全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

新生児聴覚スクリーニング検査

〇新生児聴覚スクリーニングの現状

先ごろ、「新生児難聴支援進まず、自治体4割体制不備」(読売新聞、6.7)、「すべての新生児に難聴検査を、早期ケアで言語発達に支障出ぬ可能性」(8.17)など、新生児聴覚スクリーニング検査(以下新スク)を推進する記事が相次いで掲載されました。早期発見に異議はありませんが、日本で新スクが始まって以来20年経過しているのにも関わらずいくつかの問題点が未解決のままになっています。早期発見を意味あるものにするためにもその問題点の解決は重要です。ここではその問題点について、新スクを受けたある保護者の手記を通して考えてみたいと思います。

 ここで紹介するのは、新スクで「リファー」となり、確定診断が出るまでの4カ月間、なんの支援もなく、ただただ不安な日々を送らざるを得なかったお母さんです。赤ちゃんに笑顔で向かいあうよりも日々パソコンと向き合い、障害への不安から母乳の出が悪くなったと言います。幸いにして自力である聾学校の乳幼児相談にたどり着きますが、誰からの援助もなく家の中で悶々とした日々を過ごしている人は決して少なくないのが現状です。

聴覚障害があるのは人口1,000人に対して約1.5人、新スクで「リファー(要再検査)」となるのは3人程度と言われていますが、数が少ないから許されるという問題ではなく、検査にひっかかった当事者の母親にしてみれば、「障害」への恐れを抱きながら鬱々とした日々を送ることになるわけで、このような宙ぶらりんの状態におかれることが、赤ちゃんによい影響があるわけはありません。たとえ結果的に「正常」であり「やれやれ」という場合でも、地獄のような3~4か月を一体だれが支えるのか、という問題をないがしろにすべきではありません。新スクを勧めようとしている人たちはこの問題をどう考えているのでしょうか? 以下、手記を引用します。


〇「リファー」を告げられたある母親の手記

出産前に、新スク検査というのがあることを知り、私たちは何のためらいもなく「一応、やっとくかね~」という感じで申し込みました。退院の日、娘を抱いて病院の廊下で先生にお礼のあいさつをしているときに「耳がちょっと聴こえないかもしれなんだよ」。びっくりしている私に先生は「ま、完全に決定したわけじゃないんだけど、そんなに心配?」と。

「・・・心配も何も・・・と返すのが精いっぱいだった気がします。でも、先生は特別深刻じゃないような話しぶりで、「まあもう一回検査してみよ~!」ということでした。とにかく「え?なんで?本当に?うそでしょ・・・」と信じられない気持ちとなんだかぴんと来なくて「あ~、再検査かぁ・・・どうしてだろう?」という気持ちでした。家に戻り、生まれたばかりの娘を見てもなんだか信じられないので、娘の横で手をパンッて叩いてみたり、「わっ!」と大きな声を出してみたりしました。現実として、事実として、受け止められませんでした。そして、どうして私が? 妊娠中にあんなに気を使って生活したのに、何の問題もなく順調に過ごしてきたのに、それなのに? どうして私の子が? あの時、ああしたからよくなかったんじゃないか。あの時、ああだったからじゃないか...。

 この時の私は何も知らず、状況もつかめず、どん底状態でした。耳がきこえないってどういうこと・・・? この先、私たち家族はどうなっていくんだろう・・・。初めての子、勝手のわからない育児、その上の出来事で本当にいろいろ悩んでいました。とにかく手あたり次第やるしかありませんでした。このまま途方にくれていても仕方ない・・・。

 産院から紹介された病院に行き、通されたお部屋には「言語聴覚室」と書いてありました。なんだか本当に一般的に「障害」(このことばが正しいのかは最近すごく疑問に思えてきました)と言われるところに来てしまったのか・・・と思いました。中に入ってみると先生と言語聴覚士さんが温かく迎えてくれました。

 「音にはちゃんと反応しているからきこえないないわけではないですよ。大丈夫ですよ。お母さんの声はちゃんと聞こえていますよ。」先生にそう言われて、なんだか胸のつかえがとれて泣いてしまいました。

 実はこの頃、けっこう精神的にも肉体的にもかなり滅入っていて、母乳の出が悪くなってきていました。少し気持ちの整理がつき始め、現実を受け止められるようになってくると、今度は周りの目を気にするようになりました。補聴器をつけたら「耳のきこえが悪いです」と言わなくてもわかること。ある程度の年になったらことばの遅れや発することばのイントネーションの違いなどでわかること。そのことで娘のことを偏見や特異な目で見る人や、同情、哀れみの気持ちで接してくる人もいるだろうし、私の周りの人たち、友達も、親戚の人も、そうなんじゃないかなと思ったりして悩みました。だから娘の耳のことは、昔からの友達に話すもの怖かったし、できませんでした。一時は、聴こえる子のお友達は作らない方がいいのではないかとまで考え、本気で悩みました。そして、インターネットの子育てサイトに悩みを投稿したときに、「どうして隠す必要があるの? あなたはお子さんが恥ずかしいの?違うでしょう? 堂々としていればいいじゃない。どうしてあなたがお友達を決めてしまうの? そんな障害のあることで友達になれないないのなら、そんな友達なんていらないんじゃないでしょうか?」 自分では結構強気な性格だと思っていたけど、この時は本当に相当滅入っていたのでこのレスに本当にハッと我に返った感じでした。

 ある日、義母に「孫とか甥っ子、姪っ子とかにも、そういう人(健常ではない人)は誰もいない。遺伝が関係しているのでは? 遺伝子が原因じゃないかと思う。今まで全然誰も何もなかったのに・・・」と言われました。私は泣きながら、帰ってきた主人に一部始終自分の思いを話しました。

