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新生児聴覚スクリーニング検査

 先日、人工内耳に関する記事を書いたら、それを読んだ方から「BOAってなんですか?」という質問をいただきました。そうでした。説明を忘れていました。これは、聴性行動反応聴力検査といって、Behavior Observation Audiometoryの略です。

乳児は、突然に音や人の声がすると、ハッとなる、目を動かす、振り向く、音源を探す、泣き出すなどいろいろな反応を示します。このような聴性反応を利用して、聴力検査を行う方法で、いろいろな音を直接(あるいは検査室でスピーカーを通じて)乳児に聞かせます。そして反応があったときにその位置での音圧を調べます。この音圧から聴力レベルを測定します。

  無料アプリ.jpgこうした方法を、私が関係している聾学校乳幼児相談では、乳児室や検査室での検査だけでなく、家庭にも出向いて行っています。 以下は、担当者の記録から引用しますが、当時はまだスマホのアプリに騒音計はなかったので、学校にある騒音計を持っていき測定していました。現在はスマホアプリがあり、赤ちゃんがどの音量の時に聞こえているのか家庭でも簡単に測定できますが、保護者の方は、子どもに音をきかせて振り向いてくれたら、なにか楽しいことがあるという工夫をしていただきたいです。音を出して振り返ることだけをやっていると、子どもは、振り向いてもつまらないので、音をきく意味を感じられずだんだんと音に反応しなくなります。以下、引用します。

 

「先日1歳児のA君のお宅に家庭訪問指導で伺いました。A君がいつも遊んでいるおもちゃでいっしょに遊びながら、どんな関わり方をすればいいか話し合ったり、騒音計でA君宅の環境音について調べ、お母さんに音の大きさや高さについて確認してもらったりしました。

 A君宅の環境音を調べてみると、A君の補聴器に入力されている「やっと聞こえるレベルの音」「少し大きめの音」は音が入っているはずでもA君が「聞こえるよ」という反応をすぐには示してくれないことがわかります。しかし、やっと聞こえる音より20dB位大きめの音には気づき、反応を示してくれることがわかります。そして、おもちゃの中にリズムを奏でるものがあり、A君がうれしそうにからだをゆらして聴く姿が見られました。このようにリズムのある音を心地よく聴くことができること、80dB位の大きな音であればゆとりを持って聞くことができることなどをA君は教えてくれました。お母さんとはこうしたA君の様子と環境音の大きさ、高さを確認しながら、テレビの音量を調整したり、これから続けていきたい環境音の聞かせ方について話し合いました。

 

 ひよこ組の子供達の聴力レベルや聴覚障害の種類は様々です。子供達はこの音は聞こえるけれども、この音は聞こえにくい、といった限界と可能性をそれぞれが持っています。お母さん達は、「音のあるなしは気づけるだろうけれども、なんの音かはわかるのは難しいだろう」、「救急車のサイレンや電話の音だったら音源はイメージできるだろう」とわが子の聞こえについてある程度把握しておくことは大切なことです。低音域の聴力だけが活用できる子供に、たとえば4000ヘルツの高い電子レンジの「チン」を聞かせようと毎日お母さんが力を入れるよりは、掃除機のスイッチを一緒に入れ、振動も感じながら聞くことを楽しむ方が子供は聞く楽しさを味わうことができるでしょう。

 しかし、その一方で子供が聞くことが可能な音であれば、数日やって気づかないから「この音は聞こえない」と早急に決めつけるのではなく、お母さんをはじめとする身近な大人が一緒に音に気づき、共感する関わりをある期間重ねることで、ある日子供の気づきを実感できることがあります。例えば、夜お父さんが帰宅する頃にチャイムが鳴ったら、「あっ、お父さんが帰ってきたかな?」とお父さんの写真、お父さんの手話、「お父さんかな?」ということばと合わせて音に気づかせる関わりを毎日重ねてみましょう。ある日、チャイムが鳴った時に、「ハッ!」と玄関を見て、お父さんという手話や自前のサインでお母さんに「お父さんかな?」と伝えてくる子供の様子を見ることができるようになるでしょう。このように、わが子の聞こえの状態と、環境音の特性を知っておくことで、わが子に合った聴覚活用を促していくことができます。

