新生児聴覚スクリーニング検査
前回、新スク後、0歳から1歳代のきこえない子の子育てについて、聾学校の乳幼児相談に通いながらお子さんを育ててこられた保護者6人の手記から、どんなことを大事にして子育てをされてきたかについて紹介しました。前回の6人の方は聴力の厳しいお子さんたちが中心でしたが、今回の6人の方は比較的聴力の軽い方(90dB以下)5人と新スクではなくその後に難聴がわかった方1人の方の手記です。
*以下、幼児名はH,I,J・・で、指導者名はX,Yで、都立ろう学校名はP,Qで表記。
〇0~1歳代に大切にしてきたことは?・・(まとめ)
前回と今回計12名の方の手記から、0~1歳代の時期に、聴力に関わらず、発達と障害に配慮して共通に大切にされてきたことがあることがわかります。それを以下にまとめてみました。
1.目と目を合わせてコミュニケーション、目が合った一瞬を大切に!
ほとんどの方がその大切さと難しさを語っています。聴者は音声での会話が当たり前のことになっていますから、半ば無意識に声で赤ちゃんに働きかけます。しかし音声言語を子どもの耳元でつぶやいても子どもには伝わりません。手話や写真を見せつつ、同時に対象のものを二人で共有することの難しさ。指差した先が子どもの見ているものと一致しているとも限りません。と言ってあきらめず、子どもとの関係を粘り強く築いていくことが、親子の共感関係をつくることにつながっていきます。以下、手記の中から具体的に引用してみます。
①「低月齢のころはなかなか目が合わず、合っても一瞬で見つめてくれることが少なくとても悩みました。Mと目が合うように、目が合った時にはオーバーにリアクションをしたり、こちらを見るように気を引きながらコミュニケーションを取ったり、Mがこちらを見るたびに反応するようにしていました。今(1歳半)ではしっかりと目を合わせて遊んだりコミュニケーションをとったりしてくれるようになりました。」
②「Eに何か伝えたい時、目が合ったとき、一緒に遊んでいる時、いつでも子どもの視線が私を捉えてくれているか確認することを大事にしてきました。初めは、Eが何かを夢中で見つめている時、「あれは◯◯だよ」と教えてあげたくても、目が合わないことには一切伝わらないことがもどかしく感じました。耳を使えば同時にできることが、どうしても一つずつになってしまう。それを毎日焦らずコツコツ着実に、これからも深めていきたいと思います。」
2.子どもの興味・関心に合わせて! 興味をもったことを一緒に楽しむ!
子どもは自分の興味あることに夢中になっているとき、脳も活発に働きさまざまなイメージを浮かべ思考しています。そしてそのことが想像・創造といった豊かにイメージする力や深く考える力、物事に積極的に取り組む力などを伸ばします。子どもが遊べる環境を整え、大人も一緒になってそこに参加していくことは、さらに子どもの遊びを発展させさまざまな力を伸ばすことにつながります。
・子どもの興味・関心はなに?
①「Jが何を見ているか、何に興味を持っているのかを常に考えるようにしています。同じ絵を見ていても私はメインで描かれているライオンに一番に目が行きますが、Jは隅っこにいるてんとう虫をすぐに見つけて喜んでいる時もあります。なので子どもの視線の先をよく見るようにしています。また、Jの意見を尊重するようにしています。Jが何かしたいと言った時、出来るだけやらせてあげます。出来ないなら、その理由を誠実に伝えます。いつもではありませんが、説明して納得してくれることも多いです。」
②「どうしても、私が教えたい伝えたいが出てしまいがちなので、待つを意識して目線やしぐさをよく観察していました。そしてこんなことが言いたいのかなという言葉を、目を見て投げかけるようにしていました。」
・子どもが楽しいことを一緒に楽しむ
①「Kが笑ったこと、楽しい反応があったことは飽きるまで繰り返しやりました。1番難しかったのは、待つことでした。上の子達のときもそうでしたが、遊びに誘う、遊びを誘導してしまうことが多かったように思います。しかし個別でX先生から待つことの大切さを教えて頂き、Kのペースに合わせることができるようになりました。最初の2~3ヶ月は慣れない中やるだけでいっぱいいっぱいでしたが、月齢もあがっていくにつれ少しずつKからの反応が出てくるようになり、毎日楽しくやりとりできるようになりました。最近のKの流行りは「だるまさんが」の絵本の「どてっ」のページで、Kが本を持ってきてページを出すと何度も家族みんなで、ぬいぐるみで、「どてっ」と倒れています。とても楽しい時間です。」
②「子どもと話すときには表情と動きを大げさにしていました。顔だけでなく全身を使い感情を表現することや、遊ぶときには身体全体を使って一緒に楽しみました。遊んでいる動画を振り返ってみると、どちらが楽しんでいるか分からないくらいでした。」
3.スキンシップ、笑顔、オーバーアクションで気持ちを伝える
子どもにはっきりと感情が伝わるよう、とくに愛情表現は思いっきりハグするなどスキンシップで伝えるようにしている親御さんが多いです。愛されていることを実感できることは、子どもは「自分は愛されている」「自分はこのままの自分でいいんだ」という自己肯定感を高めることにつながると思います。
①「"大好きだよ"と伝え、たくさん抱きしめてスキンシップを大切にしています。特にCはダウン症で知能の発達も遅いため、大げさと思うくらいぎゅっと抱きしめ、世界で一番"大好き・愛しているよ"と感じてもらえるよう大切に思っていることを伝えています。・・日頃から、目が合ったら基本的には笑顔で接するようにしています。ですが髪の毛を引っ張られて痛い時などは、"髪の毛引っ張ったら痛いよ"と手話をして、悲しい顔を見せます。その時の状況によって子どもに分かりやすく表情を変えることもあります。
②「なんでも大袈裟に伝えました。喜ぶ事、褒める事は特に大袈裟に、簡単な手話と身振り手振り、もちろん声も出して伝えていました。ハイハイ前はただただ可愛くて褒める事しかないのでその頃はたくさん褒めてこちらもたくさん笑っていたような気がします。今は自我も出てきて可愛いだけではすまなくなってきているので、これから本格的に迎えるイヤイヤ期をどう乗り越えようかと悩んでいます。」
③「家族の中ではスキンシップを多く取るように心掛けています。嬉しい時、楽しい時、不安な時、悲しい時、腹立たしい時、どんなときもスキンシップをとって共感できるように日頃から一番大事にしています。私たちの中では1番大事なコミュニケーション方法です。」
4.全てのプロセスを見せる!生活のルーティーン化、場を離れるときは事前に話す
例えば聴児であれば、親が子どもの視界から消えても、近くで親が何かしている音がきこえていれば安心して待つことができます。しかし聴こえない子にとっては視界から予告なしに親が消えることは、「突然ママがいなくなった」のと同じです。そうした不安を抱かせないよう、事前に説明することが大事にされています。 また、行動や生活の全過程を可能な限り見せることは、子どもが不安にならないだけでなく、物事を関係の広がりの中でとらえ、それらの物事の意味や概念を広げたり次のプロセスを予想できる力を高めます。
・すべてのプロセスを見せる
「家にいて時間があるときはDを椅子に座らせ、テーブルにホットプレート、食材、調理器具を準備します。手話と声で"今からご飯作るよー!"と伝えます。Dはボウルや、ピーラー、まな板等に興味津々です。危なくないものは触らせます。また調理前の食材を触らせます。とにかくなんでもかじってみます。手に取ってかじるとこっちを見てくれるので"にんじんだね。オレンジ色だね。固いね。"とか"キャベツだね。緑だね。ヒラヒラだね。"など一通り確認します。次にピーラーで皮をむいたり、包丁で切ったりします。切ったものをまた触ったり、食べたりしてみます。"小さくなったね。バラバラだね"など確認します。この時点でもうテーブルや椅子の周りはぐちゃぐちゃですがとても楽しそうにしてくれます。切ったものを混ぜるなど準備を整えたら、ホットプレートで焼いていきます。ホットプレートで焼けている様子もよく見てくれました。ママのほうを見てくれたときは"焼いてるよ。"と伝えます。そして完成したものを少し冷ましたら手づかみで食べてもらいます。このような感じで食材や道具を見せる。切って調理する。という流れを見せることを出来るときにやってきました。」
・事前に予告する
「トイレに行くときなど娘の視界から離れる時は必ず言ってから行く習慣がつきました。誰かが急にいなくなることにとても敏感で、事前に言うことの大切さを感じています。また、朝起きたら今日の予定を説明します。事前に情報を与えることでその後がスムーズになると感じています。」(Aちゃん)
・掲示板で予定の視覚化
「まだ手話や文字がよく理解できないため、事前に写真カードを見せるなどをしていましたが、それも直前のため時系列を理解するにはどうしたらいいかを考えていました。同じひよこ組のママさんが写真カードをホワイトボードに付けていたところからヒントをいただき、家族全員が今日と明日で何をするのかを可視化できるようにしました。するとお兄ちゃんたちも面白がり、「今日は何の日?」と聞きながら自分達で替えたり、〇〇のカードもあった方がいいんじゃない?と提案してくれたりと家族で共有することができるようになりました。それを見てBも自分の写真を取ったりと毎日興味を持って見るようになってきました。また、人見知りや場所見知りがあり慣れるのに時間が掛かっていましたが、予定を伝えることで慣れるまでの時間が徐々に短くもなってきていると思います。」
・ルーティーン化
「1日の流れは毎日起床時間から就寝まで、その間のご飯の時間やオムツの確認時間は大体同じ時間に実施していました。成長に連れて多少の変化はありますが、大きな変化はありません。復職後もスケジュールは乱れないようにしています。正直なところ大変ですが、1日の流れが大体決まっていると子どもも体内スケジュールが整ってくるようです。私が何をするかまで理解っているようで、ご飯を催促してきたり、お風呂の準備を待っていたりします。上着やリュックを背負えば外に出るというのも分かっているようでウキウキが伝わります。スケジュールや行動のルーティーン化することで子どもの混乱を防ぐようにしています。時々違う行動をとると子どもがキョトンとした顔をした後に落ち着きがなくなることがあり、行動の一連化の重要性が分かるので気を付けています。」
5.写真カードや手話などの視覚的手段・視覚言語を使う
生後10か月頃になると子どもは自分が体験したことを記憶し、イメージを浮かべること

