「聾学校から大学行けますか?」~ある保護者の質問から
〇大学に進学するということの意味
ある難聴幼児(重度)のママさんより、上のタイトルのような質問をいただきました。話しをきいてみると、ある病院の耳鼻科の先生に「聾学校に行ってちゃ、将来、大学とか行けないし、インテしたほうがいいのでは?」と言われたということでした。最近はここまではっきりと(露骨に?)おっしゃるドクターはむしろ少なく、「手話をやりたいなら聾学校へどうぞ。音声言語でやりたいなら別の療育機関を紹介しますよ」という言い方で人工内耳やインテグレーションを勧める方が多いのですが、いずれにせよ学校教育は、将来、大学に行くためにあるわけではありませんし、公立聾学校は音声言語を否定したことははっきり言ってないと思います。「あれかこれか」という二者択一ではなく、「あれもこれも」という選択もあってよいと思います。
そのうえで考えてみると、大学に行くということは、抽象的・論理的思考ができるレベルの学習言語を身につけ、将来、社会で活躍するために必要な高度な思考や知識技術を学ぶ世界に入っていくことだと思います。そして、その子どもの到達した思考力や日本語力がそれが可能になるレベルに達したということですから、いわゆる『9歳の壁』を越えたというひとつの目安になると思います。そして、これまで聴覚障害者のおかれていた社会的地位の低さを考えると、大学に行く人が増えるということは、きこえない人たちの社会的地位の向上にもつながることだと思います。
〇障害認識の視点を忘れずに
もう一つ大切なことがあります。それは、子どもたちが、差別や偏見が厳然としてある現実の社会で生きていかざるを得ないということを考えた時、不当な差別や偏見に対してきちんと異議申し立ての出来る論理的思考力と書記日本語力をもつことがとても大切だということです。自己肯定感がもてる子ども、しっかりとした障害観・言語観、自己認識をもった子どもたちを育てていくこと、それが特別支援教育における聾学校や難聴学級の大切な意味であり役割だと思います。論理的思考力、言語力(書記日本語力)、自己肯定感、障害認識をしっかりと育てていきたいものです。
〇そのうえで考えてみたいこと

こうした力をつけられることを前提にした上で、あえて「聾学校から大学に行けます
か?」という問いに応えるとすれば、私は「もちろん、行けますよ!」と応えたいと思います。ただ、日本にある聾学校は国立1校、私立2校、それ以外は公立(都道府県または市立など約100校)聾学校で、それぞれの聾学校の教育方針も指導力も子どもの数もまちまちで、金太郎飴のようにどこを切っても同じということはありません。そういう意

味で、私が「行けます」という意味は、実際にこの10数年関わってきた、ある公立聾学校での実践を前提として考えています。
乳幼児教育相談で保護者の障害認識のあり方を支援し、子どもの自己肯定感を育て、手話という早期に獲得できる「言語」を使って認知・思考の力を伸ばし、日本語対応の手話や文字・指文字・音声をトータルに使って基礎的な日本語力・思考力を就学前の幼稚部段階でつけ、さらに小学部においては日本語文法指導や日記・作文指導等によって教科書を自分で読める力をつける。ざっと言えばこのような方法になると思います。そしてその結果として、書記日本語力や学力を確かにつけてきた。

右の図は、そのろう学校での小6児童の文科省学力調査結果(コロナ前の2019年)の国語と算数の結果ですが、このろう学校に乳幼児相談からずっと通い続けた子どもたちは、しっかりと学力をつけていることがこのグラフからもわかります。
そしてその下の図は、その子どもたちが最終的に高等部を卒業し、大学(含短大)に進学している比率と実際に進んだ大学です。大学名まで出すことにためらいがないわけではありませんが、



る文法項目20項目のうち何項目が「通過」できているかを調べることで、その子どもがどこを苦手としているのかとか、何歳・何年生レベルの力が今、あるのかといったことがわかります。このグラフでは、横軸を各学年、縦軸をJcoss通過項目数として、各学年ごとの平均通過項目数を表示しています。
例えば、聞こえる子(聴児)の各学年平均の通過項目数は白点線で表示されており、1年生10.9項目、2年生14.8項目、3年生15.5項目・・ということがわかります。 また、聾学校児童の値は黄色の直線で表示されています。例えば、小学校1年生では、聴児は10.9項目通過しているのに対して、聾児では5.3項目。ほぼ