 

聴器をつけ始めた子供は、すぐには「あれは車の走る音」で、「あの音は水が出ている音」、なんてはっきりと意味を理解することはできません。すべてが雑音として耳に入ってくる音の中から、一つ一つ音の意味と結びつけて聴くことができるようになるためには、子供といっしょに共感し、関わってくれる大人の存在が必要です。子供にとって音を聴く楽しさ、聴くことの意義、聞きたくなるような意欲と結びつけながら、大人が上手に関わることでその子どもなりの「聴く」楽しさを育てていくことができます。また、音源確認を始めとする写真、絵、手話、身振りといった視覚的手がかり、振動等の触覚が聴く学習の大きな助けになることも忘れずにおきましょう。」(SS記)

 新生児聴覚スクリーニング検査(以下、新スク)後の相談支援の状況は、地域によってまちまちです。多くの地域では、確定診断がなされるまでは病院や公的機関からの積極的な支援はなく、担当の保健師さんなどに、自分から相談してみてはじめて相談が開始されるということになることが多いようです。とはいっても、確定診断ができる3~6か月くらいまでは聴覚障害があるかないかまだわからない状態ですから、「聴覚障害に対する支援」ではなく、保護者とくにお母さんの不安や心配をきいてもらい、赤ちゃんと少しでもゆったりと笑顔で関われるように、心理的な援助やきこえる・きこえないに関係なく、その年齢の赤ちゃんに大切な子育てに関する支援が中心になります。また、場合によっては地域の聾学校乳幼児相談など専門的な相談機関を紹介してくれることもあります。

 では、新スクで確定診断がおり、その後、どのように子どもたちは成長していくのでしょうか? ここでは、確定診断の頃に地域の聾学校乳幼児相談(以下、乳相)を紹介され、その後、そのお子さんがどのように成長していったのか、乳幼児相談2歳児クラスを修了するときの保護者の手記から、4つの事例を紹介したいと思います。

 

1.Aちゃん(現在普通中学校)

新スク後4か月より来談。乳相修了後普通幼稚園入園。4歳で人工内耳装用。普通小学校を経て、現在、普通中学校。

 

「精密検査をした病院の紹介でP聾学校を訪れることになりました。初めての聾学校ではたくさんの親子連れで賑わっていました。その中で先生たちが子どもたちに「おはよう、いい天気だね」と話しかけていて、とっても明るくハキハキした先生たちが印象的でした。この時思ったのは「先生は話しかけのお手本なのだ。母親が子どもに話しかける時の模範なんだ。私も真似しよう」ということです。目を見て、ゆっくりと、大きめの声で、子どもの興味に沿って話しかける。これは子どもの語彙を増やす、という難聴児への話しかけの基本になるものなんだとあとで気がつきました。

 子どもへの話しかけを繰り返していると、子どもはやがて興味がある時、何かに感動した時、嬉しい時、悲しい時、びっくりした時・・、子どもは共感してもらいたくて褒めてもらいたくて親の顔を見るようになりました。そんな時にかけた言葉はスッ取り込まれていくということをグループに参加することで知らず知らずのうちに学んでいたのだと思います。

 子どもの難聴確定の前から「聴こえないかもしれないから手話を勉強しなくちゃ」と必死で勉強したことを思い出しました。その時は聴力レベルの差による教育の違いであるとか、聴覚口話法、バイリンガル法など知らず、ただ単語を覚えたりテレビの手話講座を見て丸暗記したりして子どもに話しかけていました。子どもが1歳になるまでは反応もなく、意味があるのかと疑問に思うこともありましたが、だんだんと模倣が始まり、いつしか会話になり、主張になり、ごっこ遊びになり・・・、と変化していきました。

 