ができるようになります(右図)。この頃から「写真カード」が使えるようになります。また、言語が獲得されるためにはこの認知的な基盤の発達と、親子関係の中でお互いにモノ・コトが共有できること(三項関係)が必要かつ大事なことです。しかし、この互いに経験を共有し共感するということがきこえる子ほどすんなりとはいきません。そのための練習や努力、工夫が必要になります。
①「見せる、指さす、ジェスチャー、手話、色々な方法で見てわかる情報を与えています。簡単そうですが最初のころは「聞こえない」ということを忘れてしまい、なかなか定着しなかったですが、最近やっと私の中で当たり前になってきました。」
②「実物や写真カード、動画などを見せながらコミュニケーションをとりました。」
6.家庭の中での工夫・共働きでの工夫
①「Kには6歳と4歳のきょうだいがいます。普段からKばかりにならないよう、聞こえるきょうだいにもなるべく同じように接することも気をつけている事のひとつです。K以外とのやりとりにも少しずつ手話を取り入れることも目標としていますが、まだまだ手話が追いつかず、声での会話がほとんどになってしまいますが、そんな中でもきょうだいが手話を覚えてくれたり、Kに手話で伝えようとしてくれているのを見て嬉しく思い、これからも少しずつ頑張っていきたいと思います。」
②「夫のコミュニケーションの取り方としては、子どもの顔をよくみて話しかけていました。仕事で遅くなる時が多く顔を合わせられない日もあるなかで、時間を作っては傍に寄って話かけていました。離れたところにいても声をかけるときは必ず傍に寄っていました。できるだけたくさん話しかけるように心掛けていたそうです。子どもが自分に興味を持つようにと、たくさん話しかけることで言葉にも興味を持ってほしいという思いがあるそうです。夫は仕事が忙しく中々手話を覚えることができていないのですが、関わりが増えていくほど子どもは夫の顔をよく見るようになっています。」
③「保育園に通う毎日の中で、私がKと関わる時間はどう頑張っても他の子達より少なく、その分どうしたらいいか、先生に相談しながら試行錯誤の日々でした。毎朝起きたら、おはようの挨拶のあと抱っこして外の景色を見る、晴れ、雨、曇りだけでなく雲の位置や鳥がいる、飛行機が飛んでいるなど、少し指さしと手話を交えてコミュニケーションをとるようにしています。」
7.親仲間・成人聴覚障害者との出会いから得たもの
都立ろう学校乳幼児相談では、①聴覚障害児教育・支援の専門家(エキスパート)との出会い、②ローカル・ナレッジをもつ成人聴覚障碍者(ロールモデル)や先輩保護者(ピア)との出会い、③同じ障害を持つ親仲間との出会い、そして、④もう一つの言語である手話との出会いを大切にして相談支援を行っています。そのような支援の中で保護者自身の前向きな変化がみられます。
①「ひよこ組に通うようになり、同じグループのママさんたちや元気な子供たち、先生方に触れていくうちに自然とそのようなこと(難聴があること、治らないということ等)は考えなくなりました。
また自分の中で大きく考え方が変わったのが、保護者講座などで活き活きと活躍する若い世代の人たちの姿を実際に目の当たりにすることができたのも大きかったです。ろうや難聴の世界は自分にとって未知の世界であり未来が見えない状態だったのが、きらきらした人たちがたくさんいて我が子もこんな風になって欲しい!と思える方々にたくさん出会えました。こういった数々の出会いに前に進むことを後押ししてもらい今があると本当に心から感謝しています。」
②「まずはCを通して、ろう者・難聴者の世界を知ることができたことに感謝をしています。ダウン症+重度難聴児として、はじめはどうやってコミュニケーションをはかれば良いのか、Cが思うこと私が伝えたいことは互いに通じ合えるのか不安がありました。しかし、先生方や講師の方々からのお話しやアドバイスをいただいたことや、ひよこ組の仲間たちの頑張りを見ることでその不安も前向きな考えに変わっていっている自分がいました。」
③「先生方から教えていただくことは、娘を育てていくための道しるべとなりました。講演会での当事者のお話や専門家のお話は未知のことが多く、刺激になりました。手話の勉強会に参加したり、ろうの先生とお話したりすることで手話での会話が好きになりました。そして、同じ聞こえない・聞こえにくい子を持つ親御さんと出会い意見を交流することでモチベーションがあがりました。そしてママさんたちのおかげで「ろう学校に通うこと」は「努力したこと」ではなく、「楽しみなこと」になりました。」
〇おわりに
ろう学校乳幼児相談に通われた12人の保護者の手記を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。今日本の教育は、これまでの認知・学力を重視してきた考え方を修正し、「目

標を達成する力」「他者と協同する力」「感情をコントロールする力」といった『非認知スキル』が重視されるようになっています。地球規模で起こる様々な難題、10年先が見通せない「不確実な時代」ということを考えると、単に「頭がよい、勉強ができる」だけではやっていけない時代になってきています。
昔からのことばでに「知・情・意」ということばがありますが、「知」はもちろん大切ですが、それだけではなく「情・意」の部分が、より求められる時代になってきているともいえるでしょうか。「知(あたま)」だけでなく「情・意(こころ)」を育てるということは、「きこえるかきこえないか」以前の私たちが生きていく上での土台となる力だと思います。難聴のお子さんと保護者の方が最初に訪れる都立聾学校乳幼児相談は、その土台となる「こころ」を育てることを大切にしてきた支援機関です。そのことが12人の方の手記から読み取っていただけるのではないかと思います。
〇新生児聴覚検査「リファー」から「確定診断」まで
最近は、出産後、OAE(耳音響放射)やAABR(自動聴性脳幹反応検査)を用いた「新生児聴覚スクリーニング検査」(以下、新スク)が産院や病院産科、小児科等で実施され、その実施率は、地域差はあるものの90%以上と言われています。ただ、この検査ですぐに聴覚障害の有無が判断できるわけではなく、「再度詳しい検査が必要」という「リファー」(要再検査)という判断が示されるだけです。そして精密検査のための耳鼻科医療機

関が紹介され、障害の有無がわかるまでにはさらに3,4か月ないし数か月という時間がかかります。そのため、保護者は「聴覚障害があるかもしれない」という不安を抱きながら耳鼻科での診断結果を待つことになります。ただ、少し正確に言えば、障害に対するネガティブな意識・価値観から不安を抱く人のほうが多いのは事実ですが、「命にかかわる障害ではないから」と比較的早くに立ち直れる人や、手話への社会的認知が進んだことなどもあってか「異文化の」わが子というと

らえ方をする人もいますし、自身が聾である親御さんの場合などは「同じ聾者であってよかった!」という人もいますので一概には言えません。このように比較的ポジティブにとらえられる人はよいのですが、障害というものに初めて自分がかかわることになった人にとっては、生まれてきた赤ちゃんとの関わり方にマイナスの影響が出てしまいがちです。あとで振り返ってみて「あの頃は子どもを抱く気になれなかった」とか「子どもをみるよりスマホをみる時間のほうが長かった」などと言われる方も少なくありませんから、この時期はやはり将来や子育てへの不安、どちらにも決まらない居心地の悪さや憂鬱さといったネガティブな心理状態に置かれる期間になりがちです。
子どもとのコミュニケーションの土台を築くこの時期はきこえる、きこえないにかかわらず、お母さんをはじめお父さんご家族の愛情たっぷりな笑顔とスキンシップで、赤ちゃんと全身で触れ合う経験をたくさんすることですが、なかなかそうした気分になれないということになります。ですからご主人やご家族を始め、地域の保健師さん、ときには聾学校乳幼児相談といった専門の方からの心理的なサポートが必要な時期だと言えます。
〇確定診断後の子育て
その後、耳鼻科で精密検査を経て確定診断になりますが、その時期は、だいたい早くて生後3、4か月、遅い場合は生後6、7か月を過ぎることもあります(聴力が軽い場合のほうが遅い傾向)。
さて、生後6,7か月というと、赤ちゃんはどのような発達の時期にあるのでしょうか?
少しずつ記憶する力が発達し、経験したことのイメージが持てるようになります。ママの顔はしっかり覚えているので見知らぬ人があやすと泣いたりする「人見知り」も始まります。また、聴児であれば、9か月では「外のいろいろな音(車の音、雨の音、飛行機の音など)に関心を示し、そちらに這って行くとか見回す」「隣の部屋で物音をたてたり遠くから名前を呼ぶと振り向いたりはってくる」(田中・進藤「聴覚言語発達リスト」)時期で、音によって環境を認知する力が発達してきますが、きこえない子は耳を使って環境音を察知できませんから、視覚に配慮した関わりが必要になります。つまり、この頃からきこえない子へのかかわり方への配慮や工夫がなされることが大事ということになります。では具体的に、きこえない・きこえにくい赤ちゃんと、どのようなかかわりが望まれるのでしょうか?
〇0~1歳代(乳幼児初期)のきこえない子の子育て
この頃の難聴児の発達や支援について書かれた書物等を改めて調べてみましたが、残念ながら参考になる一般向けの書籍は皆無。主に専門家向けの分厚い書籍(B5版284頁)であ
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る『聴覚障害のある子どもの理解と支援』(学苑社,2021)に、ほんの少しだけこの時期の難聴乳幼児へのかかわり方が書かれています(右ファイル参照)。
それはパワーポイント1枚でまとめられる内容で、かかわり方の要点をまとめればこういうことなのでしょうが、では具体的にどうすればいいのでしょう? 親子の愛着関係を築く大切な時期の記述がこれだけ?と思うのは私だけでしょうか。
考えてみれば0~1歳代の難聴児の支援は、この時期は聴力の確定や補聴器の装用、人工

内耳手術など聴覚補償についての支援が中心であり、「前言語期」と呼ばれてきこえない子とのかかわり方や子どもの心理面での成長についてあまり実践的に深められてこなかったように思います。そしてそのことが、「心の理論」課題やSDQ尺度(子どもの強さと困難さアンケート日本語版)の「仲間関係の問題」で課題を残すなど、難聴児の人間関係や心理的な面での課題として、学童期や青年期といった時期に出現するのかもしれません。

