全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

新生児聴覚スクリーニングとその後の支援のあり方は・・

先日(2019.8.17)、朝日新聞に「すべての新生児に難聴検査を」「早期ケアで言語発達に支障出ぬ可能性」という見出しで記事が載った。記事の主旨は、難聴の早期発見には新生児聴覚スクリーニング検査が欠かせないが、自治体からの補助があったりなかったりで、実施率に差があるのが実情だ。しかし、「早く介入すれば克服できる可能性が高いことも分かっている。」(昭和大学・関沢教授)ので、国・自治体は、早期発見・診断・支援の体制を築くべきだ、という内容である。

全ての新生児に難聴検査を(朝日).docx.pdf

新スク(朝日).jpgのサムネール画像早期発見早期支援の体制をつくることに大きな反対はないと思う(ただこの検査に関しては問題が全くないわけではない)。問題は、難聴発見後の支援のあり方として補聴器と人工内耳のことにしか触れていないことだ。記事では以下のように述べている。

「・・オーストラリアの研究では、音を電気信号に変えて脳に伝える「人工内耳」を埋め込む手術を生後6カ月の時にした場合は、5歳時の言語発達が聞こえる子と同じレベルだった。国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の通常学級に通えるという報告がある。・・(略)・・精密検査で難聴と診断された場合、軽度なら補聴器をつける、重度なら人工内耳をするなどの方法がある。・・」

 この記事に対して、全日本ろうあ連盟から質問状が出されているが(*参照)、ここでは、適切な意見を朝日新聞に送った、ある言語聴覚士の意見を以下に紹介しておきたい(固有名詞は省略)。 (*)https://www.jfd.or.jp/2019/08/27/pid19495

 ・・記事を読ませていただきました。私は新生児スクリーニングが日本に導入された頃から、〇〇ろう学校乳幼児教育相談にて聴覚障害児の教育に関わっております言語聴覚士の〇〇と申します。記事の中にいくつか問題点があると思われますので、ご指摘させていただきます。

まず、この記事を読みますと、<新生児スクリーニングを受け、生後6ヶ月までに難聴の有無を診断し、重度の難聴児には超早期に人工内耳を施すと誰もが通常学校に通える>という錯覚を読者に与えてしまう恐れがあります。人工内耳をしたとしても、難聴であることに変わりなく、健聴者と同じようになるわけではありません。1対1の静かな場所での会話はできたとしても、大勢での会話は難しく、音声言語のみでのコミュニケーションでは限界があります。手話を使ったコミュニケーションをする人工内耳装用者がおおくいる、という事実を知っていただきたいと思います。

新生児スクリーニングは難聴の有無を荒く検査するものであり、リファー(要再検査)と結果の出た新生児のなかに、聴覚に問題のない子どもたちがおおくいます(厚労省発表・年間約5000人の新生児が要再検査となり、そのうち593名が異常あり)。

乳幼児の聴覚発達についてですが、生後6ヶ月ではまだはっきりした聴力レベルがわからないことがおおく、きちんとした聴力が分かるようになるには、その子の全体発達と深い関わりがあります。新生児スクリーニングでリファーとなり、重度の難聴があると診断され人工内耳をすすめられたにも関わらず、実際には聴力が正常であったり、軽度や中等度の難聴で人工内耳不適だった、ということもよくあります。人工内耳を片方の耳にしたあとに、もう片方のやはり重度であると診断を受けていたほうの聴力が、実際には中等度難聴であったことが判明し、人工内耳を施した耳のほうも実は中等度難聴だったのではないか、という事例もあります。つまり、生後6ヶ月での聴力レベルの判断は、大変難しいものであるということです。

リファーになるお子さんの中には、聴覚障害だけでない他の障害を同時に併せもつ子もいます。その子どもたちの正確な聴力を測定するにはかなりの年数が必要になってきますので、「生後6ヶ月での診断と超早期に人工内耳」ということを安易に記事にすることは問題であると思われます。

 また、難聴児教育や聴覚障害分野とかけ離れている産婦人科の先生の「早く介入すれば克服できる障害である」という言葉を載せてしまうことにも問題があります。聴覚障害は治療できる障害ではなく、克服できる障害でもありません。その障害とともに生きていく、ということです。

