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小学生の日記指導

 前回、日記の中で行う文法指導として、動詞、形容詞、なにで名詞を取り上げましたが、今回は、きこえない子たちの苦手な助詞「に、で、を」について書いてみたいと思います。

手話を日常的に使用している子たちは、「場所・どこ」「あいだ」「使う」「原因・理由・なぜ」「行く」などの手話は自然獲得しており、その意味・概念も理解しています。その手話を、助詞を教えるときの記号(=「助詞手話記号」)として使います。あくまで助詞を学習するための文法記号なので、日常生活での会話の中でその記号を使うわけではありません。また、その記号で助詞の意味・用法が全て説明できるわけでもありません(日本語の全ての文法を矛盾なく説明できる理論は今のところありません。例えば格助詞の範囲をどこまでとするか等は研究者によってまちまちですし、私たちが学校で習った「形容動詞」には多くの矛盾が含まれています)。そのことを理解した上でもなお、きこえない子にこの助詞手話記号を使って助詞の用法を教える効果は十分にあります。

 

さて、子どもの書いてきた日記には、助詞の誤りが必ずと言ってよいほどあります。そこで、その都度、子どもに直してもらうわけですが、これまでの聾教育の中では指導の方法がなく、ただただ「『学校で行く』とは言いません。『学校に行く』です」と、子どもにその理由を説明しない(できない)ままに、「日本語はこういうもんだから」という指導をしてきました。もちろん、研究者含めて日本中のだれも説明できないことが、日本語の中にまだまだあります。理由がわからなくても私たちは繰り返し日々使う中で自然獲得してきたのですから、意味や理由がわからなくてもきこえない子も何度も繰り替えせばきっと使えるようになる、という信念があるわけです。では、正しく使えるようになったのでしょうか? もしこの方法で助詞が身につくのであれば、同じ助詞の使い方を小1から高3までの教科書の中で何百回、何千回と見て声も使って読んでいるのですから「自然に身につく」はずです。しかし実態はそうではありません。

 きこえない子に必要なことは、説明できることは子どもにもわかるように説明し、子ども自身が自分で理解し、納得して使うという経験であり、それを積み重ねることです。それが日本語の指導であり、文法指導です。

 

では、日記を通して具体的にどう指導したか。C子さんの日記をとりあげてみます。C子さんの日記には助詞「で」がほとんど出てきません。使い方がわからない、というのが第一義的な理由でしょうが、助詞「で」は、実は使わなければ使わなくても済む助詞なのです。 助詞の使用頻度.jpgどういうことでしょうか? これについてはまた改めて説明しますが、ここでは、「で」は、文を詳しく説明するときにしか使わない助詞と理解しておいてください。図に示した二つの日記・作文例(図の左は聾学校幼稚部年長児の絵日記、右は聾学校小6児童の作文)はそれぞれ400字ほどですが、左の文例の中で、「で」は年長児の絵日記に一度しか出てきません(「ので」は接続助詞なので格助詞「で」とは異なります)。

 

 以下に、Cちゃんの日記の中から、助詞「で・に・を」を取り上げたものを紹介します。

一つ目のファイルは、助詞「で」の学習です。

助詞「で」の使い方.docx

 

二つ目のファイルは、助詞「に」の学習です。

助詞「に」の使い方.docx

 

三つ目のファイルは、助詞「を」の学習です。

助詞「を」の使い方.docx

 

四つ目のファイルは、助詞「に、で、を」の使い方のまとめです。

助詞のプリント.docx

 

 

 上記の助詞の学習は、「きこえない子のための日本語チャレンジ」と一緒に使うと、より理 解が深まると思います。 また、セットで出版しているCD(動詞形容詞活用練習ノート)には、テスト問題や100枚以上の練習プリント等が掲載されていますので併せて使うと、より効果的に学習できます。 karuta_0001.jpg

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「きこえない子のための日本語チャレンジ」(本会発行、1,600円) 

「動詞・形容詞活用練習ノート」(本会発行、1,000円) セット価格2,200円

本ホームページ「出版案内」よりお申込み下さい。

 