しかし、聾学校乳幼児相談とくに都立のろう学校では、この20年くらい手話も含めた立場から、よい親子関係を築くための支援、子どもの自己肯定感を伸ばすための支援を大切にしてきています。最近流行りの言い方をすれば「非認知面」での支援を重視し、そのことが結果的に「認知面」での発達にも好影響を及ぼすことが確かめられています。ではその支援とはどのような支援なのでしょうか。ここではその支援の内容・方法についての概要的な説明ではなく、2つの都立ろう学校乳幼児相談に実際に通った保護者の0歳児修了時のまとめ(手記)から支援の在り方について、その評価も含めて具体的にみてみたいと思います。
〇新スクから現在(0歳~1歳後半頃)まで、どのように子育てをしたか?
以下に引用するのは、二つの都立ろう学校乳幼児相談に通っておられた0歳クラス修了時の保護者12名の手記です。新スクから0歳クラス修了に至るまでの子育てを、どんなことを大事にし、どういうふうに工夫してやってきたか、そして今のお子さんの様子や親御さんの思いなどを紹介します。最近、新スクを受けてリファーとなったお子さんや聴覚障害の診断が確定したというお子さんをお持ちの親御さん方には、これからの子育てに関して大いに参考になるのではと思います。今回は12名のお子さんのうち比較的聴力の重い(90dB以上)6名の方の手記を以下に紹介します(次回は比較的聴力の軽い方と新スクを受けなかった6名の手記の紹介)。
*以下、幼児名はA,B,C・・で、指導者名はX,Y,Zで、都立ろう学校名は、P,Qで表記。
手話の獲得過程については、このHPでも時々書いてきました。例えば、以下のような記事を参考にしていただければ、0歳~2歳頃の難聴児の言語発達の概要がわかります。
①
「新スク後の0歳児の認知・言語発達とその支援のために」
http://nanchosien.com/cat50/post_260.html
② 「1歳の言語獲得から2歳の言語獲得へ」
http://nanchosien.com/cat32/12_2.html
〇手話とは別の言語である日本語は、どのように獲得されるか?
さて、上記①②の記事の中で、1歳の言語獲得の特徴として、例えば「イヌ」と言えば自分の家にいる犬だけが「イヌ」と思っていることもあり、その意味で1歳の言語はまだ、一つ一つのものに名前をつけた「ラベリング」状態であると書きました。しかし、他のいろんな犬や猫と出会う中で、「イヌ」とは犬種のちがいを越えて全て「イヌ」であることがわかってくる、それが2歳の言語獲得だと書きました。つまり、いろいろな動物に出会う過程で、「同じー違う」という思考を駆使して、犬という「同じ種類のもの」を一つのグループ(カテゴリー)で括れるようになります。
やがてその「同じもの」という括りは、さらに大きな「同じ」種類、例えば「ペット」などという括りやさらに大きな「どうぶつ」という括りがあることに気づき、聴児であれば3歳ごろには犬や猫、牛、豚、象、きりんなどを含んだ「どうぶつ」という大きなカテゴリー(上位概念)で括れるようになります(但し、耳から「ききかじる」といった偶発的な学習が成立しない難聴児の場合は、意図的にそのカテゴリーに気づくようにすることが必要です)。
この、カテゴリーでくくっていく、仲間をつくっていくプロセスには当然、あるものと別のあるものという複数のものを「くらべる」という思考のプロセスが含まれており、くらべて「同じ」ものをくくっていくわけですから、

〇二言語を獲得するために必要な力~関係を考える力の発達
上に述べたような、なにかとなにかの関係性を考える力の発達は、次の段階である「大

小・長短・明暗といった「比較概念の発達」にもつながってきますし、手話と日本語という二つの異なった言語の獲得にもつながってくると考えられます。その具体的な様子を保護者の育児記録の中から拾ってみます。
右のファイルの事例は1歳児が壁に貼ってある指文字表に関心を示している様子です。この段階はまだ子どもは手話の獲得過程であり、一言語が獲得されている段階です。この時の子どもは、まだ手話と同じものとしてあるいは手話の延長として指文字をみていると推測されます。日本語の音韻が理解できているわけではありません。
〇聴覚活用タイプの子どもたちの日本語獲得

しかし、先ほど述べたように、2歳頃になって、包丁とまな板、コーヒーカップとお皿など複数のものを関係づけたり、手話で2語文が出たり、大小・長短といった比較の概念が育つなど、関係を考える力(認識する力)が育ってくると、人工内耳を含む比較的聴力のよい子は、音声で獲得され始めていた日本語が手話という言語と同時に入力される過程で、音声日本語と結びついてきます。もちろん、手話と音声が全てのことばにおいて結びついているわけではなく、手話だけの単語もあれば、口話だけの単語もあります(事例
J児・K児)。このように別々に獲得が始まった音声日本語が手話と併用されることで意味的に結びついてくるわけです。
またA児のように聴力70dB であっても、音声による音韻の100%の弁別

は難しく、文字や指文字によって音韻が視覚的に提示されることで、正確に理解することが可能となり、手話・口話を併用するメリットはここにあると言えます。また、このことから、日本語の音韻を100%区別できる文字や指文字がなければ、難聴児は音声だけで日本語を言語として習得することはできないことが理解できます(ソシュール、1916)。このことはきちんと理解しておく必要があるでしょう。


〇指文字・文字タイプの子どもたちの日本語獲得

次に、指文字・文字活用タイプの子の日本語獲得についてみてみます。
手話からスタートした子も、二つのものごとの関係について考えられるようになると、手話で表される単語が、もう一つ別の表し方(指文字や文字)でも表現できることがわかるようになってきます。つまり、「同じ意味をもつことば」が手話と日本語という言語的な違いを越えて括れるようになるわけです。

右の事例は、2歳3か月(90dB)の子どもです(右ファイル)。この子はすでに「うさぎ」の手話表現は獲得しています。ママは、この子に指文字で日本語を教えたいと思い、テレビ番組の中で興味を示したうさぎに手話だけでなく、「ウ・サ・ギ」と指文字で表示します。その段階では子どもに「うさぎ」の意味は理解されていません。しかしその後、絵本、あそび、うさぎの絵などに触れるたびに「ウ・サ・ギ」と手話と指文字での表現を繰り返し、
この子は、「うさぎ」が手話だけでなく、「ウ・サ・ギ」という3つの指文字(音韻)でも表されるということに気づきます。指文字を通して日本語という言語を発見するわけです。実は私たちはことばを子どもに教えることはできません。私たちに出来ることは、子どもが発見できるように、言語獲得の機会、環境条件を整えることだけです。この事例でも、何度かのチャンスを経て、子どもが「ウ・サ・ギ」という表現方法に自ら気づいたわけです。これが言語獲得です。「いないいないばあ」を見ていてウサギに興味を

示したことをきっかけに、ママはそれを日本語獲得のチャンスととらえ、指文字で「うさぎ」と表示します。その後、あらゆる機会をとらえて指文字で表現しているうちに「うさぎ」の指文字表現が、実物のうさぎと手話の「ウサギ」と同じなんだと子どもはある時気づいたわけです。このようにして手話からスタートした子も、定型発達の子どもであれば2~3歳の頃に日本語を獲得し始めます。
ここからは、私たち聴者が日本語を使って英語を身に付けたプロセスと似ています。す

でに概念として獲得している手話言語を使って、二つ目の言語としとの日本語を獲得していくわけです。
そして、そこにおいて大事なことは、一日のうちでどれだけ日本語に触れるチャンスがあるかという頻度です。その点、音声言語も同時に使っている軽中度難聴や人工内耳の子どもは、日本語に触れるときの情報量やチャンスが多くなるので(但し難聴児は、周囲の人のことばを「聞きかじる」ことは出来ないので配慮が必要ですが)、日本語獲得に関する音声併用のメリットはあります。
一方、聴力的に厳しい文字・指文字中心の難聴児は、大人との関わりの中で、日本語を「見せ」「使う」機会がどれだけもてるかがポイントになります。そうした周りの大人の努力が幼児期(幼稚部)の3年間、やはり必要になるのです。
〇ある聾学校幼児の日本語力の結果から
以下のグラフは、Jcoss(日本語理解テスト)という語彙・文法力を測定する検査を用いて、幼児・児童の日本語力を調べた結果です。20項目の語彙・文法力のうち何項目
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「通過」したかを年齢ごとの平均で出しています。一つ目のグラフは、縦軸に通過項目数、横軸に学齢をとり、①聴児(白点線、中川2010)、②聾学校(白直線、中川2010)、③B聾学校(橙色直線、木島2011~2016平均)、④その他聾学校(緑直線、木島2011~2016平均)の4つに分けて、学年別にそれぞれの平均値をとり線で結んだグラフです。それによると②と④の聾学校平均値はいずれも伸びが穏やかであり、就学時点で小学校の学習を行うのに必要なレベル(白直線・聴児平均10項目通過)に達していないことがわかります。しかし、発達早期から手話を導入しているB聾学校では年長(幼3)時点で8.3項目通過。聴児のレベルにかなり接近していることがわかります。また、小学校入学以降も順調に伸び、聴児平均にかなり近いところまで伸びています。このB聾学校は公立聾学校ですが大学進学率が直近7年間の平均でほぼ60%。その実績はこのグラフからも裏付けられているといえます。
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その下のグラフは、このB聾学校の子どもを聴力90dBを境にして、軽・中度群(24名)と重度群(18名)に分け、さらに人工内耳装用児(5名)を別にして、計3つの群に分けて、それぞれの群の学年別の平均通過項目数を調べたものです。それによると、①年少時(幼1)ではそれぞれの群とも聴児群よりも低い値であること、②年少時、軽中度群は重度群より有意に高い(有意差1%水準)ことがわかります。これは日本語獲得における聴覚活用併用の効果が出ていると思われます。③しかし、年長時(幼3)では、重度群の日本語力も伸び、3群とも小1教科書にほぼ対応できるレベルである7項目以上通過に達しています。④さらに小1年時には3群間の有意差は解消し、以降、どの群も順調に伸びていくことがわかります。
〇まとめ(年齢は目安。個人差あり)
・0~1歳頃に手話からスタートして、手話1語文の時期を経て、1歳半~2歳頃に始まる複数のものごとの関係を考える力の獲得を土台にして、2歳頃より2つ目の言語である日本語
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獲得の準備が整ってくる。
・2歳以降になると、すでに獲得している手話と音声とが、または手話と指文字(文字)とが結びつき、日本語の単語が獲得され始める。
・3~4歳以降、就学までの3年間は、子どもが一日の時間の中で、大人との会話、絵日記、絵本、ことば遊び等を通して、可能な限り日本語に触れる機会・時間をもつことが重要になる。
・とくに聴覚からの日本語入力が制限される重度難聴児は、文字・指文字による日本語入力が中心になるので、大人の側の意図的な配慮など日本語環境を整えることが欠かせない。
難聴児の日本語獲得を考える上で大事なことは、抽象的思考、論理的思考ができる学習言語レベルの書記日本語の力を身に付けることです。これまで難聴児は『9歳の壁』を越えられないと言われてきましたが、決してそうではないことが今回の記事から理解していただけるのではないでしょうか。
はじめに
最近は、新生児聴覚スクリーニング検査(以下、新スク)によって難聴であることが、早くからわかるようになってきました。「1-4-6体制の構築」などと言われ、生後1か月でスクリーニング検査による「リファー」(要再検査)児の検出、4か月で耳鼻科医による確定診断、そして聴覚が発達してくる6か月頃から療育・教育機関で支援を受けるという流れが理想と考えられています。確かに厚労省なども難聴児の「切れ目のない支援」をうたい、難聴が発見された子どもへの支援は、少しずつ充実しつつあるといってよいと思います。
しかし、早期に発見するということは早期の支援につながるという利点がある一方で、「障害」が早めに発見されることでその分、保護者とくに母親の障害に対する心理的不安もその分早く来るのも事実です。つまり、難聴という「障害」がわからなければ、「きこえる子」として母親はわが子に関わるわけですから、ある意味「ふつうに」愛するわが子として育てることができます。そして、その関わりが子育てにとって最も大事なことですから、生後半年くらいまでは、きこえる・きこえないに関わらずそれで全く問題はないわけですから、わざわざそんなに早く発見する必要はないのです。そして、きこえないこと」への配慮として必要な補聴器の装用は、音声言語の子音である「規準喃語」が発生してくる生後半年くらいからでよいので、理想的に言えば、生後5,6か月できこえの検査が行われ、難聴が発見された時点で「きこえないこと」が告げられ、子どももそこから補聴器の装用を始めればよいわけですが(「1-4-6」体制でなく「5-6-7」体制?)、生まれた全ての赤ちゃんにABR(聴性脳幹反応)を耳鼻科医等で実施することは実質的に不可能なので、やむなく誕生時に検査をするのが「新生児聴覚スクリーニング検査」なのです。そして、結果的に、早めに発見されてしまうことで、自然な親子の関係が逆に「危機」にさらされるというリスクを負っている。しかし、発見できた子どもにとっては早期発見のメリットの方が大きいというわけで、リスクとメリットを天秤にかけて実施されているということになります。
では、そのような母親の心理的不安への専門的な支援をだれがするのかといったら、そ

