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手話について

 最近、一部の耳鼻科医によって、手話を否定したり、聾学校の存在を否定するかのような発言が相次いでいます。このまま見過ごすわけにはいかないので、今回は、そのどこがおかしいのか考えてみたいと思います。

高木氏のPP資料より表紙.pptx.jpgのサムネール画像


〇手話は言語ではない?

右のファイルは、S県のT医師のパワポ資料の一部です。これは厚生労働省HPに掲載されているものです。厚労省はこの考えを認めているのでしょうか?

T氏は次のように述べています。

 

高木氏のPP資料より①.jpg「①音声言語の獲得は生来、人間の発達にプログラムされたものであり、②単なるコミュニケーション手段と言うだけでなく 学習、認知・判断、抽象概念の構築に不可欠のものであり、③社会的情動の根源をなすものである。④それ故、高度聴覚障害があったとしても高性能な補聴器、人工内耳という機器の恩恵で音声言語獲得が劇的に容易になった現在、敢えてそれらの機器を排除して手話を選択する理由はないように思える。」(丸数字、傍線は筆者)


 

 タイトルは「音声言語」となっていますが、この定義的な説明の冒頭部分(①)は、言語を生み出す本能が人間に備わっていると考えたチョムスキーの理論を援用したものでしょうから、ここは「言語の獲得は生来、人間の発達にプログラムされたものであり」と言い換えができると思います(もし、ここでいう「言語」に手話が含まれないというなら、手話が言語ではないという立証をすべきです)。

また、②の部分は、いわゆる生活言語としてだけでなく、思考のための言語である学習言語の「構築に不可欠」ということで、これは言語としての重要な役割ですから異論ありません。③の「社会的情動」とは、「社会情動的スキル」とか「非認知的能力」とも呼ばれ、これまで知識の獲得や課題の発見・解決といった認知能力に対して、最近注目されるようになった「目標を達成する力」「他者と協調する力」「情動を制御する力」などから構成されている能力と考えられています(OECD2015)。こうした非認知的な能力も言語と密接に結びついていると思われますからとくに異論はありません。

問題は④の部分です。「それ故、・・・敢えてそれらの機器を排除して手話を選択する理由はないように思える。」とT氏はつぶやいています。あれ? その前の言語習得の意義について述べたことが、なぜ、補聴器・人工内耳を排除する手話など要りません、という結論になるの? 論理的におかしくないですか? 

筋道立てて考えるなら、①手話は言語である。⇒言語である手話は音声言語同様、当然②③の要件も満たしている。⇒④「それ故、音声言語を選択するのも手話を選択するのも、どちらでも可である。」となるのではないでしょうか? そうなっていないのは、①の「音声言語は・・」という部分がまさに手話を排除した「音声言語」だけが言語としての要件を満たしている、とT氏は考えているからでしょう。もっとはっきり言えば「手話は言語ではない」と否定しているから出てくる結論です。さらに、手話の選択は、補聴器や人工内耳の排除と勝手に決めつけてもいます。

T氏は、「言語でもなく、音声言語を否定する手話」か「言語たる要件を備えた音声言語」か、という二項対立の図式を意図的に作り、その上で、「言語かどうかもわからへん、あの手話ってなんやねん。補聴器や人工内耳あるんやし、要らんやろ。」と言いたいのでしょうか。


〇手話は日本に存在する少数言語のひとつ

では、手話は言語ではないのでしょうか? これまでの長い間、日本でもそう思われていました(聾学校ではもちろん、大学の研究者ですら研究もしていないのにそう言っていた時代が確かにありました)。しかし、アメリカのストーキー(Stokoe1960)によって、手話は「二重分節性」(=文は、意味を持つ最小の要素である形態素(=単語)をもち、それらの形態素はさらに音素に分けられるという特徴)をもつ言語であることが世界で最初に証明されました。以来、わが国でも日本手話に関する研究が積み重ねられ、21世紀になった今、「手話が言語ではない」と立証することは逆に困難でしょう。また、障害者基本法第3条(2011)には「言語(手話を含む)」とあり、2013年にわが国が批准した障害者権利条約・第二条には「言語とは、音声言語及び手話その他の形態の非音声言語をいう」と、手話が言語であることが書かれています。

にもかかわらず、「音声言語が獲得できるんだから、手話など必要ないでしょ」というT氏の意見は、聴者によって長い年月に渡り否定され続けた聾者と、彼らにとってかけがえのない言語である手話の歴史への深い思いや反省、少数言語に対するリスペクトはどこにも感じられません。手話はきこえない子・人たちを支えるれっきとした言語であり、きこえない人たちの誇りであり、アイデンティティそのものなのだと思います。音声言語あるんだから手話要らないだろ、などという権利はどこにもないはずです。

 

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〇手話も人工内耳も、という立場もある

またもう一つ付け加えるなら、手話の選択イコール補聴器や人工内耳の排除でもありません。この点も勝手に決めつけるべきではありません。手話を第一言語として獲得し、補聴器による聴覚活用を並行しつつ、2~3歳で人工内耳を装用する子どもは決して少なくありません。人工内耳を装用した当事者や保護者によって書かれた『手話で育つ豊かな世界』(全国早期支援研究協議会,2020)や『ようこそ、聞こえない赤ちゃん』(久留米聴覚特別支援学校,2021)などには、こうした当事者や保護者によって「手話も人工内耳も」という立場から沢山の手記が書かれています。ぜひ、こうした当

久留米三部作.jpg

事者たちの意見にも心を寄せてほしいものです。

 

〇人工内耳を1歳未満で埋め込まないと言語の力はつかない?

 右グラフの中のGlobal language という検査がどのような内容で構成されているのかよくわかりませんが、languageと言っているので、語彙や文法なども含まれているのではないかと

高木氏のPP資料より②.pptx.jpg

推察されます。この結果からT氏は「1歳以下の手術がよい。2,3歳では健常者に追いつけない」と述べています。同じ検査で比較できないのでここでは、補聴器や人工内耳と関係なく、聾学校乳幼児相談在籍の頃から手話を併用して育ってきた子どもたちの就学以降Reading test 結果を掲載しておきます(右下グラフ)。また、小6時点で実施される文科省全国学力テストの結果を、それぞれに年度において乳相修了児の平均得点と全国平均との差のみ以下に掲げておきます。

読書学年乳相修了児.pptx.jpg

(児童数は3年間で14名。+は全国平均より何点高いかを示しています)。

  ○国語:①2017年+5.9点  ②2018年+2.5点  ③2019年+8.0

  ●算数:①同上 +5.4点  ②2018年+8.4点  ③2019年+6.0

  言語習得においてとくに大切なことは、抽象的な思考を必要とする学習言語を構築していく時期としての小学校高学年以降ですから、この段階での読みの力(Reading test)や学力(全国学力調査)の到達度は重要な指標となります。このような視点から見た時、手話で育った子どもたちの結果は、読みの力でも学力でも「健常者に追いついている」ことがわかります。しかも、たまたまですが、小6年14名の学力テスト結果には人工内耳装用児が一人も含まれていません。つまり、人工内耳をしなくても、学力は十分に「健常者に追いついている」ということがこの結果からわかります。

 

〇聾学校より通常学校の方がよい?

高木氏のPP資料より③.pptx.jpg

また、T氏は、パワポ資料の最後に、聾学校ではなく通常学校に進むことが目標だとしています。なぜ、聾学校に進むことは目標にならないのでしょうか? これについては、T氏とは別の耳鼻科医、N県のK氏の、ある研究会での講演(2020)から引用してみます。K氏は自分が関わった202人のきこえない子のうち約7割にあたる144名が通常学校に通っているとして「通常学校進学率71」とパワーポイント資料で誇らしげに紹介しています。この「通常学校進学率」という言い方の中に、明らかに聾学校が下で通常学校が上という偏差値的な思考が潜んでいることが読み取れます。耳鼻科医の中には学校にランクをつけて聾学校は下、通常学校が上という人たちが確かにいます。私自身も何度かこういう医師たちに出会いました。これも明らかにおかしいのではないでしょうか? 学校に上下の差などありません。私が知るきこえない子どもたちや保護者の多くは、聴力や人工内耳の有無に関わらず聾学校を選択してきました。年長児であれば自分から聾学校を選択する子も少なくありません。

 手話という言語を駆使し、なんでも自由に通じ合える仲間がいて、先生や友達の発言もすべて見てわかる授業の楽しさ、このような良さが聾学校にはあります。そのような学びの場を選択する子どももいるのです。

