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新生児聴覚スクリーニング検査

新スクを受けてからどのように生活してきたかについて、これまで二人の保護者の手記を紹介してきました。今回は3人目のお子さんで、現在60dB台の中等度難聴と言われているお子さんのママの体験談です。

 

〇経過

わが子は出生後すぐの聴覚スクリーニング検査で2度リファーとなり、その後、2つ目の大学病院での再検査で難聴と診断されました。当時の私は全く知識がなく、補聴器をつければ、普通に聞こえて話せるのではないかと思っていました。生後7か月で右100dB 、左70dBと言われましたが、1歳2か月の今は両耳65dB と言われています。

最初の産院では、「うまく検査ができなかったので、違う病院を紹介します。そこで再検査を受けてください。心配しなくても大丈夫ですよ」と言われ、ちゃんと検査ができればきっと大丈夫なんだと思い込んでいました。今考えると、難聴の可能性があり、もっと詳しく検査をする必要がある事を最初からちゃんと伝えて欲しかったなと思います。

産院から紹介された病院で再検査をするうちに、どうやら難聴がありそうだとわかり、さらに詳しい検査をする為に、小児難聴外来のある病院に紹介されて、その病院で難聴と診断されました。2つ目の病院からさらに転院をし、検査を受けるまでにも結果が出るまでにも時間がかかり、ずっともやもやした気持ちのまま過ごしていました。

保健師さんの新生児訪問は受けていませんが、難聴と診断されてから、保健師さんに相談する機会があり、保育園には入れるか、復職はできるのか?などの相談をさせていただき、色々な提案をしていただきました。具体的には、難聴の子の2つ上に兄がいるのですが、保育園に入れるか幼稚園に入れるかを迷っていた為、幼稚園は行事やイベントが多く、親の負担が大きい事、保育園に入った場合、下の子がろう学校幼稚部に入る事も想定した時に、仕事を辞める事になった場合、兄は保育園に残る事ができるのか?を心配していたのですが、介護要件で残る事ができることを教えていただきました。

 確定診断のあった病院からは、3つの療育先を紹介していただきました。1つが手話も口話も使う公立ろう学校、2つ目は国立のろう学校で聴覚口話法の学校、3つ目は聴覚口話法でインテグレーションを目標にしている難聴児の療育施設でした。病院で療育施設を紹介された際、療育施設に通わなければいけない程悪いのかと改めて落ち込みました。

難聴に対して全く知識がなかった為、病院から紹介された学校に見学をさせていただいて、お話をきいた中で、手話でのコミュニケーションがとても大事だと思い、公立ろう学校を選択しました。

 その後、生後8ヶ月からろう学校乳幼児相談に通い始めました。最初は手話ができるのかなど、不安な気持ちでいっぱいでしたが、幼稚部の子供達が元気に過ごす様子を見たり、先生方やろうや難聴の方のお話を聞いたり、同じ境遇のお母さん方との時間を共にするうちに、難聴があっても悲観することはないと思えるようになりました。音への反応もあまり気にならなくなり、今は歩けるようになったとか、この手話が出来るようになったとか、これからの成長を楽しみにできるようになりました。

 

〇これまで大事にしてきたこと

①目を見て手話と口話で話しかけること

 ろう学校では目を合わせて話すことの大切さ、手話を使ったコミュニケーションなどを教えていただき、目を見て伝えることを意識しました。今まで目線を合わせる事に意識した事はなかったので、最初はとても難しく感じました。自分で動き回れるようになると、伝えたい時に見てくれず、自分の方を見ていないのに話しかけたり、手話をしてしまう事もありました。そこで子どもが何に興味があるのか観察したり、「どっちが好き?」と選んでもらったりしてコミュニケーションを取れるように心がけました。11ヶ月頃からは指さしして興味のある物を教えてくれるようになり、反応を示した物を一緒に見て話をするように心掛けました。また、「ごはんを食べる」「おむつを替える」「お風呂に入る」「着替える」「歯をみがく」など毎日必ずやることを、手話と声掛けをしながらコミュニケーションを取るようにしました。

手話は『おやこ手話じてん』やN H K「みんなの手話」を見たり、わからない単語などはろう学校の手話講座の日に聞いたり、自分で調べたりしています。

個別相談では遊びの中で、子どもの関わり方や家でのアドバイスなどをしていただきました。保護者が学ぶための講演会では、色々な方のお話を聞かせていただき、聞こえなくても素晴らしい人生を送っている方々の話をたくさん聞かせていただきました。ひよこ組は、難聴ということの知識も全くなかった私の大きな拠り所となっています。

 

②自分が努力してきたこと

 あとはろう学校にできる限り通うことです。ろう学校で教えて頂ける情報はとてもありがたく、子どもと過ごす生活の中での関わり方を沢山得られる場所でした。まだ、難聴の子を育てるという事に全然自信もありませんが、子どもの成長と共に、自分自身も少しずつ成長していきたいと思っています。

難聴がわかり仕事復帰をすべきかはすごく悩みましたが、今は短い時間での復帰をしています。今後、幼稚部に進むようであれば、1年間の付き添いが必要な為、一度退職をする事も視野に入れ、その都度、それに見合った働き方を考えていきたいと思います。

 

以上です。最後に述べられていますが、今は障害を持った子のお母さん方も普通に働く時代になってきています。これまでのろう学校は、母親に、仕事を辞めて毎日ろう学校に付き添うことを求めてきました。このようなろう教育の在り方はもう時代遅れになりつつあります。とはいっても難聴児の主たる障害はコミュニケーション障害であり、言語獲得の障害であるため、十分に通じ合えない場と人との関係の中では、子どもの能力の開花は困難です。人工内耳が普及し、いわゆる「難聴レベル」の子どもたちが多数を占める時代になっても、子どもたちの書記日本語力は10年前とほとんど変わっていません。「話せるけれど読めない・書けない」子の問題は、人工内耳の普及と両親の就労の問題と関わって、今後の大きな課題であり、この二律背反的な問題をどう止揚していくかが、これからの聴覚障害児教育の大きな課題と言えると思います。 

 今回は、新生児聴覚スクリーニングで「リファー(要再検査)」となり、「子どもとのコミュニケーションがとれないのでは?」という不安を抱えて、生後2か月(確定診断前)の時、ろう学校乳幼児相談を訪れた保護者が、難聴の有無を越えて変わらぬ子育ての基本である、わが子の目線に寄り添うことや生活リズムを整えることの大切さを学んだり、難聴者ロールモデルである相談スタッフや同じ難聴児をもつ先輩保護者から子どもとの関わり方や手話でのコミュニケーションの大切さを学んでいった事例を紹介します。結果的にお子さんは高度難聴であったわけですが、子どもとの関わり方の基本を学んだおかげでその後の親子の関わりはスムーズで手話での初語も出て、順調に育っています。以下、保護者の手記です(一部割愛)。


〇わが子と通じ合えるのだろうか?~不安を抱えていた新スク後の私

産休に入って2日目の夜に破水。病院で切迫早産と診断され、早産児を受け入れ可能な別の病院に救急車で運ばれ、そのまま緊急帝王切開。そんな風にスリリングに生まれてきたわが子が、NICUGCUに入院している一カ月に受けた新生児スクリーニング検査(以下、新スク)回数は5回に及びました。母子手帳の新スク結果を書き込む場所は、欄外まで「〇月〇日 左右リファー」の文字で埋まりました。わが子が先天性の難聴であることは、精密検査を待つまでもなく、明らかであるように私には思えました。

当時、私が感じていた一番の不安は、わが子とコミュニケーションが取れないかもしれない、ということでした。


〇はじめて、ろう学校乳幼児相談へ

もやもやとした気持ちを抱えながら、初めての育児に四苦八苦している中で、都立ろう学校の乳幼児相談の存在を知りました。初めて学校を訪れたのは、わが子が生後2か月の時でした。クリスマスイブの日、担当のお二人の先生にお会いできたこと、頭がパンクしそうになるほど難聴児の育児のお話を聞かせてもらえたことは、私たち家族にとって、とんでもなく大きなクリスマスプレゼントとなりました。

 さっそく年明けの1月から、アンダー0歳枠で、ひよこ組0歳児クラスのグループ活動に参加させてもらうことになりました。活動の帰りの道すがら、また次の日以降も、ふとした時にグループの時の話を主人とするくらい、毎回毎回、多くの刺激を頂きました。他のお子さんたちやママたちの笑顔と明るさ、そして良好な親子関係がまぶしくうらやましく思えました。また、ロールモデルの先生の人間的魅力に、毎回魅せられていました。感心しているだけではいけないと、皆さんが実践されていること、心がけていることを、自分たちの暮らしに取り入れていきました。

 

〇まずは、わが子の目線に寄り添ってみた

まずは、とにかくわが子をみて、なぜだろう、どうしてだろうと想像するようにしました。例えば、わが子はバスが好きです。散歩中にバスを見かけるたび、私や主人を見上げてくること。見上げてくる顔が笑顔なこと。「あぁっ」と大声を出すことなどから、きっと好きなのだろうとわかります。でも、どうしてわが子はバスが好きなのでしょうか。わが子の目線までしゃがみ、走っているバスを見てみると、なるほど、理由が分かる気がしました。大きなタイヤ、その上に乗る長い車体。昼でもピカピカと光るライト。それらは乗用車と比べると、とんでもない迫力なのです。そんなすごいものが、割と毎日、何台も自分のすぐそばを通り過ぎていくのです。「おお、なんだこれは。かっこいい」と、わが子は思ったのではないかと想像できました。

同じように、夏の急なスコールは、私からすると「勘弁してくれ」ですが、わが子からしてみると「空からものすごい量の水が落ちてきて、自分の体を打ってくる」面白おかしい体験ですし、雪は「思わず手を伸ばしてみたくなる白いふわふわしたもの」なのだろうと思います。

 

〇君の考えていることってこういうこと?~気持ちを込めて大きくリアクション

わが子の様子から、その思考や感情を推測し、その理由も考えてみる。そしてそれは、聴覚情報を除いても成立するかを確認してみる。繰り返していくにつれ、何となく、わが子が好むものや興味をひくものと、その理由が分かってきたように思います。また、その推測に基づきながらわが子にリアクションを返していくことで、わが子がこちらを見てくれる頻度、見続けてくれる時間が増したように思います。とはいえ、まだまだ分かってあげられずわが子を怒らせることも多いので、子どもに目線と気持ちを合わせて声掛けしていくことは、今後も大きな課題です。ちなみに、わが子へのリアクションは、表情、体の動き、声量に留意しました。とにかく大きくリアクションを取ることを基本とし、喜怒哀楽が目や口の形、体の動作で伝わるようにと意識をしました。お手本は、わが子が大好きな担当の先生です。子どもにもわかる大きなはっきりとしたリアクションをしてくれるから、わが子は先生が好きなのだろうなあと、たくさん「真似ぶ」ことをさせていただきました。

 

〇手話をやったら、1歳で手話の初語が出た!

