全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

ろう重複障害・発達障害・APD・その他の障害

手話のもつよさの一つは、発達に遅れがあっても身につけられることです(*1)。発達に遅れがあってそこに難聴が加わると音声言語を身につけることは難しくなります。それは入ってくる音自体が曖昧で補聴器や人工内耳をしたとしても、音自体の曖昧さは変わらないからです。例えば、きこえる2歳児であれば「イヌだよ」と「イスだよ」は音として明確に区別できますが、難聴があると、極端に言えば「イウ」としてしかききとれないので、「イウ(=犬)だよ」「イウ(=椅子)だよ」は区別がつかず、前者が「イヌ」であり、後者が「イス」であることは、その場面での文脈とか実物とかさまざまな非言語情報から推測して同じ「イウ」でもどうも違う"意味"があるらしいと気づく程度で、明確に"言語"としてはまだ入力されません。言語はその最小単位である音韻が100%区別できないと習得できません(*ことばがなぜ通じるのかを研究したスイスのソシュールという言語学者は「言語が成立する究極条件は、言語記号の最小単位の独立性を保障する記号相互間の差異の知覚を必要とする」。つまり音韻の弁別ができないと言語は獲得できないことを明らかにしました)。そのために言語の獲得が遅れるわけです。

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この点、手話は見えていて、100%の手話の「音韻」("音"韻というのも変なのですが、言語は、単語から構成されており、単語はさらに音素=音韻から成り立っています。手話にもこのような構造があることがアメリカのストーキーによって証明されています)が区別できれば習得が可能です。また、手話はもともとそのモノやコトの形態的特徴を象徴していることが多いので(例えば「食べる」「飲む」などはほとんどその動作に近い)、わかりやすく、知的に障害があったとしても、音声言語よりはるかに獲得しやすい特徴があります。

 さて、ここで紹介するのは、サイトメガロウィルスによる難聴と発達障害のある子どもの例です。とても家族に愛されて育ち、そして早期から手話をつかったおかげで、定型発達のお子さんのペースよりは遅かったのですが、ちゃんと手話でコミュニケーションがとれるようになりました。以下、ママさんの手記より引用します。

 

〇さまざまな病気や障害が重なったわが子

わが子は、出生前から様々な器官に疾患の可能性を指摘されていました。産まれた瞬間、自発呼吸が出来ている事にまずは安堵したのを覚えています。それから2週間、NICUに入院しながら検査をして、難聴と発達遅延が主な症状として診断されました。生涯に渡って医療的ケアも必要になる可能性を示唆された上での難聴発覚。ショックはあまり感じず、「大きな声で話せば聞こえるのか。まぁ補聴器を使えば大丈夫でしょう!」くらいにのんびり構えていました。それは全くの無知による楽観視でした。

 

〇私の中での変化

生後5ヶ月になる頃、病院のSTさんより、最寄りのろう学校の見学を勧められました。当時の私の心境を書きます。

「少し聴こえにくい程度で、補聴器も付けるし生活に支障はないだろう。選択肢としてろう学校も視野に入るが、来年度は姉と一緒の保育園に通うだろうし、ゆくゆくは普通級に進学することになるだろう。手話は必要なのだろうか?知識として知っておくのはいいかもしれない。いまどきは口話を習得して、手話はあまり覚えないと聞いたことがあるような・・・。」

それまで、首が座るのも遅く、寝返りもしないわが子の発達ばかりに目を向け、難聴についての情報収集はほとんどしていませんでした。あまりに貧弱な知識、イメージのまま、生後5か月になったわが子を連れて、ろう学校を訪れたのです。

そこで私が受けた衝撃は、まさしくカルチャーショックでした。ろう教育の歴史と、ろう学校の取り組みについて知ると、話を聞きながら涙がこみ上げてきました。悲観からの涙ではなく、あまりに知らないことが多すぎたことにです。なぜ知ろうとしなかったのか。思い込みで思考をストップさせていた自分への憤りを感じました。それと同時に、授業の様子、生徒や校内の雰囲気を伺い知れて、学校に対する安心と信頼感を持てたことは、私の中で大きかったです。

新版きこえにくい.jpg

そこから私が取り組んだことは、軽度・中等度難聴サポートブック『新版・きこえにくいお子さんのために...』を購読し、難聴児本人や親を取り巻く現実を知ることでした(この本は、私のように「難聴」を知らない親にとって、必読の内容でした。日常でどんな事が起こり得るのか。難聴者本人や親御さんの実体験から、綺麗事で済まされない現実が見えてきました。「中途半端に聞こえるより、全く聞こえない方がいい。」難聴者の方が、自分の母親に伝えた言葉です。「難聴」ならではの苦労や葛藤がそこにありました。難聴診断された親御さんの手元に、すぐに渡るよう、関連機関などで広く紹介して欲しいです)。上記書籍は下記URLをご覧ください。

http://nanchosien.com/publish/cat56/

そして、どんなに軽い難聴でも手話は必要と知り、指文字を皮切りに、手話を学び始めました。NHKの手話番組を視聴したり、DVD付きの手話入門書籍を購入したり、手話サークルに参加しました。

さびしいのはあんただけじゃない.jpgのサムネール画像

手話やろう・難聴関連の書籍も読みました。「淋しいのはアンタだけじゃない」という漫画は、感音性難聴について視覚的にわかりやすく、難聴への理解が深まりました。夫や祖父母に伝える際も、私の口から説明するよりも、漫画や文献は有効でした。

ろう学校で、ろう者や難聴者、その親御さん、当事者の方の声を聞く機会を度々頂けたことは、大変有難く、難聴児の母親としての在り方を育ませてもらいました。親が絶対的な理解者となり、家庭を安心できる場所にする。聞こえるの子の子育てと本質は変わりませんが、より強く認識させられました。また、「148時間あっても足りないくらい、難聴児の親にはすることがある。」という言葉をネットで目にしたことで、難聴児がことばを獲得するには、いかに家庭での取り組みが大切か改めて痛感し、夫とも相談し、育休を一年延長しました。

 

○子どもとのコミュニケーションで大事にしてきたこと

わが子は60~70㏈の感音性難聴です。呼びかけにも反応するし、音への反応がしっかりありました。「聞こえる」ことと、「理解できる」ことは違うと私自身に何度も言い聞かせが必要でした。多分聞こえているだろうという思い込みに頼らす、本人が理解できているかどうかを常に心に留めるようにしています。

注目してもらえるよう表情を大袈裟に作ったり、動作を大きくしたり。声を出すときは担当の先生を頭に思い浮かべて、声音やテンションを真似しました。そのうち手話やサインを使って話し掛けると、顔だけでなく、手の動きも見てくれるようになりました。

わが子が何を考え、何に興味を示しているか観察するようにもしています。失敗談としては玉ねぎの皮むきに挑戦したこと。玉ねぎを触らせて、剥いたらどうなるか、切った断面はどうなっているかを見せようとしました。わが子はヒラヒラした玉ねぎの皮で遊び始め、他の工程には一切興味を示さず、私のしたことは空振りに終わりました。後日、りんごで再挑戦。半分に切った断面を舐めると、甘く美味しいと気がついたようです。一緒に擦り下ろして食べると、もっと欲しいと顔を輝かせました。この美味しいものが、あの赤い丸いのと一緒と強くイメージに刻まれたようです。最初から最後まで、りんごに夢中でした。 わが子の興味のあるものを一緒に楽しむ大切さを知った出来事でした。

