発達の診断と評価
きこえない子どもとくに幼児期の認知の発達(=象徴機能の発達)をとらえる尺度として「太田ステージ」という検査があります。これはもともとはASD(広汎性発達障害・自閉症)の実践研究の中で開発されたものです。ASDの子どもの発達をとらえる上で認知発達という視点は欠かせないということでピアジェの認知発達理論をベースに、小児神経科医の太田昌孝先生が開発されたものです。

この検査は、シンボル機能(象徴機能)がまだ認められないStageⅠから、ピアジェがいう「具体的思考期」に入るころまでのStageⅣまでの、大きく5つのStageに発達段階を分け、さらにその中がいくつかに段階分けされています。(右引用頁参照)
*StageⅤはピアジェのいう「具体的操作期」以降になります。
この検査の長所は比較的短時間に検査が実施でき、子どもの認知発達のおよその段階がわかることで、筆者も時々使っています。
難聴幼児の場合、定型発達の子どもでも、頭の中にしっかりとモノのイメージが描けない子どもがいます。絵や映像、文字、数字などの象徴機能(実物の代理機能)が十分に発達していないのです。象徴機能が十分発達していないと、生活言語から学習言語へのレベルアップが難しくなります。頭の中に自由にことば(=文字・指文字など)や数字を浮かべて、それらを操作できないと抽象的な思考は困難です。

この太田ステージでは、そうした象徴機能の発達の様相をとらえることができます。例えば、StageⅢ―2後半の「頭の中でモノの大きさが比較できる」という項目は、「バスと自転車とでは、どっちが大きい?(小さい?)」といった頭の中でモノの大きさがイメージできる(比較概念がわかる)問題となっており、まだまだモノが頭の中で比較できない子どもには、具体物と出会う経験とその言語化がもっともっと必要だということがわ

かります。そして、この力は、モノを仲間として括ってその括りに名前をつけるなどの「類概念」の発達や概念形成のレベルアップにつながっていきます。
さらに、StageⅣ前半の課題である「空間関係」の問題は、位置をあらわすことばがどれだけ理解でき身に付いているかをみることができます。例えば「積木の上にさいころを置いて下さい」という指示は、「~の上」という位置関係をあらわす言い方が理解できているとクリアできます。しかし、「さいころの上に積木を置いて下さい」という質問は、クリアできるとは限りません。積木の上にさいころを置くのは質問としてもある意味自然ですが、さいころの上に積木を置くのは、不自然です。ですから正確に日本語が理解できていないとこの問題をクリアできません。
空間関係・位置関係の言い方にはいろいろあります。上・下・中、前・後ろ、横、すみ、かど、そば、近く・・・。こうした言い方になじんでいないのが難聴児の特徴です。日常生活の中でも「そこにあるでしょ」とか「それ、とって」「そこ置いといて」とか、場面を共有しているところでは代名詞や指差しで済ましてしまうことも多いです。「上から二番目の引き出しね」とか「~の横においてね」など言葉で正確に言い表すことの大切さにこの問題から気づくことができます。
また、StageⅣ後半の「保存の法則」は、年長さんにはぜひやってみてほしい課題です。縦に細いグラスに入ったジュースを底の広いグラスに移したとき、「多くなった」と答える幼児は、まだ「見かけ」にごまかされてしまい、「質量保存の法則」が理解できていない段階です。この段階は、通常7~8歳と言われているのでもちろんできなくてもかまいませんが、まだまだ「自己中心性」のまっただ中にある発達段階と言えると思います。
なお、検査道具は自前で作る必要がありますが、その作り方は以下の書籍に載っています。また、評価の仕方なども詳しく載っています。
『太田ステージによる自閉症療育の宝石箱』永井洋子・太田昌孝著、日本文化科学社
『StageⅣの心の世界を追って』永井・太田・武藤直子、日本文化科学社
〇誕生から生後半年頃まで(0歳前半の頃)
新生児聴覚スクリーニング(以下、新スク)が普及し、生後半年頃には相談機関を訪れる保護者が増えてきました。「せっかく早く発見できたのだから、早く教育を開始してほしい」というのが親の願いでもあるのですが、この時期は聴覚器官の発達もまだまだ未熟で、誕生時から生後半年くらいまでは、視覚・触覚などあらゆる感覚を含めて赤ちゃんは、自分の感覚器官をフル回転させて人を含めた環境と関わっていく時期(感覚運動期)ですので、早く補聴器を装用すれば早く聴覚が発達してきこえる子に追いつくということではありません。