先輩ママとお子さんとが、手話を介して意思疎通を図っている姿が刺激となり、手話学習にも打ち込みました。言語を自学で学習するならまず単語だろうと、『新・おやこ手話じてん』の単語を丸暗記。単語の次は文法や文章読解だろうと、NHKの『みんなの手話』を見たり、書籍『パパといっしょにハッピーサイン』を読み込んだりしました。大叔母との関わりで、...というよりも、関われなかった自分としては、頑張らないわけにはいきませんでした。1歳を過ぎてからはわが子からも手話表現が出てくるようになり、やってよかったととてもほっとしているところです。ただ、まだまだ成人ろう者の方と会話するには圧倒的に手話力不足ですし、侑に伝わりやすい表現や言葉のチョイスにも課題ありなので、引き続き先生方から教わっていけたらと思っています。

 

〇生活リズム~子どもが予測できることの大切さ

そのほか、継続的に行ったこととしては、わが子の生活リズムを整えることと、生活の記録をつけることです。

一つ目の生活リズムについては、特別なことをするというよりは、朝起きてから寝るまでの中で、出来るだけ「いつもの」を増やすということを意識しました。次に何が起こるか分からない状態というのは、大人であっても不安に感じるものです。ましてわが子はまだ幼く、耳の聞こえにくさもあるのです。なおさらだろうと思い、パターン化、固定化できるものはどんどんしていきました。ご飯の時間、遊ぶ時間、寝る時間を極力変えずに日々を過ごしています。おかげで、ずっとわが子は早寝早起き大食漢。体調を崩したこともほとんどありません。

 

〇日々の記録を書くこと~子どもを見る目を育てたい

 二つ目の生活の記録については、書き始めた低月齢のうちは何を書こうか困る日も多かったです。ですが、「寝る前に生活の記録を書く」ことを意識して毎日を過ごすことで、徐々にわが子の変化が目に留まりやすくなりました。今では、毎晩主人と「今日の生活の記録に書きたいこと」をテーマに会話をし、その内容を書いたり書いてもらったりする習慣が定着しました。また、担当の先生からの赤入れも大きなモチベーションでした。わが子の様子について時に共感し、時にアドバイスをくださり、ありがたかったです。

 

〇人間的な魅力ある子に育てたい

最近になって、「わが子は耳『が』聞こえにくい」のではなく、「わが子は耳『は』聞こえにくい」のだ、という風に考えるようになりました。

わが子は目が見えますし、味の違いも分かる子ですし、何でも触ってしまう手も、もうすぐ一人で歩いてしまいそうな足も持っています。よく笑って泣いて怒って、毎日楽しそうに生活しています。人や物の好みも出てきており、それを表情や体の動きで表現できます。

児童館のスタッフさんも、コンビニの店員さんも、工場の守衛さんも、わが子に好意を寄せてくれ、笑顔を向けてくれます。わが子には、他人に好意を寄せてもらえるだけの魅力があります。もう私は、「わが子とコミュニケーションが取れないかもしれない」と不安に感じることはありません。反対に、今日、わが子は何をやってのけてくれるだろう、明日はいったいどんなことを伝えてくれるだろうと、楽しみに思いながら日々を過ごせています。

 今回は、1歳半になったある難聴児のパパの手記を紹介します。20年くらい前はまだまだ育児に積極的に参加するお父さんはそんなに多くなかったと思いますが、今の時代は、普通にお父さん方が育児に参加される時代です。以下に引用する手記もそうした難聴児の子育て奮闘記です。新スクでリファーになった親御さんにもとても参考になると思いますので、ぜひ、お読みいただけたらと思います。


○はじめに

 わが子は20××年×月×日の深夜1時過ぎに生まれました。予定日よりも1か月半ほども早く、前日の夜から、ただおろおろと付き添うだけの父でしたが、出産にも立ち会い、子どもが無事に生まれ、徹夜明けの朝、一人でにやにやしながら家に帰ったことをよく覚えています。

 2020年はコロナ禍もあり、平常ではない1年となりましたが、私個人としては、リモートワークなどの影響もあり、我が子や家族と、多くの時間を共に過ごすことができ、ひよこ組のグループ活動や個別相談にも1年を通して参加させていただくことができました。

 わが子が生まれて15か月、ひいき目に見てとてもかわいく育っています。このような時期に、こうして振り返る機会を持つことができて有難く思います。

 

○わが子とのコミュニケーションで大事にしてきたこと

・大きな声と大きなリアクション

・できるだけ、手話を使い、説明する

・いっぱい笑わせる

わが子とのコミュニケーションで大事なことは全て、先生方から教わりましたので、できないなりに気を付けたことだけ、書きたいと思います。

わが子は多少なりとも音が入る聴力なので、できるだけ大きな声で話しかけるようにしました。ろう学校乳相のA先生を参考に、少しでも、わが子に音が届くようにと意識をしました。

また、目の人であるわが子はオーバーなリアクションや表情の変化に気づいてくれます。寝たふり→目を見開く、とすると爆笑したりします。変顔も大好きです。表情筋や全身を使って見せています。

 さらに、手話についても、わが子に話しかけること、特に、日々の繰り返しにあたるものはできるだけ、使うようにしました。グループ活動の中で、指差しの大切さや、二語文をつくることなどを教わり、できるだけ意識して取り組んだと思います。生活リズムが固まるとともに使う手話も固まるので、わが子相手には手話と大きな声で話しかけています。そして、成人聾の先生から手話の時間に色々な場面で「子供には難しいからちゃんと説明すること」を教わりました。「びしょびしょになるから、お水遊びできないよ」「ご飯の時は、おもちゃを頂戴」などなど、「~~だから」「~~の時」「~~したら」というような手話は頻繁に使いました。

とにかく明るく楽しく過ごしてもらいたいので、わが子が笑ってくれることを探して、繰り返し、子どもが飽きるまでやりました。笑ってくれることをするのが、コミュニケーションの第一指針だったと思います。

 

○わが子との生活習慣で大事にしてきたこと

・子どもの生活をどうするかを家族で話し合う

・子どもの仕事を作る

・いっぱいかわいがる。

生活リズムはできるだけ整えた方がよいということで、食事や睡眠の頻度や感覚、遊びに行く時間帯、イレギュラーになりそうな日の対応、などなど、どうするかはできるだけ話し合って一緒に決めました。もう初めのころのことは思いだせないのですが、合わなくなってきたかな、とか、将来的にどうしたいか、などを踏まえて都度話し合うようにしました。わが子の生活に対し、家族で同じ認識を持っていることは大事だったと思います。具体的なやり方を定め、夫婦同じ方法を意識し、やり方の工夫などを共有して発展させていきました。

併せて、子どもが自分でやりたいことができてくると、それを尊重し、毎日やらせるようにしました(子どもの仕事)。具体的には、朝起きてカーテンを開けること、部屋の電気のスイッチを押すこと、おむつをごみ袋に入れてごみ箱までもっていって捨てること、最近ではトイレまでモノを捨てに行くこと、などなど、(飽きてやめるものもありましたが)わが子の中での習慣づけにはなったかと思います。

最後に、基本的には家にいることのできた今年は、毎日「かわいいね」と声をかけ、頭をなで、スキンシップをして抱っこして、、、、、ととにかくかわいがりました。わが子の生活習慣?かどうかはわかりませんが、きっと子どもは自分がかわいいことに疑問を持たないくらい、言われています。

 

○父として努力してきたこと

・お風呂と寝かしつけ

・生活の記録、日々のエピソードに目を向ける

・無理をしすぎないこと

お風呂はできるだけ毎日入れるようにしました。子どもがお風呂の中でつかまり立ちができるようになって以降は、お風呂の中で如何に子どもを楽しませるかについては日々研鑽を重ねました。おもちゃで遊んだり、表情だけのいないいないばあをしたり、楽しいお風呂を心掛けました。寝かしつけは生活リズムにも大きくかかわるので、色々な方法で抱っこしたり、そのまま寝転がしてみたり、寝てしまうまで遊びに付き合ったりと、やり方や時間帯などを家族で相談しながら続けました。

春頃、子どもが67か月の頃から、生活の記録を書くようになりました。妻とは毎日「今日はどうだった?」と会話をし、日々のわが子のできたこと、したこと、反応したこと、探しながら生活していました。子どもとのコミュニケーションにおいて、まだ「あうあう」言っているだけの子どもが何を考えているのか、何をしたいのか、子供の気持ちを代弁することの重要性を、先生方からも教わりましたが、私は正直、苦手です。(大人相手でもヒトの気持ちを考えるのは苦手ですが)妻にはたくさん教えて貰いました。「こういうことじゃないかな」と聞くたびに「なるほど!」と納得し、分かっていたようにわが子に話しかける日々でしたが、それでも、生活の記録を書く中で、子どものことをたくさん想像できるようになったかと思います。振り返ってとても大切なことで、自分の成長にもつながったと考えています。

