手話について
東京都でようやく手話言語条例が制定されました。全国で34番目ということですから、いわば「手話言語条例後発県」と言えるかもしれません。また、最大の特徴は執行部(行政側)からの提案ではなく、会派・党派を越えた全議員126人の共同提案による条例である点。おそらく前例がないのではと思います。一般的に議員提案の条例は理念的な内容になりがちですが、この条例は各論に渡ってよく整備されており、いわばフルスペックの手話言語条例。これまでの条例の中にあまり載っていないこともちゃんと載っています。後発ゆえのメリットと言えるかもしれません。以下、特徴的な点について書いてみたいと思います。
〇手話は言語である!と認めていること
まず一番目の特徴。手話は「独自の文法を持つ一つの言語」と前文で述べていること。日本語や英語などと同様に、手話はれっきとした「言語」(language)であることを明確にしている点があげられます。手話を否定し排除してきた過去の聾教育への反省から、前文では「個々の特性に応じて言語として手話を獲得し、手話で学び、手話を学び、手話を使い、手話を守ることができる環境づくり」と、手話を習得し、維持し、守る、そのための環境づくりをしていくという決意が述べられています。
1,300万人の人口を抱え、日本の首都でもある東京都が、少数言語である手話を認め、その維持発展を後押しするという姿勢は、他の都道府県にも大きな影響を与えるのではないかと思います。
〇きこえない子への切れ目のない支援について触れていること
もう一つの大きな特徴は、きこえない子の早期支援や教育の分野でのことに積極的に触れていることです。乳幼児の相談支援については、大阪府の手話言語条例にも前例があり、手話獲得支援をする「NPOこめっこ」として実現していますが、東京都の条例でも、第7条及び第10条の二か所で、早期療育とか教育といった分野での「切れ目のない支援」をうたっています。まず、以下の7条です。
第7条(相談支援体制の整備及び拡充)「乳幼児期からの切れ目ない相談支援体制の整備及び拡充に努める・・」
ここは、「乳幼児期から」と言っているので主に0~3歳における福祉分野における相談支援体制の充実について言っていると考えられます(第10条で学校=教育分野に関する内容は別に言っているので)。例えば0歳で発見されて手話からスタートしたいという親子への具体的な相談支援ができる体制の充実整備などがここに関わってきます。
例えば、医療機関等で聴覚障害が発見されたときに、手話という選択肢を具体的にどう提示するのか、また、手話支援のできる機関とか、発達支援事業所とか、聾学校乳幼児相談にどうつなぐのか、そのあり方や相談支援機関の整備などが関わってきます。現在、東京都でも一部の医療機関の中には、必ずしも公正中立な立場からそれらの選択肢を提供しているとは言い難い施設があります。医師やSTの個人的な価値観によって、その後の相談支援機関の紹介が決まるという面があります。そのあたりのことにどこまで関与できるのか難しい面がありますが、医療機関から独立した相談機関等を設立し、中立的立場から、その後の支援方法の選択についても複数の選択肢を提示するなどが必要です(例えば、石川県、福岡県など)。手話を選択しない自由も含めて、当事者の代理である保護者が複数の選択肢から決められること、それを公的に保障できることが大事だと思います。
〇手話を学び、手話で支援する環境の整備について触れていること
第10条では、3歳以降に始まる学校教育での手話環境の整備充実について触れています。以下の条文です。
第10条(学校における支援)「手話を必要とする幼児、児童又は生徒が通う学校において、個々の特性に応じて手話を獲得し、手話を学び、手話で学ぶことができるよう、次に掲げる措置を講ずるよう努める・・」
①乳幼児期から手話を獲得し、又は習得するための切れ目ない学習環境を整備すること。
②教員その他の手話の獲得又は習得を支援する者に対し、手話に関する理解を深め、手話を習得し、技能を向上させるための研修を実施するなど、手話に通じた教員等の確保のために必要な支援を行うこと。
③手話を必要とする乳幼児、児童又は生徒の保護者等(保護者、祖父母、兄弟姉妹その他の生活を共にする者をいう。)に対し、手話に関する学習の機会を提供するとともに、教育に関する相談を受けるための環境を整備すること。
この第10条の①は、第7条で述べた乳幼児期のことからさらにその後の幼児・児童・生徒つまり学校教育の時期に、継続して、手話習得のための学習環境の整備について述べています。また、そうした機関のスタッフの手話力の向上や保護者が手話を学ぶ環境の充実や、保護者からの相談支援体制の充実などについても触れています。大阪のこめっこでは、乳幼児や保護者対象だけでなく、3歳以降の幼児や小学生を含めた手話支援を行う「放課後こめっこ」が実施されていますが、このような場をつくっていくことも必要でしょう。また、最近、東京では共働き家庭が増えていますが、こうした家庭の子どもたちを対象とした、手話で思いっきり語り合える場の確保(児童発達支援事業とか放課後等デイサービス)にもつながっていくとよいと思います。
さらに、4つの都立聾学校も含めて、教員の手話力向上も大きな課題です。例えば長期休暇中の教員研修の中に手話力向上のプログラムを作るなど、研修の機会を積極的に作っていくことも必要でしょう。また、具体的にこれらの必要な施策がどう実現されているのか定期的にチェックし、改善の施策を提案し、予算化をしていくなどのことも必要です。この素晴らしい条文を紙の上だけのことで終わらせないように私たちも常に関心を持っていきたいと思います。
以下は、東京都の手話言語条例の条文全文です。(傍線筆者)
★東京都手話言語条例
手話は、物の名前や抽象的な概念等を手指の動きや表情を使って視覚的に表現する独自の文法を持つ一つの言語であって、豊かな人間性をかん涵養し、知的かつ心豊かな生活を送るための言語活動の文化的所産である。
障害者の権利に関する条約では、言語は音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいうとされ、障害者基本法でも、手話が言語に含まれることが明記されている。
一方で、我が国では、過去の一時期にろう学校で手話の使用が事実上禁止されるなど、手話の使用について様々な制約を受けてきた歴史があり、手話が言語であることに対する理解が十分であるとは言えない。
こうした認識の下、手話を必要とする様々な世代の人々が、個々の特性に応じて言語として手話を獲得し、手話で学び、手話を学び、手話を使い、手話を守ることができる環境づくりを推進する必要がある。
ろう者、難聴者、中途失聴者など手話を必要とする者の意思疎通を行う権利が尊重され、安心して生活することができる共生社会の実現を目指し、この条例を制定する。
(目的)
第一条 この条例は、手話が独自の文法を持つ一つの言語であるという認識の下、手話に対する理解の促進及び手話の普及に関する基本理念を定め、東京都(以下「都」という。)の責務並びに都民及び事業者の役割を明らかにするとともに、都の施策を総合的かつ計画的に推進するために必要な基本的事項を定め、もってろう者、難聴者、中途失聴者など手話を必要とする者(以下「手話を必要とする者」という。)の意思疎通を行う権利が尊重され、安心して生活することができる共生社会の実現に寄与することを目的とする。
(基本理念)
第二条 手話に対する理解の促進及び手話の普及は、手話が独自の文法を持つ一つの言語であるという認識の下、一人一人が相互に人格と個性を尊重し合いながら、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参画する機会が確保される共生社会の実現を旨として行われなければならない。
(都の責務)
第三条 都は、この条例の目的を達成するため、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、手話を必要とする者の意思疎通を行う権利を尊重し、特別区及び市町村(以下「区市町村」という。)その他の関係機関と連携して、手話に対する理解の促進、手話の普及その他の手話を使用しやすい環境の整備を行うものとする。
2 都は、手話を必要とする者が都政に関する情報を速やかに取得することができるよう、手話を用いた情報発信を行うものとする。
(都民及び事業者の役割)
第四条 都民及び事業者は、この条例の目的及び基本理念について理解を深めるよう努めるものとする。
(施策の推進)
第五条 都は、基本理念にのっとり、手話を使用しやすい環境を整備するために必要な施策を総合的かつ計画的に推進するものとする。
(学習機会の確保等)
第六条 都は、都民及び事業者が手話を学習する機会を確保するよう努めるものとする。
2 都は、東京都職員が手話に関する理解を深め、手話を学習することができるよう、環境の整備に努めるものとする。
(相談支援体制の整備及び拡充)
第七条 都は、区市町村その他の関係機関と連携して、乳幼児期からの切れ目ない相談支援体制の整備及び拡充に努めるものとする。
(手話通訳者の派遣のための人材確保、養成等)
第八条 都は、手話を必要とする者が手話通訳者の派遣等による意思疎通を図るための支援を受けられるよう、区市町村その他の関係機関と連携して、手話通訳者及びその指導者の確保、養成並びに手話技術及び専門性の向上に努めるものとする。
(事業者への支援)
第九条 都は、事業者が行う、手話を必要とする者が働きやすい環境を整備するための取組に対して、必要な支援を行うよう努めるものとする。
(学校における支援)
第十条 都は、手話を必要とする幼児、児童又は生徒が通う学校において、個々の特性に応じて手話を獲得し、手話を学び、手話で学ぶことができるよう、次に掲げる措置を講ずるよう努めるものとする。
一 乳幼児期から手話を獲得し、又は習得するための切れ目ない学習環境を整備すること。
二 教員その他の手話の獲得又は習得を支援する者(以下この号において「教員等」という。)に対し、手話に関する理解を深め、手話を習得し、技能を向上させるための研修を実施するなど、手話に通じた教員等の確保のために必要な支援を行うこと。
三 手話を必要とする乳幼児、児童又は生徒の保護者等(保護者、祖父母、兄弟姉妹その他の生活を共にする者をいう。)に対し、手話に関する学習の機会を提供するとともに、教育に関する相談を受けるための環境を整備すること。
(医療等サービスにおける環境整備)
第十一条 都は、医療、介護、保健又は福祉に係るサービスを提供する者が行う、手話を必要とする者がサービスを利用しやすい環境を整備するための取組に対して、必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
(手話の普及啓発)
第十二条 都は、手話に対する理解の促進及び手話の普及のための啓発活動を行うよう努めるものとする。
(手話に関する調査研究等)
第十三条 都は、手話の発展に資するため、大学等と連携して、調査研究の推進及びその成果の普及を支援するよう努めるものとする。
(災害時における措置)
第十四条 都は、災害その他の非常事態において、手話を必要とする者が必要な情報を迅速かつ的確に取得し、円滑に意思疎通を図ることができるよう、区市町村その他の関係機関と連携して、必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
(財政上の措置)
第十五条 都は、手話に関する施策を推進するため、必要な財政上の措置を講ずるよう努めるものとする。
附則
(施行期日)
1 この条例は、令和四年九月一日から施行する。
昨今はSNSが発達し、前者はInstagramやFacebook、YouTube等を活用して積極的に発信し、自分たちの存在をアピールしたりもしています。読者の方もそのような情報に一度は接しておられるのではないでしょうか? もちろん、一方では、聾の立場からも手話を使って積極的に発信している人たちもいます。そしてその人たちのほとんどは、デフファミリーで育った人、聾学校に通った人、聴者家庭でも手話をも使って育ってきたという人たちで、自分がきこえない人間であることを認め、「手話があってよかった」という人たちです。彼らは、どちらにせよ自分が自由に駆使できる言語をひとつ持つことができた人たちです。
私たちは、社会の中で積極的に人と関わり、対話し、自らをアピールしていくためには日本語にせよ手話にせよ、言語が必要です。では、その言語がどのようにその人の中で形成されていったのか、と考えると、そこにはいろいろな問題が見えてきます。
聴覚障害教育の立場には、大きく分けて、①手話を排除する口話法の立場と②口話併用の立場も含めて手話を認める大きな意味での手話法の立場があります。後者の②の立場は、手話という言語を一つ持てるという点でよいのですが、もう一つの言語である日本語に関してはまちまちです。そこに課題があることは確かです。ただ、自分が自由に意思を表明し他者を理解する言語があるという意味で、人とつながり、世界を認識していくことが可能ですから、言語が無いことから生ずるリスクは回避できます。
その一方で、「口話で育ってよかった」という人たちは、手話を排除した方法で育った