また、このような、手話を幼少期よりしっかりと使っている聾学校では、「社会的情動」の根底にある自己肯定感をもった子どもも多く、結果として認知能力もよく伸びています。その結果として日本語力・学力も身につけ、最終的に"インテグレーションしなければならない聾学校高等部卒業時"に、直近5年間の平均で57.9%の子どもたちが大学に進んでいます(2016202022/38名)。T氏やK氏はこれをどのように考えるのでしょうか? 子どもにはそれぞれ個性もあり自分の考えもあります。家庭や地域の事情もあります。聾学校か通常学校かは上か下かではなく、それぞれに存在の意味があるのです。手話という母語獲得の上にしっかりとした日本語を身につけ、きこえない自分に自信と誇りを育てる学校、それが聾学校です。それぞれの子どもや家庭の条件なども含め、その子が望むその子に合った学校に行くことが進路選択においては大事なことではないでしょうか。

 

〇「ろうを否定する思想にNO!」

最後に、新生児聴覚検査が始まった約20年前の朝日新聞記事(1999,8,28)の「・・厚生省(当時は厚生省)は、すべての赤ちゃんが検査を受けて早期に訓練すれば、ろう学校に通う3割から5割の子供は普通学級に通えるようになるとみている。」という記述に対し、聾者の立場から反論した米内山明宏氏の朝日新聞論壇の記事(1999,10,8)から一部を紹介しておきたいと思います。このような意見が当事者から出されることは本当に素晴らしいことだと思います。

 

「・・ここで、厚生省担当者、検査装置の開発者、そしてこの記事を書いた記者に共通していると感じたのは「耳が聞こえない子どもは訓練をして少しでも聞こえるようになった方がいい」「ろう学校に通うより普通学級に通う方が絶対にいい」さらに言えば「耳の聞こえない人生より耳の聞こえる人生の方が絶対にいい」と信じて疑わない態度です。私たちろう者は耳が聞こえない者という以上に、手話という言語を母語として手話を共有する仲間と共に生きる者たちです。社会的な抑圧にさらされることも多いですが、仲間と手話で語り合う時、私たちはどこにもいる、自らの人生を楽しむ人間たちの一人です。・・本当に「耳が聞こえない子どもは訓練をして少しでも聞こえるようになった方がいい」のでしょうか?そんなことは当たり前だと思われるかもしれません。けれどそのような考え方がどれだけろうの子どもたちを苦しめてきたか。子どもらしく生きる時間を奪い、「もう少しがんばれば」という思いが結果として学力を奪い、「がんばってもきこえるようにはならなかった」子どもたちから人間としての誇りや自信を奪ってきたのです。私はろう者として聴覚障害を早期に発見するという今回の試みに反対するわけではありません。ろうの子どもが手話という自然に習得できる言語に早くから触れ、適切な教育環境で成長できるためにも、むしろ歓迎すべきことです。しかし、その背後にある「ろうを否定する」思想に対しては、はっきりと「NO」と言いたいと思います。そして、ろうの子どもの将来について考える際には、私たちろう者の声に耳を傾けて下さることを切に希望します。」

 このような当事者の思いを私たち聴者はもっと大事にし、耳を傾けたいものだと思います。

 

 

 

飯高京子先生(東京学芸大学名誉教授、元上智大学教授,言語病理学博士,聴能言語士協会会長・元コミュニケーション障害学会理事長)より、標記冊子の読後感をお寄せいただきましたので、以下に掲載いたします。

 

 「この本は、大塚ろう学校や葛飾ろう学校で手話を使って育ってきた本人たち、保護者の方々、関わってこられた先生方など60人の方々の協力による発達早期から手話を使う教育の意義を伝える体験記録集(2020.11刊行)です。手話も日本語も、その子らしさを実現するために、多様性を大事にした支援・教育の様子が報告されており、私は読みながらこれ迄私の受けてきた「手話に対する考え方」が、健聴者の一方的立場からの方法論であったことをきびしく思い知らされました。

 

 2020年末にかけ、新型コロナウイルス感染症が蔓延して社会全体が重苦しい空気に包まれるのと併行して、私の次男がそれまで歩んできた人生を否定される出来事に出会いました。私は、彼の苦しみと模索を親として受け止めましたが、同時に共有することの難しさを味わいました。それまでの私は、健聴者としての立場を当然と見なして言語障害関連の授業を大学で担当し、多数の発達につまづきを持つお子さんや親御さんを「支援してきた」つもりでいました。また高齢化に伴い、さまざまな生きづらさを抱えるようになった90代の義母を介護した体験から、障害を持つ方々やその家族の立場を理解しやすい立場にあると思っていました。それらの自負がすっかり打ちのめされました。

  今回の報告書を読んで、改めて私が健聴者・健常者優位の、上からの目線で制約を抱えた方々や親御さんに接してきたことを反省しました。私は障害を持つ方々へ支援をする仕事につきたいと願い、1955年高校卒業後米国へ留学し、当時まだ新しいとされた言語病理学を学びました。その留学の道を開いて下さった恩師、近江兄弟社学園長の一柳満喜子先生は「教育者は、その子どもに与えられた賜物を見出し、その力を精一杯生かせるよう支援すること」であり、「制約をもっ人への支援は、上からの目線で教えこむのではなく、相手と同じ目線に立ち、相手の可能性を引き出すこと」。日本ではまだ「お気の毒な人へ慈悲をほどこす姿勢が強いから、そうではない見方ができるよう留学しなさい」と勧めて下さいました。私は、満喜子先生のご助言を受け、渡米・留学の道を選びました。今回の報告集「その子らしさを実現する支援・教育を求めて」は、まさしくその理念追求ですが、私はこれ迄、聴覚障害児者の手話の大切さを十分理解していなかったこと。私を米国へ送り出して下さった恩師の一人、私の中学・高校の家庭科教師で全ろうの故西川はま子先生は口話のみの教育を受けられたこと。私の受けたこれ迄の「専門教育」には、手話の大切さが取り上げられていなかったことなどを改めて思い返し、反省しました。

  

 渡米していきなり英語環境で学ぶことは私にとってとても大変でした。高校迄は読み書きや英文法中心に学んだ私は、教授の「早口講義」について行けず、黒板に書かれた文字や教科書を手掛かりに理解しようとしても難しく、途方にくれました。周囲の人々の様子を観察して彼らが笑うと、何か冗談が話されたのだな、と推察するのが精一杯でした。親切そうな同級生を探し、講義ノートを見せてもらって授業内容の概略を知り、参考になりそうな挿絵入り小中学生用の本を市立図書館から借りて、内容背景となる社会や文化を学びました。少しずつ慣れてきて理解できる英単語が分かっても、講義内容の全体像を十分把握できませんでした。その不安と焦りにつきまとわれました。難聴者の学生さんが、口話中心の授業や企業環境に適応することには、とても苦労が多いこと、また視覚的な手掛かりが非常に大切であることが推察されます。

 現在、80代に入った私は高齢化に伴う難聴が始まり、週一回のNGO平和団体「国際友和会」のオンライン連絡会にアジア地区委員として補聴器をつけて参加しています。補聴器をつけていても会議内容を十分聞き取れない場合、特になまりの強い英語が語られる場合には、録音を再生し聞き返して補っています。これは骨の折れる作業です。難聴者が一般企業で健聴者と同様の仕事をこなすには、本人の努力だけでなく周囲の配慮と励ましがとても大切ではないかと考えます。

 

 近年、聴覚障害乳幼児に人工内耳の早期適用が推奨され、外界の音を導入さえすれば、彼らの問題は解決されるであろうとの考えが、医学会を中心に強まりつつあると聞きます。しかし外界からの聴覚刺激を入れるとき、その音のつながりに代表される「ことば」の意味づけや、その「ことば」が使われる社会や文化のしくみの理解も併行して育つことが大切です。聴覚に障がいのある子どもは、音のつながり(連鎖)の意味を理解しやすい手話からも受け入れながら、自分と自分の周囲の世界を理解し始めます。「ことば」は、自分を愛し、受け入れてくれる親や周囲の人々を信頼し、心を通わせることを通して育つからです。初めて聴覚に問題があると診断された乳児の保護者の中には、その障がいを受容するのがとても難しかった方の事例報告もありました。親の不安や迷いは子どもにすぐ伝わります。子どもの制約をありのまま受け入れることは大切だと分かっていても、親がわが子の将来に期待していた夢を砕かれたときの思いはそう容易に癒されません。わが子をあるがままに受け入れ、子どもの将来を前向きに考えられるようになるのは時間がかかり困難な過程です。今回、私自身が息子の挫折を受け入れる体験を通し、同じ体験をした親御さんたちに励まされ支えられて、親子共々、少しずつ元気を取り戻しています。ですから、ろう学校の担任だけでなく、先輩の方々の事例や保護者からの励ましと支えあいは、とても貴重だと思います。

 