 しかし、2歳くらいから手話と音声との関係について悩みはじめ、本などで調べてみました。手話には聾者の間で聾文化の中で生まれた日本手話と日本語の音声と併用する対応手話がることを知りました。聾児には日本手話が分かりやすいようだ、との意見もある中で、自分は日本手話はまだまだであること、聴者である親が日本手話をどこまでできるのかという不安もありました。一方、親が聴者である以上、音声の世界に引っ張ってこられない者ものかなと思い悩み始めたのもこの頃であり、音声を意識した手話を使用し始めました。

 今は、手話と音声を併用しつつ、手話的な表現も大好きなわが子。わからない単語はその状況を自分なりに写像して表現しているのを見ると、やはりよく見ているなあと思います。しかし、補聴器も大好きでいろいろな環境音を聞き分けたり、車の音や鳥の声も模倣したりして楽しんでいます。二歳違いのやはり難聴の妹をつかまえて「しまじろうのテレビを一緒に見ようよ」「ママが座って食べようと言っているよ」などど手話で会話するようにもなってきました。同じ障害を持つ二人はいずれは助け合い、たくましく生きていってほしいと思います。」

 

2.Bちゃん(現在聾学校小学部)

 サイトメガロウィルスによる高度難聴。生後4か月よりQ聾学校乳相で聴覚口話法で指導を受けた後、1歳8か月より公立P聾学校へ。23か月時人工内耳装用。その後、聾学校幼稚部を経て現在小学部高学年。日本語も学力も順調に伸び、Jcoss小4年・全20項目通過、小4年読書力偏差値70。

 

「Bは200×年、52,800gで生まれました。出産後に新スクの説明を受け、任意でしたが軽い気持ちで受けました。まさか検査にひっかかるなんて考えもしませんでした。入院中に何度やっても結果は「リファー」。退院後にも3回しましたがやはりリファーでした。里帰り出産だったので病院の紹介状をもらい、Bが2か月になってから住んでいる近くの病院に行きました。ABRでしたが自然睡眠だったので途中起きてしまい時間切れで断念。運よくその日の夕方に予約がとれたので、今度は座薬を入れておっぱいを飲ませてなんとか検査が終了しました。4日後の夜、夫から「病院から電話があった。だめだっだ」とぼそっと言いました。耳を疑いました。私は絶対大丈夫と強く信じていたので思ってもいない結果に涙が止まりませんでした。夫は「泣いても何も変わらない。これからBのためにできることをやっていこう、と前向きに考えてくれましたが、私も子どもの前では泣くのをやめて笑顔でがんばろうと思いました。が、Bの顔を見ると涙があふれ、これからどうなるのだろうと不安でいっぱいでした。

2日後に検査入院。1週間後に結果を聞きに行き、サイトメガロウィルスによる重度難聴と聞かされました。その後、小児難聴専門医を紹介してもらい、T先生に出会い、口話、手話、人工内耳などのことも知り、0歳から通える聾学校の存在も教えてもらいましたが、まだまだ先の見えないトンネルで、Bが眠ってから泣いてばかりいるマイナス思考の私に、夫が「何があってもBはB.今はできる限りの手を尽くして一緒にがんばろう。どうなろうともBのことを全力で育てていこう」と私を励ましてくれました。

 

生後4か月の時、国立Q聾学校に相談に行きました。この頃はまだ手話に抵抗があり、できるなら口話で話せるようになって欲しいと思っていました。4か月のBを抱き、片道1時間半、週1回のグループと月1回の個別相談に17カ月まで通いました。補聴器も早速作りました。この頃は早くに補聴器をつけて教育すれば話せるようなると思っていたので手話を使うことは考えませんでした。

Q聾学校に通い始めて1年たち、補聴器をつけていても言葉が出てこないし、親子のコミュニケーションもとれず、モノに名前があることもわからなかったので、このままじゃだめだと思う、家で少しずつ手話を使い始めました。「おいしい」などすぐに真似をしてくれたので、感動して、病院でそのことを話したら、T先生は「聴力が重いし手話も使って言葉を教えていった方がいいよ」と言われ、先生の勧めもあってP聾学校に通うことに決めました。

 