のことにはほとんどだれも関知しないのが現状で、そのことを危惧した私が事務局を担当していた全国早期支援研究協議会から右のような冊子を出版し、朝日、読売、毎日、NHKラジオなどで紹介されました。不安と混乱に陥った親御さんたちの心理的支援のための冊子です(300円,HP出版物一覧参照)。そしてまた、心理的支援が可能となる公的なシステムの構築の必要性を訴えてきましたが、全国に新スクが拡がっていく中でこの問題は埋もれていきました。
それから20年近くが経ち、今は、「リファー」となった親御さんたちは、聴覚障害とはどのような障害なのか、SNSで調べまくるというのが現状でしょう。幸いなことに、と言うべきかわかりませんが、最近はInstagram等のSNSが発達しており、同じ思いをした、ある意味、先輩のお母さん方が体験を語っており、そうした記事を読んで難聴について、新スクについての知識を得ているというのが現状です。国や自治体がなにもしない部分を補っていることになるわけですが、あくまで私的な立場での情報交換の場でのことであって、本来は、公的な支援が行われるべきであることには変わりありません。
〇ゼロ歳児の認知と発達について
さて、ここで私は0歳の難聴の赤ちゃんの言語・認知の発達について書きたいと思います。認知と言語の発達を客観的に知ることは、「きこえないからきこえるようにしよう」という表面的な対応だけでなく、難聴をもった子どもの将来の生き方につながる言語と思考の力をどう育てていくかという大切な問題につながることだと思うからです。

さて、生後6か月までの赤ちゃんとお母さんとの関わりは、きこえるかきこえないかに関わらず愛情たっぷりにきこえている子のように育てればよいということは先ほど述べましたが、聴覚障害の認知・言語の発達に聴児との違いが出てくるのは、「喃語」の発達ということからです。喃語には、二種類の喃語があって、一つ目の喃語は、生後2か月頃から発声する「アーアー」とか「ウーウー」とか言う「過渡期の喃語」です。この喃語は生得的に生ずるもので、きこえる・きこえないに関わらず生じるので、聴覚障害とは関係ありません。

もう一つの喃語は、「規準喃語」と言われる喃語で、これは、耳からきこえてくる音声を学習して発生するものなので、きこえる子ときこえない子では違いが出てきます。
武居(1999)は、重度難聴児のケース・スタディーから、重度難聴児は音声での「規準喃語」は生じず、代わりに手をひらひらするなどの「手指喃語」(しゅしなんご)が生じ

ると言っていますが、確かに、筆者(木島)が行った保護者からのききとり調査でも、その傾向がみられました。筆者の調査では、裸耳聴力が80dBあたりを境に、それより聴力の軽い子では音声喃語が生じやすく、重い子は手指喃語が生じやすいという傾向がみられました。つまり、補聴器を装用しても裸耳聴力80dB以上の難聴児は手指喃語が、それ以下の難聴児では、音声喃語が生じやすいという傾向です。
〇音声言語、手話、初語はどっち?

わたしが調査したお子さんたちは、全員が補聴器を装用していますが、手話も使っています。つまり、音声言語も手話言語も、両方が同時に提示される方法です。しかし、初語として出現するのは、聴力に関係なく手話でした。これはある意味、当然の結果です。なぜなら、言語が成立する要件である、音韻の100%の区別は、どんなに性能の良い補聴器をしたとしても、やはり難聴である以上、難しいからです。例えば、散歩のときにママが「イヌだね~」といったとしても、1歳前後の難聴児の耳に届いていることばは「イヌだね~」という明瞭な音声ではなく、せいぜい「イウアエ~」という母音程度の弁別しかできない。そのために音韻が100%区別できず言語としてまだ成立しないということだと思います(ソシュール,1916)。しかし、その点、手話の音韻を形成する「形」「位置」「動きの方向」は、視覚障害でない限り100%弁別ができるので、言語として成立します。また、言語の成立に必要な象徴機能(symbol)という点からみても、手話は、実物を視覚的にイメージしやすい(図像性がある)という利点があり(例えば「イヌ」であれば、犬の耳をイメージした手の形を頭につけて前に2,3度倒す)、言語として獲得しやすいということでしょう。その結果を4人の事例で表にしたものが右のファイルです。確かに、手話の獲得は音声言語に比べても早いことがわかります。
〇言語が獲得されるための要件は?
では、こうした言語が獲得されるために、どのような条件が満たされる必要があるので

しょうか? これまでの研究から言われていることは、ママとの愛着関係(社会的相互関係)と象徴機能の発達という2つのことです。愛着関係の中で大事なことは、「ねえ、見て見て!」という指差しによってママと子どもとの関係の中で、モノを挟んで「三項関係」が成立することです。
これともう一つは、象徴機能(シンボル・symbol)の発達ということです。シンボルとは、わかりやすく言えば実物の代理物。私たちは、あることについて考えたり、誰かとコミュニケーションしたりするとき、頭の中

にイメージを浮かべたり、言語を使って考えをまとめたり、言語を使って人に伝えたりします(頭の中の自分が描いているイメージを他者が直接見ることは不可能なのでイメージは自分だけのもの)。それによって、実物がなくても、頭の中で考えたり、人に伝えたりすることができます。こうした実物に代わるもの(記号)をシンボルと言っています。
赤ちゃんは生後6か月を過ぎると、実際に自分が体験したことをシンボルであるイメージを使って頭の中に記憶します。その記憶イメージがあると、その時に撮った写真などを

みて思い出すこともできます。この時、写真も実物の代理物ですからシンボルということができます。写真はお互いに共有できるシンボルです。このようなシンボルは、ほかにもいろいろとあります。遅延模倣(やったことを思い出して動作で表現すること)、やったことを思い出して積木、粘土、砂、描画なども、自分の頭の中のイメージをかたちとして表現する方法で、これらの素材は全て実物の代わりとして使われているものですから、シンボルです。そして、実物の代わりとして使われ、だれにも通じる言語こそシンボルの究極の表現形態ということができると思います。こうしたシンボルを年齢と共に高度にしていくことが認知の発達です。例えば、数学

や理科で使うような数字とかアルファベットなどもシンボルです。こうした高度なシンボルを使うことで、実際には目には見えないことも頭の中で考えることができたりします。抽象的で高度な学問には不可欠なものです。
右の表は、社会的相互関係のあらわれである「指差し」や「共同注意」、象徴機能のあらわれである遅延模倣などをみる観点を整理
したものです。また、その下の4人の事例

の記述は、保護者育児記録にみられる発達の様子を抜き出したものです。これらをみると、音声言語や手話言語獲得前後の喃語や初語の出現の様子や指差しや共同注意、遅延模倣などのシンボルの出現などの発達状況がよくわかります。
また、こうした記述から、言語が獲得されるために必要なこと、例えば、発達障害が合って言語獲得の兆候があまり見られない子どもの支援を考える際に、スキンシップのある遊びなどをすることで「もっとやって」という他者への要求を育てようとか、やってほし

いことを伝える時、「クレーン現象」(他人の腕を欲しいものにもっていく)ではなく、写真カードや絵カードなどのシンボル機能を持ったもので要求できるようにしようとか、好きなリズム運動を使って、模倣する力を育てようとか、言語獲得のために必要な手立てを考えるヒントにもなると思います。
最も大事なことは、子どもの認知(思考)・言語発達を促すことです。きこえなくとも深く考える力、想像し創造する力、言語で理解し表現する力があれば、仕事をして社会の中で活きていくことができる時代です。そのための力をつけていきたいものです。



