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発達の診断と評価

生活言語と学習言語

生活言語から学習言語へ.jpg言語には二つの役割があるといわれています。一つはコミュニケーションのための言語で、赤ちゃんが最初に獲得する言語はもちろんコミュニケーションのための言語です。「生活言語」とか「一次的ことば」という言い方もします。日本語でも英語でも手話でも言語の違いは関係ありません。4歳頃までの言語は「生活言語」が中心です。この頃の子どもに

「りんごってなあに?」と尋ねても、「昨日、りんご食べたよ」とか「ぼく、りんごきらい」とか自分の体験(エピソード)に即して応えることが多いです。

 

もう一つは、思考や学習のために使う言語です。これを「学習言語」とか「二次的ことば」と言います。書記言語もこの種類の言語に含まれます。5~6歳の子に「りんごってなあに?」と尋ねると、「果物だよ」とか「ごはんのあとに食べるデザート」といった自分の体験を離れて、社会的に共通な枠組みをもつ意味の中で、定義的に応えることができるようになってきます。子どもの側に、自分を離れて客観的・抽象的に意味をとらえる認知発達がその背景にあるわけです。

 

メタ言語意識

はたらくじどう車(教育出版).JPGこのように、言語を、自分の生活や経験から切り離し、言語を客観的・抽象的にとらえ、言語そのものを遊びや分析の対象としてとらえられるようになることを「メタ言語意識」の発達と言います。

小学校以降の教科学習の中で出てくることばは、例えば「はたらく」「やくわり」「つくり」といった、直接目で見ることのできない抽象性の高い語が使われていて(「はたらくじどう車」国語小1上・教育出版)、このような抽象性の高い語を理解するためには、語を自分の経験から離れて対象化し、分析的にとらえる力が必要になってきます(「メタ」=対象化・客観的)の意味です。

こうしたメタ言語意識が育ってくるのがだいたい5~6歳頃で、ことばを対象化して面白さを見出して楽しむのが「ことばあそび」です。例えば、次のような質問クイズ。

 

「そらの上になにがある?」⇒普通に応えると「雲、太陽、宇宙・・」など。コミュニケーションのためのことばのレベルではそうなりますが、意味ではなく語(音階)の構造に メタ言語意識.jpgのサムネール画像着目すると「シド」。

「せかいの真ん中にいる昆虫は?」⇒(意味を考えると)「?」ですが、「せかい」という語の構造に着目すると「か(蚊)」。

 

このようなメタ言語意識を育てる活動を、言語の構成要素である「音韻論」「意味論」「統語論」「語用論」の各領域に即して取り出してみた のが右表です。また同時に、これらの項目は、きこえない子どもの言語発達上の課題となる項目でもあるので、こうした観点から子どもの言語発達の実態を把握し、その課題をクリアしていくことが、生活言語から メタ言語意識を高める活動.jpgのサムネール画像学習言語へレベルアップしていくことに繋がります。

 

例えば、きこえない子が、日本語を身につける上で最初に課題となるのが、「音韻論」の「音韻意識」の問題です。

日本語は、一つ一つの音韻(音節)が繋がって単語が作られ、単語が繋がって文が作られていますが、この仕組みを知ることが必要です。手話・指文字を使っているきこえない子の場合、この音韻に気づくのは比較的早く3歳頃から始まりますが、ワーキングメモリー(短期記憶・作業記憶)が弱い子は、3音節のことばがなかなか覚えられない、といったことがあります。こうした子どもたちは、すぐには長い音節からなることばは覚えられないので、二音節ないし三音節のことばを言ってその通りに言う「オウム返しゲーム」とか、「い、う、え、お、か、き・・」など一文字でも意味のあるモノを使った「一文字かるた」とか、お風呂に指文字表を貼って風呂から上がるときに唱えるなどから始め、「あいうえおかるた」「あのつくことば集め」「しりとり」などに発展させていくことで、日本語の音韻を獲得するようにします。

 

次に「意味論」の「概念カテゴリー」の問題があります。語(単語)の概念の豊かさ、上位概念・下位概念など多重構造をもった心的辞書の構築といった語彙獲得の問題は、このHPでも「ことば絵じてんづくり」や「ことばのネットワークづくり」のところで何度か取り上げています。文が読めるかどうかの大きな要因のひとつが、語彙力(量的・質的豊かさ)の有無です。まず、その語のもつ意味を的確に獲得すること、そして、さらにはことばの字義通りの意味を越えて、「目から鱗」「腹が茶を沸かす」といった比喩・慣用句的表現や「時計持ってます?」(今、何時ですか?)など記号的意味に縛られずに使えるようにしていくことが高学年頃からの課題になってきます。

きこえない子がどの程度の日本語の読み書きの力を持ち、また、抽象的・論理的な思考ができるか、大雑把ですがその力をみるのによい問題があります。この問題(「比較3問題」としておきます)は、日本で最初に100マス計算を思いついた岸本裕史(故人、『見える学力、見えない学力』1982)が考えた問題で、以下の3つの問題です。これを脇中起余子氏(現筑波技術大学准教授)が京都聾学校高等部で実施した結果と共に紹介されています。問題は以下の3つです(小学生用に一部問題を変えていますが本質は変わりません)。

 

問1「太郎君はみかんよりアメが好きです。アメよりチョコが好きです。太郎君の好きなものの順は?」 

問2「もし、ねずみが犬より大きく、犬が虎より大きいとしたら、大きい順番はどうなるか?」

問3「A町、B町、C町、D町、4つの町がある。A町はC町より大きく、C町はB町より小さい。B町はA町より大きく、D町はA町の次に大きい。大きい順番を書きなさい。」

 