〇聴覚・発声機能の発達
きこえる赤ちゃんは、すでに出生前よりお母さんのおなかの中で母語のリズムやイントネーションのパターンをききわけ、記憶していくと言われます。そして、誕生直後の0か月ですでに母語と他言語を聞き分けると言われています。通常、誕生後の聴覚・音声の発達過程は、以下のような過程を経ていきます。
・1か月頃・・・クーイング「アー」「クー」という声を出す。
・2か月頃・・・過渡期の喃語「アーアー」が出る。(子音の要素はまだない)
・4か月頃・・・母音【あ、い、う、え、お】の音素カテゴリーが形成される。
・6か月頃・・・子音【k、s、t、n、h、m、y】の音素カテゴリーが形成される。
このころ、日本語を母語とする赤ちゃんは「l」と「r」の区別ができなくなる(日本語の「ラリルレロ」ではこの「l」と「r」の子音の区別はしないので、日本語を母語とする赤ちゃんはこの区別ができなくなっていきます)。
・8カ月頃・・・規準喃語(バババ、パパパなど子音が含まれた喃語)が出る。この喃語がやがて音声日本語のことばの発語(初語)につながる。
〇きこえない子の聴覚・音声機能の発達
きこえない子の場合は、きこえる子と同様に過渡期の喃語までは出ますが、子音の音素カテゴリーは形成されないと言われています。きこえない赤ちゃんの場合は、「アーアー、
ウーウー」と言っていた「過渡期の喃語」はきこえる赤ちゃんと同じに出るのですが、生後7~8カ月頃の子音を伴った「規準喃語」には発展せず、その代わり手をひらひらさせたりする「手指喃語」に発展すると言われています。(武居渡1997)
ただ、この言い方は正確ではありません。生後、5、6カ月より補聴器を装用したきこえない赤ちゃんのうち、比較的聴力の軽い赤ちゃん(ほぼ聴力90dB以下)は音声の喃語も観察されること
があるからです(木島2017)。木島が保護者21名から聞き取った調査では、聴力90dB以下の赤ちゃんには音声の喃語が出ていたと報告するお母さんがみられました。ただ、手話も併用しているので、この音声喃語は音声初語につながるよりも前に、どの赤ちゃんも聴力にかかわらず、手話の初語のほうが先に出現していました。音声言語より手話のほうが早く獲得されることは、きこえない子には一般的に観察される事実ですし、きこえる赤ちゃんでも音声言語の初語が出る前にベビーサインを使って会話するとよいと言われることからも理解できます。また、手話の初語が出る時期は、ほぼ1歳前後で、きこえる子の音声言語初語の出現時期とだいたい同じでした。
〇初語獲得前(前言語期・0歳後半期)にみられる発達は?
では、初語つまり言語が獲得されるためには、どのような発達の高まりや伸びが必要なのでしょうか? ここでは、その発達的前提について考えてみたいと思います。
〇言語獲得のための二つの大切な発達
★認知発達的基盤(象徴機能)
生後、5か月くらいになると、記憶する力が発達してきて、自分が経験したことを覚えているようになります。さらに8~9か月頃になると、時間・場所・人などを含めて過去の出来事をちゃんと記憶していて(エピソード記憶)、知らない人や初めての場所では不安になったりします。いわゆる「人見知り・モノ見知り」です。ことばの発達にとって大事な記憶とかイメージがもてるなどの認知的な基盤が整ってきます。これを別のことばでいえば「象徴機能の発達」といいます。この頃「写真カード」などがコミュニケーションの道具として使えるようになってきます。
ことばはものごとの意味を、なんらかの記号であらわしたものです。例えば日本語での「し・ん・か・ん・せ・ん」という6つの音のつながりは、新幹線の実物とは本来なんの関係もありませんが、実物の電車を表すという約束ごとです。しかし、手話の「新幹線」は新幹線の先頭部分を象徴的に表したシンボル性(=写像性)をある程度もっています。そういう点でも手話はきこえない子にとっては獲得しやすい言語だといえるかもしれません。「食べる」「飲む」「歩く」などはそうです。ただ、「ありがとう」「ごめんなさい」など写像性のあまりない手話ももちろんあります。
また、誕生以来続いてきてお母さんとの心地よい関係もますます強固になっていくと、大好きなお母さんがすることに関心を赤ちゃんも関心を示すようになり、お母さんが指さしたものの見るとか、子どもが何かを指さしてお母さんに知らせるといったいわゆる「共同注意」とか「三項関係」といわれる関係が築かれていきます。言語は人と人が何かを共有し伝え合うためのものなので、この共有関係が成立しているかどうかは、ことばの出現にとっては非常に大切なことです。
