、きこえる自分、聴者に少しでも近づくことを自分の理想像とし、きこえないままの素の自分を認めることができず、自己肯定感が持てないことも少なくありません。 

こうした成人した人たちの現実から、私達は改めて不足していた支援や教育に気付かされると共に、これからの親子に何をどう支援したらいいのかを考えさせられます。Aさんは、26歳になって生まれて初めてろうの人たちと出会い、手話に出会い、きこえていた時期のあの"わかる感覚"が取り戻したと言います。はじめは手話を見ていても、よくはわからなかったけれど、きこえない人たちが、わかり合い、楽しそうにコミュニケーションしている様子を見て、手話を学べば自分もそのうちかつてのように、わかる喜びを取り戻せるのではないかだろうかと希望が持てたといいます。そしてその後Aさんは手話も身につけ、聾学校の教師となり、20年後の今は聾学校の乳幼児教育相談で活躍する素敵な先生になっています。「自分を取り戻せた」ということばはわからないことで不安なままおかれる自信のない自分からの解放だったわけです。

 

きこえる人間はきこえて当たり前、きこえてわかることが当たり前の日々を送っています。同様にきこえない・きこえにくい子ども達にはきこえない・きこえにくい人に合わせたコミュニケーションを保障していけばよいわけです。私たちが耳から聴いてわかるのと同じように、彼らが100%わかる手段は見てわかるということですから、口話だけでなく手話や指文字・文字を使うということでしょう。

Aさんは家族の中で、きこえる家族同士がペラペラと話している姿を見るのはつらく、孤独を感じたと語っていましたが、きこえない・きこえにくい人が、「わかる」という当たり前のことが、あらゆる場所や状況下で保障されるよう私たちきこえる側も努力しなければなりません。今回、新型コロナのことをきっかけに、緊急放送には手話通訳がつくようになりましたし、電話リレーサービスが全会一致で法制化され整えられるようになりました。大学でも授業にパソコンテイクや手話通訳などの情報保障も行われるようになってきています。世の中はきこえる人にとって当たり前のことが、きこえない・きこえにくい人にとっても当たり前になるように徐々に変化しつつあります。その場に合わせて・あるいは相手によって情報保障手段が選択できるように聴覚、読話、発音、手話・指文字、文字など幅広いコミュニケーション手段を身につけることも求められます。軽度難聴だから、人工内耳装用だから手話・指文字は要らない、のではなく、だれとも分かり合える幅広いコミュニケーション手段を身に付けることが本人の世界を広げることになるのではないでしょうか。それが難聴者としてのより質の高い生き方(quality of life)につながるのではないかと思います。

もう、ずいぶん前になりますが、ある研究会で、聴覚活用分野の第一線で活躍されてきた当時、筑波技術大学学長の大沼直紀先生の講演をきいたことがあります。早期から聴覚活用をした成人聴覚障害者と親が、今どのような思いで暮らしとその当時の教育を振り返

大沼調査.jpgっているのかいったことを調査した結果の報告です。

人工内耳が出現する前、0~2歳代の早期から補聴器を装用し、聴覚を活用する教育を受けてきた20歳~30歳代中心の90dB以上の成人聴覚障害者約102名を対象に行った調査です。そのうちの9割の人は、大人になっても補聴器を装用して生活していること、8割以上の人が手話の必要性を感じていること、本人達は、「音声言語を聴く」ための聴覚活用というよりは、音が聞こえてくる安心感や、危険認知、音楽を楽しむというように、「ことばをききとる」こととは少し違ったレベルでの聴覚活用の意義を感じているということがわかったということでした。

 

 これまで、高度難聴者本人達に話を伺うと、「補聴器をすると耳鳴りがしてつらく、ある時期から使わなくなった」「補聴器をつけていても自分には何の意味もない」「つけている方が負担がある」と言う人もいれば、「つけていないと不安」「高等部時代はずしていたが、子どもが生まれてから、少しでも赤ん坊の鳴き声を聞きたいと思い、寝ている時も補聴器をする

補聴器.jpgのサムネール画像ようにした」「好きな歌手のCDを聴くとホッとする」「もう身体の一部になっていて、自分には必需品、場所によって補聴器を使い分けている」・・・というように、高度難聴といっても実に様々な本人達の声を耳にしてきました。聴力レベルも、聴覚活用の様子も一人ひとり皆違うわけですから、補聴器の装用や聴覚活用の必要性等について皆違う思いがあるのは当然のことでしょう。このように、いつか本人が、自分自身で選択し、判断する時期が来るのだろうと思います。


〇乳幼児期に音をきく楽しさを!