 わが子が手話を覚えるようになると、つい色々な言葉を教えたくなり、「湯船に入りたい」というサインが出るまで、湯船に入れないというやりとりをしたことがありました。先生に話すと「昔の口話教育を手話でやっているようなもの。」「教えるという意識は捨てた方がよい。」と指摘頂き反省しました。ある時、療育の先生が「『上手』の手話は、どうやるの?」と質問して下さったのですが、私より先にわが子が「上手」の手話をやって見せていました。教えた覚えがなくても、日常のコミュニケーションの中から、わが子はしっかり吸収していました。「ことばはコミュニケーションの中で育つ」とは、まさしくその通りだと思いました。


真似っこが上手になると、初めて見せた手話もその場で真似をするようになりました。「表出があるからと言って理解しているわけではない。注意してね。」と先生にアドバイスを頂きました。ある日、「ゼリーを食べる?」と聞くと、嬉しそうに頷くわが子。「どっちのゼリーにする?」と二種類のゼリーを見せて、選ばせようとしました。しかし、またもや嬉しそうにコクリと頷くだけ。日頃、絵本や洋服を選ばせるときに「どっち?」と手話で聞くと、真似して指を動かしていたのですが、その意味までは理解していなかったと気が付きました。表出に一喜一憂するのでなく、重要なのは意味を理解することだと、改めて思いました。

 

〇子どもとの生活習慣で大事にしてきたこと

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わが子は運動面と認知面の成長が月齢と比べるとゆっくりです。一人座りしたのもハイハイをしたのも一歳を過ぎてからでした。運動面の発達を促すため、療育施設にも通い、理学療法士さんのリハビリ指導を受けてきました。「ことばの発達には身体の発達、成長が土台となる。」先生方から教わったその言葉通りに、一人座りが出来るようになった頃、指差しが始まりました。そんなある日、いつも通り「おはよう」と手話で話しかけると、両手の人差し指をまげて「おはよう」を返してくれた日の喜びは忘れられません。

挨拶の手話は皆に喜ばれ、同じように挨拶を返してもらえるので、子ども自身が療育先や町中でも積極的に使うようになりました。手話を通してコミュニケーションの「喜び」「楽しさ」を知ったわが子。しだいに自分の思いを手話で教えてくれる場面が増えてきました。

中々寝返りしなかった頃など、手話で話しかけても、返してくれる日はいつか来るのだろうかと、内心不安に思っていた時期もありました。発達がゆっくりでも、身体とこころの成長を焦らず見守ろうと思います。

ろう学校や療育のグループ活動で習った手遊びや歌は、家で一緒に繰り返し遊んでいます。振り付けを覚えると、楽しく活動に参加出来るようになりました。自分から手遊びの動きをしながら、一緒にやろうと誘ってくるようにもなりました。そんな時は、家事の最中でも手を止めて、一緒に手遊びを楽しみました。

わが子の生活に欠かせない存在は二歳上の姉です。姉からも多くの影響を受けています。姉を真似て、滑り台を頭から滑り降りたり、押し入れに這い上がる活発な面も見られるようになりました。おままごとでは赤ちゃん役だったのが、今では自分がお母さん役となりお人形にご飯を食べさせたり、オムツを替えたりする様子が見られるようになりました。

 

〇わたしが努力してきたこと

もっと出来ることがあるはずなのに、思うように出来ない自分自身への焦りとジレンマばかりで、胸を張って「努力した」と言えることがないのが正直な感想です。先輩ママや、お友達のママ達の頑張りに影響を受けて、自分も頑張ろうと奮い立たせてきました。そういう意味では、ろう学校や療育施設に通い続けたことが、努力したと言えるかもしれません。

育休を2年取りましたが、生活の事情で今年の4月に復帰しました。当面はろう学校と、運動のリハビリ施設に週2~3回通いながら、仕事と両立していく予定です。午前中に保育園に行き、昼寝の時間を確保出来ないまま、午後にリハビリを受ける日もあります。ことばの育ちのために、親子で過ごす時間が減ることに懸念がありますが、現状はこの方法で精一杯です。次女の体調・精神的負担や、発達の状況を見ながら、この先のことを考えていきたいと思います。

 

*1)知的障害を伴う9名(1~3歳児)の初期言語発達についての調査結果をまとめた。

9名中、初語(有意味語)が出ている幼児は5名でいずれも1歳代で手話の初語が出現していた。知的障害が中程度であり、上肢に障害を伴わなわなければ、家庭の中での手話環境が保障されることで、手話を早期に獲得できる可能性は高いと考えられる

②手話初語がまだ出現していない4名についてみると、そのうち3名は脳性まひ等による発信の困難さがあるが2名は理解中心に手話を獲得できる可能性はある。例えば、E児は手話理解語彙はあり、表出は問いに対してYes-Noを眉間を動かすことで発信している。このような、Yes-No疑問文の眉上げをその子どもなりの表出方法として工夫することも大切であろう。また、1名は重度の知的障害のほかに盲難聴があり、まだ概念自体の獲得に難しさを抱えているが、こうした子どもの理解・表現方法の習得の工夫も重要である。

初語を獲得している子は、どの子も前後して指さしによる親との三項関係・社会的相互関係の成立を経て言語獲得に至っている。このことからも発達早期における共感的な母子関係の成立が前提としてあり、その上に伝達手段として手話が機能していると考えられる。(木島照夫,乳相保護者聞き取り調査・重複障害児,2017より)

 

 

聴覚からの情報が適切にとりこめない聴児(小学生)―「ことばのネットワークづくり」「ことば絵じてん作り」「助詞カード」に取り組み、効果があった事例―


 ここで紹介するのは、難聴ではなく、APD(聴覚情報処理障害)の可能性のある児童に、視覚を通した支援・指導を行って効果があった事例です。APDとは、聴力は正常域ですが、日常生活の中で聞き取りづらさが生じている「障害」のことです。専門的な診断ができる病院が限られているので、このお子さんも正式な診断ではありませんが、 保護者が日常的に子どもに聞き取りづらさがあることを実感しており、そこで視覚的な教材等を使って家庭で支援を行った結果、短期間であったのにもかかわらず一定の効果が得られた事例です。


1.主訴(問題点・課題)

(1)保護者の訴え

「静かな環境で、大きな声での会話は聞き取れ、会話もかみ合うが、発音は不明瞭で家族以外の人には聞き取りづらい」「集団内では先生の指示をきいて動くより、友達の様子を見て判断しているためワンテンポ遅れて行動する」「聞いた音から言葉を覚えられないが、文字から覚えた言葉は覚えられる」など、難聴児に似た状態に近いことから保護者は『聴覚情報処理障がい』の可能性を疑っていました。

 

(2)耳鼻科医の診断

ボタン押しの純音聴力検査では、聴力はほぼ正常域であり、医師からは「難聴ではない」との診断。ただ、「聴覚情報処理障がい」については、「否定はできないが、専門医の判断が必要」とのことで、確定的な診断はなされていません。


(3)支援の依頼

いずれにせよ、保護者は、本児が聴覚よりも視覚での情報処理が必要であると判断。視覚教材を使った支援・指導についての問い合わせがありました。そこで、具体的な教材をどのように使うかは、認知発達・言語発達の課題をもう少し把握する必要があるため、以下の質問・検査を送付し実施してもらいました。