木島が2017年にやった保護者アンケート調査でも、手話の初語がみられた21名全員に、初語出現(平均11.4カ月)の前に「共同注意」が観察されています。
また、音声言語の初語は、90dB以下の子の62%にみられ、その平均月齢は13.4カ月で、手話初語の出現からやや遅れる傾向がみられました。なお90dB以上の子では、音声初語の出現は38%の子に観察されました。

①感覚運動機能の発達・・・周囲のものへの興味や関心、またモノを扱う操作性が育っているかをみます。
②社会的相互関係の発達・・・日常生活場面での人との関わりややりとりを楽しめる力が育っているかをみ
ます。
③記憶・認知・象徴機能の発達・・・自分の経験を頭の中にイメージ(表象)して再現できる力が育っているかをみます。
④伝達・表出機能の発達・・・身振りや動作、あるいは写真カードなどを使って相手に自分の思いを使えようとしたり、手話・音声言語などを使って伝えようとする力の育ちをみます。
このような観点からみることで、今まだ、ことばが出ていない子どもであっても、どのような段階まで成長しているのかがわかります。
ある保護者の方から「幼児期に身につけた言語力は、小学生以降の読み書きの力につながっていくのでしょうか?」という質問をいただきました。
幼児期の言語力をどう定義するかにもよりますが、ここでは客観的な数値として理解いただくために、言語力を日本語の語彙・文法力と言語による思考の力という二つの力からなるものと定義して、ある公立聾学校幼稚部における、①年長修了時のJcoss(日本語理解テスト)通過項目数(日本語語彙・文法力)と②年長時WISCⅣ「言語理解」の合成得点(VIQ)の2つと、これらの2つの検査結果が、③聾学校小学部中・高学年(3~6年)時の読書力検査偏差値にどうつながっているかについてみてみたいと思います。ある公立聾学校の2018年の3~6年児童30名の結果から考えてみます。なお、Jcossについては、本HP>発達の診断と評価>J.cossの「Jcossとは?」を参照。WISCについては、同>WISCを参照してください。
〇語彙・文法力と読みの力(Jcoss通過項目数と読書偏差値)
まず、年長修了時のJcoss通過項目数と小学校中・高学年時の読みの力(読字・語彙・文法・読解)との関係ですが、右図に示すように、相関係数はΓ=0.74で非常に高い数値を示しています。このことから、幼稚部修了児の語彙力・文法力が小学部での読みの力にそのままつながる確率が非常に高いことがわかります。
読書力検査の偏差値とは、偏差値でほぼ55以上なら該当学年より上の学年の読みの力(上学年)を、45~55の範囲であれば該当学年(対応学年)の読みの力を、45以下であれば該当学年以下の読みの力(下学年)にとどまっていることを表しています。このグラフからわかることは、該当学年の読みの力すなわち読書偏差値45以上の児童は、幼稚部年長の時にJcossの通過項目数は6項目以上(読書偏差値50以上の児童は年長時Jcoss7項目以上到達)に達していたことがわかります。このことから、幼稚部年長修了時の目標としてJcoss7項目以上つまり文法段階到達を目標にすることの妥当性が理解していただけると思います。(*このことから直ちに、年長時に6~7項目に達していなければ、学年対応以上の読みの力は身につかないということにはなりませんが、Jcossの通過項目数が6項目以下にとどまっているということは日本語の語彙数が少ないということなので、小学生になってから改めて日本語の語彙を増やしていくことになります。しかし小学生になると、家庭においても学校の宿題に追われますし、漢字を覚えたり計算の仕方を覚えたりなどが中心になり、幼児期のような子ども中心・生活中心の中で体験したことを親子で絵日記やことば絵じてんにしていったり、言葉遊びをしてことばを増やしていくようなやり方ができにくくなります)。
〇言語的思考力と読みの力(WISC・VIQと読書偏差値)
次に、WISCⅣの「言語理解」合成得点(VIQ)と読書偏差値との関係ですが、これらの相関係数もΓ=0.71と、Jcossと読書偏差値との相関と同様に高い値を示しています。
「言語理解」とは、「類似」「単語」「理解」という3つの下位検査を総合したもので、内容としては以下のようなことです。