 以前にも書きましたが(このカテゴリー内「小1絵日記の指導」参照)、日記指導には、

①自分の生活や内面を見つめ、思考や認識を深める、という目的と、②日本語の誤りを正して、より適切な文章表現力を身につけるという二つに役割があります。ただ、注意しなければならないのは、一方的に日本語の誤りを直すという指導だけをやらないことです。きこえない子たちの文章はまだまだ誤りが多いのも事実です。それを「こう直しなさい」というだけでは指導になりません。ただただわけもわからず直してもまた同じ間違いを繰り返すだけで、本人も自信を失い、やる気もなくなります。「だから、誤りを直さない」という先生もいらっしゃいますが、それは指導をしないということと同じです(いつどこで指導をするのでしょうか?)。どうやって子どものやる気を引き出しつつ、正しい文章表現を身につけさせるか、それがきこえない子の日記・作文指導です。

 

さて、私は、今でもときどき、小学生に日記をみせてもらうことがあります。FAXで送ってもらい、それに返事を書いて送るのです。その中で、よく書けているところの評価と同時に、日本語の文の誤りにも触れます。そして、訂正したものをまた送ってもらいます。ただ、この時に注意しなければならないことは、まず、子どもが自分なりに一生懸命書いてきた日記を褒めることです。どんな日記でも必ず良い点があります。その点をみつけて褒めることです。そして、最初は一つだけ、ちょっとがんばれば直せる誤りを直すように勧めます。「こうしたら、もうちょっとよくなると思うよ」と提案します。このような方法で回数を積み重ねながら、語彙や文法の指導、表現技術の指導へと高めていきます。対面で実際に指導できる学校にはおよびませんが、それでも保護者の方にお手伝いをしていただきながら指導が可能です

 

以下、具体的な日記指導について紹介します。小1児童がFAXで送ってくれた日記への返信というかたちで、私がFAXで送ったものですが、図や表があるので、PDF添付ファイルにしてあります。参考になればさいわいです。なお、助詞の指導も大切ですが、助詞については、項を改めて書きたいと思います。(*下記PDFの漢字フリガナは全て解除しています)

 

一つ目のファイルは、する名詞(名詞+する)と自動詞・他動詞です。

「する名詞」と自動詞・他動詞(Bちゃん).pdf

 

二つ目のファイルは、動詞の可能形(可能文)と受動形(受動文)です。

動詞可能形と能動・受動文(Bちゃん).pdf 

 

三つめのファイルは、形容詞となにで名詞(形容動詞)ですが、これは「動詞・形容詞の指導」のカテゴリーにも掲載しています。

  形容詞となにで名詞の指導(Aちゃんの日記から).pdf

 

これまで低学年の日記指導の方法について書きました。今回は、ある程度文が書けるようになった中・高学年児童の日記指導について具体的な事例をあげて書いてみたいと思います。

まず、中・高学年の日記指導の目標は以下の2つです。

 

 (1)書きたいと思ったことを、さらに絞り、ひとつのことを詳しく書く。

  ・色、形、数、量、具体名

  ・五感を使って(味・におい・色・感触・音)

(2)相手の心に響く「書き方」を工夫する。

  ・クライマックスから書く。

  ・具体的な風景の描写を入れる。

  ・具体的な自分の心の動きを入れる。

  ・臨場感の出る書き方を工夫する。

 

 事例1(小学部3年) 250字

今日は、家で、ナノブロックで遊びました。ナノブロックはとても小さいので、オラフを作るのが難しいです。

作る前、「早く作りたいからドキドキしちゃう。どのぐらい小さいのかな」と思っていました。

作っている時、「これってけっこうむずかしいからひとくろうするな。でも、むずかしいからたのしいな。」と思いました。

でも、まだ完成していないので、「まだまだだな。」と思いました。かんせいするのが楽しみです。

 

字数はやや少なめですが(3年生なら3×100+100=400字くらい書けるのを目標にします)、3年生としてはよく書けていると思います。低学年時の指導の目標であった、「身の回りのことから書きたいことを書く」ことができていますし、「したことを順序立てて書く」という点でも起承転結の4つに分け、すっきりとまとまっています。また、「自分の思ったことを(  )をつけて書く」こともできています。

 

こうした日記を本人の了解も得て「学級だより」などで紹介し、評価すべきところ(必ず書きます)、もうちょっとこうするとさらによくなる点などをコメントして掲載すると、本人や級友の家族の方などとも作品を共有することができますし、こういうふうに書くといいんだなと参考にもなります。

 

さて、この日記をさらに一工夫するにはどうすればよいでしょうか?