 「そんなに誰かのせいにしたいの? そういう人はうちにはいないって、いちゃいけないの? それはなんで? 世間体ですか? 健常、正常じゃない人は産まれてきちゃいけなかったですか? そういう人がいるのは恥ずかしいことなんですか? 遺伝子ってことは難聴は悪遺伝子ってこと? ってことは娘は粗悪品ですか? 娘の存在は恥ずかしい? 悪いことなんでしょうか? 遺伝子、どっちが粗悪な遺伝子を持っていたから娘はこうなってしまったと? (中略)言わせてもらえば、私の家系では今まで一度だってそんなふうに遺伝子の話や原因について言っている人は誰一人いない。ただただ静かに温かくサポートしてくれている。娘の現状を正しく、そのまま受け止めてくれている。それに、私にとって娘は自慢の娘! 耳がちょこっと聴こえにくいだけで、元気に成長してるもん!」

 主人はちゃんと黙って全部きいてくれた。主人や主人の家系の人に謝ってほしいのではありませんでした。ただただ、正しい知識を持って理解してほしい。今更誰のせいとかにして現実逃避してないで真実を温かく受け止めてほしい。正常じゃないことへの偏見。確かに何かあるよりない方がいいに決まってる。以上より正常。それは人間だれしも思うし、願っていることだと思います。誰も最初から異常なことを願っている人はいないでしょう。生きること、生きていくことにおいて、身体的、精神的に障害を持って生まれてきた子に対して誰だって最初は驚き、ときには落胆し、ときには現実逃避もしたくなるだろうと思います。私自身も今まで障害をもった人のことについて他人事のようでもあり、正直偏見もあったように思います。誰もなにもしてくれない、この子の親か私たちなんだ、私たちがやるしかない。耳のことに関してインターネットで調べまくる毎日。そのおかげでいろいろなことが少しずつ見えてきました。

 そして、ある聾学校のことを知りました。それでも実際は「聾学校」という響きに躊躇し、なかなかその門を叩くまでには決心が必要でした。勇気を出し、〇〇聾学校に通うようになって、同じきこえにくい子を持つ親同士、色々な話ができるようになりました。きこえの程度はそれぞれ違うだろうし、どうであれみんな考えていることは同じというか心配事は一緒。みんなすごく明るくて前向きです。そして、同じくらいの月齢の子(健聴児)をもつママとなんら変わりはないのです。耳の話だけでなく、子育て一般の話で盛り上がったり、いいお話ができて、私も勉強になったり勇気づけられたりしています。

 本当にこの一年、娘の耳のことがあったから見えた、知った世界があるし、いろんな経験ができました。人の情けも非情さも、物事の本質も見えてきました。手話に触れる機会も持つことができました。また、自分自身の価値観を変える、切り開く一年でした。私自身も自分の価値観、考えの変化にびっくりしています。普通になんとなく生きていたら、なかなか自分の価値観を変えることなどそうそうあるもんじゃないと思います。だから、こうしていろんなことに気づき、気づかされて一年を振りかえってみて、私はこれでよかった、幸せだと思えるようになりました。ここで知り合えた聾・難聴の大人の人や子どもたちや同じ悩みを抱えた親たち、先生たちは私にとっても娘にとっても、とても大切な存在で、とても救われました。また、笑顔でいられるようにこれからも楽しく子育てをして、子どもの成長とともに自分も成長できたらいいなと思います。

 

 以上が母親の手記です。この手記からうかがい知ることができるのは、リファーの告知から確定診断を経て、聾学校という支援機関にたどり着くまでの数カ月、家族以外のだれからの支援もなく、ただただ自分たち夫婦・家族で不安を抱えながら過ごさざるを得なかったということです。

 

問題点① 産院での「リファー」告知のあり方

 具体的な問題点をあげるなら、まず、新スクを実施する産院での母親への告知の仕方の問題です。退院時の玄関先での立ち話ではなく、慎重に、告げられる側の身になって、その時と場所を考え、できる限り夫や祖父母などを交えて、かつ専門外のことには立ち入りすぎないよう過不足なく事実を告げ、専門の精査機関に確実につなぐことが求められます。その体制(告知にあたっての研修など)を全国規模で十分に整えることができるのでしょうか? 

 

問題点② 確定診断までの心理的支援の必要性

 次に、母親は新スク後、1か月後の耳鼻科での精密検査で「全くきこえていないわけではないが、まだ小さいから様子をみましょう」と医師に告げられています。そのため、不安定な状況はさらに3カ月続くことになりました。1カ月の赤ちゃんにはまだ生得的な反射(モロー反射)が残っています。脳の発達が進む3~4か月頃にこの反射が抑制され、音の方向へ顔を向けるなどの行動がみられるようになるので、診断が確定できるのは3~4

リファー表紙.jpgのサムネール画像か月まで待つ必要があるからです(低出生児など発達がゆっくりの場合はさらに時間がかかります)。宙ぶらりんの状況が続くことは母親にとっては、心理的な拷問がさらに続くことになりかねません。新スク・リファーのあと確定診断までの間、だれがどのように母親を支えるのでしょうか? ただただ確定診断の日まで鬱々とした日々を送るしかないのでしょうか? その支援のあり方は果たして考えられているのでしょうか? 

 この時期の対応については、冊子『リファーとなったお子さんのお母さんと家族の方へ』(全国早期支援研究協議会編,300円)が参考になる。

 

問題点③ 精査機関での確定診断時の告知のあり方

 さらに、確定診断時、医師や言語聴覚士は、補聴器・人工内耳・聴覚口話法という選択肢だけでなく手話を使うという選択肢についても公正中立に情報提供できるのでしょうか?実際、多くの耳鼻科医たちは、人工内耳に関する情報提供はしても、手話ということには一切触れないのが実情です(手話を否定する医師も少なくありません)。その意味では十分にインフォームド・コンセントの原則(十分な情報提供と自己選択・自己決定)が守られているとは言えません。この母親の場合は、自分でインターネットを検索し、たまたま通える聾学校を見つけ、そこに行ったらたまたまそこは手話も使い聾者とも出会える聾学校だったという全くの偶然で一つの方向を選択しています。新聞には確定診断後の支援として手話ということは一言も出ていませんでしたが、情報が一方に偏ったまま全国規模で体制が作られる心配はないと言えるのでしょうか? 

