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小1絵日記より

日本語には、修飾語句が文の前に前に(横書きでは左へ)と展開するという特徴があります。そして、こうした日本語の構文の特徴を学習するには、形容詞を使った名詞修飾の仕方の学習から始めるとわかりやすいです。

先日、ある聾学校の小1児童の絵日記をみせていただきました。以下、原文のまま紹介してみます(但し固有名詞は除く)。

 

1.「きょうは、よこうれんしゅうがありました。わたしがらいおんぐみのときにいっしょにあそんだ人がいました。○○さんです。○○さんは、きょうそうのおなじです。」

 

この学校では分校も一緒になって運動会が開かれます。徒競走の同じ組に幼稚部年長のときに一緒に遊んだ分校の○○さんをみつけた。そのときの驚きと嬉しさをこの児童は綴っています。「きょうそうの同じ」というのは、「競走の(組が)同じです」のこと。注目すべきところは、「らいおんぐみのときにいっしょにあそんだ人」の部分で、名詞修飾節を使って複文にしているところです。「らいおんぐみのときにいっしょにあそんだ○○さんがいました。」でもよいのですが、この児童は「・・一緒に遊んだ人がいました。」→誰かと思ってよくよくみたら「○○さんです」と、一度文を切って時間的な間をもたせ、その瞬間の驚きをうまく表現していると思います。1年生ではなかなか書けない文です。

 

2.「今日は、あたらしいきょうかしょをもらいました。とてもとてもうれしかったです。なかみは、こくごとせいかつとことばでした。ことばは、学校におきました。」

 

 ぴかぴかの新しい教科書をもらったときの嬉しさを「とてもとても」と繰り返すことで表現しています。また、「あたらしいきょうかしょ」と、自立活動で学んだ形容詞の名詞修飾用法を使っています。学んだことを日々の生活の中で使っていくことは、学習した中身を定着させるために必要なことです。この学級では、それが実践できているのだろうと思います。

 

3.「きょうはさいたまのしんりんこうえんへいきました。ほんとうは、じてんしゃをかりるのができるげと(注:けどの誤り)、おかねをはらうので、おとうさんが だめだめと いいました。」

 

 この児童は自転車をもっていないか、あるいは持っていても交通量の多い都内では乗ることのできない自転車に、安全に乗れる公園で乗りたかったのでしょうが、お金が必要なのでお父さんの許可が出ない。そのときの残念な気持をお父さんのことば(だめだめ)を使って書いています。カギ括弧を使って、そのときの親子の会話をもうちょっとふくらませて書くとさらによくなるのではないかと思います。

また、「自転車を借りるのが」と、名詞構成語「動詞+の」を使っています。この場合は「自転車を借りることが」でもよいと思いますし、こうしたときに「~するの」「~すること」の使い方を指導するとよいと思います。「~けど」「~ので」などの接続助詞も正しく使えています。

 

 多少、文法的誤りはありますが、この時期の小1児童の日記としてはよく書けていると思います。日記は、題材の選び方、題材への思考・認識の深まりという内容面と、正しい表記(かな・漢字)や文法的に誤りのない表現など技術的な面からの評価が必要ですが、3人とも両面においてよくできていると思います。このクラスでは日記の指導にも力を入れているクラスです。今後の成長が楽しみです。

 

 

◎小1絵日記の指導(2)

聾学校小1の日記をいくつか紹介しました。今回はその続きで、また、別の児童の日記を紹介します。この子たちはどの子も乳幼児相談で手話を使うことからスタートし、幼稚部を経て小学部にあがってきた子たちです。「聾学校にいて手話を使っていると日本語の読み書きの力がつかない」との批判を耳にすることがありますが、それは違うと思います。公立の聾学校では、手話も日本語も大事にしている学校がたくさんあります。この聾学校もその一つで、とくにこの数年、幼稚部を終えた子どもたちの日本語の力は一昔前とは確実に違うなと実感しています。