人たちです。口話というのはきこえる人にとっては自然獲得できる言語ですが、きこえない人にとっては自然獲得できる言語ではありません。意図的に学習することで身につけた言語です(「学習言語」の意味とは違います)。高度難聴で人工内耳をしてあとは保育園に入れて聴児と同じようにふつうに生活していれば自然に身に付くといったそんなに簡単なものではないからです。右の事例は、SNSに投稿されたある人の記事で、そう簡単にはいかないということがよくわかります。
SNSで発信している「口話が育ってよかった」という人たちは、間違いなく、障害が発見されて以来、親御さんの献身的なかかわりの中で育った人たちです。その結果として、口話を身につけ、読み書きの力を身につけ、学力を身につけ、大学まで進んだのです(例えば〇〇サポのMさんはそういう一人)。ですから、私たちは、その結果としての「今」の彼らの姿だけを見て「口話で普通に育てればいいんだ」と軽く判断してはならないのです。
彼らの今の姿があるのは、間違いなく、しっかりとした家庭の中で、親御さんが熱心に関わり、絵カードや絵日記といった言語習得のための教材を自作し、時間と労力を費やして、日々、言語を身につけるかかわりをした結果であるからです。
ところがその一方で、そうではなかった人たちもいるのも確かです。いや、数の上では、思ったほどに、日本語力とか思考力という点で成果が上がらなかったという人たちのほうが多いのが現実です。いわゆる「9歳の壁」の前で歩みが止まった人たちです。それでも手話と

いう言語を一つ持つことができれば、その言語で人と関わることができますから、人間関係から疎外され孤独の中で人生を送ることは避けられる。問題は、手話を排除した口話法という方法によって日本語が身に付かなかった場合、どうなるのかということです。口話法でうまくいかなかった結果、小学生や中学生ときに高校生から聾学校に来る子どもたちがいますが、それでも手話が獲得できるチャンスはあります。しかし、そのチャンスさえなかった人たちはどうなるのでしょうか? 右のファイルは、最近いただいた、ある聴覚障害者の相談支援を担当しておられる方からのメールです。読んでいると暗澹とした気持ちになるのではないでしょうか?
口話法教育というきこえない子にとってのハードルの高い教育の中で、結果として言語を身につけられなかった人たちの人生を思うと、口話法がセーフティーネットをもたない、いかにリスクの大きい教育方法であるかということが見えてきます。
つまり、"手話を使わない"口話法教育は、自由に駆使できる言語を一つも持てないかもしれないという大きなリスクを伴う教育方法であり、もし仮に日本語習得がうまくいかなかった場合、「言語のない状態」に陥るという危険性をはらんでいるということです。
「言語のない状態」というのは、言語を持っている私たちにはなかなか想像しがたいことですが、こうした事例から、言語がないことから、ものごとを深く認識するために必要な思考力(書記言語・学習言語)も育たず、人とつながるために必要な言語(コミ言語・生活言語)もないために人間関係からも疎外され、孤立し、結果として心理的な不適応に陥り、その果てに生きる意味すら失い、人生を自分で終わらせる人が決して少なくない、という現実です(このファイルでは敢えてそこまで触れませんでしたが、生きる意味を失い自死を遂げる人たちは決して少なくありません。個人情報ですから表に出ないというだけのことです)。
町のにぎやかな居酒屋で自由に言いたい放題言い、相手の冗談に大笑いできる言語、それが本来の母語であり第一言語です。それを日本語でも手話でも持てなかった人たちが確かにいて、彼らは馬鹿な冗談を言い合えるような友達もなく日々孤独に過ごし、言語がないためにしっかりとした自分の考えも育たず、結果としてだれにもどこにも相談することができず(相談するということすらわからない)、自分のことを自分で決めるということも難しい。そしてその多くは、幼い時から聴者の親の庇護にひたすら頼って生きてきたという現実。しかしその親たちもすでに高齢で、親亡き後をどうするのかという問題に直面しているわけです。
最近、聴覚障害児にも「切れ目のない支援を」ということが言われ、早期支援の分野での支援の充実が叫ばれていますが、成人した聴覚障害者にも「切れ目のない支援」が必要だと思うと同時に、発達早期から、だれでも日々使いさえすれば獲得できる手話という、セーフティーネットの役割をも果たす言語をもつことの大切さを感じます。冒頭に述べたような「口話がいい」という聴覚障害者たちが子どもの頃親に膨大な時間を費やして育てられたその結果なのだということを考えると、人工内耳等により、装用聴力の軽い子たちが増え、両親就労する家庭が増加し、結果としてインテグレーションが増加していくこれからの時代、手話も日本語も十分でないダブルリミテッド、セミリンガルの人たちが増えていく可能性は否定できません。きこえない子どもへの家庭での両親の関わりの時間的少なさをどのように補い、時間的少なさを補える関わりの質の高さをどうやって親御さんたちにもってもらえるのか、これからのきこえない子の子育て・教育は難しい時代になったなあと感じる今日この頃です。
ときどき、保護者の方からこのように質問されることがあります。複数の支援機関(例えば聾学校と療育施設あるいは医療機関など)に通っていると、聾学校では「手話を積極的に使っていきましょう」と言われ、療育機関や医療機関では「手話は使わないほうがいいですよ」と言われ、ママさんたちは混乱してしまいます。
この時に使っている「手話」ということばがどのような意味で使われているのかは実はとてもあいまいです。公立の聾学校では一般的に「音声も併用しながら手話(口話併用手話)を使っていきましょう」という意味で使っていることが多いですし(日本手話を否定するという意味ではなく)、療育機関や医療機関では「音声を併用する手話も音声を併用しない手話」も区別なく「手話は使わないほうがいい」と言っていることが多いように感じます。その理由は、例えばある療育機関のSTの方によれば「赤ちゃんが手を見て、口を見る習慣がつかないから」だそうですが、本当でしょうか? 少なくともこれまでの私の経験からは、赤ちゃんは「手も見るけれど、ちゃんとママの顔(目や口がついている)も同時に見て」います。私たちが洋画を見るときに字幕を見ながら映像を見ているのと似ています。字幕が「図=手」で、映像は「地=顔」です。人間はちゃんと同時に両方視野に入れて見ることができるようです。
また、聴覚・音声のほうはどうでしょう? これは聴力によってかなり違いが出ます。一般的に聴力90dBを境にして、それより聴力の重い赤ちゃんは、補聴器を通して入ってくる音から情報を得るよりも、手の動きから情報を得ることの方が得意です。
しかし、90dB未満の聴力の軽い子は、音声もかなり情報として取り入れていま