 早期発見が本当の意味で実りあるものになるためには、少なくとも上に述べたこのような3つの問題点を、同時的に並行して解決することが大切ではないかと思います。(木島照夫)

先日(2019.8.17)、朝日新聞に「すべての新生児に難聴検査を」「早期ケアで言語発達に支障出ぬ可能性」という見出しで記事が載った。記事の主旨は、難聴の早期発見には新生児聴覚スクリーニング検査が欠かせないが、自治体からの補助があったりなかったりで、実施率に差があるのが実情だ。しかし、「早く介入すれば克服できる可能性が高いことも分かっている。」(昭和大学・関沢教授)ので、国・自治体は、早期発見・診断・支援の体制を築くべきだ、という内容である。

全ての新生児に難聴検査を(朝日).docx.pdf

新スク(朝日).jpgのサムネール画像早期発見早期支援の体制をつくることに大きな反対はないと思う(ただこの検査に関しては問題が全くないわけではない)。問題は、難聴発見後の支援のあり方として補聴器と人工内耳のことにしか触れていないことだ。記事では以下のように述べている。

「・・オーストラリアの研究では、音を電気信号に変えて脳に伝える「人工内耳」を埋め込む手術を生後6カ月の時にした場合は、5歳時の言語発達が聞こえる子と同じレベルだった。国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の通常学級に通えるという報告がある。・・(略)・・精密検査で難聴と診断された場合、軽度なら補聴器をつける、重度なら人工内耳をするなどの方法がある。・・」

 この記事に対して、全日本ろうあ連盟から質問状が出されているが(*参照)、ここでは、適切な意見を朝日新聞に送った、ある言語聴覚士の意見を以下に紹介しておきたい(固有名詞は省略)。 (*)https://www.jfd.or.jp/2019/08/27/pid19495

 ・・記事を読ませていただきました。私は新生児スクリーニングが日本に導入された頃から、〇〇ろう学校乳幼児教育相談にて聴覚障害児の教育に関わっております言語聴覚士の〇〇と申します。記事の中にいくつか問題点があると思われますので、ご指摘させていただきます。

まず、この記事を読みますと、<新生児スクリーニングを受け、生後6ヶ月までに難聴の有無を診断し、重度の難聴児には超早期に人工内耳を施すと誰もが通常学校に通える>という錯覚を読者に与えてしまう恐れがあります。人工内耳をしたとしても、難聴であることに変わりなく、健聴者と同じようになるわけではありません。1対1の静かな場所での会話はできたとしても、大勢での会話は難しく、音声言語のみでのコミュニケーションでは限界があります。手話を使ったコミュニケーションをする人工内耳装用者がおおくいる、という事実を知っていただきたいと思います。

新生児スクリーニングは難聴の有無を荒く検査するものであり、リファー(要再検査)と結果の出た新生児のなかに、聴覚に問題のない子どもたちがおおくいます(厚労省発表・年間約5000人の新生児が要再検査となり、そのうち593名が異常あり)。

乳幼児の聴覚発達についてですが、生後6ヶ月ではまだはっきりした聴力レベルがわからないことがおおく、きちんとした聴力が分かるようになるには、その子の全体発達と深い関わりがあります。新生児スクリーニングでリファーとなり、重度の難聴があると診断され人工内耳をすすめられたにも関わらず、実際には聴力が正常であったり、軽度や中等度の難聴で人工内耳不適だった、ということもよくあります。人工内耳を片方の耳にしたあとに、もう片方のやはり重度であると診断を受けていたほうの聴力が、実際には中等度難聴であったことが判明し、人工内耳を施した耳のほうも実は中等度難聴だったのではないか、という事例もあります。つまり、生後6ヶ月での聴力レベルの判断は、大変難しいものであるということです。

リファーになるお子さんの中には、聴覚障害だけでない他の障害を同時に併せもつ子もいます。その子どもたちの正確な聴力を測定するにはかなりの年数が必要になってきますので、「生後6ヶ月での診断と超早期に人工内耳」ということを安易に記事にすることは問題であると思われます。

 また、難聴児教育や聴覚障害分野とかけ離れている産婦人科の先生の「早く介入すれば克服できる障害である」という言葉を載せてしまうことにも問題があります。聴覚障害は治療できる障害ではなく、克服できる障害でもありません。その障害とともに生きていく、ということです。

そして、これが一番の問題であると思うのですが、公正中立の立場であって欲しいと願う新聞記事に、「ろう学校」や「手話」という言葉が全く出てこないことに違和感を覚えます。「ろう学校」や「手話」という選択肢もある、ということが全く書かれていなく、大きな疑問を感じます。これは「聾者」と言われる人たちを否定する思想にもつながる危険性があります。

ご存知でいらっしゃることを願いますが、新生児スクリーニングでリファーとなり、0歳児から相談や療育に当たる場所として、ろう学校の乳幼児教育相談があります。〇〇にはろう学校は3校あり、〇〇ろう学校では20年前から手話と同時に音声を使う教育を行い、成果をあげています。子どもたちは手話と音声というコミュニケーションモードを、その子その子に応じた方法で臨機応変に使い分け、皆、生き生きと生活しています。ろう学校が大事なコミュニティーとなり、この子たちは小さい頃から、自分が聴覚障害者であるというアイデンティティーを「手話」という言語のおかげで確立し、「聞こえない・聞こえにくい」ということに誇りをもちながら成長し、安定した自己肯定感を育み、「聞こえない・聞こえにくい大人」になっていきます。ろう学校の乳幼児教育相談では、聴覚障害をもつ子どもを育てることになった親御さんたちに、その後の親子関係の礎となる、聴覚障害をもつ子どもの立場に立った子育ての方法を親に伝え、子どもの障害認識を深める支援をおこなっています。こういう機関がある、ということを、知っていただきたいと思います。・・」


