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新スク後の支援・3つの問題点~ある母親の手記を通して考える

〇新生児聴覚スクリーニングの現状

先ごろ、「新生児難聴支援進まず、自治体4割体制不備」(読売新聞、6.7)、「すべての新生児に難聴検査を、早期ケアで言語発達に支障出ぬ可能性」(8.17)など、新生児聴覚スクリーニング検査(以下新スク)を推進する記事が相次いで掲載されました。早期発見に異議はありませんが、日本で新スクが始まって以来20年経過しているのにも関わらずいくつかの問題点が未解決のままになっています。早期発見を意味あるものにするためにもその問題点の解決は重要です。ここではその問題点について、新スクを受けたある保護者の手記を通して考えてみたいと思います。

 ここで紹介するのは、新スクで「リファー」となり、確定診断が出るまでの4カ月間、なんの支援もなく、ただただ不安な日々を送らざるを得なかったお母さんです。赤ちゃんに笑顔で向かいあうよりも日々パソコンと向き合い、障害への不安から母乳の出が悪くなったと言います。幸いにして自力である聾学校の乳幼児相談にたどり着きますが、誰からの援助もなく家の中で悶々とした日々を過ごしている人は決して少なくないのが現状です。

聴覚障害があるのは人口1,000人に対して約1.5人、新スクで「リファー(要再検査)」となるのは3人程度と言われていますが、数が少ないから許されるという問題ではなく、検査にひっかかった当事者の母親にしてみれば、「障害」への恐れを抱きながら鬱々とした日々を送ることになるわけで、このような宙ぶらりんの状態におかれることが、赤ちゃんによい影響があるわけはありません。たとえ結果的に「正常」であり「やれやれ」という場合でも、地獄のような3~4か月を一体だれが支えるのか、という問題をないがしろにすべきではありません。新スクを勧めようとしている人たちはこの問題をどう考えているのでしょうか? 以下、手記を引用します。


〇「リファー」を告げられたある母親の手記

出産前に、新スク検査というのがあることを知り、私たちは何のためらいもなく「一応、やっとくかね~」という感じで申し込みました。退院の日、娘を抱いて病院の廊下で先生にお礼のあいさつをしているときに「耳がちょっと聴こえないかもしれなんだよ」。びっくりしている私に先生は「ま、完全に決定したわけじゃないんだけど、そんなに心配?」と。

「・・・心配も何も・・・と返すのが精いっぱいだった気がします。でも、先生は特別深刻じゃないような話しぶりで、「まあもう一回検査してみよ~!」ということでした。とにかく「え?なんで?本当に?うそでしょ・・・」と信じられない気持ちとなんだかぴんと来なくて「あ~、再検査かぁ・・・どうしてだろう?」という気持ちでした。家に戻り、生まれたばかりの娘を見てもなんだか信じられないので、娘の横で手をパンッて叩いてみたり、「わっ!」と大きな声を出してみたりしました。現実として、事実として、受け止められませんでした。そして、どうして私が? 妊娠中にあんなに気を使って生活したのに、何の問題もなく順調に過ごしてきたのに、それなのに? どうして私の子が? あの時、ああしたからよくなかったんじゃないか。あの時、ああだったからじゃないか...。

 この時の私は何も知らず、状況もつかめず、どん底状態でした。耳がきこえないってどういうこと・・・? この先、私たち家族はどうなっていくんだろう・・・。初めての子、勝手のわからない育児、その上の出来事で本当にいろいろ悩んでいました。とにかく手あたり次第やるしかありませんでした。このまま途方にくれていても仕方ない・・・。

 産院から紹介された病院に行き、通されたお部屋には「言語聴覚室」と書いてありました。なんだか本当に一般的に「障害」(このことばが正しいのかは最近すごく疑問に思えてきました)と言われるところに来てしまったのか・・・と思いました。中に入ってみると先生と言語聴覚士さんが温かく迎えてくれました。

 「音にはちゃんと反応しているからきこえないないわけではないですよ。大丈夫ですよ。お母さんの声はちゃんと聞こえていますよ。」先生にそう言われて、なんだか胸のつかえがとれて泣いてしまいました。