18か月から0歳児グループに入りました。自ら難聴のお子さんを育てられたM先生から、手話の大事さ、難聴や子育て全般のアドバイスをいただきました。Bも少しずつ先生や学校に慣れてきて、手話もどんどん覚え、小さな手を動かしてお話ししてくれるようになりました。もっと早くに手話を使っていたら、もっと早くモノに名前があることに気づかせてあげられたし、親子のコミュニケーションもとれたのに、と後悔しましたが、先生から「まだまだこれからよ!」と励まされました。

あっという間に年度も変わり1歳児グループになりました(本来は2歳グループ)。S先生は、毎日の生活の中での言葉の育て方、遊びの中での接し方、絵本の読み聞かせ方、絵カードや写真カードの活用の仕方、体験カードの作り方など、毎回いろんな題材で教えて下さりとても勉強になりました。手話と声を両方使って子どもたちに接してくださり、Bも先生が大好きになりました。

2歳グループになり、家に貼ってある指文字表を見て覚え、指文字も使い始めました。36か月の時には文字も読めるようになり、自分の名前も指文字と文字でわかるようになりました。手話も2語文ができるようになりました。でも、「どっち?」「何色がほしい?」などの質問に応えることがまだできませんでした。こちらが応えを例示して代弁しながら買物ごっこや病院ごっこなどの遊びの中で少しずつ質問にも答えられるようになりました。ゆっくりだけれど確実に成長してきていると思います。

 

 補聴器を付けられない日が続き、病院のT先生に相談すると、「おそらく補聴器をつけても何も聞こえないから補聴器をつけるのを嫌がるのかも? 聴覚を活用させたければ人工内耳も考えてみては?」と言われました。Bにとって何がよいのか、手術のリスクや様々な規制など何度も何度も悩んで決断し、2歳3か月で手術をしました。人工内耳前から手話を使っていたので、手術後も変わらす手話で言葉を教えていきました。同時に音声も意識して話しかけました。そしてちょうど術後1年の頃、音声での言葉も出てきました。Bからの発信も手話・指文字と音声とで出てくるようになりました。今は友達の輪に入って手をつないだり走り回ったりしてはしゃいでいます。私もそんなBの姿を見て、P聾学校に来てよかったなとしみじみ感じています。先生方のおっしゃる通り、手話を使っても音声も育ってきたので信じて頑張ってきてよかったなと思います。

 人工内耳をしたら普通幼稚園に行く人も多いので、私も楽観的に考えていました。しかし、普通幼稚園でのコミュニケーションの難しさ、日本語や学力への懸念など、先生にも相談に乗ってもらい、聾学校幼稚部に進むことに決めました。Bには、少人数で、しっかりと理解できる環境が大事!というのが結論でした。」

 

3.Cちゃん(現在特別支援学校小学部)

 チャージ症候群、弱視、気管支切開等の重複障害があり、乳相修了後は地域の療育機関へ。並行して月1回聾学校の相談を継続。現在は特別支援学校小学部である。     

 

「Cはチャージの特徴である目の見えづらさと難聴、呼吸を確保するための気管支切開と管から栄養を入れる胃ろうをしています。命をつなぐNICU(新生児集中治療室)に1歳8ヵ月入院していました。聞こえに問題があることはわかっていましたが、息が出来ない、食べられない、視力も望めないと言われていた当初、耳のことはいつも後回しでした。

生後5ヵ月でチャージ症候群と診断され、同じ病気のママたちとつながり、聾教育の大切さを教えてもらい、P聾学校乳相に参加しました。しかし、その後の治療がうまくいかず、聾学校どころか病院以外の外出さえ出来ない日々がさらに1年続きました。入退院の繰り返し、突然おそわれる痛みを伴う出血に苦しみ、24時間チューブにつながれていました。

動きたい盛りの2歳児。思いっきり遊ばせてあげたい、でも痛みと出血があり限界がある。Cが起きている間は必ず誰かマンツーマンでボトルを抱え複数のラインが抜けないように注意しながら不自由な中でも最大限に自由と楽しい遊びを作り出す努力をしました。