 以上である。このHPでも折に触れ書いてきたように、発達早期に手話を獲得することには、主に二つの点でよさがある。一つは親子関係の安定的な形成や子どもの自己肯定感を

手話の意味.jpg育むという点だ。それは、手話がきこえない人たちの言語であり、手話を使うということは、きこえない赤ちゃんに対して「あなたは聴こえない人」ということを認め、その言語を尊重するということになるからだ。赤ちゃんからみると、きこえる人ばかりの家庭で皆が手話を使ってくれるということは「きこえない私」が、このきこえる人たちの世界の中で尊重され受け容れられているということにつながる。このことは、世界は信頼するに足るものとして、また、自分は世界から信頼されているという感覚を育てることにつながる。乳幼児期に最も大切で根本的な感覚である「「基本的信頼感」(E.H.エリクソン)が育つのである。こうした感覚をもっている子どもは、人に対してもものごとに対しても肯定的・積極的にかかわる。だから伸びる。

 もう一つ大切なことは、早期から手話という言語をもち、その言語を使って世界を認識し知識を蓄えていくことだ。記事では、「国内でも、0歳時からの適切な対応で小学校の

新スクと9歳の壁.jpg通常学級に通えるという報告がある」と述べているが、では、聾学校を選択した子どもたちは、通常学級に「通えない」残念な子たちなのだろうか? この記者のもっている価値観は、小学校の通常学級が上で、聾学校が下ということなのだろうか? 私は、通常学級に通うことも聾学校に通うことも、それはその家庭の経済的な事情や兄弟関係、地域の交通事情、その学校の現状、子どもの性格や友達関係、聴覚障害に対するその家庭の考え方など様々な要因によって、好んで、場合によってはやむなく選択しているのが実情であって、通常学級に行けない子が仕方なく行くところが聾学校ということではないと思う。たしかにこれまでの聾学校の子どもたちは「9歳の壁」が越えられないと言われ、その意味でこうした学力や偏差値を基準にした見方がまるで当たっていないわけではない。しかし、ならば言っておこう。手話から学んで日本語を身につけた子たちが、決して通常学級に通っているきこえる子たちと比べて劣っていないということを。右上のグラフはそれを証明した数値であるが、これは手話からスタートし、その後日本語を意識的に身につけていったからであり、そのろう学校こそ先の言語聴覚士のいるろう学校においてなのである。

以下、本ホームページ TOP>乳幼児期・学童期>どうすればことばが育つか?~否定しないこと・手話を学ぶことを参照。 http://nanchosien.com/nyuyou/

 先日、人工内耳に関する記事を書いたら、それを読んだ方から「BOAってなんですか?」という質問をいただきました。そうでした。説明を忘れていました。これは、聴性行動反応聴力検査といって、Behavior Observation Audiometoryの略です。

乳児は、突然に音や人の声がすると、ハッとなる、目を動かす、振り向く、音源を探す、泣き出すなどいろいろな反応を示します。このような聴性反応を利用して、聴力検査を行う方法で、いろいろな音を直接(あるいは検査室でスピーカーを通じて)乳児に聞かせます。そして反応があったときにその位置での音圧を調べます。この音圧から聴力レベルを測定します。

  無料アプリ.jpgこうした方法を、私が関係している聾学校乳幼児相談では、乳児室や検査室での検査だけでなく、家庭にも出向いて行っています。 以下は、担当者の記録から引用しますが、当時はまだスマホのアプリに騒音計はなかったので、学校にある騒音計を持っていき測定していました。現在はスマホアプリがあり、赤ちゃんがどの音量の時に聞こえているのか家庭でも簡単に測定できますが、保護者の方は、子どもに音をきかせて振り向いてくれたら、なにか楽しいことがあるという工夫をしていただきたいです。音を出して振り返ることだけをやっていると、子どもは、振り向いてもつまらないので、音をきく意味を感じられずだんだんと音に反応しなくなります。以下、引用します。

 

「先日1歳児のA君のお宅に家庭訪問指導で伺いました。A君がいつも遊んでいるおもちゃでいっしょに遊びながら、どんな関わり方をすればいいか話し合ったり、騒音計でA君宅の環境音について調べ、お母さんに音の大きさや高さについて確認してもらったりしました。

 A君宅の環境音を調べてみると、A君の補聴器に入力されている「やっと聞こえるレベルの音」「少し大きめの音」は音が入っているはずでもA君が「聞こえるよ」という反応をすぐには示してくれないことがわかります。しかし、やっと聞こえる音より20dB位大きめの音には気づき、反応を示してくれることがわかります。そして、おもちゃの中にリズムを奏でるものがあり、A君がうれしそうにからだをゆらして聴く姿が見られました。このようにリズムのある音を心地よく聴くことができること、80dB位の大きな音であればゆとりを持って聞くことができることなどをA君は教えてくれました。お母さんとはこうしたA君の様子と環境音の大きさ、高さを確認しながら、テレビの音量を調整したり、これから続けていきたい環境音の聞かせ方について話し合いました。

 

 ひよこ組の子供達の聴力レベルや聴覚障害の種類は様々です。子供達はこの音は聞こえるけれども、この音は聞こえにくい、といった限界と可能性をそれぞれが持っています。お母さん達は、「音のあるなしは気づけるだろうけれども、なんの音かはわかるのは難しいだろう」、「救急車のサイレンや電話の音だったら音源はイメージできるだろう」とわが子の聞こえについてある程度把握しておくことは大切なことです。低音域の聴力だけが活用できる子供に、たとえば4000ヘルツの高い電子レンジの「チン」を聞かせようと毎日お母さんが力を入れるよりは、掃除機のスイッチを一緒に入れ、振動も感じながら聞くことを楽しむ方が子供は聞く楽しさを味わうことができるでしょう。

 しかし、その一方で子供が聞くことが可能な音であれば、数日やって気づかないから「この音は聞こえない」と早急に決めつけるのではなく、お母さんをはじめとする身近な大人が一緒に音に気づき、共感する関わりをある期間重ねることで、ある日子供の気づきを実感できることがあります。例えば、夜お父さんが帰宅する頃にチャイムが鳴ったら、「あっ、お父さんが帰ってきたかな?」とお父さんの写真、お父さんの手話、「お父さんかな?」ということばと合わせて音に気づかせる関わりを毎日重ねてみましょう。ある日、チャイムが鳴った時に、「ハッ!」と玄関を見て、お父さんという手話や自前のサインでお母さんに「お父さんかな?」と伝えてくる子供の様子を見ることができるようになるでしょう。このように、わが子の聞こえの状態と、環境音の特性を知っておくことで、わが子に合った聴覚活用を促していくことができます。