 子どもの健やかな成長のためには、医療行為を補う日々の教育現場での学習や、客観的助言を提供する心理や言語専門職の役割など、すべての専門職が補いあい、連携しあって子どもの成長を支えることが基本です。かって、聴覚や言語障害児者への指導はすべて医師の指示下で働く職種にしたいとの強い要請があり、私たち言語聴覚障害児者の支援に関わっていた者たちは、子どもや利用者の視点から医師の指示下に限定される医療補助職の養成と国家資格制度化には異議を唱えて反対運動をしました。子どもへの支援内容が分断されることは良くない。それぞれの専門職の長所を認め合い、子どもや障害を持つ人々のために連携して支えることの出来る人材育成が必要と主張し、1997年に言語聴覚士国家資格法制化の実現に至るまで、厚生省(現厚労省)官僚や、医師会、国会代議士を相手に、言語聴覚障害児者を支援する自主団体の代表として、仲間たちと根気よく訴え続けました。とうとう双方が痛み分けの形で、医師の「指示下」ではなく「協同」の立場で働く言語聴覚士が認められました。その代わり養成制度は医師側の主張を受け入れて基本は高卒3年とする案に合意しました。ただし、当時の養成カリキュラム検討委員会では、医師側の意向が強く、言語聴覚障害児者を支援する当事者の意見は、ほとんど認められませんでした。聴覚障害児教育の内容に手話が含まれずに現在に至っていることは、申し訳なく残念です。聴覚障害のある子どもへの教育は、いわゆる「健聴児の発達に近づける」ことが目標ではない。子どもの持つ可能性を最大限に伸ばすためには、彼が自分を理解し、自分で考えて行動できる道具としての言語の発達支援が大切であり、それには専門的知識の習得と訓練が必要です。国家資格成立以来20年以上経過した現在、言語聴覚士養成カリキュラム改定の取組みは、言語聴覚士協会で始められたと聞きました。同時に、国立大学における特別支援教育履修科目に、手話関連内容を含める必要性を強く訴えることも大切です。

 

 新型コロナウイルス感染を防ぐためにマスクの着用が義務化され、聴覚障害をもつ乳幼児は、母親や保育士、指導者の表情、特に口元が見えない致命的な制約を受けています。

先日、NHKラジオ放送で京都大学比較認知発達科学の明和雅子(みようわ・まさこ)先生がマスクを常時装用する保育士にケアされる乳幼児の言語発達を長期的に観察した結果、見逃せない遅れを認めたこと。現在、京都市内の保育士たちの協力を得て、マスク着用の制約に対処する方法を探る研究をすすめているとの報告がありました。その放送をきっかけに名和先生の出版物や報告を調べました。「ヒトの乳児は模倣行為からことばや文化を学んでいく」との指摘は、手話の大切さを訴える皆さんの傍証となるでしょう(名和雅子(2019)「ヒトの発達の謎を解く」ちくま新書1442)。

 

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この書籍は、発達の早期から手話を積極的に

 ろう教育課程修正を実現させるためには、これまでのように根気よく教育実績を積み上げ、その必要性を示して関係者の理解を増やしていく。その大切なステップとして、今回の報告集刊行に尽力された皆様に深く感謝し、今後のご健闘が支えられますよう祈ります。

  

『手話で育つ豊かな世界』(全国早期支援研究協議会発行,900円)は、本ホームページより購入できます。    

大阪府手話言語条例.jpgNPOこめっこ(大阪府)ではオンラインによるシンポジウムを計画しています。
参加費は無料。

事前配信による動画視聴の後、1月23日(同)1300~1530にパネルデスカッションが計画されています。


申し込み要領は下記のPDFファイルをご覧ください。


また、下記ホームページからも申し込みできます。

手話か口話か? 手話も口話も?

手話からスタートした子どもたちはどのように日本語を獲得していくのでしょうか? ある医療機関では、「手話を使ったら声を出さなくなる」という理由で手話を禁止するのだそうです。また、ある中等度難聴児のママは「手話は必要ないから」と言われたそうです。本当に手話をすると子どもは声を出さなくなるのでしょうか?本当に難聴児には手話は必要ないのでしょうか?   

今回は、1歳から3歳頃までの手話からスタートした子どもたちが、どのように日本語を獲得していくのか、まずその発達の筋道を紹介し、最後に手話からスタートした難聴児と聾児の3歳時のママとの会話を紹介します。

手話から日本語へ①.jpgなおここでいう手話とは、日本語対応手話(=口話併用手話、手話付きスピーチ、手指日本語)のことです。日本語対応手話とは音声に手話をつけるやり方ですから日本語の範疇に入ります。もちろん、0~1歳の単語段階では対応手話か日本手話かという区別は必要ありません。しかし、1歳半ばあたりで2語文が表出される頃になると、文を使ったやりとりに日本語の文法を用いるのか(つまり日本語対応手話を使うのか)、手話の文法を用いるのか(日本手話の獲得の方向に向かうのか)という問題が生じてきます。ここが教育方法の大きな分かれ目になるところですが、公立聾学校には保護者からの両方のニーズがあり、必然的に手話も口話もという立場にたつことになります。では、それは双方からの要望に応えようとするための中途半端で消極的な方法なのでしょうか? いえ決してそうではなく、両方のメリットが活かされたbestとまでは言いませんがbetterな方法だと私はこれまでの経験から考えています。

*そのエビデンスはこのホームページの下記の項を参照して下さい。

TOP>論文・資料・教材>「9歳の壁」を越え始めたきこえない子どもたち。

nanchosien.com/papers/post_70.html

 

ここでは、筆者が行った保護者聞き取り調査(2017年都立ろう学校2校21名対象)の結果及び都立ろう学校乳幼児相談保護者育児記録(2003~2019年)より事例を紹介つつ、手話から日本語獲得への道筋を見ていきたいと思います。


 

1.比較的聴力の軽い子どもたち(概ね90dB未満)の日本語の発達


①音に気づく~0歳後半~

 

手話から日本語へ②.jpgこの時期はまだ指文字や文字といった視覚日本語の獲得は困難で、子どもは、補聴器を通して入ってくる音や声を、音楽やリズム、くすぐりあそびや手あそび、絵本でのオノマトペや繰り返しのあることばとして楽しんだりできます。このような活動を通してまず音への関心を育てるのが0歳後半から1歳代です。

 


手話から日本語へ③.jpgのサムネール画像

②音声模倣・音声初語・音声単語獲得~1歳代

 

手話から日本語へ④.jpg1歳以前より乳相に来談し手話を用いてきた子どもたちは、補聴器を装用し音声をきいてはいても聴力の如何によらず手話の初語のほうが先に(1歳前後)出ますが、比較的聴力の軽い子どもたち(概ね90dB未満・以下)は、やや遅れて音声の初語も出てきます。この子どもたち(最初の図の【聴覚活用タイプ】)は、音声の模倣を楽しんだり、音声初語の発語があったりなど手話も使いつつ音声言語の発達も同時に並行して進んでいき、音声での語彙も徐々に増えてきます。そのほとんどは、最初に手話として獲得しコミュニケーションの中で使われている語を日本語に置き換えたもの手話から日本語へ⑤.pptx.jpgのサムネール画像のサムネール画像で、手話を伴わない音声のみの単独で表出される語もあります。

 一方で90dB以上の聴力の重い子たちは音声初語が出る子は比較的少ないです。この子どもたちは2歳半頃に指文字で日本語語彙を獲得し始めるまでは手話中心の言語発達をしていきます。最初の図のいちばん下の【指文字タイプ】の子たちです。この子たちの日本語獲得はもう少し時間がかかります。ただ、手話での会話内容は、きこえる子が音声言語でやりとりするのと同じように内容豊かなものです。

 

手話から日本語へ⑥.jpg


③日本語対応手話へ~2歳代以降

手話から日本語へ⑦.jpg2歳になると、手話での会話は一語文(単語)から二語文に入っていきますが、ここで使われる手話は聴家庭では日本語対応手話がほとんどです。そして、日本語対応手話で表出される文には音声が伴っているので、子どもたちも文の中の一部の語を音声でイントネーションや口形を真似たり、自分で単語として表出したりするようになります(事例I~M)。

 


2.比較的聴力の重い子どもたち(概ね90dB以上)の日本語の発達


①手指喃語・手話初語・二語文・語彙爆発・・・0歳代後半~2歳

 

手話から日本語へ⑧.jpg2017調査対象児21名のうち90dB以上の幼児は8名いますが、そのうち6名は手話喃語を観察しています(2名は不明)。また、手話初語は8名全員が観察しています。その後、手話の語彙爆発も8名全員が観察しています。こうした事実から、聴力の重い子どもたちの言語獲得は、1歳代から2歳代にかけて手話中心に進んでいることがわかります。

 また話による語彙の爆発や二語文の獲得は1歳代の後半、ほぼ同じ頃にみられます。

 