上記の中・高学年の日記指導目標の(1)の点ですが、とくにどれほど小さいのかをもう少し具体的に書くとよいと思います。

例えば「ナノブロックの大きさは一つ4ミリ。指先でつまんでもすぐにポロッと落としてしまう」などと具体的に書くとよいと思います。

また、(2)の相手の心に響く書き方を工夫する、という点では、楽しみで気持ちが高ぶっている様子を最初にもってくるのもひとつの工夫です。例えば以下のような書き方をしてみるのもよいでしょう。

 

「早く作りたいからドキドキしちゃう。どのくらい小さいのかな?」

頼んでおいたナノブロックが今日、やっと来ました。箱を開けると、赤、青、水色、黄色・・・。小さなナノブロックがぎっしりと詰まっています。ナノブロックの大きさは一つ4ミリ。指先でつまんでもすぐにポロッと落としてしまいます。・・・

 

 このように、最初にナノブロックを手にした感動を「具体的な描写によって」、また、現在形の動詞を交えて使うことで「臨場感の出る書き方」を工夫すると、活き活きとした日記になります。

 聾学校でも難聴学級でも最近、日記・作文指導をしている実践が少なくなりました。しかし、日本語の読み書きの力をつける方法として日記・作文指導は捨てがたいものがあります(というかそれが子どもの現実に即してできる最も効果的な日本語指導法)。ぜひ、日本語文法指導と日記・作文指導とを組み合わせて、しっかりと日本語の力をつけてほしいと思います。

 

日本語には、修飾語句が文の前に前に(横書きでは左へ)と展開するという特徴があります。そして、こうした日本語の構文の特徴を学習するには、形容詞を使った名詞修飾の仕方の学習から始めるとわかりやすいです。

先日、ある聾学校の小1児童の絵日記をみせていただきました。以下、原文のまま紹介してみます(但し固有名詞は除く)。

 

1.「きょうは、よこうれんしゅうがありました。わたしがらいおんぐみのときにいっしょにあそんだ人がいました。○○さんです。○○さんは、きょうそうのおなじです。」

 

この学校では分校も一緒になって運動会が開かれます。徒競走の同じ組に幼稚部年長のときに一緒に遊んだ分校の○○さんをみつけた。そのときの驚きと嬉しさをこの児童は綴っています。「きょうそうの同じ」というのは、「競走の(組が)同じです」のこと。注目すべきところは、「らいおんぐみのときにいっしょにあそんだ人」の部分で、名詞修飾節を使って複文にしているところです。「らいおんぐみのときにいっしょにあそんだ○○さんがいました。」でもよいのですが、この児童は「・・一緒に遊んだ人がいました。」→誰かと思ってよくよくみたら「○○さんです」と、一度文を切って時間的な間をもたせ、その瞬間の驚きをうまく表現していると思います。1年生ではなかなか書けない文です。

 

2.「今日は、あたらしいきょうかしょをもらいました。とてもとてもうれしかったです。なかみは、こくごとせいかつとことばでした。ことばは、学校におきました。」

 

 ぴかぴかの新しい教科書をもらったときの嬉しさを「とてもとても」と繰り返すことで表現しています。また、「あたらしいきょうかしょ」と、自立活動で学んだ形容詞の名詞修飾用法を使っています。学んだことを日々の生活の中で使っていくことは、学習した中身を定着させるために必要なことです。この学級では、それが実践できているのだろうと思います。

 

3.「きょうはさいたまのしんりんこうえんへいきました。ほんとうは、じてんしゃをかりるのができるげと(注:けどの誤り)、おかねをはらうので、おとうさんが だめだめと いいました。」

 