この子どもたちの書いた日記をみると、少なくとも自分が書く文の中での助詞や動詞・形容詞の活用の間違いが少なく、名詞修飾用法なども使えるようになってきています。

今回紹介する4人の児童は、90dB以下と人工内耳装用の児童です。以下、原文のまま紹介します(但し固有名詞は除く)。

 

1.「きょうの一じかんめは、うんどうかいのえをかきました。かいたえは、○○タイフーンのえをかきました。まわっているところをかきました。えがかんせいしました。つぎはさくぶんです。じょうずにかけるといいです。

 

 運動会の作文で、まずこの日は絵を描いたようで、そのあと、文を付け加えるのでしょう。文法上の誤りは、「かいた絵は、・・」で始まっているので「・・です」と結ぶ必要があるのに、「かいた絵は・・・・絵をかきました。」となっているところです。「(私の)かいた絵は運動会の絵です」と「(私は)運動会の絵をかきました」の違いをこの機会に指導するとよいと思います。

 

2.「今日は、おにいちゃんのはいしゃさんとわたしのじびかにいきました。ひるごはん(を)たべたあとに、おもいでのマーニーをみました。とてもむずかしかったです。じまくがありませんでした。でも、じいちゃんからもら(っ)たDVDは、じまくあるかな。」

 

 一日の出来事を二つ順序立てて書いていますが、主として書きたいことは、『おもいでのマーニー』のビデオを見たことでしょう。きこえない・きこえにくい子にとって、字幕のないビデオやテレビをそのまま視聴することは難しいことです。とくにアニメは口の動きも手掛かりにできないので、「とても難しかったです。」と書き、そのあとすぐに「字幕がありませんでした」「でも、じいちゃんからもらったDVDには字幕があるかな」と期待を寄せていますから、この児童の思いは、「もし、字幕があったらなあ・・。見たいアニメが楽しめるのになあ」ということでしょう。きこえない子・人にとって情報保障はなにより大事なことですから、この思いを担任教師もしっかりと受けとめ、また本人も認識を深められるようなコメントなり対話が求められると思います。

 

3.「きょうはおとうさんとおうちのおそうじをしました。ぼくは、そうじきをはこぶおてつだいをしました。おとうさんは、へやのドアをあけて、そうじきをかけました。へやがぴかぴかになりました。おとうさんといっしょにそうじきをかけたのがたのしかったです。」

 

 大好きなお父さんと一緒に掃除をしたときの楽しさ、部屋が見違えるようにきれいになった様子がよく伝わってきます。一日の出来事の羅列ではなく、書きたいテーマが絞られています。

 

4.「今日は、いえのそうじをしました。おひるにおばあちゃんといっしょにそばをたべにいきました。いえにかえってきて七五三のきものをなおしてくれました。そうじをし(、)そばをたべて大みそかみたいでした。」

 

 掃除をする→そばを食べに行く→着物を直してくれると、一日の流れを順番に書いた日記のようにみえますが、最後に「そうじをしそばをたべて大みそかみたい」と、二つの出来事を「大晦日」と結びつけていて、ちょっとユーモラスで、「テーマ」のある文になっています。もしかしたらおばあちゃんが着物を直してくれたことも「正月」を連想させたのかもしれません。

 

 このように、ある程度の日本語の読み書きの基礎を小学校入学までに築くことができれば、日記指導においても日本語の語彙・文法の指導で大半を費やしてしまうことなく、文を書くことによって自分自身を振り返り、生活を見つめなおす「認識の目」を育てることに指導の時間を使うことができます。「手話を使うから日本語が身につかない」のではなく、「発達早期より手話を使うから、その土台の上に日本語もしっかりと身につく」ということが、紹介してきた子どもたちの日記からもわかるのではないかと思います。

 

 

 

◎小1絵日記の指導(3)