聴児の半分しか通過できていないことがわかります。聾児はまだまだ教科書を自分で読んでわかるレベルにないことが、この図から読み取れます。人数的に多くないので多少ばらつきはありますが、いずれにしても聾児は聴児のレベルまで追いつくことはなく、6年生でも13.7項目通過で低学年のレベルで終わっていることがわかります(中川,2009)。これが「9歳の壁」といわれる現象の一端です。
その聾児の線(黄色の直線)の近くにある赤い点線は、実は私が関わってきたろう学校の2008年(平成20年)の各学年平均の通過項目数です。他の聾学校(中川,2009)とそれほど差がありません。というか聾学校平均をやや下回っているレベルです。この時まで、このろう学校は一般のどこにでもある聾学校のひとつでした。しかし、12年前のこの頃が思考力・日本語力改善に向けてのスタートの年でもありました。まず、小学部で取り組んだのは日本語文法指導。これには聾教育研究者はじめ教育関係者の方々からいろいろと批判(時代遅れ、聾児には理解困難等)もありましたが、しかし、着実に成果を挙げてきました。その方法についてはこのHPにも紹介していますし、テキストを作成したりYouTube動画も作成してきました。
次に取り組んだのは幼児期の子どもたちの日本語力・思考力アップ。これは、まず幼稚

部幼児全員のJcossの実施、年長児のWISCの実施から始めました。右のグラフは、当時の幼稚部年長児のWISC検査の結果です。これによって幼児の認知・言語面での実態が明確になり、何に取り組むべきかもわかってきました。右のグラフを見ると「類似」という項目が最も落ちていることがわかります。これは、ものごとの概念が十分に作られていないこと、ものごとの概念間の比較や共通概念の抽出なども難しい子どもが多いこと、さらにはものごとの上位・下位概念といった


これによって帰納的推論と言われる重要な思考方法も身につけることができます。この取り組みは時間もかかり手間暇がかかりますから、乳幼児相談1,2歳児の保護者の負担も相当だったと思いますが、確かに子どもの語彙力・思考力は伸びました。そしてそれが年長時に実施するWISCの言語性の検査結果にも反映されました。それが下のグラフのWISCの結果の比較です。「類似」の結果が大きく伸びていることがわかります。他の項目も伸びています。

また、それはJcossの結果にもあらわれました。この「ことば絵じてん」の実践とその効果についても、このホームページに紹介していますし、ワークも作りました(『ことばのネットワークづくり』)。
このような取り組みの積み重ねの結果として今あるのが、Jcossのグラフの中の赤い直線です。これは2022年1月(平成3年度末)に実施されたJcossの学年平均の通過項目数です。聴児の白い点線をやや下回っていますが、高学年ではほぼ同等まで伸びています。2008年頃の子どもたちの値とは別次元の値といっても言い過ぎではないと思います。また、青い直線で示したデータは直近7年間の大学進学者29名の在籍当時のJcoss通過項目数平均値です。赤い直線とあまり違わないことがわかります。このような結果からも大学進学率58%が根拠のないことではないと理解していただけると思いますし、どこの聾学校でも、その気になって取り組めば子どもたちは伸びるのだということのひとつの証明だと思います。
数年前、ある医療系大学の招きで米国ロチェスター工科大学教授(当時)のマーク・マーシャーク博士(Dr. Marc Marchark)が来日され、このろう学校体育館で記念講演が行われたことがあります。講演に先立ってろう学校を見学され、その後の講演の冒頭で「このような聾学校を私は知らない。米国はじめ欧州その他世界中の聾学校を見てきたが、この聾学校は特別な聾学校だ・・」と話されました。その時、私はマーシャーク博士の話をききながら、私たちの実践は決して間違っていなかったと確信しました。
〇子どもはどこにいても伸びるし伸ばせます!
聾学校だから伸びたわけではありません。どこにいても子どもは伸びるし伸ばせます。ただ、それができるかどうかは、支援・指導に携わる教師・ST・医師といったそれぞれの専門家の見識と支援・指導の力量、また、保護者の考え方や子どもへの関わり方ではないかと思います。否定より肯定、ありのままの子どもの尊重、早期に言語を持つこと、工夫し楽しく日々一緒に遊ぶこと、ものごとの概念やイメージが豊かにもてるようたすけること、論理的な思考の力の基礎を育てること、書記日本語の力を伸ばすこと、そのために絵本の読み聞かせや絵日記に取り組むこと、日本語文法の指導に取り組み教科書が自分で読める力を育てること、きちんとした障害認識の力をもち自己肯定感をもった子どもたちに育てること、そして、その結果が、「9歳の壁」を越える力につながるということだと思います。どこにいても関係なくこうした力を育てることはできます。そのことを間違わないようにしたいものだと思います。