 この児童は自転車をもっていないか、あるいは持っていても交通量の多い都内では乗ることのできない自転車に、安全に乗れる公園で乗りたかったのでしょうが、お金が必要なのでお父さんの許可が出ない。そのときの残念な気持をお父さんのことば(だめだめ)を使って書いています。カギ括弧を使って、そのときの親子の会話をもうちょっとふくらませて書くとさらによくなるのではないかと思います。

また、「自転車を借りるのが」と、名詞構成語「動詞+の」を使っています。この場合は「自転車を借りることが」でもよいと思いますし、こうしたときに「~するの」「~すること」の使い方を指導するとよいと思います。「~けど」「~ので」などの接続助詞も正しく使えています。

 

 多少、文法的誤りはありますが、この時期の小1児童の日記としてはよく書けていると思います。日記は、題材の選び方、題材への思考・認識の深まりという内容面と、正しい表記(かな・漢字)や文法的に誤りのない表現など技術的な面からの評価が必要ですが、3人とも両面においてよくできていると思います。このクラスでは日記の指導にも力を入れているクラスです。今後の成長が楽しみです。

 

 

◎小1絵日記の指導(2)

聾学校小1の日記をいくつか紹介しました。今回はその続きで、また、別の児童の日記を紹介します。この子たちはどの子も乳幼児相談で手話を使うことからスタートし、幼稚部を経て小学部にあがってきた子たちです。「聾学校にいて手話を使っていると日本語の読み書きの力がつかない」との批判を耳にすることがありますが、それは違うと思います。公立の聾学校では、手話も日本語も大事にしている学校がたくさんあります。この聾学校もその一つで、とくにこの数年、幼稚部を終えた子どもたちの日本語の力は一昔前とは確実に違うなと実感しています。

この子どもたちの書いた日記をみると、少なくとも自分が書く文の中での助詞や動詞・形容詞の活用の間違いが少なく、名詞修飾用法なども使えるようになってきています。

今回紹介する4人の児童は、90dB以下と人工内耳装用の児童です。以下、原文のまま紹介します(但し固有名詞は除く)。

 

1.「きょうの一じかんめは、うんどうかいのえをかきました。かいたえは、○○タイフーンのえをかきました。まわっているところをかきました。えがかんせいしました。つぎはさくぶんです。じょうずにかけるといいです。

 

 運動会の作文で、まずこの日は絵を描いたようで、そのあと、文を付け加えるのでしょう。文法上の誤りは、「かいた絵は、・・」で始まっているので「・・です」と結ぶ必要があるのに、「かいた絵は・・・・絵をかきました。」となっているところです。「(私の)かいた絵は運動会の絵です」と「(私は)運動会の絵をかきました」の違いをこの機会に指導するとよいと思います。

 

2.「今日は、おにいちゃんのはいしゃさんとわたしのじびかにいきました。ひるごはん(を)たべたあとに、おもいでのマーニーをみました。とてもむずかしかったです。じまくがありませんでした。でも、じいちゃんからもら(っ)たDVDは、じまくあるかな。」

 

 一日の出来事を二つ順序立てて書いていますが、主として書きたいことは、『おもいでのマーニー』のビデオを見たことでしょう。きこえない・きこえにくい子にとって、字幕のないビデオやテレビをそのまま視聴することは難しいことです。とくにアニメは口の動きも手掛かりにできないので、「とても難しかったです。」と書き、そのあとすぐに「字幕がありませんでした」「でも、じいちゃんからもらったDVDには字幕があるかな」と期待を寄せていますから、この児童の思いは、「もし、字幕があったらなあ・・。見たいアニメが楽しめるのになあ」ということでしょう。きこえない子・人にとって情報保障はなにより大事なことですから、この思いを担任教師もしっかりと受けとめ、また本人も認識を深められるようなコメントなり対話が求められると思います。

 

3.「きょうはおとうさんとおうちのおそうじをしました。ぼくは、そうじきをはこぶおてつだいをしました。おとうさんは、へやのドアをあけて、そうじきをかけました。へやがぴかぴかになりました。おとうさんといっしょにそうじきをかけたのがたのしかったです。」