これらのことについて、努力の逆のようですが、日々の生活の中で無理はしないようにしていました。無理すると続かない性格だからです。コミュニケーションなども、できるだけ頑張りますが、できなくても仕方がない。次、気付いたときはやろう。生活の記録も今日は何も発見がなかったな、明日は何かをしてみよう、と。できないことを責めず今日ダメなら明日頑張ろうと、良い意味で(?)自分に甘くあるようにしました。先は長く、できることにも限りがあるので、無理せずをモットーに。

 

○父としての変化

・自分のペースでない生活ができる

・待つ、ゆっくり歩く

・目標設定

大きな変化は人のペースに合わせて生活ができるようになったことだと思います。生活リズムについてもそうですし、子どもが、大人から見ればよく分からないことをして、よく分からないところで反応して、そういった時間にのんびり合わせることが少しずつ当たり前になってきました。また、赤ん坊であり、音のない生活、視界に入るものが大切な子どもの生活は、当然、私たちと異なるものですが、少しだけ、その世界に入らせてもらえるようになった気がします。ちょっとした音に気付き、わが子が何を見ているかに目を向け、何に興味があるのか、どうして興味があるのか、わかりませんが、とりあえず共感してみる、一緒にやってみる、「あだー」と一緒に声を出してみる。それが楽しくなった1年半でした。

その過程でせっかちな自分ですが、のんびりできるようになりました。子どもがするまで待つ、何かしている間は待つ、外に出たときは色々視て、聞けるように、ゆっくり歩く(それでもまだ速いと言われますが)そんな習慣も身につきました。

 目標について。子どもの耳のことが分かったとき、私は「自分が死んだあとどうしよう」と思いました。「どうにかして、一人で生きていけるようにしなくてはいけない」「仕事に繋がる技能を身に付けさせなくてはいけない」そのために必要なことをしよう、それができれば問題ない、と。そんな目標設定は、このひよこ組の活動を通して大きく変わりました。聾者のB先生やC先生のような偉大なロールモデルの方々と接したことも大きかったです。耳が聞こえないだけで、わが子は何でもできて、しっかり考えて、理解して、興味を持ち、近所のコンビニの店員さんや、児童館の職員さん、ひよこ組の皆さんのことも認識して、コミュニケーションを取ろうとし、かわいがられている姿を見てきたからです。今は「わが子が人とコミュニケーションをできる力が言葉の面でも、人間性の面でも育つような環境を作ろう」と目標設定しています。今では、当たり前のことですが、子どもは立派な一人の人間で、個性豊かで、意志が強く、親にとってはとてもとてもかわいらしい存在で、この先間違いなく父より立派な人間になるだろうと確信しています。そう思うようになったことが一番の変化です。

 

最後に、ひよこ組の先生方、一緒に活動した皆さんに感謝を、我が家に生まれてきて、健康に楽しく過ごしてくれたわが子に感謝を、何より一緒に生活し、多くの場面で、助け、教え、導いてくれた妻に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

耳鼻科医界の大御所、田中美郷先生より上記久留米三部作の感想をいただきましたので紹介致します。田中美郷(よしさと)先生は日本の小児難聴医の草分け的存在で耳鼻科医の先生方の中でご存じない方はいらっしゃらないと言って過言ではありません。田中先生はCOR(条件詮索反応聴力検査)の開発で世界的に有名な信州大学鈴木篤郎教室で学ばれ、その後、難聴乳幼児の支援のための「ホームトレーニング」を開発され、帝京大学に移られて本格的に小児難聴・早期療育の実践的研究を進めてこられました。90年代初め頃までは聴覚口話法を唱えておられましたが、退官後に設立された田中美郷教育研究所での実践研究の中で、手話の有効性・必要性に気づかれ、90年代後半には手話も取り入れた支援・指導をされるようになり、今日に至っています。(*)

今回、写真のような久留米三部作を送らせていただいたところ、下記のようなご感想をいただきましたので紹介致します。


「この度は、久留米聴覚特別支援学校乳幼児教育相談の『ようこそ聞こえない赤ちゃん』『聞こえない私たちの声』『手話で子育てスタートブック』をご恵送下さり、誠にありがとうございました。早速拝読、大変すばらしい内容で、久留米校のみならず福岡県の取り組みのレベルの高さに感服致しました。

久留米三部作.jpg

 これらを手にして感じることは、ここ20年くらいの間に新生児聴覚スクリーニングの普及に関連して聾学校の乳幼児相談のレベルが随分向上してきたこと、とくに手話が広く受け入れられるようになったことは喜ばしいことです。私が、今の研究所での仕事を始めた2000年頃は、東京でも手話に対する抵抗が強く、私がホームトレーニングで保護者に手話を勧めていたのに対し、当時の都内聾学校長などから「保護者の前で手話の話はしてくれるな」と言われたものですが、現状は大きく変わってきたと感じるようになりました。

その中にあって耳鼻科医の認識はまだ遅れていると言わざるを得ませんが、ただ、福岡県の場合は、九州大学耳鼻科の中川尚志教授の存在意義は大きいと思います。中川先生はもともと聴覚生理学が専門でしたが、今ではすばらしい活動をされるようになり、耳鼻科分野で今後も活躍してくれることを期待しております。いずれにせよ、ここ20年くらいの間に聴覚障害児早期教育の動向が好ましい方向に変わってきたことは喜ばしいことです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。          令和3410日 田中美郷(田中美郷教育研究所長・神尾記念病院)」

 (*)田中美郷,「聴覚障碍児早期発見ー精査・診断ー,早期療育/教育支援に関する実践研究」,田中美郷教育研究所,2020

   なお、「久留米三部作」(写真)については、久留米聴覚特別支援学校で無料配布しています。問合せ先 TEL0942-44-2304 FAX0942-45-0139 info@kurume-hss.fku.ed.jp

 

 
リファーと言われてからの子育てどうしてる?.jpgのサムネール画像
0歳、1歳児の難聴が発覚した、あるいは難聴かも?と言われているお子さんをお持ちのママ・パパ向けのオンライン研修会のお知らせです。 同じような経験をおもちの少しだけ先輩のママ・パパからの体験談とかメッセージ。参加してみませんか?
期日 4月25日(日)14:00~15:30
主催 ろう難聴教育研究会 
参加費 500円
手話通訳・文字通訳がつきます。
あと、少しで定員ということです。お早めに。

今回はきこえない子をもつある保護者の手記を紹介したいと思います。この方は現在、1歳になる難聴児のママ。産後の新スクで「リファー」を告げられ、ショックと悲しみの中でどのように子どもと関わってよいかわからず、不安の中を過ごします。そして、3か月の時、保健師さんより聾学校乳幼児相談を紹介され、Pろう学校乳幼児相談を訪れました。

初めて聾学校を訪れた時、手話を使って楽しく遊んでいる幼児たちをみて、ここに通えばわが子の未来も明るいものになるだろうと直感します。乳幼児相談に通い学ぶ中で、次第にどもとの関わり方や障害に対する見方が変わっていきます。以下、これまで子どもとの関わりの中で大切にしてこられたことは、きっと、0歳から1歳頃の難聴のお子さんをお持ちの方にも参考になるのではないかと思いますので紹介致します。

                        

 「M2019月○日に誕生しました新生児聴覚スクリーニング検査にてリファーという結果を受け、Mは音のない暗闇にいるのだろうかと思い、とても悲しく不安になりました。私はショックもあり、「リファーという結果を母子手帳に記入しますか。」という助産師さんの申し出を断ってしまいました。その後難聴だとわかりましたが、結果を受け止めたつもりでいても、聴こえないということの知識も理解もなく過ごしていました。

 Mを4月から保育園に預けて復職するために地域の保健師さんに相談した時、Pろう学校を紹介されました。

 生後3か月になる直前、初めてろう学校を訪れました。その時印象に残ったことは2つあります。1つ目は、「聴こえない人は目の人」という言葉です。視覚で情報を確実に得られるようにしようということでした。

 2つ目は、幼稚部の子ども達が友達と園庭で遊ぶ様子を見たとき、みんなが手話を使って会話をしていて、必ず子ども同士が顔を見て話し合っている姿が印象的でした。何より、みんなが楽しく過ごす様子を見、Mの未来も明るいものになると感じました。その後育休を延長すると決め、Mと私はPろう学校ひよこ組に通い始めました。

 

子どもとのコミュニケーションで大事にしたこと

 ①目を見て、顔を見て話しをするようにと教えてもらった事を大切にしました

 Mがおもちゃや好きなものを見ていて視線が合わない事もたくさんありましたが、そんな時はMの顔を見て待っていると目線が合う瞬間がありました。視線が合った短い時間で手話や写真カードでコミュニケーションをとりました。今までの自分は子どもが振り向くまで待てなかったので、ずいぶん辛抱強く待てるようになったと感じます。

 Mは1歳を過ぎてから、何か伝えたい事や知りたい事がある時に私の顔を見るようになりました待っていると子どもの方からコミュニケーションを取ろうとアクションが起きることを実感しました。目を見る、顔を見る事、待つ事の重要性がわかりました。

 