 

聴器をつけ始めた子供は、すぐには「あれは車の走る音」で、「あの音は水が出ている音」、なんてはっきりと意味を理解することはできません。すべてが雑音として耳に入ってくる音の中から、一つ一つ音の意味と結びつけて聴くことができるようになるためには、子供といっしょに共感し、関わってくれる大人の存在が必要です。子供にとって音を聴く楽しさ、聴くことの意義、聞きたくなるような意欲と結びつけながら、大人が上手に関わることでその子どもなりの「聴く」楽しさを育てていくことができます。また、音源確認を始めとする写真、絵、手話、身振りといった視覚的手がかり、振動等の触覚が聴く学習の大きな助けになることも忘れずにおきましょう。」(SS記)

 新生児聴覚スクリーニング検査(以下、新スク)後の相談支援の状況は、地域によってまちまちです。多くの地域では、確定診断がなされるまでは病院や公的機関からの積極的な支援はなく、担当の保健師さんなどに、自分から相談してみてはじめて相談が開始されるということになることが多いようです。とはいっても、確定診断ができる3~6か月くらいまでは聴覚障害があるかないかまだわからない状態ですから、「聴覚障害に対する支援」ではなく、保護者とくにお母さんの不安や心配をきいてもらい、赤ちゃんと少しでもゆったりと笑顔で関われるように、心理的な援助やきこえる・きこえないに関係なく、その年齢の赤ちゃんに大切な子育てに関する支援が中心になります。また、場合によっては地域の聾学校乳幼児相談など専門的な相談機関を紹介してくれることもあります。

 では、新スクで確定診断がおり、その後、どのように子どもたちは成長していくのでしょうか? ここでは、確定診断の頃に地域の聾学校乳幼児相談(以下、乳相)を紹介され、その後、そのお子さんがどのように成長していったのか、乳幼児相談2歳児クラスを修了するときの保護者の手記から、4つの事例を紹介したいと思います。

 

1.Aちゃん(現在普通中学校)

新スク後4か月より来談。乳相修了後普通幼稚園入園。4歳で人工内耳装用。普通小学校を経て、現在、普通中学校。

 

「精密検査をした病院の紹介でP聾学校を訪れることになりました。初めての聾学校ではたくさんの親子連れで賑わっていました。その中で先生たちが子どもたちに「おはよう、いい天気だね」と話しかけていて、とっても明るくハキハキした先生たちが印象的でした。この時思ったのは「先生は話しかけのお手本なのだ。母親が子どもに話しかける時の模範なんだ。私も真似しよう」ということです。目を見て、ゆっくりと、大きめの声で、子どもの興味に沿って話しかける。これは子どもの語彙を増やす、という難聴児への話しかけの基本になるものなんだとあとで気がつきました。

 子どもへの話しかけを繰り返していると、子どもはやがて興味がある時、何かに感動した時、嬉しい時、悲しい時、びっくりした時・・、子どもは共感してもらいたくて褒めてもらいたくて親の顔を見るようになりました。そんな時にかけた言葉はスッ取り込まれていくということをグループに参加することで知らず知らずのうちに学んでいたのだと思います。

 子どもの難聴確定の前から「聴こえないかもしれないから手話を勉強しなくちゃ」と必死で勉強したことを思い出しました。その時は聴力レベルの差による教育の違いであるとか、聴覚口話法、バイリンガル法など知らず、ただ単語を覚えたりテレビの手話講座を見て丸暗記したりして子どもに話しかけていました。子どもが1歳になるまでは反応もなく、意味があるのかと疑問に思うこともありましたが、だんだんと模倣が始まり、いつしか会話になり、主張になり、ごっこ遊びになり・・・、と変化していきました。

 

 しかし、2歳くらいから手話と音声との関係について悩みはじめ、本などで調べてみました。手話には聾者の間で聾文化の中で生まれた日本手話と日本語の音声と併用する対応手話がることを知りました。聾児には日本手話が分かりやすいようだ、との意見もある中で、自分は日本手話はまだまだであること、聴者である親が日本手話をどこまでできるのかという不安もありました。一方、親が聴者である以上、音声の世界に引っ張ってこられない者ものかなと思い悩み始めたのもこの頃であり、音声を意識した手話を使用し始めました。

 今は、手話と音声を併用しつつ、手話的な表現も大好きなわが子。わからない単語はその状況を自分なりに写像して表現しているのを見ると、やはりよく見ているなあと思います。しかし、補聴器も大好きでいろいろな環境音を聞き分けたり、車の音や鳥の声も模倣したりして楽しんでいます。二歳違いのやはり難聴の妹をつかまえて「しまじろうのテレビを一緒に見ようよ」「ママが座って食べようと言っているよ」などど手話で会話するようにもなってきました。同じ障害を持つ二人はいずれは助け合い、たくましく生きていってほしいと思います。」

 

2.Bちゃん(現在聾学校小学部)

 サイトメガロウィルスによる高度難聴。生後4か月よりQ聾学校乳相で聴覚口話法で指導を受けた後、1歳8か月より公立P聾学校へ。23か月時人工内耳装用。その後、聾学校幼稚部を経て現在小学部高学年。日本語も学力も順調に伸び、Jcoss小4年・全20項目通過、小4年読書力偏差値70。

 

「Bは200×年、52,800gで生まれました。出産後に新スクの説明を受け、任意でしたが軽い気持ちで受けました。まさか検査にひっかかるなんて考えもしませんでした。入院中に何度やっても結果は「リファー」。退院後にも3回しましたがやはりリファーでした。里帰り出産だったので病院の紹介状をもらい、Bが2か月になってから住んでいる近くの病院に行きました。ABRでしたが自然睡眠だったので途中起きてしまい時間切れで断念。運よくその日の夕方に予約がとれたので、今度は座薬を入れておっぱいを飲ませてなんとか検査が終了しました。4日後の夜、夫から「病院から電話があった。だめだっだ」とぼそっと言いました。耳を疑いました。私は絶対大丈夫と強く信じていたので思ってもいない結果に涙が止まりませんでした。夫は「泣いても何も変わらない。これからBのためにできることをやっていこう、と前向きに考えてくれましたが、私も子どもの前では泣くのをやめて笑顔でがんばろうと思いました。が、Bの顔を見ると涙があふれ、これからどうなるのだろうと不安でいっぱいでした。