「類似」・・・二つのモノとモノをことば(日本語・手話)で提示し、それらのモノの概念がどのように類似しているかを答えさせます(例「りんごとバナナの似ているところは?」)。すなわちモノの概念を比較したりそのモノをまとめた上位概念の名称を理解しているかどうかがわかります。
「単語」・・・絵を提示してその名称を答えること(日本語)と単語をことば(日本語・手話)で提示してその意味を答えさせます(例「りんごってどんなもの?」)。モノ(ことば)を適切にことばで説明できる力がわかります。
「理解」・・・日常的な問題の解決や社会的なルールなどについての理解についてみます(例「食事の時にコップの水をこぼして隣の人にかかった時どうする?」)。このような時にはこうすればよいと、自分のもっている知識を使って適切な対応ができるかどうかがわかります。
以上の3つのことから、「言語理解」とは、ことば(手話・日本語)を自分の頭の中で思い浮かべてそのことば(概念)を操作したり、別のことばで定義づけたり、ことばで考え、他の人にことばで説明できるなどによって、言語を自分の生活から切り離して取り出し対象化・一般化したり、一般化・抽象化された辞書的な意味をもつことば(協約化した言語)を使ってさらに抽象的なことを学ぶ力の土台が、その子どもに形成され始めているかどうかをみています。これらの言語的思考の基礎力と読書力偏差値との間には高い相関があるということです。そして、グラフから、ほぼ年長時にVIQ90前後以上に達していた子どもは、読書力偏差値でも「対応学年」以上に達していることがわかります。
〇幼児期に何にどうとりくめばよいのか?
Jcossで7項目に達していないということはどういうことでしょうか? 一言でいえば「日本語の語彙不足」です。日本語の語彙には名詞、形容詞、動詞、副詞いろいろとありますが、全体的に語彙が足りないのです。中でもとりわけ少なくて、読みの力に大きく影響するのは「動詞」の語彙不足です。名詞だけいくら沢山知っていても文にはなりません。
ですから、動詞の語彙数をどう増やすかということを考える必要があります。ところがやっかいなことに動詞は、ある動詞、例えば「持つ」という動詞がそこに存在し、みることができるわけではありません。そこが
「かばん」などの事物名詞と違うところです。また、動詞は、言いたいことに合わせて複雑に変化します。「持つ・持っている・持った・持たない・持っていない・・・」。そこ語彙をどうやって増やすかという工夫が必要になります。
「そろそろ学校に行くよ」と子どもに伝える時に手話で、/学校/ /行く/ だけではなく、指文字で「がっこう に いくよ」と綴るとか、絵日記で「昨日、おばあちゃん家に( )」と空欄にして何が入るか考えさせるとか、手話も使って「立つー座る」など反対言葉遊びをするとか、日本語(手話)を提示して手話(日本語)で応える遊びをするとか、動詞を使ってビンゴをするとか、手話の絵を見て日本語に直すプリントをするとかいろいろな工夫が必要だと思います(上図「動詞の特徴発見」「動詞ビンゴ」の教材例は「絵でわかる動詞の学習」所収。)。
また、WISCの言語理解の力を伸ばすためにはどうすればよいのでしょうか? これについては、とくに「メタ言語意識」や「語彙の概念カテゴリーの構築(ことばのネットワークづくり)」などが必要です。「本HP>乳幼児期・学童期>日本語はどのように習得されるか>学習言語へのレベルアップのための5つのポイント」などを参照してください。
また、日常会話の工夫も必要です。右にあげたことは、きこえる子にはそんなに意識してやることでもないでしょうが、き
こえない子には意識して取り組むことが必要なことがらです。
生活言語と学習言語
言語には二つの役割があるといわれています。一つはコミュニケーションのための言語で、赤ちゃんが最初に獲得する言語はもちろんコミュニケーションのための言語です。「生活言語」とか「一次的ことば」という言い方もします。日本語でも英語でも手話でも言語の違いは関係ありません。4歳頃までの言語は「生活言語」が中心です。この頃の子どもに
「りんごってなあに?」と尋ねても、「昨日、りんご食べたよ」とか「ぼく、りんごきらい」とか自分の体験(エピソード)に即して応えることが多いです。