出かけられない、自由に動けない日々の中で、親としてやってあげられることを探しました。写真カードを山のようにつくり、絵本を手話で読み、写真日記を始めました。入院中のベッドの上でも。治療法が見つからず痛みと出血が続く辛い毎日。今振り返れば母親の私は鬱状態でした。しかし、手話を学ぶこと、Cに手話で話しかけることが、辛い日々に明るさをくれました。しつこくしつこくやり続けたことでCは少しずつ手話を理解するようになり、少ないながらも自分から手話をしてくれるようになりました。

その後原因が分かり2度にわたり手術。やっと自由な日々が始まりました。乳相2歳児の重複児のグループに入りました。それもあと5ヵ月で終わりという時でした。でも、重複児たちが集まるそのグループは、皆、ゆる~い優しい雰囲気。私もその中ではCの手話のできなさ、全体的な発達の遅さ、医療ケアの重さに対してもゆる~い気持ちで過ごすことができました。Cもはじめは泣いてばかりいましたが、楽しい雰囲気の教室が好きになり、聾学校の写真カードを見せると喜ぶようになりました。

 生きていくために自分の意思を他者に伝えるツールは大切です。人に頼ることが多くなるほど、なおのこと。Cにとって手話を獲得することは、人とつながる喜びと自由が増えることです。手話がCにとって大切な言語になってほしいと願って、これからも手話を続けていきたいと思っています。」

 

4.Dちゃん(現在聾学校幼稚部)

 重度難聴。新スク後5か月で乳相来談。乳相修了後は聾学校幼稚部に入学。

 

「Dが元気に生まれてきてくれたことは私たち夫婦が最も感謝していることです。そして次に感謝していることと言えば、私たちをきこえない世界に招待してくれたことです。 

Dの耳が聞こえないということは生後5日目の新スク検査でわかりました。それから様々な検査を受け、最終的に重度感音性難聴との診断を受けました。それまでは、内耳や聴神経の未熟性のために、これからの成長で結果が覆ることもある、という淡い期待をもっていたので心のふんぎりがつかずモヤモヤとした非簿を過ごしていました。インターネットを見あさって一喜一憂したり、危うく宗教まがいの鍼治療を受けようともしました。聞こえるようになるためにはどうしたらいいのか。毎日そればかりを考え口を開けば涙も一緒に出てしまうような、そんな精神状態でした。

でも、「ほとんど聞こえない」という聴力の程度が、状況を把握するにはあまりにもわかりやすく、「聞こえないD」ということを受け容れるのにあまり時間はかかりませんでした。そこには、乳相で過ごした日々と数々の出会い、後押しがあったこと。それが3番目に感謝したいことです。

 

 私たちが成長のポイントとなった考え方や出来事を振り返ってみたいと思います。

①「日本人の私からフランス人の子どもが生まれてきた」

 これを聞いて自分の置かれている状況がスーッと呑み込めました。なるほど、Dと私たちはコミュニケーション手段が違うだけ。それなら私たちがDに寄り添えばいいのだ、とパーッと霧が晴れたような気持でした。そして、私たちは完ぺきなフランス人にはなれないし、Dは完ぺきな日本人にはなれない。つまり、Dをきこえるようにすることは無理なんだ。Dはきこえないままでいいんだ、と気づいたのです。そう考えると、今まで「きこえるようにするために・・」とあがいていた気持ちが消え、とても楽になりました。

 

②「どんなに手話が上手でも子どもの気持がわかってあげられなければ意味がない」

 コミュニケーションの手段こそ違うものの、私たちは親子です。分かり合えない手話ならコミュニケーションとは言えない。単語を覚えることも大事です。でもその前に、伝え合う姿勢や親子の信頼関係が大切なんだと思えるようになりました。

・表現の背景にあるDの心や考えを常に探るようにすること。

・通じなかった会話をそのままうやむやにしたまま終わらせないこと。

この2つを忘れないように心がけています。また、私の怒りを表す際、「手話に切り替えると・・」と考えるうちに自然とアンガーマネジメントが出てしまうという逆に悲しい出来事が続きました。感じた感情は表情や思いつく簡単な手話でとにかくストレートに伝えることも大切だと感じています。まさに「鬼の形相」は家族だからこそ見せられる特別な顔なのです。