写真カードを作り、一緒に話しをすることです

 ろう学校の先生やお友達、通学で使うバスや電車のカードから始まり、公園、スーパーなどの身近な場所やMが興味を示した葉っぱや働く車など、色々なカードを作りました

5,6ヶ月の頃は、カードをじっと見ているようでも「本当に伝わっているのだろうか。」と疑心暗鬼になっていました。それでもろう学校へ行く時には学校、バス、先生、お友達のカードを繰り返し見せました。M成長とともにろう学校の写真カードを見せると学校、先生、お友達の手話をして楽しみにするようになりました

 また、1歳を過ぎると「病院へ行くよ」等と話すと、Mは自分から病院の写真カードを持ってきて私に見せてマッチングをするようになり、こんな風に写真カードは使えるんだと初めて理解しました。写真カードを見ながら、今ここにいない先生やお友達のことを話したり、前に行った公園や葉っぱの話しをしたりすることができ、親子のコミュニケーションが豊かになりました。写真カードは情報を現在過去未来とつなぐことができる素晴らしい物だと感じ、大切にしています

 

子どもとの生活習慣で大事にしたこと 

 毎日することを丁寧に、見せながらやることです。まだ仰向けやうつ伏せの時期は、子どもの活動量も少ないので毎日のルーティンを決めて繰り返しました。先生や先輩お母さん方から教えてもらったことを生活に取り入れました

 毎朝目覚めたら「おはよう」の手話をする、窓の外を見て一緒に天気を確認する、おむつを見せてからおむつ交換をする、Mを抱っこして汚いおむつをゴミ箱に一緒に捨てに行く、おっぱいを飲む時は「おっぱい飲む?」と手話をつけてからあげました。

 また、服を自分で選んでいるお子さんの話を聞き、まだ仰向けで寝ている時期だったけれどもやってみました。ピンク色の服と紺色の服を顔の前で見せ「どっちにする?」と聞くと、Mは視線を左右に動かしてじっと服を見て、紺色の服に視線が止まったので紺色を選んだのだと思いました。何日繰り返しても毎回紺色の服を選ぶので、何でだろうと思い、服を見るとオレンジ色のクマのアップリケがあり、スナップボタンも赤黄青とカラフルだったことに気付きました。まだ指差しもできない頃だったけれど、Mが何を見ているのか、何に興味を持っているのかがわかりました。視線だけでMの意思がわかり、コミュニケーションが取れるということに驚きと喜びを感じました

 1歳7か月になった現在は、Mは朝起きると「着替え」の手話をしてクローゼットへ行き、服が掛かっているハンガーを色々見てから自分の好きなトレーナーやTシャツを引っ張って選んでいます。時には選べない日もあるけれど、こうした生活習慣が身についたことは、まだ仰向けで寝ていた頃から服を選ぶことを続けてきたからだと今思います。

服を選ぶ以外にも、天気の確認、おむつ捨て、おっぱいを飲むなどの習慣も今振り返ると赤ちゃんの時にしてきたことが現在にも続いているのだと気付き、継続は大切だと改めて実感しました

 

私が努力してきたこと

 ①学校の活動と家庭を繋げる

 ろう学校で教えて頂いたことの中で、ろう学校と普段の生活がひと続きになるようにいう言葉が印象的でした。できるだけ学校で体験した事、遊んだ事を家でも再現して学校と家庭が繋がるように心がけました

 学校でやっている体操、メリーゴーランドやぞうきんが好きなので家でもやる、風船に空気を入れて飛ばしてはしゃいだら、家でも再現する、学校の階段の高いところからジャンプして遊んで興奮した後は公園の段差からジャンプ遊びをする、どんぐりを見せてもらって興味を持ったようなら公園にどんぐり拾いに行くなど、Mが興味を持って楽しんだことは忘れないうちに繰り返し再現して、確かな体験にしました。

そして気に入った遊びは、何度も繰り返して遊び、楽しみました。

私としても学校でやったよね、というきっかけがあると遊びや体験に入りやすかったです。

 

子どもの自主性を大事にする

 Mが興味を持って始めたことについて、時間があるときは本人の気が済むまでやらせる、私はそれをひたすら見守りました。

Mが家と自転車の鍵に興味を持った時は、鍵を開閉する真似を何度も繰り返していました。今までの私なら大人の都合で切り上げて止めさせていたと思います。しかし、子どもが興味を持っていることには付き合おうと心に決めてひたすら見守ると、20分くらいして自分から終わりにしていました。

 他にも、パン屋さんで買い物をしたら、Mは自分で買い物袋を持って歩きたいという

意思を強く示したので、安全な場所で買い物袋を持たせて歩かせると大人と同じことができたという満足感があり納得していました。どものやりたい気持ちを大切にすると子ども自身にも「できた」という達成感や喜びがあるのだと気付きました。

また、親としてもMが今、何に興味を持っているのかを知るきっかけになりました。

 

私の変化

 ある日、Mが「Mのお耳が聴こえないのはかわいそう、お耳が治ってほしい。」と悲しそうに私に言いました。それを聞いて私も胸が痛くなりました。このことを担当の先生に相談すると、「お母さん自身がお姉ちゃんと同じような気持ちでいるのでは?」と指摘を受けました。確かに聴こえないことで将来苦労するのではないか、社会で生きていけるのかが不安で仕方なかったと思います。

 その後、コロナによる一斉休校があり、子ども達と家で一緒に過ごす時間が増えました。お昼にも一緒にNHKんなの手話を見るようになり、手を動かしたり、ろう文化やろう者、聴者という言葉も覚えました。の後学校が再開され、お姉ちゃん、お兄ちゃんと一緒にろう学校の個別相談に行きました。

 手話という違う言葉を使う世界なので、最初は緊張して不安もあったようです。しかし、実際に幼稚部のお友達とお話しをしたり、学校を見学したり、Mと一緒にひよこのお部屋で遊んだりすることを通して、お姉ちゃんお兄ちゃん二人ともが「Mの学校は楽しい場所だね。いい学校に通っているね。好きになった。と話してくれました。

 また、お兄ちゃんはこの4月から1年生になるので、「僕は聴者の学校へ行くよMはろう者の学校だね。」と話していました。今も家族みんなでテレビ『みんなの手話』を見たり、子ども達も少しずつですが手話でMに話したりしてくれます。子どもたちの姿を見て、夫も少しずつ手話や写真カードを使ってMと話をしたり、自分もろう学校へ行ってみようという気持ちになったようです。

 私を含めて家族みんなが、聴こえないことは悲しいことではない、Mはそのままで良いと思えるようになりました。そして、聴こえない人達も私たちと同じように学校へ通い、仕事をして生活していることを身近なこととして家族みんなが知りました。

 私がPろう学校に通うことを通して、聴こえないことについての知識や情報を知り、先生方や他のお母さんとお子さん達から丁寧なコミュニケーションや丁寧に生活することを学び、Mの育児に対する不安が安心に変わりました

その事が、今明るい気持ちでMとともに生活できることに繋がっていると思います。

あれから一度もはMのお耳が聴こえないのはかわいそうと言わなくなりました。私の気持ちが変わったことでお姉ちゃんの気持ちも変化したのでしょう。

 Mの1歳のお誕生日頃、母子手帳に成長の記録を付けるとともに新生児スクリーニング検査の結果欄に自分でリファーの記録をつけました。Mは大丈夫、その気持ちになれたことが私と家族の変化です。これからもっとMとたくさんお話できるように手話を勉強し、わかりやすく様々なことを伝える努力をしていきたいです。」


 以上です。医療機関もいろいろなら支援機関もいろいろです。きこえないことを「障害」=マイナスとしてできるだけなくす方向で考えるのも一つの考え方ですが、きこえないことを「多様性」のひとつとして受けとめるのもひとつの考え方です。どちらを選ぶのも自由です。それはそれぞれの保護者の選択にまかせられていますが、もし子ども本人がどちらを選んでもいいよ、と言われたらどちらを選ぶのだろう?などとときどき考えることがあります。

きこえるきこえないにかかわらず人生を生きていく上でとても大切なものが「自己肯定感」です。自己肯定感とは、文字どおり「自己を肯定する感覚・感情」。「自分は価値ある存在だ」「自分は愛されている」「自分はOKだ」と、自分を大切に思え、自分に自信をもてる感情のことです。

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こういう自己肯定感をしっかりもてる子どもは、たとえ何かに失敗しても「大丈夫、がんばろう!」と前を向けます。心の根っこのところで人生いいもんだと自分で思えているからです。こういう子どは自分の力を発揮しやすいし発揮できます。

反対に自己肯定感の低い子どもは「どうせ自分はダメだ。どうがんばっても無理だ」とあきらめてしまいます。同じことに直面しても自己肯定感が持てるか持てないかで、自分の人生への向き合い方が大きく変わってしまうのです。

 

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このような自己肯定感は、「非認知的能力」の最も根底にあるものだと言われています。非認知能力とは耳慣れないことばですが、最近、日本でも注目されるようになり、文科省のホームページなどでも時々目にします。なかなか一言では言い表せないのですが、私たちがもっているさまざまな能力のなかで、これまでIQとか学力などといった数値化できる能力(これを「認知能力」と言います)が重視されてきましたが、それに対して数値化はできないけれど人生に大きくかかわる能力としてその大切さが言われるようになりました。

例えば、目標に向かって頑張る力、集中して物事に取り組める力、失敗しても立ち直れる力、自分の感情や行動を上手にコントロールできる力、他人への適切な配慮ができる力、他人と協調できる社会性などです。

こうした能力は、自分を肯定し、自分に自信をもち、失敗しても前向きになれる自己肯定感あってよく伸びていくものです。なぜなら、自己肯定感をもっているということはあらゆることにポジティブに向かえるということですから、結果としてこのような力も育つのです。

 

〇きこえない子の自己肯定感は?