 

2.アセスメント

地方在住とのことで、直接、本児のアセスメントができないため、いくつかの質問項目を準備し、家庭で実施していただきました。その内容と結果、課題について以下にのべます。

(1)『太田ステージ』

この検査の検査項目のうち、StageⅢの項目を2つ家庭でやっていただきました。1つめの「目の前にあるものの比較」と、2つ目の「目の前にないモノの大きさの比較」でも通貨基準の4/6をパス。頭の中にモノの大きさを含めてモノの概念は浮かぶ力がほぼあると判断されました。

 

(2)おはじきを使った「かずあてあそび」(かずの合成と分解)

 この遊びから、おはじきなどで4までの具体物は頭の中にイメージを浮かべて加減算ができること、5以上になるとあいまいになることがわかりました。①の太田ステージの結果と合わせて「頭の中に具体物の概念を浮かべる力はあるが、かずの概念など抽象的な概念では課題がある」ことがわかりました。

 

(3)WISCⅣ「類似」の課題

これは、「バナナとりんごの同じところ、似たところ」といった、モノの共通概念を抽出し、ことばで表現できるか、上位―下位概念が頭の中に構築されているかどうかをみますが、この点はまだ不十分であることがわかりました。モノを頭の中に浮かべることはできるが、言語を使ってそれらの共通概念を抽出するという言語的な思考面で課題があることがわかりました。

 

(4)日本語の文法力や文の理解度について

 助詞の習得や動詞の活用の理解がまだ不十分で、文は知っている単語から推測して読む段階であることがわかりました。

以上のことから、家庭でどんなことに取り組んでいけばよいか、「家庭での取り組み」を提案しました。

 

3.家庭での取り組み

(1)語彙力および象徴機能の向上

 語彙の拡充という課題は、量的な問題と質的な問題があり、質的な問題として、語彙力が構築されていくためには、言葉がどのような仕組みで増えていくかが理解できていることが大切です。通常、聴児においては、日常の音声会話の中でこのことばの仕組みが自然に獲得されていきます。そのため、私たち大人はどう子どもに支援・指導すればよいか気づきません。しかし、この課題をクリアできることが語彙力の向上や象徴機能・認知機能の向上につながると考えられることから、「ことばのネットワークづくり」のワークに取り組むことと「ことば絵じてんづくり」に取り組むことを推奨しました。

 

(2)日本語の文法力の向上

「助詞の理解・運用」と「動詞の活用理解・運用」が課題であることがわかり、まず助詞については格助詞「が、を」を使った文の理解に取り組んでいただきました。助詞の役割を理解するために、助詞を敢えて「視覚化」してみることはとても効果的です。ホームページを参考にして「助詞カード」を作っていただき、これを使った活動をしていただきました。

 

4.取り組み(約1か月半)の成果と今後の課題

ここでは、保護者からのメール文をできるだけそのままのかたちで紹介します。

(⇒以下の文は、筆者のコメントです)


(1)語彙力および象徴機能の向上

①『ことばのネットワークづくり』(ワーク)

「テキストは終了しました。苦手項目はCDの問題も終了しました。最初はモノの絵を見て「同じ」や「違い」を言葉で説明できなかったのですが、テキストが全て終わる頃には少しできるようになってきました。ことば絵じてん・ことばのネットワークづくりのおかげで、覚えられることば増えたり、物と物の関係性(概念)を理解できるようになったように感じています。」⇒ことばを使って共通概念や異なる概念などを取り出し、考えられるようになってきたということだと思われます。


②「ことば絵じてんづくり」

「効果抜群でした。今後も土日に続けようと思っています。」⇒絵(視覚)による支えによって、頭の中でのモノ・ことばの比較や操作がやりやすくなり、「ことばで考える」ことがより容易になる、ということだと思われます。

(2)日本語文法力の向上

①助詞の理解と運用~「助詞カード」「新・日本語チャレンジ」

「以下、とりくんだ内容(1か月)。

・「助詞カード」で遊ぼう
・助詞「が」と「を」の学習、たたくゲーム

・品詞カード・助詞カードを使って自分で作った文を実際に行動する遊び
 助詞はまだ半分くらいの理解でしょうか。手話記号一覧の内容を教えています。

文を読むのはわかってきていますが、文章を作るのはまだ曖昧といった感じです。
⇒日々の生活の中では会話の文は聴覚・音声で表出・理解されています。そのため発したことばが次々と消えていきます。そのため記憶に曖昧さが残ります。しかし、文にして視覚化する、また、助詞を敢えてカード化して意識させることで、記憶への負荷が減り、文を見て、その意味を考えながら行動・動作化することができます。文自体の理解にまだ課題があると思われ、主語を変えたり、助詞の位置を変えたりしながら、文の中身がきちんと理解できるようになるとよいと思われます。


②動詞の活用~「絵でわかる動詞の学習」(「はじめての動詞の活用CD」のパワーポイント教材「はじめての動詞の活用 3(タ形)」を活用。

子どもはとても楽しんで見て、過去形の理解が一気に進みました。⇒視覚化・動画化の効果。アニメ化するとさらに効果が上がるのではと思われますがそこまでの技術が・・。

 

「・テキストのヒントを厚紙に印刷して、覚えるまで繰り返ししています。
 ・語彙編は、終了しました。活用編は、4(p.54)まで終了しました。
  否定形 (~ない) 、過去形 (~た) は覚えました。アスペクト (~ている) (~っている)をわかっていないのでこれから教えようと思います。」

③その他

「・名詞~カテゴリー分けができるようになってきました。まだ曖昧な部分があるので、教える必要を感じています。
・時数詞~YouTube教材を真似して、時数詞一覧のパズル(?)を作りました。時間に関する言葉がとても多いのですが、だいぶん覚えてきました。
・形容詞~まだ、これからです。」

まとめ~これまでの成果と今後の課題

「前回までは文を読んでパッと直感的に答えていたのですが、文を読んで、考えてから答えるようになりました。春休み始めの頃に比べたら、とても理解が進みました。
・はじめての動詞の活用・新日本語チャレンジを始めたら娘の会話が変わりました。
・国語の教科書に、私が品詞色分け・助詞記号を書いています。娘に聞くと、書いた方がいいと言います。

・今までにいろいろと教えてきたのですが、当たり前に『聞く』ことを中心に進めてきたので身に付かなかった部分も多いように感じています。今は (手話ではないけれど) ジェスチャーをとり入れただけでも伝わる事が多くなったような気がします。」

 

以上です。具体的な読み書きに関してはまだまだ課題はありますが、この1か月半くらいの取り組みの中で、視覚教材・視覚情報を取り入れた効果が感じ取れます。

とくに「ことばが習得されていくしくみの理解」や「象徴機能の向上」(頭の中にモノのイメージや数、文字などの記号が浮かび、操作できる力)といった点で、概念形成、認知発達のレベルアップが進み、このレベルアップは、これからの具体的な文の理解や構文力の向上につながっていくと思われます。

今後の課題としては、概念・認知レベルでは、空間・位置関係の理解と語の習得、因果関係の理解と語の習得(例「~だから~だ」)、仮定表現の理解と語の習得(例「もし~
なら~だろう」)、比較表現の理解、数量概念のレベルアップなどがあると思います。