 

 大好きなお父さんと一緒に掃除をしたときの楽しさ、部屋が見違えるようにきれいになった様子がよく伝わってきます。一日の出来事の羅列ではなく、書きたいテーマが絞られています。

 

4.「今日は、いえのそうじをしました。おひるにおばあちゃんといっしょにそばをたべにいきました。いえにかえってきて七五三のきものをなおしてくれました。そうじをし(、)そばをたべて大みそかみたいでした。」

 

 掃除をする→そばを食べに行く→着物を直してくれると、一日の流れを順番に書いた日記のようにみえますが、最後に「そうじをしそばをたべて大みそかみたい」と、二つの出来事を「大晦日」と結びつけていて、ちょっとユーモラスで、「テーマ」のある文になっています。もしかしたらおばあちゃんが着物を直してくれたことも「正月」を連想させたのかもしれません。

 

 このように、ある程度の日本語の読み書きの基礎を小学校入学までに築くことができれば、日記指導においても日本語の語彙・文法の指導で大半を費やしてしまうことなく、文を書くことによって自分自身を振り返り、生活を見つめなおす「認識の目」を育てることに指導の時間を使うことができます。「手話を使うから日本語が身につかない」のではなく、「発達早期より手話を使うから、その土台の上に日本語もしっかりと身につく」ということが、紹介してきた子どもたちの日記からもわかるのではないかと思います。

 

 

 

◎小1絵日記の指導(3)

 以前に聾学校小1児童の日記を紹介しました。それから4か月経って児童の日記は今回どのように変わっているのか、見てみたいと思います。以前に紹介したのは次の日記です。

 

「きょうの一じかんめは、うんどうかいのえをかきました。かいたえは、○○タイフーンのえをかきました。まわっているところをかきました。えがかんせいしました。つぎはさくぶんです。じょうずにかけるといいです。」

 

まだ、日本語的にこなれていない箇所があります。字数も100字ほどです。その児童が、4か月経って、下のような日記を書いていました。(原文のまま)

 

今日のひるから、こうえんでじてん車のれんしゅうをしました。

 こうえんの人がいないばしょの木をまわるれんしゅうをしました。

 上手でした。

 「スイースイー」と、タイヤがまわっている音にきこえたとき、わたしは、おもしろいな、とおもいました。

そのとき、のりものにも、音があるのかなとおもいました。

車、バス、バイク、でん車、しんかんせんもぜんぶ、音は、本とうに、あるかもしれません。

まえはまがることができなかったけど、れんしゅうしたら、しぜんに、できるようになるんだな。とおもいました。できるようになると、うれしいです。

 

 4か月前とくらべると、ずいぶん進歩しています。字数も250字で、書きたい中身がだんだん出てきて、それが書けるようになってきたことがわかります。ただ、テーマがまだ絞り切れていないので、二つのことが同時に一つの文章の中に混じっています。このようなときは、「どっちのことが書きたかった?」ときいてあげるとよいと思います。そして、一つのテーマに絞って書かせるとよいと思います。

 もし、私が指導するとしたら、「音を発見したこと」に絞って書いてほしいです。きこえない子が、「世界には音が存在し、音にはいろいろと違いがあるらしい」ということに気づいたということは、その子にとっては、きっと世紀の大発見ともいえることにちがいないからです。きっと、それまで、その子は、音はきこえていてもみな同じようにきこえていたのだろうと思います。同じようにきこえていたとしたら、それはなくても同じです。だからその子にとっては、音はきこえていても"ない"のと同じだった。だからこそその子は「音は、本とうに、あるかもしれません。」と書いているわけです。

日記は単に日本語の指導のためにだけ、書かせているのではありません。日記のもう一つのねらいは、自分のことや自分のまわりのことに気づき、考え、認識を深めていくためです。この子は、そういう点で、とても大事な気づきをしたのだと思います。だったら、そのことをしっかり見つめさせ、考えさせ、認識を深めさせていく指導をここですべきだと思います。「○○ちゃんは、音はどういうふうにきこえているの? 例えば、車とバスは音はどう違うの? トイレを流す音とは違うの? 電子レンジのチーンって音はどの音と似ている? 窓を開けるときの音、雨や風はどう?・・・」などなど。