そして、これが一番の問題であると思うのですが、公正中立の立場であって欲しいと願う新聞記事に、「ろう学校」や「手話」という言葉が全く出てこないことに違和感を覚えます。「ろう学校」や「手話」という選択肢もある、ということが全く書かれていなく、大きな疑問を感じます。これは「聾者」と言われる人たちを否定する思想にもつながる危険性があります。

ご存知でいらっしゃることを願いますが、新生児スクリーニングでリファーとなり、0歳児から相談や療育に当たる場所として、ろう学校の乳幼児教育相談があります。〇〇にはろう学校は3校あり、〇〇ろう学校では20年前から手話と同時に音声を使う教育を行い、成果をあげています。子どもたちは手話と音声というコミュニケーションモードを、その子その子に応じた方法で臨機応変に使い分け、皆、生き生きと生活しています。ろう学校が大事なコミュニティーとなり、この子たちは小さい頃から、自分が聴覚障害者であるというアイデンティティーを「手話」という言語のおかげで確立し、「聞こえない・聞こえにくい」ということに誇りをもちながら成長し、安定した自己肯定感を育み、「聞こえない・聞こえにくい大人」になっていきます。ろう学校の乳幼児教育相談では、聴覚障害をもつ子どもを育てることになった親御さんたちに、その後の親子関係の礎となる、聴覚障害をもつ子どもの立場に立った子育ての方法を親に伝え、子どもの障害認識を深める支援をおこなっています。こういう機関がある、ということを、知っていただきたいと思います。・・」


 以上である。このHPでも折に触れ書いてきたように、発達早期に手話を獲得することには、主に二つの点でよさがある。一つは親子関係の安定的な形成や子どもの自己肯定感を

手話の意味.jpg育むという点だ。それは、手話がきこえない人たちの言語であり、手話を使うということは、きこえない赤ちゃんに対して「あなたは聴こえない人」ということを認め、その言語を尊重するということになるからだ。赤ちゃんからみると、きこえる人ばかりの家庭で皆が手話を使ってくれるということは「きこえない私」が、このきこえる人たちの世界の中で尊重され受け容れられているということにつながる。このことは、世界は信頼するに足るものとして、また、自分は世界から信頼されているという感覚を育てることにつながる。乳幼児期に最も大切で根本的な感覚である「「基本的信頼感」(E.H.エリクソン)が育つのである。こうした感覚をもっている子どもは、人に対してもものごとに対しても肯定的・積極的にかかわる。だから伸びる。

 もう一つ大切なことは、早期から手話という言語をもち、その言語を使って世界を認識し知識を蓄えていくことだ。記事では、「国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の

新スクと9歳の壁.jpg通常学級に通えるという報告がある」と述べているが、では、聾学校を選択した子どもたちは、通常学級に「通えない」残念な子たちなのだろうか? この記者のもっている価値観は、小学校の通常学級が上で、聾学校が下ということなのだろうか? 私は、通常学級に通うことも聾学校に通うことも、それはその家庭の経済的な事情や兄弟関係、地域の交通事情、その学校の現状、子どもの性格や友達関係、聴覚障害に対するその家庭の考え方など様々な要因によって、好んで、場合によってはやむなく選択しているのが実情であって、通常学級に行けない子が仕方なく行くところが聾学校ということではないと思う。たしかにこれまでの聾学校の子どもたちは「9歳の壁」が越えられないと言われ、その意味でこうした学力や偏差値を基準にした見方がまるで当たっていないわけではない。しかし、ならば言っておこう。手話から学んで日本語を身につけた子たちが、決して通常学級に通っているきこえる子たちと比べて劣っていないということを。右上のグラフはそれを証明した数値であるが、これは手話からスタートし、その後日本語を意識的に身につけていったからであり、そのろう学校こそ先の言語聴覚士のいるろう学校においてなのである。

以下、本ホームページ TOP>乳幼児期・学童期>どうすればことばが育つか?~否定しないこと・手話を学ぶことを参照。 http://nanchosien.com/nyuyou/