また、文の理解・表出では、

①助詞の理解と運用(まずは格助詞「が、を、に、と、で」を使った3~4語文レベルでの理解と表出)、②動詞の拡充と活用(とくに基本となる4つの活用と「て形」の理解と表出)、③形容詞の拡充と活用(比較表現、気持ちの表現など)、④副詞(例いわゆるオノマトペなど)などです。

あせらずあわてずお子さんのペースでじっくり取り組んでいかれるとよいのではと思います。

「APD」はまだ実態がよくわかっていません。このお子さんが実際にそうなのかも医学的な診断が確定していないのでわかりませんが、それはともかく、子どもが日々困っていることに対して、視覚的支援を行うことの有効性は確認できました。このようなお子さんは聴児の中にも一定数いると思われます。適切な支援が届けられることを願っています。

 

 

聾学校乳幼児相談には、難聴とさまざまな発達障害を併せ持ったおこさんたちが通っています。今回は、生後5カ月から乳幼児相談に通っている、難聴でダウン症のお子さんを育ててきたAちゃんママの手記を紹介します。



Aは今、1才8ヶ月になりました。Pろう学校へは5ヶ月の頃から通っています。0歳から1歳代の今日までどんなことに心がけてきたかをお話ししたいと思います。

 

コミュニケーションで大事にしてきた事

目を合わせて話しかける事を大切にしてきました。これは心を通わせるために重要なことでした。あとは抱っこしてギューっとします。一日何回もギューっとして大好きな事を伝えて、世界中で1番愛されている事を感じさせてます。それから「いや」「もういい」「きらい」を表現する事を早い段階から教えました。少しわがままに育ってもいいので自分を表現する事、居心地の悪さを主張できる事を優先しました。今では立派に嫌は嫌、うんちはもうでません、これは食べたくないと表現できるようになりました。

 

生活習慣で大事にしてきた事

自分でできる事はできる限りやってもらいます。まだまだ小さいのでできる事は少ないですが、オムツを一緒に捨てたり、ご飯の器を下げたり、服や靴下を履く手伝いをしてもらってます。

それからミルクを飲ませる時もあら不思議!といきなり目の前に登場させる事はせず、空の哺乳瓶を見せて粉を10杯いれるよ〜、お湯を入れて〜、ふたをして〜、冷ますよ〜と実況中継してきました。ご飯を作るときもこんな調子で作っていたらお豆腐やお米を見て食べる手話をするようになりました。あとはAが思っていそうなことを代弁するようにしていました。興味深そうに見ているものや不思議そうに見ているものを、例えば大好きな電車なら長いね大きいね、昨日乗ったね、赤いね、ガタンゴトンだね、揺れるねと思いつくまま広げたりしています。

 

自分で努力した事

あまり努力は出来てないですが、しいて言うなら7ヶ月のお座りが出来た頃から自分で100%ご飯を食べてもらってます。それまではあまり意欲的に食べなかったのですが、自分の好きなものを好きな順番で好きなタイミングで食べられることが余程嬉しかった様子で以前より食に興味を持ち食べる量も増えました。私が努力したのはその後片付けくらいです。手話の勉強も努力はしているのですがなかなか上達出来ず歯痒い限りです。

 

自分の中で変化したこと

産まれてすぐダウン症が疑われその後すぐに両耳リファと言われました。その時は奈落の底へ落ちた気分でした。不妊治療を何年もしてやっと出来て産まれたこともあり、子ども自体望んではいけなかったのではないかと反省もしました。それから1ヶ月以上は夫と2人だけの秘密にし、私は努めて明るく最高に幸せなフリをしていました。ただ目の前のAは可愛く愛おしく、そう思えば思うほどなんでこんな風に産んでしまったのかと毎日心の中で謝っていました。1歳半を過ぎた頃からやっと息子を1人の人間として見られるようになりました。すると不思議と「こんな風に産んでかわいそう」「この子は不幸せ」と思うことが無くなって行きました。○○だから不幸せと言う事が目の前で笑っているAには不似合いと感じました。勝手に不幸せと決めるのは失礼、とも思いました。この子はじぶんで幸せになる力を持っている、その力を付ける手助けは幾らでも出来るとも思えました。

親の私にできる事は毎日楽しく笑って、清潔に、美味しいものを食べさせ、趣味を一緒に見つけ、自立を促し、Aの中の辞書を厚くし、ただAを愛する事と分かりました。これから色々困難は訪れるかも知れませんが今から不安を抱えて悩むより今想定して出来る限りの事をしたらあとは笑って過ごそう、という様に変わりました。

 ろう学校の先生方に出会えなかったら今のようなAに育てられた事は決してなかったと思っています。人間としての基礎づくりの時期にいろいろとご指導くださり、本当に感謝しています。お陰様でAはしっかりと人の顔を見て自分の主張をし、またある時はしっかりと人の顔色を伺っていたずらをするわんぱくに育ちました。たくさんの教えをありがとうございました。


 古い資料を整理していたら、『特別支援教育』(2013)という雑誌に掲載された武田鉄矢氏(俳優)のインタビュー記事がありました。武田鉄矢氏は、福岡教育大学聾教育課程の卒業生(中退)。その頃作られたのが、あの名曲「贈る言葉」。「3年B組金八先生」の主題歌で、それをきっかけに卒業ソングの定番としてよく歌われた歌。しかしもともとは武田鉄矢氏が好きだった女性にフラれたときに作った歌ですね。それはおいといて、今回はそのインタビュー記事の全文を紹介します。以下、転載します。

 

 

「今号では学生時代に聴覚障害教育を学ばれ、その後ご自身の出演された作品でも障害について扱われたことがある武田鉄矢さんにお話をうかがいました。

─なぜ、福岡教育大学の聾学校教員養成課程に入学されたのでしょうか?

 

他の課程は競争率が高かったということ もありますが、端っこが好きだったからです。端っこという言い方は変かもしれませんが、人間には中心にいることが好きな人と、ボーダーライン上が似合っている人がいるのではないでしょうか。私は聾学校教員養成課程の方が教育全体を見渡せるような気がしました。同級生がわずか一二人ほどの小さな集団でしたが、小学校国語課程、中学校英語課程といった大きな集団ではないところに身を置くことで教育というものの本質が見えるのではないかと思ったのです。そこでは本当によい勉強をすることができました。

 また、福岡県には、肢体不自由教育では当時から名前が知られた、しいのみ学園の曻地三郎先生がいらっしゃいます。今もお元気ですが、そういう方がいたので、福岡教育大学は障害児教育にプライドをもっていました。そのようなこともきっかけになったのだと思います。

 

教育実習はどこに行かれたのですか。

 

 大学三年のときは附属小学校、四年のときには福岡聾学校(現在の福岡聴覚特別支援学校)でした。当時の福岡聾学校は口話による教育が中心で読唇と発音指導で授業を行っていました。私は小学部二年生の学級に入りました。正直言って、授業は手も足も出ませんでした。必死になって、子どもの注意を引き付け指導したのですが、うまくいきませんでした。「ニワトリの鳴き声」という授業をすることになり「ニワトリはコケコッコー、ひよこはピヨピヨと鳴きます」という教材を扱いました。「具体的なイメージをどのようにもたせるのかがあなたの腕の見せどころです」と担当の指導教員に言われたので、ニワトリとひよこの格好をして羽ばたいてみましたが、子どもから答えは出てこなくて、授業が終わった後は落ち込んでしまいました。

 

─当時の聾学校の先生はどのような指導をされていましたか。

 