もう一つは、思考や学習のために使う言語です。これを「学習言語」とか「二次的ことば」と言います。書記言語もこの種類の言語に含まれます。5~6歳の子に「りんごってなあに?」と尋ねると、「果物だよ」とか「ごはんのあとに食べるデザート」といった自分の体験を離れて、社会的に共通な枠組みをもつ意味の中で、定義的に応えることができるようになってきます。子どもの側に、自分を離れて客観的・抽象的に意味をとらえる認知発達がその背景にあるわけです。
メタ言語意識
このように、言語を、自分の生活や経験から切り離し、言語を客観的・抽象的にとらえ、言語そのものを遊びや分析の対象としてとらえられるようになることを「メタ言語意識」の発達と言います。
小学校以降の教科学習の中で出てくることばは、例えば「はたらく」「やくわり」「つくり」といった、直接目で見ることのできない抽象性の高い語が使われていて(「はたらくじどう車」国語小1上・教育出版)、このような抽象性の高い語を理解するためには、語を自分の経験から離れて対象化し、分析的にとらえる力が必要になってきます(「メタ」=対象化・客観的)の意味です。
こうしたメタ言語意識が育ってくるのがだいたい5~6歳頃で、ことばを対象化して面白さを見出して楽しむのが「ことばあそび」です。例えば、次のような質問クイズ。
「そらの上になにがある?」⇒普通に応えると「雲、太陽、宇宙・・」など。コミュニケーションのためのことばのレベルではそうなりますが、意味ではなく語(音階)の構造に
着目すると「シド」。
「せかいの真ん中にいる昆虫は?」⇒(意味を考えると)「?」ですが、「せかい」という語の構造に着目すると「か(蚊)」。
このようなメタ言語意識を育てる活動を、言語の構成要素である「音韻論」「意味論」「統語論」「語用論」の各領域に即して取り出してみた
のが右表です。また同時に、これらの項目は、きこえない子どもの言語発達上の課題となる項目でもあるので、こうした観点から子どもの言語発達の実態を把握し、その課題をクリアしていくことが、生活言語から
学習言語へレベルアップしていくことに繋がります。
例えば、きこえない子が、日本語を身につける上で最初に課題となるのが、「音韻論」の「音韻意識」の問題です。
日本語は、一つ一つの音韻(音節)が繋がって単語が作られ、単語が繋がって文が作られていますが、この仕組みを知ることが必要です。手話・指文字を使っているきこえない子の場合、この音韻に気づくのは比較的早く3歳頃から始まりますが、ワーキングメモリー(短期記憶・作業記憶)が弱い子は、3音節のことばがなかなか覚えられない、といったことがあります。こうした子どもたちは、すぐには長い音節からなることばは覚えられないので、二音節ないし三音節のことばを言ってその通りに言う「オウム返しゲーム」とか、「い、う、え、お、か、き・・」など一文字でも意味のあるモノを使った「一文字かるた」とか、お風呂に指文字表を貼って風呂から上がるときに唱えるなどから始め、「あいうえおかるた」「あのつくことば集め」「しりとり」などに発展させていくことで、日本語の音韻を獲得するようにします。
次に「意味論」の「概念カテゴリー」の問題があります。語(単語)の概念の豊かさ、上位概念・下位概念など多重構造をもった心的辞書の構築といった語彙獲得の問題は、このHPでも「ことば絵じてんづくり」や「ことばのネットワークづくり」のところで何度か取り上げています。文が読めるかどうかの大きな要因のひとつが、語彙力(量的・質的豊かさ)の有無です。まず、その語のもつ意味を的確に獲得すること、そして、さらにはことばの字義通りの意味を越えて、「目から鱗」「腹が茶を沸かす」といった比喩・慣用句的表現や「時計持ってます?」(今、何時ですか?)など記号的意味に縛られずに使えるようにしていくことが高学年頃からの課題になってきます。
きこえない子がどの程度の日本語の読み書きの力を持ち、また、抽象的・論理的な思考ができるか、大雑把ですがその力をみるのによい問題があります。この問題(「比較3問題」としておきます)は、日本で最初に100マス計算を思いついた岸本裕史(故人、『見える学力、見えない学力』1982)が考えた問題で、以下の3つの問題です。これを脇中起余子氏(現筑波技術大学准教授)が京都聾学校高等部で実施した結果と共に紹介されています。問題は以下の3つです(小学生用に一部問題を変えていますが本質は変わりません)。
問1「太郎君はみかんよりアメが好きです。アメよりチョコが好きです。太郎君の好きなものの順は?」
問2「もし、ねずみが犬より大きく、犬が虎より大きいとしたら、大きい順番はどうなるか?」