す(但しまだそれはいわば「音の塊」であり、一つ一つの音韻が区別されている意味のある「ことば」にはなっていません)。このような聴覚・音声の役割のもつ比重は聴力によって違いがありますが、このような聴力が(相対的に)軽い赤ちゃん(例えばあとで出てくるQさんのお子さん)も含めて、きこえない・きこえにくい赤ちゃんは、「(音声の有無に関係なく)手話」を、最初に言語として獲得していくことが圧倒的に多いです。きこえない・きこえにくい赤ちゃんの「初語」は「手話」であることが多いのです。
「いいよ、初語なんて少しくらい遅くったって。いずれ音声で初語が出てくるし、そうなれば、あっという間に言語発達の遅れは取り戻せるから」と、あるSTさんは言

いますが、果たしてそうでしょうか?
言語発達は認知発達(象徴機能・思考・記憶など)とも密接に結びついています。また言語の遅れは認知面だけでなく、対人関係や情緒面にも影響を及ぼします。と考えると、やはり、言語はあったほうがいいし、聴児と同じように1歳前後に「初語」が出て、その後の言語獲得もスムーズに進んでいったほうがいいのではないでしょうか? 私は初語表出

1年の差は大きいと感じています。いろいろな面での可能性がそれだけ広がるからです。例えば、右の1歳と2歳児の難聴児の手話での会話例を見て下さい。ことばがあるから、これだけの通じ合える会話ができ、象徴機能としての比喩(=たとえ)も伸びていることがわかります。
こうした発達初期の手話の発達は筆者が書籍の中で書いていますのでぜひ参考

にして下さい(「手話と日本語はどのように獲得されるか」『手話で育つ豊かな世界』,全国早期支援研究協議会,2020,900円)。
さらにまた、米国には音声と手話併用の効果を立証した論文も添付した例のようにたくさんありますが、日本では手話の実践はあっても研究論文としてはまだほとんどないのが実情です。このような状況がアプローチの仕方の意見の相違に拍車をかけているという面もあると思います。

〇どうやって手話を覚えたらいいんでしょうか?
0歳児ママさんたちの二つ目の質問はこれです。この質問には、今、実際に聾学校乳幼児相談に来ておられる1歳児のママさんたちの体験から、こたえてもらいます。お子さんの聴力はまちまちです。医療機関・療育機関では、軽度・中等度難聴のお子さんには「手話は使う必要ないよ」と言われることが多いようですが、音声だけで80%わかるよりも、音声と手話を併用して100%わかったほうが言語発達や認知発達、お互いストレスのない会話という面でもよいのではないでしょうか? 以下、どうやって手話を覚えたか4人のママさんにきいてみました。
☆Pさん
先輩ママとお子さんとが、手話を介して意思疎通を図っている姿が刺激となり、手話学習にも打ち込みました。自学で学習するならまず単語だろうと、『おやこ手話じてん』(全国早期支援研究協議会,1800円)の単語を丸暗記。単語の次は文法や文章読解だろうと、NHKの『みんなの手話』を見たり、子どもとの会話例が載っている『パパといっしょにハッピーサイン』(同上、1,500円)を読み込んだりしました。1歳を過ぎた頃、子どもから少しずつ手話表現が出てくるようになり、やってよかったととてもほっとしました。ただ、まだまだ成人ろう者の方と会話するには圧倒的に手話力不足ですし、子どもに伝わりやすい表現や言葉のチョイスにも課題ありなので、引き続き先生方や先輩ママさんたちから教わっていけたらと思っています。
★Qさん
NHK『みんなの手話』を見て覚えました。また、『おやこ手話じてん』やNHK手話CGを見て単語を調べて使うようにしました。子どもが生後3、4か月頃から簡単な手話を使うようにしていたので、子どもは、見ることで情報を得られると自然に理解したと思う。1歳頃には、何か要求があるときはママを見ることが多くなりました。
手話は『学校』など発声では難しい言葉も表現しやすいため、例えばろう学校から帰ってきた時、子どもが『学校』と表現すれば『学校に行ったね、先生と遊んだね、バスで行ったね』と手話で話し、通じ合うことができて楽しかったです。通じ合う体験の積み重ねが、自分のことをわかってもらえるという親子の信頼関係、愛着にも通じていると感じました。
聴力は80dB(1歳前は100dBの重度の難聴と言われていた)で、補聴器装用開始は遅く、現在も不安定ですが、ずっと手話で表現していた言葉が1歳半頃より少しずつ音声に置き換わってきました。例えば、今は1歳8カ月ですが、「ぱん」「うーぱー(スーパー)」「あいーす」「さかー(さかな)」「じいじ」「ばあば」等、手話だけから、音声が併用されるようになっています。
☆Rさん
学校の手話教室、『おやこ手話じてん』、NHK「みんなの手話」、子どもとの会話で積極的に使うようにして少しづつ使える手話を増やしています。ちょうど一週間前、娘が40度の高熱を出しました。なかなか熱は下がらず次第に食事量も減っていき、体力もだんだん落ちた様子でした。何とか水分、栄養をを取らせようと、お水飲む?と聞くと娘はのどのあたりで手を動かし「のど乾いた」、と。娘が大好きな「トマト食べる?」と聞くと嬉しそうに「トマト!」と手話をして、ほしいという意志を伝えてくれました。私はこの時手話でのコミュニケーションをとっていてよかったなぁと心から思いました。以前難聴疑似体験をしましたが、耳からの情報が遮断された状況で口を読むためには神経を研ぎすまさなければならず本当に一苦労でした。熱で体力も奪われた状況で、余計に神経を使わすのは酷だし、手話なら両者の意図するところが一目でわかるのでお互いがハッピーだと思います。今後も手話を学び続けようと思った出来事でした。
★Sさん
NHK「みんなの手話」や、Youtube、書籍などから。一番楽しかった学びの場は手話サークルです。外国語を学ぶときと同じで、ネイティブの方と話すのが、一番モチベーションに繋がりました。手話が分からないので、周りの会話についていけず、疎外感を感じる体験が出来ることも貴重でした。あと『おやこ手話じてん』を見たり、わからない単語などはろう学校の手話講座の日に聞いたり、自分で調べたりしています。
以上です。どのママさんたちも共通に使っているのは、①NHK・Eテレ「みんなの手話」、②「おやこ手話じてん」。あとは、手話サークル、YouTube動画、また、学校で先生や先輩ママさんにきく、手話講座に参加するなどが多いようです。

大切なことは、お子さんとの日々の生活で使う手話ですから、一日に使ったことばで手話がわからなかったときは必ずメモをとっておき、あとで調べる、たずねるなどして必要な手話を少しずつ増やしていくことでしょう。また、手話がない日本語のことばもあるので、その時は、ホームサイン(家の中でしか通じない自分で作った手話)を作ればよいと思います。大事なことは「通じあう喜び・楽しさ」ですから。
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出版物購入方法
A.下記の出版申込用紙をダウンロードして下記あて先にFAXかメールに添付して送る
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ゆうちょ銀行・店名038(ゼロサンハチ)普通8396021 難聴児支援教材研究会
最近、一部の耳鼻科医によって、手話を否定したり、聾学校の存在を否定するかのような発言が相次いでいます。このまま見過ごすわけにはいかないので、今回は、そのどこがおかしいのか考えてみたいと思います。

〇手話は言語ではない?
右のファイルは、S県のT医師のパワポ資料の一部です。これは厚生労働省HPに掲載されているものです。厚労省はこの考えを認めているのでしょうか?
T氏は次のように述べています。