 先生たちは、皆、熱心で性根がすわっていました。「夢や憧れだけで教育を語ってはいけない、親は先にいなくなるのだから子どもが自分一人で生きていくことができるようにならなければいけない」という考 えをもって厳しく指導に当たっていました。

 ただし、単に厳しいだけではなく、夏休みには自分の家に子どもを順番に呼び、勉強や発音の練習を通して力を付け、保護者からは感謝されていました。子どものことを大切に考えていたのだと思います。

 

─原作、脚本、主演をされた映画「刑事物語」では、聴覚に障害がある女性の、発音練習の場面や手話のシーンが描かれていました。教育実習のときの経験があったからですか。

 

 この映画はかわいそうな身の上の女性に恋をした刑事の話でした。なぜ、この映画をつくったのかというと、心のどこかに「聾学校教員養成課程の友達はみんな障害児教育の道に進んでいったのに、俺は聾学校の教壇からステージ(芸能界)に逃げた。だから何らかの形で聴覚障害に関わりたい」という気持ちがあったからだと思います。このことは、自分が背負って生きていかねばならないことでしょうね。そのような思いがこの映画をつくるきっかけとなりました。

 

─特別支援教育の制度が始まる少し前のドラマ「三年B組金八先生」でも、聴覚障害、知的障害、学習障害等を扱っていましたね。

 

 「特別支援教育」は学校のドラマをつくるときに、避けて通ることができない視点です。発達障害の子はどの学級にもいます。 支援が必要な子どもを話題にすることなしに学校の話をすることは現実的ではありません。

 そういう子どもたちをドラマの中で扱うとき、教育実習をした聾学校の教壇を思い出しました。教育実習のときには未熟で指導ができなかったことをやり直せるような気がしたのです。

 支援が必要な子どもたちに対する芝居は、昔、聾学校でお世話になった先生のことを思い出しながら演じました。若い方でしたが、厳しくて、りりしくて、誰かに感謝されることがなくても、黙って自分の職務を貫く人でした。聾学校でそのような先生に知り合ったことがドラマの演技につながりました。

 

─今、学校では全ての先生が協力して支援が必要な子どもの指導に当たる特別支援教育が浸透しつつあります。それをドラマの中で率先して取り組んでいただいているようでうれしく思います。

 

金八先生はなぜこんなに好かれたのか? と思うことがあります。専門家からは、理想を描きすぎるなどと言われましたが、いろいろな課題を抱えた生徒が熱心に見てくれていたことも事実です。生徒はよい先生というものがわかっているのでしょうね。

 よい先生は必ず子どもと目を合わせます。「おまえのことを見ているぞ」というような感覚とでも言ったらよいのでしょうか。

 教育をさらによいものにするためには、制度を整える必要があります。しかし、教育はシステムを変えるだけではよくなっていきません。金八先生が勤務していた「桜中学校」では、問題のある生徒が現れると、先生方が熱心にミーティングを始めました。

 番組を見ていた生徒が「俺たちのことをこんなに熱心に話しているのかと思うと本当に申し訳ない」と言っていたという話を聞いたことがあります。目の前の子どもを教師が真剣に支えることや、細やかに子どもを「見ていく」ことが、教育にとっての基本だと思います。

 

─最後に、特別支援教育に携わる先生方に、メッセージをお願いします。

 

特別な教育的支援が必要な子どもの指導 に当たられている先生のご苦労は多かろうと思います。私は日本の特別支援教育は決して暗い方には向かっていないと思っています。一九七〇年代に障害児教育の道を一瞬だけでも歩いた人間にとっては、そのことが実感としてわかります。特別支援教育は希望に向かって進んでいるということを信じて、子どもたちのためにがんばってください。」(『特別支援教育NO502013より転載』)

 

以上です。1970年代ですから聾学校は聴覚口話法真っ盛りの時です。聾教育ひとすじという、厳しいけれど熱心な先生も多かった時代です。上記のインタビュー記事の中で、武田鉄矢氏もそのことに触れています。教育に携わる教師は、まずなんといっても大事なのは、熱意と誠意。子どものために一生懸命になることです。ただ、その一生懸命さがどういう方向を向いているかを知ることも大事なことです。この雑誌は文科省が監修している雑誌なので、それについては触れていませんが、1970年代という時代は、「きこえない子(人)は、きこえる人を目標にして追いつくようがんばらなければならない」という考え方が当たり前と思われていた時代であったのも確かです。そのために、手話や聾者は差別され、手話は言語ではないと教えられ(大学の先生たちまでもそう教えていた)、子どもが手話を使うと厳しい罰を受けるといった時代であったことも忘れてはならないと思います。もしかして、武田鉄矢氏が聾教育への道に進まなかったのは、熱心だけれどどこか違和感、を感じていたのかもしれません。

 ある聾学校に大学生を引率して見学に行きました。見学した学生の中に特別支援教育について学ぶのも聾学校を見学するのも初めて、という学生が二人いました。彼らは聾学校・聴覚障害教育をどう見たのか、聾学校見学の感想を紹介してみます。

 

〇聾学校を見学して 

「まず驚いたのは、私が思っていたよりも口話でのやり取りが多かったことである。これは集団補聴システムが各教室に設置されていることも大きいといえるが、多くの子どもが手話を用いながら自分の話し言葉で表現していた。

どの授業でも自分の考えを表現することが重視されていたと思う。国語の授業では教師の問いかけに対して、一人ひとりが声に出して答えていた。普通学校であれば「どれだと思うか?」と挙手で意思表示させるような場面でも、ろう学校ではたとえ前の人と同じ考えであっても、再度自分自身で説明をしていた。「私は~だと思います。なぜなら・・・だからです。」と発言の仕方も教師が指示していたため、互いの考えが伝わりやすいと思った。そして、聞く側への指導も徹底されていた。話す側は全員に対して話し、聞く側は話してる人の方を向く、という姿勢が大事にされており、ろう学校ではこうして授業での共通理解を図っているのだと学んだ。聴覚に障害を持つといっても、やはり子どもは多様である。滑らかに話せる子どももいれば手話で考えを伝えようとしている子どももおり、少人数学級とはいっても個別の対応が大切であると感じた。

音楽の授業では、教師が指文字を用いたり次に音を出す人の方に大きい動作で示したりして各個人に指示を出している様子が見られた。教育では個別指導も集団指導もやはり重要である。 教室のカレンダー.jpg

教室内には授業で用いた語彙カードや写真がたくさん掲示されており、視覚的に言葉が入ってくるような環境が整えられていた。観察カードには「目で見て分かったこと」には目のマーク、「触って分かったこと」には手のマークが描かれていて書くべきことがわかるようになっていた。教室内で特に印象的だったのはカレンダーである。月表示のものは「今週」「来週」「今日は一か月の中でもどのあたりか」ということがわかるようになっており、日めくりのものでは「昨日が何日」「今日は何日」「明日は何日」ということを示しているというように、何種類ものカレンダーがそれぞれ意味を持っており、目には見えない時間の流れが視覚的に感じ取れるようになっていた。視覚教材はただ提示すればよいのではなく、工夫を加えて効果的に用いることが大切だと感じた。・・・」(教育学部小学校社会専攻)

 