2日後に検査入院。1週間後に結果を聞きに行き、サイトメガロウィルスによる重度難聴と聞かされました。その後、小児難聴専門医を紹介してもらい、T先生に出会い、口話、手話、人工内耳などのことも知り、0歳から通える聾学校の存在も教えてもらいましたが、まだまだ先の見えないトンネルで、Bが眠ってから泣いてばかりいるマイナス思考の私に、夫が「何があってもBはB.今はできる限りの手を尽くして一緒にがんばろう。どうなろうともBのことを全力で育てていこう」と私を励ましてくれました。

 

生後4か月の時、国立Q聾学校に相談に行きました。この頃はまだ手話に抵抗があり、できるなら口話で話せるようになって欲しいと思っていました。4か月のBを抱き、片道1時間半、週1回のグループと月1回の個別相談に17カ月まで通いました。補聴器も早速作りました。この頃は早くに補聴器をつけて教育すれば話せるようなると思っていたので手話を使うことは考えませんでした。

Q聾学校に通い始めて1年たち、補聴器をつけていても言葉が出てこないし、親子のコミュニケーションもとれず、モノに名前があることもわからなかったので、このままじゃだめだと思う、家で少しずつ手話を使い始めました。「おいしい」などすぐに真似をしてくれたので、感動して、病院でそのことを話したら、T先生は「聴力が重いし手話も使って言葉を教えていった方がいいよ」と言われ、先生の勧めもあってP聾学校に通うことに決めました。

 

18か月から0歳児グループに入りました。自ら難聴のお子さんを育てられたM先生から、手話の大事さ、難聴や子育て全般のアドバイスをいただきました。Bも少しずつ先生や学校に慣れてきて、手話もどんどん覚え、小さな手を動かしてお話ししてくれるようになりました。もっと早くに手話を使っていたら、もっと早くモノに名前があることに気づかせてあげられたし、親子のコミュニケーションもとれたのに、と後悔しましたが、先生から「まだまだこれからよ!」と励まされました。

あっという間に年度も変わり1歳児グループになりました(本来は2歳グループ)。S先生は、毎日の生活の中での言葉の育て方、遊びの中での接し方、絵本の読み聞かせ方、絵カードや写真カードの活用の仕方、体験カードの作り方など、毎回いろんな題材で教えて下さりとても勉強になりました。手話と声を両方使って子どもたちに接してくださり、Bも先生が大好きになりました。

2歳グループになり、家に貼ってある指文字表を見て覚え、指文字も使い始めました。36か月の時には文字も読めるようになり、自分の名前も指文字と文字でわかるようになりました。手話も2語文ができるようになりました。でも、「どっち?」「何色がほしい?」などの質問に応えることがまだできませんでした。こちらが応えを例示して代弁しながら買物ごっこや病院ごっこなどの遊びの中で少しずつ質問にも答えられるようになりました。ゆっくりだけれど確実に成長してきていると思います。

 

 補聴器を付けられない日が続き、病院のT先生に相談すると、「おそらく補聴器をつけても何も聞こえないから補聴器をつけるのを嫌がるのかも? 聴覚を活用させたければ人工内耳も考えてみては?」と言われました。Bにとって何がよいのか、手術のリスクや様々な規制など何度も何度も悩んで決断し、2歳3か月で手術をしました。人工内耳前から手話を使っていたので、手術後も変わらす手話で言葉を教えていきました。同時に音声も意識して話しかけました。そしてちょうど術後1年の頃、音声での言葉も出てきました。Bからの発信も手話・指文字と音声とで出てくるようになりました。今は友達の輪に入って手をつないだり走り回ったりしてはしゃいでいます。私もそんなBの姿を見て、P聾学校に来てよかったなとしみじみ感じています。先生方のおっしゃる通り、手話を使っても音声も育ってきたので信じて頑張ってきてよかったなと思います。

 人工内耳をしたら普通幼稚園に行く人も多いので、私も楽観的に考えていました。しかし、普通幼稚園でのコミュニケーションの難しさ、日本語や学力への懸念など、先生にも相談に乗ってもらい、聾学校幼稚部に進むことに決めました。Bには、少人数で、しっかりと理解できる環境が大事!というのが結論でした。」

 

3.Cちゃん(現在特別支援学校小学部)

 チャージ症候群、弱視、気管支切開等の重複障害があり、乳相修了後は地域の療育機関へ。並行して月1回聾学校の相談を継続。現在は特別支援学校小学部である。     

 

「Cはチャージの特徴である目の見えづらさと難聴、呼吸を確保するための気管支切開と管から栄養を入れる胃ろうをしています。命をつなぐNICU(新生児集中治療室)に1歳8ヵ月入院していました。聞こえに問題があることはわかっていましたが、息が出来ない、食べられない、視力も望めないと言われていた当初、耳のことはいつも後回しでした。

生後5ヵ月でチャージ症候群と診断され、同じ病気のママたちとつながり、聾教育の大切さを教えてもらい、P聾学校乳相に参加しました。しかし、その後の治療がうまくいかず、聾学校どころか病院以外の外出さえ出来ない日々がさらに1年続きました。入退院の繰り返し、突然おそわれる痛みを伴う出血に苦しみ、24時間チューブにつながれていました。

動きたい盛りの2歳児。思いっきり遊ばせてあげたい、でも痛みと出血があり限界がある。Cが起きている間は必ず誰かマンツーマンでボトルを抱え複数のラインが抜けないように注意しながら不自由な中でも最大限に自由と楽しい遊びを作り出す努力をしました。