タイトルは「音声言語」となっていますが、この定義的な説明の冒頭部分(①)は、言語を生み出す本能が人間に備わっていると考えたチョムスキーの理論を援用したものでしょうから、ここは「言語の獲得は生来、人間の発達にプログラムされたものであり」と言い換えができると思います(もし、ここでいう「言語」に手話が含まれないというなら、手話が言語ではないという立証をすべきです)。
また、②の部分は、いわゆる生活言語としてだけでなく、思考のための言語である学習言語の「構築に不可欠」ということで、これは言語としての重要な役割ですから異論ありません。③の「社会的情動」とは、「社会情動的スキル」とか「非認知的能力」とも呼ばれ、これまで知識の獲得や課題の発見・解決といった認知能力に対して、最近注目されるようになった「目標を達成する力」「他者と協調する力」「情動を制御する力」などから構成されている能力と考えられています(OECD,2015)。こうした非認知的な能力も言語と密接に結びついていると思われますからとくに異論はありません。
問題は④の部分です。「それ故、・・・敢えてそれらの機器を排除して手話を選択する理由はないように思える。」とT氏はつぶやいています。あれ? その前の言語習得の意義について述べたことが、なぜ、補聴器・人工内耳を排除する手話など要りません、という結論になるの? 論理的におかしくないですか?
筋道立てて考えるなら、①手話は言語である。⇒言語である手話は音声言語同様、当然②③の要件も満たしている。⇒④「それ故、音声言語を選択するのも手話を選択するのも、どちらでも可である。」となるのではないでしょうか? そうなっていないのは、①の「音声言語は・・」という部分がまさに手話を排除した「音声言語」だけが言語としての要件を満たしている、とT氏は考えているからでしょう。もっとはっきり言えば「手話は言語ではない」と否定しているから出てくる結論です。さらに、手話の選択は、補聴器や人工内耳の排除と勝手に決めつけてもいます。
T氏は、「言語でもなく、音声言語を否定する手話」か「言語たる要件を備えた音声言語」か、という二項対立の図式を意図的に作り、その上で、「言語かどうかもわからへん、あの手話ってなんやねん。補聴器や人工内耳あるんやし、要らんやろ。」と言いたいのでしょうか。
〇手話は日本に存在する少数言語のひとつ
では、手話は言語ではないのでしょうか? これまでの長い間、日本でもそう思われていました(聾学校ではもちろん、大学の研究者ですら研究もしていないのにそう言っていた時代が確かにありました)。しかし、アメリカのストーキー(Stokoe,1960)によって、手話は「二重分節性」(=文は、意味を持つ最小の要素である形態素(=単語)をもち、それらの形態素はさらに音素に分けられるという特徴)をもつ言語であることが世界で最初に証明されました。以来、わが国でも日本手話に関する研究が積み重ねられ、21世紀になった今、「手話が言語ではない」と立証することは逆に困難でしょう。また、障害者基本法第3条(2011)には「言語(手話を含む)」とあり、2013年にわが国が批准した障害者権利条約・第二条には「言語とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう」と、手話が言語であることが書かれています。
にもかかわらず、「音声言語が獲得できるんだから、手話など必要ないでしょ」というT氏の意見は、聴者によって長い年月に渡り否定され続けた聾者と、彼らにとってかけがえのない言語である手話の歴史への深い思いや反省、少数言語に対するリスペクトはどこにも感じられません。手話はきこえない子・人たちを支えるれっきとした言語であり、きこえない人たちの誇りであり、アイデンティティそのものなのだと思います。音声言語あるんだから手話要らないだろ、などという権利はどこにもないはずです。

〇手話も人工内耳も、という立場もある
またもう一つ付け加えるなら、手話の選択イコール補聴器や人工内耳の排除でもありません。この点も勝手に決めつけるべきではありません。手話を第一言語として獲得し、補聴器による聴覚活用を並行しつつ、2~3歳で人工内耳を装用する子どもは決して少なくありません。人工内耳を装用した当事者や保護者によって書かれた『手話で育つ豊かな世界』(全国早期支援研究協議会,2020)や『ようこそ、聞こえない赤ちゃん』(久留米聴覚特別支援学校,2021)などには、こうした当事者や保護者によって「手話も人工内耳も」という立場から沢山の手記が書かれています。ぜひ、こうした当

事者たちの意見にも心を寄せてほしいものです。
〇人工内耳を1歳未満で埋め込まないと言語の力はつかない?
右グラフの中のGlobal language という検査がどのような内容で構成されているのかよくわかりませんが、languageと言っているので、語彙や文法なども含まれているのではないかと

推察されます。この結果からT氏は「1歳以下の手術がよい。2,3歳では健常者に追いつけない」と述べています。同じ検査で比較できないのでここでは、補聴器や人工内耳と関係なく、聾学校乳幼児相談在籍の頃から手話を併用して育ってきた子どもたちの就学以降のReading test 結果を掲載しておきます(右下グラフ)。また、小6時点で実施される文科省全国学力テストの結果を、それぞれに年度において乳相修了児の平均得点と全国平均との差のみ以下に掲げておきます。

(児童数は3年間で14名。+は全国平均より何点高いかを示しています)。
○国語:①2017年+5.9点 ②2018年+2.5点 ③2019年+8.0点
●算数:①同上 +5.4点 ②2018年+8.4点 ③2019年+6.0点
言語習得においてとくに大切なことは、抽象的な思考を必要とする学習言語を構築していく時期としての小学校高学年以降ですから、この段階での読みの力(Reading test)や学力(全国学力調査)の到達度は重要な指標となります。このような視点から見た時、手話で育った子どもたちの結果は、読みの力でも学力でも「健常者に追いついている」ことがわかります。しかも、たまたまですが、小6年14名の学力テスト結果には人工内耳装用児が一人も含まれていません。つまり、人工内耳をしなくても、学力は十分に「健常者に追いついている」ということがこの結果からわかります。
〇聾学校より通常学校の方がよい?