 実はこの頃、けっこう精神的にも肉体的にもかなり滅入っていて、母乳の出が悪くなってきていました。少し気持ちの整理がつき始め、現実を受け止められるようになってくると、今度は周りの目を気にするようになりました。補聴器をつけたら「耳のきこえが悪いです」と言わなくてもわかること。ある程度の年になったらことばの遅れや発することばのイントネーションの違いなどでわかること。そのことで娘のことを偏見や特異な目で見る人や、同情、哀れみの気持ちで接してくる人もいるだろうし、私の周りの人たち、友達も、親戚の人も、そうなんじゃないかなと思ったりして悩みました。だから娘の耳のことは、昔からの友達に話すもの怖かったし、できませんでした。一時は、聴こえる子のお友達は作らない方がいいのではないかとまで考え、本気で悩みました。そして、インターネットの子育てサイトに悩みを投稿したときに、「どうして隠す必要があるの? あなたはお子さんが恥ずかしいの?違うでしょう? 堂々としていればいいじゃない。どうしてあなたがお友達を決めてしまうの? そんな障害のあることで友達になれないないのなら、そんな友達なんていらないんじゃないでしょうか?」 自分では結構強気な性格だと思っていたけど、この時は本当に相当滅入っていたのでこのレスに本当にハッと我に返った感じでした。

 ある日、義母に「孫とか甥っ子、姪っ子とかにも、そういう人(健常ではない人)は誰もいない。遺伝が関係しているのでは? 遺伝子が原因じゃないかと思う。今まで全然誰も何もなかったのに・・・」と言われました。私は泣きながら、帰ってきた主人に一部始終自分の思いを話しました。

 「そんなに誰かのせいにしたいの? そういう人はうちにはいないって、いちゃいけないの? それはなんで? 世間体ですか? 健常、正常じゃない人は産まれてきちゃいけなかったですか? そういう人がいるのは恥ずかしいことなんですか? 遺伝子ってことは難聴は悪遺伝子ってこと? ってことは娘は粗悪品ですか? 娘の存在は恥ずかしい? 悪いことなんでしょうか? 遺伝子、どっちが粗悪な遺伝子を持っていたから娘はこうなってしまったと? (中略)言わせてもらえば、私の家系では今まで一度だってそんなふうに遺伝子の話や原因について言っている人は誰一人いない。ただただ静かに温かくサポートしてくれている。娘の現状を正しく、そのまま受け止めてくれている。それに、私にとって娘は自慢の娘! 耳がちょこっと聴こえにくいだけで、元気に成長してるもん!」

 主人はちゃんと黙って全部きいてくれた。主人や主人の家系の人に謝ってほしいのではありませんでした。ただただ、正しい知識を持って理解してほしい。今更誰のせいとかにして現実逃避してないで真実を温かく受け止めてほしい。正常じゃないことへの偏見。確かに何かあるよりない方がいいに決まってる。以上より正常。それは人間だれしも思うし、願っていることだと思います。誰も最初から異常なことを願っている人はいないでしょう。生きること、生きていくことにおいて、身体的、精神的に障害を持って生まれてきた子に対して誰だって最初は驚き、ときには落胆し、ときには現実逃避もしたくなるだろうと思います。私自身も今まで障害をもった人のことについて他人事のようでもあり、正直偏見もあったように思います。誰もなにもしてくれない、この子の親か私たちなんだ、私たちがやるしかない。耳のことに関してインターネットで調べまくる毎日。そのおかげでいろいろなことが少しずつ見えてきました。

 そして、ある聾学校のことを知りました。それでも実際は「聾学校」という響きに躊躇し、なかなかその門を叩くまでには決心が必要でした。勇気を出し、〇〇聾学校に通うようになって、同じきこえにくい子を持つ親同士、色々な話ができるようになりました。きこえの程度はそれぞれ違うだろうし、どうであれみんな考えていることは同じというか心配事は一緒。みんなすごく明るくて前向きです。そして、同じくらいの月齢の子(健聴児)をもつママとなんら変わりはないのです。耳の話だけでなく、子育て一般の話で盛り上がったり、いいお話ができて、私も勉強になったり勇気づけられたりしています。