「学校見学では、本当に多くの子供が障害の有無に関わらず活き活きと生活する様子が見られた。先生方に加え、保護者や地域の方々が子供に寄り添うことでのびのびと学べる環境が作られていると感じた。加えて乳幼児相談や、実際に聴覚障害のある方が行う保護者への講習会など児童だけでなくその家族全体を支援する取り組みも大きな特色だと感じた。このようにろう学校では子供を支える多くの工夫があった。また、特に学習面においてはより専門的な知識に基づいた指導が行われていると感じた。いくつかの教室や授業を見学しているうちに、このろう学校では、「日本語の獲得」「聴覚障害に対する自己理解」の二点に力を入れていると感じた。

  教室環境.jpgまず「日本語の獲得」のために、できるだけ多くの言葉に触れる機会が設けてあると感じた。どの教室にも作文や習った言葉のカードなどが、特に「助詞」に意識が向けられるように展示してあった。読書コーナーも設置され子供の興味を引きそうな本が多く置いてあった。手話で獲得した概念を文字に起こしさらにそれを何回も見ることでより確立した日本語を学習していくと感じた。加えて、中~高学年に上がるにつれて文法の概念もより詳しく取り入れていると感じた。より確実に読み書きの力を高めるために、文法を意図的に学習していると感じた。例えば6年生の国語の時間では固有名詞とは何か?活用とは?といった概念を健聴の子供たちに比べてより丁寧かつ実践的に学習していると感じた。また実際に発音指導の様子を見ることができ、とても良い機会になった。発音指導は大きな鏡の前で先生と一対一で行われていた。指文字や手話を使いながら子どものペースに合わせ、できたところにはシールを貼り目に見える評価を行うなどモチベーションが続くような取り組みが多く見られた。以上のように確実な日本語を獲得するための様々な工夫が施されていると感じた。

 次に、ろう学校では自分自身の聴覚障害について考える機会が多く設けられていると感じた。例えば展示物の中には聴覚に関するものが多く見られた。スピーチバナナや聴覚の仕組みなど自分の障害に関する正しい知識を身につけるきっかけを与えていると感じた。また6年生の教室で行われていた自立活動が非常に印象的だった。その授業は「将来」をテーマとし映像を通して自分の未来について考えるというものだった。将来をイメージすることで、社会の中の自分を考え、自分の苦手なこと・できることをとらえなおすきっかけになると感じた。以上のように、ろう学校では学習面に加え児童の卒業後の人生を見通した教育がより重要になってくると感じた。」(教育学部小学校英語専攻)

 

 

〇聾学校・インテ両方経験した学生の学校観

 上記2名の学生は初めての聾学校見学でありながら、聾学校の特徴をよくとらえていると思います。ただし、あくまでも外からみた感想です。そこで、実際に聾学校での教育と普通学校での教育の両方を体験した聴覚障害学生のレポートから、「聾学校と普通校のメリット・デメリット」を紹介してみます。

 

ろう学校とインテグレーション経験の二つを通して感じたことをまとめてみました。まず、長所として、ろう学校では同じ障害を抱える子ども同士が学び合い、生活することができる場所としての一面があります。そして、共通したコミュニケーション手段を持ち、情報保障を初めとする手厚い環境整備、専門性のある教師や学校による指導の下で一人一人のニーズに応じた教育が可能であり、就職や進学に向けた支援があり、卒業後の学生生活や社会生活の見通しがあるということです。

 それに対してインテグレーションの場合、聴者と交流することで異文化の交流、優しいようで厳しい環境の中で人間的に成長することが期待されます。また、ろう学校では一県につき、片手で数える程、少ないのですが、一般学校は本人が望み、それに応じた学力があればどこでも行くことができることです。これは学校の雰囲気によりますが、競争原理があり、自主努力に基づいた学力の向上、社会参加する上で必要となるスキルを獲得することが出来ます。

ろう学校と普通学校.jpg 一方、短所というか、課題として挙げられる部分もあります。ろう学校の場合、少人数クラスで同じ障害を持った者同士が集まるため、やはり経験や機会が聴児と比べて限られています。そして、学力の問題があり、温室育ちとしての一面があることも否めません。何故なら、恵まれた情報保障、共通したコミュニケーション手段、悪く言うならば、本人が頑張らなくとも情報が自然と入ってきます。しかし、苦難を伴わないところに人の飛躍はなく、社会参加する上で必要となる自立の力が育っているかどうかと言えば、怪しいところもあります。

 また、インテグレーションの場合、聴覚障害の理解が得らればそれでよいのですが、得られなかったら実に居心地の悪い空間となります。こうしたコミュニケーション問題や情報保障の問題では課題があります。そして、全員とは限らないのですが、障害認識が弱く、自分の障害に否定的な考えを持ちやすく、ろう学校出身の聴覚障害者を見下す傾向もあります。自分は上手くやってきたんだ、あいつらとは違うというプライド、虚栄心を持ちやすいこともあります。さらに、一般学校は就職や進学の支援はろう学校と比べれば少ない上に聴覚障害者としての生き方という見通しがありませんので、卒業後は自力で乗り越えるか、あるいは聴覚障害者のコミュニティに入り、そこから生き方を学んだり、情報を集めたりしながら交流していく者もいます。

長所と短所をそれぞれ挙げましたが、ろう学校とインテグレーション経験のどちらに絶対的な良し悪しはありません。大事なことは、そこで自分が何をするか、何を学びたいかだと思います。」

 

 両方経験した上記の学生は、両方のメリット・デメリットをよくとらえていると思います。ただし、最も大事なことは、どちらの環境にせよ、自分が何をそこで学ぶかだと言っています。このような、自ら意欲的に学ぶ子どもに育てること、それが家庭での最も大事なことなのだと改めて教えられます。確かに、私がこれまでにもった3年間の授業の中で出会った5人の聴覚障害学生たちは、インテ出身、聾学校出身を問わず、自ら積極的に学び考え行動していく学生たちが多かったように思います。それら5人のうち3人はすでに大学を卒業し、教員採用試験に合格し、聾学校教員として活躍しています。

 

  ここで紹介する実践は、山口南総合支援学校小学部古谷弘美先生によって平成28年度に行われたものです。本児は聴覚障害のほかに知的障害、自閉症スペクトラムを合わせ有する児童です。手話、文字、指文字などの「記号」同士や絵(イメージ)との結びつきを図ることで、「絵カード」や指差しによって他者とのコミュニケーションが徐々に図れるようになっていきました。

  指文字の学習と平行し「絵と単語の照合」や「絵と手話表現の照合」「手話の模倣」の指導を行ない、3学期には、絵を見て指文字で表せる、あるいは絵と単語カードを照合できる言葉が20くらいに増えました。
 また、たとえば、赤ペンを指さし「丸を付けてください。」など、指さし表現による要求が増えました。さらに、学習活動に指さしを取り入れたり(「たのしいゆびもじ」の指さし等)、問いかけへの回答を指さしでさせたりすることも可能となりました。

 このような、指文字の学習や絵と単語の照合、手話の学習などの一歩進んだ認知活動により、教員とコミュニケーションを取る力や注視、集中する力(これにより、本児の特性である物への固執性、同一性保持の欲求、自己刺激行動が減少した)、スケジュール通りに見通しを持って学習に取り組む力なども伸びました。

 以下、「自立活動」で取り組んだ実践の記録(平成28年4~11月)です。

重複児の指導.pdf

 関東地方の二つの聾学校乳幼児相談に通う1歳以上3歳までの乳幼児の保護者にアンケート調査を行い、33名の回答を得た。そのうち、重複障害のある9名(15か月~36カ月、平均24か月、全回収数の27%)について調査結果をまとめた。