また、T氏は、パワポ資料の最後に、聾学校ではなく通常学校に進むことが目標だとしています。なぜ、聾学校に進むことは目標にならないのでしょうか? これについては、T氏とは別の耳鼻科医、N県のK氏の、ある研究会での講演(2020)から引用してみます。K氏は自分が関わった202人のきこえない子のうち約7割にあたる144名が通常学校に通っているとして「通常学校進学率71%」とパワーポイント資料で誇らしげに紹介しています。この「通常学校進学率」という言い方の中に、明らかに聾学校が下で通常学校が上という偏差値的な思考が潜んでいることが読み取れます。耳鼻科医の中には学校にランクをつけて聾学校は下、通常学校が上という人たちが確かにいます。私自身も何度かこういう医師たちに出会いました。これも明らかにおかしいのではないでしょうか? 学校に上下の差などありません。私が知るきこえない子どもたちや保護者の多くは、聴力や人工内耳の有無に関わらず聾学校を選択してきました。年長児であれば自分から聾学校を選択する子も少なくありません。
手話という言語を駆使し、なんでも自由に通じ合える仲間がいて、先生や友達の発言もすべて見てわかる授業の楽しさ、このような良さが聾学校にはあります。そのような学びの場を選択する子どももいるのです。
また、このような、手話を幼少期よりしっかりと使っている聾学校では、「社会的情動」の根底にある自己肯定感をもった子どもも多く、結果として認知能力もよく伸びています。その結果として日本語力・学力も身につけ、最終的に"インテグレーションしなければならない聾学校高等部卒業時"に、直近5年間の平均で57.9%の子どもたちが大学に進んでいます(2016~2020年22/38名)。T氏やK氏はこれをどのように考えるのでしょうか? 子どもにはそれぞれ個性もあり自分の考えもあります。家庭や地域の事情もあります。聾学校か通常学校かは上か下かではなく、それぞれに存在の意味があるのです。手話という母語獲得の上にしっかりとした日本語を身につけ、きこえない自分に自信と誇りを育てる学校、それが聾学校です。それぞれの子どもや家庭の条件なども含め、その子が望むその子に合った学校に行くことが進路選択においては大事なことではないでしょうか。
〇「ろうを否定する思想にNO!」
最後に、新生児聴覚検査が始まった約20年前の朝日新聞記事(1999,8,28)の「・・厚生省(当時は厚生省)は、すべての赤ちゃんが検査を受けて早期に訓練すれば、ろう学校に通う3割から5割の子供は普通学級に通えるようになるとみている。」という記述に対し、聾者の立場から反論した米内山明宏氏の朝日新聞論壇の記事(1999,10,8)から一部を紹介しておきたいと思います。このような意見が当事者から出されることは本当に素晴らしいことだと思います。
「・・ここで、厚生省担当者、検査装置の開発者、そしてこの記事を書いた記者に共通していると感じたのは「耳が聞こえない子どもは訓練をして少しでも聞こえるようになった方がいい」「ろう学校に通うより普通学級に通う方が絶対にいい」さらに言えば「耳の聞こえない人生より耳の聞こえる人生の方が絶対にいい」と信じて疑わない態度です。私たちろう者は耳が聞こえない者という以上に、手話という言語を母語として手話を共有する仲間と共に生きる者たちです。社会的な抑圧にさらされることも多いですが、仲間と手話で語り合う時、私たちはどこにもいる、自らの人生を楽しむ人間たちの一人です。・・本当に「耳が聞こえない子どもは訓練をして少しでも聞こえるようになった方がいい」のでしょうか?そんなことは当たり前だと思われるかもしれません。けれどそのような考え方がどれだけろうの子どもたちを苦しめてきたか。子どもらしく生きる時間を奪い、「もう少しがんばれば」という思いが結果として学力を奪い、「がんばってもきこえるようにはならなかった」子どもたちから人間としての誇りや自信を奪ってきたのです。私はろう者として聴覚障害を早期に発見するという今回の試みに反対するわけではありません。ろうの子どもが手話という自然に習得できる言語に早くから触れ、適切な教育環境で成長できるためにも、むしろ歓迎すべきことです。しかし、その背後にある「ろうを否定する」思想に対しては、はっきりと「NO」と言いたいと思います。そして、ろうの子どもの将来について考える際には、私たちろう者の声に耳を傾けて下さることを切に希望します。」
このような当事者の思いを私たち聴者はもっと大事にし、耳を傾けたいものだと思います。
飯高京子先生(東京学芸大学名誉教授、元上智大学教授,言語病理学博士,元聴能言語士協会会長・元コミュニケーション障害学会理事長)より、標記冊子の読後感をお寄せいただきましたので、以下に掲載いたします。
「この本は、大塚ろう学校や葛飾ろう学校で手話を使って育ってきた本人たち、保護者の方々、関わってこられた先生方など60人の方々の協力による発達早期から手話を使う教育の意義を伝える体験記録集(2020.11刊行)です。手話も日本語も、その子らしさを実現するために、多様性を大事にした支援・教育の様子が報告されており、私は読みながらこれ迄私の受けてきた「手話に対する考え方」が、健聴者の一方的立場からの方法論であったことをきびしく思い知らされました。
2020年末にかけ、新型コロナウイルス感染症が蔓延して社会全体が重苦しい空気に包まれるのと併行して、私の次男がそれまで歩んできた人生を否定される出来事に出会いました。私は、彼の苦しみと模索を親として受け止めましたが、同時に共有することの難しさを味わいました。それまでの私は、健聴者としての立場を当然と見なして言語障害関連の授業を大学で担当し、多数の発達につまづきを持つお子さんや親御さんを「支援してきた」つもりでいました。また高齢化に伴い、さまざまな生きづらさを抱えるようになった90代の義母を介護した体験から、障害を持つ方々やその家族の立場を理解しやすい立場にあると思っていました。それらの自負がすっかり打ちのめされました。
今回の報告書を読んで、改めて私が健聴者・健常者優位の、上からの目線で制約を抱えた方々や親御さんに接してきたことを反省しました。私は障害を持つ方々へ支援をする仕事につきたいと願い、1955年高校卒業後米国へ留学し、当時まだ新しいとされた言語病理学を学びました。その留学の道を開いて下さった恩師、近江兄弟社学園長の一柳満喜子先生は「教育者は、その子どもに与えられた賜物を見出し、その力を精一杯生かせるよう支援すること」であり、「制約をもっ人への支援は、上からの目線で教えこむのではなく、相手と同じ目線に立ち、相手の可能性を引き出すこと」。日本ではまだ「お気の毒な人へ慈悲をほどこす姿勢が強いから、そうではない見方ができるよう留学しなさい」と勧めて下さいました。私は、満喜子先生のご助言を受け、渡米・留学の道を選びました。今回の報告集「その子らしさを実現する支援・教育を求めて」は、まさしくその理念追求ですが、私はこれ迄、聴覚障害児者の手話の大切さを十分理解していなかったこと。私を米国へ送り出して下さった恩師の一人、私の中学・高校の家庭科教師で全ろうの故西川はま子先生は口話のみの教育を受けられたこと。私の受けたこれ迄の「専門教育」には、手話の大切さが取り上げられていなかったことなどを改めて思い返し、反省しました。
渡米していきなり英語環境で学ぶことは私にとってとても大変でした。高校迄は読み書きや英文法中心に学んだ私は、教授の「早口講義」について行けず、黒板に書かれた文字や教科書を手掛かりに理解しようとしても難しく、途方にくれました。周囲の人々の様子を観察して彼らが笑うと、何か冗談が話されたのだな、と推察するのが精一杯でした。親切そうな同級生を探し、講義ノートを見せてもらって授業内容の概略を知り、参考になりそうな挿絵入り小中学生用の本を市立図書館から借りて、内容背景となる社会や文化を学びました。少しずつ慣れてきて理解できる英単語が分かっても、講義内容の全体像を十分把握できませんでした。その不安と焦りにつきまとわれました。難聴者の学生さんが、口話中心の授業や企業環境に適応することには、とても苦労が多いこと、また視覚的な手掛かりが非常に大切であることが推察されます。
現在、80代に入った私は高齢化に伴う難聴が始まり、週一回のNGO平和団体「国際友和会」のオンライン連絡会にアジア地区委員として補聴器をつけて参加しています。補聴器をつけていても会議内容を十分聞き取れない場合、特になまりの強い英語が語られる場合には、録音を再生し聞き返して補っています。これは骨の折れる作業です。難聴者が一般企業で健聴者と同様の仕事をこなすには、本人の努力だけでなく周囲の配慮と励ましがとても大切ではないかと考えます。
近年、聴覚障害乳幼児に人工内耳の早期適用が推奨され、外界の音を導入さえすれば、彼らの問題は解決されるであろうとの考えが、医学会を中心に強まりつつあると聞きます。しかし外界からの聴覚刺激を入れるとき、その音のつながりに代表される「ことば」の意味づけや、その「ことば」が使われる社会や文化のしくみの理解も併行して育つことが大切です。聴覚に障がいのある子どもは、音のつながり(連鎖)の意味を理解しやすい手話からも受け入れながら、自分と自分の周囲の世界を理解し始めます。「ことば」は、自分を愛し、受け入れてくれる親や周囲の人々を信頼し、心を通わせることを通して育つからです。初めて聴覚に問題があると診断された乳児の保護者の中には、その障がいを受容するのがとても難しかった方の事例報告もありました。親の不安や迷いは子どもにすぐ伝わります。子どもの制約をありのまま受け入れることは大切だと分かっていても、親がわが子の将来に期待していた夢を砕かれたときの思いはそう容易に癒されません。わが子をあるがままに受け入れ、子どもの将来を前向きに考えられるようになるのは時間がかかり困難な過程です。今回、私自身が息子の挫折を受け入れる体験を通し、同じ体験をした親御さんたちに励まされ支えられて、親子共々、少しずつ元気を取り戻しています。ですから、ろう学校の担任だけでなく、先輩の方々の事例や保護者からの励ましと支えあいは、とても貴重だと思います。
子どもの健やかな成長のためには、医療行為を補う日々の教育現場での学習や、客観的助言を提供する心理や言語専門職の役割など、すべての専門職が補いあい、連携しあって子どもの成長を支えることが基本です。かって、聴覚や言語障害児者への指導はすべて医師の指示下で働く職種にしたいとの強い要請があり、私たち言語聴覚障害児者の支援に関わっていた者たちは、子どもや利用者の視点から医師の指示下に限定される医療補助職の養成と国家資格制度化には異議を唱えて反対運動をしました。子どもへの支援内容が分断されることは良くない。それぞれの専門職の長所を認め合い、子どもや障害を持つ人々のために連携して支えることの出来る人材育成が必要と主張し、1997年に言語聴覚士国家資格法制化の実現に至るまで、厚生省(現厚労省)官僚や、医師会、国会代議士を相手に、言語聴覚障害児者を支援する自主団体の代表として、仲間たちと根気よく訴え続けました。とうとう双方が痛み分けの形で、医師の「指示下」ではなく「協同」の立場で働く言語聴覚士が認められました。その代わり養成制度は医師側の主張を受け入れて基本は高卒3年とする案に合意しました。ただし、当時の養成カリキュラム検討委員会では、医師側の意向が強く、言語聴覚障害児者を支援する当事者の意見は、ほとんど認められませんでした。聴覚障害児教育の内容に手話が含まれずに現在に至っていることは、申し訳なく残念です。聴覚障害のある子どもへの教育は、いわゆる「健聴児の発達に近づける」ことが目標ではない。子どもの持つ可能性を最大限に伸ばすためには、彼が自分を理解し、自分で考えて行動できる道具としての言語の発達支援が大切であり、それには専門的知識の習得と訓練が必要です。国家資格成立以来20年以上経過した現在、言語聴覚士養成カリキュラム改定の取組みは、言語聴覚士協会で始められたと聞きました。同時に、国立大学における特別支援教育履修科目に、手話関連内容を含める必要性を強く訴えることも大切です。
新型コロナウイルス感染を防ぐためにマスクの着用が義務化され、聴覚障害をもつ乳幼児は、母親や保育士、指導者の表情、特に口元が見えない致命的な制約を受けています。
先日、NHKラジオ放送で京都大学比較認知発達科学の明和雅子(みようわ・まさこ)先生がマスクを常時装用する保育士にケアされる乳幼児の言語発達を長期的に観察した結果、見逃せない遅れを認めたこと。現在、京都市内の保育士たちの協力を得て、マスク着用の制約に対処する方法を探る研究をすすめているとの報告がありました。その放送をきっかけに名和先生の出版物や報告を調べました。「ヒトの乳児は模倣行為からことばや文化を学んでいく」との指摘は、手話の大切さを訴える皆さんの傍証となるでしょう(名和雅子(2019)「ヒトの発達の謎を解く」ちくま新書1442)。