②指文字の獲得・・・1歳半~3歳代

・手話の延長としての頭指文字や固有名詞の表現として使う

手話から日本語へ⑨.jpg「木〇先生」を表すときに「キ」+先生(手話)と表すことがあります。これを頭(かしら)指文字と言っています。また、例えばペットの名前などの固有名詞は手話ではなく、指文字でそのまま表すことも多いです。さらに、「ハム」「麩(ふ)」「プラレール」など手話で表現できない単語について大人が指文字を使ってみせるなどのこともあります。このように手話では表現できない時に指文字を使うことがあります。(日本手話の場合は、CLやNMSなどを駆使しますが、日本語対応手話を用いる家庭では指文字をそのまま使い、意味がわからない時には手話で説明したり絵や写真など非言語的手段を駆使して説明することになります)。

手話を日本語で知ってほしいとき使う

手話から日本語へ⑩.jpg話をしたあとに指文字で単語を押さえる方法(「猫だね(手話)」+「ネコ(指文字)」)で大人が指文字を表出し、それを子どもが見てまねるという方法で、指文字を通して日本語を教えます【事例P ~R)。

このように、比較的聴力が重く手話中心でこれまできた子どもたちは、2歳後半から3歳頃にかけて主に指文字を使って日本語を獲得し始めます。ただ聴力の軽い子どもたちが、日本語対応手話で音声も併用してリアルタイムに会話していくのに対して、聴力の重い子どもたちは、手話での会話にわざわざ自分から指文字を使って会話をすることは、手手話から日本語へ⑪.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像話で表せない語彙に使うくらいしかないでしょう。そのため日本語に触れる時間的な少なさという問題が生じます。それを補うためには、大人の側から日本語対応手話を使いながら、ターゲットとなる手話語彙を指文字で表現し、日本語を教えていくといった工夫が必要になります。また、以下の項のように文字を通して日本語を学ぶ機会を増やしていくことも必要です。


3.文字から日本語を~写真・絵カード、絵日記、オリジナルことば絵じてん、絵本など

 文字による日本語獲得についてはここでは省略します。それぞれの意義については該当の項を参照して下さい。

 

 

〇まとめ

手話から日本語へ⑫.pptx.jpg最後に二つの事例を紹介します。一つ目は65dBの難聴児の事例です。医師からは「手話は必要ないから」と言われる聴力の子どもです。右のファイルでは3歳5か月のとき、手話と日本語の二つの言語の違いに気づき、手話は一つでも日本語では「うれしい」「たのしい」という別々の意味があることを発見しています。二つの言語を頭の中で比べて比較しその違いを考えることができています。抽象的な思考とは目に見えない物事を頭の中で考えることのできる力です。この子は、3歳5カ月で、目には見ることのできない「うれしい」「たのしい」という感情を比べることができており、さらに手話というもう一つ別の言語ともその違いを比べることができています。また3歳6か月のとき、ママに言わせれば「屁理屈」かもしれませんが、理由付けをしておばあちゃんを説得する言い方を考えることができています。こうした思考ができるのは0歳の時から目に見える手話という言語を使い、「考える」力を育ててきたからだと思います。曖昧な音声のみで育った60dBの難聴児にこれだけの論理的な思考ができるかというとそうはいかないのではないでしょうか。

 

手話から日本語へ⑬.pptx.jpgまた、右の110dBの子どもは、冬から春になりつつあるときに、葉芽(ようが)と花芽(はなめ)の違いについてママと会話しています。身近な自然に触れ、変わりゆく季節の変化やその美しさに関心をもつだけの思考が育っている様子がうかがわれます。

 では、この二人に共通していることはなんでしょうか? それは単にSpeechができるかどうかという目先のことではなく、Languageという、思考をするための「言語」を育ててきたという点です。手話でスタートするという最大の利点は、100%見てわかる会話をすることで子どもの経験を深め、その経験をもとに言語(手話・日本語)を使って考え、豊かな想像力を膨らませ、そこで培われた力が書きことばの土台となって学力の形成や抽象的・論理的思考という学習言語の世界へと繋がっていくという点です。頭の中のLanguageを育てる、それが手話でスタートすることの大切な意味なのだと思います。

 

 さて、ここまでは主として乳幼児教育相談の年齢段階での手話と日本語の発達の過程でした。これより以降は、聾学校幼稚部に入学して言語の指導を継続するのがよいと思います。友達と互いにわかりあえる手話を通して関わることで自分の気持ちをコントロールする力、互いのぶつかり合いの中から自分たちで問題を解決する力、友達と役割を分担し互いに考えを出し合い、協力して遊びや生活をつくっていく力は、お互いに通じ合える共通の言語・コミュニケーション手段があってのことです。そうした集団の関わりの中でこそ社会性は育つものだと思います。そしてこのような生活の中で身につけた言語こそ、小学校以降の教科学習の土台になるものだと思います。

 

 以下の講演記録は2020年2月に実施された、ろう・難聴研究会での講演の記録です。

はじめに

9歳の壁(峠)」といわれる現象があります。これは、聴覚障害児の言語力・思考力が抽象的思考のレベルに達しない現象をさしていったも ので、1964年、当時東京教育大学附属聾学校の校長であった萩原浅五郎によって指摘された現象です。以来半世紀あまり、この現象は、なかなか乗り越えることができませんでした。9歳の壁1.jpg

このことは、右の澤隆史氏(2016)の調査からもその一端を知ることができます。この図はReadinng test(読書力検査、以下Rtと略す)という語彙力・文法力・読解力をみるテストでの「読書学年」を比べてみたものですが、1971年からほぼ10年ごとの2015年に至るまでの約半世紀、いずれの時代も小4以降は「読書学年」が小4どまりになっていることがわかります。聴こえない子の多くは小5小6になっても小4が超えられていない。小4というのは9歳ですから、そこから「9歳の壁が超えられない」と言われるようになったわけです。

 

1.「9歳の壁」は本当に超えられないのか?

9歳の壁2.jpgかし、この状況に変化があらわれてきました。ある公立聾学校(以下、B校とします。都道府県立の聾学校です)の乳幼児相談を修了した幼児の多くはそのまま幼稚部に進級し、さらに小学部へと進級します。その子どもたちの日本語習得状況をみてみましょう。上記の澤の調査のグラフに乳幼児相談を修了した子どもたち(乳幼児相談に1年以上通った28名)の小学部での読書学年の結果を書き加えてみます(2019年)。そうすると、どの学年においても該当の学年よりも高い「読み」の力という結果が出ました(28名の平均読書力偏差値55.3)。9歳の壁3.jpgつまり「読み」の力では「9歳の壁」は超えてるのです(この調査は2017年より行っていますがこの3年間結果は変わっていません)。この28人の児童について、読書学年が該当の学年と同じであれば「学年対応」(図表・黄緑色)、該当の学年より上回っていれば「上学年対応」(同・水色)、下回っていれば「下学年対応」(同・黄色)として分類してみると円グラフのような割合になります。また、それぞれの児童の読書力偏差値は円グラフ右下の表のとおりです。これをみると、ほぼ8割の子どもは年齢並みかそれ以上の読みの力をつけていることがわかります。

 

2.乳幼児相談で育つ力とは?

では、乳幼児相談修了児(乳相に1年以上通った子)とそうでない場合とでは、子どものReading testRt)結果に差があるのでしょうか? Rtは日本語の読み書きの力です群別偏差値.jpgから、乳幼児相談の経験の有無に関係なく、それぞれの子どもの幼稚部以降の日本語の習得過程の違いが大きな要因ではないかと思えるのですが、乳相修了児28名と幼稚部以降転入児24名(含乳相1年未満)や小学部以降転入児18名(含幼稚部1年未満)と比べてみると有意な差が出てきます(乳相修了群と幼稚部転入群間、乳相修了と小学部転入群間にはいずれも有意水準5%で差あり。二つの転入群の間には有意差なし)。つまり、幼稚部や小学部で同じ教育を受けていても、乳幼児相談を2、3年経験したかどうかによって子どもに身につく日本語力に差が出るということであり、それは、乳幼児期に受けた支援の違いが、幼児期から学童期にかけての日本語の習得に大きく影響していると考えられます。では、その要因は一体何なのでしょうか?


3.乳幼児相談ではどのような支援をしているのか?

 このB校乳幼児相談を経ることで来談した保護者は何を学び、子どもにどんな力を育て、その力がさらに日本語の習得に、そしてRtでの読みの力につながっていくのでしょうか? 

 もし他の多くの支援機関との違いがあるとしたら、それは、①聴覚障害という障害を否定的に考えないという点と、②発達早期から手話(口話併用手話を含む)を積極的に使うという点だろうと思います。言い換えると、手話を否定する聴覚口話法、Auditory vervalの立場とは正反対の立場という点でしょう。では、上記二つのことは、どのように子どもたちにたちに影響しているのでしょうか?