では、きこえない子どもたちもこのような自己肯定感をしっかりもって育つことができるのでしょうか? 私はきこえない人たちを30年間みてきて、きこえない子の自己肯定感を育てることはとても難しいことだと思ってきました。というのは、次のような人に出会うことがとても多かったからです。以下に当時出会った聴覚障害大学生たちの中から実際にあった例を紹介します。

 Aさんは日本に人工内耳が導入され、小児では最初の頃に人工内耳を装用しました。聴力100dBを超える高度難聴の彼は小学生になった頃、ある大学病院で人工内耳を埋め込みましたが、しかし実はほとんど使えるようになりませんでした。音としてはきこえるけれど言葉として聞き取れるようにならなかったのです。それでもAさんは、「自分がきこえるようになった」と周りに言っていました。Aさんとしては、当時まだ保険が使えず、400万円もの大金を使って手術をうけさせてくれた親に対して、とても「使えていない」とは言えなかったということもあったようです。ですから学校での作文にも「自分は人工内耳をしてきこえるようになった」と書いたりしていました。しかし、実際は友達の言うことは口パクの状態でわからなくても適当に相槌をうって笑ってごまかすことが多かったのです。それでも低学年の頃はからだを動かして遊ぶことが多かったのでまだよかったのですが、高学年になってだんだんと友達同士でのおしゃべりが多くなるにつれ、友達と話すことが苦痛になってきました。しかし、自分が障害者と思われたくないために勉強だけはがんばりました。勉強でクラスの上位にいることだけが、きこえる友達と対等になれる唯一の方法だと思っていたからです。こうして中学・高校を過ごし、Aさんは聴覚障害者のための大学に入学しました。そこは聴覚障害をもった人たちが集まってくる大学で、口話が中心の難聴の学生もいればほとんど口話ができない聾の学生もいました。しかし、自分は普通高校から来たのだという優越感と人工内耳をしてきこえて話せるようになったのだというプライドがあったので、口話中心に生活し、聾の学生と話すときにだけ「手話を使って会話する」程度でした。しかし、あることで数人で議論になったときに、聾の学生から彼の言うことが全くテーマと噛み合っていないことを指摘され、「人工内耳をしていてほんとにきちんと話が理解できているの?」と言われたことで大きなショックを受け、学校に行けなくなってしまいました。今まで一生懸命がんばってきたことが一気に崩れ、これまで隠し通してきたことが友人たちにわかってしまい、その恥ずかしさと自己嫌悪でとても外に出る気がしなくなってしまったのです。そして、何日も一人で悩み、とうとう彼はもうこれ以上ごまかしきれないと人工内耳を外し、手話で生きていくと自分で決めたのでした。Aさんはその後、改めて手話を身につけ、教職の勉強をして教職免許をとり、聾学校の教員になりました。今は、手話メインで生活しています。

 

〇自己肯定感は取り戻せるか?

 

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Aさんのような人は決して少なくありません。ファイルの事例1の難聴男子も本当の自分を否定して周りの聴者に合わせようと努力してきた人です。この人もAさんと同じように自己肯定感の低い生き方をしてきました。また、事例2の聾学校高等部出身の女子も、手話を使う人でありながらそのことに引け目を感じて生きてきました。

では、自己肯定感は大人になると、もうもつことができないのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。彼らに共通するのは自分の障害つまりきこえないという事実をマイナスのこと、恥ずかしいことと必死に否定し、隠し、聴者のようにふるまっていました。しかし、どこまでいってもきこえない人はきこえる人と同じになることはできません。その事実を受け入れたとき、変わることができます。そのためにはやはり、自分は自分のままでいいんだ、と思って前向きに生きている人との出会いが大事です。自分と同じ「仲間」と出会うことです。そのことによってきこえない自分としてのアイデンテイィティ(自己同一性)を取り戻し、自分はきこえない、きこえなくてもそれは決して恥ずかしいことではない、という気持ちを取り戻すことです。聾であることに自信と誇りをもって生きている人と出会うことです。例えば『手話で育つ豊かな世界』にも書いている社会人の早瀬憲太郎さん(映画監督)、森せい子さん(精神保健福祉士)、小林萌子さん(乳幼児相談相談員)、その他この本に書いているような社会人・大学生と出会い、彼らとの交流を通して「きこえない自分としての生き方」を見つけることでしょう。そしてそこでは、手話というきこえない人たちの言語とも出会うと思います。手話こそ緊張せず、きこえない自分にも100%わかり、安心できる言語であることがわかるでしょう。そのとき、自分はきこえない自分のままでいいんだ、という自己肯定感を回復させることができると思います。

 

〇赤ちゃんのときから自己肯定感を育てたい

 では、赤ちゃんのときからきこえない子の自己肯定感を育てるにはどうすればよいでしょう?自己肯定感は、勝手に赤ちゃんが自分で努力してつくりあげていくわけではありません。当然、まわりの人間関係とくにご両親、お母さんとの関わりの中で、お母さんが赤ちゃんを「そのままでいいだよ」という笑顔とまなざしを向けるとき、その優しいまなざしを受けとめて「自分は周りの人たちに愛されている」「自分はこのままでOKなんだ」と思うようになっていきます。ですから保護者が「きこえないことはだめなこと」「聴覚

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障害はマイナス」という価値観から抜け出すことは、とても大事です。とはいっても、新スクや確定診断の時に感じられた聴覚障害に対する不安、恐怖、嫌悪、忌避といったマイナスの感情はなかなか払拭できるものではありません。では、どうすればよいのでしょうか? ここでもやはり自己肯定感をもったきこえない人と出会うことだと思います。

 きこえない人と出会うことで、きこえないという障害は不便なことはあるけれど不幸なことではないこと、社会の中で自立して生きていることを知ることで我が子の将来に安心感をもたらすこと、明るく冗談が好きでデフジョークを連発する手話の先生(聾者)は私たち聴者とちっともかわらないこと、そんな出会いの中で、暗いイメージをもっていた「聴覚障害」という障害のマイナスイメージが払しょくされていきます。ある人はそれを次のようなことばで語ってくれました。

 

「はじめは『きこえる人に近づけることが大事』と思い、それができないと苦しかったけれど、聾の人との関わりの中で、きこえないということはどういうことなのかが理解できるようになりました。それから子どもの見方、子どもとの関り方が変わりました。」 

 

〇笑顔こそ子どもの自己肯定感を育む栄養素

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こうして子育てのスタートラインに立てた親御さんは、子どもと笑顔で関われるようになっていきます。笑顔、これが子どもと関わるうえでいちばん大事なことです。振り返ったとき、いつでもママが笑顔でいてくれる安心感。その安心感の中で子どもは自分はこれでいいんだ、という自己肯定感を育んでいきます。

そしてもう一つ大事なものは手話です。手話は100%わかる言語です。音声言語のように常に「これで合っているかな?」という曖昧さや推測の要らない安心できる言語です。確実にわかることは記憶も可能です。つまり経験したことが確実に知識として概念として身につけることができます。ですから言語発達はきこえる子の音声言語と同じように発達していきます。1歳で初語が出て、「語彙の爆発」期を経て、2歳で数百の語彙を獲得し、3歳では1千語の語彙を獲得します。3歳になると「もし~」という仮定表現、「なぜ?」という理由を問う表現や、「~だから」という原因の説明などもできるようになっていきます。そして指文字や文字を通して日本語も獲得していきます。

 

〇自己肯定感をもった子どもたちはその後どう伸びていくか?

 はじめにも述べましたが、目標に向かって頑張る力、集中して物事に取り組める力、失敗しても立ち直れる力などの「非認知能力」は数値では計れません。ですのでその成長ぶりは数値で紹介することはできません(これについてはぜひ『手話で育つ豊かな世界』の大学生・高校生・中学生の手記をご覧いただき、その中から読み取っていただけると思います)。

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では、「認知能力」はどうでしょうか? これについては、その中の日本語力としてふたつの尺度を用いてみてみたいと思います。 このグラフは、ある聾学校で、乳幼児教育相談→幼稚部→小学部と聾学校で育っていった29人の子どもたち(2019年)の小学部での年1回行われるリーディングテス(読書力テスト)トの結果です。この聾学校には幼稚部の頃に、あるいは小学部になってから聾学校外から転入してくる子どもたちが沢山いますが、ここでは乳幼児相談を1年以上経験し、そのまま幼稚部で3年間過ごし、さらに小学部に進んだ子だけを対象としてます。

リーディングテストというのは、語彙力・文法力・読解力など読みの力を調べるテストで、半世紀にわたって使用されてきたテストです。その結果を読書学年であらわし、およそ10年ごとに見ていきますと、1970年代から2010年代までは、高学年になっても児童の平均読書学年は4年生以上にならないことがわかります。この現象が「9歳の壁」と呼ばれる現象で、読み書きの力が4年生のレベルを越えられないのです。およそ10年ごとにみていますが、どの年代をみても壁が越えられていません。しかし、この29名の児童は高学年になってもそのまま学年以上の読書学年を保っています。つまり「9歳の壁」を越えている子が多いことがわかります。「認知能力」という面でもちゃんと伸びているのです。もちろん、認知能力は自己肯定感があればだれでもつくわけではありません。日本語力がつくかどうかは、幼児期に学校や家庭でどんなことに取り組んだのかも大きな要因です。また、それをどのように取り組んだのかはさらに重要です。同じことをやっても親子で楽しみながらやったのか、親にいやいややらされたのかは子どもに身に付く力は違ってきます。前者の子どもは「もっともっと」とやりたがるでしょう。脳で分泌されるドーパミンも多いでしょう。結果的にいろいろな力がしっかりと身に付く。ついた日本語力はその積み重ねの結果です。