この書籍は、発達の早期から手話を積極的に
ろう教育課程修正を実現させるためには、これまでのように根気よく教育実績を積み上げ、その必要性を示して関係者の理解を増やしていく。その大切なステップとして、今回の報告集刊行に尽力された皆様に深く感謝し、今後のご健闘が支えられますよう祈ります。」
『手話で育つ豊かな世界』(全国早期支援研究協議会発行,900円)は、本ホームページより購入できます。
〇手話か口話か? 手話も口話も?
手話からスタートした子どもたちはどのように日本語を獲得していくのでしょうか? ある医療機関では、「手話を使ったら声を出さなくなる」という理由で手話を禁止するのだそうです。また、ある中等度難聴児のママは「手話は必要ないから」と言われたそうです。本当に手話をすると子どもは声を出さなくなるのでしょうか?本当に難聴児には手話は必要ないのでしょうか?
今回は、1歳から3歳頃までの手話からスタートした子どもたちが、どのように日本語を獲得していくのか、まずその発達の筋道を紹介し、最後に手話からスタートした難聴児と聾児の3歳時のママとの会話を紹介します。

*そのエビデンスはこのホームページの下記の項を参照して下さい。
TOP>論文・資料・教材>「9歳の壁」を越え始めたきこえない子どもたち。
nanchosien.com/papers/post_70.html
ここでは、筆者が行った保護者聞き取り調査(2017年都立ろう学校2校21名対象)の結果及び都立ろう学校乳幼児相談保護者育児記録(2003~2019年)より事例を紹介つつ、手話から日本語獲得への道筋を見ていきたいと思います。
1.比較的聴力の軽い子どもたち(概ね90dB未満)の日本語の発達
①音に気づく~0歳後半~


②音声模倣・音声初語・音声単語獲得~1歳代


一方で90dB以上の聴力の重い子たちは音声初語が出る子は比較的少ないです。この子どもたちは2歳半頃に指文字で日本語語彙を獲得し始めるまでは手話中心の言語発達をしていきます。最初の図のいちばん下の【指文字タイプ】の子たちです。この子たちの日本語獲得はもう少し時間がかかります。ただ、手話での会話内容は、きこえる子が音声言語でやりとりするのと同じように内容豊かなものです。

③日本語対応手話へ~2歳代以降

2.比較的聴力の重い子どもたち(概ね90dB以上)の日本語の発達
①手指喃語・手話初語・二語文・語彙爆発・・・0歳代後半~2歳

また話による語彙の爆発や二語文の獲得は1歳代の後半、ほぼ同じ頃にみられます。
②指文字の獲得・・・1歳半~3歳代
・手話の延長としての頭指文字や固有名詞の表現として使う


このように、比較的聴力が重く手話中心でこれまできた子どもたちは、2歳後半から3歳頃にかけて主に指文字を使って日本語を獲得し始めます。ただ聴力の軽い子どもたちが、日本語対応手話で音声も併用してリアルタイムに会話していくのに対して、聴力の重い子どもたちは、手話での会話にわざわざ自分から指文字を使って会話をすることは、手話で表せない語彙に使うくらいしかないでしょう。そのため日本語に触れる時間的な少なさという問題が生じます。それを補うためには、大人の側から日本語対応手話を使いながら、ターゲットとなる手話語彙を指文字で表現し、日本語を教えていくといった工夫が必要になります。また、以下の項のように文字を通して日本語を学ぶ機会を増やしていくことも必要です。
3.文字から日本語を!~写真・絵カード、絵日記、オリジナルことば絵じてん、絵本など
文字による日本語獲得についてはここでは省略します。それぞれの意義については該当の項を参照して下さい。
〇まとめ


