全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

新スクから1年2か月~ある中等度難聴児のママの体験記から

新スクを受けてからどのように生活してきたかについて、これまで二人の保護者の手記を紹介してきました。今回は3人目のお子さんで、現在60dB台の中等度難聴と言われているお子さんのママの体験談です。

 

〇経過

わが子は出生後すぐの聴覚スクリーニング検査で2度リファーとなり、その後、2つ目の大学病院での再検査で難聴と診断されました。当時の私は全く知識がなく、補聴器をつければ、普通に聞こえて話せるのではないかと思っていました。生後7か月で右100dB 、左70dBと言われましたが、1歳2か月の今は両耳65dB と言われています。

最初の産院では、「うまく検査ができなかったので、違う病院を紹介します。そこで再検査を受けてください。心配しなくても大丈夫ですよ」と言われ、ちゃんと検査ができればきっと大丈夫なんだと思い込んでいました。今考えると、難聴の可能性があり、もっと詳しく検査をする必要がある事を最初からちゃんと伝えて欲しかったなと思います。

産院から紹介された病院で再検査をするうちに、どうやら難聴がありそうだとわかり、さらに詳しい検査をする為に、小児難聴外来のある病院に紹介されて、その病院で難聴と診断されました。2つ目の病院からさらに転院をし、検査を受けるまでにも結果が出るまでにも時間がかかり、ずっともやもやした気持ちのまま過ごしていました。

保健師さんの新生児訪問は受けていませんが、難聴と診断されてから、保健師さんに相談する機会があり、保育園には入れるか、復職はできるのか?などの相談をさせていただき、色々な提案をしていただきました。具体的には、難聴の子の2つ上に兄がいるのですが、保育園に入れるか幼稚園に入れるかを迷っていた為、幼稚園は行事やイベントが多く、親の負担が大きい事、保育園に入った場合、下の子がろう学校幼稚部に入る事も想定した時に、仕事を辞める事になった場合、兄は保育園に残る事ができるのか?を心配していたのですが、介護要件で残る事ができることを教えていただきました。

 確定診断のあった病院からは、3つの療育先を紹介していただきました。1つが手話も口話も使う公立ろう学校、2つ目は国立のろう学校で聴覚口話法の学校、3つ目は聴覚口話法でインテグレーションを目標にしている難聴児の療育施設でした。病院で療育施設を紹介された際、療育施設に通わなければいけない程悪いのかと改めて落ち込みました。

難聴に対して全く知識がなかった為、病院から紹介された学校に見学をさせていただいて、お話をきいた中で、手話でのコミュニケーションがとても大事だと思い、公立ろう学校を選択しました。

 その後、生後8ヶ月からろう学校乳幼児相談に通い始めました。最初は手話ができるのかなど、不安な気持ちでいっぱいでしたが、幼稚部の子供達が元気に過ごす様子を見たり、先生方やろうや難聴の方のお話を聞いたり、同じ境遇のお母さん方との時間を共にするうちに、難聴があっても悲観することはないと思えるようになりました。音への反応もあまり気にならなくなり、今は歩けるようになったとか、この手話が出来るようになったとか、これからの成長を楽しみにできるようになりました。

 

〇これまで大事にしてきたこと

①目を見て手話と口話で話しかけること

 ろう学校では目を合わせて話すことの大切さ、手話を使ったコミュニケーションなどを教えていただき、目を見て伝えることを意識しました。今まで目線を合わせる事に意識した事はなかったので、最初はとても難しく感じました。自分で動き回れるようになると、伝えたい時に見てくれず、自分の方を見ていないのに話しかけたり、手話をしてしまう事もありました。そこで子どもが何に興味があるのか観察したり、「どっちが好き?」と選んでもらったりしてコミュニケーションを取れるように心がけました。11ヶ月頃からは指さしして興味のある物を教えてくれるようになり、反応を示した物を一緒に見て話をするように心掛けました。また、「ごはんを食べる」「おむつを替える」「お風呂に入る」「着替える」「歯をみがく」など毎日必ずやることを、手話と声掛けをしながらコミュニケーションを取るようにしました。

手話は『おやこ手話じてん』やN H K「みんなの手話」を見たり、わからない単語などはろう学校の手話講座の日に聞いたり、自分で調べたりしています。

個別相談では遊びの中で、子どもの関わり方や家でのアドバイスなどをしていただきました。保護者が学ぶための講演会では、色々な方のお話を聞かせていただき、聞こえなくても素晴らしい人生を送っている方々の話をたくさん聞かせていただきました。ひよこ組は、難聴ということの知識も全くなかった私の大きな拠り所となっています。

 

②自分が努力してきたこと

 あとはろう学校にできる限り通うことです。ろう学校で教えて頂ける情報はとてもありがたく、子どもと過ごす生活の中での関わり方を沢山得られる場所でした。まだ、難聴の子を育てるという事に全然自信もありませんが、子どもの成長と共に、自分自身も少しずつ成長していきたいと思っています。

難聴がわかり仕事復帰をすべきかはすごく悩みましたが、今は短い時間での復帰をしています。今後、幼稚部に進むようであれば、1年間の付き添いが必要な為、一度退職をする事も視野に入れ、その都度、それに見合った働き方を考えていきたいと思います。

 

以上です。最後に述べられていますが、今は障害を持った子のお母さん方も普通に働く時代になってきています。これまでのろう学校は、母親に、仕事を辞めて毎日ろう学校に付き添うことを求めてきました。このようなろう教育の在り方はもう時代遅れになりつつあります。とはいっても難聴児の主たる障害はコミュニケーション障害であり、言語獲得の障害であるため、十分に通じ合えない場と人との関係の中では、子どもの能力の開花は困難です。人工内耳が普及し、いわゆる「難聴レベル」の子どもたちが多数を占める時代になっても、子どもたちの書記日本語力は10年前とほとんど変わっていません。「話せるけれど読めない・書けない」子の問題は、人工内耳の普及と両親の就労の問題と関わって、今後の大きな課題であり、この二律背反的な問題をどう止揚していくかが、これからの聴覚障害児教育の大きな課題と言えると思います。 

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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