 

③きこえない人との出会い

 きこえない先生、ママ、大学生・・・。手話サークルで、イベントで、居酒屋さんで、電車の中で・・たくさんの聞こえない人との出会いがありました。今では、きこえない人に出会えると、有名人に遭遇したような程よい緊張感と喜びを感じるほどです。そして、勝手に親近感を抱いてしまいます。特に、ロールモデルとする聾者との出会いは、我が家にとっては心のよりどころとなる大切な出会いでした。彼らを通して、きこえない世界や聾文化やルール、そしてそれぞれの表現について知ることができました。そのことは、Dの行動理解にもつながり、関わりを試行錯誤する上での大きなヒントを得ることになり、家族間でのやりとりがスムーズになっていきました。「今日はこんなことをきいた」「その表現は素敵」「こんな時はどう説明したらいいのかな?」・・と夫とも話し合いながらコミュニケーションを深めていけるのは、とても幸せです。「脱・お茶の間の孤独!」「目指せ、デフファミリー!」を目標にこれからも邁進したいと思います。

 

Dと家族の成長

 Dが生後7か月頃から私の手話を見て笑ってくれたり、喜んだりするなどの藩王を示してくれるようになり、生後10か月の時に手話初語を表現してくれました。記念すべきひと言目は「パイパイ」でした。オッパイ星人のDらしい一言でした。「通じる!伝わる!」という積み重ねは、努力が報われたような気持になり、Dとのかかわりが楽しくなりました。手話で会話していると周りの視線を感じます。最初は、「嫌だな・・」と思うこともありましたが、今ではすっかり慣れ、「どうぞご覧になって下さい」と思うほど精神的にたくましくなりました。

 18か月~2歳半くらいまでの1年間は、いやいや期のDとの格闘の日々でした。せんせいがたや先輩ママからのアドバイスをもとに様々なアプローチを試し、周りの協力のおかげでなんとかその時期を乗り越えることができ、家族全員がまた少し成長したように思います。

 M先生の「子育ては最高の贅沢」という言葉を胸に、手間のかかる毎日を過ごしています。でもそこには、楽しい前向きな気持ちが大きくあります。少しの頑張りでも「よくやっている!」と認めてくれる先生や夫の存在のおかげです。できないことよりも、できたことを! 家族中が小さな成功体験を認め合って、少しずつ前に進んでいきたいと思っています。聞こえないこととはそのくらい当たり前で、普通のことになりました。そんなふうに考えられるようになったのは、私たち夫婦のもとへDが来てくれたことによって、たくさんの変化があったおかげです。新たな価値観や考え方、そして新たな、手話ということばを持つことができました。Dの親になれて本当に幸せです。これからもDへの感謝を忘れずに親子で育ちあっていきたいと思います。」

 

発達早期の手話の意味.jpg以上、新スクを受けたお子さんの中から、乳幼児相談修了後はそれぞれの道を歩んでいる4人のお 子さんと家族について紹介しました。普通校へ進んだ子もいれば聾学校へ進んだ子、別の特別支援学校に進んだ子もいます。発達障害のある子もない子も、また別の障害をもった子もいます。しかし、この4人の子どもたち皆に共通しているのは、発達早期から手話を使って育って来ているという点です。聴力0デシベルのきこえる子にとって音声言語は100%わかる(=聞き取れる)ことばです。私たちきこえる者は生まれたときから、100%聞き取れるこの音声言語を使って育ちました。しかし、補聴器や人工内耳をしたきこえない子・きこえにくい子は、どこまでいっても 聾学校乳相.jpg音声言語は「100%聞き取れることば」にはなりません。それが「聴覚障害」ということです。その点、手話は視覚言語ですからきこえない子にも100%わかります。ですから手話初語の獲得も1歳前後から始まるのです。100%見てわかる言葉を使って、自由に思いを伝え合うこと。そこから子どものあらゆる成長発達が始まっていくということを知っていただければと思います。