聴覚障害確定診断前後って、「きこえない子にどう声掛けたらいいいの?、どう関わったらいいの?(だってきこえていないでしょ?)」ってわかりませんよね。そこで、今回は「子ども(赤ちゃん)への声かけ」についてあるママさんの体験を語ってもらいました。
以下、お子さんは、今、1歳6か月。里帰り出産。新スクは受診せず。6,7か月健診で「きこえの検査」があり、耳鼻科医に紹介され、精密検査の結果難聴と診断されました。現在は80dBと言われています。8か月からろう学校乳幼児相談に通っています。
Q1.病院で確定診断の時、どのように言われましたか?
「耳の構造には異常はないが、何らかの原因で難聴と判断されます、まずは補聴器をつけて言葉を入れていきましょう。そして原因も調べていったほうがいいかもしれません」と言われました。 そのとき思ったことは「やっぱり聞こえていないのか」とは思いましたが、ここまで気が付かないほど元気で成長してくれていたし、それはそれだ!とそこまで落胆することもなく、とりあえずはっきりして良かったと思いました。
また、結果を聞くとき、難聴そのものについての知識が不足していました。例えば感音性難聴や伝音性難聴といったものがそれぞれどう聞こえるのかなどわかっていませんでした。感音性難聴は言葉や音が小さく聞こえるだけでなく、聞こえにひずみがあるということなどの具体的な説明もしていただけていればよかったかなと思います。そうすることで補聴器をつければ言葉や音が入ると勘違いすることもなく、また、周囲の人にも正しく説明し理解してもらうことが可能になると思います。
Q2.病院で人工内耳をすすめられましたか、その時どう思いましたか?
なかなか補聴器が常用できていないことを病院で伝えた際、「1歳過ぎたし、人工内耳の選択を考えるのもありかも?」と言われました。 「少し考えてみてお話を聞いてみようと思った際にはご説明お願いします」と返答しました。その時は説明だけでも聞いたほうがいいのかな?と思ったりもしたが、人工内耳をしたからといって完全にきこえるようになるわけではないこと、いろいろ制限もでてくること、なにより手術が必要になるのが怖かったので説明をお願いすることはありませんでした。 現在、口話と手話を使っていますが、娘も手話を使って意思表示してくれたりと、1歳半でのコミュニケーションは取れているのかなと思っているので、人工内耳をしようとは今は思っていません。娘が将来人工内耳を希望した時に検討するのでいいのではないかと思っています。
Q3.補聴器開始時期と常用できるようになった時期はいつ頃?
補聴器装用開始は8か月。開始してしばらくはろう学校でのグループ活動を行っている1~2時間、家では30分つけることが出来たら良いほうでした。常用できるようになったのは1歳3か月頃から。補聴器への慣れや調整がうまくいったからなのか、いきなり長時間つけられるようになり、今では一日中でもつけることが出来るようになりました。それまでは無理強いして補聴器をつけること自体を拒否するのが怖かったので、少しずつでいいやという気持ちで娘のペースに合わせていました。
Q4.療育機関として、どうしてろう学校を選択しましたか?
ほかの機関の存在を最近まで知りませんでした。事前に相談させていただいていたこともあり、確定診断を受けたということを相談させていただき、その流れでろう学校に通い始めました。初めてろう学校を訪ね見学させていただいた際、一人一人の子供にとても丁寧に向きあわれているということが素敵だなと感じました。

ろう学校のでは、個別相談では、娘との関わり方を見ていただきアドバイスをいただいたり、娘が興味を持っているものを一緒になって遊んだりしています。
0歳児のグループでは、体操(スキンシップ)、難聴疑似体験、手話の勉強会、ビデオをみて関わり方の学習会(家庭でのやり取りをビデオにとっておき、みんなで見て気づきや改善点等を話し合う)、聾の方やろう難聴の子を育てた親御さんの講演会等も貴重です。また、ほかのお母さん方とご一緒させていただき、いろいろ気づきをいただいたり、やる気をもらったりとモチベーションを毎回アップさせて頂き、どうしたら子どもとより良い接し方ができるのか考える機会をたくさんいただいている場です。娘もとてもいきいきと楽しく過ごしています。
Q5.お子さんとのかかわりでいちばん大切にしてきたことはなんですか?
一番気をつけていたことは「目線を合わせる」ということです。聞こえにくい子を育てるうえで大切なこととして教えていただいた目線を合わせること、簡単そうで非常に難しかったです。目線を合わせるということに意識してみると、長男(聴児)を育てるうえでどれだけ声に頼っていて、目線を合わせずにすましていることが多かったのか実感しました。最初の内はそんなに長い時間目線も合わなかったので、こちらが伝えたいこともなかなか伝えられず、必死に娘(難聴)の目線に入るよう努力しました。また、途中で目線が外れたとき、次に合うまで「待つ」ということも心がけています。といっても、待つことは本当は得意ではありません。なので「待とう!」と意識するようにしています。

また、娘が考えたり思っていること、興味を持っていることが何なのかを常に考えるようにしました。そのためには、娘の行動や目線の先をよく観察することにしました。例えば、目線の先にハトがいたら、「ぽっぽだね」と手話と共に言うようにしています。また、娘を観察していると娘なりの手話を発見することができるようになりました。その際には、「そうだね!〇〇だね!」と同意や共感を手話と共にするように心がけています。
(高度難聴児の場合、手話の喃語が8~10か月頃に出現することが多いです。それを手指(しゅし)喃語と言いますが、聞こえる子は音声の喃語が出ますが、とくに高度難聴児は声のかわりに手が喃語の代わりをし、それが意味を持つようなると手話の初語になります)
Q6.子どもとの生活習慣で大事にしてきたはなんですか?
生活習慣で大切にしていることはこれからする行動を伝えるということです。例えば、私がお手洗いに行くときには「ママ、お手洗いに行ってくるね」と手話と共に伝えてから行くようにしました。1歳前、「お手洗い」の手話もまだ理解できていなかったときは、私が立ち上がると不安になってすぐに泣き始めていましたが、「お手洗い」の手話を理解し始めると、私が立ち上がり泣こうとしても、「お手洗いに行くから待っててね」と伝える

と、納得したようについてきたり、先回りするようになりました。
外出する際も、これから行く場所を写真カードを使ってきちんと事前に伝え、娘にとって瞬間移動になることがないようにということも心がけています。
(写真カードは、物事の記憶ができるようになる生後7,8か月頃から使えるようになります。ですから、よく行く「スーパー」とか「ろう学校」の写真を見ると、いつも行っているところだ、と安心でき、これからやることを予想することができるようになります)
Q7.これまでで、ママが努力してきたことはどんなことですか?
娘と密に付き合うためには時間が必要でした。どちらかというと、一日にたくさんの予定を入れ、どうすればこなせるか考えながら生活していました。しかし、一つ一つのことを丁寧にしようとするとどうしても時間が足りず、丁寧に付き合うことができなかったり、今日はできなかったことがたくさんあったな、と後悔したりしていました。そこで、とりあえず予定は詰め込みすぎないようにし、気持ち的にも時間的にも余裕をもち、娘と向き合うようにしました。
Q8.きこえないお子さんが生まれてママの中で変化したことはありますか?
私はもともと出不精なのですが、娘は外へ出ることが大好きです。よく靴を私にもってきて外へ出ようと誘ってきます。また、お風呂あがりのお着替えは気が乗らないのかとても時間がかかりますが、外へ行くための着替えはとても協力的で早いです。以前はコロナのこともあってなかなか外へ出たいとは思わなかったのですが、娘をみていると、家の周りを散歩するだけでも!と出かけるようになりました。娘と一緒に散歩すると今まで気が

付かなかったことに気づかされます。たとえば、娘は駐車場の回転灯が気に入っているのですが、こんなところに!というところにある回転灯を発見し、ぴかぴかという手話で私にその存在を教えてくれます。また、鳥や飛行機など、普段ひとりだと見つけられないようなものを教えてくれるので、今ではお散歩の時間を一緒に楽しめています。
今年はコロナでマスク生活が常となり、お散歩するにも公園で遊ぶにもマスクが必要で本当にもどかしい日々が続きました。また、色々な人と以前のように気軽に会うことができなくなった中、ひよこ組で先生方やお母さんたちと共にする時間は本当に楽しく、いつも刺激をいただいています。
以上、難聴発見の頃のお子さんとの関わり方やろう学校での支援などについても話していただきました。0~1歳頃の難聴のお子さんをお持ちの保護者の方の参考になったら幸いです。
ときどき、保護者の方からこのように質問されることがあります。複数の支援機関(例えば聾学校と療育施設あるいは医療機関など)に通っていると、聾学校では「手話を積極的に使っていきましょう」と言われ、療育機関や医療機関では「手話は使わないほうがいいですよ」と言われ、ママさんたちは混乱してしまいます。
この時に使っている「手話」ということばがどのような意味で使われているのかは実はとてもあいまいです。公立の聾学校では一般的に「音声も併用しながら手話(口話併用手話)を使っていきましょう」という意味で使っていることが多いですし(日本手話を否定するという意味ではなく)、療育機関や医療機関では「音声を併用する手話も音声を併用しない手話」も区別なく「手話は使わないほうがいい」と言っていることが多いように感じます。その理由は、例えばある療育機関のSTの方によれば「赤ちゃんが手を見て、口を見る習慣がつかないから」だそうですが、本当でしょうか? 少なくともこれまでの私の経験からは、赤ちゃんは「手も見るけれど、ちゃんとママの顔(目や口がついている)も同時に見て」います。私たちが洋画を見るときに字幕を見ながら映像を見ているのと似ています。字幕が「図=手」で、映像は「地=顔」です。人間はちゃんと同時に両方視野に入れて見ることができるようです。
また、聴覚・音声のほうはどうでしょう? これは聴力によってかなり違いが出ます。一般的に聴力90dBを境にして、それより聴力の重い赤ちゃんは、補聴器を通して入ってくる音から情報を得るよりも、手の動きから情報を得ることの方が得意です。
しかし、90dB未満の聴力の軽い子は、音声もかなり情報として取り入れていま

す(但しまだそれはいわば「音の塊」であり、一つ一つの音韻が区別されている意味のある「ことば」にはなっていません)。このような聴覚・音声の役割のもつ比重は聴力によって違いがありますが、このような聴力が(相対的に)軽い赤ちゃん(例えばあとで出てくるQさんのお子さん)も含めて、きこえない・きこえにくい赤ちゃんは、「(音声の有無に関係なく)手話」を、最初に言語として獲得していくことが圧倒的に多いです。きこえない・きこえにくい赤ちゃんの「初語」は「手話」であることが多いのです。
「いいよ、初語なんて少しくらい遅くったって。いずれ音声で初語が出てくるし、そうなれば、あっという間に言語発達の遅れは取り戻せるから」と、あるSTさんは言

いますが、果たしてそうでしょうか?
言語発達は認知発達(象徴機能・思考・記憶など)とも密接に結びついています。また言語の遅れは認知面だけでなく、対人関係や情緒面にも影響を及ぼします。と考えると、やはり、言語はあったほうがいいし、聴児と同じように1歳前後に「初語」が出て、その後の言語獲得もスムーズに進んでいったほうがいいのではないでしょうか? 私は初語表出