このようなことをふまえた上で、子どもが小さい時期は、本人にとってつけることが心地よい、何か意義が感じられる方向で装用支援をしたいものです。そのためには、まず

補聴器の音が大きすぎず、小さすぎない、適切な音が入るような補聴器の調整を確保したいものです。その適正なフィッティングのためには、年齢が小さければ小さいほど、聴力検査の結果以上に、日常生活の中での聞こえの反応の様子が有力な情報になります。家族の方にきちんと見て、報告してもらうことが大切なのです。そして、適切な補聴器のフィッティングがされた後は、

子どもにとって意味のある、意味があるととらえやすい音を

補聴器楽しい.jpgどのように届けるか、といった工夫が求められていくでしょう。

子ども達にとって、補聴器をつけ始めてしばらくは、入ってくる音や声はすべて雑音です。私達聴者も同じです。初めて聴く音にはイメージを持てない、あれっ?何の音かな? そんな経験ありますよね。鳥の鳴き声を聴いて、なんの鳥が鳴いているのかそのイメージが持てる人、持てない人がいるのは、その鳥を知っているか知らないかという経験の差がはっきり出るからです。このように考えると、きこえにくい子ども達は、もっともっとかすかな聞こえの中で、その意味をイメージしようと学習しようとしているわけですから、一手間、一工夫は必要になってくるわけです。 ききやすい、きいてわかりやすい、きいてイメージを形成しやすい音声言語の投げかけや、環境音や音楽の聞かせ方を配慮し、雑音と意味のある音の区別が感じられるよう、周りの大人は聴覚活用をしやすい状況を作っていかれるとよいと思います。

 

 0dB、10dBの音が聞こえる聴者と、補聴器をつけて50、60dBがやっと聞こえ、しかもひずみもある音をききとる高度難聴者が、同じ声や音の大きさで、意味をとらえたり、楽しんだりすることは難しいものです。「少し大きめの声、音」が必要と言われるのは、最も小さく聞こえる音の大きさがそもそも違うからです。「いぬ」というよりは「ワンワンだよ~」、「のむよ」というよりは「ゴックン、ゴックンしよう」といった、リズムや抑揚が特徴的な擬態擬声語を入れての話かけの方が子どもは、聴覚的な情報をとらえやすく、「聴こう!」という気持になるのではないかと思います。高度難聴の子ども達は、「ワンワン」の「わ、ん」という一音一音を聞いているのではなく、そのリズムや抑揚(プロソディー)を聞いていたり、「お、 か、 あ、 さ、 ん」の五つの音を聞いているのではなく、「オ、アー、ア」といった三つの母音に聞こえていたりするかもしれないのです。また、私達は伴奏をする時に、ジャン、ジャン、ジャーンと、なるべく和音を使った伴奏を心がけますが、音楽もメロディーよりはリズムを強調した奏で方の方が聞きやすい、楽しみやすいと言われています。おうちのチャイムの音が補聴器から入る大きさであれば、鳴る度に「あれ?なんだろう?」と傾聴させ、いっしょに玄関まで行って、大好きなパパの帰宅を迎える、そのような「ただ聴くだけではない」好きな人の帰宅と結びつけた、音にまつわる体験活動を丁寧に繰り返してこそ、「聴きたい」気持ちが育、聴覚が活用されるようになるものです。

 

〇きこえのテストでなく、振り向く喜びを・・

音を聴く楽しさ①.jpgきこえにくい子どもの「聴く」気持ちを育てるためには、難聴が高度であればあるほど、聴者と全く違う音声情報が届けられていることを私達大人がよく自覚することが大事だと思います。補聴器は、ただつけるだけでは、ずっとつけていたいと思えるような意義あるものとはなりません。音のイメージは、入ってくる音が何の音(声)かな、どのような音(声)かな、どうやって奏でられた音かなと音源そのものを見たり、触れたりしながら「聴く」体験を繰り返し、作り上げられて音を聴く楽しさ②.jpgいくものです。SNSにはときどき、親御さんが、子どもの名前を「○○ちゃ~ん!」と呼んで振り向かせることを何度か繰り返し、そのうち子どもが振り向かなくなるという動画がアップされたりしていますが、音がきこえて振り向いた時、そこになんの楽しみも喜びもなければ振り向く気持ちは失せてしまいます。そばにいて、その「聴く」体験をいっしょに喜んだり、楽しんだりして、共感しながら関わる大人の存在がやはり必要です。「音を聴くってこんなに楽しいんだ!」と子どもが思えるよう、私達はよりよい応援者になりながら、子ども達の聴覚活用を育んでいきたいものだと思います。

右の事例は、手話からスタートした子どもがだんだんと聴覚も活用し、発語もできるようになってくる頃の子どもの様子です。手話を使うことで会話の内容が理解でき、そこに音声も伴ってくる時期は、だいたい1歳後半の頃です。


側性難聴は、新スクが普及するにつれて多く発見されるようになってきましたが、言語獲得が困難ということは基本的にはないので、耳鼻科やその後の療育できちんとその対応について説明してもらえないなどのことがあります。

一側性難聴困りごと②.jpgのサムネール画像しかし、社会に出た本人たちはそれなりに困り感をもっていることも多く、トラブルが起きたり、その結果、本人たちも心理的に疲れてしまったり、説明がしにくく説明してもすぐに忘れられてしまうなどのことから、自己開示(カミングアウト)することをあきらている人も少なくありません。本人たちがカミングアウトしたくても、それを受け入れる環境がないと難しい。きこえる側、社会の側にもその体制が必要なのです。そのためにはまず一側性難聴ってどんな障害なのか? 本人たちはどういうときに困るのか? どんな配慮が必要なのか? そうした一側性難聴と一側性難聴困りごと③.pptx.jpgいう障害について私たちも関心をもつ、ということがまずは必要です。