〇楽しい家庭でこそどもは伸びる

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右の研究は以前お茶の水女子大におられた内田伸子先生らのものですが、親子関係の持ち方を調査して、大きく分けて二つに分けられた。それらの子どもを追跡調査して小学校1年生の時に読み書きの力との関連を見たら、「共有型」の子どものほうがよい成績をとっていた。つまり、楽しい家庭・楽しい親子関係のほうが語彙力なども高いという結果。これは当然の結果と思います。前者の家庭の親子関係の中では自己肯定感が育ちます。後者はその逆。自己肯定感が土台になっ

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て、その上に楽しい活動があって、その結果として読み書きの力つまり認知能力もついたということでしょう。 こうした研究結果からも自己肯定感の大切さが理解できると思います。                   



〇どんな人に育ってほしいか?~親の願いは・・

きこえない子の保護者の方に「どのような人に育ってほしいですか?」というアンケート調査をしたことがあります。最も多いのは以下のような回答でした。

① 他人に思いやるのある優しい子

② つらいことがあっても負けないでがんばれる子

誰かがつらい思い、悲しい思いをしているとき、優しい思いやりのある気持ちで接することができる人。つらい時でも未来に向かってがんばれる人。実はこれこそまさに自己肯定感をもった子どもの姿です。自分を肯定できるから他人をも認め、他人に優しくすることができますし、自分を肯定しているからこそ苦しい時にも後ろ向きにならないで未来に向かって努力できるからです。つまり、表現は違っても親の思いは、自己肯定感をもった子どもに育てることなのだと思いました。

このような子どもに育ち、そして一緒に生活やあそびを楽しみ、本を読み、子どもに合わせて丁寧にかかわっていくとき、子どもの非認知能力も認知能力もその結果としてついてくる、ということなのだと思います。

【参考】「・・幼児期におけるいわゆる非認知的能力を育むことの重要性の指摘等を踏まえ、身近な大人との深い信頼関係に基づく関わりや安定した情緒の下で、例えば、親しみや思いやりを持って様々な人と接したり、自分の気持ちを調整したり、くじけずに自分でやり抜くようにしたり、前向きな見通しを持ったり、幼児が自分のよさや特徴に気付き、自信を持って行動したりするようにする。・・・学習プロセス等の重要性を踏まえ、具体的な活動の中で、比べる、関連付ける、総合するといった、思考の過程を示すなど、思考力の芽生えを育むようにする。・・・」(文科省HP>中央教育審議会>幼児教育部会資料)

                                                                                                                                                                                                                                     

もう、ずいぶん前になりますが、ある研究会で、聴覚活用分野の第一線で活躍されてきた当時、筑波技術大学学長の大沼直紀先生の講演をきいたことがあります。早期から聴覚活用をした成人聴覚障害者と親が、今どのような思いで暮らしとその当時の教育を振り返

大沼調査.jpgっているのかいったことを調査した結果の報告です。

人工内耳が出現する前、0~2歳代の早期から補聴器を装用し、聴覚を活用する教育を受けてきた20歳~30歳代中心の90dB以上の成人聴覚障害者約102名を対象に行った調査です。そのうちの9割の人は、大人になっても補聴器を装用して生活していること、8割以上の人が手話の必要性を感じていること、本人達は、「音声言語を聴く」ための聴覚活用というよりは、音が聞こえてくる安心感や、危険認知、音楽を楽しむというように、「ことばをききとる」こととは少し違ったレベルでの聴覚活用の意義を感じているということがわかったということでした。

 

 これまで、高度難聴者本人達に話を伺うと、「補聴器をすると耳鳴りがしてつらく、ある時期から使わなくなった」「補聴器をつけていても自分には何の意味もない」「つけている方が負担がある」と言う人もいれば、「つけていないと不安」「高等部時代はずしていたが、子どもが生まれてから、少しでも赤ん坊の鳴き声を聞きたいと思い、寝ている時も補聴器をする

補聴器.jpgのサムネール画像ようにした」「好きな歌手のCDを聴くとホッとする」「もう身体の一部になっていて、自分には必需品、場所によって補聴器を使い分けている」・・・というように、高度難聴といっても実に様々な本人達の声を耳にしてきました。聴力レベルも、聴覚活用の様子も一人ひとり皆違うわけですから、補聴器の装用や聴覚活用の必要性等について皆違う思いがあるのは当然のことでしょう。このように、いつか本人が、自分自身で選択し、判断する時期が来るのだろうと思います。


〇乳幼児期に音をきく楽しさを!

このようなことをふまえた上で、子どもが小さい時期は、本人にとってつけることが心地よい、何か意義が感じられる方向で装用支援をしたいものです。そのためには、まず

補聴器の音が大きすぎず、小さすぎない、適切な音が入るような補聴器の調整を確保したいものです。その適正なフィッティングのためには、年齢が小さければ小さいほど、聴力検査の結果以上に、日常生活の中での聞こえの反応の様子が有力な情報になります。家族の方にきちんと見て、報告してもらうことが大切なのです。そして、適切な補聴器のフィッティングがされた後は、

子どもにとって意味のある、意味があるととらえやすい音を

補聴器楽しい.jpgどのように届けるか、といった工夫が求められていくでしょう。

子ども達にとって、補聴器をつけ始めてしばらくは、入ってくる音や声はすべて雑音です。私達聴者も同じです。初めて聴く音にはイメージを持てない、あれっ?何の音かな? そんな経験ありますよね。鳥の鳴き声を聴いて、なんの鳥が鳴いているのかそのイメージが持てる人、持てない人がいるのは、その鳥を知っているか知らないかという経験の差がはっきり出るからです。このように考えると、きこえにくい子ども達は、もっともっとかすかな聞こえの中で、その意味をイメージしようと学習しようとしているわけですから、一手間、一工夫は必要になってくるわけです。 ききやすい、きいてわかりやすい、きいてイメージを形成しやすい音声言語の投げかけや、環境音や音楽の聞かせ方を配慮し、雑音と意味のある音の区別が感じられるよう、周りの大人は聴覚活用をしやすい状況を作っていかれるとよいと思います。

 

 0dB、10dBの音が聞こえる聴者と、補聴器をつけて50、60dBがやっと聞こえ、しかもひずみもある音をききとる高度難聴者が、同じ声や音の大きさで、意味をとらえたり、楽しんだりすることは難しいものです。「少し大きめの声、音」が必要と言われるのは、最も小さく聞こえる音の大きさがそもそも違うからです。「いぬ」というよりは「ワンワンだよ~」、「のむよ」というよりは「ゴックン、ゴックンしよう」といった、リズムや抑揚が特徴的な擬態擬声語を入れての話かけの方が子どもは、聴覚的な情報をとらえやすく、「聴こう!」という気持になるのではないかと思います。高度難聴の子ども達は、「ワンワン」の「わ、ん」という一音一音を聞いているのではなく、そのリズムや抑揚(プロソディー)を聞いていたり、「お、 か、 あ、 さ、 ん」の五つの音を聞いているのではなく、「オ、アー、ア」といった三つの母音に聞こえていたりするかもしれないのです。また、私達は伴奏をする時に、ジャン、ジャン、ジャーンと、なるべく和音を使った伴奏を心がけますが、音楽もメロディーよりはリズムを強調した奏で方の方が聞きやすい、楽しみやすいと言われています。おうちのチャイムの音が補聴器から入る大きさであれば、鳴る度に「あれ?なんだろう?」と傾聴させ、いっしょに玄関まで行って、大好きなパパの帰宅を迎える、そのような「ただ聴くだけではない」好きな人の帰宅と結びつけた、音にまつわる体験活動を丁寧に繰り返してこそ、「聴きたい」気持ちが育、聴覚が活用されるようになるものです。

 

〇きこえのテストでなく、振り向く喜びを・・

音を聴く楽しさ①.jpgきこえにくい子どもの「聴く」気持ちを育てるためには、難聴が高度であればあるほど、聴者と全く違う音声情報が届けられていることを私達大人がよく自覚することが大事だと思います。補聴器は、ただつけるだけでは、ずっとつけていたいと思えるような意義あるものとはなりません。音のイメージは、入ってくる音が何の音(声)かな、どのような音(声)かな、どうやって奏でられた音かなと音源そのものを見たり、触れたりしながら「聴く」体験を繰り返し、作り上げられて音を聴く楽しさ②.jpgいくものです。SNSにはときどき、親御さんが、子どもの名前を「○○ちゃ~ん!」と呼んで振り向かせることを何度か繰り返し、そのうち子どもが振り向かなくなるという動画がアップされたりしていますが、音がきこえて振り向いた時、そこになんの楽しみも喜びもなければ振り向く気持ちは失せてしまいます。そばにいて、その「聴く」体験をいっしょに喜んだり、楽しんだりして、共感しながら関わる大人の存在がやはり必要です。「音を聴くってこんなに楽しいんだ!」と子どもが思えるよう、私達はよりよい応援者になりながら、子ども達の聴覚活用を育んでいきたいものだと思います。

右の事例は、手話からスタートした子どもがだんだんと聴覚も活用し、発語もできるようになってくる頃の子どもの様子です。手話を使うことで会話の内容が理解でき、そこに音声も伴ってくる時期は、だいたい1歳後半の頃です。


〇新生児聴覚スクリーニングの現状

先ごろ、「新生児難聴支援進まず、自治体4割体制不備」(読売新聞、6.7)、「すべての新生児に難聴検査を、早期ケアで言語発達に支障出ぬ可能性」(8.17)など、新生児聴覚スクリーニング検査(以下新スク)を推進する記事が相次いで掲載されました。早期発見に異議はありませんが、日本で新スクが始まって以来20年経過しているのにも関わらずいくつかの問題点が未解決のままになっています。早期発見を意味あるものにするためにもその問題点の解決は重要です。ここではその問題点について、新スクを受けたある保護者の手記を通して考えてみたいと思います。