出かけられない、自由に動けない日々の中で、親としてやってあげられることを探しました。写真カードを山のようにつくり、絵本を手話で読み、写真日記を始めました。入院中のベッドの上でも。治療法が見つからず痛みと出血が続く辛い毎日。今振り返れば母親の私は鬱状態でした。しかし、手話を学ぶこと、Cに手話で話しかけることが、辛い日々に明るさをくれました。しつこくしつこくやり続けたことでCは少しずつ手話を理解するようになり、少ないながらも自分から手話をしてくれるようになりました。

その後原因が分かり2度にわたり手術。やっと自由な日々が始まりました。乳相2歳児の重複児のグループに入りました。それもあと5ヵ月で終わりという時でした。でも、重複児たちが集まるそのグループは、皆、ゆる~い優しい雰囲気。私もその中ではCの手話のできなさ、全体的な発達の遅さ、医療ケアの重さに対してもゆる~い気持ちで過ごすことができました。Cもはじめは泣いてばかりいましたが、楽しい雰囲気の教室が好きになり、聾学校の写真カードを見せると喜ぶようになりました。

 生きていくために自分の意思を他者に伝えるツールは大切です。人に頼ることが多くなるほど、なおのこと。Cにとって手話を獲得することは、人とつながる喜びと自由が増えることです。手話がCにとって大切な言語になってほしいと願って、これからも手話を続けていきたいと思っています。」

 

4.Dちゃん(現在聾学校幼稚部)

 重度難聴。新スク後5か月で乳相来談。乳相修了後は聾学校幼稚部に入学。

 

「Dが元気に生まれてきてくれたことは私たち夫婦が最も感謝していることです。そして次に感謝していることと言えば、私たちをきこえない世界に招待してくれたことです。 

Dの耳が聞こえないということは生後5日目の新スク検査でわかりました。それから様々な検査を受け、最終的に重度感音性難聴との診断を受けました。それまでは、内耳や聴神経の未熟性のために、これからの成長で結果が覆ることもある、という淡い期待をもっていたので心のふんぎりがつかずモヤモヤとした非簿を過ごしていました。インターネットを見あさって一喜一憂したり、危うく宗教まがいの鍼治療を受けようともしました。聞こえるようになるためにはどうしたらいいのか。毎日そればかりを考え口を開けば涙も一緒に出てしまうような、そんな精神状態でした。

でも、「ほとんど聞こえない」という聴力の程度が、状況を把握するにはあまりにもわかりやすく、「聞こえないD」ということを受け容れるのにあまり時間はかかりませんでした。そこには、乳相で過ごした日々と数々の出会い、後押しがあったこと。それが3番目に感謝したいことです。

 

 私たちが成長のポイントとなった考え方や出来事を振り返ってみたいと思います。

①「日本人の私からフランス人の子どもが生まれてきた」

 これを聞いて自分の置かれている状況がスーッと呑み込めました。なるほど、Dと私たちはコミュニケーション手段が違うだけ。それなら私たちがDに寄り添えばいいのだ、とパーッと霧が晴れたような気持でした。そして、私たちは完ぺきなフランス人にはなれないし、Dは完ぺきな日本人にはなれない。つまり、Dをきこえるようにすることは無理なんだ。Dはきこえないままでいいんだ、と気づいたのです。そう考えると、今まで「きこえるようにするために・・」とあがいていた気持ちが消え、とても楽になりました。

 

②「どんなに手話が上手でも子どもの気持がわかってあげられなければ意味がない」

 コミュニケーションの手段こそ違うものの、私たちは親子です。分かり合えない手話ならコミュニケーションとは言えない。単語を覚えることも大事です。でもその前に、伝え合う姿勢や親子の信頼関係が大切なんだと思えるようになりました。

・表現の背景にあるDの心や考えを常に探るようにすること。

・通じなかった会話をそのままうやむやにしたまま終わらせないこと。

この2つを忘れないように心がけています。また、私の怒りを表す際、「手話に切り替えると・・」と考えるうちに自然とアンガーマネジメントが出てしまうという逆に悲しい出来事が続きました。感じた感情は表情や思いつく簡単な手話でとにかくストレートに伝えることも大切だと感じています。まさに「鬼の形相」は家族だからこそ見せられる特別な顔なのです。

 

③きこえない人との出会い

 きこえない先生、ママ、大学生・・・。手話サークルで、イベントで、居酒屋さんで、電車の中で・・たくさんの聞こえない人との出会いがありました。今では、きこえない人に出会えると、有名人に遭遇したような程よい緊張感と喜びを感じるほどです。そして、勝手に親近感を抱いてしまいます。特に、ロールモデルとする聾者との出会いは、我が家にとっては心のよりどころとなる大切な出会いでした。彼らを通して、きこえない世界や聾文化やルール、そしてそれぞれの表現について知ることができました。そのことは、Dの行動理解にもつながり、関わりを試行錯誤する上での大きなヒントを得ることになり、家族間でのやりとりがスムーズになっていきました。「今日はこんなことをきいた」「その表現は素敵」「こんな時はどう説明したらいいのかな?」・・と夫とも話し合いながらコミュニケーションを深めていけるのは、とても幸せです。「脱・お茶の間の孤独!」「目指せ、デフファミリー!」を目標にこれからも邁進したいと思います。

 

Dと家族の成長

 Dが生後7か月頃から私の手話を見て笑ってくれたり、喜んだりするなどの藩王を示してくれるようになり、生後10か月の時に手話初語を表現してくれました。記念すべきひと言目は「パイパイ」でした。オッパイ星人のDらしい一言でした。「通じる!伝わる!」という積み重ねは、努力が報われたような気持になり、Dとのかかわりが楽しくなりました。手話で会話していると周りの視線を感じます。最初は、「嫌だな・・」と思うこともありましたが、今ではすっかり慣れ、「どうぞご覧になって下さい」と思うほど精神的にたくましくなりました。

 18か月~2歳半くらいまでの1年間は、いやいや期のDとの格闘の日々でした。せんせいがたや先輩ママからのアドバイスをもとに様々なアプローチを試し、周りの協力のおかげでなんとかその時期を乗り越えることができ、家族全員がまた少し成長したように思います。