以下の文章は、ご自身が一側性難聴であるT先生(当時京都市内中学校難聴学級担任、現大学教員)に十数年前に書いていただいた文章です。当事者の話として、とても具体的でわかりやすい文章なのでぜひ紹介したいと思います

    

一側性難聴児をおもちの保護者の方へ

自身は右耳は正常ですが、左耳は100dB以上,まったく使えていません。私の出身はH市内。発見は小学校入学時の検診。理由は不明。状況証拠としては、4才のときに「小児リューマチ」で数ヶ月入院、というこれだけ。検診時の発見なので、親は日常で自分が気がつかなかったことをかなり悔い、H大学付属病院などいろいろつれて回りましたが、医者も『薬が原因なら、両耳やられるケースが多いので珍しい』とはいったけれど、結局原因はわからないままでした。

 私自身の記憶はといえば、「左が聞こえない」という意識は全くありません。小学校に上がったあとは「左が聞こえない」ことに気がついてはいましたが、それが不便だとは思ったこともない。ただ、聞こえる右耳を指でふさいでは、「ほんまにこうしたら聞こえないや」と思っていたことは覚えています。
 それから...。寝るときに同じ部屋に寝ている兄弟や親のいびきがうるさいときに、聞こえる右耳を枕にあてて寝る習慣があったこともよく覚えています。ただ、その後、母と左手を繋いで歩いていたりするときに、私がなんども「えっ、えっ」と右の耳を向けて聞き返すと、母が「そんな聞き返すのはみっともないからやめなさい」とよく言いました。子供心に、そうかと思い、「まあ、これは言うべきではないことなんだろうな」と思ってしまいました。
 

一側性難聴は隠せます。一般的な学校でのスクリーニングもちょっとした視線やなんとなくボタンをおすことでなんなく通過できます。(隠そうと思ったら)
 中・高とバスケットをしていましたが、背もそれほど高くないので真ん中を走ってボールを回す役でした。右にはさっとパスが出せるけど、左はちょっと苦手というか、遅くなる。結局レギュラーになれず、高校1年で挫折したのですが、それを自分の中では左耳のせいにしました。(本当は厳しい練習がいやだっただけなのだろうと思う)
 京都大学に入って2回生の時に、聾者であるWさん(現在T技術大学教員)と出会います。彼女は当時農学部から教育学部に転部し、「カミングアウト」した彼女は、周囲の学生に働きかけ始めました。50人という小さな学部でそのうち女子が123人。下宿をしていたこと、女子に流行りの河合隼雄心理学には興味があまりなかったこと、などの共通点があってかなり早い段階で、彼女とつきあい始めました。週に1度、彼女の下宿に集まり、手話を習い、大学と交渉し(ノートテイクや手話通訳)始めました。この時に初めて自然に私も自分のことを周囲に言うようになりました。
 

ここから始まって結局私もこの業界に足をつっこんだのですから、人生は面白いなあと思います。しかし、この大学の時の出会いはとても大事でした。
 今でもよく覚えている光景があります。大学卒業間近、2人とも進路やいろいろなことでちょっと重っ苦しい気持ちを抱えて、底冷えのする京都を歩いていました。舞っていた雪がふっとやみました。彼女が『静かになったね』と言ったので、私は「ほんと、静かになったね」と返しました。...考えてみれば、雪は音を立てて降らないので、『うるさかったのが静かになった』という言い方は当てはまらないのですが、その時に非常に自然にそういう気がした。若者特有の時期が彼女にも私にもあり、自分や周囲にハリセンボンだったときもあるのですが、この時の共感のようなものはとても大きかったと思います。

 

 さて、ちょっと個人的な話を長々と書きました。今は「一側性難聴」のことははっきり自覚できますし、不便なことをあげることができます。

音の方向がわからない
 40人の普通学級も教えているのですが、時々生徒のおしゃべりなどを注意するのに『ほらそこ!』と声の「質」だけで判断して当ててしまい、間違ったりすることがあります。
 道を歩いていて、車などの音がどこから来るのかわからないことも多い。いっしょに歩いている友達が腕を引っ張ってくれることもしょっちゅう。
 グランドを歩いていて「T先生!」と呼ばれると、360度回転してしまう。

雑音が不快
 授業でもなんでも「雑音」はなんとなく落ち着かない。今はどのクラスの授業でも年度の最初にこのことをはっきり言います。体育館のざわざわのなかでのエコーのかかっていそうなマイクでわんわんしゃべられるととても聞きづらい。

何より・・・宴会が苦手
 私は大の酒飲みで()友人ともビールやワインを片手にいつまでもおしゃべりするのが好きなのですが、大勢の「宴会」で多数のグループの会話に的確に入るのは苦手。私の宴会パターンは右隣に座る人をターゲットにしてとにかく一対一の関係にしてしまいます。飽きたら(失礼)その方を解放して次の方を呼ぶ・・または、宴たけなわになると席を自分で移動してねらった人の左に座ってまた一対一の会話を続ける・・というはた迷惑なパターン。

しかし、周囲に言わなければ「誤解」される。
 学校に勤め始めて若いうちは、何度も「あなたは勝手つんぼだ」というようないいかたを年配の方にされたことがあります。今は年度の最初の職員会議の昼、歓迎会を兼ねた昼食の席で簡単な自己紹介をするときに必ず言います。「左耳は聞こえません。愛の言葉をささやいてくださるのなら、右耳からお願いします」と。毎年言います。難聴学級の生徒にも言います。