 

(1)二つの障害モデル

まず、前節3の①の聴覚障害についてのとらえ方・考え方について考えてみます。障害9歳の壁4.jpgのサムネール画像をどう考えるかということには、大きく分けて2つの異なった考え方があります。一つは「医学モデル」の考え方で、障害とは個人が所有している身体的な損傷・マイナスと考えます。そしてできる限りこのマイナスを少なくして少しでも健常(聴)者に近づけようとする考え方です。医療・療育機関の多くはこの立場ですし、初めて障害ある子を産み悲しみのどん底にある親御さんたちもこの考えに同意されるのではないでしょうか。そして、少しでも聴こえて話せるようになるためには極力手話を排除すべきという考え方が、医師等の専門スタッフによって奨励されるでしょう 


もう一つは、「社会モデル」の考え方で、障害は個人の側にあらかじめあるのではなく、個人が社会の中で生きていこうとするときに生じる困難さこそ障害(=障壁・Barrier)であると考えます。例えば、聴こえない人がバスに乗ったとき停留所のアナウンスだけではわからない。字幕表示があれば起きている障害(=障壁)は解消できます。つまり障害は社会の側の努力によってなくすことができます。ただ、字幕は日本語ですから日本語を聴こえない人が身につけるためには適切な教育が施されることが必要ですし、個人の努力に負う部分もあります。ですからどちらか一方の考え方だけで障害の問題すべてが解消できるわけではありません。


とはいえ、きこえない子の子育てがスタートするにあたって大事なのは、やはり子どもに周りが合わせるということでしょう。子どもにとっては聴覚障害があることも含めてまるごとそれが自分自身です。子ども本人にとってきこえないことはふつうのこと自然なことなのですから、それを否定されることは自分自身の存在を否定されることになってしまいます。また、子どもの人間形成にも影を落とすことがあると思います(例えば、河﨑佳子「きこえない子の心・ことば・家族」2004,明石書店、齋藤陽道「声めぐり」2018,晶文社を参照)。

 

(2)聴覚障害を否定しないことと手話を使うことの意味

生まれてきたわが子に障害があると分かった時、ほとんどの親は否定的な感情に襲われ、どうすればその状況から逃げられるかを考えます。しかし、きこえないわが子の現実は変わりません。たとえ人工内耳をしたとしても聴力ゼロデシベルのきこえる子にはなりません。障害からいかに遠ざかるか、きこえる世界にいかに近づけるかと息苦しくなるよりも、変わらぬきこえないという事実を事実として受けとめ、まず、子どもと通じ合える手段を身につけ、それによって子どもとと通じ合える喜びを分かち合うことを大切にしてほしいと思います。


①きこえないという「障害」を「身体的な差異」としてまず受けとめる。②そしてきこえる親ときこえない子がコミュニケーション(以下コミ)するためには、そこにある「障壁」をどのように取り除けるかを考える。③「耳がきこえない」子は「目で見る」子であり、「目で見る」言語とは手話なので、手話を使ってコミする。④子どもは手話でコミすることで、自分がきこえなくてもよいことを周りから認められていると実感していく。⑤やがて子どもは手話を「自分のことば」として、手話を使うきこえない自分を肯定する感情が育つ。これが自己肯定感であり、成長・発達の原動力になる。


昔から「三つ子の魂百まで」と言って3歳ころまでに子どもの人格形成の土台がかたちづくられると言われていますが、まさに乳幼児相談の時期がこの時期にあたります。子どものありのままを尊重していくことがその後のこどもの成長・発達を支えると考えると、障害を否定しないこと、手話を発達早期から使うことの大切さが理解できます。

 

(3)障害のとらえ方はどう変化していくか~当事者との出会いの大切さ

9歳の壁5.jpgのサムネール画像のサムネール画像では、実際に親はどのように子どもの障害を受けとめていくのでしょうか? それをB聾学校乳幼児相談の支援プログラムから考えてみたいと思います。

プログラムの中で特徴的なのは、まず「ロールプレイ」「難聴疑似体験」「マイノリティー体験」といった体験活動が組み込まれていることと、全体活動の中に成人聴覚障害者による「絵本の読み聞かせ」や「手話教室」などがあることでしょう。


①ロールプレイ

「ロールプレイ」とは、親役とかきこえない子ども役などの役割を決めて、模擬的にある場面での親子のかかわりを再現し、それを観客役にもみてもらい、その後、皆で感想を話し合います。こうした活動の中で気が付かなかったわが子とのかかわり方を実感をもって見直すことができます(セラピー的要素)。わが子とよいかかわりをもつこと、それは子どもが成長・発達していくためにとても大切なことです。


②難聴疑似体験・マイノリティー体験

「難聴疑似体験」は、ヘッドホンに雑音を再生して疑似難聴(軽度伝音難聴)状態をつくり、外出体験や集団コミ体験などを行います。わが子のきこえなさをある程度実感することができます。

「マイノリティー体験」は「お茶の間の孤独体験」とも言い、数人の手話話者の中に手話のできない聴者の親に入ってもらうという体験です。周りが手話で盛り上がるのに自分はそこに加われない疎外感を味わうことで、きこえる家族の会話に入れないきこえない子の寂しさを逆の立場で実感できます。このような体験を通して、家族皆で通じ合えるコミュニケーションの大切さやそこに必要な手話の役割について学ぶことができます。


③手話教室

「手話教室」は、成人聴覚障害者を講師として「入門」「初級」などに分かれて実施し、言語としての手話や子育てに必要な手話などを学びます。


④その他

年10数回設定されている「保護者講座」では聴覚障害という障害について学んだり、社会で活躍している成人聴覚障害者やきこえない子を育てた先輩保護者の体験談をきいたり、一緒に教材を作ったりします。

「グループ活動」では、成人聴覚障害者による絵本の読みきかせや各種行事、また同じ障害をもった子の親同士で触れあい、情報交換をしあったりします。こうした自由な雰囲気の中で、前を向くことができるようになっていきます。また「個別相談」の時間では、子どもとのかかわり方や悩みを担当の先生に相談したり実際に関わる場面をみてもらいアドバイスをもらったり、育児記録へのコメントをもらったりします。

このような活動を通して変わっていく保護者自身の変化を、アンケート調査(2017)の中からいくつか拾ってみたいと思います。

 

★A児(5か月)母(初回来談より2か月後)

「はじめは『きこえる人に近づけることが大事』と思い、それができないと苦しかったが、聾の人からきこえないということはどういうことなのかを教えてもらい、理解できた。それから子どもとのかかわり方が変わった。」


B児(5か月)母(初回来談より2か月後)

「以前は障害のことが気になって、子どもとの一日一日の成長を楽しめなかった。今は、少しの成長をも感じるととてもうれしいし、一日一日がとても楽しい。」


C児(10か月)母(初回来談より4か月後)

「これまで障害者手帳をもっていること、手話を外でやることが恥ずかしいと思っていた。でも、聾の人の話をきいて気持ちが変わった。きこえないから他の感覚を使っていると聞き、ジーンときた。この子のおかげできこえない世界との接点をもつことができた。きこえない人は皆明るくて誇りをもっていることがわかった。」

 

このようにどの保護者も最初は聴覚障害に対して否定的ですが、成人聴覚障害者と出会い、聴覚障害が決して恥ずべき障害ではないと知り、気持ちを切り替えることができています。そして、そこからきこえないわが子への見方が変わり、子育ての楽しさが増したと語っています。この障害観の変化とわが子との関わりの変化こそ子育てのスタートにあたってまず最初に大切なことだと思います。きこえない子との関わりが楽しく感じられること、子どもといる毎日に幸せを実感できること、それが子どもの心理的な成長を促し、ことばの土台を形成しているのだろうと思います。

以下、子どもとの日々を楽しく過ごしている親子のかかわりを育児記録から引用してみたいと思います。


D児(6か月)「手話」

Dに母乳をあげていたら、目が合ってきゃは!きゃはは!と笑ってくれた。ニコニコニコニコしている。うれしくなって「Dちゃん、ママは手話習っているのよ。学校行ってるよ。楽しいよ。がんばるよ。」と知っている単語は手話で話しかけた。そうしたら、いつもは割とそっぽ向いていてむなしく手話が空を舞っているのに、この時はじーーっと手の動きを見ていてくれてやりがいを感じた。


☆E児(7カ月)「でんきパッチンあそび」

夫がEちゃんを電気のスイッチの横で抱っこする。私が照明の下にいる。「Eちゃん、電気ピカー!やって」(すべてサイン付き)と言う。夫とEちゃんでスイッチを押す。明るくなって「わぁー!電気ピカーだね!!」「電気パチンは?」ともう一度言う。夫の手とEちゃんの手でスイッチを切る。「電気パチンだ。」この遊びを10回位すると、電気ピカー、パチンのかけ声にあわせて、スイッチを見るようになった。

