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新スク・リファーから1年半を振り返って~ある難聴児パパの手記より

 今回は、1歳半になったある難聴児のパパの手記を紹介します。20年くらい前はまだまだ育児に積極的に参加するお父さんはそんなに多くなかったと思いますが、今の時代は、普通にお父さん方が育児に参加される時代です。以下に引用する手記もそうした難聴児の子育て奮闘記です。新スクでリファーになった親御さんにもとても参考になると思いますので、ぜひ、お読みいただけたらと思います。


○はじめに

 わが子は20××年×月×日の深夜1時過ぎに生まれました。予定日よりも1か月半ほども早く、前日の夜から、ただおろおろと付き添うだけの父でしたが、出産にも立ち会い、子どもが無事に生まれ、徹夜明けの朝、一人でにやにやしながら家に帰ったことをよく覚えています。

 2020年はコロナ禍もあり、平常ではない1年となりましたが、私個人としては、リモートワークなどの影響もあり、我が子や家族と、多くの時間を共に過ごすことができ、ひよこ組のグループ活動や個別相談にも1年を通して参加させていただくことができました。

 わが子が生まれて15か月、ひいき目に見てとてもかわいく育っています。このような時期に、こうして振り返る機会を持つことができて有難く思います。

 

○わが子とのコミュニケーションで大事にしてきたこと

・大きな声と大きなリアクション

・できるだけ、手話を使い、説明する

・いっぱい笑わせる

わが子とのコミュニケーションで大事なことは全て、先生方から教わりましたので、できないなりに気を付けたことだけ、書きたいと思います。

わが子は多少なりとも音が入る聴力なので、できるだけ大きな声で話しかけるようにしました。ろう学校乳相のA先生を参考に、少しでも、わが子に音が届くようにと意識をしました。

また、目の人であるわが子はオーバーなリアクションや表情の変化に気づいてくれます。寝たふり→目を見開く、とすると爆笑したりします。変顔も大好きです。表情筋や全身を使って見せています。

 さらに、手話についても、わが子に話しかけること、特に、日々の繰り返しにあたるものはできるだけ、使うようにしました。グループ活動の中で、指差しの大切さや、二語文をつくることなどを教わり、できるだけ意識して取り組んだと思います。生活リズムが固まるとともに使う手話も固まるので、わが子相手には手話と大きな声で話しかけています。そして、成人聾の先生から手話の時間に色々な場面で「子供には難しいからちゃんと説明すること」を教わりました。「びしょびしょになるから、お水遊びできないよ」「ご飯の時は、おもちゃを頂戴」などなど、「~~だから」「~~の時」「~~したら」というような手話は頻繁に使いました。

とにかく明るく楽しく過ごしてもらいたいので、わが子が笑ってくれることを探して、繰り返し、子どもが飽きるまでやりました。笑ってくれることをするのが、コミュニケーションの第一指針だったと思います。

 

○わが子との生活習慣で大事にしてきたこと

・子どもの生活をどうするかを家族で話し合う

・子どもの仕事を作る

・いっぱいかわいがる。

生活リズムはできるだけ整えた方がよいということで、食事や睡眠の頻度や感覚、遊びに行く時間帯、イレギュラーになりそうな日の対応、などなど、どうするかはできるだけ話し合って一緒に決めました。もう初めのころのことは思いだせないのですが、合わなくなってきたかな、とか、将来的にどうしたいか、などを踏まえて都度話し合うようにしました。わが子の生活に対し、家族で同じ認識を持っていることは大事だったと思います。具体的なやり方を定め、夫婦同じ方法を意識し、やり方の工夫などを共有して発展させていきました。

併せて、子どもが自分でやりたいことができてくると、それを尊重し、毎日やらせるようにしました(子どもの仕事)。具体的には、朝起きてカーテンを開けること、部屋の電気のスイッチを押すこと、おむつをごみ袋に入れてごみ箱までもっていって捨てること、最近ではトイレまでモノを捨てに行くこと、などなど、(飽きてやめるものもありましたが)わが子の中での習慣づけにはなったかと思います。

最後に、基本的には家にいることのできた今年は、毎日「かわいいね」と声をかけ、頭をなで、スキンシップをして抱っこして、、、、、ととにかくかわいがりました。わが子の生活習慣?かどうかはわかりませんが、きっと子どもは自分がかわいいことに疑問を持たないくらい、言われています。

 