 

 一側性難聴の統計というのは新スクなら確実にわかる可能性がありますが、前に書いたとおり、一般的な学校のスクリーニングでは必ずしもつかめないのではないでしょうか。しかし、意外に多いと思います。私の乱暴な感触では2300にんに一人ぐらい。現に今の学校にもいます。
 聞こえないか聞こえるかで分類されると「聞こえる」側です。私は自分が高校から合唱を続けていることもあり、音楽も好きです。微妙なハーモニーもわかります。ただ、モノクロとステレオの違いはわからない。
 学校の中で「音声情報」に苦労したことは先に書いた「雑音」状態以外にはそれほどありません。ただ、教室では音源にまたは中央に対して良耳が傾けられる席であることは望ましい。ということは、自分でそのことを先生なり周囲なりに言える力が必要と言うことですね。45人でのおしゃべりの時。私は立つ位置に非常に気を遣います。数人で食事に行くとき、座席をぱっと見て座りやすい位置(全体が右に来る位置)を選びます。どうしても左隣に人がいるときにはもう一度、「ごめんね、こっち側が聞こえないので」と言います。職員室の「島」も同じです。

 

 保護者には伝えたいことはたくさんあります。保護者・・というか、私のかつての「母」にという意味でしょうね。「あなたはあなたの要求を口にしてもいいんだよ」ということを言ってほしかった。「何度も聞き返してもいいよ」と言ってほしかった。
 その「伝える」力はやはり単に「知識」だけではつかないでしょう。今、目の前の聞こえにくい中学生(N中学難聴学級生徒)たちが、聞こえにくい自分に対してきちんと自信をもって仲間と連帯して生きていく為にも、「自分」ができつつある思春期に仲間と出会うことはとても大事なことだと思います。なおかつ、自分を内から支える「学力」をつけることも。私の今の問題意識はこの「集団」と「学力」の保障ということにつきます。
 

IMG_20200410_153744 (1).jpgのサムネール画像まり、通級であるとか、難聴学級という「場」でなくてもいいと思うのですが、その情報のネットワークの中にその子や親がいること。年に1度でもそういった仲間と出会ったり、少し上の人の話が聞けること(特に親にとって)。そういうことを保障するのが私たち専門家の一つの役割だと思います。

 

 以上が、一側性難聴T先生の手記です。

 最後に児童文学作品を紹介しておきます。突発性難聴により一側性難聴になった中学生をテーマにした作品で、日本児童文学者協会・長編児童文学新人賞を受賞した素晴らしい作品です。ぜひご一読いただければ幸いです。

『蝶の羽ばたき、その先へ』森埜こみち、2019

小峰書店、1400円+税

 赤ちゃんが補聴器をつけて間もない頃のお母さんたち方からこんな質問を受けました。

「補聴器をつけているのに、呼んでも反応しません。大丈夫でしょうか?」

「大きな音を出しても振り向かないのですが・・」

「きこえているのか、きこえていないのか、反応があったりなかったりで心配です。」・・・

 お子さんの難聴がわかって間もない時期の親御さんは、補聴器をつければすぐきこえるようになるのでは?と思っておられる方や、音が大きく増幅されていれば音に気づくはずだと思う方も多いようです。

しかし、実際には、聴力が重ければ重いほど、子どもは音に対しての反応をそう簡単に、はっきりと表してはくれません。では、音は入っていないのでしょうか? 

補聴器の調整によっては、音の増幅具合(=利得・ゲイン)が不足しているということもありますが、音が十分に入っていても、反応をはっきりと表してくれるわけではないところが、子どもたちの初期の聴性反応(きこえの反応)の特徴です。

難聴の赤ちゃんはこれまでに音を意味のあるものとして聞いた経験がありません。極端に言うとこの世の中に音が存在しているんだということ自体を知りません。ですから、赤ちゃんの聴力と補聴器の調整から十分に音が入っていると考えられる場合は、音が入っているのは確かなので、あとはどのような関わり方をして、音の存在に気づかせていくのか、家庭でどんなことをすればいいのかということになります。

 

家庭での聴性反応の見方

さて、では、どのようにして聴性反応をみていけばいいのでしょうか。それにはまず子どもの置かれた状況を理解することが大切です。子どもは、補聴器を装用したことで、今まで入らなかった刺激=音が入ってくるわけですが、その時に理解しておかなければいけないのは、その音は、私たち聴者がきいている音とは全く違う、不明瞭で、曖昧で、歪んだ音であるということです。「たろうちゃーん」と呼んだからと言って、「た・ろ・―・ちゃーん」と一音一音(音韻)がその音の通りに明瞭に耳に入ってくるわけではないということです。そして、まだ聞き慣れない自分の名前を呼ばれても、突然、得体のしれない音の刺激に驚くことはあっても、「名前がわかって振り向く」という反応が見られないのは当然のことです。ですから、名前を呼ぶ時には、目線が合った時に、指文字やサインを付けて、近づいて肩をトントンして笑顔とともに「たろうちゃん」と自然体で呼びかけるということを心がけて行きたいものです。