 ここで紹介するのは、新スクで「リファー」となり、確定診断が出るまでの4カ月間、なんの支援もなく、ただただ不安な日々を送らざるを得なかったお母さんです。赤ちゃんに笑顔で向かいあうよりも日々パソコンと向き合い、障害への不安から母乳の出が悪くなったと言います。幸いにして自力である聾学校の乳幼児相談にたどり着きますが、誰からの援助もなく家の中で悶々とした日々を過ごしている人は決して少なくないのが現状です。

聴覚障害があるのは人口1,000人に対して約1.5人、新スクで「リファー(要再検査)」となるのは3人程度と言われていますが、数が少ないから許されるという問題ではなく、検査にひっかかった当事者の母親にしてみれば、「障害」への恐れを抱きながら鬱々とした日々を送ることになるわけで、このような宙ぶらりんの状態におかれることが、赤ちゃんによい影響があるわけはありません。たとえ結果的に「正常」であり「やれやれ」という場合でも、地獄のような3~4か月を一体だれが支えるのか、という問題をないがしろにすべきではありません。新スクを勧めようとしている人たちはこの問題をどう考えているのでしょうか? 以下、手記を引用します。


〇「リファー」を告げられたある母親の手記

出産前に、新スク検査というのがあることを知り、私たちは何のためらいもなく「一応、やっとくかね~」という感じで申し込みました。退院の日、娘を抱いて病院の廊下で先生にお礼のあいさつをしているときに「耳がちょっと聴こえないかもしれなんだよ」。びっくりしている私に先生は「ま、完全に決定したわけじゃないんだけど、そんなに心配?」と。

「・・・心配も何も・・・と返すのが精いっぱいだった気がします。でも、先生は特別深刻じゃないような話しぶりで、「まあもう一回検査してみよ~!」ということでした。とにかく「え?なんで?本当に?うそでしょ・・・」と信じられない気持ちとなんだかぴんと来なくて「あ~、再検査かぁ・・・どうしてだろう?」という気持ちでした。家に戻り、生まれたばかりの娘を見てもなんだか信じられないので、娘の横で手をパンッて叩いてみたり、「わっ!」と大きな声を出してみたりしました。現実として、事実として、受け止められませんでした。そして、どうして私が? 妊娠中にあんなに気を使って生活したのに、何の問題もなく順調に過ごしてきたのに、それなのに? どうして私の子が? あの時、ああしたからよくなかったんじゃないか。あの時、ああだったからじゃないか...。

 この時の私は何も知らず、状況もつかめず、どん底状態でした。耳がきこえないってどういうこと・・・? この先、私たち家族はどうなっていくんだろう・・・。初めての子、勝手のわからない育児、その上の出来事で本当にいろいろ悩んでいました。とにかく手あたり次第やるしかありませんでした。このまま途方にくれていても仕方ない・・・。

 産院から紹介された病院に行き、通されたお部屋には「言語聴覚室」と書いてありました。なんだか本当に一般的に「障害」(このことばが正しいのかは最近すごく疑問に思えてきました)と言われるところに来てしまったのか・・・と思いました。中に入ってみると先生と言語聴覚士さんが温かく迎えてくれました。

 「音にはちゃんと反応しているからきこえないないわけではないですよ。大丈夫ですよ。お母さんの声はちゃんと聞こえていますよ。」先生にそう言われて、なんだか胸のつかえがとれて泣いてしまいました。

 実はこの頃、けっこう精神的にも肉体的にもかなり滅入っていて、母乳の出が悪くなってきていました。少し気持ちの整理がつき始め、現実を受け止められるようになってくると、今度は周りの目を気にするようになりました。補聴器をつけたら「耳のきこえが悪いです」と言わなくてもわかること。ある程度の年になったらことばの遅れや発することばのイントネーションの違いなどでわかること。そのことで娘のことを偏見や特異な目で見る人や、同情、哀れみの気持ちで接してくる人もいるだろうし、私の周りの人たち、友達も、親戚の人も、そうなんじゃないかなと思ったりして悩みました。だから娘の耳のことは、昔からの友達に話すもの怖かったし、できませんでした。一時は、聴こえる子のお友達は作らない方がいいのではないかとまで考え、本気で悩みました。そして、インターネットの子育てサイトに悩みを投稿したときに、「どうして隠す必要があるの? あなたはお子さんが恥ずかしいの?違うでしょう? 堂々としていればいいじゃない。どうしてあなたがお友達を決めてしまうの? そんな障害のあることで友達になれないないのなら、そんな友達なんていらないんじゃないでしょうか?」 自分では結構強気な性格だと思っていたけど、この時は本当に相当滅入っていたのでこのレスに本当にハッと我に返った感じでした。

 ある日、義母に「孫とか甥っ子、姪っ子とかにも、そういう人(健常ではない人)は誰もいない。遺伝が関係しているのでは? 遺伝子が原因じゃないかと思う。今まで全然誰も何もなかったのに・・・」と言われました。私は泣きながら、帰ってきた主人に一部始終自分の思いを話しました。

 「そんなに誰かのせいにしたいの? そういう人はうちにはいないって、いちゃいけないの? それはなんで? 世間体ですか? 健常、正常じゃない人は産まれてきちゃいけなかったですか? そういう人がいるのは恥ずかしいことなんですか? 遺伝子ってことは難聴は悪遺伝子ってこと? ってことは娘は粗悪品ですか? 娘の存在は恥ずかしい? 悪いことなんでしょうか? 遺伝子、どっちが粗悪な遺伝子を持っていたから娘はこうなってしまったと? (中略)言わせてもらえば、私の家系では今まで一度だってそんなふうに遺伝子の話や原因について言っている人は誰一人いない。ただただ静かに温かくサポートしてくれている。娘の現状を正しく、そのまま受け止めてくれている。それに、私にとって娘は自慢の娘! 耳がちょこっと聴こえにくいだけで、元気に成長してるもん!」

 主人はちゃんと黙って全部きいてくれた。主人や主人の家系の人に謝ってほしいのではありませんでした。ただただ、正しい知識を持って理解してほしい。今更誰のせいとかにして現実逃避してないで真実を温かく受け止めてほしい。正常じゃないことへの偏見。確かに何かあるよりない方がいいに決まってる。以上より正常。それは人間だれしも思うし、願っていることだと思います。誰も最初から異常なことを願っている人はいないでしょう。生きること、生きていくことにおいて、身体的、精神的に障害を持って生まれてきた子に対して誰だって最初は驚き、ときには落胆し、ときには現実逃避もしたくなるだろうと思います。私自身も今まで障害をもった人のことについて他人事のようでもあり、正直偏見もあったように思います。誰もなにもしてくれない、この子の親か私たちなんだ、私たちがやるしかない。耳のことに関してインターネットで調べまくる毎日。そのおかげでいろいろなことが少しずつ見えてきました。

 そして、ある聾学校のことを知りました。それでも実際は「聾学校」という響きに躊躇し、なかなかその門を叩くまでには決心が必要でした。勇気を出し、〇〇聾学校に通うようになって、同じきこえにくい子を持つ親同士、色々な話ができるようになりました。きこえの程度はそれぞれ違うだろうし、どうであれみんな考えていることは同じというか心配事は一緒。みんなすごく明るくて前向きです。そして、同じくらいの月齢の子(健聴児)をもつママとなんら変わりはないのです。耳の話だけでなく、子育て一般の話で盛り上がったり、いいお話ができて、私も勉強になったり勇気づけられたりしています。

 本当にこの一年、娘の耳のことがあったから見えた、知った世界があるし、いろんな経験ができました。人の情けも非情さも、物事の本質も見えてきました。手話に触れる機会も持つことができました。また、自分自身の価値観を変える、切り開く一年でした。私自身も自分の価値観、考えの変化にびっくりしています。普通になんとなく生きていたら、なかなか自分の価値観を変えることなどそうそうあるもんじゃないと思います。だから、こうしていろんなことに気づき、気づかされて一年を振りかえってみて、私はこれでよかった、幸せだと思えるようになりました。ここで知り合えた聾・難聴の大人の人や子どもたちや同じ悩みを抱えた親たち、先生たちは私にとっても娘にとっても、とても大切な存在で、とても救われました。また、笑顔でいられるようにこれからも楽しく子育てをして、子どもの成長とともに自分も成長できたらいいなと思います。

 

 以上が母親の手記です。この手記からうかがい知ることができるのは、リファーの告知から確定診断を経て、聾学校という支援機関にたどり着くまでの数カ月、家族以外のだれからの支援もなく、ただただ自分たち夫婦・家族で不安を抱えながら過ごさざるを得なかったということです。

 

問題点① 産院での「リファー」告知のあり方

 具体的な問題点をあげるなら、まず、新スクを実施する産院での母親への告知の仕方の問題です。退院時の玄関先での立ち話ではなく、慎重に、告げられる側の身になって、その時と場所を考え、できる限り夫や祖父母などを交えて、かつ専門外のことには立ち入りすぎないよう過不足なく事実を告げ、専門の精査機関に確実につなぐことが求められます。その体制(告知にあたっての研修など)を全国規模で十分に整えることができるのでしょうか? 

 

問題点② 確定診断までの心理的支援の必要性

 次に、母親は新スク後、1か月後の耳鼻科での精密検査で「全くきこえていないわけではないが、まだ小さいから様子をみましょう」と医師に告げられています。そのため、不安定な状況はさらに3カ月続くことになりました。1カ月の赤ちゃんにはまだ生得的な反射(モロー反射)が残っています。脳の発達が進む3~4か月頃にこの反射が抑制され、音の方向へ顔を向けるなどの行動がみられるようになるので、診断が確定できるのは3~4

リファー表紙.jpgのサムネール画像か月まで待つ必要があるからです(低出生児など発達がゆっくりの場合はさらに時間がかかります)。宙ぶらりんの状況が続くことは母親にとっては、心理的な拷問がさらに続くことになりかねません。新スク・リファーのあと確定診断までの間、だれがどのように母親を支えるのでしょうか? ただただ確定診断の日まで鬱々とした日々を送るしかないのでしょうか? その支援のあり方は果たして考えられているのでしょうか? 

