全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

ろう重複教育

  ここで紹介する実践は、山口南総合支援学校小学部古谷弘美先生によって平成28年度に行われたものです。本児は聴覚障害のほかに知的障害、自閉症スペクトラムを合わせ有する児童です。手話、文字、指文字などの「記号」同士や絵(イメージ)との結びつきを図ることで、「絵カード」や指差しによって他者とのコミュニケーションが徐々に図れるようになっていきました。

  指文字の学習と平行し「絵と単語の照合」や「絵と手話表現の照合」「手話の模倣」の指導を行ない、3学期には、絵を見て指文字で表せる、あるいは絵と単語カードを照合できる言葉が20くらいに増えました。
 また、たとえば、赤ペンを指さし「丸を付けてください。」など、指さし表現による要求が増えました。さらに、学習活動に指さしを取り入れたり(「たのしいゆびもじ」の指さし等)、問いかけへの回答を指さしでさせたりすることも可能となりました。

 このような、指文字の学習や絵と単語の照合、手話の学習などの一歩進んだ認知活動により、教員とコミュニケーションを取る力や注視、集中する力(これにより、本児の特性である物への固執性、同一性保持の欲求、自己刺激行動が減少した)、スケジュール通りに見通しを持って学習に取り組む力なども伸びました。

 以下、「自立活動」で取り組んだ実践の記録(平成28年4~11月)です。

重複児の指導.pdf

 関東地方の二つの聾学校乳幼児相談に通う1歳以上3歳までの乳幼児の保護者にアンケート調査を行い、33名の回答を得た。そのうち、重複障害のある9名(15か月~36カ月、平均24か月、全回収数の27%)について調査結果をまとめた。

9名のうち初語の発語を認めたのは5名で、初語発語平均年齢は16.3か月。いずれも、初語は手話であった。5名の幼児の聴力は70~90dB3名、90dB以上2名。いずれも軽度・中度の知的障害を伴う幼児であった。(*音声初語は70~90dB台幼児1名のみ)

 このことから、知的障害が軽度・中度であれば、早期から手話を導入することで、聴力に関わらず、手話を言語として獲得できる可能性が高いことが示唆された。

以下、PDF参照。 乳相保護者アンケート調査結果報告2(2017.9).pdf

講演記録「手話でスタートすることの大切さ~

    ろう重複支援のあり方を考えるシンポジウム」(2017)

       木島照夫(元都立ろう学校教員・東京学芸大学講師)

 

う教育に関わるようなってかれこれ30年近くになりますが、そのなかで学んだきこえない子にとっての手話のもつ意味、その大切さについて話したいと思います。 

 

〇手話を使うろう学校での経験から

 私が都内の養護学校に10年間勤務して、当時のAろう学校に異動したのは、ちょうど昭和から平成になった1989年でした。その頃、都内には幼小中学部のある聾学校は6校あり、そのうちAろう学校だけが手話を使うろう学校でした。手話を使う学校ということで他の5校からさげすんだ目で見られ、例えば都内合同の研究会に出て、仮に私が何か発言したとしても、まるで私の発言はなかったかのように無視されるのが常でした。そのくらい「手話」は、口話とか日本語より下とみなされ、手話を使う教師も含めて差別され偏見の目でみられる、そんな時代でした。

ですから、ろう教育とは聴覚口話法なんだ、それにのることができないろう重複児はろう教育の対象ではないんだということで、「重複のお子さんは入れませんから」と学校見学すらさせてもらえないというのが現実でした。実際に「〇〇ろう学校を断られまして・・・」と不安げに電話をしてくる保護者は一人や二人ではありませんでした。このような現実の中で、私のいたAろう学校は、重複児だからと断ることはありませんでしたから、重複児たちも一人のろう児としてろう学校を「居場所」として育っていきました。ただ、受け入れる側の教育環境には制度的な制約があったのも事実で、実際に幼稚部の重複学級では、ダウン症の子と脳性まひの子と自閉症の子計3人を保護者付き添いではありましたが担任一人でみていたときもありました。障害の特徴がそれぞれ違うのにどうやって指導していたんだろうと今でも思います。