 M先生の「子育ては最高の贅沢」という言葉を胸に、手間のかかる毎日を過ごしています。でもそこには、楽しい前向きな気持ちが大きくあります。少しの頑張りでも「よくやっている!」と認めてくれる先生や夫の存在のおかげです。できないことよりも、できたことを! 家族中が小さな成功体験を認め合って、少しずつ前に進んでいきたいと思っています。聞こえないこととはそのくらい当たり前で、普通のことになりました。そんなふうに考えられるようになったのは、私たち夫婦のもとへDが来てくれたことによって、たくさんの変化があったおかげです。新たな価値観や考え方、そして新たな、手話ということばを持つことができました。Dの親になれて本当に幸せです。これからもDへの感謝を忘れずに親子で育ちあっていきたいと思います。」

 

発達早期の手話の意味.jpg以上、新スクを受けたお子さんの中から、乳幼児相談修了後はそれぞれの道を歩んでいる4人のお 子さんと家族について紹介しました。普通校へ進んだ子もいれば聾学校へ進んだ子、別の特別支援学校に進んだ子もいます。発達障害のある子もない子も、また別の障害をもった子もいます。しかし、この4人の子どもたち皆に共通しているのは、発達早期から手話を使って育って来ているという点です。聴力0デシベルのきこえる子にとって音声言語は100%わかる(=聞き取れる)ことばです。私たちきこえる者は生まれたときから、100%聞き取れるこの音声言語を使って育ちました。しかし、補聴器や人工内耳をしたきこえない子・きこえにくい子は、どこまでいっても 聾学校乳相.jpg音声言語は「100%聞き取れることば」にはなりません。それが「聴覚障害」ということです。その点、手話は視覚言語ですからきこえない子にも100%わかります。ですから手話初語の獲得も1歳前後から始まるのです。100%見てわかる言葉を使って、自由に思いを伝え合うこと。そこから子どものあらゆる成長発達が始まっていくということを知っていただければと思います。

 この検査は、赤ちゃんが生後2日目頃から退院までに行う検査で、眠っている赤ちゃんに40デシベル前後のささやき声程度の音をきかせ、、その反応を調べる検査です。検査にかかる時間は数分から10分程度で、結果をコンピュータが判断して「パス(反応あり)」または「リファー(要再検査)」で表示します。 新スク.jpg

 現在は大きく分けて2種類の検査機器が使用されています。一つは自動OAE(耳音響反射)といって、赤ちゃんにイヤホンから小さな音を聞かせ、耳の中から反射してくる音を測定します。機器の性質上、耳垢や羊水の影響で自動ABRに比べてリファーが出やすい傾向があります。

もう一つは自動ABRといって、赤ちゃんにヘッドホンから音を聞かせ、その反応を脳波で調べるタイプの機器です。

こうした機器で複数回測定し、結果的に「リファー(要再検査)」となった場合、耳鼻科医での診察・精密検査を受けることになります。

しかし、未だ聴覚障害が「確定」ではないとは言え、保護者が受けるショックは大きい。ある保護者の方は次のように語っておられます。

 

「わが手に抱いた赤ちゃんの耳が聞こえていないかもしれないと言われた時、深い不安と混乱の中に突き落とされた。子どもにどう接したらいいのか、ガラガラを振ってみても子守唄を歌ってみても、この子には届いていないのかもしれないという疑心暗鬼に襲われた。赤ちゃんに何よりも大切な、母親の明るい笑顔を、私は与えられなかった・・」

 

ところが、こんなに早く発見してもすぐに教育が始められるわけではなく、音への反応が確かになってくる生後3~4か月頃でのABR(聴性脳幹反応検査)やその他の聴力検査をするまでは正確にはわからないのです。ということは、それまでの間は、保護者は不安と焦燥の中に置かれ心の平安を得ることのない日々が続くことになります。

では、いったい、なんのための検査なのか、「3~4か月くらいまでせいかくにはわからないのだったら、そのときに調べればよいのではないか?」 その通りです。本来は3~4か月に検査をすればよいのですが、ご存知のようみ、3~4か月頃の赤ちゃんは目覚めている時間が長くなり、手足を活発に動かすことも多くなるために、なかなかこのような睡眠状態での検査ができず、また、きこえの検査を受けるためにわざわざ病院に行くのも大変なことです。そこで実施されるようになったのが、生まれた赤ちゃんがまだ入院中で、自然に眠っている新生児期にできる検査でした。

 

しかし、「リファー」を告げられたお母さんや家族の方には必要以上に不安や心配を与えることになってしまったのも事実です。聴覚障害があるのかないのかもわからないのに、「リファー」と言われたおかげで「聞こえていなかったらどうしよう?」「聞こえなかったらどう育てていけばいいのだろう?」「聞こえないということから逃れる方法はないのだろうか?」と、先々のことが心配になるのは当然のことと言えましょう。長い妊娠期間を終え、やっと待望の赤ちゃんを胸に抱いたばかりの時期、わが家に初めて赤ちゃんを迎え入れ、これから新しい家族として一歩を踏み出すスタートの時に、大きな不安が目の前にぶら下がっていることは本当につらいことだと思います。

 

リファー.jpgでは、きちんとした診断がつくまでに時間がかかるとしたら、いったいこの時期をどう過ごせばよいのでしょうか? きこえてもきこえていなくても、この時期、大切にすべきことはどんなことでしょうか? そんな悩みについて、相談にのってくれるところはあるのでしょうか? 早期発見を意義あるものにするためにはそのようなサポート体制の整備が不可欠です。現在、我が国のサポート体制はまだまだ十分とは言えませんが、各都道府県に必ず1校以上はある聾学校の乳幼児教育相談がその相談にのってくれると思います。

また、右に紹介した冊子「『リファー(要再検査)』となったお子さんのお母さんと家族の方へ」(全国早期支援研究協議会発行,300)は、お母さん方の不安や疑問に優しくそして的確に応えてくれる一冊だと思います。

 

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