 この時期の対応については、冊子『リファーとなったお子さんのお母さんと家族の方へ』(全国早期支援研究協議会編,300円)が参考になる。

 

問題点③ 精査機関での確定診断時の告知のあり方

 さらに、確定診断時、医師や言語聴覚士は、補聴器・人工内耳・聴覚口話法という選択肢だけでなく手話を使うという選択肢についても公正中立に情報提供できるのでしょうか?実際、多くの耳鼻科医たちは、人工内耳に関する情報提供はしても、手話ということには一切触れないのが実情です(手話を否定する医師も少なくありません)。その意味では十分にインフォームド・コンセントの原則(十分な情報提供と自己選択・自己決定)が守られているとは言えません。この母親の場合は、自分でインターネットを検索し、たまたま通える聾学校を見つけ、そこに行ったらたまたまそこは手話も使い聾者とも出会える聾学校だったという全くの偶然で一つの方向を選択しています。新聞には確定診断後の支援として手話ということは一言も出ていませんでしたが、情報が一方に偏ったまま全国規模で体制が作られる心配はないと言えるのでしょうか? 

 早期発見が本当の意味で実りあるものになるためには、少なくとも上に述べたこのような3つの問題点を、同時的に並行して解決することが大切ではないかと思います。(木島照夫)

先日(2019.8.17)、朝日新聞に「すべての新生児に難聴検査を」「早期ケアで言語発達に支障出ぬ可能性」という見出しで記事が載った。記事の主旨は、難聴の早期発見には新生児聴覚スクリーニング検査が欠かせないが、自治体からの補助があったりなかったりで、実施率に差があるのが実情だ。しかし、「早く介入すれば克服できる可能性が高いことも分かっている。」(昭和大学・関沢教授)ので、国・自治体は、早期発見・診断・支援の体制を築くべきだ、という内容である。

全ての新生児に難聴検査を(朝日).docx.pdf

新スク(朝日).jpgのサムネール画像早期発見早期支援の体制をつくることに大きな反対はないと思う(ただこの検査に関しては問題が全くないわけではない)。問題は、難聴発見後の支援のあり方として補聴器と人工内耳のことにしか触れていないことだ。記事では以下のように述べている。

「・・オーストラリアの研究では、音を電気信号に変えて脳に伝える「人工内耳」を埋め込む手術を生後6カ月の時にした場合は、5歳時の言語発達が聞こえる子と同じレベルだった。国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の通常学級に通えるという報告がある。・・(略)・・精密検査で難聴と診断された場合、軽度なら補聴器をつける、重度なら人工内耳をするなどの方法がある。・・」

 この記事に対して、全日本ろうあ連盟から質問状が出されているが(*参照)、ここでは、適切な意見を朝日新聞に送った、ある言語聴覚士の意見を以下に紹介しておきたい(固有名詞は省略)。 (*)https://www.jfd.or.jp/2019/08/27/pid19495

 ・・記事を読ませていただきました。私は新生児スクリーニングが日本に導入された頃から、〇〇ろう学校乳幼児教育相談にて聴覚障害児の教育に関わっております言語聴覚士の〇〇と申します。記事の中にいくつか問題点があると思われますので、ご指摘させていただきます。

まず、この記事を読みますと、<新生児スクリーニングを受け、生後6ヶ月までに難聴の有無を診断し、重度の難聴児には超早期に人工内耳を施すと誰もが通常学校に通える>という錯覚を読者に与えてしまう恐れがあります。人工内耳をしたとしても、難聴であることに変わりなく、健聴者と同じようになるわけではありません。1対1の静かな場所での会話はできたとしても、大勢での会話は難しく、音声言語のみでのコミュニケーションでは限界があります。手話を使ったコミュニケーションをする人工内耳装用者がおおくいる、という事実を知っていただきたいと思います。

新生児スクリーニングは難聴の有無を荒く検査するものであり、リファー(要再検査)と結果の出た新生児のなかに、聴覚に問題のない子どもたちがおおくいます(厚労省発表・年間約5000人の新生児が要再検査となり、そのうち593名が異常あり)。

乳幼児の聴覚発達についてですが、生後6ヶ月ではまだはっきりした聴力レベルがわからないことがおおく、きちんとした聴力が分かるようになるには、その子の全体発達と深い関わりがあります。新生児スクリーニングでリファーとなり、重度の難聴があると診断され人工内耳をすすめられたにも関わらず、実際には聴力が正常であったり、軽度や中等度の難聴で人工内耳不適だった、ということもよくあります。人工内耳を片方の耳にしたあとに、もう片方のやはり重度であると診断を受けていたほうの聴力が、実際には中等度難聴であったことが判明し、人工内耳を施した耳のほうも実は中等度難聴だったのではないか、という事例もあります。つまり、生後6ヶ月での聴力レベルの判断は、大変難しいものであるということです。

リファーになるお子さんの中には、聴覚障害だけでない他の障害を同時に併せもつ子もいます。その子どもたちの正確な聴力を測定するにはかなりの年数が必要になってきますので、「生後6ヶ月での診断と超早期に人工内耳」ということを安易に記事にすることは問題であると思われます。

 また、難聴児教育や聴覚障害分野とかけ離れている産婦人科の先生の「早く介入すれば克服できる障害である」という言葉を載せてしまうことにも問題があります。聴覚障害は治療できる障害ではなく、克服できる障害でもありません。その障害とともに生きていく、ということです。

そして、これが一番の問題であると思うのですが、公正中立の立場であって欲しいと願う新聞記事に、「ろう学校」や「手話」という言葉が全く出てこないことに違和感を覚えます。「ろう学校」や「手話」という選択肢もある、ということが全く書かれていなく、大きな疑問を感じます。これは「聾者」と言われる人たちを否定する思想にもつながる危険性があります。

ご存知でいらっしゃることを願いますが、新生児スクリーニングでリファーとなり、0歳児から相談や療育に当たる場所として、ろう学校の乳幼児教育相談があります。〇〇にはろう学校は3校あり、〇〇ろう学校では20年前から手話と同時に音声を使う教育を行い、成果をあげています。子どもたちは手話と音声というコミュニケーションモードを、その子その子に応じた方法で臨機応変に使い分け、皆、生き生きと生活しています。ろう学校が大事なコミュニティーとなり、この子たちは小さい頃から、自分が聴覚障害者であるというアイデンティティーを「手話」という言語のおかげで確立し、「聞こえない・聞こえにくい」ということに誇りをもちながら成長し、安定した自己肯定感を育み、「聞こえない・聞こえにくい大人」になっていきます。ろう学校の乳幼児教育相談では、聴覚障害をもつ子どもを育てることになった親御さんたちに、その後の親子関係の礎となる、聴覚障害をもつ子どもの立場に立った子育ての方法を親に伝え、子どもの障害認識を深める支援をおこなっています。こういう機関がある、ということを、知っていただきたいと思います。・・」


 以上である。このHPでも折に触れ書いてきたように、発達早期に手話を獲得することには、主に二つの点でよさがある。一つは親子関係の安定的な形成や子どもの自己肯定感を

手話の意味.jpg育むという点だ。それは、手話がきこえない人たちの言語であり、手話を使うということは、きこえない赤ちゃんに対して「あなたは聴こえない人」ということを認め、その言語を尊重するということになるからだ。赤ちゃんからみると、きこえる人ばかりの家庭で皆が手話を使ってくれるということは「きこえない私」が、このきこえる人たちの世界の中で尊重され受け容れられているということにつながる。このことは、世界は信頼するに足るものとして、また、自分は世界から信頼されているという感覚を育てることにつながる。乳幼児期に最も大切で根本的な感覚である「「基本的信頼感」(E.H.エリクソン)が育つのである。こうした感覚をもっている子どもは、人に対してもものごとに対しても肯定的・積極的にかかわる。だから伸びる。

 もう一つ大切なことは、早期から手話という言語をもち、その言語を使って世界を認識し知識を蓄えていくことだ。記事では、「国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の

新スクと9歳の壁.jpg通常学級に通えるという報告がある」と述べているが、では、聾学校を選択した子どもたちは、通常学級に「通えない」残念な子たちなのだろうか? この記者のもっている価値観は、小学校の通常学級が上で、聾学校が下ということなのだろうか? 私は、通常学級に通うことも聾学校に通うことも、それはその家庭の経済的な事情や兄弟関係、地域の交通事情、その学校の現状、子どもの性格や友達関係、聴覚障害に対するその家庭の考え方など様々な要因によって、好んで、場合によってはやむなく選択しているのが実情であって、通常学級に行けない子が仕方なく行くところが聾学校ということではないと思う。たしかにこれまでの聾学校の子どもたちは「9歳の壁」が越えられないと言われ、その意味でこうした学力や偏差値を基準にした見方がまるで当たっていないわけではない。しかし、ならば言っておこう。手話から学んで日本語を身につけた子たちが、決して通常学級に通っているきこえる子たちと比べて劣っていないということを。右上のグラフはそれを証明した数値であるが、これは手話からスタートし、その後日本語を意識的に身につけていったからであり、そのろう学校こそ先の言語聴覚士のいるろう学校においてなのである。

以下、本ホームページ TOP>乳幼児期・学童期>どうすればことばが育つか?~否定しないこと・手話を学ぶことを参照。 http://nanchosien.com/nyuyou/

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

〒145‐0063
東京都大田区南千束2-10-14-505 木島方
TEL / FAX:03-6421-9735

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