それにしてもなぜろう重複児は同じろう児でありながら排除されてきたのでしょうか? 壁.jpg 重複児は口話法で指導するのは困難で,必然的に手話を使用せざるを得ません。しかし、口話法で指導する側からみれば、単一障害の子たちが手話にふれると、あっという間に手話に侵されて口話法での指導が成立しなくなるという恐れたからだったと思います。といって、では、口話法で日本語の読み書きができるようになったのかというと、過去半世紀以上にわたって、いわゆる「9歳の壁」を超えるという目標は、未だ達成できていない、というのが現実です。それがこのグラフです。

それでもなお、今も、科学的な根拠がないのに「手話は日本語獲得には害になる」と言われるのはなぜでしょうか? 平成27年現在で聾学校全体の重複学級在籍児の比率は26.5%ですから、4人に1人は重複児というのが現実です。それでも日本の聾教育がなお聴覚口話をベースにおきたいのは、「きき、話す」という方法で、きこえる多数者側に、少数者が合わせてくれたほうが、きこえる側はラクだからだろうと思います。もちろん、「きき、話す」という方法が、きこえない子の日本語獲得に一定の効果があるのも確かですが、しかし、それは手話を排除しなくても同時的に成り立ちます。だから手話も口話もあってよいのです。

 

〇手話のろう学校から口話のろう学校へ

都内ろう学校の統廃合があった2003年、Aろう学校は閉校となり、私はOろう学校に異動しました。口話法を標榜していたOろう学校に赴任して私が最初に感じたのは、「なぜ、こんなに子どもたちは話が通じないのか」ということでした。手話を知らないということにとどまらず、口話では時間と空間を超えた話題はとんでもなく通じないという、手話の学校から来た私には想像ができないほどのカルチャーショックでした。そしてまた、「これでは時間がいくらあっても足りない。勉強も遅れるだろうな」とも感じました。

実際こんなことがありました。当時の校長が話してくれたことなのですが、統廃合前の都内各ろう学校で、小学部高学年と中学生を対象に、校長会が主催して学力テストを実施したのだそうです。そしてその結果は、なんとAろう学校が断トツに高かったというのです。それは誰も予想すらしなかった結果であり、口話でやってきた校長たちからみれば、それはあまりにも屈辱的な結果でした。結局、そのテスト結果は公表されず、テスト自体をなかったことにしてしまったということでした。その時の数値結果も実は私は見せてもらいました。その「幻の学力テスト」の話をききながら、ああやっぱりそうか、と思いました。手話を使うほうが日本語力や学力に貢献できる可能性が高いということは、うすうす感じていたからです。しかし、手話と日本語は言語が違います。どのような要因が関与してそのような結果になるのか、その時はわかりませんでしたが、その後、幼稚部や乳幼児教育相談に関わるようになって、その要因がどこにあるのか、だんだんとわかっていきました。 早期から手話を.jpg

 

今は、新生児聴覚スクリーニングによって、聴覚障害が発見されるようになってきています。わが子が無事生まれ、喜びの頂点にあるのもつかの間、「障害があるかも?」と伝えられた時のお母さん方のつらさはよくわかります。そして、きこえるお母さんたちは、まず100%間違いなく「奈落の底に突き落とされた」思いを語ります。「五体満足」ということばに象徴されるように、障害があってほしくないと思うのはある意味当然のことだと思います。

しかし、このお母さんの悲しみの感情は子どもにはどう映るのでしょうか? 英国の小児精神科医ウィニコットは、赤ちゃんには、お母さんが自分のことをどう感じているかがわかるのだと・・。

お母さんが自分のことを悲しんでいると知ることは、子どもにとっても悲しいことでしょう。「ぼくはここにいてはいけないの?わたしがお母さんの子であることは悲しいことなの?」ときっと思うでしょう。きっとそうだというのは実は、きこえない子たちは大きくなった時、どの子も必ずといってよいほど、この問いをもう一度、お母さんにするからです。知的な障害がある子もことばでは言えませんが、同じ思いを持っていると私は思います。といいますか、知的障害のある子たちは、かなり小さい時からそれをもっと敏感に感じていたはずです。