では、この二人に共通していることはなんでしょうか? それは単にSpeechができるかどうかという目先のことではなく、Languageという、思考をするための「言語」を育ててきたという点です。手話でスタートするという最大の利点は、100%見てわかる会話をすることで子どもの経験を深め、その経験をもとに言語(手話・日本語)を使って考え、豊かな想像力を膨らませ、そこで培われた力が書きことばの土台となって学力の形成や抽象的・論理的思考という学習言語の世界へと繋がっていくという点です。頭の中のLanguageを育てる、それが手話でスタートすることの大切な意味なのだと思います。
さて、ここまでは主として乳幼児教育相談の年齢段階での手話と日本語の発達の過程でした。これより以降は、聾学校幼稚部に入学して言語の指導を継続するのがよいと思います。友達と互いにわかりあえる手話を通して関わることで自分の気持ちをコントロールする力、互いのぶつかり合いの中から自分たちで問題を解決する力、友達と役割を分担し互いに考えを出し合い、協力して遊びや生活をつくっていく力は、お互いに通じ合える共通の言語・コミュニケーション手段があってのことです。そうした集団の関わりの中でこそ社会性は育つものだと思います。そしてこのような生活の中で身につけた言語こそ、小学校以降の教科学習の土台になるものだと思います。
はじめに
「9歳の壁(峠)」といわれる現象があります。これは、聴覚障害児の言語力・思考力が抽象的思考のレベルに達しない現象をさしていったも ので、1964年、当時東京教育大学附属聾学校の校長であった萩原浅五郎によって指摘された現象です。以来半世紀あまり、この現象は、なかなか乗り越えることができませんでした。
このことは、右の澤隆史氏(2016)の調査からもその一端を知ることができます。この図はReadinng test(読書力検査、以下Rtと略す)という語彙力・文法力・読解力をみるテストでの「読書学年」を比べてみたものですが、1971年からほぼ10年ごとの2015年に至るまでの約半世紀、いずれの時代も小4以降は「読書学年」が小4どまりになっていることがわかります。聴こえない子の多くは小5小6になっても小4が超えられていない。小4というのは9歳ですから、そこから「9歳の壁が超えられない」と言われるようになったわけです。
1.「9歳の壁」は本当に超えられないのか?
しかし、この状況に変化があらわれてきました。ある公立聾学校(以下、B校とします。都道府県立の聾学校です)の乳幼児相談を修了した幼児の多くはそのまま幼稚部に進級し、さらに小学部へと進級します。その子どもたちの日本語習得状況をみてみましょう。上記の澤の調査のグラフに乳幼児相談を修了した子どもたち(乳幼児相談に1年以上通った28名)の小学部での読書学年の結果を書き加えてみます(2019年)。そうすると、どの学年においても該当の学年よりも高い「読み」の力という結果が出ました(28名の平均読書力偏差値55.3)。
つまり「読み」の力では「9歳の壁」は超えているのです(この調査は2017年より行っていますがこの3年間結果は変わっていません)。この28人の児童について、読書学年が該当の学年と同じであれば「学年対応」(図表・黄緑色)、該当の学年より上回っていれば「上学年対応」(同・水色)、下回っていれば「下学年対応」(同・黄色)として分類してみると円グラフのような割合になります。また、それぞれの児童の読書力偏差値は円グラフ右下の表のとおりです。これをみると、ほぼ8割の子どもは年齢並みかそれ以上の読みの力をつけていることがわかります。
2.乳幼児相談で育つ力とは?
では、乳幼児相談修了児(乳相に1年以上通った子)とそうでない場合とでは、子どものReading test(Rt)結果に差があるのでしょうか? Rtは日本語の読み書きの力ですから、乳幼児相談の経験の有無に関係なく、それぞれの子どもの幼稚部以降の日本語の習得過程の違いが大きな要因ではないかと思えるのですが、乳相修了児28名と幼稚部以降転入児24名(含乳相1年未満)や小学部以降転入児18名(含幼稚部1年未満)と比べてみると有意な差が出てきます(乳相修了群と幼稚部転入群間、乳相修了と小学部転入群間にはいずれも有意水準5%で差あり。二つの転入群の間には有意差なし)。つまり、幼稚部や小学部で同じ教育を受けていても、乳幼児相談を2、3年経験したかどうかによって子どもに身につく日本語力に差が出るということであり、それは、乳幼児期に受けた支援の違いが、幼児期から学童期にかけての日本語の習得に大きく影響していると考えられます。では、その要因は一体何なのでしょうか?
3.乳幼児相談ではどのような支援をしているのか?
このB校乳幼児相談を経ることで来談した保護者は何を学び、子どもにどんな力を育て、その力がさらに日本語の習得に、そしてRtでの読みの力につながっていくのでしょうか?
もし他の多くの支援機関との違いがあるとしたら、それは、①聴覚障害という障害を否定的に考えないという点と、②発達早期から手話(口話併用手話を含む)を積極的に使うという点だろうと思います。言い換えると、手話を否定する聴覚口話法、Auditory vervalの立場とは正反対の立場という点でしょう。では、上記二つのことは、どのように子どもたちにたちに影響しているのでしょうか?
(1)二つの障害モデル
まず、前節3の①の聴覚障害についてのとらえ方・考え方について考えてみます。障害をどう考えるかということには、大きく分けて2つの異なった考え方があります。一つは「医学モデル」の考え方で、障害とは個人が所有している身体的な損傷・マイナスと考えます。そしてできる限りこのマイナスを少なくして少しでも健常(聴)者に近づけようとする考え方です。医療・療育機関の多くはこの立場ですし、初めて障害ある子を産み悲しみのどん底にある親御さんたちもこの考えに同意されるのではないでしょうか。そして、少しでも聴こえて話せるようになるためには極力手話を排除すべきという考え方が、医師等の専門スタッフによって奨励されるでしょう。
もう一つは、「社会モデル」の考え方で、障害は個人の側にあらかじめあるのではなく、個人が社会の中で生きていこうとするときに生じる困難さこそ障害(=障壁・Barrier)であると考えます。例えば、聴こえない人がバスに乗ったとき停留所のアナウンスだけではわからない。字幕表示があれば起きている障害(=障壁)は解消できます。つまり障害は社会の側の努力によってなくすことができます。ただ、字幕は日本語ですから日本語を聴こえない人が身につけるためには適切な教育が施されることが必要ですし、個人の努力に負う部分もあります。ですからどちらか一方の考え方だけで障害の問題すべてが解消できるわけではありません。
とはいえ、きこえない子の子育てがスタートするにあたって大事なのは、やはり子どもに周りが合わせるということでしょう。子どもにとっては聴覚障害があることも含めてまるごとそれが自分自身です。子ども本人にとってきこえないことはふつうのこと自然なことなのですから、それを否定されることは自分自身の存在を否定されることになってしまいます。また、子どもの人間形成にも影を落とすことがあると思います(例えば、河﨑佳子「きこえない子の心・ことば・家族」2004,明石書店、齋藤陽道「声めぐり」2018,晶文社を参照)。
(2)聴覚障害を否定しないことと手話を使うことの意味
生まれてきたわが子に障害があると分かった時、ほとんどの親は否定的な感情に襲われ、どうすればその状況から逃げられるかを考えます。しかし、きこえないわが子の現実は変わりません。たとえ人工内耳をしたとしても聴力ゼロデシベルのきこえる子にはなりません。障害からいかに遠ざかるか、きこえる世界にいかに近づけるかと息苦しくなるよりも、変わらぬきこえないという事実を事実として受けとめ、まず、子どもと通じ合える手段を身につけ、それによって子どもとと通じ合える喜びを分かち合うことを大切にしてほしいと思います。
①きこえないという「障害」を「身体的な差異」としてまず受けとめる。②そしてきこえる親ときこえない子がコミュニケーション(以下コミ)するためには、そこにある「障壁」をどのように取り除けるかを考える。③「耳がきこえない」子は「目で見る」子であり、「目で見る」言語とは手話なので、手話を使ってコミする。④子どもは手話でコミすることで、自分がきこえなくてもよいことを周りから認められていると実感していく。⑤やがて子どもは手話を「自分のことば」として、手話を使うきこえない自分を肯定する感情が育つ。これが自己肯定感であり、成長・発達の原動力になる。
昔から「三つ子の魂百まで」と言って3歳ころまでに子どもの人格形成の土台がかたちづくられると言われていますが、まさに乳幼児相談の時期がこの時期にあたります。子どものありのままを尊重していくことがその後のこどもの成長・発達を支えると考えると、障害を否定しないこと、手話を発達早期から使うことの大切さが理解できます。
(3)障害のとらえ方はどう変化していくか~当事者との出会いの大切さ
では、実際に親はどのように子どもの障害を受けとめていくのでしょうか? それをB聾学校乳幼児相談の支援プログラムから考えてみたいと思います。
プログラムの中で特徴的なのは、まず「ロールプレイ」「難聴疑似体験」「マイノリティー体験」といった体験活動が組み込まれていることと、全体活動の中に成人聴覚障害者による「絵本の読み聞かせ」や「手話教室」などがあることでしょう。
①ロールプレイ
「ロールプレイ」とは、親役とかきこえない子ども役などの役割を決めて、模擬的にある場面での親子のかかわりを再現し、それを観客役にもみてもらい、その後、皆で感想を話し合います。こうした活動の中で気が付かなかったわが子とのかかわり方を実感をもって見直すことができます(セラピー的要素)。わが子とよいかかわりをもつこと、それは子どもが成長・発達していくためにとても大切なことです。
②難聴疑似体験・マイノリティー体験
「難聴疑似体験」は、ヘッドホンに雑音を再生して疑似難聴(軽度伝音難聴)状態をつくり、外出体験や集団コミ体験などを行います。わが子のきこえなさをある程度実感することができます。
「マイノリティー体験」は「お茶の間の孤独体験」とも言い、数人の手話話者の中に手話のできない聴者の親に入ってもらうという体験です。周りが手話で盛り上がるのに自分はそこに加われない疎外感を味わうことで、きこえる家族の会話に入れないきこえない子の寂しさを逆の立場で実感できます。このような体験を通して、家族皆で通じ合えるコミュニケーションの大切さやそこに必要な手話の役割について学ぶことができます。
③手話教室
「手話教室」は、成人聴覚障害者を講師として「入門」「初級」などに分かれて実施し、言語としての手話や子育てに必要な手話などを学びます。
④その他
年10数回設定されている「保護者講座」では聴覚障害という障害について学んだり、社会で活躍している成人聴覚障害者やきこえない子を育てた先輩保護者の体験談をきいたり、一緒に教材を作ったりします。
「グループ活動」では、成人聴覚障害者による絵本の読みきかせや各種行事、また同じ障害をもった子の親同士で触れあい、情報交換をしあったりします。こうした自由な雰囲気の中で、前を向くことができるようになっていきます。また「個別相談」の時間では、子どもとのかかわり方や悩みを担当の先生に相談したり実際に関わる場面をみてもらいアドバイスをもらったり、育児記録へのコメントをもらったりします。
このような活動を通して変わっていく保護者自身の変化を、アンケート調査(2017)の中からいくつか拾ってみたいと思います。
★A児(5か月)母(初回来談より2か月後)
「はじめは『きこえる人に近づけることが大事』と思い、それができないと苦しかったが、聾の人からきこえないということはどういうことなのかを教えてもらい、理解できた。それから子どもとのかかわり方が変わった。」