9名のうち初語の発語を認めたのは5名で、初語発語平均年齢は16.3か月。いずれも、初語は手話であった。5名の幼児の聴力は70~90dB3名、90dB以上2名。いずれも軽度・中度の知的障害を伴う幼児であった。(*音声初語は70~90dB台幼児1名のみ)

 このことから、知的障害が軽度・中度であれば、早期から手話を導入することで、聴力に関わらず、手話を言語として獲得できる可能性が高いことが示唆された。

以下、PDF参照。 乳相保護者アンケート調査結果報告2(2017.9).pdf

講演記録「手話でスタートすることの大切さ~

    ろう重複支援のあり方を考えるシンポジウム」(2017)

       木島照夫(元都立ろう学校教員・東京学芸大学講師)

 

う教育に関わるようなってかれこれ30年近くになりますが、そのなかで学んだきこえない子にとっての手話のもつ意味、その大切さについて話したいと思います。 

 

〇手話を使うろう学校での経験から

 私が都内の養護学校に10年間勤務して、当時のAろう学校に異動したのは、ちょうど昭和から平成になった1989年でした。その頃、都内には幼小中学部のある聾学校は6校あり、そのうちAろう学校だけが手話を使うろう学校でした。手話を使う学校ということで他の5校からさげすんだ目で見られ、例えば都内合同の研究会に出て、仮に私が何か発言したとしても、まるで私の発言はなかったかのように無視されるのが常でした。そのくらい「手話」は、口話とか日本語より下とみなされ、手話を使う教師も含めて差別され偏見の目でみられる、そんな時代でした。

ですから、ろう教育とは聴覚口話法なんだ、それにのることができないろう重複児はろう教育の対象ではないんだということで、「重複のお子さんは入れませんから」と学校見学すらさせてもらえないというのが現実でした。実際に「〇〇ろう学校を断られまして・・・」と不安げに電話をしてくる保護者は一人や二人ではありませんでした。このような現実の中で、私のいたAろう学校は、重複児だからと断ることはありませんでしたから、重複児たちも一人のろう児としてろう学校を「居場所」として育っていきました。ただ、受け入れる側の教育環境には制度的な制約があったのも事実で、実際に幼稚部の重複学級では、ダウン症の子と脳性まひの子と自閉症の子計3人を保護者付き添いではありましたが担任一人でみていたときもありました。障害の特徴がそれぞれ違うのにどうやって指導していたんだろうと今でも思います。

それにしてもなぜろう重複児は同じろう児でありながら排除されてきたのでしょうか? 壁.jpg 重複児は口話法で指導するのは困難で,必然的に手話を使用せざるを得ません。しかし、口話法で指導する側からみれば、単一障害の子たちが手話にふれると、あっという間に手話に侵されて口話法での指導が成立しなくなるという恐れたからだったと思います。といって、では、口話法で日本語の読み書きができるようになったのかというと、過去半世紀以上にわたって、いわゆる「9歳の壁」を超えるという目標は、未だ達成できていない、というのが現実です。それがこのグラフです。

それでもなお、今も、科学的な根拠がないのに「手話は日本語獲得には害になる」と言われるのはなぜでしょうか? 平成27年現在で聾学校全体の重複学級在籍児の比率は26.5%ですから、4人に1人は重複児というのが現実です。それでも日本の聾教育がなお聴覚口話をベースにおきたいのは、「きき、話す」という方法で、きこえる多数者側に、少数者が合わせてくれたほうが、きこえる側はラクだからだろうと思います。もちろん、「きき、話す」という方法が、きこえない子の日本語獲得に一定の効果があるのも確かですが、しかし、それは手話を排除しなくても同時的に成り立ちます。だから手話も口話もあってよいのです。

 

〇手話のろう学校から口話のろう学校へ

都内ろう学校の統廃合があった2003年、Aろう学校は閉校となり、私はOろう学校に異動しました。口話法を標榜していたOろう学校に赴任して私が最初に感じたのは、「なぜ、こんなに子どもたちは話が通じないのか」ということでした。手話を知らないということにとどまらず、口話では時間と空間を超えた話題はとんでもなく通じないという、手話の学校から来た私には想像ができないほどのカルチャーショックでした。そしてまた、「これでは時間がいくらあっても足りない。勉強も遅れるだろうな」とも感じました。

実際こんなことがありました。当時の校長が話してくれたことなのですが、統廃合前の都内各ろう学校で、小学部高学年と中学生を対象に、校長会が主催して学力テストを実施したのだそうです。そしてその結果は、なんとAろう学校が断トツに高かったというのです。それは誰も予想すらしなかった結果であり、口話でやってきた校長たちからみれば、それはあまりにも屈辱的な結果でした。結局、そのテスト結果は公表されず、テスト自体をなかったことにしてしまったということでした。その時の数値結果も実は私は見せてもらいました。その「幻の学力テスト」の話をききながら、ああやっぱりそうか、と思いました。手話を使うほうが日本語力や学力に貢献できる可能性が高いということは、うすうす感じていたからです。しかし、手話と日本語は言語が違います。どのような要因が関与してそのような結果になるのか、その時はわかりませんでしたが、その後、幼稚部や乳幼児教育相談に関わるようになって、その要因がどこにあるのか、だんだんとわかっていきました。 早期から手話を.jpg

 

今は、新生児聴覚スクリーニングによって、聴覚障害が発見されるようになってきています。わが子が無事生まれ、喜びの頂点にあるのもつかの間、「障害があるかも?」と伝えられた時のお母さん方のつらさはよくわかります。そして、きこえるお母さんたちは、まず100%間違いなく「奈落の底に突き落とされた」思いを語ります。「五体満足」ということばに象徴されるように、障害があってほしくないと思うのはある意味当然のことだと思います。

しかし、このお母さんの悲しみの感情は子どもにはどう映るのでしょうか? 英国の小児精神科医ウィニコットは、赤ちゃんには、お母さんが自分のことをどう感じているかがわかるのだと・・。

お母さんが自分のことを悲しんでいると知ることは、子どもにとっても悲しいことでしょう。「ぼくはここにいてはいけないの?わたしがお母さんの子であることは悲しいことなの?」ときっと思うでしょう。きっとそうだというのは実は、きこえない子たちは大きくなった時、どの子も必ずといってよいほど、この問いをもう一度、お母さんにするからです。知的な障害がある子もことばでは言えませんが、同じ思いを持っていると私は思います。といいますか、知的障害のある子たちは、かなり小さい時からそれをもっと敏感に感じていたはずです。

子どもは問います。「お母さん、なぜ、わたしをきこえない子に産んだの? どうしてぼくはみんなと違って障害があるの?」 

この唐突な問いに、多くのお母さん方はとまどい、泣き、そして子どもに詫びます。「ごめんね。あなたをきこえない子に産んでしまって・・。」「お母さんのお耳と変えてあげたかった」等々・・・。この時、子どもはとても複雑な気持ちを味わっています。一つは「お母さんが自分のことを一生懸命愛し育ててくれたのだ」ということ。と同時に、「お母さんは、自分をずっと悲しい存在と思ってきたのだ」ということも。