問3「A町、B町、C町、D町、4つの町がある。A町はC町より大きく、C町はB町より小さい。B町はA町より大きく、D町はA町の次に大きい。大きい順番を書きなさい。」
問2は、文から「ネズミ。「犬」「トラ」という映像が浮かんでも文法的に正しく読めなければ解答できません。大きい順は実際とは逆になっているからです。具体物に左右されず、日本語を文法的に正しく読まないと答えることができません。「もし・・・なら」という仮説的思考も必要です。ピアジェのいう形式的操作の段階に入ってきていればできるでしょう。この問題ができれば岸本は小3レベルと言っています。
ここまでは具体物の3対比較ですが、問3は比較するものが抽象的なものであり、4つの
ものの比較です。文を読み取り、論理的な思考ができなければ正解できない。これができれば小4レベルであるということです。
聾学校でやってみたら・・
さて、この問題を私は地方の聾学校の中・高校生にもやってもらうことがあります。それらの結果と脇中氏の京都聾学校高等部の結果、さらにある聾学校小学部高学年の児童の結果をグラフにしてみました。
問1は、どの学部においても1~2割の子どもができていませんでした。これは、「たろう」とか「アメ」とか「チョコ」とか「好きなもの」といった単語の意味がわからない日本語力の相当厳しい子どもたちが聾学校にいるということであり、しかも小学部ならまだしも、高等部にも同じ割合で存在するということは、基礎的な日本語力を身につけないままにそのまま社会に出ていくということではないでしょうか。「準ずる教育」でふつうの高校生が使う「教科書」を進める前に基礎的かつ実用的な日本語の指導が必要なのだと思います。
問3は、日本語の文法力に加え、読み取った文から4つのものを比較し答えを導かなければならないので、やや複雑な論理的思考が必要になる。この問題は高等部でも半分以上が正答できませんでした。
このグラフをよく見ると、まず、問題別の正答者の割合が、学部が変わってもあまり変わらないことです。言い方を変えると、「学年進行による進歩向上があまりみられない」ということです。つまり、小学部の時に躓いてしまうと(高学年までに基本的な日本語の読みの力を身につけられないと)、中・高、いやおそらく聾学校を卒業して社会に出るまでそのままの状態が続いてしまうということではないかと思います。
論理的な思考を必要とする問3は置いておくとしても、問2までの日本語の読みは、小学部の3~4年生であれば(つまり具体物から離れて考えられる発達段階)、日本語の文法指導(例えば文中の「~より」という助詞の指導)を丁寧にやることで躓きの解消が可能なレベルであると思います。ということは問1正解の8割の子たちは問2まではできるはずです。しかし、小学部高学年の正答率と中・高校生の正答率には差がないというのが現実です。なぜでしょうか? ここに、私は、聾学校の日本語指導の大きな問題があるように思います。聾学校には国語だけでなく自立活動という教科もあります。これら国語と自立活動の総授業時間数を合わせると小・中・高で2000時間を超えます。こんなに勉強して、問2の問題を半分の子たちがクリアできないというのはなぜでしょう?ここに聾学校における国語教育の根本的な問題があるのだと思います。主人公の心情を考えることを一概に悪いとは思いませんが、社会に出て役立つ日本語の指導の中身を見直さなければ解決しないし、子どもたちは本来持っている可能性を十分に開花させられないままに社会に出ていくことになってしまいます。そのことを、聾学校の先生方も保護者の方々もぜひ知っておいていただきたいと思っています。
あれから6年たち、今の高学年の子たちは・・・
比較問題を最初にやった時から6年たちました。その間、
その聾学校では、小学部の日本語文法指導の取り組みと幼稚部での考える力を育てる取り組みをやってきました。そしてだんだんと成果が上がるようになってきました。当時、幼稚部だった子たちが小学部の高学年になりました。考える力と日本語の力はついたでしょうか?
22名の高学年の子どもたいの問1の正答率は100%、問2は77%でした。予想通り問2は8割近くの子どもたちができるようになりました。問3は55%。ここはまだ難しいですが、いつかきっと8割の子たちが正答できる日が来ると思います。やればできないことではありません。あれこれみんな難しく考えすぎている気がします。ちょっとした工夫と努力は必要ですが・・。