 本当にこの一年、娘の耳のことがあったから見えた、知った世界があるし、いろんな経験ができました。人の情けも非情さも、物事の本質も見えてきました。手話に触れる機会も持つことができました。また、自分自身の価値観を変える、切り開く一年でした。私自身も自分の価値観、考えの変化にびっくりしています。普通になんとなく生きていたら、なかなか自分の価値観を変えることなどそうそうあるもんじゃないと思います。だから、こうしていろんなことに気づき、気づかされて一年を振りかえってみて、私はこれでよかった、幸せだと思えるようになりました。ここで知り合えた聾・難聴の大人の人や子どもたちや同じ悩みを抱えた親たち、先生たちは私にとっても娘にとっても、とても大切な存在で、とても救われました。また、笑顔でいられるようにこれからも楽しく子育てをして、子どもの成長とともに自分も成長できたらいいなと思います。

 

 以上が母親の手記です。この手記からうかがい知ることができるのは、リファーの告知から確定診断を経て、聾学校という支援機関にたどり着くまでの数カ月、家族以外のだれからの支援もなく、ただただ自分たち夫婦・家族で不安を抱えながら過ごさざるを得なかったということです。

 

問題点① 産院での「リファー」告知のあり方

 具体的な問題点をあげるなら、まず、新スクを実施する産院での母親への告知の仕方の問題です。退院時の玄関先での立ち話ではなく、慎重に、告げられる側の身になって、その時と場所を考え、できる限り夫や祖父母などを交えて、かつ専門外のことには立ち入りすぎないよう過不足なく事実を告げ、専門の精査機関に確実につなぐことが求められます。その体制(告知にあたっての研修など)を全国規模で十分に整えることができるのでしょうか? 

 

問題点② 確定診断までの心理的支援の必要性

 次に、母親は新スク後、1か月後の耳鼻科での精密検査で「全くきこえていないわけではないが、まだ小さいから様子をみましょう」と医師に告げられています。そのため、不安定な状況はさらに3カ月続くことになりました。1カ月の赤ちゃんにはまだ生得的な反射(モロー反射)が残っています。脳の発達が進む3~4か月頃にこの反射が抑制され、音の方向へ顔を向けるなどの行動がみられるようになるので、診断が確定できるのは3~4

リファー表紙.jpgのサムネール画像か月まで待つ必要があるからです(低出生児など発達がゆっくりの場合はさらに時間がかかります)。宙ぶらりんの状況が続くことは母親にとっては、心理的な拷問がさらに続くことになりかねません。新スク・リファーのあと確定診断までの間、だれがどのように母親を支えるのでしょうか? ただただ確定診断の日まで鬱々とした日々を送るしかないのでしょうか? その支援のあり方は果たして考えられているのでしょうか? 

 この時期の対応については、冊子『リファーとなったお子さんのお母さんと家族の方へ』(全国早期支援研究協議会編,300円)が参考になる。

 

問題点③ 精査機関での確定診断時の告知のあり方

 さらに、確定診断時、医師や言語聴覚士は、補聴器・人工内耳・聴覚口話法という選択肢だけでなく手話を使うという選択肢についても公正中立に情報提供できるのでしょうか?実際、多くの耳鼻科医たちは、人工内耳に関する情報提供はしても、手話ということには一切触れないのが実情です(手話を否定する医師も少なくありません)。その意味では十分にインフォームド・コンセントの原則(十分な情報提供と自己選択・自己決定)が守られているとは言えません。この母親の場合は、自分でインターネットを検索し、たまたま通える聾学校を見つけ、そこに行ったらたまたまそこは手話も使い聾者とも出会える聾学校だったという全くの偶然で一つの方向を選択しています。新聞には確定診断後の支援として手話ということは一言も出ていませんでしたが、情報が一方に偏ったまま全国規模で体制が作られる心配はないと言えるのでしょうか? 

 早期発見が本当の意味で実りあるものになるためには、少なくとも上に述べたこのような3つの問題点を、同時的に並行して解決することが大切ではないかと思います。(木島照夫)

┃難聴児支援教材研究会
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