障害への思いは単純ではありません。「障害はないにこしたことはない」という親の気持もよくわかります。私には脳性麻痺の孫もいますから実感としてそう思います。しかし、子どもにとってはその障害も含めて自分自身であり、そのままの自分として周りからも認められて生きていきたいというのが本当の気持ではないかと思います。だから子どもは私たちに問いかけるわけです。

障害があることは、誰が悪いわけではありません。事実を事実として認める、そこから出発するしかないと思います。ですから親御さんたちには、こう語ってほしいと思います。

「あなたの耳がきこえないのは誰にもわからないことなの。世の中には、耳のきこえない人、目の見えない人、車いすに乗った人、病気で運動ができない人、いろんな人がいるでしょう? いろいろな人がいるなかに、あなたもお母さんもいるのよ」と。「でもね、どのようなあなたでもあなたのことを精一杯愛しているよ」という言葉も添えて抱きしめてほしいと思います。

 

〇手話でスタートする

さて、話を少し戻しますが、障害を告知された親御さんたちは、 手話は関係を変える.jpg「きこえない」わが子を前に「この子とはもう通じ合えないんだ」という絶望的な思いになります。そこで、私たちは子どもと通じ合うために手話を身につけましょうと勧めます。そして、そこから手話の学習が始まります。大事なのは、直接、きこえない人から手話を学ぶことです。聞こえない人と出会うことで、きこえない人にとって手話はかけがえのない言語であることと同時に、きこえないということはどういうことなのかを学ぶことができるからです。その過程で親たちも徐々に変わっていきます。悲しみや不安は安心と少しの希望へと変わり始めます。きこえない手話の先生は、冗談も好きで、明 手話のメリット.jpgのサムネール画像るく生きていることも知っていきます。わが子の将来をそこに重ねてみることもできるようになってきます。このことを実感できたとき、わが子を見つめるまなざしも変わります。

  きこえないということを親が受け入れられるようになると、 その気持ちは子どもに伝わります。子どもはそれを感じ取ります。「ぼくはこのままでいいんだ」。自己肯定感が子どもの内面にも芽生えてきます。子どもは母親と共にいることが喜びとなり、自分がこの世界に存在してもいいんだと感じられることで、親との信頼関係を築いていきます。親子の関係が子どもにとって楽しい関係になっていくと、お母さんが指さしたものの見ると か、子どもが何かを指さしてお母さんに知らせるといったいわゆる「共同注意」とか「三項関係」といった、言葉の獲得になくてはならない人間関係が築かれていきます。言語は人と人が何かを共有し伝え合うためにあるものなので、この共有関係が成立しているかどうかは大切なことなのです。

都内2校の乳幼児相談保護者アンケート調査では、1歳から3歳までの定型発達児21名全員に指さし行動による三項関係(母親・子・モノ)の成立が観察され、その後全員に手話初語の表 手話は獲得しやすいか?.jpg出がみられています。また、重複児9名では指さし行動が観察された6名のうち手指による表出が困難な脳性まひ児2名を除く4名に、その後、手話初語の表出が観察されています。これらのことから言語獲得の前提として母子で互いに何かを伝え合う関係が成立していることがわかります。

また、手話は知的障害のある子を含めて、子どもにわかりやすい言語です。ものごとの一部や動き・様子などを象徴的に表した「写像性」をもった語も多いことは、言語獲得に必要な象徴的機能をもちやすい言語だとも言えるでしょう。例えば、重複児9名のアンケート調査のうち手話が出ている子4人の初語はそれぞれ「水」「電気」(2) 獲得しやすいか?2.jpg「美味しい」です。

それから知的障害のある子たちの手話は、必ずしも、社会で通用している手話のかたちがそのままのかたちで使われているとは限りません。手の形や動きが同じようにつくれないことも多いです。ですから、出ている手の動きが何を意味しているのか、しっかり見取ってあげることが大切です。子どもは自分が表出したいことが、だれかに理解されたとき、変わり、成長します。また、例えばマヒがあるから手話は無理と最初から思わないでほしいと思います。表出は無理でも手話を日々使うことで理解できるようになっていくことも多いですし、自分から手を動かせなくても、相手の手話を見て、眉を動かして「Yes-No」を表出できるようになった脳性まひの子もいます。

それから、手話は、赤ちゃんの単純な手の動きであるグーやパーで伝えられる語も多く、調査結果からは、初語の8割以上がグーとパーの手型でした。このことは、運動障害があってもその子のできる手の動きや形、位置、向きなどに合わせて、語を獲得し広げていける可能性を示唆していると思います。 手話は共通言語.jpg

重複児を含めて初語を獲得した子たち25名は、まず全員が最初に手話で初語を獲得していました。つまりきこえない子の共通言語は手話であると言ってもよいと思います。

ただ、聴力が相対的に軽い定型発達の子たちの中には、手話初語だけでなくやや遅れて音声初語も出ている子たちがいます。しかし、その後の語彙獲得過程をみると、手話による急激な語彙の獲得が実感されている子は12名に対して、音声による急激な語彙増加が実感された子は2名で、手話のほうが語彙獲得システムが有効に作動するということがわか 語彙爆発.jpgります。この差は、音声入力の曖昧さによるものではないかと考えています。曖昧な音の塊では、語として認識・記憶できず、カテゴリーをもった語彙として脳内に辞書(心的辞書)が構築できないのではないかと思います。

 これらのことから、手話は聴力の軽重に関係なく1歳前後から獲得できるれっきとした言語であることがわかりますし、知的障害のある子にとっても、獲得ペースこそゆっくりですが、獲得可能な言語であることは確かだと思います。

 最後に、ろう教育の中での研究と言えば、今でも日本語や学力に関連するものが中心であり、手話や重複障害に関する研究はほとんど見当りません。そのことが手話やろう重複教育を、ろう教育の中でマイナーな位置づけにしてきたことも否定できないと思います。研究予算をつけて積極的に研究を奨励するなどの措置も必要と思わます。

以上述べてきたように、手話は、母子愛着関係を築くことを側面から支え、きこえない子の自己肯定感の形成を支え、概念形成や知識の獲得、思考力や認知、対人関係や社会性の発達を促すことを可能にします。このように、手話はきこえない子にとって欠かせない言語でありながら、なぜこれまで、いや今も一部の人たちから、日本語獲得の邪魔になると思われているのでしょうか?

 聾学校の多くは「手話も認めています」と言います。では、発達早期から手話を積極的に使い、成人聴覚障害者との出会いを保障しているのかといったらごく少数の聾学校を除いてそうではありません。「手話を認め、使っている」ことと「手話からスタートする」ということは似ているようですが、子どもの内面に育つものが違うと思います。手話からスタートするから、親子のコミュニケーションが早期に可能になり、そのことによってよい親子関係が作れるのです。よい親子関係が作れるから子どもも楽しくなります。乳幼児期においては、親との楽しい生活やあそびの中で、のちには同じ言語を持ち自由に伝え合える集団の中で、子どもは積極的に外界に関心を広げ、世界を広げていきます。その結果として、日本語の読み書きや論理的思考、対人関係能力や社会性の発達にもつながっていきます。

 もちろん、日本語獲得の課題もあります。それは、音韻の弁別・認識が可能になる3歳前後から始まりますが今日の主たる話題ではないのでまた別の機会に譲りますが、このような発達早期から手話言語環境が保障される中で、ろう重複障害をもつ子どもたちも安心感を持ち自分を否定されることなく、共に成長発達を遂げていくことができると思います。

 

┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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