1年の差は大きいと感じています。いろいろな面での可能性がそれだけ広がるからです。例えば、右の1歳と2歳児の難聴児の手話での会話例を見て下さい。ことばがあるから、これだけの通じ合える会話ができ、象徴機能としての比喩(=たとえ)も伸びていることがわかります。
こうした発達初期の手話の発達は筆者が書籍の中で書いていますのでぜひ参考

にして下さい(「手話と日本語はどのように獲得されるか」『手話で育つ豊かな世界』,全国早期支援研究協議会,2020,900円)。
さらにまた、米国には音声と手話併用の効果を立証した論文も添付した例のようにたくさんありますが、日本では手話の実践はあっても研究論文としてはまだほとんどないのが実情です。このような状況がアプローチの仕方の意見の相違に拍車をかけているという面もあると思います。

〇どうやって手話を覚えたらいいんでしょうか?
0歳児ママさんたちの二つ目の質問はこれです。この質問には、今、実際に聾学校乳幼児相談に来ておられる1歳児のママさんたちの体験から、こたえてもらいます。お子さんの聴力はまちまちです。医療機関・療育機関では、軽度・中等度難聴のお子さんには「手話は使う必要ないよ」と言われることが多いようですが、音声だけで80%わかるよりも、音声と手話を併用して100%わかったほうが言語発達や認知発達、お互いストレスのない会話という面でもよいのではないでしょうか? 以下、どうやって手話を覚えたか4人のママさんにきいてみました。
☆Pさん
先輩ママとお子さんとが、手話を介して意思疎通を図っている姿が刺激となり、手話学習にも打ち込みました。自学で学習するならまず単語だろうと、『おやこ手話じてん』(全国早期支援研究協議会,1800円)の単語を丸暗記。単語の次は文法や文章読解だろうと、NHKの『みんなの手話』を見たり、子どもとの会話例が載っている『パパといっしょにハッピーサイン』(同上、1,500円)を読み込んだりしました。1歳を過ぎた頃、子どもから少しずつ手話表現が出てくるようになり、やってよかったととてもほっとしました。ただ、まだまだ成人ろう者の方と会話するには圧倒的に手話力不足ですし、子どもに伝わりやすい表現や言葉のチョイスにも課題ありなので、引き続き先生方や先輩ママさんたちから教わっていけたらと思っています。
★Qさん
NHK『みんなの手話』を見て覚えました。また、『おやこ手話じてん』やNHK手話CGを見て単語を調べて使うようにしました。子どもが生後3、4か月頃から簡単な手話を使うようにしていたので、子どもは、見ることで情報を得られると自然に理解したと思う。1歳頃には、何か要求があるときはママを見ることが多くなりました。
手話は『学校』など発声では難しい言葉も表現しやすいため、例えばろう学校から帰ってきた時、子どもが『学校』と表現すれば『学校に行ったね、先生と遊んだね、バスで行ったね』と手話で話し、通じ合うことができて楽しかったです。通じ合う体験の積み重ねが、自分のことをわかってもらえるという親子の信頼関係、愛着にも通じていると感じました。
聴力は80dB(1歳前は100dBの重度の難聴と言われていた)で、補聴器装用開始は遅く、現在も不安定ですが、ずっと手話で表現していた言葉が1歳半頃より少しずつ音声に置き換わってきました。例えば、今は1歳8カ月ですが、「ぱん」「うーぱー(スーパー)」「あいーす」「さかー(さかな)」「じいじ」「ばあば」等、手話だけから、音声が併用されるようになっています。
☆Rさん
学校の手話教室、『おやこ手話じてん』、NHK「みんなの手話」、子どもとの会話で積極的に使うようにして少しづつ使える手話を増やしています。ちょうど一週間前、娘が40度の高熱を出しました。なかなか熱は下がらず次第に食事量も減っていき、体力もだんだん落ちた様子でした。何とか水分、栄養をを取らせようと、お水飲む?と聞くと娘はのどのあたりで手を動かし「のど乾いた」、と。娘が大好きな「トマト食べる?」と聞くと嬉しそうに「トマト!」と手話をして、ほしいという意志を伝えてくれました。私はこの時手話でのコミュニケーションをとっていてよかったなぁと心から思いました。以前難聴疑似体験をしましたが、耳からの情報が遮断された状況で口を読むためには神経を研ぎすまさなければならず本当に一苦労でした。熱で体力も奪われた状況で、余計に神経を使わすのは酷だし、手話なら両者の意図するところが一目でわかるのでお互いがハッピーだと思います。今後も手話を学び続けようと思った出来事でした。
★Sさん
NHK「みんなの手話」や、Youtube、書籍などから。一番楽しかった学びの場は手話サークルです。外国語を学ぶときと同じで、ネイティブの方と話すのが、一番モチベーションに繋がりました。手話が分からないので、周りの会話についていけず、疎外感を感じる体験が出来ることも貴重でした。あと『おやこ手話じてん』を見たり、わからない単語などはろう学校の手話講座の日に聞いたり、自分で調べたりしています。
以上です。どのママさんたちも共通に使っているのは、①NHK・Eテレ「みんなの手話」、②「おやこ手話じてん」。あとは、手話サークル、YouTube動画、また、学校で先生や先輩ママさんにきく、手話講座に参加するなどが多いようです。