 

F児(10か月)「綱引き・お馬・本をビリビリ」

私のスカートのベルト布をひっぱる。伸びる生地なので、面白いらしい。私もベルト布をスカートからはずし、Fにあげてから引っ張りっこする。わざと引っ張られてみたりする。背中に乗りたがる。背に手をついているので、私がそのまま進むと少し歩く。たまにこの体勢のままで振り向いて、「Fちゃん!」と言うと、「キャッ、キャッ」と喜ぶ。雑誌を本棚より引っ張り出してはビリビリ破り、なめて振り回す。「あーら、出しちゃったねえ。だめよ。」と言うが、おかまいなしなので、私もいっしょにビリビリ、ペロペロとなめてみる。

 

G児(10か月)「バナナ」

いつもは絵本のバナナの絵と実物を見せて「バナナ」の手話をしてからバナナを食べる。しかし、今日は何もないところから手話だけで「バナナ」をしてみたら、じーっとかたまって何やら考えている。そこで実物のバナナを冷蔵庫から出すと少しニヤリ。M「じゃじゃーん、これだよ!」と実物を見せると大喜び。触ったり、皮ごとかんでいる。食べる前に絵本と実物を何度も見比べる。そして「甘いね」「黄色いね」「バナナだよ」などと話しかけながら一緒に食べた。

 

☆H児(11か月)「踏切」

踏切で踏切の写真カードを取り出す。M「同じだね。踏切だね」と言うと実物と写真カードを何度も見比べる。遮断機のランプが点滅してバーが降り、電車が通るといちいち電車を指さす。通り過ぎると「バイバイ」とやる。バーが上がりM「高いね」とやると一緒に真似る。帰るとき抱っこの身を乗り出して遠ざかる踏切を見ている。家に帰ると、自分で踏切の写真を取り出し「踏切」の手話をする。

 

I児(1歳2か月)「買い物と手話と写真カード」 

午後からスーパーへ買い物に行く。家を出る前に「○○ストアへ買い物だよ。」とスーパーの写真を見せながら手話をやり、着くと「○○に着いたよ。○○だよ。」とやると、Cは写真を指さし、「ア!」。次に店の看板を指差し「ア!」と言う。「そうね。同じ。同じね。○○だね。」と言い、ストアへ入る。

 

☆J児(13か月)「テディーベア」

いつも通る花屋さんの前で、窓辺に飾ってある熊の人形を満面の笑顔で見ている。熊の手話をするのが日課だが、おばあちゃんと一緒の今日は、散歩中ずっとおばあちゃんに話しかけている。水がない噴水から、池の鯉、電車・・とよくしゃべる。

テディーベアのコーナーの数十メートル前から、「熊」の手話をしてやたらに高いところから振り下ろす。「あそこにテディーベアの熊があるんだよね」と言うと、笑顔いっぱいでおばあちゃんの手を引っ張り、花屋まで連れて行き、「ばあちゃん、あそこ(指さし)、テディーベア(熊の手話)、ある(高いところから両手を振り下ろす手話)」と話す。

 

☆K児(14か月)「二語文」

「ほしい」をよく使う。13か月の時はじめは「風呂」限定だったが、次の日には別のものでも使うようになった。

・「ほしい、~したい」(手伝ってほしい、寝たい、待ってほしい、座りたい等) 

・「あれpt+ほしい」(あれをとってほしい)

・「あっちpt+ねこ+ほしい」(あの猫を連れてきて)

・「あれpt+ジュース+ほしい」(あのジュース飲みたい)   pt・・指さし

 

L児(16か月)「順番」

今日は公園で遊んだ。友達のバイクを見て「ちょうだい」(代わってという意味)と友達に手話した。私は「Lちゃんも乗りたいんだね。でも待ってる友達いるね。順番だよ」「〇ちゃんが先だよ。順番だよ」と言うと、手話で、L「順番、順番」と繰り返しながら待つことができた。

 家に帰り、公園で撮った写真を見ながら会話した。M「お砂場だね。砂だよ」L「砂」。M「そう砂だね。」 M「ブランコしたね。楽しかったね」L「楽しい」。M「Fちゃんが滑り台の階段のぼっているね」など。その都度、Lも写真を指さしたり手話をまねたりする。

 

☆M児(19か月)「商店街」

グループの帰り、商店街を寄り道しながらMと歩いた。薬局のカエルの置物をいい子いい子。お店の方に手を振る。ソフトクリームの置物をみて「アイス」(手話)。M「ここは車が来て危ないからこっちを歩こう」と言うと、後ろを振り返って「車」の手話。水たまりを見たり、開店準備のお店をじ~っと見たり、そして、閉まっているシャッターを見て、「赤」の手話。M「ほんと赤だね」と返すと、お店の看板や洋服など、「赤、赤」とサインしながら歩いた。」

 

N児(1歳9か月)「伝え合う」

このところ、Nの生き生きとした動きに感動いっぱいの我が家です。1歳になる頃、Nの口をトントンたたくと自分で「あー」と声を出し、「あーわーわー」と聞こえるのか、何度も同じ遊びをやらされていました。今日、久しぶりに私や長男、遊びに来ているおばあちゃんがそれぞれの口をトントンたたく姿を見て、Nも自分の手で口をたたきながら、「あーわーわー」と繰り返していました。人の様子をじっと見ている姿には感動しました。赤ちゃんのような時間が長く、周りの一歳児はどんどん歩き始め、サインを見せてくれています。ゆっくりでもいいので、いつの日か、サインを含めたコミュニケーションができたらいいなと思います。

 

☆O児(111か月)「カレーづくり」

しまじろうの本にカレーを作ろうという頁があって、おもちゃの包丁で材料を切って、なべに入れてお玉でぐるぐるかき混ぜて、カレーをお皿に盛り付けて(シールを貼る)遊ぶのがあるのですが、それをOが楽しそうに遊んでいたので、今日はカレーを一緒に作ってみることにしました。玉ねぎ、人参、ジャガイモ、お肉。絵本とカード、本物と見比べながら、切ったり鍋に入れたりしてみました。(ここまでは私がやりました。)お玉でぐるぐるかき混ぜるのをOにやってもらいました。Oが自分で食べるサラダ(和え物)はママが調味料を入れた後にかき混ぜて、お皿に盛り付けまでをやってもらいました。いつもは野菜の食が進まないのですが、自分で作ったものは特別だったようで、ペロリと完食!「おいしいねー」と何度も言っていました。

 

☆P児(21か月)「生ごみ」

 生ごみを白いビニール袋に入れて縛っているとPがやってきて、「サンタさん」と手話。M「ん? あ、これね」と言ってひょいとかついで歩くと、「サンタさん、サンタさん」と言って大喜び。そこでM「この中にプレゼントあるかなあ?見てみる?」「ウン」M「はい、どうぞ」と開けると、「ゴミ!」と手話して大笑い。M「プレゼントないね。ゴミだったね」。P「もう一回」。そこでまたかついでM「はい、開けるよ」「ゴミ!」M「やっぱりゴミだね」と二人で大笑いする。そのあと一緒にゴミを出しに行った。

 

  以上、どの事例からも手話を使って親子・家族で楽しく会話している様子が伝わってきます。そして、1歳頃から獲得され始めた手話は、さらに文へと発展していく中で、語の意味や使い方が広がり、ものごとの概念や思考の力の獲得へと発展し、さまざまな知識として身につけていく様子がわかります。1歳頃から始まるきこえない子の手話の獲得が、きこえる子の音声言語の獲得過程と変わらないことが、これらの事例からもよくわかります。この手話でのことばの力が日本語へと変わっていくのは、もう少し後の2歳半から3歳代まで待たねばなりません。そのことについてはまた別に書きたいと思います。

 

 

【参考】

*以下は、内田伸子氏らの研究からの引用です。聴児を対象とした調査(20113000名対象)の中で、子どもの語彙力や国語学力は、親子関係のあり方によって伸びが違ってくるということを立証し、以下のような関わり方を大切にした「共有型の育児」を提唱しています。このことは、障害の有無にかかわらず、「子どもの心を尊重する」「楽しいことがたくさんある家庭」で育つ子どもこそ、ことばの力も伸びるということの証明なのだと思います。そしてB聾学校の乳幼児相談もまさにそのことを追求してきたのだということです。その結果がこの記事の最初に提示したReading testの結果なのだと思います。


