全国の難聴児のための早期支援、聴覚障害教育の情報提供、教材などの紹介を発信します。

手話で育つ豊かな世界~手話も日本語も

 先日、ろう・難聴研究会という場で、上記のようなタイトルでレポートしました。その時に使用したパワーポイント資料を一部紹介したいと思います。
 このレポートでは、手話を早期に身につけた子どもたちが、手話という「ことば」を使ってどのように豊かな発達を遂げていくか、これまでのたくさんの事例(ここでは都立聾学校乳幼児相談で育った子ども)の中からピックアップして報告しました。実際には数えきれない事例があるのですが、2時間という限られた時間の中ではとても全部を紹介しきれませんでした。ここに掲載したものはほんの一部であることをあらかじめご理解いただければ幸いです。また、手話で育った「ゆうくん」(人工内耳を装用した子)と「ともくん」(人工内耳を選択しなかった110dBの子)の3歳半までの詳細な記録は『子どもとママと担当者と3年5か月の軌跡』)をご覧いただければ幸いです(本会斡旋図書)。

〇聴覚障害は多様性のひとつ、手話はきこえない人のかけがえのない言語 
 ひと言付け加えさせていただくなら、最近、医療関係者の中から、「これからは人工内耳の時代。手話は必要なくなるし、廃れていくだろう」といった意見がきかれますが、そのようなことは決してありません。手話はきこえない人のかけがえのない言語であり、手話言語条例が各地で制定されているように、これからも日本の中に存在する言語のひとつとしてあり続けていくと思います。また、多様性のある豊かな社会を構築していくためにも、(アイヌ語もそうですが)手話という「少数言語」を守ることは私たちきこえる側の者として、また社会全体として、国としての大きな役割の一つと思います。

〇アプローチの仕方を決めるのは専門家ではなく保護者・本人
 そのうえで、どのような教育方法を選択するかにあたって、親が(本来的には本人が)決める自由・権利を保障することが大切ではないでしょうか。それがインフォームドコンセントの原則でしょう。専門家が「あなたはこっちを選びなさい」と決めるのではなく、複数の選択肢を公平に提供し、両方を実際にみて保護者が自分の責任で「わが子にはこのような教育を受けさせたい」と決めることです。このようなあたり前のことがまだまだ日本ではあたり前になっていないのが実情です。そのような意味では日本の医療界はまだまだ欧米と比べると遅れているのかもしれません。

〇手話も人工内耳も。そういう選択肢もあります 
 私の経験からは、手話と出会ったどの親も子も、聴力の軽重や人工内耳の有無にかかわらず必ずと言ってよいくらい「手話があってよかった」と言います。それはなぜでしょうか? 
 ろうの人たちと出会った親たちは、こう言います。
「きこえない自分に自信と誇りをもって生きている聾の人たちをみて、聴覚障害に対する不安やおそれがなくなった。」「きこえないけど立派な人ではなく、きこえない立派な人に育てることが大事だと気付いた」と。「きこえないこと・きこえにくいこと」を卑下したり否定する必要はありません。本来、それは身体的な差異にすぎません。きこえないこと・きこえにくいことを認めつつ、そのうえで音声言語も使えれば社会の中での一定の利便性は確かにありますし、それはある意味社会の中でコミュニケーションの「武器」にもなりうるでしょう。
 
手話と日本語。この二つの言語はきこえない人にとってはもちろんですが、そのことはすなわちきこえる人にとっても、大切な言語であり、豊かさであることを意味します。このことをしっかりと心に刻みつつ、さて、まずは、きこえない子どもたちの豊かな手話(プラス日本語)の世界を下記のPDFスライドから知っていただければ幸いです。(但しスライドのみです。その点ご容赦下さい)


┃難聴児支援教材研究会
 代表 木島照夫

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