次に、私たち聴者も、きこえてくる音が何の音かということについては、経験を通して学んできたということを理解しておかなければなりません。救急車の音を聞いて、救急車のサイレンを鳴らして走る様子を見ながら、「ピーポーピーポー」音が救急車とイメージできるようになってきたはずです。その時に、身近にいる大人から、「どこかで事故があったのかな?」「誰か病気で救急車を呼んだのかな?」という話を聞いたり、大人同士が「近くの○〇病院じゃなくて、××病院のほうがいいよね。」などと話しているのを聞きかじったりしながら、救急車=病院、けが、病気...というイメージが形成され、音を聞くとどこか不安な思いになるように聴覚学習をしてきているわけです。

しかし、見たこともない鳥や動物の鳴き声を聞いても、その音からその鳥や動物をイメージすることはできません。テレビで見たことがある...といった間接体験も含めて、体験したことのないものについては、イメージが持てないのです。そのように考えると、補聴器をつけて間もない子ども達にとって入ってくる音は、体験したことのない、イメージが持てない音だらけ。つまり、入ってくる音は全て‟雑音"と言えるでしょう。何の音であるかがわからないので、音を積極的に探そうといった、振り向き反応が見られないのは当たり前です。私たち聴者も、自分に関係のないエアコンの音や雑踏での他人の声等は、雑音と見なしていちいち気に留めないはずですし、人声の中にたまたま自分のことが話されているのが聞こえたりすると、思わずそちらの方向に耳がダンボになったりしますが(カクテルパーティー効果)、それと同じです。大きな音がして、それが補聴器から音として入ってきたとしても、何の音かというイメージや興味関心がなければ、子ども達は反応を示しません。

ですから、わが子がきいて楽しんでいるのかなと思われるおもちゃや楽器、太鼓、鍋、フライパン等の音で、きくあそび(音遊び)をたくさん経験した上で、子どもが楽しめた音を使って反応をみるとよいと思います。音をきいて、見て、触って、奏でて...とたくさん聴覚以外の感覚も駆使してきいたことで、その音にまつわるイメージが豊かに形成されている音を使うのです。こうした音を近い所できかせてみると、「おや?僕の知っている〇〇の音だ!」と、子どもは振り向いてくれるでしょう。こうした振り向き反応を引き出すためには、親御さんが共感しながら遊びを通して聴いて楽しむという積み重ねが必要ということです。「きこえているのか、きこえていないのかわからない」のは、子どもにとって、耳から入ってくる音がイメージの持てない音であるため、反応の示しようがない状況にあるともいえると思います。

 

補聴器が音を増幅する器械と思うと、このように「聞こえ」の様子に目がいきますが、音の反応の見方で大切なのは、実は子ども本人の「発声」です。重度難聴のお子さんであると、周囲からの呼びかけや環境音についての反応をみるのは上記に述べたように、非常に時間がかかります。そこでまず、補聴器の効果を見るためには、お子さんの発声の様子をみていただきたいと思います。個人差があるので、どの位で~とはなかなか言いにくいのですが、子どもは、補聴器をつけて数か月すると、自分の声が補聴器に届き、きこえる...それを確かめるようにスイッチを入れたとたんに「あーあー」「あっ、あっ」というように発声する姿が見られるようになります。こうした様子は見られないけれども、「声が増えてきた」という様子が見られれば、それも大事な補聴器の効果の目安になります。補聴器のスイッチを入れてすぐの発声も、自分の声に気づき確かめる声だったように、補聴器装用に慣れていくと、自分の声がよく聞こえてくるので、自分の声をたくさん出して、声を確かめ、実感し、楽しみながら発声が増えていくわけです。そして、その発声の増加の後に、『声の変化』が起こります。「あーあー、あう あうあー、うわうわ」といった母音様の声が、「バッバッ、まんまん、ダッダッダ...」という両唇や舌を使った子音を含んだ声に変わっていきます。こうした声の変化は、聴こえる赤ちゃんが喃語から音声言語を獲得していく道筋と同じです。

 下記は比較的聴力のよい赤ちゃんの育児記録からの引用です。

A児(50dB、生後4か月補聴器装用開始)

「声は、ア、ウ、エ、ンだけだったが、『バババ』『パパパ』など濁音や半濁音がついた声を出すようになってびっくりした」(9か月)

B児(80dB 、生後7か月装用開始)

「『マンマンマ~』『バババ~』などの声を出すようになった」(1歳0か月)

 

聴こえる赤ちゃんは、お母さんの声を聴いて、お母さんの声特有の声のパターンやリズムやイントネーション(抑揚)を聴いて学習していると言われています。英語を話すママに育てられた赤ちゃんは英語の音韻を身につけていくけれども、日本語を話すママに育てられた赤ちゃんが英語の音韻を発声するのは難しいというように、最初に獲得する音声言語は、生後間もない頃からの「聴く」学習によると言われています。しかし、100B以上の重度難聴の子ども達に、補聴器から音韻を聞き分けて学習させていくことはとても難しいことです。それよりは、「行こうねー(イコーネー)」という抑揚や「ワンワン」「モー」といったリズムの違い(韻律情報)を聞き分けて、聴覚を音声言語理解の助けにしていくことを大切にしていくとよいでしょう。補聴器で低音域の音の増幅を大切にすると、こうした聴覚活用に役立てやすいものです。声を育て、耳から入ってくる音声言語のパターン、リズム、抑揚の違いを学習することを育てていくことが大事です。乳幼児期の子ども達は、補聴器の効果についてことばで教えてはくれません。是非、身近にいる親御さんが、わが子の補聴器を効果的に活用していかれるように、よく観察して、気づいたことをメモしておき、補聴器の担当者に伝えていかれるとよいと思います。