① 親子の間に対等な人間関係をつくること

② 親は子どもの安全基地になること

③ 子どもに「勝ち負けのことば」を使わない

④ 子どものことばや行動を共感的に受け止め、受け入れる

⑤ 他児と比べず、その子自身が以前より進歩したときに承認し、ほめる

⑥ 裁判官のように禁止や命令ではなく、「~したら」と提案の形で対案を述べる

⑦ 教師のように完璧な・詳細な・隙のない、説明や定義を述べ立てない

⑧ 子ども自身に考える余地を残す働きかけをすること

⑨  親は「待つ」「みきわめる」「急がない」「急がせない」で子どもがつまずいたときに支え、足場をかけ、子どもが一歩踏み出せるよう脇から援ける

⑩ 子どもと共に暮らす幸せを味わおう


 『声めぐり』の紹介をしたら、早速、こんなブログやサイトにも『声めぐり』のことが紹介されていますよ、こういう情報もありますよ、といったメールをいただきました。以下に紹介しますので、ご覧ください。

 

①下記のブログは、北九州の臨床心理士兼手話通訳をしておられる方のものです。

https://menomado.hatenadiary.com/entry/2018/11/19/100533

 

②下記のニュースサイトのインタビュー記事は、難聴のインタビュアーの方が書かれたものです。

 https://withnews.jp/article/f0190130001qq000000000000000W09810801qq000018686A?ref=rensaiunder

 

③来年の322日になりますが(念のため来年・2020年です)、久留米市にあるNPO法人「かいじゅうの森」では、齋藤陽道さんを招いて講演会を開催、その後数日間写真展を開くそうです。HPは下記ですが、まだ紹介は出ていません。

 http://www.geocities.jp/kotobanomori_kurume/

 

 

 『声めぐり』の著者齋藤陽道(はるみち)さんは、2歳で聴覚障害が発見され、以来、地域の難聴児通園施設に通い、厳しい発音指導を受けて育った。しかし、ことば(=「声」)というものが、本来、人とつながり、互いに理解し伝え合うためにあるという本質的な意味を見いだすことができないままに育っていった。彼は本の中でこう述べている。

 

「『口の形が違う。舌の位置が違う。息の吹き方が違う。息を吐く力が違う。喉の震えが違う。何? その声。全然、違うよ。舌をもっと曲げて。口の中を見て。もっと息を短く吐いて。ああ、違う。もうちょっと長く吐くの。・・・』」(15頁)

 聞き取れない自分の音声を「他者の耳にゆだねるということ、そして、他者の耳によって自分の声の良し悪しを決定され続けるということ。それは結果として、自分で考えて、判断する力を殺してしまうことにつながっていた」(16頁)。 

こうして彼は、自分が他者に向かって声を出せば出すほど、「自分が分裂し他者との断絶が深まり、・・・『声』は人との関わりを断つもの」(20頁)と思うようになっていく。

「この社会は、音声を聞くこと、話すことからすべてが始まる。上手く音声を扱えるかどうかで将来が決まるものだと思っていた。・・・ぼくの人生は失敗していた。それはもう変えようがないことなんだと絶望していた。」(20頁)。

 自分の人生に絶望すれば人生は苦痛でしかない。小学校高学年から彼は毎日ゲームにふけるようになった。こうして退屈な数年が過ぎていく。中学生となり高校を選ぶ頃になって、彼は自分の中にある孤独を見つめなおす。その時、「初めて『生きたい』」(21頁)と思ったという。高校として選んだ先はろう学校高等部。しかし、積極的に生き直すために選んだわけではない。ろう学校は「声をまともに出すことができない人が使う」(21頁)手話の学校である。そこに行くのは「屈辱的」でしかなかった。しかし彼は敢えてろう学校を選んだ。その選択の経緯は詳しく述べられていないが、伏線はあった。 声めぐり.jpg

 

 中学の頃、年1回だけろう学校の生徒たちが陽道さんの通う中学校に交流に訪れた。その生徒たちを引率していた一人の女性教師がいた。その教師の名前は天沼陽子先生。天沼先生は、訪れる年1回の交流の日の朝、中学校の校門に立ち「おはよう!」と優しく、しかし力づよい眼差しで陽道に『声』をかけていたのだった。たった年1回の出会い。進路を考えるにあたって彼の意識の中にはなかったかもしれないが、彼女のまなざしは心の奥深くで彼自身を支え、無意識のうちにろう学校へと導かれていったのかもしれない。

 

 石神井ろう学校に入学した彼は、手話と出会い、手話ということば(=『声』)を通して語る仲間と出会い、天沼先生と出会い、天沼先生が受け持つ国語の授業を通して文学と出会い、そして、たまたま手にした当時流行っていた「写ルンです」というインスタントカメラを通して写真と出会う。こうした数多くの出会いを通して、彼は自分の中に秘められていた感受性、文学性、芸術性を開花させていく。・・・紹介はここまでにしておきたい。あとはぜひこの本を直接、手にとって読んでみてほしい。

 

 私にとってもこの本は衝撃的な本だった。彼は決して口話教育を否定しているわけではないが、感受性が強く、自分をごまかすことのできない性格の彼にとっては、とても耐えられない教育方法だったのであろう。彼の場合はたまたま、人と出会い手話と出会った。そして救われた。

 今、齋藤陽道さんは聾者の写真家として活躍している。写真展も時々開かれているようである。2019330日までは東京都人権プラザ(都営三田線芝公園下車)で写真展が開催されている。ぜひ、本を買ってあげてほしいし、写真展にも足を運んでほしい。文字通り「感動!」をくれる本であり写真展である。 障害を理解することから.jpg

 

 また、天沼陽子先生の齋藤陽道さんの指導実践は『障がいをもつ子どもを理解することから』(森博俊など編著、群青社、2592円)の中の「聴覚障害の子どもと向き合う教師の記録」に書かれている。この本と合わせて読むと、より理解が深まる。冒頭部分だけ紹介しておこう。

 

「ろう学校に入ってから手話に出会い、言葉と自分の感情が一致する感覚をつかんで自分を見つめ直し、それを文章にして語りながら考えを深め、5年間のろう学校生活の中で成長していった一人のきこえない青年、ハルミチ(35歳)がいる。彼はきこえる人として生きるために補聴器をつけ、発音の訓練を受けた後、小、中学校の9年間を通常学級にインテグレートして過ごした。しかし、音声日本語だけでは遂に人とつながることができなかった。・・・」(136頁)

あるFace Bookのブログに、こんな記事が載っていました。「手話と音声」というタイトルの記事です。手話を使うと声が出なくなる、とは、時々耳にする言説で、口話法の昔からよく言わてきました。確かに、「日本手話」と音声言語は同時に使うことはできません。昔の聾者は日本手話を使っていたわけですし、口話(補聴器もない時代ですから耳を使わない純粋な読話と発音)だけで会話するのは通じたり通じなかったりが多いので、あいさつ程度の会話は別として、日常的には使いません。だからだんだんとそのように言われるようになってきたのでしょう。

 しかし、このブログに書かれているように、今は、音声と併用するいわゆる「対応手話」「口話併用手話」が、聴者との会話では使われています(手話のできない聴者とは簡単な聴覚+口話と筆談)。ですから、その意味では、根拠のない言説です(手話に対する「偏見」と「差別」意識と言ってもよいくらいです)。以下、引用します。この方は、ろう学校で相談も担当していらっしゃる言語聴覚士の方のようです。

 

<手話と音声>

「手話を使うと音声が出なくなるので、手話を使うのはやめたほうがいい」「手話を使うと目に頼ってしまって、耳を使わなくなるから、手話は使わないほうがいい」と、言語聴覚士(ST)や医師に言われたという親御さんが時々いらっしゃいます。初めて(ろう学校に)見学にいらっしゃる親御さんたちは、学校で手話を使っている、ということを聞き、心配になる方もいらっしゃるようです。また、言語聴覚士に「手話を使うことをやめなさい」と強く言われ、不安になり、学校に来る足が遠のく方もいらっしゃいます。でも、学校での子どもたちの様子を見て、そうではない、ということが分かり安心される方もたくさんいます。

私がみている子どもたちは赤ちゃんの時から、手話(日本手話ではない日本語対応手話)+音声日本語で育てられています。聞こえない両親に育てられている聞こえにくいお子さん。ご家庭ではもちろん音声無しの日本手話。学校へ来ると日本語対応手話。でも、ちゃんと音声が出ています。しかも結構明瞭!そして、聞こえないお友達とおしゃべりをする時は日本手話を使って、日本手話ができない聞こえる人と話す時は、日本語対応手話+音声日本語で、などと小さいのに相手のコミュニケーションモードを察知し、そのモードに合わせてくれるのです。すごすぎ!