大切なことは、お子さんとの日々の生活で使う手話ですから、一日に使ったことばで手話がわからなかったときは必ずメモをとっておき、あとで調べる、たずねるなどして必要な手話を少しずつ増やしていくことでしょう。また、手話がない日本語のことばもあるので、その時は、ホームサイン(家の中でしか通じない自分で作った手話)を作ればよいと思います。大事なことは「通じあう喜び・楽しさ」ですから。
『おやこ手話辞典』は最近、新しくなりました。出版社も東邦出版社からごま書房新社に変わりました。お申し込みは、下記よりできます。ぜひこのホームページからお申込み下さい。
出版物購入方法
A.下記の出版申込用紙をダウンロードして下記あて先にFAXかメールに添付して送る
☆出版申込用紙(ダウンロード)
book_fax21.pdfB.直接、メールまたはFAXに ①送り先、②冊数、③連絡先、④郵便振込希望(振替用紙同封)または銀行口座振込希望(150円割引)のどちらかを書き、下記あて先に送る
→A.Bの送り先(申込先)
★FAX 03-6421-9735(木島)または048-916-6250(江原)
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★郵便振替口座 00100-9-718706 難聴児支援教材研究会
★銀行振込口座
ゆうちょ銀行・店名038(ゼロサンハチ)普通8396021 難聴児支援教材研究会
新スクを受けてからどのように生活してきたかについて、これまで二人の保護者の手記を紹介してきました。今回は3人目のお子さんで、現在60dB台の中等度難聴と言われているお子さんのママの体験談です。
〇経過
わが子は出生後すぐの聴覚スクリーニング検査で2度リファーとなり、その後、2つ目の大学病院での再検査で難聴と診断されました。当時の私は全く知識がなく、補聴器をつければ、普通に聞こえて話せるのではないかと思っていました。生後7か月で右100dB 、左70dBと言われましたが、1歳2か月の今は両耳65dB と言われています。
最初の産院では、「うまく検査ができなかったので、違う病院を紹介します。そこで再検査を受けてください。心配しなくても大丈夫ですよ」と言われ、ちゃんと検査ができればきっと大丈夫なんだと思い込んでいました。今考えると、難聴の可能性があり、もっと詳しく検査をする必要がある事を最初からちゃんと伝えて欲しかったなと思います。
産院から紹介された病院で再検査をするうちに、どうやら難聴がありそうだとわかり、さらに詳しい検査をする為に、小児難聴外来のある病院に紹介されて、その病院で難聴と診断されました。2つ目の病院からさらに転院をし、検査を受けるまでにも結果が出るまでにも時間がかかり、ずっともやもやした気持ちのまま過ごしていました。
保健師さんの新生児訪問は受けていませんが、難聴と診断されてから、保健師さんに相談する機会があり、保育園には入れるか、復職はできるのか?などの相談をさせていただき、色々な提案をしていただきました。具体的には、難聴の子の2つ上に兄がいるのですが、保育園に入れるか幼稚園に入れるかを迷っていた為、幼稚園は行事やイベントが多く、親の負担が大きい事、保育園に入った場合、下の子がろう学校幼稚部に入る事も想定した時に、仕事を辞める事になった場合、兄は保育園に残る事ができるのか?を心配していたのですが、介護要件で残る事ができることを教えていただきました。
確定診断のあった病院からは、3つの療育先を紹介していただきました。1つが手話も口話も使う公立ろう学校、2つ目は国立のろう学校で聴覚口話法の学校、3つ目は聴覚口話法でインテグレーションを目標にしている難聴児の療育施設でした。
難聴に対して全く知識がなかった為、病院から紹介された学校に見学をさせていただいて、お話をきいた中で、手話でのコミュニケーションがとても大事だと思い、公立ろう学校を選択しました。
その後、生後8ヶ月からろう学校乳幼児相談に通い始めました。最初は手話ができるのかなど、不安な気持ちでいっぱいでしたが、幼稚部の子供達が元気に過ごす様子を見たり、先生方やろうや難聴の方のお話を聞いたり、同じ境遇のお母さん方との時間を共にするうちに、難聴があっても悲観することはないと思えるようになりました。音への反応もあまり気にならなくなり、今は歩けるようになったとか、この手話が出来るようになったとか、これからの成長を楽しみにできるようになりました。
〇これまで大事にしてきたこと
①目を見て手話と口話で話しかけること
ろう学校では目を合わせて話すことの大切さ、手話を使ったコミュニケーションなどを教えていただき、目を見て伝えることを意識しました。今まで目線を合わせる事に意識した事はなかったので、最初はとても難しく感じました。自分で動き回れるようになると、伝えたい時に見てくれず、自分の方を見ていないのに話しかけたり、手話をしてしまう事もありました。そこで子どもが何に興味があるのか観察したり、「どっちが好き?」と選んでもらったりしてコミュニケーションを取れるように心がけました。11ヶ月頃からは指さしして興味のある物を教えてくれるようになり、反応を示した物を一緒に見て話をするように心掛けました。また、「ごはんを食べる」「おむつを替える」「お風呂に入る」「着替える」「歯をみがく」など毎日必ずやることを、手話と声掛けをしながらコミュニケーションを取るようにしました。
手話は『おやこ手話じてん』やN H K「みんなの手話」を見たり、わからない単語などはろう学校の手話講座の日に聞いたり、自分で調べたりしています。
個別相談では遊びの中で、子どもの関わり方や家でのアドバイスなどをしていただきました。保護者が学ぶための講演会では、色々な方のお話を聞かせていただき、聞こえなくても素晴らしい人生を送っている方々の話をたくさん聞かせていただきました。ひよこ組は、難聴ということの知識も全くなかった私の大きな拠り所となっています。
②自分が努力してきたこと
あとはろう学校にできる限り通うことです。ろう学校で教えて頂ける情報はとてもありがたく、子どもと過ごす生活の中での関わり方を沢山得られる場所でした。まだ、難聴の子を育てるという事に全然自信もありませんが、子どもの成長と共に、自分自身も少しずつ成長していきたいと思っています。
難聴がわかり仕事復帰をすべきかはすごく悩みましたが、今は短い時間での復帰をしています。今後、幼稚部に進むようであれば、1年間の付き添いが必要な為、一度退職をする事も視野に入れ、その都度、それに見合った働き方を考えていきたいと思います。
以上です。最後に述べられていますが、今は障害を持った子のお母さん方も普通に働く時代になってきています。これまでのろう学校は、母親に、仕事を辞めて毎日ろう学校に付き添うことを求めてきました。このようなろう教育の在り方はもう時代遅れになりつつあります。とはいっても難聴児の主たる障害はコミュニケーション障害であり、言語獲得の障害であるため、十分に通じ合えない場と人との関係の中では、子どもの能力の開花は困難です。人工内耳が普及し、いわゆる「難聴レベル」の子どもたちが多数を占める時代になっても、子どもたちの書記日本語力は10年前とほとんど変わっていません。「話せるけれど読めない・書けない」子の問題は、人工内耳の普及と両親の就労の問題と関わって、今後の大きな課題であり、この二律背反的な問題をどう止揚していくかが、これからの聴覚障害児教育の大きな課題と言えると思います。
今回は、新生児聴覚スクリーニングで「リファー(要再検査)」となり、「子どもとのコミュニケーションがとれないのでは?」という不安を抱えて、生後2か月(確定診断前)の時、ろう学校乳幼児相談を訪れた保護者が、難聴の有無を越えて変わらぬ子育ての基本である、わが子の目線に寄り添うことや生活リズムを整えることの大切さを学んだり、難聴者ロールモデルである相談スタッフや同じ難聴児をもつ先輩保護者から子どもとの関わり方や手話でのコミュニケーションの大切さを学んでいった事例を紹介します。結果的にお子さんは高度難聴であったわけですが、子どもとの関わり方の基本を学んだおかげでその後の親子の関わりはスムーズで手話での初語も出て、順調に育っています。以下、保護者の手記です(一部割愛)。
〇わが子と通じ合えるのだろうか?~不安を抱えていた新スク後の私
産休に入って2日目の夜に破水。病院で切迫早産と診断され、早産児を受け入れ可能な別の病院に救急車で運ばれ、そのまま緊急帝王切開。そんな風にスリリングに生まれてきたわが子が、NICUとGCUに入院している一カ月に受けた新生児スクリーニング検査(以下、新スク)回数は5回に及びました。母子手帳の新スク結果を書き込む場所は、欄外まで「〇月〇日 左右リファー」の文字で埋まりました。わが子が先天性の難聴であることは、精密検査を待つまでもなく、明らかであるように私には思えました。
当時、私が感じていた一番の不安は、わが子とコミュニケーションが取れないかもしれない、ということでした。
〇はじめて、ろう学校乳幼児相談へ
もやもやとした気持ちを抱えながら、初めての育児に四苦八苦している中で、都立ろう学校の乳幼児相談の存在を知りました。初めて学校を訪れたのは、わが子が生後2か月の時でした。クリスマスイブの日、担当のお二人の先生にお会いできたこと、頭がパンクしそうになるほど難聴児の育児のお話を聞かせてもらえたことは、私たち家族にとって、とんでもなく大きなクリスマスプレゼントとなりました。
さっそく年明けの1月から、アンダー0歳枠で、ひよこ組0歳児クラスのグループ活動に参加させてもらうことになりました。活動の帰りの道すがら、また次の日以降も、ふとした時にグループの時の話を主人とするくらい、毎回毎回、多くの刺激を頂きました。他のお子さんたちやママたちの笑顔と明るさ、そして良好な親子関係がまぶしくうらやましく思えました。また、ロールモデルの先生の人間的魅力に、毎回魅せられていました。感心しているだけではいけないと、皆さんが実践されていること、心がけていることを、自分たちの暮らしに取り入れていきました。
〇まずは、わが子の目線に寄り添ってみた
まずは、とにかくわが子をみて、なぜだろう、どうしてだろうと想像するようにしました。例えば、わが子はバスが好きです。散歩中にバスを見かけるたび、私や主人を見上げてくること。見上げてくる顔が笑顔なこと。「あぁっ」と大声を出すことなどから、きっと好きなのだろうとわかります。でも、どうしてわが子はバスが好きなのでしょうか。わが子の目線までしゃがみ、走っているバスを見てみると、なるほど、理由が分かる気がしました。大きなタイヤ、その上に乗る長い車体。昼でもピカピカと光るライト。それらは乗用車と比べると、とんでもない迫力なのです。そんなすごいものが、割と毎日、何台も自分のすぐそばを通り過ぎていくのです。「おお、なんだこれは。かっこいい」と、わが子は思ったのではないかと想像できました。
同じように、夏の急なスコールは、私からすると「勘弁してくれ」ですが、わが子からしてみると「空からものすごい量の水が落ちてきて、自分の体を打ってくる」面白おかしい体験ですし、雪は「思わず手を伸ばしてみたくなる白いふわふわしたもの」なのだろうと思います。
〇君の考えていることってこういうこと?~気持ちを込めて大きくリアクション
わが子の様子から、その思考や感情を推測し、その理由も考えてみる。そしてそれは、聴覚情報を除いても成立するかを確認してみる。繰り返していくにつれ、何となく、わが子が好むものや興味をひくものと、その理由が分かってきたように思います。また、その推測に基づきながらわが子にリアクションを返していくことで、わが子がこちらを見てくれる頻度、見続けてくれる時間が増したように思います。とはいえ、まだまだ分かってあげられずわが子を怒らせることも多いので、子どもに目線と気持ちを合わせて声掛けしていくことは、今後も大きな課題です。ちなみに、わが子へのリアクションは、表情、体の動き、声量に留意しました。とにかく大きくリアクションを取ることを基本とし、喜怒哀楽が目や口の形、体の動作で伝わるようにと意識をしました。お手本は、わが子が大好きな担当の先生です。子どもにもわかる大きなはっきりとしたリアクションをしてくれるから、わが子は先生が好きなのだろうなあと、たくさん「真似ぶ」ことをさせていただきました。
〇手話をやったら、1歳で手話の初語が出た!
先輩ママとお子さんとが、手話を介して意思疎通を図っている姿が刺激となり、手話学習にも打ち込みました。言語を自学で学習するならまず単語だろうと、『新・おやこ手話じてん』の単語を丸暗記。単語の次は文法や文章読解だろうと、NHKの『みんなの手話』を見たり、書籍『パパといっしょにハッピーサイン』を読み込んだりしました。大叔母との関わりで、...というよりも、関われなかった自分としては、頑張らないわけにはいきませんでした。1歳を過ぎてからはわが子からも手話表現が出てくるようになり、やってよかったととてもほっとしているところです。ただ、まだまだ成人ろう者の方と会話するには圧倒的に手話力不足ですし、侑に伝わりやすい表現や言葉のチョイスにも課題ありなので、引き続き先生方から教わっていけたらと思っています。
〇生活リズム~子どもが予測できることの大切さ
そのほか、継続的に行ったこととしては、わが子の生活リズムを整えることと、生活の記録をつけることです。
一つ目の生活リズムについては、特別なことをするというよりは、朝起きてから寝るまでの中で、出来るだけ「いつもの」を増やすということを意識しました。次に何が起こるか分からない状態というのは、大人であっても不安に感じるものです。ましてわが子はまだ幼く、耳の聞こえにくさもあるのです。なおさらだろうと思い、パターン化、固定化できるものはどんどんしていきました。ご飯の時間、遊ぶ時間、寝る時間を極力変えずに日々を過ごしています。おかげで、ずっとわが子は早寝早起き大食漢。体調を崩したこともほとんどありません。
〇日々の記録を書くこと~子どもを見る目を育てたい
二つ目の生活の記録については、書き始めた低月齢のうちは何を書こうか困る日も多かったです。ですが、「寝る前に生活の記録を書く」ことを意識して毎日を過ごすことで、徐々にわが子の変化が目に留まりやすくなりました。今では、毎晩主人と「今日の生活の記録に書きたいこと」をテーマに会話をし、その内容を書いたり書いてもらったりする習慣が定着しました。また、担当の先生からの赤入れも大きなモチベーションでした。わが子の様子について時に共感し、時にアドバイスをくださり、ありがたかったです。
〇人間的な魅力ある子に育てたい
最近になって、「わが子は耳『が』聞こえにくい」のではなく、「わが子は耳『は』聞こえにくい」のだ、という風に考えるようになりました。
わが子は目が見えますし、味の違いも分かる子ですし、何でも触ってしまう手も、もうすぐ一人で歩いてしまいそうな足も持っています。よく笑って泣いて怒って、毎日楽しそうに生活しています。人や物の好みも出てきており、それを表情や体の動きで表現できます。
児童館のスタッフさんも、コンビニの店員さんも、工場の守衛さんも、わが子に好意を寄せてくれ、笑顔を向けてくれます。わが子には、他人に好意を寄せてもらえるだけの魅力があります。もう私は、「わが子とコミュニケーションが取れないかもしれない」と不安に感じることはありません。反対に、今日、わが子は何をやってのけてくれるだろう、明日はいったいどんなことを伝えてくれるだろうと、楽しみに思いながら日々を過ごせています。
今回は、1歳半になったある難聴児のパパの手記を紹介します。20年くらい前はまだまだ育児に積極的に参加するお父さんはそんなに多くなかったと思いますが、今の時代は、普通にお父さん方が育児に参加される時代です。以下に引用する手記もそうした難聴児の子育て奮闘記です。新スクでリファーになった親御さんにもとても参考になると思いますので、ぜひ、お読みいただけたらと思います。
○はじめに
わが子は20××年×月×日の深夜1時過ぎに生まれました。予定日よりも1か月半ほども早く、前日の夜から、ただおろおろと付き添うだけの父でしたが、出産にも立ち会い、子どもが無事に生まれ、徹夜明けの朝、一人でにやにやしながら家に帰ったことをよく覚えています。
2020年はコロナ禍もあり、平常ではない1年となりましたが、私個人としては、リモートワークなどの影響もあり、我が子や家族と、多くの時間を共に過ごすことができ、ひよこ組のグループ活動や個別相談にも1年を通して参加させていただくことができました。
わが子が生まれて1年5か月、ひいき目に見てとてもかわいく育っています。このような時期に、こうして振り返る機会を持つことができて有難く思います。
○わが子とのコミュニケーションで大事にしてきたこと
・大きな声と大きなリアクション
・できるだけ、手話を使い、説明する
・いっぱい笑わせる
わが子とのコミュニケーションで大事なことは全て、先生方から教わりましたので、できないなりに気を付けたことだけ、書きたいと思います。
わが子は多少なりとも音が入る聴力なので、できるだけ大きな声で話しかけるようにしました。ろう学校乳相のA先生を参考に、少しでも、わが子に音が届くようにと意識をしました。
また、目の人であるわが子はオーバーなリアクションや表情の変化に気づいてくれます。寝たふり→目を見開く、とすると爆笑したりします。変顔も大好きです。表情筋や全身を使って見せています。
さらに、手話についても、わが子に話しかけること、特に、日々の繰り返しにあたるものはできるだけ、使うようにしました。グループ活動の中で、指差しの大切さや、二語文をつくることなどを教わり、できるだけ意識して取り組んだと思います。生活リズムが固まるとともに使う手話も固まるので、わが子相手には手話と大きな声で話しかけています。そして、成人聾の先生から手話の時間に色々な場面で「子供には難しいからちゃんと説明すること」を教わりました。「びしょびしょになるから、お水遊びできないよ」「ご飯の時は、おもちゃを頂戴」などなど、「~~だから」「~~の時」「~~したら」というような手話は頻繁に使いました。
とにかく明るく楽しく過ごしてもらいたいので、わが子が笑ってくれることを探して、繰り返し、子どもが飽きるまでやりました。笑ってくれることをするのが、コミュニケーションの第一指針だったと思います。
○わが子との生活習慣で大事にしてきたこと
・子どもの生活をどうするかを家族で話し合う
・子どもの仕事を作る
・いっぱいかわいがる。
生活リズムはできるだけ整えた方がよいということで、食事や睡眠の頻度や感覚、遊びに行く時間帯、イレギュラーになりそうな日の対応、などなど、どうするかはできるだけ話し合って一緒に決めました。もう初めのころのことは思いだせないのですが、合わなくなってきたかな、とか、将来的にどうしたいか、などを踏まえて都度話し合うようにしました。わが子の生活に対し、家族で同じ認識を持っていることは大事だったと思います。具体的なやり方を定め、夫婦同じ方法を意識し、やり方の工夫などを共有して発展させていきました。
併せて、子どもが自分でやりたいことができてくると、それを尊重し、毎日やらせるようにしました(子どもの仕事)。具体的には、朝起きてカーテンを開けること、部屋の電気のスイッチを押すこと、おむつをごみ袋に入れてごみ箱までもっていって捨てること、最近ではトイレまでモノを捨てに行くこと、などなど、(飽きてやめるものもありましたが)わが子の中での習慣づけにはなったかと思います。
最後に、基本的には家にいることのできた今年は、毎日「かわいいね」と声をかけ、頭をなで、スキンシップをして抱っこして、、、、、ととにかくかわいがりました。わが子の生活習慣?かどうかはわかりませんが、きっと子どもは自分がかわいいことに疑問を持たないくらい、言われています。
○父として努力してきたこと
・お風呂と寝かしつけ
・生活の記録、日々のエピソードに目を向ける
・無理をしすぎないこと
お風呂はできるだけ毎日入れるようにしました。子どもがお風呂の中でつかまり立ちができるようになって以降は、お風呂の中で如何に子どもを楽しませるかについては日々研鑽を重ねました。おもちゃで遊んだり、表情だけのいないいないばあをしたり、楽しいお風呂を心掛けました。寝かしつけは生活リズムにも大きくかかわるので、色々な方法で抱っこしたり、そのまま寝転がしてみたり、寝てしまうまで遊びに付き合ったりと、やり方や時間帯などを家族で相談しながら続けました。
春頃、子どもが6、7か月の頃から、生活の記録を書くようになりました。妻とは毎日「今日はどうだった?」と会話をし、日々のわが子のできたこと、したこと、反応したこと、探しながら生活していました。子どもとのコミュニケーションにおいて、まだ「あうあう」言っているだけの子どもが何を考えているのか、何をしたいのか、子供の気持ちを代弁することの重要性を、先生方からも教わりましたが、私は正直、苦手です。(大人相手でもヒトの気持ちを考えるのは苦手ですが)妻にはたくさん教えて貰いました。「こういうことじゃないかな」と聞くたびに「なるほど!」と納得し、分かっていたようにわが子に話しかける日々でしたが、それでも、生活の記録を書く中で、子どものことをたくさん想像できるようになったかと思います。振り返ってとても大切なことで、自分の成長にもつながったと考えています。
これらのことについて、努力の逆のようですが、日々の生活の中で無理はしないようにしていました。無理すると続かない性格だからです。コミュニケーションなども、できるだけ頑張りますが、できなくても仕方がない。次、気付いたときはやろう。生活の記録も今日は何も発見がなかったな、明日は何かをしてみよう、と。できないことを責めず今日ダメなら明日頑張ろうと、良い意味で(?)自分に甘くあるようにしました。先は長く、できることにも限りがあるので、無理せずをモットーに。
○父としての変化
・自分のペースでない生活ができる
・待つ、ゆっくり歩く
・目標設定
大きな変化は人のペースに合わせて生活ができるようになったことだと思います。生活リズムについてもそうですし、子どもが、大人から見ればよく分からないことをして、よく分からないところで反応して、そういった時間にのんびり合わせることが少しずつ当たり前になってきました。また、赤ん坊であり、音のない生活、視界に入るものが大切な子どもの生活は、当然、私たちと異なるものですが、少しだけ、その世界に入らせてもらえるようになった気がします。ちょっとした音に気付き、わが子が何を見ているかに目を向け、何に興味があるのか、どうして興味があるのか、わかりませんが、とりあえず共感してみる、一緒にやってみる、「あだー」と一緒に声を出してみる。それが楽しくなった1年半でした。
その過程でせっかちな自分ですが、のんびりできるようになりました。子どもがするまで待つ、何かしている間は待つ、外に出たときは色々視て、聞けるように、ゆっくり歩く(それでもまだ速いと言われますが)そんな習慣も身につきました。
目標について。子どもの耳のことが分かったとき、私は「自分が死んだあとどうしよう」と思いました。「どうにかして、一人で生きていけるようにしなくてはいけない」「仕事に繋がる技能を身に付けさせなくてはいけない」そのために必要なことをしよう、それができれば問題ない、と。そんな目標設定は、このひよこ組の活動を通して大きく変わりました。聾者のB先生やC先生のような偉大なロールモデルの方々と接したことも大きかったです。耳が聞こえないだけで、わが子は何でもできて、しっかり考えて、理解して、興味を持ち、近所のコンビニの店員さんや、児童館の職員さん、ひよこ組の皆さんのことも認識して、コミュニケーションを取ろうとし、かわいがられている姿を見てきたからです。今は「わが子が人とコミュニケーションをできる力が言葉の面でも、人間性の面でも育つような環境を作ろう」と目標設定しています。今では、当たり前のことですが、子どもは立派な一人の人間で、個性豊かで、意志が強く、親にとってはとてもとてもかわいらしい存在で、この先間違いなく父より立派な人間になるだろうと確信しています。そう思うようになったことが一番の変化です。
最後に、ひよこ組の先生方、一緒に活動した皆さんに感謝を、我が家に生まれてきて、健康に楽しく過ごしてくれたわが子に感謝を、何より一緒に生活し、多くの場面で、助け、教え、導いてくれた妻に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
耳鼻科医界の大御所、田中美郷先生より上記久留米三部作の感想をいただきましたので紹介致します。田中美郷(よしさと)先生は日本の小児難聴医の草分け的存在で耳鼻科医の先生方の中でご存じない方はいらっしゃらないと言って過言ではありません。田中先生はCOR(条件詮索反応聴力検査)の開発で世界的に有名な信州大学鈴木篤郎教室で学ばれ、その後、難聴乳幼児の支援のための「ホームトレーニング」を開発され、帝京大学に移られて本格的に小児難聴・早期療育の実践的研究を進めてこられました。90年代初め頃までは聴覚口話法を唱えておられましたが、退官後に設立された田中美郷教育研究所での実践研究の中で、手話の有効性・必要性に気づかれ、90年代後半には手話も取り入れた支援・指導をされるようになり、今日に至っています。(*)
今回、写真のような久留米三部作を送らせていただいたところ、下記のようなご感想をいただきましたので紹介致します。
「この度は、久留米聴覚特別支援学校乳幼児教育相談の『ようこそ聞こえない赤ちゃん』『聞こえない私たちの声』『手話で子育てスタートブック』をご恵送下さり、誠にありがとうございました。早速拝読、大変すばらしい内容で、久留米校のみならず福岡県の取り組みのレベルの高さに感服致しました。