 

 先日、こんな話をきいた。

ある聾学校の乳幼児相談に来談している1歳の子が、大学病院の聴力検査で90dB以上と言われ、人工内耳を勧められた。聾学校乳幼児相談担当の先生のBOACORからの判断は70dB である。何度か確認したのち、大学病院に検査の結果を添付して手紙を書いた。そうしたら今度は大学病院の方で、その保護者は「70dB 台だから手話を使う必要はない。聾学校の相談に行く必要はない」と言われたという。まさか最初から70dB台とわかっていて人工内耳を勧めたわけではないと思うが、そうでないとしたら、検査結果に信ぴょう性がうすいということになり、それはそれで大学病院としての専門性が問われる。しかも、70dB 台だから手話は必要ないというのは、いったいどういう根拠なのだろうか?

 

人工内耳や軽中度難聴の子の聴力検査をやっていると、防音装置が施された静かな聴力検査室では、補聴器や人工内耳を装用して20dBくらいの小さな音に「聴こえる!」と反応することが少なくない。傍で見ている保護者は「うちの子、この音が聞こえるんだ!」と驚く。しかし、日常の生活環境下では聴力検査室ほどの静かな環境などほとんど存在しない。とくに幼稚園とか保育園といった幼児が自由に会話している教室内では、騒音を測定すると80dBを下がることは少ない。このような多方向から音声が飛び交う中での難聴児のききとりの難しさ、複数での会話や離れたところから音声が投げかけられた時のききとりの困難さなどはなかなかイメージできない。それは保護者だけでなく、病院の医師やSTも現場に足を運んでいなければ同じである。

聴力がよいと「こんなによくきこえているんだから...こんなにきれいに話せるんだから...普通の学校で大丈夫」と言う人たちが多いが、しかし実際には、重度難聴児だけでなく軽中度や人工内耳の子どもたちにとっても騒音下でのききとりは難しい。聴者は騒音下でも少し離れた所から自分の名前がきこえたりすると「えっ?自分のこと?」ときき耳をそばだてたりできるが(カクテルパーティー効果)、このような選択的な聴取は、感音性の難聴児には難しい。相手の話し方、距離、そして騒音の有無といった状況や場によってきこえが大きく左右されるということを知っていないと、そのための配慮や支援も得にくくなる。「ああ、あの難聴の子ですね。あの子は大丈夫です。それより発達障害の子のほうに支援が必要なんですよね。」普通学校に見学に行くと、先生方はこのように言われることも多い。

本人にしてみれば、補聴器や人工内耳を通してきこえているのだが、聴者の0dBの聞こえとは違う聞こえ方だということ、それはどこが違うのかというのが本人たちにもよくわからない。だから、自分はきこえている人間なのか、きこえにくい人間なのか、きこえない人間なのかがわからない。聴者の世界で育つことが多いのが軽中度難聴や人工内耳の子たち。そうすると、手話に触れることがない。同じ障害を持った仲間との出会いがないまま育ってしまうことが多い。難聴学級が固定学級でそこで集団が作れるところはまだよいが、小さい時からそういった場所がないと自分の居場所が見つけにくい。自分はどこで安心できるのか、多数の聴者の中では、沢山の不利益に出会い、「やっぱりきこえた方がいい」と思わさせるのが現実である。そうすると、自分で自分のことを「いいな」とはなかなか思えない。こういったことが軽中度難聴や人工内耳の子たちの問題としてあるということを知っておく必要がある。

 

さて、以下は、ある幼児の保護者からいただいたメールである。聾学校幼稚部に通う年長児だが4月からは普通小学校に通うという。人工内耳を装用していてきこえる人とは音声言語で、きこえない子同士では手話を使っている。

 

「今日は、Aの歯科検診にいきました。初対面の人と接するときは、まず初めに『ぼくは聞こえにくいから、目をみて話してください』など難聴であることを伝える練習を積んできました。今日『お医者さんに、きこえにくいこと、伝えようね。』というと、Aは『聞こえにくいじゃなくて聾者だから、と言ってもいい?』と聞いてきました。『だってぼくは、聾者でしょ。だから、聾者っていうよ』と。『もちろんいいよ』と応えました。Aは、自分の言葉でお医者さんに説明していました。その姿に成長を感じ胸がいっぱいになりました。