子どもは問います。「お母さん、なぜ、わたしをきこえない子に産んだの? どうしてぼくはみんなと違って障害があるの?」 

この唐突な問いに、多くのお母さん方はとまどい、泣き、そして子どもに詫びます。「ごめんね。あなたをきこえない子に産んでしまって・・。」「お母さんのお耳と変えてあげたかった」等々・・・。この時、子どもはとても複雑な気持ちを味わっています。一つは「お母さんが自分のことを一生懸命愛し育ててくれたのだ」ということ。と同時に、「お母さんは、自分をずっと悲しい存在と思ってきたのだ」ということも。

障害への思いは単純ではありません。「障害はないにこしたことはない」という親の気持もよくわかります。私には脳性麻痺の孫もいますから実感としてそう思います。しかし、子どもにとってはその障害も含めて自分自身であり、そのままの自分として周りからも認められて生きていきたいというのが本当の気持ではないかと思います。だから子どもは私たちに問いかけるわけです。

障害があることは、誰が悪いわけではありません。事実を事実として認める、そこから出発するしかないと思います。ですから親御さんたちには、こう語ってほしいと思います。

「あなたの耳がきこえないのは誰にもわからないことなの。世の中には、耳のきこえない人、目の見えない人、車いすに乗った人、病気で運動ができない人、いろんな人がいるでしょう? いろいろな人がいるなかに、あなたもお母さんもいるのよ」と。「でもね、どのようなあなたでもあなたのことを精一杯愛しているよ」という言葉も添えて抱きしめてほしいと思います。

 

〇手話でスタートする

さて、話を少し戻しますが、障害を告知された親御さんたちは、 手話は関係を変える.jpg「きこえない」わが子を前に「この子とはもう通じ合えないんだ」という絶望的な思いになります。そこで、私たちは子どもと通じ合うために手話を身につけましょうと勧めます。そして、そこから手話の学習が始まります。大事なのは、直接、きこえない人から手話を学ぶことです。聞こえない人と出会うことで、きこえない人にとって手話はかけがえのない言語であることと同時に、きこえないということはどういうことなのかを学ぶことができるからです。その過程で親たちも徐々に変わっていきます。悲しみや不安は安心と少しの希望へと変わり始めます。きこえない手話の先生は、冗談も好きで、明 手話のメリット.jpgのサムネール画像るく生きていることも知っていきます。わが子の将来をそこに重ねてみることもできるようになってきます。このことを実感できたとき、わが子を見つめるまなざしも変わります。

  きこえないということを親が受け入れられるようになると、 その気持ちは子どもに伝わります。子どもはそれを感じ取ります。「ぼくはこのままでいいんだ」。自己肯定感が子どもの内面にも芽生えてきます。子どもは母親と共にいることが喜びとなり、自分がこの世界に存在してもいいんだと感じられることで、親との信頼関係を築いていきます。親子の関係が子どもにとって楽しい関係になっていくと、お母さんが指さしたものの見ると か、子どもが何かを指さしてお母さんに知らせるといったいわゆる「共同注意」とか「三項関係」といった、言葉の獲得になくてはならない人間関係が築かれていきます。言語は人と人が何かを共有し伝え合うためにあるものなので、この共有関係が成立しているかどうかは大切なことなのです。

都内2校の乳幼児相談保護者アンケート調査では、1歳から3歳までの定型発達児21名全員に指さし行動による三項関係(母親・子・モノ)の成立が観察され、その後全員に手話初語の表 手話は獲得しやすいか?.jpg出がみられています。また、重複児9名では指さし行動が観察された6名のうち手指による表出が困難な脳性まひ児2名を除く4名に、その後、手話初語の表出が観察されています。これらのことから言語獲得の前提として母子で互いに何かを伝え合う関係が成立していることがわかります。

また、手話は知的障害のある子を含めて、子どもにわかりやすい言語です。ものごとの一部や動き・様子などを象徴的に表した「写像性」をもった語も多いことは、言語獲得に必要な象徴的機能をもちやすい言語だとも言えるでしょう。例えば、重複児9名のアンケート調査のうち手話が出ている子4人の初語はそれぞれ「水」「電気」(2) 獲得しやすいか?2.jpg「美味しい」です。