問1は、助詞がわからなくても「みかん」「アメ」「チョコ」「好き」という単語からそのものの映像を浮かべられれば、文がわからなくともある程度解答できます。子どもは一般的にこの3つのうちでどれを一番に選ぶと思いますか? たぶん「チョコ」ですね。では「アメ」と「みかん」ではどうですか? 子どもなら「アメ」のほうが多いのではないでしょうか。そして3目が「みかん」。これが「常識的」な判断でしょう。子どもに実際にきいてみても、その順番で選ぶ子は多いです。子どもは問題の文がわからなくても、とりあえず「常識」的に考えて最もありそうな答えを推論して応えます。文の意味が本当にはわかっていなくてもこの文では「当たる」ようにできているわけです。岸本氏はこの問題が出来たら小2レベルと言っています。小2というのは、具体物を思い浮かべてそのモノ自体を手掛かりに判断する思考の段階です。

 

問2は、文から「ネズミ。「犬」「トラ」という映像が浮かんでも文法的に正しく読めなければ解答できません。大きい順は実際とは逆になっているからです。具体物に左右されず、日本語を文法的に正しく読まないと答えることができません。「もし・・・なら」という仮説的思考も必要です。ピアジェのいう形式的操作の段階に入ってきていればできるでしょう。この問題ができれば岸本は小3レベルと言っています。

 

ここまでは具体物の3対比較ですが、問3は比較するものが抽象的なものであり、4つの 比較問題.jpgものの比較です。文を読み取り、論理的な思考ができなければ正解できない。これができれば小4レベルであるということです。

 

聾学校でやってみたら・・

さて、この問題を私は地方の聾学校の中・高校生にもやってもらうことがあります。それらの結果と脇中氏の京都聾学校高等部の結果、さらにある聾学校小学部高学年の児童の結果をグラフにしてみました。

 

問1は、どの学部においても1~2割の子どもができていませんでした。これは、「たろう」とか「アメ」とか「チョコ」とか「好きなもの」といった単語の意味がわからない日本語力の相当厳しい子どもたちが聾学校にいるということであり、しかも小学部ならまだしも、高等部にも同じ割合で存在するということは、基礎的な日本語力を身につけないままにそのまま社会に出ていくということではないでしょうか。「準ずる教育」でふつうの高校生が使う「教科書」を進める前に基礎的かつ実用的な日本語の指導が必要なのだと思います。

 

問2はどうでしょうか。これまたどの学部でも半分くらいの子どもたちが正答していませんでした。具体的なイメージに引きずられ、日本語を文法的に正しく読めない子たちが、これまた小学部から高等部までまんべんなく存在していることになります。実に2人に1人です。ここまでは、日本語の文の表層部分を正しく読み取る力をつけることで解決できますが、こうした現状が解決できないままに子どもたちは10年以上も聾学校に通い続けることになります。そして、そのまま社会に出ていき、社会人になって周りの人からばかにされる。その実態が、先ごろ出版された『ろう者の祈り』(朝日新聞出版社、1,200円)に描かれています。ぜひ、ご一読下さい。

 

問3は、日本語の文法力に加え、読み取った文から4つのものを比較し答えを導かなければならないので、やや複雑な論理的思考が必要になる。この問題は高等部でも半分以上が正答できませんでした。

 

このグラフをよく見ると、まず、問題別の正答者の割合が、学部が変わってもあまり変わらないことです。言い方を変えると、「学年進行による進歩向上があまりみられない」ということです。つまり、小学部の時に躓いてしまうと(高学年までに基本的な日本語の読みの力を身につけられないと)、中・高、いやおそらく聾学校を卒業して社会に出るまでそのままの状態が続いてしまうということではないかと思います。

論理的な思考を必要とする問3は置いておくとしても、問2までの日本語の読みは、小学部の3~4年生であれば(つまり具体物から離れて考えられる発達段階)、日本語の文法指導(例えば文中の「~より」という助詞の指導)を丁寧にやることで躓きの解消が可能なレベルであると思います。ということは問1正解の8割の子たちは問2まではできるはずです。しかし、小学部高学年の正答率と中・高校生の正答率には差がないというのが現実です。なぜでしょうか? ここに、私は、聾学校の日本語指導の大きな問題があるように思います。聾学校には国語だけでなく自立活動という教科もあります。これら国語と自立活動の総授業時間数を合わせると小・中・高で2000時間を超えます。こんなに勉強して、問2の問題を半分の子たちがクリアできないというのはなぜでしょう?ここに聾学校における国語教育の根本的な問題があるのだと思います。主人公の心情を考えることを一概に悪いとは思いませんが、社会に出て役立つ日本語の指導の中身を見直さなければ解決しないし、子どもたちは本来持っている可能性を十分に開花させられないままに社会に出ていくことになってしまいます。そのことを、聾学校の先生方も保護者の方々もぜひ知っておいていただきたいと思っています。

 

あれから6年たち、今の高学年の子たちは・・・

比較問題を最初にやった時から6年たちました。その間、 比較問題2.jpgのサムネール画像その聾学校では、小学部の日本語文法指導の取り組みと幼稚部での考える力を育てる取り組みをやってきました。そしてだんだんと成果が上がるようになってきました。当時、幼稚部だった子たちが小学部の高学年になりました。考える力と日本語の力はついたでしょうか? 

22名の高学年の子どもたいの問1の正答率は100%、問2は77%でした。予想通り問2は8割近くの子どもたちができるようになりました。問3は55%。ここはまだ難しいですが、いつかきっと8割の子たちが正答できる日が来ると思います。やればできないことではありません。あれこれみんな難しく考えすぎている気がします。ちょっとした工夫と努力は必要ですが・・。