 この検査は、赤ちゃんが生後2日目頃から退院までに行う検査で、眠っている赤ちゃんに40デシベル前後のささやき声程度の音をきかせ、、その反応を調べる検査です。検査にかかる時間は数分から10分程度で、結果をコンピュータが判断して「パス(反応あり)」または「リファー(要再検査)」で表示します。 新スク.jpg

 現在は大きく分けて2種類の検査機器が使用されています。一つは自動OAE(耳音響反射)といって、赤ちゃんにイヤホンから小さな音を聞かせ、耳の中から反射してくる音を測定します。機器の性質上、耳垢や羊水の影響で自動ABRに比べてリファーが出やすい傾向があります。

もう一つは自動ABRといって、赤ちゃんにヘッドホンから音を聞かせ、その反応を脳波で調べるタイプの機器です。

こうした機器で複数回測定し、結果的に「リファー(要再検査)」となった場合、耳鼻科医での診察・精密検査を受けることになります。

しかし、未だ聴覚障害が「確定」ではないとは言え、保護者が受けるショックは大きい。ある保護者の方は次のように語っておられます。

 

「わが手に抱いた赤ちゃんの耳が聞こえていないかもしれないと言われた時、深い不安と混乱の中に突き落とされた。子どもにどう接したらいいのか、ガラガラを振ってみても子守唄を歌ってみても、この子には届いていないのかもしれないという疑心暗鬼に襲われた。赤ちゃんに何よりも大切な、母親の明るい笑顔を、私は与えられなかった・・」

 

ところが、こんなに早く発見してもすぐに教育が始められるわけではなく、音への反応が確かになってくる生後3~4か月頃でのABR(聴性脳幹反応検査)やその他の聴力検査をするまでは正確にはわからないのです。ということは、それまでの間は、保護者は不安と焦燥の中に置かれ心の平安を得ることのない日々が続くことになります。

では、いったい、なんのための検査なのか、「3~4か月くらいまでせいかくにはわからないのだったら、そのときに調べればよいのではないか?」 その通りです。本来は3~4か月に検査をすればよいのですが、ご存知のようみ、3~4か月頃の赤ちゃんは目覚めている時間が長くなり、手足を活発に動かすことも多くなるために、なかなかこのような睡眠状態での検査ができず、また、きこえの検査を受けるためにわざわざ病院に行くのも大変なことです。そこで実施されるようになったのが、生まれた赤ちゃんがまだ入院中で、自然に眠っている新生児期にできる検査でした。

 

しかし、「リファー」を告げられたお母さんや家族の方には必要以上に不安や心配を与えることになってしまったのも事実です。聴覚障害があるのかないのかもわからないのに、「リファー」と言われたおかげで「聞こえていなかったらどうしよう?」「聞こえなかったらどう育てていけばいいのだろう?」「聞こえないということから逃れる方法はないのだろうか?」と、先々のことが心配になるのは当然のことと言えましょう。長い妊娠期間を終え、やっと待望の赤ちゃんを胸に抱いたばかりの時期、わが家に初めて赤ちゃんを迎え入れ、これから新しい家族として一歩を踏み出すスタートの時に、大きな不安が目の前にぶら下がっていることは本当につらいことだと思います。

 

リファー.jpgでは、きちんとした診断がつくまでに時間がかかるとしたら、いったいこの時期をどう過ごせばよいのでしょうか? きこえてもきこえていなくても、この時期、大切にすべきことはどんなことでしょうか? そんな悩みについて、相談にのってくれるところはあるのでしょうか? 早期発見を意義あるものにするためにはそのようなサポート体制の整備が不可欠です。現在、我が国のサポート体制はまだまだ十分とは言えませんが、各都道府県に必ず1校以上はある聾学校の乳幼児教育相談がその相談にのってくれると思います。

また、右に紹介した冊子「『リファー(要再検査)』となったお子さんのお母さんと家族の方へ」(全国早期支援研究協議会発行,300)は、お母さん方の不安や疑問に優しくそして的確に応えてくれる一冊だと思います。

 

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