それから知的障害のある子たちの手話は、必ずしも、社会で通用している手話のかたちがそのままのかたちで使われているとは限りません。手の形や動きが同じようにつくれないことも多いです。ですから、出ている手の動きが何を意味しているのか、しっかり見取ってあげることが大切です。子どもは自分が表出したいことが、だれかに理解されたとき、変わり、成長します。また、例えばマヒがあるから手話は無理と最初から思わないでほしいと思います。表出は無理でも手話を日々使うことで理解できるようになっていくことも多いですし、自分から手を動かせなくても、相手の手話を見て、眉を動かして「Yes-No」を表出できるようになった脳性まひの子もいます。

それから、手話は、赤ちゃんの単純な手の動きであるグーやパーで伝えられる語も多く、調査結果からは、初語の8割以上がグーとパーの手型でした。このことは、運動障害があってもその子のできる手の動きや形、位置、向きなどに合わせて、語を獲得し広げていける可能性を示唆していると思います。 手話は共通言語.jpg

重複児を含めて初語を獲得した子たち25名は、まず全員が最初に手話で初語を獲得していました。つまりきこえない子の共通言語は手話であると言ってもよいと思います。

ただ、聴力が相対的に軽い定型発達の子たちの中には、手話初語だけでなくやや遅れて音声初語も出ている子たちがいます。しかし、その後の語彙獲得過程をみると、手話による急激な語彙の獲得が実感されている子は12名に対して、音声による急激な語彙増加が実感された子は2名で、手話のほうが語彙獲得システムが有効に作動するということがわか 語彙爆発.jpgります。この差は、音声入力の曖昧さによるものではないかと考えています。曖昧な音の塊では、語として認識・記憶できず、カテゴリーをもった語彙として脳内に辞書(心的辞書)が構築できないのではないかと思います。

 これらのことから、手話は聴力の軽重に関係なく1歳前後から獲得できるれっきとした言語であることがわかりますし、知的障害のある子にとっても、獲得ペースこそゆっくりですが、獲得可能な言語であることは確かだと思います。

 最後に、ろう教育の中での研究と言えば、今でも日本語や学力に関連するものが中心であり、手話や重複障害に関する研究はほとんど見当りません。そのことが手話やろう重複教育を、ろう教育の中でマイナーな位置づけにしてきたことも否定できないと思います。研究予算をつけて積極的に研究を奨励するなどの措置も必要と思わます。

以上述べてきたように、手話は、母子愛着関係を築くことを側面から支え、きこえない子の自己肯定感の形成を支え、概念形成や知識の獲得、思考力や認知、対人関係や社会性の発達を促すことを可能にします。このように、手話はきこえない子にとって欠かせない言語でありながら、なぜこれまで、いや今も一部の人たちから、日本語獲得の邪魔になると思われているのでしょうか?

 聾学校の多くは「手話も認めています」と言います。では、発達早期から手話を積極的に使い、成人聴覚障害者との出会いを保障しているのかといったらごく少数の聾学校を除いてそうではありません。「手話を認め、使っている」ことと「手話からスタートする」ということは似ているようですが、子どもの内面に育つものが違うと思います。手話からスタートするから、親子のコミュニケーションが早期に可能になり、そのことによってよい親子関係が作れるのです。よい親子関係が作れるから子どもも楽しくなります。乳幼児期においては、親との楽しい生活やあそびの中で、のちには同じ言語を持ち自由に伝え合える集団の中で、子どもは積極的に外界に関心を広げ、世界を広げていきます。その結果として、日本語の読み書きや論理的思考、対人関係能力や社会性の発達にもつながっていきます。

 もちろん、日本語獲得の課題もあります。それは、音韻の弁別・認識が可能になる3歳前後から始まりますが今日の主たる話題ではないのでまた別の機会に譲りますが、このような発達早期から手話言語環境が保障される中で、ろう重複障害をもつ子どもたちも安心感を持ち自分を否定されることなく、共に成長発達を遂げていくことができると思います。