 以前に聾学校小1児童の日記を紹介しました。それから4か月経って児童の日記は今回どのように変わっているのか、見てみたいと思います。以前に紹介したのは次の日記です。

 

「きょうの一じかんめは、うんどうかいのえをかきました。かいたえは、○○タイフーンのえをかきました。まわっているところをかきました。えがかんせいしました。つぎはさくぶんです。じょうずにかけるといいです。」

 

まだ、日本語的にこなれていない箇所があります。字数も100字ほどです。その児童が、4か月経って、下のような日記を書いていました。(原文のまま)

 

今日のひるから、こうえんでじてん車のれんしゅうをしました。

 こうえんの人がいないばしょの木をまわるれんしゅうをしました。

 上手でした。

 「スイースイー」と、タイヤがまわっている音にきこえたとき、わたしは、おもしろいな、とおもいました。

そのとき、のりものにも、音があるのかなとおもいました。

車、バス、バイク、でん車、しんかんせんもぜんぶ、音は、本とうに、あるかもしれません。

まえはまがることができなかったけど、れんしゅうしたら、しぜんに、できるようになるんだな。とおもいました。できるようになると、うれしいです。

 

 4か月前とくらべると、ずいぶん進歩しています。字数も250字で、書きたい中身がだんだん出てきて、それが書けるようになってきたことがわかります。ただ、テーマがまだ絞り切れていないので、二つのことが同時に一つの文章の中に混じっています。このようなときは、「どっちのことが書きたかった?」ときいてあげるとよいと思います。そして、一つのテーマに絞って書かせるとよいと思います。

 もし、私が指導するとしたら、「音を発見したこと」に絞って書いてほしいです。きこえない子が、「世界には音が存在し、音にはいろいろと違いがあるらしい」ということに気づいたということは、その子にとっては、きっと世紀の大発見ともいえることにちがいないからです。きっと、それまで、その子は、音はきこえていてもみな同じようにきこえていたのだろうと思います。同じようにきこえていたとしたら、それはなくても同じです。だからその子にとっては、音はきこえていても"ない"のと同じだった。だからこそその子は「音は、本とうに、あるかもしれません。」と書いているわけです。

日記は単に日本語の指導のためにだけ、書かせているのではありません。日記のもう一つのねらいは、自分のことや自分のまわりのことに気づき、考え、認識を深めていくためです。この子は、そういう点で、とても大事な気づきをしたのだと思います。だったら、そのことをしっかり見つめさせ、考えさせ、認識を深めさせていく指導をここですべきだと思います。「○○ちゃんは、音はどういうふうにきこえているの? 例えば、車とバスは音はどう違うの? トイレを流す音とは違うの? 電子レンジのチーンって音はどの音と似ている? 窓を開けるときの音、雨や風はどう?・・・」などなど。

 きこえない子たちには、私たちにはきこえていても、本人にはきこえていない音がずいぶんたくさんあるものです。例えば私がきいた例では、「子どものころ、夕方、ある時間になると、どうしてきこえるお友達は決まったように皆家に帰っていくのだろう?」という素朴な疑問。5時になると町役場が鳴らす夕焼け小焼けのミュージックサイレンがその子には聞こえなかったため、大きくなるまでず~っとその疑問を持ち続けていたわけです。

 世界には「音」があり、その「音」はみな違う。自分にはききとれる「音」もあれば、ききとれない「音」もあること、そんなことに気づくことは、自分の障害認識を深める上で非常に大事なことだと思います(しかも、それは「よい、悪い」の問題ではないことも含めて)。

聴覚障害児教育の中で、日記指導は伝統的に行われてきていますが、日本語指導だけでなく、このような視点も持ちつつ日記指導がなされると、子どもの深く考える力、考えを表現する力はもっともっと深められていくのではないかと思います。

 

ファイルは、低学年児童の日記指導の観点と評価についてです。

 

日記指導の観点.jpg  日記の評価.jpg