 きこえない子たちには、私たちにはきこえていても、本人にはきこえていない音がずいぶんたくさんあるものです。例えば私がきいた例では、「子どものころ、夕方、ある時間になると、どうしてきこえるお友達は決まったように皆家に帰っていくのだろう?」という素朴な疑問。5時になると町役場が鳴らす夕焼け小焼けのミュージックサイレンがその子には聞こえなかったため、大きくなるまでず~っとその疑問を持ち続けていたわけです。

 世界には「音」があり、その「音」はみな違う。自分にはききとれる「音」もあれば、ききとれない「音」もあること、そんなことに気づくことは、自分の障害認識を深める上で非常に大事なことだと思います(しかも、それは「よい、悪い」の問題ではないことも含めて)。

聴覚障害児教育の中で、日記指導は伝統的に行われてきていますが、日本語指導だけでなく、このような視点も持ちつつ日記指導がなされると、子どもの深く考える力、考えを表現する力はもっともっと深められていくのではないかと思います。

 

ファイルは、低学年児童の日記指導の観点と評価についてです。

 

日記指導の観点.jpg  日記の評価.jpg

 ある小1の女の子(A子ちゃん)が日記を書いて送ってくれました。それに対して、どのように返事をしたのかその返信の内容について紹介したいと思います。

◎A子ちゃんの日記(原文のまま、92字)
「おとといあさがおのたねをきりました。
なかがはっぱみたいなものがありました。
わたしはすごいなとおもいました。
つぎの日たねをみたら、しろいのたねがくろいにかわっていたから びっくりしました。」

◎私からの返信(漢字にはフリガナあり)
 朝顔の種を切ってみたのですね。そうしたら、種の中に葉っぱみたいなものがあったのですね。それは、なんだと思いますか? そう、それが大きくなると、朝顔になるのですね。今はまだ、種の中にあるけれど・・。
 
 A子ちゃんも「わたしは すごいなと おもいました。」と書いているけれど、びっくりしたでしょう? 
それが 朝顔のいのちなんだよ。人間でいえば、お母さんのおなかの中にはいっている赤ちゃんみたいなものかな? だから、大事にとっておいて、来年の春、土の中に返してあげてね。

 それから、もう一つよい発見をしましたね。「つぎの日、たねをみたら しろいのたねがくろいにかわっていたからびっくりしました。」というところですね。
 白い種の中は、黒い種と少し様子がちがうかもしれませんね。

 あと、なにかの様子をあらわすことばで、最後が「い」で終わるとばがあるでしょう? 例えば、A子ちゃんが使っている「白い」「黒い」など。これを形容詞(けいようし)といいます。
 ほかにも「大きい」とか「小さい」、「長い」とか「短い」、「高い」とか「低い」などもそうですね。
このようなことばは、表のような変わり方をします。「白い」と「黒い」だったら、どうなるかな? お母さんとそうだんしながら表に書いてみて下さい。そうすると、
1.「しろいのたね」は、どうなればいいかな? ⇒?
2.「くろいにかわっていたから」は、どうなればいいかな? ⇒?

  形容詞.jpg

 以上が私の返信です。実は、この日記の前にA子はもう一つ、「朝顔」についての日記を送ってくれていました。その日記は、朝顔の種をとったこと、かずを数えたら1つから6つまでいろいろだったこと、種には白いのや黒いのがあったこと、つるはすでに切れていて葉っぱは茶色になって死んでしまったことなどを書いていました。
 それに対して私からは「黒い種をとって、2,3日水につけてから、縦に切ってみるといい」ことなどを書いて返信していました。
 
 そして今回、それを実際にやってみて、その感想の日記だったわけです。朝顔は小1の生活科でとりあげる教材で、たいていは種をとるだけで終わります。しかしもう一歩踏み込んで、種を切って、その中をみることで「いのち」が育まれていることを発見できます。つるや葉は死んでも、ちゃんと種の中に命を宿しています。そして、翌年、その種を蒔くことで再び「いのち」が芽生えること、すなわち生命の循環について実感させることができます。