○父として努力してきたこと

・お風呂と寝かしつけ

・生活の記録、日々のエピソードに目を向ける

・無理をしすぎないこと

お風呂はできるだけ毎日入れるようにしました。子どもがお風呂の中でつかまり立ちができるようになって以降は、お風呂の中で如何に子どもを楽しませるかについては日々研鑽を重ねました。おもちゃで遊んだり、表情だけのいないいないばあをしたり、楽しいお風呂を心掛けました。寝かしつけは生活リズムにも大きくかかわるので、色々な方法で抱っこしたり、そのまま寝転がしてみたり、寝てしまうまで遊びに付き合ったりと、やり方や時間帯などを家族で相談しながら続けました。

春頃、子どもが67か月の頃から、生活の記録を書くようになりました。妻とは毎日「今日はどうだった?」と会話をし、日々のわが子のできたこと、したこと、反応したこと、探しながら生活していました。子どもとのコミュニケーションにおいて、まだ「あうあう」言っているだけの子どもが何を考えているのか、何をしたいのか、子供の気持ちを代弁することの重要性を、先生方からも教わりましたが、私は正直、苦手です。(大人相手でもヒトの気持ちを考えるのは苦手ですが)妻にはたくさん教えて貰いました。「こういうことじゃないかな」と聞くたびに「なるほど!」と納得し、分かっていたようにわが子に話しかける日々でしたが、それでも、生活の記録を書く中で、子どものことをたくさん想像できるようになったかと思います。振り返ってとても大切なことで、自分の成長にもつながったと考えています。

これらのことについて、努力の逆のようですが、日々の生活の中で無理はしないようにしていました。無理すると続かない性格だからです。コミュニケーションなども、できるだけ頑張りますが、できなくても仕方がない。次、気付いたときはやろう。生活の記録も今日は何も発見がなかったな、明日は何かをしてみよう、と。できないことを責めず今日ダメなら明日頑張ろうと、良い意味で(?)自分に甘くあるようにしました。先は長く、できることにも限りがあるので、無理せずをモットーに。

 

○父としての変化

・自分のペースでない生活ができる

・待つ、ゆっくり歩く

・目標設定

大きな変化は人のペースに合わせて生活ができるようになったことだと思います。生活リズムについてもそうですし、子どもが、大人から見ればよく分からないことをして、よく分からないところで反応して、そういった時間にのんびり合わせることが少しずつ当たり前になってきました。また、赤ん坊であり、音のない生活、視界に入るものが大切な子どもの生活は、当然、私たちと異なるものですが、少しだけ、その世界に入らせてもらえるようになった気がします。ちょっとした音に気付き、わが子が何を見ているかに目を向け、何に興味があるのか、どうして興味があるのか、わかりませんが、とりあえず共感してみる、一緒にやってみる、「あだー」と一緒に声を出してみる。それが楽しくなった1年半でした。

その過程でせっかちな自分ですが、のんびりできるようになりました。子どもがするまで待つ、何かしている間は待つ、外に出たときは色々視て、聞けるように、ゆっくり歩く(それでもまだ速いと言われますが)そんな習慣も身につきました。

 目標について。子どもの耳のことが分かったとき、私は「自分が死んだあとどうしよう」と思いました。「どうにかして、一人で生きていけるようにしなくてはいけない」「仕事に繋がる技能を身に付けさせなくてはいけない」そのために必要なことをしよう、それができれば問題ない、と。そんな目標設定は、このひよこ組の活動を通して大きく変わりました。聾者のB先生やC先生のような偉大なロールモデルの方々と接したことも大きかったです。耳が聞こえないだけで、わが子は何でもできて、しっかり考えて、理解して、興味を持ち、近所のコンビニの店員さんや、児童館の職員さん、ひよこ組の皆さんのことも認識して、コミュニケーションを取ろうとし、かわいがられている姿を見てきたからです。今は「わが子が人とコミュニケーションをできる力が言葉の面でも、人間性の面でも育つような環境を作ろう」と目標設定しています。今では、当たり前のことですが、子どもは立派な一人の人間で、個性豊かで、意志が強く、親にとってはとてもとてもかわいらしい存在で、この先間違いなく父より立派な人間になるだろうと確信しています。そう思うようになったことが一番の変化です。

 

最後に、ひよこ組の先生方、一緒に活動した皆さんに感謝を、我が家に生まれてきて、健康に楽しく過ごしてくれたわが子に感謝を、何より一緒に生活し、多くの場面で、助け、教え、導いてくれた妻に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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