これらを手にして感じることは、ここ20年くらいの間に新生児聴覚スクリーニングの普及に関連して聾学校の乳幼児相談のレベルが随分向上してきたこと、とくに手話が広く受け入れられるようになったことは喜ばしいことです。私が、今の研究所での仕事を始めた2000年頃は、東京でも手話に対する抵抗が強く、私がホームトレーニングで保護者に手話を勧めていたのに対し、当時の都内聾学校長などから「保護者の前で手話の話はしてくれるな」と言われたものですが、現状は大きく変わってきたと感じるようになりました。
その中にあって耳鼻科医の認識はまだ遅れていると言わざるを得ませんが、ただ、福岡県の場合は、九州大学耳鼻科の中川尚志教授の存在意義は大きいと思います。中川先生はもともと聴覚生理学が専門でしたが、今ではすばらしい活動をされるようになり、耳鼻科分野で今後も活躍してくれることを期待しております。いずれにせよ、ここ20年くらいの間に聴覚障害児早期教育の動向が好ましい方向に変わってきたことは喜ばしいことです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 令和3年4月10日 田中美郷(田中美郷教育研究所長・神尾記念病院)」
なお、「久留米三部作」(写真)については、久留米聴覚特別支援学校で無料配布しています。問合せ先 TEL0942-44-2304 FAX0942-45-0139 info@kurume-hss.fku.ed.jp