なぜ急に、聾者といったのかと考えてみました。数日前に斎藤陽道さんの写真集を見せたからかもしれません。『この人は、聾者なんだよ。小さいとき発音訓練に通ってたんだって』と私が言うと、『ぼくと一緒だ!ぼくも通ってる!とハッとした表情になりました。『そうだね。でも、この人はね、発声はできるようになったけど、今は補聴器はずして手話とか筆談でお話ししてるんだって。』と言うとさらに驚いていました。『いろんな人がいるんだよ。だから、Aももしかしたら人工内耳外して生きていくかもしれないし、発音うまくなったけど声出さないって将来思うかもしれない。それはそれでいいと思う。何が幸せかは人によって違うからね。Aが幸せって思う方を自分で決めたらいい』というと、わかったようなわからないような表情で聞いていました。その時に『耳が聞こえない人のこと、聾者っていうんだよ』と説明すると、『え、じゃあ僕も聾者だ』。『Aも聾者だね。誇りを持って聾者として生きていってる人がいるのよ』と話したことが、Aの心に残っていたんだと思います。Aが年少の頃、生まれたばかりの下の子がきこえる子だということを知り、家族の中で自分だけが聞こえないということに、悔しくてどうしようもないというふうに、体全体を使って泣きじゃくっていましたが、いまは、自分のことを受け入れたような感じがします。

 難聴学級があるとはいえ、小学校はきこえる子に囲まれてきっとまた悩むことがあると思います。小学校で聴者の世界に出て、思春期の多感な時期、今度は聞こえない仲間のいる学校に身をおくという選択もいいのかもしれません。まあ、まだまだ気が早い話しですが。・・・」

 

 これを読んで、米国に渡った大谷翔平選手ではないが「二刀流」ということばが浮かんだ。人工内耳も手話も使いこなす二刀流の子どもたち。これからはこんな子たちが出てくる時代なのかもしれないなと。 

桜の花の咲く季節になった。これから何度、私自身、桜の花を見る時期を迎えられるだろうか?と自分の歳を気にしつつ、このお子さんのこれからの成長をさらに見守っていきたいと思う。そして、門出のことばを贈りたい。 

「人生を楽しむために手話を!人生を闘うために日本語を!」

二つのかけがえのないことばを大切にして生きていってほしいと思う。

若狭妙子さんは幼少期平均約40デシベルの軽度難聴者で、徐々に聴力が低下し、現在は6070デシベルの中等度難聴者です。現在京都聴覚言語障害者センターで、成人聴覚障害者の心理カウンセラーをされています。若狭さんのご主人は聴者、二人の聞こえるお子さんのお母さんとしても忙しい毎日を送っていらっしゃいます。10年ほど前に若狭さんの講演を初めて聞いた時、聴者のように見える軽度難聴者のつらさ、苦しさが生の声として届けられたことは衝撃でした。当時学生だった彼女が心理士となり、母親になり、立場も変わり、経験も深まる中での話はその都度学びがあります。ここでは、ある講座での講演から紹介します。

 

●息子の声が聞こえない

夜は補聴器を外して寝ている。今5歳になった息子が夜中にトイレに行きたいので私を起こす。しかし、補聴器を外していると、息子の声は聞こえない。私が気づくまで、放ってしまっているようである。からだを揺さぶられ、ようやく気づき、慌てて補聴器をつけて話をし、トイレに連れていく。

 

●条件によって変わる聞こえ方

「たばこ」と「たまご」、「オシオとって。」「コショーとって。」言われて、間違えると「なにやってるの?」と言われる。11の静かな場所なら90%わかるけれども、3人以上になると2030%の理解になる。そして、騒音、反響に絶えず左右される。いつも英語のリスニングのようである。「この人の話を聞こう」と構えて初めて、聞こえている。他人の雑談を聞いたことがない。大学に入って、ろうの友人と話したいと思って手話を覚えた。そして、手話通訳やノートテイクで講義を受けて、輪郭が曖昧だった世界が鮮明になった。私も全てわかることができるのだと知った時、この20年はなんだったのだろうという思いで怒り、驚き、混乱した。私の20年間はなんだったのだろうと、取り戻すことのできない時間を悔やんだ。

 

今は60dBの中等度難聴者の若狭さん。補聴器をつけていなければ子供の声は聞こえません。大きな泣き声であれば気づくかもしれませんが、夜中にぐっすり寝ているような状況で、何気なく「トイレ~おしっこ」と語りかけられる声は届かない。「この人の話を聞こう」と構えて初めて聞こえるという言葉の通りです。この「聴く」に注意を集中させるということは「いつも英語のリスニングのよう」という表現にあるように、日々必死に聴いているのが難聴者なのだといえるでしょう。息子さんも、お母さんが音声だけでコミュニケーションが難しいと日々実感していると、ろう文化を自然と身に着け、声で呼ばずに肩をトントン叩いて起こすのでしょうが、条件によっては音声でも通じるお母さんに対して、声で呼ぶ気持ちもよくわかります。軽・中度難聴者がろう文化も身に着けながら育っていくことの大切さを教えられた気がします。

 