 

軽い難聴でとってもきれいにおしゃべりができるお子さん。ご両親(聴者)がろう学校を選択して小さい頃からずっと通っています。その子もコミュニケーションモードをその時その時で変えて生活をしているからすごい。私にしゃべりかけて来てくれた時は、音声日本語でした。(この子との初めてのおしゃべりはとっても衝撃的で、多分一生忘れない!一緒にたまたま給食を食べている時に「先生のお腹には、赤ちゃんがいるの?」でした。(苦笑) だから「ただ、太っているだけ」と返事。アハハ)この子も様子を見ていると、ちゃんとコミュニケーションモードを切り替えています。聞こえないお友達とは音声無しの手話。聞こえにくいお友達とは日本語対応手話+音声日本語。

 

反対に、誰も教えていないのに、日本手話的な表現が乳幼児クラスにいる時からできるようになるお子さんもいます。この子は聞こえる両親に育てられている聞こえにくいお子さん。家では日本語対応手話+音声日本語で育てられ、どちらもできるようになってきています。誰も教えていないのに、「僕、できたよ」と手話で表現した時だったかな。頬を最後にプッと膨らませる表現をしたのです。これは日本手話的な表現。どこで覚えたのかな、と考えてみると、多分、クラスの中でだと思います。クラスにいるデフファミリーのお子さんたちとその両親とのコミュニケーションの中で自然と学んだようです。

聴力が厳しいお子さんで、ご両親は聴者。小さい頃から手話+音声で育ち、どちらも上手になっているというお子さんもいます。

 

ダウン症の聞こえにくいお子さん。以前もこのブログで書きましたが、手話を始めて1年くらいたった時、おっぱいという手話と「オパー」という音声言語が一緒に出ました。お母さんは大喜び。

聞こえにくいお子さんたちを見てみると、ほとんどのお子さんで最初に手話での表出が出てきます。手話はイメージがしやすい言語です。自分の頭の中のイメージとイメージしやすいことばが最初に結びつけられ、そのあとに音声言語が出てくるという様子が見られます。人間の発達は動作模倣から音声模倣という発達をとげるので、手話が音声を促すことにも役立っているのかも知れません。

 

また、手話を小さい頃から与えることで、言語の獲得、情報の獲得、知識の獲得、知的な面での発達は、聞こえるお子さんと遜色なく育ちます。生後3ヶ月頃から乳幼児クラスに通い、10ヶ月くらいになると手話での理解が見られ、1歳の頃には手話での表出が見られるようになります。

聞こえない・聞こえにくいお子さんだけでなく、発達に遅れがあり、なかなか音声言語が出ないお子さんに手話を入れたところ、やはり最初に手話が出て、そのあと音声言語が出るようになりました。その子の最初に出た手話と音声言語は「うどん」。

 

それから、手話を使うけれども、手話を使うのは最初だけで、音声が出るようになったら手話を外して行く、という教育を勧めている機関もあるようですが、手話は言語ですから外しません。私たちは日本人で日本語で育って、途中で日本語ができるようになったからって外さないでしょう?

だから、最初のようなことば「手話を使うと音声言語が出にくくなるから、手話は使わないほうがいい」なんて安易に専門家と言われる人たちに言って欲しくない!手話は聞こえない・聞こえにくい子どもにとって、外せない言語なのですから。そして、たくさんの子ども達の様子を見ていると、聴力レベルや育っている環境、発達など、さまざまなことが関係しているけれど、一概に手話が音声言語の妨げになっているとは言えない。むしろ、音声言語だけしか与えられない、聞こえない・聞こえにくい子の方が心配です。

 手話を使う子どもたちの会話はどのようなものでしょうか? 手話は使わないほうがいい、と思っている専門家や親御さんたちは少なくありませんが、使ってみないと手話のよさも限界もわかりません。使わない方がいいと言う人たちは本当は使ったことがないのだろうと思います。

 

 さて、手話を発達早期から使うと、平均的には1歳前後で手話が獲得できます。そして、その手話を使って周りの人とコミュニケーションし、そこから子どもはいろいろなことを知っていきます。手話は視覚言語です。視覚言語ということは(視覚障害がなければ)100%確実に「見える」ということなので、グーの形でほほを叩く「アンパンマン」とグーの形でおでこを叩く「病気」の違いは、形と意味が確実に区別されます。それゆえに手話は語として記憶されていきます。そして1歳半前後になると、手話の単語が急激に増えていく「語彙爆発」という現象が起こります(もちろん手話をしっかり使っていけば、ですが)。 言語発達の過程.jpg

この「語彙爆発」という現象は、きこえる子が音声言語を獲得していく1歳半から2歳代にも見られます。しかし、きこえない子が音声言語を獲得していく過程では、この時期にはまだ「語彙爆発」は観察されません(少なくとも私の知る範囲ではそうです)。それは、きこえない子にとっての音声言語は、まだ「きこえ」の状態が曖昧なので、意味と結びついた語の音韻系列の違いが確実に弁別できず、記憶できないからだろうと思います(「かしちょうだい」「なしちょうだい」「はしちょうだい」の違いをきいても100%区別できなければ(いずれのきこえも「アイオーダイ」くらいであれば)モノの名前を区別して記憶することは難しいでしょう)。語彙として蓄積されなければ(弁別できる語が50語程度を越えなければ)

「語彙爆発」も起きません。音声言語のみで行く場合、この言語的空白の期間は2歳頃まで続きます。

 

 一方で手話では確実に語が蓄積されていきます。それにつれて、交わされる会話も知っていく知識も豊富になっていきます。以下は、1歳9か月の子どもの記録から。

 

Fおばあちゃんが一ヶ月ぶりに上京。空港で「ふ」の指文字(=Fおばあちゃん)をしながら大喜び。飛行機を見て、手話で「あれが、ひこうき」とやったら一回で覚えた。本物の力はすごい!!本物といえば、お寿司屋の大きな水槽に魚が泳いでいたので、そこで魚の手話をした。別の時、ヨーカ堂の鮮魚コーナーでサバを買ったら、「魚、魚」と手話をした。切り身なのに、よくわかったなあと、びっくりした。」(1歳9か月)

 

 新しい語に出会って1回ですぐに覚えることを「即時マッピング」と言いますが、この即時マッピングができるから、次々とことばを覚える「語彙爆発」も生じます。どんどん知らない言葉を覚えていくわけです。手話にはそのメカニズムがあることがわかります。「見てわかる」言語だから起こり得ることです。以下は、2歳1カ月児の例です。

 

「学校に通い始めて約2ヶ月が過ぎて、先生方やお友だち、ママの顔も覚え始めたようです。学校に通う電車の中では、学校、先生、お友だちの写真カードを何度も何度もめくって見ては、指さししながらアッアッと声を出したりしています。降りる駅に近づくと、「おんりする」と言いながら手話をしていました。最初はわからない様子でしたが、最近では、自分から「おんり?」と手話できいてきたりするようになりました。「うん、次、おんりするよ。」と言い、手話で表現すると、帽子をかぶり、絵本をしまい、降りる準備をして、近くにいる人たちに「バイバイ」をするようになりました。」(2歳1カ月)

 

一語文ですが、手話という「ことば」を使って、電車の乗り降りのことがママと会話できています。以下も同じく2歳1カ月児です。

 

「補聴器屋さんの帰りにランチをして、おもちゃをもらいました。すぐに壊れてしまいました。家に帰ってきて、ランチでもらったおもちゃを見て、手話で「壊れてる」「無理」と表現したのでビックリしました。」(2歳1カ月)

 

このお子さんは、手話が二語の連鎖で出始めています。このように、「ことば」があれば、玩具が壊れて残念に思う自分の気持ちも表現できます。ことばがあるとないとでは、物事への認識や感情、思考の深まりが違うのです。以前に「ことばが認識を育てる」ことについて書きましたが、1歳から2歳のあいだを、ことばをもって過ごすかそうでないかということは、その後の子どもの成長発達に大きな影響を及ぼします。以下は、2歳9か月児の記録です。

 

 「ままごとをした。『ママはデザートに果物がいいな。果物はどこにあるのかな?』というと、A『本ある』とことば絵じてんを持ってきた。M『あったあった、これだね?』とスパゲッティーの絵を指すと、A『違うよ!』M『あ、間違った。これだ』とステーキを指さすと、『違うよ!』M『え~っ、わからない』と言うと、A『いちご、りんご、ばなな、ぶどう』と自分で選んで指さした。」(2歳9か月)

 

 「果物」という上位概念が2歳代で理解されており、ママとの楽しいやりとりができています。ことばを取り出して、そのことばでクイズを楽しむという、生活言語からレベルアップした高次の言語活動が、手話でのやりとりの中で確実に育ってきていることがわかります。ここまでくると、学習言語の土台づくりの時期に入ってきていると言えます。手話を使わないで音声言語だけでは、とても3歳前にここまで到達するのは難しいと思います。

 

┃難聴児支援教材研究会
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