 このような思考と認識を育てることと同時に、もう一つ、聾学校で欠かせないのが日本語指導です。
 ただ、日本語の誤りは一つの日記で一つだけ取り上げることです。ここでは、形容詞の活用だけを取り上げています。
 しかし、FAXで文法指導まですることは難しいので、ここでは、形容詞活用の表だけを送り(添付ファイル)、とりあえずこの活用表を「白い」と「黒い」を使って埋めてみるように言っています。
 そしてあとは学校の文法指導に任せることになります。動詞や形容詞、助詞の間違いなどは、作文の中で赤を入れて直させただけでは、そこにある文法ルールがわからず、また同じ間違いを繰り返します。形容詞のルールは小1でも理解できますし、一度指導すれば間違いはしなくなります。その意味で日記・作文指導と文法指導は、日本語指導の車の両輪だとも言えると思います。

*形容詞の活用については「きこえない子のための日本語チャレンジ33~34頁参照)

 

「見たこと」を書く日記の大切さ

 

子どもが書く日記のタイプには二つあります。一つは「したこと(やったこと)」を書くタイプの日記、もう一つは「見たこと」を書くタイプの日記です。とはいっても、子どもたちが書く日記は、「今日は~をしました」という前者のタイプが圧倒的です。後者の「見たこと」を書くタイプは、それこそめったに「見たこと」がありません。ここでは「見たこと」タイプの日記を紹介します。以下、A子の日記から。

 

818

 「わたしは あしたのあさ あさがおが いくつさくか わかります。

  いくつさいたは はじめて 9さきました(筆者注;いくつ咲いたか数えてみたら、今日初めて9個も咲いたという意味だと思われます)

  ゆうがた つぼみを かぞえると あしたのさいたはなのかずが わかります。あしたは 2こ さくと おもいます。たのしみです。」(原文のまま)

 

819

 「きょうは こたえは 2こ さきました。「えっ。」やった。

きのういったのは あたり! 「やった。」

  あしたは さくは わかります。あした4こさくと おもいます。」(原文のまま)

  

この作文のよさは、毎日朝顔を細かく"観察"して、何度も観察した結果、自分で、次の日に咲く花の数が"予想"できることを"発見"し、それを日記に"記録"し、そして次の日に、自分の"予想"を"検証"し、さらにその結果を確かめるために、さらに観察を継続していることです。これはまさに「科学者の目」です。

 

そして、この日記が「見たこと」タイプの典型的なものです。もちろん、その中に「したこと」が含まれていないわけではありませんが、あくまで書く中心になるのは、「見た」対象そのものについてのことです。

 

この日記では、朝顔という対象そのものに焦点化し、朝顔を深く観察し、そこから"仮説"を立てて検証する"仮説―検証"型の思考があるのがわかります。

この女の子は聴者家庭の子どもですが、聴力も厳しく日常会話は手話中心です。書いている文にはまだまだ文法的な誤りも多いのも事実です。しかし、ものごとをみる力はとてもよく育っていて、科学的な思考の芽が育っていることがわかります。

 

このように「見たこと」に焦点化して書くことによって、対象への、そして世界への認識をさらに深いものにしていくことができます。ただ、このようなタイプの日記は、ある程度、大人の側の指導も必要です。例えば、「今日は、タンポポを取って帰って、タンポポについて書いてきてごらん」「『秋になった』という書き出しで始まる日記の続きを家で書いてきてごらん」などとテーマを与えてクラスで一斉に書かせ、それを皆で発表する中で、さらに認識を深めていくといったやり方です。このような作文指導の時間が「自立活動」とか「国語」といった時間の中で週1時間は、聾学校では必要だと思います。そして、このような活動の中で培った思考の力と日本語の読み書きの力が備わったとき、いわゆる「9歳の壁」が超えられます。自分の言いたいことを論理的に、正確で、そして他者を納得させられる日本語の文章表現ができる、その表現力こそ、障害者に対する偏見や差別の残る世の中を生き抜いていくための大切な力なのだと思います。