ある中等度難聴者の友人は、大学院で学ぶのに1時間目から7時間目まで、つまり朝から夜7時過ぎまで、FM補聴器を使いながら一日中必死で聴いていて、疲労困憊すると言います。私たち聴者はどうかというと、ノートテイクしながら、よそ見しながら、少し雑談しながらでも、講演者の話は耳から入ってきますね。つまり、「~ながら」ができるのは、「聴く」に必死にならないでいられるということであり、難聴者の「聴く」と大きく違うことを、私たちは理解していかなければいけないでしょう。中等度難聴者の友人は、大学院で講義を受ける際にFM補聴器を使っているわけですが、先生方は嫌がらずにマイクをつけてくれるけれども、ピンマイクの向きを間違えていたり、スイッチを入れ忘れていたりすることがあり、その時には急いで直しに行ったり、お願いしたりしなければならないそうです。また、話し合いの際に、同じ学生たちにマイクを回して発言の際に使ってもらおうとするのだけれども、先生以上に学生の方がマイクを使い忘れたり、使っても話し声がボソボソしていて、聞き返さないと全く分からない状況もあったりするとのこと。「FMマイクがあれば大丈夫」と一言で言えない、機器を使う側の人の問題が常に伴うので、大変なのだということを訴えていました。通常学校に在籍し、難聴学級に通級しながら学校生活を送っている軽・中度難聴児、人工内耳装用児は多いですが、その教え子たちの声を聞いても支援の在り方は実に様々です。充実した支援を得られている子供はいいのですが、そうでない子供たちはわからないことは仕方ないとあきらめたり、わからないことに慣れすぎて、こんなものなのだろうと自分の聞こえや情報の取り方について思い込んでいたりする例も少なくありません。問題や不具合を指摘できる大人との違いがそこにあるため、楽観視はできません。

 

こうしたエピソードを知らなければ、難聴者に対して、「大丈夫よ。ちゃんときれいに話せているじゃない。ちゃんと会話もできているし、聞こえているじゃない。」そんな風に語る一般の人々はたくさんいます。注意を向けて聞こうとしていれば聞こえるけれども、条件によっては全く聞こえない、そんな聞こえを理解してもらえないのが軽・中度難聴者です。こうした誤解ほど本人にとってつらいことはないわけです。彼女は「軽中度難聴児のきこえの世界を知り、彼らが世界をどう体験しているのかを知ってもらいたい。」と話していました。若狭さんが、「聴力レベル○デシベルと困難の大きさは相関しない。」、軽ければよく聞こえるという単純なものでないこと、耳に入ってくる音質の違いが大きいのだということを強調されていましたが、重い言葉だと思います。

 

●結果だけでなく、プロセスを知りたかった

学習につまずきもなく、友人関係も人並みにあった自分のことを、先生たちは成功例と捉え、親も問題なく育ってくれたと思っていたようだ。しかし、高校卒業後社会に出た時に今まで見えなかった問題が顕在化した。特定の二人とであれば困らなかったコミュが3人以上のコミュが増えることで困り感がどんどん増え、自己肯定感が低くなった。黒板に書かれている結果だけで理解してきて、そのプロセスを理解することが抜けていたことで、自分の考え方が幼いことに気づき始めた。

 

●全てわかりたかった

大学に入って、ろうの友人と話したいと思って手話を覚えた。そして、手話通訳や要約筆記(ノートテイク)で講義を受けて、輪郭が曖昧だった世界が鮮明になった。私も全てわかることができるのだと知った時、この20年はなんだったのだろうという思いで驚き、怒り、混乱した。取り戻すことのできない時間を悔やんだ。

 

●ありのままの自分を出せる体験がしたかった

小学校で友達に「耳は治るの?」と聞かれたことがある。その答えが知りたくて、難聴学級の先生に聞いてみたところ、「大きくなったら治ると思うよ。」と言われた。だから治すために難聴学級に通っているんだと思っていた。難聴学級は「聞こえることを頑張る」ところだった。「聞こえないまま、安心して、堂々としていればいい。」と言ってもらっていたらどんなに良かったか。補聴器のない自分でも大丈夫という安心感を与えてほしかった。肩に力を入れずにできる手話でのコミュニケーションを早くから知っておきたかった。

 

聴者のように育つことは、聴者に慣れない本人にとっていかに酷なことかを若狭さんは伝えてくれたように思います。聴者とは違う曖昧な聞こえ方、聴者のように「聴く」だけで全ての情報が入らない難聴者の立場を伝えつつ、だからこそ、「聴者とは違う自分」を自覚することが大事だということが彼女からのメッセージだと受け止めました。それは、「聴こえないのは難聴があるからであって、自分が悪いのではない。」という受け止めに始まり、ではどのようにしたら情報が入るのかという難聴者の立場からの発信、模索、支援の依頼といった行動につなげていかれるよう、親御さんが子育ての中で伝えていくことが必要ではないでしょうか。そして、「聴く」だけでは完璧に情報を入手できない難聴者として、手話や文字コミュニケーションの必要性を本人が自覚できるよう、親御さんがそのツールをわが子の子育ての中で大切にするよう努力していくことが大事ではないでしょうか。そして何より、「きこえなくていいんだよ。あなたは、あなたなんだから。」という家族や友人を初めとする身近な人々の理解と本人への歩み寄りがあれば、肩に力の入ったコミュニケーションをせずに、難聴者らしく生きていかれるということだと思います。つまり、軽・中等度難聴を誰よりもきちんと理解しなければいけないのは親御さんであり、親御さんが聴者と違うその聞こえの世界を理解し、難聴者として育てる構えができることが本人たちを幸せにするということを、彼女の思いを代弁して、ここで伝えたいと思います。(SS記)

 

┃難聴児支援教材研究会
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