★B児(5か月)母(初回来談より2か月後)
「以前は障害のことが気になって、子どもとの一日一日の成長を楽しめなかった。今は、少しの成長をも感じるととてもうれしいし、一日一日がとても楽しい。」
★C児(10か月)母(初回来談より4か月後)
「これまで障害者手帳をもっていること、手話を外でやることが恥ずかしいと思っていた。でも、聾の人の話をきいて気持ちが変わった。きこえないから他の感覚を使っていると聞き、ジーンときた。この子のおかげできこえない世界との接点をもつことができた。きこえない人は皆明るくて誇りをもっていることがわかった。」
このようにどの保護者も最初は聴覚障害に対して否定的ですが、成人聴覚障害者と出会い、聴覚障害が決して恥ずべき障害ではないと知り、気持ちを切り替えることができています。そして、そこからきこえないわが子への見方が変わり、子育ての楽しさが増したと語っています。この障害観の変化とわが子との関わりの変化こそ子育てのスタートにあたってまず最初に大切なことだと思います。きこえない子との関わりが楽しく感じられること、子どもといる毎日に幸せを実感できること、それが子どもの心理的な成長を促し、ことばの土台を形成しているのだろうと思います。
以下、子どもとの日々を楽しく過ごしている親子のかかわりを育児記録から引用してみたいと思います。
☆D児(6か月)「手話」
Dに母乳をあげていたら、目が合ってきゃは!きゃはは!と笑ってくれた。ニコニコニコニコしている。うれしくなって「Dちゃん、ママは手話習っているのよ。学校行ってるよ。楽しいよ。がんばるよ。」と知っている単語は手話で話しかけた。そうしたら、いつもは割とそっぽ向いていてむなしく手話が空を舞っているのに、この時はじーーっと手の動きを見ていてくれてやりがいを感じた。
☆E児(7カ月)「でんきパッチンあそび」
夫がEちゃんを電気のスイッチの横で抱っこする。私が照明の下にいる。「Eちゃん、電気ピカー!やって」(すべてサイン付き)と言う。夫とEちゃんでスイッチを押す。明るくなって「わぁー!電気ピカーだね!!」「電気パチンは?」ともう一度言う。夫の手とEちゃんの手でスイッチを切る。「電気パチンだ。」この遊びを10回位すると、電気ピカー、パチンのかけ声にあわせて、スイッチを見るようになった。
☆F児(10か月)「綱引き・お馬・本をビリビリ」
私のスカートのベルト布をひっぱる。伸びる生地なので、面白いらしい。私もベルト布をスカートからはずし、Fにあげてから引っ張りっこする。わざと引っ張られてみたりする。背中に乗りたがる。背に手をついているので、私がそのまま進むと少し歩く。たまにこの体勢のままで振り向いて、「Fちゃん!」と言うと、「キャッ、キャッ」と喜ぶ。雑誌を本棚より引っ張り出してはビリビリ破り、なめて振り回す。「あーら、出しちゃったねえ。だめよ。」と言うが、おかまいなしなので、私もいっしょにビリビリ、ペロペロとなめてみる。
☆G児(10か月)「バナナ」
いつもは絵本のバナナの絵と実物を見せて「バナナ」の手話をしてからバナナを食べる。しかし、今日は何もないところから手話だけで「バナナ」をしてみたら、じーっとかたまって何やら考えている。そこで実物のバナナを冷蔵庫から出すと少しニヤリ。M「じゃじゃーん、これだよ!」と実物を見せると大喜び。触ったり、皮ごとかんでいる。食べる前に絵本と実物を何度も見比べる。そして「甘いね」「黄色いね」「バナナだよ」などと話しかけながら一緒に食べた。
☆H児(1歳1か月)「踏切」
踏切で踏切の写真カードを取り出す。M「同じだね。踏切だね」と言うと実物と写真カードを何度も見比べる。遮断機のランプが点滅してバーが降り、電車が通るといちいち電車を指さす。通り過ぎると「バイバイ」とやる。バーが上がりM「高いね」とやると一緒に真似る。帰るとき抱っこの身を乗り出して遠ざかる踏切を見ている。家に帰ると、自分で踏切の写真を取り出し「踏切」の手話をする。
☆I児(1歳2か月)「買い物と手話と写真カード」
午後からスーパーへ買い物に行く。家を出る前に「○○ストアへ買い物だよ。」とスーパーの写真を見せながら手話をやり、着くと「○○に着いたよ。○○だよ。」とやると、Cは写真を指さし、「ア!」。次に店の看板を指差し「ア!」と言う。「そうね。同じ。同じね。○○だね。」と言い、ストアへ入る。
☆J児(1歳3か月)「テディーベア」
いつも通る花屋さんの前で、窓辺に飾ってある熊の人形を満面の笑顔で見ている。熊の手話をするのが日課だが、おばあちゃんと一緒の今日は、散歩中ずっとおばあちゃんに話しかけている。水がない噴水から、池の鯉、電車・・とよくしゃべる。
テディーベアのコーナーの数十メートル前から、「熊」の手話をしてやたらに高いところから振り下ろす。「あそこにテディーベアの熊があるんだよね」と言うと、笑顔いっぱいでおばあちゃんの手を引っ張り、花屋まで連れて行き、「ばあちゃん、あそこ(指さし)、テディーベア(熊の手話)、ある(高いところから両手を振り下ろす手話)」と話す。
☆K児(1歳4か月)「二語文」
「ほしい」をよく使う。1歳3か月の時はじめは「風呂」限定だったが、次の日には別のものでも使うようになった。
・「ほしい、~したい」(手伝ってほしい、寝たい、待ってほしい、座りたい等)
・「あれpt+ほしい」(あれをとってほしい)
・「あっちpt+ねこ+ほしい」(あの猫を連れてきて)
・「あれpt+ジュース+ほしい」(あのジュース飲みたい) pt・・指さし
☆L児(1歳6か月)「順番」
今日は公園で遊んだ。友達のバイクを見て「ちょうだい」(代わってという意味)と友達に手話した。私は「Lちゃんも乗りたいんだね。でも待ってる友達いるね。順番だよ」「〇ちゃんが先だよ。順番だよ」と言うと、手話で、L「順番、順番」と繰り返しながら待つことができた。
家に帰り、公園で撮った写真を見ながら会話した。M「お砂場だね。砂だよ」L「砂」。M「そう砂だね。」 M「ブランコしたね。楽しかったね」L「楽しい」。M「Fちゃんが滑り台の階段のぼっているね」など。その都度、Lも写真を指さしたり手話をまねたりする。
☆M児(1歳9か月)「商店街」
グループの帰り、商店街を寄り道しながらMと歩いた。薬局のカエルの置物をいい子いい子。お店の方に手を振る。ソフトクリームの置物をみて「アイス」(手話)。M「ここは車が来て危ないからこっちを歩こう」と言うと、後ろを振り返って「車」の手話。水たまりを見たり、開店準備のお店をじ~っと見たり、そして、閉まっているシャッターを見て、「赤」の手話。M「ほんと赤だね」と返すと、お店の看板や洋服など、「赤、赤」とサインしながら歩いた。」
☆N児(1歳9か月)「伝え合う」
このところ、Nの生き生きとした動きに感動いっぱいの我が家です。1歳になる頃、Nの口をトントンたたくと自分で「あー」と声を出し、「あーわーわー」と聞こえるのか、何度も同じ遊びをやらされていました。今日、久しぶりに私や長男、遊びに来ているおばあちゃんがそれぞれの口をトントンたたく姿を見て、Nも自分の手で口をたたきながら、「あーわーわー」と繰り返していました。人の様子をじっと見ている姿には感動しました。赤ちゃんのような時間が長く、周りの一歳児はどんどん歩き始め、サインを見せてくれています。ゆっくりでもいいので、いつの日か、サインを含めたコミュニケーションができたらいいなと思います。
☆O児(1歳11か月)「カレーづくり」
しまじろうの本にカレーを作ろうという頁があって、おもちゃの包丁で材料を切って、なべに入れてお玉でぐるぐるかき混ぜて、カレーをお皿に盛り付けて(シールを貼る)遊ぶのがあるのですが、それをOが楽しそうに遊んでいたので、今日はカレーを一緒に作ってみることにしました。玉ねぎ、人参、ジャガイモ、お肉。絵本とカード、本物と見比べながら、切ったり鍋に入れたりしてみました。(ここまでは私がやりました。)お玉でぐるぐるかき混ぜるのをOにやってもらいました。Oが自分で食べるサラダ(和え物)はママが調味料を入れた後にかき混ぜて、お皿に盛り付けまでをやってもらいました。いつもは野菜の食が進まないのですが、自分で作ったものは特別だったようで、ペロリと完食!「おいしいねー」と何度も言っていました。
☆P児(2歳1か月)「生ごみ」
生ごみを白いビニール袋に入れて縛っているとPがやってきて、「サンタさん」と手話。M「ん? あ、これね」と言ってひょいとかついで歩くと、「サンタさん、サンタさん」と言って大喜び。そこでM「この中にプレゼントあるかなあ?見てみる?」「ウン」M「はい、どうぞ」と開けると、「ゴミ!」と手話して大笑い。M「プレゼントないね。ゴミだったね」。P「もう一回」。そこでまたかついでM「はい、開けるよ」「ゴミ!」M「やっぱりゴミだね」と二人で大笑いする。そのあと一緒にゴミを出しに行った。
以上、どの事例からも手話を使って親子・家族で楽しく会話している様子が伝わってきます。そして、1歳頃から獲得され始めた手話は、さらに文へと発展していく中で、語の意味や使い方が広がり、ものごとの概念や思考の力の獲得へと発展し、さまざまな知識として身につけていく様子がわかります。1歳頃から始まるきこえない子の手話の獲得が、きこえる子の音声言語の獲得過程と変わらないことが、これらの事例からもよくわかります。この手話でのことばの力が日本語へと変わっていくのは、もう少し後の2歳半から3歳代まで待たねばなりません。そのことについてはまた別に書きたいと思います。
【参考】
*以下は、内田伸子氏らの研究からの引用です。聴児を対象とした調査(2011年3000名対象)の中で、子どもの語彙力や国語学力は、親子関係のあり方によって伸びが違ってくるということを立証し、以下のような関わり方を大切にした「共有型の育児」を提唱しています。このことは、障害の有無にかかわらず、「子どもの心を尊重する」「楽しいことがたくさんある家庭」で育つ子どもこそ、ことばの力も伸びるということの証明なのだと思います。そしてB聾学校の乳幼児相談もまさにそのことを追求してきたのだということです。その結果がこの記事の最初に提示したReading testの結果なのだと思います。
① 親子の間に対等な人間関係をつくること
② 親は子どもの安全基地になること
③ 子どもに「勝ち負けのことば」を使わない
④ 子どものことばや行動を共感的に受け止め、受け入れる
⑤ 他児と比べず、その子自身が以前より進歩したときに承認し、ほめる
⑥ 裁判官のように禁止や命令ではなく、「~したら」と提案の形で対案を述べる
⑦ 教師のように完璧な・詳細な・隙のない、説明や定義を述べ立てない
⑧ 子ども自身に考える余地を残す働きかけをすること
⑨ 親は「待つ」「みきわめる」「急がない」「急がせない」で子どもがつまずいたときに支え、足場をかけ、子どもが一歩踏み出せるよう脇から援ける
⑩ 子どもと共に暮らす幸せを味わおう
①下記のブログは、北九州の臨床心理士兼手話通訳をしておられる方のものです。
https://menomado.hatenadiary.com/entry/2018/11/19/100533
②下記のニュースサイトのインタビュー記事は、難聴のインタビュアーの方が書かれたものです。
https://withnews.jp/article/f0190130001qq000000000000000W09810801qq000018686A?ref=rensaiunder
③来年の3月22日になりますが(念のため来年・2020年です)、久留米市にあるNPO法人「かいじゅうの森」では、齋藤陽道さんを招いて講演会を開催、その後数日間写真展を開くそうです。HPは下記ですが、まだ紹介は出ていません。
http://www.geocities.jp/kotobanomori_kurume/